2017.07.25

父の胃がん

 2017年7月15日に父から、健康診断を受けたら胃がんだと言われた、と連絡がありまして。
 本日(7月25日)に家族同席で説明があるとのことで、病院に行ってきました。

 いやぁ、健康診断を受けた話は聞いていて、胃にピロリ菌がいるらしい、と言っていたから、
「ピロリ菌って胃がんの原因になるんだよ」
 なんて言ってたら、ほんとに胃がんだったという、笑えない展開です。

 でも初期で自覚症状もないとのことなので、最近は医療技術も進歩したし、内視鏡でちゃちゃっと取り除けるのではないかと思っていました。
 実際、インターネットで調べてみるとこんな記事もあって、どうなんだろうと思ってたんだよなぁ。

 が、今日、父といっしょに病院へ行くと、がっつり手術するらしい^^;

 父の胃がんは胃がんには珍しく胃の上部にあって、上半分を切り取る手術をするようです。胃の入り口となる噴門(ふんもん)も切っちゃうみたい。
 それだと、逆流性食道炎を起こしやすいみたいなんだよなぁ。
 そもそも、胃が1/2になっちゃうわけだから、普通に食事とかできなくなる。
 一度にちょっとずつしか食べられなくなる。

 うーむ。
 まあ、だからといって切らないという選択肢はないにしても、セカンドオピニオンはしてみた方がいいかなぁと私自身は思ってましたが、父は、もう診断を受けた病院で切る気まんまん^^;
 セカンドオピニオンもあまり気が進まない様子だったので、とりあえず、私も医者の話を聞いてみることにしました。

 主治医は足組んじゃって、患者にタメ口の、軽そうなあんちゃん(笑)。
 ある意味では大物なのかも。
 ちなみに父によると、その総合病院では、5本の指に入る医師なのだとか。ほんとかよ。
 
 父の胃がんは検査の結果、転移がなく、ステージとしては1Aとのことでした。

 1Aで1センチ。だったら、内視鏡手術でいけるんじゃないの?

 そう質問すると、医者は
「それ、前にも説明したんだけどなー」
 とか言いながら、なぜ、内視鏡手術ではだめで、胃を半分切除しなくてはいけないかを説明してくれました。
(いや、家族も同席はこれが初めてなんだから、そこは何度でも説明しましょうよ、あんちゃん)

 父の胃がんは、ステージこそ1Aではありますが、医者いわく
「顔つきが悪い」
 のだそうです。私なりにその言葉を解釈すると、つまり、腫瘍の写真を見た感じからして、質のよくないがんぽいのです。
 医者は「未分化がん」だと言っていました。

 あとでネットでも調べてみると以下のページが見つかりました。

「未分化型と分化型の胃がん」

 うん、こりゃ、質悪いわ。

 父の胃がんの写真も見ましたが、確かに隆起型ではなく、凹型でした。
 
 そうかー。

 というわけで、父の胃がんはステージは1Aだけど未分化がんなため、胃切除は必須らしいです。ま、しょうがないか・・・私としても、一応納得。
 部屋を出てから、
「もうラーメンとか食べられないよ」
 と父に言いましたが、父は、もうそれはいいと言ってました。

 ものを思うように食べられないってけっこうつらいんだけどな。
 でも、医者いわく、切れば治ることが分かってるんだから切らない術はない、と。

 まあねぇ。
 本人が納得してるし、いいのか。
 胃がんは早期発見で、外科手術で切除すればほぼ完治するらしいです。がんはね。

 父は今年、誕生日が来ると、77歳になります。
 昔はヘビースモーカーで、胃がんは喫煙も原因らしいから、なっちゃったものはさもありなんです。

 ただ、残りの人生を思うように食べられないで過ごすか、それとも…って選択なんだよな。

 私が、もし自分だったらどうするかなぁ。
 なるべく胃を切らないで済む方法を探すんだけどな。
 
 ちなみに腹腔鏡手術にしてくださるそうで、そりゃよかった。
 それもできないんだったら、病院、変えた方がいいと思ったんだけど。

 後遺症の説明もして、現状を正しく認識して、それで本人が納得してるんなら、手術だな。
 もし万が一があっても、自分の選択なら納得できるよね。
 私でもそうだ。
 自分でそれを選んだなら後悔はしないよ。
 どうもそこは私と父は似ているようです。

 大事なのは手術のあと。どんな生活になるのか、分からない。案外、何でもないのかもしれない。
 でも、食べられないことがストレスで急速に弱っちゃうかもしれない。
 それは誰にも分らない。

 父の場合、手術の前に「痩せて下さい」と医師に言われちゃってねぇ。
 せめて手術の前においしいものを食べてほしかったんだけど、それもそうもいかないのがつらい。
 
 ま、がんばれ。応援するよ。
 
 手術は来月14日だそうです。 

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2017.07.24

一人暮らし事始め

 私は27才の5月に一人暮らしを始めました。

 職場は実家から通える距離にあって、それまでは実家から通ってたから通勤が理由ではありません。
 実家が嫌で、早く一人暮らしをしたかったわけでもない。

 私は2017年7月現在、独身で、高校時代の女友達も結婚してない友人が何人かいますが、みんな大抵、学生時代と同じで親と同居のままです。

 では私はなぜ一人暮らしをしようと思ったんだっけ?

 当時を振り返ると、それほど固い決意や一人暮らしをしたい必然性があったわけではありませんでした。
 ただ、自分よりも年下の後輩が一人暮らしをしているのを聞いて
「私にも一人暮らしができるな」
 と思っただけです。
 たまたまその後輩が当時住んでいた住まいが不便なため、新しい部屋探しをしていると聞いて、自分もそれに便乗して一緒に部屋探しをしました。
 結果、その後輩と同じアパートに住むことになり、一人暮らしが始まりました。
 もし、その「たまたま」のタイミングがなかったら、今でも実家で暮らしていたんだろうなぁ。

 一人暮らしを始めてみたら、それまでに思っていた以上に私は一人暮らしが性に合いました。
 もともと一人が好きだったしな。
 一人暮らしを始めた今からが本当の自分の人生だという気がしました。
 元々、そんなに束縛しない親ではありましたが、それまでは基本、親のいうとおりに生きてきたけど、これからは自分で何もかもを決める。
 そして、案外、私は一人でなんでも出来る力があったみたいです。
 母親には
「あんたに一人暮らしなんかできるわけない」
 と言われてましたけどね。

 私は一人っ子です。
 そんなに甘えて育ったつもりもないんですが、親からはそう見えてたのかなー。
 でも、このブログには何度か書いたことがありますが、子供の頃から母が年に何度も何ヶ月もうつで布団から起き上がれなくなることがしばしばあり、家は荒れ放題。
 私は自分でご飯を炊き、ワカメの味噌汁を作り、レトルトのハンバーグを温めたり、缶詰めを開けたりして食事をしていました。
 父はがよく晩御飯のおかずにラーメン屋で餃子をおみやげに買ってきてくれたなー。
 当時はコンビニもほか弁もなかったし。懐かしい。

 そういうわけで、一人っ子は一人っ子ですが、親に何でもやってもらった一人っ子ではないので、私自身には「一人じゃ何にもできない」という自覚はありませんでしたし、事実、そうでした。
 基本、私は一人で何でもできた。
 一人でできなかったのは結婚と子作りですね、やっぱ。

 今から思うと、27才ってちょうど普通なら結婚して家を出るタイミングですね。
 「今まで育ててくれてありがとう」
 なんて挨拶して家を出ればかっこよかったんでしょうが、当時はそんな自覚はなく、フラフラっと一人暮らし始めちゃったなぁ。
 そこから数年は、今で言う「コンカツ」もがんばってはいたんですが、もらってくれる相手に巡り合えず、そのまま年とっちゃった。

 でも当時も、結婚願望はなかったんだと思います。
 誰かに頼ったり甘えたりするのは苦手。
 甘えられるのも嫌い。
 コンカツしたのは「結婚」するのが当時は当たり前だと思っていたからで。

 私は、一人でいるときが一番ほっとできる。ありのままの自分でいられる。誰にも自分に係わってほしくない。傷つきたくない。そういう思いが人一番強い人間です。
 臆病者だし、コミュ障なのかもしれない。何より自分に自信がない。
 一人で自分のことは何でもできるけど、人のことはできない。
 相手の望むとおりの自分でいられないことで怒られたり叱られたりするのが怖い。

 結婚するような相手と巡り合わなかったのは「だから」でしょう。

 こういう対人関係が苦手な感じは今もあってずっとこれをなんとかするのがライフワークだったわけですが、それを克服できなくても、私は仕事ではそれほど困りませんでしたし、友達にも恵まれました。

 そして私の目の前に「インターネット」が登場する。
 リアルなコミュニケーションは苦手ですが、子供の頃から読書が好きで作文が得意だった私にとって、インターネットのコミュニケーションというのがどれだけ向いていたか、これを読んでいる皆様には想像がつくでしょうか。
 私はそこで交友関係を広げ、ブログを始め、今に至ります。

 楽しかったな。
 そしてそれは今も同じ。
 一人というのは本当に自由です。やりたいことはなんでもできる。
 海外旅行にもずいぶんいったし、3.11の後は仕事で復興にも携わることができ、いい半生でした。

 子供は大人になると、結婚して家を出て行くのが一つのパターンですが、結婚しなくても家を出るのがいい場合もある。
 私はそのパターンの一つなのかもしれません。
 もちろん、今の時代は一人一人、あらゆるパターンがあって、私のケースが当てはまらないこともたくさんあるのでしょうけど…

 一人暮らし、楽しいですよ。
 何より自分で自分の生き方を決められるのがいい。
 楽しかった、幸せだった、と言えるのは、自分で自分の思うとおりの生き方をできたからです。

 この人生も折り返しを過ぎてからしばらく経ちました。
 これからはどうしようかなぁ。
 このままずっと一人でいいけど、それには一番に健康第一。
 年をとるのは仕方ないので「ソフトランディング」がテーマです。
 
 でもきっとどうなったとしても、それが自分の選択だから悔いは残さず人生を終えることができそうだな。
 それが今の私の一番の誇りです。

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2017.06.13

ひとりでも『孤独』ではないわけ

40年ぶりに連載を再開した萩尾望都の「ポーの一族」を読みたいためだけに買っている小学館の月刊フラワーズで、先日、こんな話を読みました。

ゴミから生まれた醜い妖精のお話。
妖精からも人間からも嫌われてひとりぽっちで暮らしています。
「さびしいよう、さびしいよう」
と独り言を言っていました。

そのお話では、妖精が生まれた時から見守っていた人間の女の子が、その妖精と友達になって…と続き、まあまあハッピーエンドになるのですが。

ちょっとひっかかりました。
こういう昔話って子供の頃、よく読んだ気がするんですが、
「醜いために人から嫌われて、誰にも見られないように一人でひっそり暮らす」
それって私? みたいな。

いや、今の時代、けっこういますよ。
人より秀でた才能もなく、見た目もたいしたことなく、だから社会の片隅でひっそりと一人で暮らしている人って。
てか、それが「デフォルト(標準設定)」なのでは?

子供の頃、そういうお話を読んでいた頃は、
「醜い妖精、かわいそうだなぁ。見た目はよくなくてもいい妖精なのになぁ」
なんて上から目線で(笑)そういう妖精のことを認識していました。
で、大体こういうおとぎ話は、醜いからって邪険にした人間にはバチが当たり、美醜に関係なくやさしくした人には思いがけない幸福が訪れるという王道ストーリー。

「何事も見た目じゃないんだな。私は誰にも平等に優しい人になろう」
という教訓が刷り込まれます。

しかし、大人になった今、こういう物語を読むと、ちょっと現実は違うんじゃないか、と。

子供の頃って、自分がまさかその妖精側になると思ってない。
自分はお姫様のような何か特別の存在で、誰にでも平等に優しく、要は清く正しく生きることで、いつか夢のような幸せになれると思っている。

そんなの「思い込み」でしかないよなぁ。
清く正しく生きたって、別にそれだけで、天から素晴らしい幸せが降ってくるわけじゃない。

…ということに今頃気づきました(苦笑)。
というか、「それだけで天から素晴らしい幸せが降ってくるわけじゃない」のは少し前から分かってはいましたが、それ以前に自分が信じていた物の正体にね。

私は、誰にも迷惑をかけず、悪いことをせず、人には親切に、贅沢をせず、つつましく生きていれば、いつか幸せになれると思っていたんだなぁ。

それが間違っているとは言いません。
実際、今、私は幸せですもの。
ただ、それっておとぎ話のお姫様のような「幸せ」ではないな。

「ひとりでひっそり誰にも支配されず、自由に生きる幸せ」
です。もちろんこれも悪くないんですけど^^

少し前に

「何をどうすればよかったのだろう」

という記事を書きましたが、世の中で結婚できない(しない)男女が増え、少子化が進んでいるという問題の根幹には何か大きな勘違いがあったのではないかという気がしています。

「勘違い」というか、「価値観の転換」というか。
私が子供の頃は普通に信じられていた価値観が変わってきている。
最近は当たり前のように、
「待っているだけでは結婚はできない」
と言われて、結果、手遅れになっている男女には容赦のない非難が集まりますけど、昔はそもそもガツガツ、コンカツなんか誰もしなかっただろうしなぁ。
それでもその時代は男女が適齢期になれば結婚するのが当たり前だったので、それこそ「自然に」結婚していったわけですが、今は全然違う。

言うまでもなく、今は結婚は、しなきゃいけないわけではないので、しなくても幸せならそれはそれでいいんですけど、ただ・・・

正直に言うと、子供の頃から、今みたいな幸せを目指していたわけではなかった。
やっぱり一人ではなく、信頼し合える誰かと二人で人生を生きてみたかった。

それって、私だけではなく、全員とは言わずとも、世の中の結婚していない男女の多くの人の願いだと思うんですよねぇ。

じゃあ、どうすべきだったんだろうと私は思うわけですよ。
私は別にもういいけど、これからの世代のためにね。

ガツガツ婚活すりゃいいってもんではない。
もっと的を射た解が何かあるのではないかと。

・・・
・・・
あら、まずい、タイトルで書こうと思ったことと違ってきちゃったわ。
「結婚する人を増やすためにはどうすればいいか」はまた考えることにして、今日、書きたかったことに話を戻します。

ひとりで目立たないように世界の片隅でひっそりと生きている妖精が、思わず自分とだぶってしまった私ですが、この妖精のように
「さびしいよう、さびしいよう」
なんて思って毎日を生きてはいません。

「孤独」ってのは人間を蝕むらしいですが、多分、私がひとりで幸せなのは「孤独」ではないからだろうなぁ。

もちろん毎日仕事にいっていますが、仕事があっても孤独な人は孤独です。
けど、物は考えようというか。

これはある意味、私の哲学なのかもしれませんけど…
人って一人では生きていないのですよ。
たとえ家族がいなくて、毎日、晩御飯はコンビニで買って一人で食べているとしたってね。

コンビニで買ったサラダやパンは誰が作ってくれたんだろう。
さらに野菜や小麦は誰が作ってくれたんだろう。
今日は電車に乗って会社から帰ってきました。
電車は誰が運転してくれた?
テレビにはいろいろな人が出演しているし、
ニュースは世界のいろいろな出来事を知らせてくれる。
このパソコンの向こう側には多くの人がいる。
ツイッターにはたくさんの人の思いが綴られている。

なんというか…一人だけど一人じゃない。
ちょっと手を伸ばせばそこに誰かがいて、私を生かしてくれている。
生かされている。

だからね。さみしくないんですよ。

あのひとりぽっちの妖精は道端に咲くタンポポとか雑草たちの花を見たことなかったのかなぁ。

私は一人でどこへでも出かけていきます。
まだ見たことのないものが世の中にはたくさんある。
私はここにいてそういう世界の全てと一緒に生きている。

本当の意味で、私はもう「おとぎ話」からは卒業したのかもしれない。
一人で生きていけることが大人になるってことだものな、うん。
ホントに、「今更」な話ですけどもね。

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2017.06.06

「村じまい」を考える時期なんじゃないか

こんな記事を読みました。


【滅びと戦う 6割が高齢者の村】
3人に2人が高齢者、群馬県南牧村から人が減った理由

私は女性ですが、結婚せず子供も産まなかったので、少子化の戦犯だという意識があり、もうずいぶん前からこれからの人口減少時代をどう私達は生きていけばいいのか、ということを考えてきました。
私の場合、兄弟もいない一人っ子なので、私の代で終わりです。
父も母もそれぞれ兄弟はいて、いとこはいて、その子供もいるので、血筋が絶えるってことはないのですが、私の後はいない。
つまり、お墓も家も何もかも私が片付けてこの世を去るしかないということ。
終活が大事です。
これは私だけでなくて結婚していない人は激増していますから、自分の生きてきた人生を上手にお終いにする情報や技術は、今の時代に多くの人に必要なことなのだと思います。

同様に。
人口減少で地方の村や町は存続の危機に直面することは明らかです。
もちろん、誰だって自分の生まれた故郷がなくなるなんて嫌でしょう。
でも嫌だといっても、それを避けることはできない。

地方でいかに若者を増やすかって対策を立てたところで、都市部でだって人口は減って高齢化は進むんですから、パイの奪い合いでしかない。
限られたリソースを狭い日本の国土で奪い合ってどうするんだ、という気がします・・・

自分の代で家族が途絶えることをもうずっと前から覚悟してきた私は、いわば、滅び行く村の最後の1人のようなもの。

この村でどんな営みがあって、みんながどんなふうに生きてきて、どこからきて、どこへ去ったのか、誰もいなくなったら忘れられてしまう。
人がいなくなるのはもうしょうがないことなんだけど、ただなくなってしまうのはさみしくないですかねぇ。
記事で南牧村が昔は栄えていた様子などを知るとより一層そう思ってしまいます。

私が東日本大震災の復興支援でよく訪れた、岩手の三陸沿岸の町も「生滅可能性」が高い地域として挙がっていました。
ただいたずらに町や村の間でなかなか有効な手も打てないままにジリジリと人口が減っていく。

人口が減れば、これまでどおりの行政サービスは維持できなくなっていくのだから集約化を図るしかない。
広い地域に数世帯が点在するような場所は、公の手が行き届かなくなっていく。
それを「見捨てられた」と表現するのは簡単だけど、実際問題、サービスを提供する側の人口がどんどん減って、サービスを受けたい方が増えてしまうのだから、どうしようもないよなぁ。

そう考えると、やはり地域も「終活」が必要なんじゃないかと。
必要なら、公共サービスの効率化のために移住も選択肢の一つで。
移住されたら、移住された側の村がなくなってしまうからと無理矢理にでもそこに住んで欲しいと考えるのが今のそれぞれの「地方」なんでしょうが、それももう限界に近いのでは。

「居住移転の自由」は無論、憲法第22条に定められた私達の権利なので、どこに住みたいか、選ぶ自由があるんですけど、住みたくてもそこにもう生活の母体となる買い物をするところもなければ、病院も銀行もないなんてことになったら。
そういう状態になってしまったことを行政の責任にしても、日本全体そうなんだからしょうがない。
そうなったらなったで、その環境でどう個々人がベターな選択をし、地域を作っていくのか、考えるしかないでしょう。

何度も書くようですが、私は私の代の「最後の1人」なので、どうしてもそう思ってしまいます。

私はいなくなっても誰かが続いていけばいい。
あの村がなくなってもあの村の記憶は誰かが覚えていてくれればいい。
変化しないものはありませんからね…

地域にも「終活」を。できることなら前向きに「村じまい」できたらいいのにな。

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2017.06.05

糖質制限にチャレンジ

4月に腹部の鈍痛で婦人科を受診したところ、けっこう大きめの子宮筋腫が複数発見され、
「手術ですね。ウチは手術はやってないので紹介状を出します」
ということで総合病院にまわされました。

手術~!?

文明も進歩したのでこのくらいの手術は開腹しないでもチャチャッと2~3日の入院で済むのかと考えていたらとんでもない。
年齢も年齢なので、手術するとしたら開腹による子宮全摘。
医者にしたら、そう難しくない手術で命に関わることはないそうですが、患者の側にとっては、さすがに開腹なんかしたら体に負担はかかり、入院から社会復帰できるまで1ヶ月はかかるようです^^;

「手術したいですか」
と医者には聞かれました。

子宮筋腫は女性にはポピュラーな病気で、ネットで調べると、体験記から医者が患者の相談に回答する形で解説しているものまでいろいろヒットします。
え? ネットで自己流の知識で判断するんじゃなくて、医者に聞け?
いや、医者自身が「ネットで調べてみてね」っていうんですもん。そりゃ言われなくても調べます。

調べて分かったのは、子宮筋腫があっても摘出しなくてはいけないわけではなく、たとえば貧血だったり、生理痛がひどくてなんとかしたかったりするなら、手術したほうがいいケースもあるということ。表にどんな症状が出ているかによって、手術するかしないかは判断するわけですが、それを決めるのは医者ではなくて、患者自身だということ。

いくら難しくない手術といっても癒着などの副作用がないとは言い切れないわけで、リスクはそれなりにある。
さあ、どうしますか?ってことです。

・・・手術したいわけないでしょー。しなくて済むならしませんってば。

そう言ったら医者は
「手術して筋腫をとってみてみないとホントに良性かどうかは分かりませんけどね」
なんてことを言います。

そうかもしれないけどさー。さんざん、めんどくさそうに「手術ねー。今、予約いっぱいなんだよねー」なんて言っておいてなんだよー。
ま、医者なんて大体そんなもの。自分の体なんだから自分で判断するしかないんだよな。

というわけで手術はしない、一択。となると腹部の鈍痛をなんとかしなければなりません。

痛み止め薬も出たんですが、以前、歯が痛かった時に断食したら治った経験があったので、試しにゴールデンウィークで休みなのをいいことに断食してみました。そしたら、果たせるかな、腹痛が消失しました。
元々「鈍痛」だったので、のたうち回るほどの痛みではなく、生理前に重苦しくなる、嫌な感じだったんですが、いやぁ、痛くないのって素晴らしい。

断食することで腹痛がなくなることが分かったのと、仮に手術をするんだったらやせろという医者の指示があったこともあり、毎度のことでもう何度目かは分かりませんが、またまた、本気でダイエットをすることにしました。

チャレンジするのは、断食+大流行の糖質制限。
ただ、それだけでは休みはともかく普段は仕事にならないので、以前、やってみたことのある「完全無欠コーヒー」と組み合わせることにしました。。
「完全無欠コーヒー」についてはメタボ指導をしてもらっている保健師さんから全否定を喰らって以来、ちょっとお休みしていました。朝食にグラスフェッドバター(牧草で育った牛の乳で作られたバター)とMCTオイル(ココナッツ由来のオイル。いろいろと体にいい効用があるようです)を入れたコーヒーを飲むという健康法なんですが、頭が冴えると評判で、実際、やってみたら確かに頭がすっきりします。
保健師さんが反対するのは、バターコーヒーはカロリーが高く、カロリー制限と対極だからなんですけど、「完全無欠コーヒー」で摂る脂質は体にいい油ですし、そもそも糖質制限はカロリーはあまり関係ありません。

「完全無欠コーヒー」は「断食」と同様の効果を狙うものです。
ごはん(糖質)をとらないので血糖値が上がらず、食事はとってない状態。
でも、脳に必要なカロリーは、質のいい脂質で補給する。

糖質制限がいいのか、「完全無欠コーヒー」の効果なのか、その両方なのかはわかりませんが、続けていると、体重は着実に落ちてきています。

しかし・・・私、バターコーヒー飲んでもすぐお腹が空いちゃうのよねえ。
お腹が空かないというのが「完全無欠コーヒーのウリなのに。
調べてみると、肥満の人っていうのは、「レプチン」という満腹中枢を刺激するホルモンに抵抗性が出てしまっていて、満腹を感じにくい体になっているそうですわ。

(引用開始)「タニタの健康応援ネット」より

肥満の人はレプチンを受け取る「受容体」が反応しにくくなってしまう(レプチン抵抗性といいます)ことがわかっています。常に剛速球のボールが投げ続けられすぎて、受け取るキャッチャーミットが壊れてしまったような状態です。つまり肥満の人はレプチンから「満腹」サインがたくさん出ているにもかかわらず受け取ることができずに、食べ続けてしまう→更に太る→更にレプチン受容体の感受性が鈍くなる→更に食欲抑えられず太る・・・という悪循環に陥りやすいのです。
うう。怖いですね(><。)。そしてある程度痩せればレプチン抵抗性は改善されるのですが、これがすぐに治るかというとそうではなくて、少しタイムラグがあるようなのです。

つまりダイエットで体重が減っても食欲を抑える作用がすぐには戻らないので、食欲は亢進したまま、という状態が一時的にできてしまうのです。この食欲亢進状態に屈してしまうと「リバウンド」を招くのですが、この窮地(?)を強い意志で乗り越えることができれば、そのうちレプチン抵抗性は改善し、食欲を抑えるように働きます。そこまで来ればもう無理しなくても自然に食べ過ぎたりしなくなってかなりラクになってくるそうです。

(引用終わり)

キャッチャーミットが壊れている…このたとえが大変分かりやすいです。
私は過去にリバウンドも体験しているし、そもそも体脂肪蓄積も半端じゃない。
完全に満腹中枢がぶち壊れているんだよなぁ。

満腹中枢がぶち壊れている人は「完全無欠コーヒー」があまり効かない。
普通は、朝、カロリーたっぷりのバターコーヒーを飲めば昼過ぎまで、空腹感じずに過ごせるらしいのですが、私は全然だめ。
朝、「完全無欠コーヒー」を飲んだ直後からご飯やパンが食べたくて仕方ありません。糖質、欲してんなぁ。

しかし、お腹が空いたからといって糖質を取り過ぎると、例の腹部の鈍痛を始めとして体調が悪くなる。
完全無欠コーヒーを飲んだ後の「頭の冴えた状態」の気持ちよさも実感しています。

これが「バイオハック」なんだな。
「完全無欠コーヒー」は、厳密に言えば単なるダイエット方法ではなく、完全無欠な体を手に入れる方法の一つです。著者が自分の体に真正面から向き合って発見したアイデアだそうで。

要するに、一番大事なのは自分の体の状態ときちんと向き合う(ハックする)こと。
何を食べると元気になり、何を食べると体調がよくないのか、ちゃんと理解すること。
理解できれば、健康を維持することができます。
人間の体には個体差があるから、何がよくて何が悪いのかは医者よりも保健師よりも、本当は自分が一番よく分かっているはずなのよね。

私は概ね元気ですが、高血圧、高コレステロールの診断が出ています。
薬で改善はしていますが、できれば薬は卒業したい。
何よりやっぱりやせたいな。手術のためでなく…やっぱ見た目よくないもん。

あまり高い目標を立てても実現できないので、とりあえずは、今の、完全無欠コーヒー+緩い糖質制限を続けて、マイナス2キロを目指します。がんばろう。

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2017.05.26

100年後(2117年)の日本

・寿命をコントロールする遺伝子が発見され、人類は不老を選択できるようになる。

・病気はなくなりはしないが、病院に行けば全て治るようになる。

・体重をコントロールできるようになり、みんなが標準体型になる。

・食事はカロリーメイトのようなものになり、今のような食事は贅沢品となる。

・不老不死が実現したので、子供はいなくなっても問題はなくなったが、社会の新陳代謝をどうするのかが世界的な議論となる。

・体外受精、体外出産が実用化する。子供を求める夫婦は専用施設に精子と卵子を提供すれば、施設で赤ちゃんが生まれ、夫婦に渡されることになる。

・子供は普通の町にはいなくなる。子供を育てる夫婦とその子供は「養育特区」に集められてそこにしか子供はいない。

・しかし学校は現在と同じようにある。大人が通うようになる。

・単純労働はほぼロボットが代行するようになる。

・車、飛行機、鉄道など、全ての移動手段が自動化される。

・スポーツや芸能、芸術、娯楽の提供、などが人の仕事になる。

・働かなくても、衣食住には、基本、お金はかからず生きて行かれるようになる。

・死にたい人は死ぬことを選択できるようになる。合法的に安楽死できる薬を処方してもらえる。

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2017.05.10

何をどうすればよかったのだろう

おそらく世の中の大半の男女の誰もが、心から愛する相手と出会えて、相手からも大事にされる…
そういう相手と結婚し共に人生を歩み、その結果、自然と子供に恵まれ、幸せな人生を送る…
なんていうのを漠然と心に思い描きながら、20代、30代を過ごすのだろうと思います。

結婚や出会いは縁だと言います。
職場、学校、趣味のサークル、別に合コンや今時なら婚活アプリでもいいでしょう。
もちろんお見合いだっていいし、友達の友達だっていい。
そういう出会いを重ねていって、自然と出会い、結婚に至る。

そういうものだと20年前は、思っていました。

ところが現実はさにあらず(苦笑)

私は当時、男性も多く勤務する職場にいましたし、趣味のカラオケサークルにも入っていたし、合コンもありましたし、お見合いパーティにも持ち前の好奇心で参加しました。
親の知り合いや友達の紹介があれば、それも出会いの一つということでお見合いもしました。
たいして取り柄がない私、若さだけしか売りがありませんから、
「後になって『あのときこうしておけばよかった』という後悔だけはしたくない。若い内に婚活(って言葉は当時ありませんでしたが)、がんばろう」
と思っていました。

が、こんな活動を重ねる内にちょっと勘違いに気がつきました。

誰かの紹介でお見合いすると、断るのが大変です。人によっては「顔をつぶされた」と怒る。
「最初から結婚する気もなかったのか、そんな気持ちで話を受けたのか」
と叱られるのです。
それが親の知り合いの紹介だと、親の顔もつぶす。

私は結婚したいという思いはありましたが、好きな人とじゃないとできないと思っていました。
お見合いで私が会った相手の人は、悪い方ではなくもちろんいい方でしたが、好きかどうかと言われると、2、3回会っただけじゃ判断できません。
だったらもっと付き合いを続けてもいいんですが男性側がどうも煮えきらない。
付き合いを続けたいのか、やめたいのか、どちらかというとやめたいって感じに私には見えたので(親から言われて仕方なくお見合いしている感じ)、じゃあやめましょうか…となってしまいます。
で、本人同士がお互いにそう合意した後に、仲介人から電話かかってきて、上記のように叱られて、なんだかバカバカしくなってしまいました。

結婚のために結婚したいわけじゃない。
食べていくには仕事もあるので自分一人ぐらいならなんとかなる。
ただ、好きな人と出会いたいだけ。自分を好きだと言ってくれる人と一緒に暮らせたらいいと思うだけ。
以降、お見合いはやめました。
「好きじゃないと結婚できない」とか言うとアホかと思われるようなので。

私から好きになった人はいました。
告白はしたけどふられた人もいるし、告白しようとしたら距離を置かれた人もいました。
いずれもうまくはいかなかったけど、人を好きになるっていい経験ですね。ちゃんと私も自分以外の誰かを好きになれるんだなって思えてよかった^^
ま、いろいろありましたが(笑)、がんばったので悔いはないです。

結局縁がなかったってこと。
ま、しょうがないですな。
やるだけはやったし、仕事はあるし、一人の暮らしもそれなりに幸せで、私は自分の人生を後悔したことはありません。

今までも書いていますが、私はそもそも一人が向いてるみたいだなぁというのも最近気がつきました。
一人でいるとほっとする。誰かがそばにいると緊張しちゃう。

おそらくこの先、年をとっても一人で生きていけるでしょう。そのための準備も今、がんばっています。

読売新聞の「発言小町」という相談コーナーでこんな相談を見かけました。
「私は結婚できませんか?寂しいです。」

私が上記に書いたように結婚や出会いに「がんばった」のは20代後半から30代前半にかけての頃の話で、30代後半にはもう結婚はないな、と思っていました。

なので、一読して相談者の世間知らずと箱入りっぷりに驚くとともに、ここまで箱入りなら、なぜ親がもっと彼女が若い内にいい縁談を世話しようとしなかったのか、非常に疑問に思いました。

相談への回答はかなり厳しいものが多く、結論から言えば相談者が望む結婚は37才じゃかなり難しいのは「事実」なのでしょうがないのですけど、自分の来し方を振り返ると、私は、この相談者の少々無理な相談をナンセンスだと切って捨てることはできないのに気づきます。

そう、誰しもが…それを何歳から意識し始めるかの違いはあるとしても…
「自分が好きと思えて、相手にも愛される」
そういう相手と結婚したい、と思っていると思うんですよね。

相談者がそれを望み、結果、今、37歳になってしまっていることを私は笑えない。
自然にそういう相手と出会い、結婚に至るのだろうと、普通は思いますよ、うん。

そういう認識が甘いと言われればそうなので、自然に任せてたら出会わないから、婚活アプリだのなんだのが登場するわけですが。数だけ重ねりゃいいってもんでもないし、出会えば出会っただけリスクもあるのでねぇ。リスクを恐れてたら何も得られないというのも事実ですが、自分から進んで「傷つきたい」人間なんて存在しません。

年収が1000万、顔が人並み、×1じゃいやだ、年齢も同じくらいがいい、まあ条件がいろいろあるのが批判されちゃってますが、そりゃ条件だけ聞かれれば、いい方がいいに決まってます。

でも一番大事なのは、やっぱり「自分が好きと思えて、相手にも愛される」。
これなんだと思うんですよね。
好きな相手のためなら、条件なんていくらだって変わります。私もそうだったもん。

この相談はあくまでも一例。
今、非婚率が跳ね上がっていますが、じゃあ、「自分が好きと思えて、相手にも愛される」、そういう、人間だったら誰もが望む当たり前の幸せを手に入れるために、私達は何をどうすればよかったのだろう?

処方箋があるなら教えて欲しい。
自分のためにではなく、これから適齢期に入る若い男女のためにね。
私達が何か間違っていたのなら、同じ間違いを繰り返さないために。

無論、今の時代、結婚だけが幸せではないと思います。
今の私のように、結婚しなくてもそれなりの幸せはある。

でも、笑われるんだろうけど、正直な話、今でも思いますよ。
「自分が好きと思えて、相手にも愛される」
そういう相手と一生の内に出会いたかったなぁって。

出会ってる人はちゃんと出会ってます。
それこそ10代の内に出会って、結婚に至る人だっているのだし。
出会えないんだったら、やっぱりそれは単に「縁がない」ってことじゃないのかなぁ。
それを本人の努力がどうとか、条件がどうとか、言ってみたって始まらない。

で、もし出会えなくても、ちゃんとパートナーがいなくても一人でこの人生を歩いて行けるように、私はこれまでやってきた。
それならそれもありでしょ。少子化なんて知るかー(笑)。

件の相談者がこれからどうなるのかやや気になりますが、もしかしたらこれからすぐにいい人が見つかって結婚しちゃうかもしれません。
そうじゃなくても、親の財産で、一人でも幸せにやっていけるのかもしれない。
それは誰にも分らない。
彼女なりに幸せになれるといいなと思います。というか、なってほしい。
幸せは人と比べるものじゃない。

彼女と比べたら、私なんて大卒で就職して、それなりに社会経験も積んで、しっかり一人で働いてます。
それだって結婚できないんだもの。
彼女が37歳まで家事手伝いをしてたからってそれを責めてもねぇ。

結婚なんて、結局は縁だと思います。できなきゃできないでしょーがない。
そういうもんですよ。たぶんね。

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2017.05.09

poem(117)

      素直

あなたに「君は素直」とほめられた

「君は頑固」
「君は融通がきかない」
「君は人の言うことをきかない」
そう言われるよりはもちろんほめ言葉なんだけど

素直じゃない私は嫌いですか
あなたの言うとおりにしない私は嫌いですか

あなたの命令に従っていれば満足ですか
いつもあなたの思いどおりにしないといけませんか
それって私である必要はありますか

「素直」と言われて喜べない私は素直じゃない

いつもあなたの望むとおりの私ではいられない
でもたまにはあなたの望むとおりの私かもしれない
あなたにとって都合のいい私も都合の悪い私も
どちらも私

友達なら
都合のいいときだけ
都合のいいように
都合のいい私とだけ付き合えばいいよ
でもそうじゃないなら

お願いです
あなたにそう言われると悲しくなる
どうか「素直」ってほめないで

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2017.05.03

『日本を守る』組織は軍隊である必要があるのだろうか。

 本日は5月3日、憲法記念日です。

 安倍総理が、2020年までの憲法改正を目指していると表明しました。9条を改正し、自衛隊の位置づけを明確にするそうです。

 やはりそこなのか…
 新聞に自民党が以前作った改憲草案が出ていましたが、天皇を「元首」と位置付けたり、日の丸、君が代が国旗、国歌であることを明確にしたり、その辺もちょっとなぁと思ったのですが、その草案からまた変わる可能性があるので今はおいとくとして。

 以前の草案では、自衛隊は「国防軍」として明記されています。

 そうか、軍隊になってしまうのか。

 私は自衛隊の仕事ってめちゃめちゃ大事だし、災害のときなどに組織的に動ける存在があることは、とかく災害の多い日本国にとって必要不可欠だと思っています。

 それが自衛隊だと思っていて、自然災害だけでなく、テロとか、北朝鮮からミサイルが飛んできたりとかにも、対応する。とても大事な役割です。

 多分、それに反対する人はいない。

 いないんだけど…国防軍となるとちょっとなぁ。

 現行9条では

(前略)
 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 となっていて、前段はいいとして問題は後段。

「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」
 
 これよ、これ。「戦力」ってなんだって話だよなぁ。

 「交戦権」とは「戦争をする権利」だから、それも認めないのはよい。つまり現行憲法は、

『日本は国と国との紛争を解決するために武力は使いません。だから「軍隊」は持ちません。もちろん「戦争をする権利」なんて認めません』

 って言ってる。
 
 だから自衛隊は今のところ、実体はおいといても、表向きは「軍隊」じゃない。

 もろもろ災害の時に活躍する、警察とか消防署とか海だったら海上保安庁的な、昔の子供向けアニメ風にいうなら「日本を守るぞ」的な存在なわけです。

 軍隊じゃなくていい気がするけどなぁ。
 だって「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」なんでしょ?

 安倍総理もそこは変えないと言ってたもんな。

「日本を守る」じゃだめなのかなぁ。
 
 海外とのバランスなのかな…

 いえ「戦争」はね、だめだと思う。
 勝てばいいってもんじゃない。
 「国際紛争を解決する手段」は戦争以外にもあるんだし、逆に、戦争すれば解決できるのかといえば、力での解決は力で覆される。それが20世紀だったわけで。

 二度の世界大戦で日本のみならず、ヨーロッパだってアメリカだってロシアだって懲りたんじゃなかった?
 ロシアあたり、懲りてない気はちょっとしますし、そもそもすぐそばの北朝鮮がオカシイので、ついつい丸腰でいるのが怖くなる心理は十分にわかるわけですけども。

 それでもなぁ。結局、力比べによる世界支配などナンセンスにすぎないと人類は悟ったんじゃなかったかなぁ。

 自衛隊には軍隊にはなってほしくない。
 今が違憲だっていうなら、半分すでに軍隊っぽいからそう言われてるわけで、じゃあほんとに「軍隊」にしちゃえ、じゃなく、「軍隊」じゃなくする方の選択肢はないのかなぁ。
 
 国を守るのが軍隊である必要はあるんだろうか。
 国を守るための銃器や地対空ミサイルの整備などは軍隊じゃなきゃ持てないのだろうか。持てないならそこを変えればいいわけで。

 まあでも、いくら兵器を増強してもきりがない。
 疑心暗鬼こそが人類の本当の敵なのでは。
 
 そのための歯止めとして・・・自衛隊を軍隊として9条で位置付ける改憲だけは・・・

 2020年か。まだ多分生きているな。なんとか避けたいよな。

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2017.04.27

#東北でよかった

今村復興大臣辞任という事態はありましたが、ツイッターでは、「東北でよかった」、このフレーズの意味を逆転し「#東北でよかった」というハッシュタグで、東北のよいところをみんなが発信しているとのこと。

ということで私の「#東北でよかった」を思い返してみると、とてもツイッターでは文字数が足りないことに気がつきました。

以下、私の「#東北でよかった」。

三陸の海は本当に美しい。
宮古市の浄土ヶ浜を初めて訪れた時は、まさに「浄土」のようだと思いました。
山田湾も最高にきれいでした。

新花巻からSL銀河で釜石まで。電車を見送る地元の方がみんな手を振ってくれたのがうれしかったな。

奥入瀬の緑は本当にきれい。静かな十和田湖はヨーロッパの湖水地方のようです。
十和田市の現代美術館、面白かったな~ おすすめ。

以下、忘れられないものをランダムに…

強風の津軽、階段国道
下北、風間浦のマグロ、ウニ
弘前のリンゴ畑
酒田の花火
田沢湖も美しい
仙台は緑いっぱいで賑やかで大好き。

南北三陸鉄道ローカル線の旅
気仙沼からのBRT
大船渡の屋台村
陸前高田の一本松
気仙沼の海の市
南三陸の防災庁舎跡
石巻市の大川小学校跡
猫の島、田代島
登米の木造小学校
伊豆沼の蓮
秋保の緑水亭
日帰り温泉「一の坊」
弘前のレストラン山﨑、リンゴの冷製スープ
仙台七夕
大河原町の一目千本桜
蔵王のスキー
みちのく湖畔公園
定義の三角油揚げ
岩沼の千年希望の丘
松島の初日の出
閖上さいかい市場
南三陸町さんさん商店街のウニ丼
松島のかき小屋でのカキ食べ放題
宮古のとれたてのホヤ
山田町の牛乳瓶ウニ
大船渡黒船の秋刀魚だしラーメン
陸前高田の夢の樹バウム
大船渡のかもめのたまご
おかせいの女川丼
釜石の海まん
宮古のイカ王子
気仙沼のさんまくん
高政の笹かまぼこ
ひょうたん揚げ
ずんだシェイク
喜久水庵の生クリーム大福

・・・うーむ、いかん、キリがない・・・

東北はホント素晴らしい。おいでよ、東北。

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