2017.06.13

ひとりでも『孤独』ではないわけ

40年ぶりに連載を再開した萩尾望都の「ポーの一族」を読みたいためだけに買っている小学館の月刊フラワーズで、先日、こんな話を読みました。

ゴミから生まれた醜い妖精のお話。
妖精からも人間からも嫌われてひとりぽっちで暮らしています。
「さびしいよう、さびしいよう」
と独り言を言っていました。

そのお話では、妖精が生まれた時から見守っていた人間の女の子が、その妖精と友達になって…と続き、まあまあハッピーエンドになるのですが。

ちょっとひっかかりました。
こういう昔話って子供の頃、よく読んだ気がするんですが、
「醜いために人から嫌われて、誰にも見られないように一人でひっそり暮らす」
それって私? みたいな。

いや、今の時代、けっこういますよ。
人より秀でた才能もなく、見た目もたいしたことなく、だから社会の片隅でひっそりと一人で暮らしている人って。
てか、それが「デフォルト(標準設定)」なのでは?

子供の頃、そういうお話を読んでいた頃は、
「醜い妖精、かわいそうだなぁ。見た目はよくなくてもいい妖精なのになぁ」
なんて上から目線で(笑)そういう妖精のことを認識していました。
で、大体こういうおとぎ話は、醜いからって邪険にした人間にはバチが当たり、美醜に関係なくやさしくした人には思いがけない幸福が訪れるという王道ストーリー。

「何事も見た目じゃないんだな。私は誰にも平等に優しい人になろう」
という教訓が刷り込まれます。

しかし、大人になった今、こういう物語を読むと、ちょっと現実は違うんじゃないか、と。

子供の頃って、自分がまさかその妖精側になると思ってない。
自分はお姫様のような何か特別の存在で、誰にでも平等に優しく、要は清く正しく生きることで、いつか夢のような幸せになれると思っている。

そんなの「思い込み」でしかないよなぁ。
清く正しく生きたって、別にそれだけで、天から素晴らしい幸せが降ってくるわけじゃない。

…ということに今頃気づきました(苦笑)。
というか、「それだけで天から素晴らしい幸せが降ってくるわけじゃない」のは少し前から分かってはいましたが、それ以前に自分が信じていた物の正体にね。

私は、誰にも迷惑をかけず、悪いことをせず、人には親切に、贅沢をせず、つつましく生きていれば、いつか幸せになれると思っていたんだなぁ。

それが間違っているとは言いません。
実際、今、私は幸せですもの。
ただ、それっておとぎ話のお姫様のような「幸せ」ではないな。

「ひとりでひっそり誰にも支配されず、自由に生きる幸せ」
です。もちろんこれも悪くないんですけど^^

少し前に

「何をどうすればよかったのだろう」

という記事を書きましたが、世の中で結婚できない(しない)男女が増え、少子化が進んでいるという問題の根幹には何か大きな勘違いがあったのではないかという気がしています。

「勘違い」というか、「価値観の転換」というか。
私が子供の頃は普通に信じられていた価値観が変わってきている。
最近は当たり前のように、
「待っているだけでは結婚はできない」
と言われて、結果、手遅れになっている男女には容赦のない非難が集まりますけど、昔はそもそもガツガツ、コンカツなんか誰もしなかっただろうしなぁ。
それでもその時代は男女が適齢期になれば結婚するのが当たり前だったので、それこそ「自然に」結婚していったわけですが、今は全然違う。

言うまでもなく、今は結婚は、しなきゃいけないわけではないので、しなくても幸せならそれはそれでいいんですけど、ただ・・・

正直に言うと、子供の頃から、今みたいな幸せを目指していたわけではなかった。
やっぱり一人ではなく、信頼し合える誰かと二人で人生を生きてみたかった。

それって、私だけではなく、全員とは言わずとも、世の中の結婚していない男女の多くの人の願いだと思うんですよねぇ。

じゃあ、どうすべきだったんだろうと私は思うわけですよ。
私は別にもういいけど、これからの世代のためにね。

ガツガツ婚活すりゃいいってもんではない。
もっと的を射た解が何かあるのではないかと。

・・・
・・・
あら、まずい、タイトルで書こうと思ったことと違ってきちゃったわ。
「結婚する人を増やすためにはどうすればいいか」はまた考えることにして、今日、書きたかったことに話を戻します。

ひとりで目立たないように世界の片隅でひっそりと生きている妖精が、思わず自分とだぶってしまった私ですが、この妖精のように
「さびしいよう、さびしいよう」
なんて思って毎日を生きてはいません。

「孤独」ってのは人間を蝕むらしいですが、多分、私がひとりで幸せなのは「孤独」ではないからだろうなぁ。

もちろん毎日仕事にいっていますが、仕事があっても孤独な人は孤独です。
けど、物は考えようというか。

これはある意味、私の哲学なのかもしれませんけど…
人って一人では生きていないのですよ。
たとえ家族がいなくて、毎日、晩御飯はコンビニで買って一人で食べているとしたってね。

コンビニで買ったサラダやパンは誰が作ってくれたんだろう。
さらに野菜や小麦は誰が作ってくれたんだろう。
今日は電車に乗って会社から帰ってきました。
電車は誰が運転してくれた?
テレビにはいろいろな人が出演しているし、
ニュースは世界のいろいろな出来事を知らせてくれる。
このパソコンの向こう側には多くの人がいる。
ツイッターにはたくさんの人の思いが綴られている。

なんというか…一人だけど一人じゃない。
ちょっと手を伸ばせばそこに誰かがいて、私を生かしてくれている。
生かされている。

だからね。さみしくないんですよ。

あのひとりぽっちの妖精は道端に咲くタンポポとか雑草たちの花を見たことなかったのかなぁ。

私は一人でどこへでも出かけていきます。
まだ見たことのないものが世の中にはたくさんある。
私はここにいてそういう世界の全てと一緒に生きている。

本当の意味で、私はもう「おとぎ話」からは卒業したのかもしれない。
一人で生きていけることが大人になるってことだものな、うん。
ホントに、「今更」な話ですけどもね。

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2017.06.06

「村じまい」を考える時期なんじゃないか

こんな記事を読みました。


【滅びと戦う 6割が高齢者の村】
3人に2人が高齢者、群馬県南牧村から人が減った理由

私は女性ですが、結婚せず子供も産まなかったので、少子化の戦犯だという意識があり、もうずいぶん前からこれからの人口減少時代をどう私達は生きていけばいいのか、ということを考えてきました。
私の場合、兄弟もいない一人っ子なので、私の代で終わりです。
父も母もそれぞれ兄弟はいて、いとこはいて、その子供もいるので、血筋が絶えるってことはないのですが、私の後はいない。
つまり、お墓も家も何もかも私が片付けてこの世を去るしかないということ。
終活が大事です。
これは私だけでなくて結婚していない人は激増していますから、自分の生きてきた人生を上手にお終いにする情報や技術は、今の時代に多くの人に必要なことなのだと思います。

同様に。
人口減少で地方の村や町は存続の危機に直面することは明らかです。
もちろん、誰だって自分の生まれた故郷がなくなるなんて嫌でしょう。
でも嫌だといっても、それを避けることはできない。

地方でいかに若者を増やすかって対策を立てたところで、都市部でだって人口は減って高齢化は進むんですから、パイの奪い合いでしかない。
限られたリソースを狭い日本の国土で奪い合ってどうするんだ、という気がします・・・

自分の代で家族が途絶えることをもうずっと前から覚悟してきた私は、いわば、滅び行く村の最後の1人のようなもの。

この村でどんな営みがあって、みんながどんなふうに生きてきて、どこからきて、どこへ去ったのか、誰もいなくなったら忘れられてしまう。
人がいなくなるのはもうしょうがないことなんだけど、ただなくなってしまうのはさみしくないですかねぇ。
記事で南牧村が昔は栄えていた様子などを知るとより一層そう思ってしまいます。

私が東日本大震災の復興支援でよく訪れた、岩手の三陸沿岸の町も「生滅可能性」が高い地域として挙がっていました。
ただいたずらに町や村の間でなかなか有効な手も打てないままにジリジリと人口が減っていく。

人口が減れば、これまでどおりの行政サービスは維持できなくなっていくのだから集約化を図るしかない。
広い地域に数世帯が点在するような場所は、公の手が行き届かなくなっていく。
それを「見捨てられた」と表現するのは簡単だけど、実際問題、サービスを提供する側の人口がどんどん減って、サービスを受けたい方が増えてしまうのだから、どうしようもないよなぁ。

そう考えると、やはり地域も「終活」が必要なんじゃないかと。
必要なら、公共サービスの効率化のために移住も選択肢の一つで。
移住されたら、移住された側の村がなくなってしまうからと無理矢理にでもそこに住んで欲しいと考えるのが今のそれぞれの「地方」なんでしょうが、それももう限界に近いのでは。

「居住移転の自由」は無論、憲法第22条に定められた私達の権利なので、どこに住みたいか、選ぶ自由があるんですけど、住みたくてもそこにもう生活の母体となる買い物をするところもなければ、病院も銀行もないなんてことになったら。
そういう状態になってしまったことを行政の責任にしても、日本全体そうなんだからしょうがない。
そうなったらなったで、その環境でどう個々人がベターな選択をし、地域を作っていくのか、考えるしかないでしょう。

何度も書くようですが、私は私の代の「最後の1人」なので、どうしてもそう思ってしまいます。

私はいなくなっても誰かが続いていけばいい。
あの村がなくなってもあの村の記憶は誰かが覚えていてくれればいい。
変化しないものはありませんからね…

地域にも「終活」を。できることなら前向きに「村じまい」できたらいいのにな。

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2017.06.05

糖質制限にチャレンジ

4月に腹部の鈍痛で婦人科を受診したところ、けっこう大きめの子宮筋腫が複数発見され、
「手術ですね。ウチは手術はやってないので紹介状を出します」
ということで総合病院にまわされました。

手術~!?

文明も進歩したのでこのくらいの手術は開腹しないでもチャチャッと2~3日の入院で済むのかと考えていたらとんでもない。
年齢も年齢なので、手術するとしたら開腹による子宮全摘。
医者にしたら、そう難しくない手術で命に関わることはないそうですが、患者の側にとっては、さすがに開腹なんかしたら体に負担はかかり、入院から社会復帰できるまで1ヶ月はかかるようです^^;

「手術したいですか」
と医者には聞かれました。

子宮筋腫は女性にはポピュラーな病気で、ネットで調べると、体験記から医者が患者の相談に回答する形で解説しているものまでいろいろヒットします。
え? ネットで自己流の知識で判断するんじゃなくて、医者に聞け?
いや、医者自身が「ネットで調べてみてね」っていうんですもん。そりゃ言われなくても調べます。

調べて分かったのは、子宮筋腫があっても摘出しなくてはいけないわけではなく、たとえば貧血だったり、生理痛がひどくてなんとかしたかったりするなら、手術したほうがいいケースもあるということ。表にどんな症状が出ているかによって、手術するかしないかは判断するわけですが、それを決めるのは医者ではなくて、患者自身だということ。

いくら難しくない手術といっても癒着などの副作用がないとは言い切れないわけで、リスクはそれなりにある。
さあ、どうしますか?ってことです。

・・・手術したいわけないでしょー。しなくて済むならしませんってば。

そう言ったら医者は
「手術して筋腫をとってみてみないとホントに良性かどうかは分かりませんけどね」
なんてことを言います。

そうかもしれないけどさー。さんざん、めんどくさそうに「手術ねー。今、予約いっぱいなんだよねー」なんて言っておいてなんだよー。
ま、医者なんて大体そんなもの。自分の体なんだから自分で判断するしかないんだよな。

というわけで手術はしない、一択。となると腹部の鈍痛をなんとかしなければなりません。

痛み止め薬も出たんですが、以前、歯が痛かった時に断食したら治った経験があったので、試しにゴールデンウィークで休みなのをいいことに断食してみました。そしたら、果たせるかな、腹痛が消失しました。
元々「鈍痛」だったので、のたうち回るほどの痛みではなく、生理前に重苦しくなる、嫌な感じだったんですが、いやぁ、痛くないのって素晴らしい。

断食することで腹痛がなくなることが分かったのと、仮に手術をするんだったらやせろという医者の指示があったこともあり、毎度のことでもう何度目かは分かりませんが、またまた、本気でダイエットをすることにしました。

チャレンジするのは、断食+大流行の糖質制限。
ただ、それだけでは休みはともかく普段は仕事にならないので、以前、やってみたことのある「完全無欠コーヒー」と組み合わせることにしました。。
「完全無欠コーヒー」についてはメタボ指導をしてもらっている保健師さんから全否定を喰らって以来、ちょっとお休みしていました。朝食にグラスフェッドバター(牧草で育った牛の乳で作られたバター)とMCTオイル(ココナッツ由来のオイル。いろいろと体にいい効用があるようです)を入れたコーヒーを飲むという健康法なんですが、頭が冴えると評判で、実際、やってみたら確かに頭がすっきりします。
保健師さんが反対するのは、バターコーヒーはカロリーが高く、カロリー制限と対極だからなんですけど、「完全無欠コーヒー」で摂る脂質は体にいい油ですし、そもそも糖質制限はカロリーはあまり関係ありません。

「完全無欠コーヒー」は「断食」と同様の効果を狙うものです。
ごはん(糖質)をとらないので血糖値が上がらず、食事はとってない状態。
でも、脳に必要なカロリーは、質のいい脂質で補給する。

糖質制限がいいのか、「完全無欠コーヒー」の効果なのか、その両方なのかはわかりませんが、続けていると、体重は着実に落ちてきています。

しかし・・・私、バターコーヒー飲んでもすぐお腹が空いちゃうのよねえ。
お腹が空かないというのが「完全無欠コーヒーのウリなのに。
調べてみると、肥満の人っていうのは、「レプチン」という満腹中枢を刺激するホルモンに抵抗性が出てしまっていて、満腹を感じにくい体になっているそうですわ。

(引用開始)「タニタの健康応援ネット」より

肥満の人はレプチンを受け取る「受容体」が反応しにくくなってしまう(レプチン抵抗性といいます)ことがわかっています。常に剛速球のボールが投げ続けられすぎて、受け取るキャッチャーミットが壊れてしまったような状態です。つまり肥満の人はレプチンから「満腹」サインがたくさん出ているにもかかわらず受け取ることができずに、食べ続けてしまう→更に太る→更にレプチン受容体の感受性が鈍くなる→更に食欲抑えられず太る・・・という悪循環に陥りやすいのです。
うう。怖いですね(><。)。そしてある程度痩せればレプチン抵抗性は改善されるのですが、これがすぐに治るかというとそうではなくて、少しタイムラグがあるようなのです。

つまりダイエットで体重が減っても食欲を抑える作用がすぐには戻らないので、食欲は亢進したまま、という状態が一時的にできてしまうのです。この食欲亢進状態に屈してしまうと「リバウンド」を招くのですが、この窮地(?)を強い意志で乗り越えることができれば、そのうちレプチン抵抗性は改善し、食欲を抑えるように働きます。そこまで来ればもう無理しなくても自然に食べ過ぎたりしなくなってかなりラクになってくるそうです。

(引用終わり)

キャッチャーミットが壊れている…このたとえが大変分かりやすいです。
私は過去にリバウンドも体験しているし、そもそも体脂肪蓄積も半端じゃない。
完全に満腹中枢がぶち壊れているんだよなぁ。

満腹中枢がぶち壊れている人は「完全無欠コーヒー」があまり効かない。
普通は、朝、カロリーたっぷりのバターコーヒーを飲めば昼過ぎまで、空腹感じずに過ごせるらしいのですが、私は全然だめ。
朝、「完全無欠コーヒー」を飲んだ直後からご飯やパンが食べたくて仕方ありません。糖質、欲してんなぁ。

しかし、お腹が空いたからといって糖質を取り過ぎると、例の腹部の鈍痛を始めとして体調が悪くなる。
完全無欠コーヒーを飲んだ後の「頭の冴えた状態」の気持ちよさも実感しています。

これが「バイオハック」なんだな。
「完全無欠コーヒー」は、厳密に言えば単なるダイエット方法ではなく、完全無欠な体を手に入れる方法の一つです。著者が自分の体に真正面から向き合って発見したアイデアだそうで。

要するに、一番大事なのは自分の体の状態ときちんと向き合う(ハックする)こと。
何を食べると元気になり、何を食べると体調がよくないのか、ちゃんと理解すること。
理解できれば、健康を維持することができます。
人間の体には個体差があるから、何がよくて何が悪いのかは医者よりも保健師よりも、本当は自分が一番よく分かっているはずなのよね。

私は概ね元気ですが、高血圧、高コレステロールの診断が出ています。
薬で改善はしていますが、できれば薬は卒業したい。
何よりやっぱりやせたいな。手術のためでなく…やっぱ見た目よくないもん。

あまり高い目標を立てても実現できないので、とりあえずは、今の、完全無欠コーヒー+緩い糖質制限を続けて、マイナス2キロを目指します。がんばろう。

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2017.05.26

100年後(2117年)の日本

・寿命をコントロールする遺伝子が発見され、人類は不老を選択できるようになる。

・病気はなくなりはしないが、病院に行けば全て治るようになる。

・体重をコントロールできるようになり、みんなが標準体型になる。

・食事はカロリーメイトのようなものになり、今のような食事は贅沢品となる。

・不老不死が実現したので、子供はいなくなっても問題はなくなったが、社会の新陳代謝をどうするのかが世界的な議論となる。

・体外受精、体外出産が実用化する。子供を求める夫婦は専用施設に精子と卵子を提供すれば、施設で赤ちゃんが生まれ、夫婦に渡されることになる。

・子供は普通の町にはいなくなる。子供を育てる夫婦とその子供は「養育特区」に集められてそこにしか子供はいない。

・しかし学校は現在と同じようにある。大人が通うようになる。

・単純労働はほぼロボットが代行するようになる。

・車、飛行機、鉄道など、全ての移動手段が自動化される。

・スポーツや芸能、芸術、娯楽の提供、などが人の仕事になる。

・働かなくても、衣食住には、基本、お金はかからず生きて行かれるようになる。

・死にたい人は死ぬことを選択できるようになる。合法的に安楽死できる薬を処方してもらえる。

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2017.05.10

何をどうすればよかったのだろう

おそらく世の中の大半の男女の誰もが、心から愛する相手と出会えて、相手からも大事にされる…
そういう相手と結婚し共に人生を歩み、その結果、自然と子供に恵まれ、幸せな人生を送る…
なんていうのを漠然と心に思い描きながら、20代、30代を過ごすのだろうと思います。

結婚や出会いは縁だと言います。
職場、学校、趣味のサークル、別に合コンや今時なら婚活アプリでもいいでしょう。
もちろんお見合いだっていいし、友達の友達だっていい。
そういう出会いを重ねていって、自然と出会い、結婚に至る。

そういうものだと20年前は、思っていました。

ところが現実はさにあらず(苦笑)

私は当時、男性も多く勤務する職場にいましたし、趣味のカラオケサークルにも入っていたし、合コンもありましたし、お見合いパーティにも持ち前の好奇心で参加しました。
親の知り合いや友達の紹介があれば、それも出会いの一つということでお見合いもしました。
たいして取り柄がない私、若さだけしか売りがありませんから、
「後になって『あのときこうしておけばよかった』という後悔だけはしたくない。若い内に婚活(って言葉は当時ありませんでしたが)、がんばろう」
と思っていました。

が、こんな活動を重ねる内にちょっと勘違いに気がつきました。

誰かの紹介でお見合いすると、断るのが大変です。人によっては「顔をつぶされた」と怒る。
「最初から結婚する気もなかったのか、そんな気持ちで話を受けたのか」
と叱られるのです。
それが親の知り合いの紹介だと、親の顔もつぶす。

私は結婚したいという思いはありましたが、好きな人とじゃないとできないと思っていました。
お見合いで私が会った相手の人は、悪い方ではなくもちろんいい方でしたが、好きかどうかと言われると、2、3回会っただけじゃ判断できません。
だったらもっと付き合いを続けてもいいんですが男性側がどうも煮えきらない。
付き合いを続けたいのか、やめたいのか、どちらかというとやめたいって感じに私には見えたので(親から言われて仕方なくお見合いしている感じ)、じゃあやめましょうか…となってしまいます。
で、本人同士がお互いにそう合意した後に、仲介人から電話かかってきて、上記のように叱られて、なんだかバカバカしくなってしまいました。

結婚のために結婚したいわけじゃない。
食べていくには仕事もあるので自分一人ぐらいならなんとかなる。
ただ、好きな人と出会いたいだけ。自分を好きだと言ってくれる人と一緒に暮らせたらいいと思うだけ。
以降、お見合いはやめました。
「好きじゃないと結婚できない」とか言うとアホかと思われるようなので。

私から好きになった人はいました。
告白はしたけどふられた人もいるし、告白しようとしたら距離を置かれた人もいました。
いずれもうまくはいかなかったけど、人を好きになるっていい経験ですね。ちゃんと私も自分以外の誰かを好きになれるんだなって思えてよかった^^
ま、いろいろありましたが(笑)、がんばったので悔いはないです。

結局縁がなかったってこと。
ま、しょうがないですな。
やるだけはやったし、仕事はあるし、一人の暮らしもそれなりに幸せで、私は自分の人生を後悔したことはありません。

今までも書いていますが、私はそもそも一人が向いてるみたいだなぁというのも最近気がつきました。
一人でいるとほっとする。誰かがそばにいると緊張しちゃう。

おそらくこの先、年をとっても一人で生きていけるでしょう。そのための準備も今、がんばっています。

読売新聞の「発言小町」という相談コーナーでこんな相談を見かけました。
「私は結婚できませんか?寂しいです。」

私が上記に書いたように結婚や出会いに「がんばった」のは20代後半から30代前半にかけての頃の話で、30代後半にはもう結婚はないな、と思っていました。

なので、一読して相談者の世間知らずと箱入りっぷりに驚くとともに、ここまで箱入りなら、なぜ親がもっと彼女が若い内にいい縁談を世話しようとしなかったのか、非常に疑問に思いました。

相談への回答はかなり厳しいものが多く、結論から言えば相談者が望む結婚は37才じゃかなり難しいのは「事実」なのでしょうがないのですけど、自分の来し方を振り返ると、私は、この相談者の少々無理な相談をナンセンスだと切って捨てることはできないのに気づきます。

そう、誰しもが…それを何歳から意識し始めるかの違いはあるとしても…
「自分が好きと思えて、相手にも愛される」
そういう相手と結婚したい、と思っていると思うんですよね。

相談者がそれを望み、結果、今、37歳になってしまっていることを私は笑えない。
自然にそういう相手と出会い、結婚に至るのだろうと、普通は思いますよ、うん。

そういう認識が甘いと言われればそうなので、自然に任せてたら出会わないから、婚活アプリだのなんだのが登場するわけですが。数だけ重ねりゃいいってもんでもないし、出会えば出会っただけリスクもあるのでねぇ。リスクを恐れてたら何も得られないというのも事実ですが、自分から進んで「傷つきたい」人間なんて存在しません。

年収が1000万、顔が人並み、×1じゃいやだ、年齢も同じくらいがいい、まあ条件がいろいろあるのが批判されちゃってますが、そりゃ条件だけ聞かれれば、いい方がいいに決まってます。

でも一番大事なのは、やっぱり「自分が好きと思えて、相手にも愛される」。
これなんだと思うんですよね。
好きな相手のためなら、条件なんていくらだって変わります。私もそうだったもん。

この相談はあくまでも一例。
今、非婚率が跳ね上がっていますが、じゃあ、「自分が好きと思えて、相手にも愛される」、そういう、人間だったら誰もが望む当たり前の幸せを手に入れるために、私達は何をどうすればよかったのだろう?

処方箋があるなら教えて欲しい。
自分のためにではなく、これから適齢期に入る若い男女のためにね。
私達が何か間違っていたのなら、同じ間違いを繰り返さないために。

無論、今の時代、結婚だけが幸せではないと思います。
今の私のように、結婚しなくてもそれなりの幸せはある。

でも、笑われるんだろうけど、正直な話、今でも思いますよ。
「自分が好きと思えて、相手にも愛される」
そういう相手と一生の内に出会いたかったなぁって。

出会ってる人はちゃんと出会ってます。
それこそ10代の内に出会って、結婚に至る人だっているのだし。
出会えないんだったら、やっぱりそれは単に「縁がない」ってことじゃないのかなぁ。
それを本人の努力がどうとか、条件がどうとか、言ってみたって始まらない。

で、もし出会えなくても、ちゃんとパートナーがいなくても一人でこの人生を歩いて行けるように、私はこれまでやってきた。
それならそれもありでしょ。少子化なんて知るかー(笑)。

件の相談者がこれからどうなるのかやや気になりますが、もしかしたらこれからすぐにいい人が見つかって結婚しちゃうかもしれません。
そうじゃなくても、親の財産で、一人でも幸せにやっていけるのかもしれない。
それは誰にも分らない。
彼女なりに幸せになれるといいなと思います。というか、なってほしい。
幸せは人と比べるものじゃない。

彼女と比べたら、私なんて大卒で就職して、それなりに社会経験も積んで、しっかり一人で働いてます。
それだって結婚できないんだもの。
彼女が37歳まで家事手伝いをしてたからってそれを責めてもねぇ。

結婚なんて、結局は縁だと思います。できなきゃできないでしょーがない。
そういうもんですよ。たぶんね。

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2017.05.09

poem(117)

      素直

あなたに「君は素直」とほめられた

「君は頑固」
「君は融通がきかない」
「君は人の言うことをきかない」
そう言われるよりはもちろんほめ言葉なんだけど

素直じゃない私は嫌いですか
あなたの言うとおりにしない私は嫌いですか

あなたの命令に従っていれば満足ですか
いつもあなたの思いどおりにしないといけませんか
それって私である必要はありますか

「素直」と言われて喜べない私は素直じゃない

いつもあなたの望むとおりの私ではいられない
でもたまにはあなたの望むとおりの私かもしれない
あなたにとって都合のいい私も都合の悪い私も
どちらも私

友達なら
都合のいいときだけ
都合のいいように
都合のいい私とだけ付き合えばいいよ
でもそうじゃないなら

お願いです
あなたにそう言われると悲しくなる
どうか「素直」ってほめないで

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2017.05.03

『日本を守る』組織は軍隊である必要があるのだろうか。

 本日は5月3日、憲法記念日です。

 安倍総理が、2020年までの憲法改正を目指していると表明しました。9条を改正し、自衛隊の位置づけを明確にするそうです。

 やはりそこなのか…
 新聞に自民党が以前作った改憲草案が出ていましたが、天皇を「元首」と位置付けたり、日の丸、君が代が国旗、国歌であることを明確にしたり、その辺もちょっとなぁと思ったのですが、その草案からまた変わる可能性があるので今はおいとくとして。

 以前の草案では、自衛隊は「国防軍」として明記されています。

 そうか、軍隊になってしまうのか。

 私は自衛隊の仕事ってめちゃめちゃ大事だし、災害のときなどに組織的に動ける存在があることは、とかく災害の多い日本国にとって必要不可欠だと思っています。

 それが自衛隊だと思っていて、自然災害だけでなく、テロとか、北朝鮮からミサイルが飛んできたりとかにも、対応する。とても大事な役割です。

 多分、それに反対する人はいない。

 いないんだけど…国防軍となるとちょっとなぁ。

 現行9条では

(前略)
 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 となっていて、前段はいいとして問題は後段。

「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」
 
 これよ、これ。「戦力」ってなんだって話だよなぁ。

 「交戦権」とは「戦争をする権利」だから、それも認めないのはよい。つまり現行憲法は、

『日本は国と国との紛争を解決するために武力は使いません。だから「軍隊」は持ちません。もちろん「戦争をする権利」なんて認めません』

 って言ってる。
 
 だから自衛隊は今のところ、実体はおいといても、表向きは「軍隊」じゃない。

 もろもろ災害の時に活躍する、警察とか消防署とか海だったら海上保安庁的な、昔の子供向けアニメ風にいうなら「日本を守るぞ」的な存在なわけです。

 軍隊じゃなくていい気がするけどなぁ。
 だって「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」なんでしょ?

 安倍総理もそこは変えないと言ってたもんな。

「日本を守る」じゃだめなのかなぁ。
 
 海外とのバランスなのかな…

 いえ「戦争」はね、だめだと思う。
 勝てばいいってもんじゃない。
 「国際紛争を解決する手段」は戦争以外にもあるんだし、逆に、戦争すれば解決できるのかといえば、力での解決は力で覆される。それが20世紀だったわけで。

 二度の世界大戦で日本のみならず、ヨーロッパだってアメリカだってロシアだって懲りたんじゃなかった?
 ロシアあたり、懲りてない気はちょっとしますし、そもそもすぐそばの北朝鮮がオカシイので、ついつい丸腰でいるのが怖くなる心理は十分にわかるわけですけども。

 それでもなぁ。結局、力比べによる世界支配などナンセンスにすぎないと人類は悟ったんじゃなかったかなぁ。

 自衛隊には軍隊にはなってほしくない。
 今が違憲だっていうなら、半分すでに軍隊っぽいからそう言われてるわけで、じゃあほんとに「軍隊」にしちゃえ、じゃなく、「軍隊」じゃなくする方の選択肢はないのかなぁ。
 
 国を守るのが軍隊である必要はあるんだろうか。
 国を守るための銃器や地対空ミサイルの整備などは軍隊じゃなきゃ持てないのだろうか。持てないならそこを変えればいいわけで。

 まあでも、いくら兵器を増強してもきりがない。
 疑心暗鬼こそが人類の本当の敵なのでは。
 
 そのための歯止めとして・・・自衛隊を軍隊として9条で位置付ける改憲だけは・・・

 2020年か。まだ多分生きているな。なんとか避けたいよな。

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2017.04.27

#東北でよかった

今村復興大臣辞任という事態はありましたが、ツイッターでは、「東北でよかった」、このフレーズの意味を逆転し「#東北でよかった」というハッシュタグで、東北のよいところをみんなが発信しているとのこと。

ということで私の「#東北でよかった」を思い返してみると、とてもツイッターでは文字数が足りないことに気がつきました。

以下、私の「#東北でよかった」。

三陸の海は本当に美しい。
宮古市の浄土ヶ浜を初めて訪れた時は、まさに「浄土」のようだと思いました。
山田湾も最高にきれいでした。

新花巻からSL銀河で釜石まで。電車を見送る地元の方がみんな手を振ってくれたのがうれしかったな。

奥入瀬の緑は本当にきれい。静かな十和田湖はヨーロッパの湖水地方のようです。
十和田市の現代美術館、面白かったな~ おすすめ。

以下、忘れられないものをランダムに…

強風の津軽、階段国道
下北、風間浦のマグロ、ウニ
弘前のリンゴ畑
酒田の花火
田沢湖も美しい
仙台は緑いっぱいで賑やかで大好き。

南北三陸鉄道ローカル線の旅
気仙沼からのBRT
大船渡の屋台村
陸前高田の一本松
気仙沼の海の市
南三陸の防災庁舎跡
石巻市の大川小学校跡
猫の島、田代島
登米の木造小学校
伊豆沼の蓮
秋保の緑水亭
日帰り温泉「一の坊」
弘前のレストラン山﨑、リンゴの冷製スープ
仙台七夕
大河原町の一目千本桜
蔵王のスキー
みちのく湖畔公園
定義の三角油揚げ
岩沼の千年希望の丘
松島の初日の出
閖上さいかい市場
南三陸町さんさん商店街のウニ丼
松島のかき小屋でのカキ食べ放題
宮古のとれたてのホヤ
山田町の牛乳瓶ウニ
大船渡黒船の秋刀魚だしラーメン
陸前高田の夢の樹バウム
大船渡のかもめのたまご
おかせいの女川丼
釜石の海まん
宮古のイカ王子
気仙沼のさんまくん
高政の笹かまぼこ
ひょうたん揚げ
ずんだシェイク
喜久水庵の生クリーム大福

・・・うーむ、いかん、キリがない・・・

東北はホント素晴らしい。おいでよ、東北。

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2017.04.24

好き過ぎる♪ 「正解するカド」

 知り合いの勧めで、この4月から「正解するカド」というアニメを見始めました。

 「正解するカド」? ヘンな名前…。
 というのが第一印象でしたが、第一話を見たら、めちゃくちゃ面白い。一言で言うと「リアル」。

 何がリアルかというと、今のこの日本にもし信じられないような「超常現象」が起こったとして、それに私達はどう対応するのか、というリアルさです。昨年、公開された映画「シンゴジラ」を見たことがある方なら、ああいう感じ、と思っていただければ。

 「超常現象」とは…
 ある日、突然、羽田空港の上空に未知の「何か」が現れます。

 「何か」としか言いようがないのですが、見た目は馬鹿でかい立方体の構造物。一片が2キロメートル以上あります。
 そういうものがいきなり上空に出現し、空から羽田空港の滑走路に降ってきて、たまたま滑走路にいた飛行機が一機、下敷きになってしまいます。

 一体これは何なのか?
 どこから現れたのか?
 それはともかく、下敷きになってしまった飛行機はどうなったのか? 乗客は全員死亡? という大きなニュースになりました。

 立方体は未知の物質でできていて、外部からのどんな干渉も受けません。
 壊すこともできないし、全く、何なんだ、これは?

 と、対応に苦慮しているところへ、いきなり、物体の上部が階段状になったかと思うと、一人の人間がそこから現れました。なんと、それは下敷きになった飛行機の乗客の一人。

 そして、その後からもう一人。
 その人物こそがヤハクィザシュニナ。この立方体の所有者(?)だったのです。

・・・というところが第一話なんですが、導入部がリアルなので、ヤハクィザシュニナの登場シーンに仰天しちゃうんですよね。

 え? 宇宙人? 何なの? 的な。

 いや普通、アニメでSFなら宇宙人や幽霊や未来人や地底人、どんなものが出てきたって驚きませんよ。
 設定が超リアルなため、つい現実を前提に物語に入ってしまうので、目の前に人でないもの、なのに人の形をしているものが登場した時点で、びっくりしちゃう。

 今、アニメは3話まできていますが、そのヤハクィザシュニナという人に見えるソレが何なのかは全く分かりません。もちろん馬鹿でかい立方体の正体も。

 でも、ちょっと分かってきたことはあります。
 どうやら立方体(この立方体が「カド」と呼ばれています)はノヴォと呼ばれる異世界からこの宇宙に出現したらしい。
 そして「ヤハクィザシュニナ」は、人類とのコミュニケート用に用意された「人型(ひとがた)」みたいです。
 でもこのコミュニケート用「人型」はよくできていて、カドに飲み込まれた飛行機に乗っていた人間が持っていたスマフォを調べることで、人類のコミュニケーションの方法や言葉を一瞬にして学習してしまいます。

 カドに飲み込まれた飛行機は、カドの中で無事で、乗客も全員生存していました。
 たまたま載っていた外務省の役人が「タフネゴシエーター」と呼ばれる交渉人のスペシャリストで、彼が、人類として最初にヤハクィザシュニナと接触しました。
 ヤハクィザシュニナも人類とのコミュニケートに彼を間に立てることが有効だと判断し、以降、人類とカドの交渉は彼が間に立って行われることとなります。

 真道(しんどう)という名のその交渉人は、かなり優秀でこれまでも様々な交渉を手がけていることから、ヤハクィザシュニナという得体の知れない存在にも臆することなく接しています。

 「臆することなく」
 普通、こういう場合って「冷静」に、というのが一般的な気がするんですが、真道さんという人は不思議な人です。冷静って感じでもないんですよね。
 未知の存在を目の前にして、クールではないんですよ。恐れもない。普通は怖いと思うんですが、どうも怖いとは思ってないみたい。勇気があるなぁ。
 相手が何をしようとしているのか。何を求めているのか。それに興味がある。というか相手の存在に自分も興味がある。
 ヤハクィザシュニナとのコミュニケートを本人も楽しんでいるように見えます。
 そして彼の言葉、彼の意図を人類に伝えることが、自分の役割であることに「燃えている」という感じ。

 カドが出現の際に飛行機を飲み込んでしまったのはたまたまで、真道さんがその飛行機の乗客だったのもたまたまなのですが、「カド」と「ヤハクィザシュニナ」にとっても、ファーストコンタクトがこういう人類だったのはまさに僥倖だったでしょう。普通はこうはいかないよなぁ。

 「カド」の出現の目的は不明で、ヤハクィザシュニナの話だと「人類を推進するため」らしいですが、何のために「人類を推進」させたいんですかねぇ?

 ヤハクィザシュニナはまずその証として「ワム」と呼ばれる、無限の電力を、彼らがやってきた「異方」からこの世界に供給するという物体を現出させます。

 もう一つ一つがパニック。
 ファーストコンタクトには「贈り物」は必須なのかもしれませんが、この贈り物はちょっととんでもなさ過ぎでは・・・

 というか、人類との接触にあたり、最初にワムの提供を申し出ろと言ったのは、誰なの? 真道さんなの? もうびっくり。

 真道さんとザシュニナ(略称で呼ぶのは信頼が深まった証らしい)は、どうも舞台裏でずいぶんいろんなことをコミュニケートしているみたい。ザシュニナの意図をかみくだいて分かりやすく伝えるのも真道さんの役割みたいですが、私はこの舞台裏に非常に興味があります。どうやってるんだろう? 

 つまり真道さんは人類ではあるけれど、ザシュニナの代理人なんです。
 ザシュニナの意図を汲み、彼の提案を人類に受け入れさせるように動いている。どこまで彼はカドとザシュニナのことを理解しているんだろう? 興味は尽きません。

 ザシュニナは謎ですねぇ。
 なんであの姿と格好なんだろう。
 カドもなんであの形なんだろう。
 あれだけ大きいものが出現したら、確かにオオゴトで政府が動くわけですが、そういうの分かってたのかしらん。全人類が相手ならたとえば地球の外から彗星のふりして現れてもよかったのに、なんで「カド」なの?

 ザシュニナはなぜあの姿形なの? もっと年配でもよかったんじゃ? 日本に出現するのに、なぜ日本人をシュミレートした人型じゃないんだろう。髪が白、目が赤なのはなんで? 女性型でもよかったのになぜ男性型なの? 裸じゃないほうがいいと言われてなんであの服なの? 上着は絵本の王様を参考に作ったみたいだけど…

 もうね、謎だらけ。
 そして知りたいことだらけ。
 
 そして・・・
 この作品もDVD化されるし、あとでまとめて見る人もいそうなんですが、リアルタイムで毎週放映されるアニメを見るというこの体験はまた格別です。まさに今しかできない。
 次の回まで、カドとヤハクィザシュニナの正体をあれこれ想像し、後の展開を予想する・・・楽しいなぁ。
 DVDでまとめて見るんじゃこの楽しみは体験できない。

 皆様、まだ間に合います。見逃した方はネットで動画が配信されていますので、3話まではそれで見て、残りは一緒にリアルタイムで見ましょう。
 これ、すっごく面白い♪

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2017.04.16

人間の限界~「ふわふわの泉」野尻抱介~

 「ふわふわの泉」という本を読みました。

 タイトルは、まんま、ふわふわしてますが、中身はけっこうハードなSFです。

 2001年に刊行された小説で、後書きにあるように9.11も3.11もなかった頃に書かれています。が、内容は今よりも未来。だって2017年現在、まだ人類は人以外の知的生命体とのファーストインパクトを済ませていないですから。

 小説の後半、人類は、未知の知性体と、先方が作り出したコミュニケーション用の模造体(シュミラクラ)を介していろいろな会話をします。

 彼らは肉体を持たない、情報化されたデータとして存在し、複製によって自己増殖できる存在です。
 …すごい設定だけど、なんとなくそういう存在って、今の時代だとイメージはできます。

 小説の中で、人類もまた宇宙に出ようとチャレンジしているんですが、未知の知性体は、有機体である人類には無理、と言い切ります。

 肉体にはいろいろ限界があって、これを宇宙に持っていくのは難しい。

 じゃあ、人間も「情報化」した存在になれば宇宙へいける?
 でもそれもその生命体(小説ではスターフォッグと呼ばれています。)は無理と言います。なぜかというと。

(引用開始)

 みなさんの自意識には中枢がありません。人間の自意識は、自己と周囲の環境とのかかわりを類推することで生まれる一種の錯覚です。

(引用終わり)

 他にもこんなふうに彼らは人類を評します。

(引用開始)

 みなさんのような有機体は適応的な存在であって、環境の一要素でしかありません。

 人間の視覚は太陽スペクトルの最も強い部分しか知覚できない。
 聴覚は空気がないと機能しない。
 生存できる温度条件がきわめて狭い。
 食料とは別に酸素呼吸を必要とする。
 脳は三次元空間しか理解できない。
 
 みなさんは食と性と他者の支配にほとんどの関心を向けています。すべての欲求は遺伝子をより広く継承させるためにデザインされていますが、それは個体の意志とは無関係に発生したシステムであって、遺伝子の継承自体にはなんの価値もありません、この段階の生命が獲得する知性に、おのずから限界があることはおわかりでしょう。

(引用おわり)

 うーむ。うすうす分かっていたけどそこまではっきり言われるとは(苦笑)。

 人も一応「知性体」ではあるんでしょうけど、まだまだ、地球環境に縛られていて、生命としての限界を超えることはできない。

 まあそれが「人」って生き物ではあるんですが・・・

 こうして少しだけ、宇宙や意識や次元というものを認識できるようになってきただけでもすごいのかな。

 作者の野尻抱介さんは後書きでこう書いています。

(引用開始)

 人類は太陽が黄色矮星のままでいる限り、滅亡することはなさそうだ。
 苦悩に満ちた現代は過渡期にすぎない。
 持続可能な社会の構築を心がけ、テクノロジーの発展をやめない限り、いずれ全人類は不老不死になり、永遠に遊んで暮らせるようになる。
 そのことを悟ったとき、人はどんな反応を見せるだろう?

 本書の終わりでなぜ三人が笑い転げているのか、おわかりだろうか?

(引用終わり)

 うん。
 そう思いたい。
 
 トランプさんがかなりぶっとんでて、北朝鮮がますます危険で、シリアで化学兵器が使われ、日本では原発が津波でぶち壊れ、出生率が低下して2050年に人口が半減するとしても・・・

 「持続可能な社会の構築を心がけ、テクノロジーの発展をやめない限り」

 我々は地球に存在し続け、宇宙に出る「いつか」に向けて歩みを止めないだろうと。

 子供の頃、手塚治虫の「火の鳥」や萩尾望都の「ポーの一族」などを読んで、不死の存在に憧れていました。
 こういう小説を読むと今も思っちゃうな。

 ずっとずっと生きて、人類の行く末を見届けたい。
 価値観や考え方は、どんどん変わっていって今とは全く違う世界になっているのだろうけど・・・

 肉体には限界があるとして、人の意識が情報化して肉体のくびきを離れ、永遠を手に入れるまで、直観的にはあともうちょっとの気がするのよね。

 どうも私の寿命的には、「私」が消滅するまでには間に合いそうにないのがとても残念だけど、ブログのこのデータはもしかすると残るかも!?
 それが私の今の一番の夢なんですよ^^

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