2018.02.16

poem(118)

「天命」

もうずいぶんと前の若い頃に私
「いいお嫁さんになりそう」
と言われたことがあります

きちんとした職場に勤めていて
誰かに紹介するにはいいお嬢さんだったんでしょう
美人ではないですけど

ただ当時
私はそう評されることが嫌でした
人間、いつ病気になるか分からない
それにけっこうずぼらで怠け者
掃除も洗濯も毎日はしません
いいお嬢さんに見えるのはそう体面を繕っているから
それは本当の私ではない

結婚して一生一緒に生きていくのに
本当の私でない私を気に入ってもらっても
じゃあ私が病気になったらどうするの
離婚するの?

私は子供の頃から親や学校や友達や
他人に嫌われることが怖くて
外側の自分を取り繕って生きてきました
それは楽なことではなかった

取り繕う必要がないところにいたい
誰にも見られたくない
一人にしてほしい
それが私の本当の望み

結婚するなら本当の私を愛してほしい
でも嫌われるのが怖いから本当の私を見せられない

それじゃ結婚できるわけがないし
むしろ結婚は自分の望みとは反対
そして自分が不美人なのは知ってたから
自分の食い扶持は自分で稼がなきゃと就職し
あれから幾年月
一人で無事幸せに今を生きています

ただ 外側の私と本当の私
どちらも私なんだと気づいたある日から
その両者はだいぶ近づいてきました
今でも洗濯や掃除は毎日してないけど
ずぼらで怠けることは好きだけど
本当の私も自分で思うよりもいろんなことができるのが分かったから
「本当の私は何もできないろくでなしだ」
と思わされてきたのはどうやら何かの「呪い」だったらしい

呪いを乗り越えるのにずいぶん時間がかかっちゃったな
今や何でも自分でできるようになって
幸せな生活を送っている私ですが

少子化問題や婚活に悩む若い女性の相談などを目にすると心が騒ぎます
今の私だったら
「外側の私」や「本当の私」に惑わされることなく誰かを愛せるかしら
信頼できる誰かの前でありのままの自分でいることができるかしら
そしてそうなるのがもっと早かったなら
私も子供を産んでお母さんになることができたのかな

それは決して後悔ではなくて
人生をやり直したとしても私はこうして生きるしかなかったからもういいんですけど
ではこれからの人生で
私にはまだできることがあるだろうか、と

不惑の年を迎えた頃に
「まだまだこのままじゃ終わらないよ」
と思ったっけ
その思いは今もあります
まだまだ人生は続く

そしたらそろそろ
見つけにいきましょうか
天命をね

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2018.02.15

アルマーニの標準服と「約束のネバーランド」~子供の成長の理想とは~

 銀座の小学校が標準服(実質「制服」みたい)にアルマーニのブランド服を採用するというニュースが報道され、話題になっています。

 私が最初にこのニュースを聞いて感じたのは、小学校は制服じゃなかったですけど、中学、高校は制服だった自分の経験からいえば、
「制服ってそんなに大事なものかしら」
でした。

 中学の時、女子の制服はセーラー服だったんですけど、登校すると、すぐにスカートからトレパンやジャージに「下」だけ着替えさせられるのが私の中学のルールでした。上がセーラー、下が白いトレパンって異様でした。なんでそういうことになっていたのか、女子にスカートをそんなにはかせたくないなら制服の意味ないやん、と正直思います。
 私自身は部活の朝練があったので、上もセーラーではなくジャージに着替えちゃってて、制服でいる時間は、登下校時のみでした。

 ましてや小学生。
 体操服やジャージばかり着てたなぁ、私。
 動きやすい服装でいいと思うんですよね。洗濯もしやすいし。

 なんというか…外面とか体面を取り繕うためだけでしょ、制服の意味って。
 子供にそんなの必要かしら。

 もちろん大人になれば、体面を取り繕う場が必要なのはわかりますよ。
 会社員は背広にネクタイだし、葬式は喪服だし、TPOはいずれ学ばなくてはいけない。
 でも、それって小学生に「制服」という形で教えるものなの?
 変だなぁ。

 アルマーニ校長の今回の騒動についてはいろいろな意見が出ていますが、
「校長がどんな子供を育てたいのか分からない、校長が育てたいのは泰明小学校であり、そこにおとなしく、大人のいうなりに礼儀正しく従う学校の付属物としての子供なのではないのか」
 という評論をネットで目にしまして、まさにそうなんじゃないの、と思いました。

「子どもにどう育ってほしいか」

 最近、私は「約束のネバーランド」というマンガを読みました。そこに出てくる子供たちはまさに理想です。

 自分で考え、自分で判断し、自分たちで自分の未来を選択する。

 これができるようになることこそ、子供を大人にするってこと。

 まあ、マンガの中では、そうして理想の子供を育てると、人間の脳が美味しくなるので、人を捕食する鬼がそういう環境を作り、美味しく食べられる人間を育てているという何とも皮肉で、恐ろしい設定なんですけどねー。

(ちなみにこの漫画では賢くない子供はもっと小さい内に出荷されて食べられます)

 理想的な環境で愛情たっぷりに育てられ、日々の勉強で賢く成長した子供たち。
 彼らはその賢さから、自分たちが食べられるために育てられたことにも気づいてしまいます。
 そしてその環境から脱出することに挑戦する。
 育てる側と子供の頭脳戦がものすごく面白くて夢中で読んでしまいました。

 理想の子供にするための「母親」役を務める女性も大変賢く、子供たちにとっては強大な敵なんですが、敵でありつつも、そこまで賢い子供を育て上げる。

 子供は親の思うとおりには育たないものだけど・・・
 どういう子供になってほしいか。 そのためには何が必要なのか。
 「約束のネバーランド」がまさにその答えのように私には思えます。

 アルマーニなんかいらない。銀座の子供である必要なんかない。
 自分で生き抜く力こそ、子供に本当に大人が与えてやりたいものではないでしょうか。

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2018.02.13

家族っていいね~初めての「さっぽろ雪まつり」~

 一生に一度は見てみたいと思っていた「さっぽろ雪まつり」。
 今年は69回目だったそうで、来年が70回記念だったか。でも、今年は父が77歳、喜寿なので、喜寿祝も兼ねて、家族旅行を企画しました。

2018

 ホントは、父と母と3人で計画していたんですが、直前で母がインフルエンザになってしまってキャンセル。図らずも三陸親子旅以来の父娘二人旅になってしまいました。
 
 父と娘という二人って珍しいらしく二人でいると「奥様」と勘違いされることがあって、ちょっと困るんだよなぁ~。でも、今回泊まった宿はホテルなので、そういう気まずいこともなく済みました。

 他人から見るとファザコンと取られる可能性があって、あまり大きい声では言えませんが、私は父と二人の旅ってあまり嫌いじゃありません。

 このブログには何回か書いてますが、私の実の母は19年前に病死しています。当時、一人っ子の私と父で、葬式を仕切ってからというもの、私と父は、互いに唯一の家族ということで、なんとなく同志のような感じなんです。

 というか、母が生きていた頃からかなぁ。
 
 母はうつで1年に何カ月も寝込むことが普通でしたから、父はよく子供である私の面倒を見てくれました。
 いや、無論、昨今のイクメンのようにできるわけでもなく、車に乗せて、国道沿いのレストランでお子様ランチ食べさせたりとか。慣れない炊事で、白滝と豚肉の炒め物作ってくれたりとか。会社帰りに自分はラーメン屋でごはんを済ませ、家に餃子を買ってきてくれたりとか。
 ま、いろいろがんばってましたよ。
 
 うつの他にもいろいろ悪いところだらけだった母が60前で亡くなる少し前から私は家を出て一人暮らしを始め、父は母が亡くなる前も後も私に家に戻るようには言いませんでした。

 一緒に暮らしてたらもしかするといろいろあったのかもしれませんが、家を離れると私は家にいるときよりもいい娘になったようです。結婚しない以外はけっこう親孝行してると思うんだな。
 その後、私はごく普通に一人で暮らすことに慣れ、父は母が亡くなって7年後に再婚。
 今は付かず離れずのいい関係です。

 再婚相手の今の母はいい方で、一人暮らしよりはやはりパートナーがいると父もハリが出るらしく。母は父より10歳年下なので、とりあえず私ももろもろ安心なのです。 
 
 再婚してからは3人ででかけることが多かったんですけど、二人で三陸にいったのは、このブログにも記事があるので、見てみると2008年か。ちょうど10年前です。母が亡くなったのは1999年だったので、再婚してからだ。私にとっては、自分が運転免許ないので、父と二人だと運転してくれるんで、都合がいい、くらいのもんでした。
 
 それから10年後の今も、あまり父と私の関係は変わっていません。
 母と3人よりも、一層、気を遣わず、気負わずに自然体でいられるので、楽なんですよねぇ。
 少しは気を遣えよって感じかもしれませんが。

 父は、夏に胃がんの手術をして普通には食べられなくなったことはあり、食べるのは気を遣いましたが、足腰は普段、ゴロゴロしてるわりには大丈夫みたいで、結局、雪まつりの会場を2万7千歩ほど、私と一緒に見物して回りました。いや~よかった。一緒にテレビ塔に上ったりもして、雪まつりを二人で堪能しました。
 
 ・・・多分ね。

 もちろん、巨大な雪像も、そこに映るプロジェクションマッピングもイルミネーションも、大通り会場の特設ステージで生で見るスノボやスキーのジャンプも素晴らしかったんですが。

 全然気を遣わないでいられる家族との旅行というのが、私は久しぶりで、めっちゃ楽しかったようです。

 一人もいいけど、たまには。
 自分よりも、父が雪まつりを楽しんでくれてるのを見るのが楽しいんだよなぁ。これって家族ならでは。
 家族っていいわね。

 かといって、もう結婚はナイけどな~(苦笑)

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2018.01.27

非武装中立

「非武装中立」を発言すると馬鹿にされるのが今の日本のトレンドらしい。
だったらなぜ、日本では銃の所持が規制されているのだろう。

「他国が攻めてきたら殺されるよ。殺されてもいいの?」
と武装支持の人は言うんだけど、それって理屈としては個人の場合でも同じ。

銃を持っている何者かが家に入ってきて、金品を奪おうとしたとして、抵抗したら私たちは撃たれて殺されます。
「殺されてもいいの?」
と問われて、殺されたくないなら武装するのが当然、ということなら、各世帯は銃を所持し、国民個々人も武装した方がいいですよね。

でもそうはなってない。。
強盗目的で人を殺すような犯罪が発生する確率は0にはならないけど、私たちはリスクを抱えつつも武装せずに暮らしています。

国と国との関係もそうなんじゃないかと。
隣の国が銃を持っているからって、自分も銃を持って武装するべきってなんでそうなるのか分からない。
個人と国とは違う、個人は警察が守ってくれるんだから、っていうなら、本来、国と国の争いも、個々の国が武装しなくて済むような仕組みを作るべきではないかしら。実際、そう動いた時期もあった。それが国連だったはずで。

基本的に、私たち個人が銃を持って武装することが現実的ではないように、国の場合も、全ての国が、そして日本が、武装して核を持つのは間違っていると思うんだけど。

いろんな国と協定を結び、自分が銃を持って戦うことよりも一定程度の経費を負担し、守ってもらうことだって、個人だったら普通でしょ。
なんで「自分の国は自分で守らないと」っていうのが正しいようにまかり通るのか。

銃を持って殺し合うことになる前にそうならないように努力する。
憲法9条の戦争放棄はそういうこと。

国際を紛争を解決する手段として「武力」は使いません。
だから日本は軍隊は持ちません。

なぜそれが非現実的なのかな。

もちろん、国連が当初の理想どおりにいかなかったのは分かってるし、世界の警察だったアメリカがその役目を放棄したのも分かってます。
ただ、だからって、やはり個々の国それぞれが武装しようって安易に流れちゃっていいのか。

また20世紀の二度の世界大戦のようなことが起こるよ。いや、もっと悲惨かも。
そもそも国連って、あの世界大戦の反省の上にできたものじゃなかった?

「非武装」を主張するのが、馬鹿にされるような世の中の雰囲気を誰かが作ろうとしている。
気を付けないと。それしかないと思わされることが一番危険です。

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2018.01.19

新春のエゴグラム

 皆様は「エゴグラム」ってご存知ですか?
 質問に答えていって、その答えによって性格を診断できるというもので、ネット上にもいろいろ診断できるサイトがありますので、興味がある方はやってみてください。

 性格診断は、何がいい、悪い、というものではなく、自分の性格の傾向を知ることができます。
 そこから自分の強みや弱みを知ることができる。

 今日、職場の研修で、久々にエゴグラムをやってみました。初めてではないような気がするけど、たぶん、えらい久々です。

 エゴグラムは、一回だけでなく何回かやるといいそうですよ。
 そしてやるたびに違う結果が出ることも。

 全般に、気持ちが弱っているときは低い点が出るそうですし、そういう意味でも自分が今、元気なのか、少し弱ってるのか、それも分かります。

 エゴグラムの結果には5つの指標があり、ある指標が高く出れば、性格的にその傾向が強く、低ければその傾向は弱い。そんなふうに読みときます。

 指標は「CP」「NP」「A」「FC」「AC」の5つ。
 Pは「parent」、つまり親で、Cは「child」、子供です。

 「CP」はcontrolling parent、説明を聞いて私は、これってつまり父親度だと思いました。
 責任感が強く、秩序を守り、信念があり、他人の言いなりにならずに、はっきりNOと言える。
 他人にも自分にも厳しい。
 これが強すぎてしまうと、権威的で支配的な感じになり、反感を買うことがあるようです。

 「NP」はnurturing parent、同じ親でもこちらは母親度でしょう。
 思いやりがあり、他人を受け入れることができる。
 人にやさしい言葉をかけ、親しみやすい。
 これが強すぎると、親切の押し売り、おせっかいになるようですね。

 「A」はadult。まんま「大人」ですが、この場合の大人とは、感情に惑わされず合理的に判断できる性格傾向のことです。
 仕事をする上では、生産性も高く、能率的で、いい相手のようですけど、強すぎると打算的で冷たいと思われがちみたいです。

 
 「FC」はfree child、天津爛漫な子供です。自由奔放で直観的で行動的、感情に素直。
 好奇心があり、積極性もあり、創造性に富む。
 強すぎるときまぐれで自己中心的って感じになります。

 最後の「AC」はadapted child、順応した子供。従順で他人に依存し、感化されやすい。
 周囲に合わせようとしすぎて主体性に欠けるきらいがあります。
 しかし忍耐強く、協調性に富み、他人に対しては寛大です。

 私の今日の結果は「A」が突出してました。
 冷たいと確かにたまに言われるなぁ。
 でも仕事に向いていると言われればまんざらでもありません。

 特に低いものはなかったのですが、標準より低めだったのは「FC」。
 エゴグラムで低くでるのは自分の弱点なので、それを自分で補おうとするのではなく、仕事の時は、自分に足りないものを補ってくれる人とチームを組むとうまくいくそうです。

 確かに、私、企画しろとか自分でなにか新しく創れと言われると超苦手なのよね。

 もし、誰かそういうアイデアマンが近くにいれば、それを取り入れて、合理的にそれを実現できるように助けることができるかも。メリットとそれに伴うリスクを考えながら、実現のためのベストな方法を考える。そういう仕事が結構好きかも♪

 そしてもう一つ低めだったのは「CP」。
 責任感は強くないんだよなぁ。
 いや、もちろん、やらなければならない仕事はしますが、理想とか使命とか信念よりも、できるかできないかの方が確かに私には大事で、つまりできない目標は立てないというか、そういうところで妙に打算的。
 冒険はできないし、できないものはできないと、自分に甘いし、要はかなりのヘタレです。

 だから「CP」の強い人がリーダーシップをとって、方針を示してくれたらうれしい。

 リーダーシップのとれる上司、アイデアマンの部下、両方がいれば、私がプロジェクトの実現のためにいくらでもお助けしますよ♪

 そんな気持ちになりました。

 いやぁ、面白いな、エゴグラム。

 私はNPやACもそこそこの得点なので、合理的で打算的な割には人と協調することもできるし、受け入れる度量もあるようなので、リーダーをやらせたり、企画をやらせたりしない限りは、組織の中でうまくやっていけるんだよな。

 これ、自分のことがよく分かっていいなぁ。また何年後かにやってみよう♪

 

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2018.01.10

「ベッキーにタイキック」問題について

私は件の番組を見ていないのですが…

たとえば子供達が「ガキの使いごっこ」と称して、誰かがボケてそれを笑ったらキックしていいというゲームをしていたとして、一人の子に他の子がキックを浴びせてたりしたら大人はそれを止めるのかしら。

止めるんだろうなぁ。

そういうゲームって、いつの間にか、特定の子がいつもキックされる側になり、キックする方は笑っても「今のセーフだもんね」とか言いながら、弱い子だけが「今、笑っただろ」とカウントされて一方的にキックを受ける側になるのが常。目に見えるようです…。

たとえば「男気じゃんけんごっこ」と称して、特定の子が、無理矢理、他の子におごらされて「ゴチになります!」なんて言われてたとしたらやっぱり大人は止めるんだろうか。

止めるんだろうなぁ。

この場合もおごらされる子は決まって来ちゃうだろうし。

これからは、こうしたバラエティ番組は消えていくのかもしれないな。
それがよいのか悪いのかは何とも言えません。
それで学校のいじめがなくなるかというとまた別の問題でしょうし。

クイズ番組と「あなたの余命○年」みたいな健康診断番組ばかりになるわけだわ。

個人的には、「しくじり先生」の復活を希望します。

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2018.01.07

運命って何だろう~映画「君の名は。」を見て~

1月3日に、アニメ映画「君の名は。」がテレビで地上波初放送となりましたが、みなさん見ましたか?

 私は映画館でも見て、今回、二回目でしたが、面白いし名作だと思うんですけど、この作品ってなぜか見終わった後に、もやっとした感じが残り、ネットでいろんな解説を読みたくなってしまいます。

 以下のリンクはそんな解説の一つ。なるほどなぁと思ったので御紹介しときます。
http://blogos.com/article/269090/

 リンク先の解説を読んで、私が思ったのが本日の表題。

 運命ってなんでしょうね?

 解説の中では「運命」と「意志」という二つのことが、対比するように書かれています。

 つまり「運命」は「意志」の力で変えられるか?ということ。

 解説の中で「君の名は。」とともに引用されている「秒速5センチメートル」と「国境の南、太陽の西」では、結局、運命は変えられず、人の意志は静かな諦めとなっていく。

「運命」、つまり過去から未来まで全てのストーリーが決まっているとしたら、それに乗っかって、私達は、植物や他の動物と同じように流れるままに、あるがままに生きていけばいいわけですが、人は時にその流れを自分で変えようとします。で、実際に変えてしまう物語が「君の名は。」

 そのように、運命と意志はしばしば、対立するようにフィクションの中で描かれるわけですけど、そうやって人が時間の流れを変えようとすること自体が、あらかじめ定められているのかもしれなくて、大昔から…それこそ「お釈迦様の手の中で暴れる孫悟空」みたいな例えでも描かれているので、人が古くからそうした「意志と運命との対立」というテーマを持ち続けていることが分かります。

 つまりこういうことかしら。
 人って生き物は、自然環境という定めを変えよう、変えようとして今まで進化してきた。それこそが人であることの意味なのかもしれないと思えるほどに。

 だからこそフィクション世界でも、このテーマで何度も作品が作られ、多くの反響を呼ぶ。

 現実の世界ではどうなんでしょう。

 科学の世界でも、経済の世界でも、ミクロとマクロでは物事の動き方や考え方が違ったりすることがよくありますが、現実世界での運命と意志の対立でも、ミクロの世界では人の意志が優先するけど、マクロの世界では運命が優先するように思えたりもします。

 たとえば今晩何食べようか、みたいなことは私達の自由意志で変えることができますが、今後の日本の人口減少は変えることのできないストーリーな気がします。

 それともミクロの意志決定がマクロの「運命」の流れを作っている、と言えるのかなぁ?

 だから人の意志で、運命さえ変えられると言えるのかしら。
 人類の進化とそれによる世界の変容はまさにその例とも言えるわけで。

 「運命」なんて人が勝手に作り出した定義なだけで、実はそんなものはないのかもしれない。
 何も決まっていることなんてないのかもしれない。
 
 けれど、人の意志は環境によって定義され、その枠の中で自我を形成し、意志を育てる。
 だとしたら、私達の乗り越えるべきものは「運命」ではなく「環境」であるのかも。
 そして「環境」を乗り越えるための手段が「フィクション」なのかも。
 自分に与えられた環境だけでなく、全く別の環境を知ることが本を読んだりテレビを見たり、あらゆる情報を得ることで出来る訳だから…。

 そうして人類は、世界を変えてきた。
 私達の意志に基づいて。
 それでもまだ「地球」という環境や「人体」という生物としての環境には縛られているのが21世紀なんですけど、もしかしたら、将来はそれすら乗り越えることが可能になるのかもしれないな。

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2018.01.05

作ってみた!

作ってみたよ。美味しくできました!
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2018.01.03

牛丼問題

 あけましておめでとうございます。
 今年も当ブログをよろしくお願いします。

 さて、新年最初の記事のテーマですが、ツイッターを眺めていたらこんなツイートが流れてきました。

(引用開始)

独身男性の皆さん、まだ牛丼チェーン店でご飯を済ませているんですか?国内産霜降り牛の切り落とし¥1000(400gくらい)を弱火で放置するだけで味の染み込んだ牛丼の頭ができます…。大盛りでも4食分ほどあります…。1食¥250です…。まだ牛丼チェーン店に通うつもりですか…。

(引用終わり)

 こちらのツイート、今年の元旦に投稿されていまして、以降、非常に多くの反響を呼んでいます。
 たくさんコメントがついていて、読んでいて、いろいろ考えさせられました。

 このツイートの後に、おいしい牛丼の頭を作るためのレシピも投稿されています。
 久原醤油のあごだしつゆを使うレシピでしたが、無論、普通のしょうゆでもよし。
 フライパンで肉と玉ねぎを炒め、酒、砂糖、みりんで煮て白滝を入れるだけ。私も作ってみようかな。
 
 で、まあ、それはいいのですが、この記事には、反論のコメントがたくさんついていました。

 それが皆、ごもっとも、というか、なかなか面白くて。いろんな考え方があるのだなーと。

(反論その1)
 面倒。

 久原醤油のあごだしのくだりもそうなんですが、私も一人暮らしなのでよくわかるんですけど、料理を普段しない人にとって、これだけのレシピがどれだけ面倒か、という話。

 作る人にとってはなんでもないことなんですけどね。

 要は自分で作る方が簡単でおいしくて衛生的だというのは分かっている。分かっているけど、自分で作るのは大変だから、牛丼チェーンにいく。そこで食べる一杯の牛丼がとてもとてもおいしい。

 分かるなーw

 実は私の家には砂糖がありません。みりんと酒は最近、煮魚をよく作るようになったので、あるんですけどね。
 なので、普段は、レシピに砂糖とあるだけで、そのレシピは使いません。

 独身男性なんて、みりんや料理用の酒だっていちいち買ってこないとないでしょう。
 
 もちろん、買えばいいだけではありますが、砂糖もそうですけど、たとえばたまに牛丼のあたまを作るためだけに砂糖や酒やみりんを買ったとして、次に使うのいつって話。

 ソースや醤油だって、使い切らずに賞味期限が切れて冷蔵庫の肥やしになるというのに・・・

 自分で作る方がおいしいし、安いのは分かっていても、作んないよなぁ~。
 普通に牛丼チェーン行くよなー。

 私は反論コメントの方に非常に共感してしまいました。

 でもね、こっちの反論コメントは意外でした。

(反論その2)
 人の作ったものの方がおいしい。

 へぇ。男性ってそうなんだ。
 いや、男性に限らず、家庭の主婦だって、旅行にいって、食事が出てくると、
「片づけもしなくていいし、誰かが作ってくれるっていいわねー」
 とおっしゃるので分かる気もしますが、それは楽だってことで「その方がおいしい」かどうかはまた別の問題な気がしていました。

 楽だというだけでなく、本当に自分が作るものよりも人が作ったものの方がおいしいってあるのかな?

 いや、たとえばね。風邪で寝込んでいるときに、旦那が心配して作ってきてくれたおじやなんかおいしそうですよね。

 そうじゃなくても、一流の料理人が一流の食材を作って作った一品をレストランとかで食べたら、自分で作ったものよりもそりゃおいしいでしょう。

 でも牛丼チェーンでも? 自分で作るんじゃなく、人に作ってほしい? その方がうまい?
 これにはびっくりしました。

 私は自分で自分のごはんを作るようになってもう長くなりますが、外食よりも家庭で作ったものの方がおいしいです。たとえば餃子でもハンバーグでもね。作るのが面倒なので、餃子もハンバーグも一人暮らしでは作りませんけど。

 料理ってのはレシピどおりに作れば大体そのとおり出来上がるものなので、そんなに難しくないです。
 少なくとも自分が食べる分にはね。
 人に食べさせるのは難しいです。その日、何が食べたいかは人によって違うからなぁ。好みもあるし。
 私は家族に食事を作る主婦(夫)を尊敬します。

 自分で食べるものは自分が食べたいものを自分で作る。
 私はこれが全ての基本だと思っていました。

 人の作るものは、自分で作るよりも概ねおいしくないけど、作る手間をお願いしているんだから、それは文句を言ってはいけない。 
 そう思っていたので、「人の作ったものの方がおいしい」という人がいるのにはびっくりしました。
 
 ・・・男子厨房に入らず、なんて人が今もいるのかな。
 料理なんて、人がするもので俺様がするもんじゃない、的な。
 いやぁ、でも俺様が作った方が絶対うまいって(笑)。

 面白いなぁ。
 とりあえず、ちょっと牛丼のあたまは、私、自分で作ってみたいと思います。私にあの牛丼チェーンの味が出せるかな。
 それにはそうか、砂糖を買わないといけないか・・・大体、ちょっと使った後、固まって何年も放置されることになるんですよね。スティックシュガーにするかなー。
 少し考えてみます。みりんの甘みだけでもいけるかもしれませんしね。

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2017.12.29

「布団の中から出たくない」

打首獄門同好会という物騒な名前のロックバンドが「布団の中から出たくない」という歌を作って「冬盤」というニューシングルをリリースしました。

ミュージックビデオがインターネットで公開されています。

こちら

ミュージックビデオの主人公である「コウペンちゃん」というキャラクターは、どんなことも肯定してくれるコウテイペンギンだそうです。
私はこのミュージックビデオを見るまで打首獄門同好会もコウペンちゃんも知らなかったのですが両方のファンになりました。

「打首獄門同好会」というバンドは、ウィキペディアによると「生活密着型ラウドロック」とのことで、今回の「布団の中から出たくない」もそうですが生活に密着した話題をロックで歌うバンドです。

いくつかネットで公開されている曲を聴きましたが、どの曲も全部好き。

特に「島国DNA」というひたすら魚や魚料理の名前を連呼する歌が面白くって笑えます。
昔、シブがき隊が歌った「寿司食いねェ!」みたいな歌です。

こちら

その他、「風呂入ったら即行寝る計画」についてシャウトする「フローネル」も面白いし、ちょうど糖質制限をしているので「糖質制限ダイエット」も面白かったなぁ。

「布団の中から出たくない」は文字どおり、朝起きて布団の中から出たくない気持ちを歌った歌ですが、打首獄門同好会の歌もさることながら、やはりコウペンちゃんがいいですね。

歌は最初、とにかく布団の中から出たくないんですが(笑)、それでも私達は布団の中から旅立たねばならないわけです。
いくら布団の中から出たくなくても、ちゃんと起きて、ご飯作って、外に出る。
そして疲れて帰ってくると、布団があなたを待っているよ、というそのストーリーがめっちゃいいのですが、そのストーリーを、どんな小さいことでも肯定してくれるというコウペンちゃんが補強してくれています。

後半、歌の歌詞は

♪布団の中から出たくない~

から

♪布団の中から出てえらい~

に変わるのですが、コウペンちゃんに「えらい」「えらい」言ってもらえると、布団の中から出ただけなのにすごい偉業を成し遂げた気持ちになるのですよ。

今年の冬は例年になく寒いですね。
「布団の中から出たくない」思いを私も何度もしましたが、皆様も、ぜひミュージックビデオを見てほっこりしてください。

2017年ももうすぐお終いですが、また来年もがんばりましょう。

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