2024.07.13

慌てて救急車を呼ばないで

6月に自宅で父の看取りを終えました。
父は自宅で緩和ケアを受けながら最期は眠るように息を引き取りました。
友人知人にそのことを伝えながらふと、これ…病院だったら点滴とか胃ろうとか延命措置が取られたのかなぁ?と考えていました。
延命措置についてネットで検索すると以下の記事を見つけました。
読んでみると少し違和感がありました。それもそのはず2018年の記事ですから今から6年も前の記事です。

「延命か自然な死か」家族に迫られる重い決断—終末期医療の現実
https://news.yahoo.co.jp/feature/1145/

裏付け等はないのですが、素朴な実感として2020年から2023年にかけての3年間のコロナ禍を経て、看取りの考え方も大きく変わったんじゃないかと考えています。
なぜコロナ禍によって看取りのあり方が変わったかというと、当時はコロナ対応のため医療機関が逼迫して「医療の質」をより厳選する必要があったからです。
加えて、コロナ禍の中で入院すると家族も面会ができずそのまま亡くなるということもありました。
救急車が来ても受け入れてもらえる病院がなく、それ以前に救急車も間に合わず自宅で亡くなったというニュースも後を絶ちませんでした。

つまり…病院で延命治療など手を尽くした上で亡くなるということがコロナ禍を経て「当たり前」ではなくなり、自宅で自然に息を引き取ることが当たり前になったのではないか、と。
6年前だとコロナ禍前。つまり6年前は記事のような状態が当たり前でしたが、今はもう違うように感じます。

もちろん地域差はあるでしょう。
私の父の自宅は、東京の隣県のベットタウン、人口40万人超の市にあり、地域には高齢者も多く、訪問医療、訪問看護、ケアマネージャーなども相応に地域で活動しているような地域です。

がんになった高齢者が全員入院できて、従来のような延命治療を受けて永らえるような余裕はおそらくないのではないかと。それが悪いわけではありません。だからこそ父は意味のない延命治療を受けることなく穏やかに逝けたのですから。


ただ記事を読んでいると家族の立場として頷けることがいくつかありました。
特に父と一緒に暮らしていた母のうろたえようを見ていたので、容態が変わった時に救急車を呼んでしまう家族の気持ちはよく分かります。
自力で食べることも飲むこともできなくなった人を目の前にしてやっぱり家族としては
「このままでいいのか?」
と思うんですよね。母もよく言っていました。「訪問看護が来ても何もしてくれない」と。
私自身は死んでいく人というのはそうなるものだから、無理に食べさせたり、飲ませたりしなくていいと、ある意味「達観」していたんですが、母は「食べられなくてかわいそう」「水を飲めないのでは薬も飲めない。飲まなきゃ死んじゃう」と必死になって食べさせよう、飲ませようとしていました。

父が亡くなったのが「今」でよかったと私は思っています。
自宅での看取りに関して私自身はほぼ違和感はありませんでした。
人の「死」は人それぞれで何が正解かなんてありませんが、少なくとも父自身はやはり延命措置をされて母に負担をかけながら永らえることは望んでいなかったと思います。
肺がん末期になるとかなり苦しいという話も知っていたので、その前に命尽きた方が本人のためでもあると私は思っていました。冷たいかなぁ。

母も、父が亡くなった後は自宅で看取れてよかったと言っていました。
父もそれを望んでいただろうとも。

これからの死はこれがスタンダードになるだろうと思います。
…まあ私自身は、平均寿命前に病気になったりしない限りは、長生きしてしまって係累が誰も居なくなり、誰も看取ってくれる人がいなくて、自宅で誰にも知られず亡くなるケースだろうなと思っていますが。

火葬とか死亡届とか骨を市営墓地の合葬墓にもっていくとかそういう手続きはどこかに委託しとかないとなぁ。

合葬墓も増えているみたいですね。散骨でもいいし。
というか、父を看取ってくれた母は父の再婚相手で、お墓には病死した私の母、つまり父の元妻も入っているため、自分が亡くなったら一緒にその墓に入るのは抵抗があるそうです。そりゃそうだ。なので、いずれは私が父の墓も墓じまいして、合同墓に納めるなり散骨するなりしないといけないわけで。
自分の死ぬときの話よりもまずはそこからか。

時代はどんどん変わるので、いずれは墓の話ももっと簡単に解決するようになっていくのかもしれません。

 

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2024.07.07

父が肺がんになった(最終回)

 肺がん闘病中だった父が6月27日に亡くなりました。83才でした。

 当ブログでは「父が肺がんになった3」で記事にしていますが、2月の「3」のときは本人、まだ元気であと余命わずかなんて言われても全然ピンときていなかったんですよ。

 4月に無事、桜も見られたのですが、5月に入り次第に足の筋力が衰え通院もつらくなってきたので、本格的に緩和ケアに移行することになりました。それが6月の初め。

 私はてっきりガンの末期といえば「ホスピス」という専門の医療施設で過ごすのかと思っていたのですが、近くの緩和ケアの病院もあるにはあるもののずっと入院をするということは想定されていないとのことで、とりあえず入院も視野には入れつつも自宅で在宅医療を受けることになりました。幸い、母が地域のケアマネージャーさんと知り合いだったので、その方を通じてベッドなどをレンタルし本格的に自宅での療養が始まったのですが…

 6月に入ったら急に日を追うごとに弱ってきて、それでも何とか自分でトイレにはいっていたのですが、最後の1週間は自分でベッドから起き上がれなくなり、おむつをあてていました。その状態で長く寝たきりになる人もいるしな…と覚悟してたら、結果的にはそれから1週間ほどで亡くなってしまいました。

 最後は食べたり飲んだりもしなくなり、意識も「せん妄」状態ではっきりせず、まだ起き上がれるときに一人でトイレに行こうとして転んで腕を骨折したりして、このままでいいのか、入院させた方がいいのでは、と付き添っていた母と悩んでいたんですが…

 看取りが難しいな、と思ったのは終わりが明確に分からないこと。

 6月26日に、医師は「あと2日」と言っていて結果的に亡くなったのは翌日でしたから、医師の見立てどおりだったんですが、私から見ると27日の朝は意識も少し戻り、骨折した腕なのか、がんの影響で他の部位なのか、かなり苦しそうにしていました。その様子は数日前と変わらなかったので、この状態がまた1週間くらい続くのかと思ったんですよね。居合わせた看護師さんもそうおっしゃっていて、とりあえず痛みをとるための座薬を取り寄せて下さり、薬が効いて落ち着いて眠ったので、一安心して私はいったん実家から自宅に戻ったところ…その間に息を引き取りました。分かっていたら付き添っていたんだけどなぁ。

 死に目に会えなかったのを残念ではないと言ったらウソになるんですけど後悔はありません。

 最後はそのまま眠るように逝ったようなので何よりで。肺がんの末期ってかなり苦しむと聞いていたので、安らかに逝けてよかった。

 …看取りは昔と違うのですねぇ。昔だったら、食べられなくなったり、飲まなくなったりしたら胃ろうとか点滴とかいろいろしたのかもしれませんが、自宅での看取りだったこともあり、そうした措置もなく。自分もこうやって死ねたらいいなと思ってしまうほどです。

 通夜と告別式が7月3日と4日にあり、明日から私の日常が戻ってきます。

 母が亡くなった時もそうだったんですが、血のつながった親だからか、亡くなっても「いなくなった」感じは全くしていません。遠くに今もいて、連絡したければいつでもできるような。元々、別々に住んでいて、電話とかもマメにしない父と娘だったので、今もどこかにいて見守ってくれているような気がしているのでさみしくないんだよな。

 娘は娘で自分の生を全うするから見ていてね。また何十年後かに会いましょ。

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2024.04.14

poem(134)

     この瞬間

 

晴れて気持ちの良い風がカーテンを揺らしている

お気に入りのリクライニングチェアーに腰をかけ

テーブルをはさんで向かい側にいる

大好きな人の横顔を眺めている

この瞬間がこのままずっと続けばいいのに

 

でもそうはいかない

デートの帰りに駅から家まで一緒に歩いたり

布団に入って寝るまでの間に手を繋いだり

それ以外にも一緒に暮らしたこの1年で

たくさん幸せな瞬間があって それはおそらく

この先も繰り返されるのだろう 何度でも

 

だからこのまま時を止めずに

あなたと歩き続けよう

また明日も

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2024.02.08

父が肺がんになった3

人は誰でもいつかは死ぬ、なんて分かりきったことなのに自分の親のことになると何だか実感がないというか、
「ではどうしたらいいのか?」
よく分からないというのが実感です。

私の父が肺がんだということが判明してから約2年。
ヘビースモーカーだったからさもありなん、別に驚きはなかったなぁ。
発見当時、父本人に全く自覚症状はなくて、抗がん剤治療初めてからも重篤な副作用はなく、1ヶ月に一度病院に行って抗がん剤の投与を受けて帰ってくるという日々が続いていましたが、今年になってがんの影が濃くなってきたから、今までの抗がん剤じゃなくて別の抗ガン剤を投与することになりました
そしたら発熱して食事も喉を通らなくなり、本人もかなりつらかったらしい。
主治医にその話をしたら、
「じゃ、抗がん剤、やめますか。積極的な治療はしないということでいいですか」
みたいなことを言われたとのこと。本人としては
「抗がん剤を打って苦しい思いをしながらでも延命するか」
「それとも何もしないでただ死を待つか」
なんて言われて「後者でいいです」なんて言いにくいみたい。
もし私が本人だったとしてもそうだな。
仮にもし「抗がん剤やめたら後何年」とか言われて、それでいいですなんて言いにくいわね。

ちなみに私の実母はとっくの昔に亡くなっていて、父はその後、10才年下の今の母と再婚しもう20年くらいになります。
その母、つまり私にとっての義理の母は
「肺炎になって急に亡くなることもあるから覚悟するように」
みたいなことを言われてショックを受けていました。

人間は誰でもいつかは死ぬわけで、80過ぎてがんになったらそろそろお迎えかねぇ?という感じは確かにするんだけど、かと言ってまだ普通に会話もできて実家にいけばいつでも会える父が、もうがん治療を一切やめて死を待つ…みたいな覚悟ってまだまだ私にはできていないのが正直なところ。

もし自分がいつ死ぬのか選択できるとしても、とりあえず95くらいまでは生きるんだろうなぁという気がしているので、たとえば今、がんになって、治療しますか?しませんか?って聞かれたら…うーん。まあ一応、緩和ケアだけでもしたいっていうかな。
別に抗がん剤を打たなくたって治療を全部やめるわけではないのだし。
ただ打たないことで、全身に転移して、苦しくなるのは困るんだよなぁ。まあでもそこは0か10かじゃないんだと思うのよね。
いろいろ調べてみたんだけど…結局のところ、楽にあの世にいくにはどうするといいのか、って話。
次に病院に付き添いで言ったら、緩和ケアについて聞いてみよう。

今回は父の話だけど、自分だっていつそうなるかわからない。
そうなったら一応、標準治療はするけど、それが終わったら緩和ケア受けながら死ぬまでをゆっくり生きるんだろう。
悔いがないようにね。
父には今のうちにやりたいこと、聞いておくかな。

(2024年2月8日追記)

今日、つくばエクスプレス線柏の葉キャンパス駅最寄りの国立がん研究センター東病院に父母と一緒にいってきました。主治医から話を聞いたら父や母から聞いていた話どおりのことと、予想外の話と両方ありました。

予想外の話1:父は元々喫煙者だったので、肺がそもそも相当悪いこと。

…いや、喫煙が体に悪いことは分かっていたけど、本人に自覚症状がないようなのでそんなに悪いと思ってなかったのよね。でも、主治医の話では肺がタバコでやられているので、強い抗がん剤を使うと副作用で肺がやられるらしい。そのせいで肺炎を引き起こせば肺がんではなくて、そっちが原因で死亡するリスクがあるんだそうだ

予想外の話2:転移がある

…父と母からは転移はないって聞いてたんだけどしっかり転移している。肺がんによくあるという脳転移こそないけど、肺に複数個所転移があるのもさることながら、骨や肝臓にも転移があるそうなのでそのせいで腰の痛みが出ているらしい。つまりは肺がんそのものというよりはもう体のどこに転移があっても驚いてはいけない。巷でいうステージⅣ状態だなぁ。

 ここまで進行しているんじゃ抗がん剤で肺ガンの進行をある程度防げたとしても、身体全体がすでに終局へのカウントダウンに入っているということ。

 今日の時点では積極的治療をやめるか、継続するかの答えは父本人が出していて、その後、副作用も収まって熱は下がってだいぶ元気になったので、今日は「抗がん剤投与を続けます」と言いに行ったんだけど、それはそれとして「いつ何があってもおかしくない」状態であることはよく分かったわ。医師は「今年の桜は見られる」みたいな話をしてたなぁ。いや、それはそうだけどさ。そんなにあと数ヶ月でガクッといくものなの? 医者の見立てってのもすごいわね。

 私の方はホントに覚悟を決める時のようです。
 まあ、父とはこれまでたくさん思い出を作ったから悔いはないんだけどね。

 おかげさまで、この年になってやっと彼氏もできて「私も一人じゃないから大丈夫」って言えそうだしな。

 

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2024.01.21

2000年の1度の

2024年は元旦に大地震が北陸、能登を襲いました。2000年に一度と言われるほどの大きな活断層のずれが原因と言われています。

能登半島の突端、輪島や珠洲などが大変な被害を受けています。住宅は倒壊し、地面は波うち、沿岸部は津波が遅い、大地が大きく隆起して地形が変わってしまったとか。

輪島では大規模な火災も発生し市街地の一部が焼け野原になり、道路が寸断されて山間部は多くの集落が孤立しました。

能登へ続く道路が通れなくなったため、支援物資や救援も間に合わず、多くの方々が倒壊した住宅の下敷きになって亡くなり、避難先等でも震災関連死が相次いでいるそうです。

今日で震災発生から三週間、多くの住民は安全な避難場所に避難し、被災の酷かった場所は水道等インフラの復旧に時間がかかることからしばらくは自宅を離れて生活をしなくてはなりません。

阪神・淡路、東日本大震災、熊本地震…地震以外にも西日本豪雨など…阪神淡路大震災から、今年の1月17日で29年目になったそうですが、ここ30年くらいは切れ目なく、大きな災害に見舞われているように感じます。

天災だけでなく、2001年の9.11のテロに始まり、新型コロナウィルスの流行もそうですし、ロシアとウクライナの戦争、ガザとイスラエルの戦争…どうなっちゃってるんだろう。

テレビでは政治家がパーティ券の収入を申告せず裏金化していた問題が連日報道されていてこれだって大きな問題なのにそれがかすんでしまうような。

昔…私が子供だった昭和の時代もこんなだったかなぁ。

昭和は25年まで日本はガッツリ戦争していたわけですし、その後の高度経済成長も戦後の中での激動の時代で、健康被害の出る公害も各地で起こり、環境汚染が大問題になったりもしましたから、終始穏やかな時代なんてないといえばないわけですけど…

それでも戦争が終結して、その後にロシアとアメリカの冷戦も終わり、ドイツの壁は壊れ、これからは平和で穏やかな時代が来るってみんな信じてたんじゃないかなぁ。

2023年に「どうする家康」というNHK大河ドラマがやっていたんですが、戦を嫌って平和な時代を希求した家康の願いに最後、現代日本がオーバーラップして終わりました。そんなふうに「今」は平和で穏やかな時代…というのが私達の共通認識だったはずなのに、いつの間にやら不穏に。

日本の世界に対する立ち位置もかなり落ちてきて、円安も酷いし、すでに先進国とは言えないんじゃないか的な雰囲気も漂っています。というか、ずっと以前から予想されていたことですが、少子高齢化が加速していて「終わりの始まり」というような感も否めない。

2024年の1年はどんな年になってしまうのでしょう。

個人レベルでは自分のささやかな幸せを守るために、老後のために貯蓄をし、食料や防災グッズを備蓄し、いつ来てもおかしくないと言われる南海トラフ地震などに備えるしかない感じです。

どうかこの1年、せめてもう災害の少ない年でありますように。

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2024.01.05

poem(133)

         新年に

あけましておめでとう

彼氏、彼女として付き合い始めてから1年と4ヶ月
一緒に暮らし始めてから9ヶ月
私がこっちへ引っ越してから2ヶ月
まだ二人を語るには短いけれど
来年もきっと二人でいるだろうな
もう引っ越しちゃったから簡単には出て行かないよ?
今年もたくさん思い出を作って
今年もたくさん一緒に笑おう
一人よりも二人でいると楽しい
君もそう思っていてくれるならよいな

いつもそばにいて
いつも話を聞いてくれて
手を伸ばすとそばにいて
いつだって私がここにいることを認めてくれる
君が大好きなんだ

今年もよろしくね

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2023.12.25

Ingressやってたらホントに彼氏ができちゃったYO!

 メリークリスマス♪ 皆様、よいクリスマスをお迎えでしょうか。

 2023年はBUBIの個人史にとって特筆すべき1年でした…

   Ingress始めると出会いがあって恋人ができる、という話をたまに聞きますが、都市伝説だと思っていませんか。私はそう思っていました。そんなの、どこかのリア充の話だとばかり。

 ところが「彼氏いない歴=年齢」の非モテで、もう一生一人なんだろうなぁと思っていた私に、なんと昨年、生涯初めて彼氏ができたのです。

 お相手はめっちゃつよつよのIngressエージェント。

 私は2015年からIngressをやっていて、確か仙台ペルセポリスのアノマリーのアフパでもIngressで出会ったカップルが紹介されていたのは知っていますが、自分にまさかそんなことが起こるとは微塵も思っていませんでした。

 

 彼とは活動地域が重なっており、私が初めてチーム参加したアノマリー、Aegis Nova東京では同じチームで参加しました。

「免疫って何それ? おいしいの?」

 というゆるふわエージェントの私はチームリーダーだった彼にいろいろお世話になりました。でも当時は単なる知り合いに過ぎずお互い顔もすっかり忘れていて、彼氏、彼女としてお付き合いを始めたのは昨年9月から。

 最初のデートからイン活デート。スキャナ片手に強力なレジスタンスに支配されている地元を焼き払って辺り一面を緑化してもらいました。それがもう嬉しくて♪

 彼はゆるふわな私と比較にならないほど活動地域も広く、INGRESSにかける時間も半端ない。

「ああ、こんな仲間が近くにいたら、毎日が緑でハッピーだな」

 というエージェントとしての本能(直感?)に従ってお付き合いをすることになりました。

 そして2022年12月が二人で迎える最初の横浜アノマリー。12月にもかかわらず晴天で暑く、戦いも熱かったな。その後、これからたくさん二人でアノマリーに参加することになるだろうと想像していたとおりの2023年になりました。

  まずは上田のエコー・アノマリー。

 6月とは思えないほど強い日差しが降り注ぐピーカンの1日でしたね。所属チームに割り当てられたエリアは上田から少し外れた場所で激戦でしたが終わってみれば緑の勝利でほっとしました。戦いの後に宿泊したのは温泉好きの彼が厳選した戸倉上山田温泉の有田屋旅館。エメラルドグリーンの素敵な温泉に浸かってきました。気持ちよかった♪ 翌日は二人でミッションディ。つよつよの彼はミッションにはあまり燃えないそうなので1列だけでさくっと。

  次が神戸のコントロール・アノマリー。

 9月は私の仕事の夏休みを利用して、二人でアノマリーの5日前から関西の知人を訪ねて高松、岡山、神戸を周りました。このときの宿は、阪神電気鉄道の香櫨園駅からすぐのラブホ。彼氏と二人でラブホなんてドッキドキでしたが特にラブホでするようなことは何もなく、ダブルベッドで爆睡していたのはここだけの話。神戸アノマリーも暑かったですね。守備範囲がエリアの端っこ、イオンのある中央市場前だったので、イオンで涼みながらの出動でした。アフパも二人で参加。このときも激戦でしたが結果はエンライテンド圧勝で最高!!

  今年の最後がタイのバンコク、ディスカバリ・アノマリー。

 このアノマリーは負けちゃいましたけど、私にとっては初海外アノマリーです。海外でIngressするのが個人的に夢だったので夢が叶いました。彼が一緒じゃなかったら行ってないなぁ。海外旅行はコロナ前から一人でツアー参加することばかりだったので、二人での旅行自体久々。タイ料理も堪能できて楽しかったです。

  Ingressって男女比だと女性は少ないですがちゃんといます。

 それも旅行好きで、パートナーがコンビニに行ってそのまま何時間も帰ってこなかったりしても理解がある、エージェントにとっては最高の相手。シングルかどうか、男性が恋愛対象かどうかは確認する必要はありますが、Ingressで恋人を作りたいなら早いもん勝ち。独身男性皆様は、これはという女性を見つけたら臆せずにトライしてみてください。

 女性の側からしても同じエージェントなら一緒に旅行にいけるし、旅行にいったら一緒に歩き回れるし、そもそも二人なら6ポも作れてマルチハックとヒートシンクとお茶マイナスでもプラスでも好きな方を入れて稼ぎ放題。Ingress的にもソロよりも楽しみが広がります。


 二人で行くアノマリーは、ソロ参加のアノマリーよりもめっちゃ楽しい。それがパートナーならより楽しい。

 付き合ってから1年と4ヶ月経ちましたが来年もまずは沖縄。

 これからの人生も彼と一緒にXMに導かれるままに歩みます。

 No Ingress, No Life.

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2023.12.21

poem(132)

「けっこん」
結婚しても しなくても
これからずっと君といることは決めてるんだ

結婚してもしなくても
これからも君が大好きで
君も私を大好きでいてくれるって
信じてるよ

結婚してもしなくても
私達は毎日いっぱい笑って
お互いを肯定し合い それで幸せを感じて
この人生で出会えることができて 残りの半分を一緒に生きていけて
よかったって思えるよね

だからさ
結婚してもしなくてもいいんだけど
ウェディングドレスで写真だけは
一緒に撮ってね

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2023.10.14

一人暮らしから二人暮らしへ

…長らくお待たせしました。

 今年の最初のブログの記事で、昨年、自分史的に大きな事件が勃発し、進行中なので、なかなか報告できないという話を書きましたが、ようやく一区切りというところまで来たように思いますのでご報告します。

 実は昨年、人生初彼氏ができました。

 いやぁ、もうずっと彼氏とかできたことがなく、一生一人で生きてくしかないと覚悟してたのに。

 というか、もういい年なので、この年齢になってまさかお付き合いする人ができるとは!! 自分でもびっくりです。

 彼は私よりも7つも年下です。それも我ながらびっくり。…ほんとに私でいいのかしら???

 付き合い始めた当初はその疑問でいっぱいでした。

 そもそも彼氏ができたことがないので異性とのお付き合い自体、こんなんでいいのか、よくないのか、よく分からないままに、この1年やってきた感じです。

 彼とはIngressというスマートフォンの位置情報を使ったゲームのプレイヤー同士で、Ingressの説明から始めると日が暮れてしまうのですが、要はゲームとは言っても現実の町の駅や公園などにスマフォを持っていって陣地取りをするゲームなので、人と人とのリアルな出会いもたくさんあるゲームなんですよ。以前、そのゲームの東京決戦があったときに、彼とは同じチームで参加していたので、そういう意味での知り合いではありました。それが縁でTwitter(今は「X」)でお互いをフォローし合っていたので、お互いのつぶやきに「いいね」し合ったりしていました。

 昨年、私と付き合い始める前は彼はコンカツをがんばっていました。

 私はTwitterでそれも知っていたので気軽に応援、みたいに思っていたのですが、いろいろTwitterでやりとりをする中で彼が私のことも「彼女候補」だと言ってくれるので

「ええ? こんなに年上とも知らないでまたまたそんなこと言っちゃって~(笑)」

 くらいのノリで最初のデートをしました。それから何回か二人で会う内に、彼に付き合って欲しいと言われまして…いやぁ、そこからがびっくりのスタートです。

 本当に私でいいのかしら…その確認もあって、今年の4月からは私の住まいも残したまま、彼の住まいで二人暮らしも初めてみました。付き合おうとなったのが昨年の9月の初め。一緒に暮らし始めてから半年。

 うん、どうやら私でいいみたいです(苦笑)

 一人で暮らすことと二人で暮らすことの何が違うのか、私は実際にやってみるまで本当に何も分かりませんでした。

 一般に男性って、結婚とかで女性のパートナーを求めるのは家事をやってもらいたいからなんじゃないですかねぇ?

 私はフルタイムで働いているので、夜は帰りが遅いので晩ごはんの支度はほとんどできません。一人暮らしでは掃除や洗濯も週末しかやってなかったし。

 というような話を彼にしたら、別に家事をしてもらうことを望んでいるわけじゃないと言っていました。

 じゃあなぜ、一緒にくらしたいの? ホントに疑問だったんですけどね…

 二人でいると一人でいるときよりも安心です。なんだかね、ほっとする。具体的に何がメリットってわけじゃないけど…

 暮らし始めて最初に思ったのは、お互いがお互いのために何かをして、それに相手から感謝されると自己肯定感がすごく上がります。

 それが心地よくてね。

 私と彼の二人暮らしはそうしてお互いにプラスのフィードバックをしあうことで、一人でいるときよりも幸せになれるみたいです。

 ということが分かって…11月からは私の住まいは引き払い、彼と本格的に二人暮らしを始める予定です。

 自分が実際にそういうことになるまでは、異性のパートナーができるということってマイナスしかないようなイメージをもっていました。

 でも実際は…二人でいるっていいわねぇ。

 私はずっと片思いしかしてこなかったので、両想いなんて奇跡だと思ってきました。今もそう思います。だから彼が私を好きでいてくれることが本当に嬉しくて、感謝しかない。

 私がこうしてプラスの思いを送り続けることで彼が幸せになってくれるなら私も幸せ。お互いが相手の幸せを願えば、どんどんそれってプラスに積み上がっていくんだよなぁ。こんな奇跡がどれだけ続くのか、分かりませんが、少なくとも1年は続きました。

 これからも彼と二人でずっと一緒に人生を送っていけたらいいな。

 引っ越しでココログも一区切りつけなくてはいけないかと思ったのですが、今日、@niftyに聞いたらココログは続けられそうですので、今後も…いや、更新がこんな具合でごくごくたまにって具合ですが、またご報告させていただきます。

 読んでくださった方、ありがとうございました。

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2023.05.09

poem(131)

「ネコの気持ち」 

ネコの気持ちは人間には分からない 

ネコも人間の気持ちは分からないだろう 

それでも私達、人間はネコが大好きで

ネコが気持ちよさそうに昼寝をしていると 

見ているだけでとても癒やされるし なでてあげたくなる(そしてうるさがれる)


だから 君が私をどう思っているか、なんて 

君にしか分からないことを 私が気にしたってしょうがない

ひざの上で丸くなるネコのように

隣で眠っている君を見ながら 

私はただ君を好きでいるだけで

きっといいんだ

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