2017.04.27

#東北でよかった

今村復興大臣辞任という事態はありましたが、ツイッターでは、「東北でよかった」、このフレーズの意味を逆転し「#東北でよかった」というハッシュタグで、東北のよいところをみんなが発信しているとのこと。

ということで私の「#東北でよかった」を思い返してみると、とてもツイッターでは文字数が足りないことに気がつきました。

以下、私の「#東北でよかった」。

三陸の海は本当に美しい。
宮古市の浄土ヶ浜を初めて訪れた時は、まさに「浄土」のようだと思いました。
山田湾も最高にきれいでした。

新花巻からSL銀河で釜石まで。電車を見送る地元の方がみんな手を振ってくれたのがうれしかったな。

奥入瀬の緑は本当にきれい。静かな十和田湖はヨーロッパの湖水地方のようです。
十和田市の現代美術館、面白かったな~ おすすめ。

以下、忘れられないものをランダムに…

強風の津軽、階段国道
下北、風間浦のマグロ、ウニ
弘前のリンゴ畑
酒田の花火
田沢湖も美しい
仙台は緑いっぱいで賑やかで大好き。

南北三陸鉄道ローカル線の旅
気仙沼からのBRT
大船渡の屋台村
陸前高田の一本松
気仙沼の海の市
南三陸の防災庁舎跡
石巻市の大川小学校跡
猫の島、田代島
登米の木造小学校
伊豆沼の蓮
秋保の緑水亭
日帰り温泉「一の坊」
弘前のレストラン山﨑、リンゴの冷製スープ
仙台七夕
大河原町の一目千本桜
蔵王のスキー
みちのく湖畔公園
定義の三角油揚げ
岩沼の千年希望の丘
松島の初日の出
閖上さいかい市場
南三陸町さんさん商店街のウニ丼
松島のかき小屋でのカキ食べ放題
宮古のとれたてのホヤ
山田町の牛乳瓶ウニ
大船渡黒船の秋刀魚だしラーメン
陸前高田の夢の樹バウム
大船渡のかもめのたまご
おかせいの女川丼
釜石の海まん
宮古のイカ王子
気仙沼のさんまくん
高政の笹かまぼこ
ひょうたん揚げ
ずんだシェイク
喜久水庵の生クリーム大福

・・・うーむ、いかん、キリがない・・・

東北はホント素晴らしい。おいでよ、東北。

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2017.04.24

好き過ぎる♪ 「正解するカド」

 知り合いの勧めで、この4月から「正解するカド」というアニメを見始めました。

 「正解するカド」? ヘンな名前…。
 というのが第一印象でしたが、第一話を見たら、めちゃくちゃ面白い。一言で言うと「リアル」。

 何がリアルかというと、今のこの日本にもし信じられないような「超常現象」が起こったとして、それに私達はどう対応するのか、というリアルさです。昨年、公開された映画「シンゴジラ」を見たことがある方なら、ああいう感じ、と思っていただければ。

 「超常現象」とは…
 ある日、突然、羽田空港の上空に未知の「何か」が現れます。

 「何か」としか言いようがないのですが、見た目は馬鹿でかい立方体の構造物。一片が2キロメートル以上あります。
 そういうものがいきなり上空に出現し、空から羽田空港の滑走路に降ってきて、たまたま滑走路にいた飛行機が一機、下敷きになってしまいます。

 一体これは何なのか?
 どこから現れたのか?
 それはともかく、下敷きになってしまった飛行機はどうなったのか? 乗客は全員死亡? という大きなニュースになりました。

 立方体は未知の物質でできていて、外部からのどんな干渉も受けません。
 壊すこともできないし、全く、何なんだ、これは?

 と、対応に苦慮しているところへ、いきなり、物体の上部が階段状になったかと思うと、一人の人間がそこから現れました。なんと、それは下敷きになった飛行機の乗客の一人。

 そして、その後からもう一人。
 その人物こそがヤハクィザシュニナ。この立方体の所有者(?)だったのです。

・・・というところが第一話なんですが、導入部がリアルなので、ヤハクィザシュニナの登場シーンに仰天しちゃうんですよね。

 え? 宇宙人? 何なの? 的な。

 いや普通、アニメでSFなら宇宙人や幽霊や未来人や地底人、どんなものが出てきたって驚きませんよ。
 設定が超リアルなため、つい現実を前提に物語に入ってしまうので、目の前に人でないもの、なのに人の形をしているものが登場した時点で、びっくりしちゃう。

 今、アニメは3話まできていますが、そのヤハクィザシュニナという人に見えるソレが何なのかは全く分かりません。もちろん馬鹿でかい立方体の正体も。

 でも、ちょっと分かってきたことはあります。
 どうやら立方体(この立方体が「カド」と呼ばれています)はノヴォと呼ばれる異世界からこの宇宙に出現したらしい。
 そして「ヤハクィザシュニナ」は、人類とのコミュニケート用に用意された「人型(ひとがた)」みたいです。
 でもこのコミュニケート用「人型」はよくできていて、カドに飲み込まれた飛行機に乗っていた人間が持っていたスマフォを調べることで、人類のコミュニケーションの方法や言葉を一瞬にして学習してしまいます。

 カドに飲み込まれた飛行機は、カドの中で無事で、乗客も全員生存していました。
 たまたま載っていた外務省の役人が「タフネゴシエーター」と呼ばれる交渉人のスペシャリストで、彼が、人類として最初にヤハクィザシュニナと接触しました。
 ヤハクィザシュニナも人類とのコミュニケートに彼を間に立てることが有効だと判断し、以降、人類とカドの交渉は彼が間に立って行われることとなります。

 真道(しんどう)という名のその交渉人は、かなり優秀でこれまでも様々な交渉を手がけていることから、ヤハクィザシュニナという得体の知れない存在にも臆することなく接しています。

 「臆することなく」
 普通、こういう場合って「冷静」に、というのが一般的な気がするんですが、真道さんという人は不思議な人です。冷静って感じでもないんですよね。
 未知の存在を目の前にして、クールではないんですよ。恐れもない。普通は怖いと思うんですが、どうも怖いとは思ってないみたい。勇気があるなぁ。
 相手が何をしようとしているのか。何を求めているのか。それに興味がある。というか相手の存在に自分も興味がある。
 ヤハクィザシュニナとのコミュニケートを本人も楽しんでいるように見えます。
 そして彼の言葉、彼の意図を人類に伝えることが、自分の役割であることに「燃えている」という感じ。

 カドが出現の際に飛行機を飲み込んでしまったのはたまたまで、真道さんがその飛行機の乗客だったのもたまたまなのですが、「カド」と「ヤハクィザシュニナ」にとっても、ファーストコンタクトがこういう人類だったのはまさに僥倖だったでしょう。普通はこうはいかないよなぁ。

 「カド」の出現の目的は不明で、ヤハクィザシュニナの話だと「人類を推進するため」らしいですが、何のために「人類を推進」させたいんですかねぇ?

 ヤハクィザシュニナはまずその証として「ワム」と呼ばれる、無限の電力を、彼らがやってきた「異方」からこの世界に供給するという物体を現出させます。

 もう一つ一つがパニック。
 ファーストコンタクトには「贈り物」は必須なのかもしれませんが、この贈り物はちょっととんでもなさ過ぎでは・・・

 というか、人類との接触にあたり、最初にワムの提供を申し出ろと言ったのは、誰なの? 真道さんなの? もうびっくり。

 真道さんとザシュニナ(略称で呼ぶのは信頼が深まった証らしい)は、どうも舞台裏でずいぶんいろんなことをコミュニケートしているみたい。ザシュニナの意図をかみくだいて分かりやすく伝えるのも真道さんの役割みたいですが、私はこの舞台裏に非常に興味があります。どうやってるんだろう? 

 つまり真道さんは人類ではあるけれど、ザシュニナの代理人なんです。
 ザシュニナの意図を汲み、彼の提案を人類に受け入れさせるように動いている。どこまで彼はカドとザシュニナのことを理解しているんだろう? 興味は尽きません。

 ザシュニナは謎ですねぇ。
 なんであの姿と格好なんだろう。
 カドもなんであの形なんだろう。
 あれだけ大きいものが出現したら、確かにオオゴトで政府が動くわけですが、そういうの分かってたのかしらん。全人類が相手ならたとえば地球の外から彗星のふりして現れてもよかったのに、なんで「カド」なの?

 ザシュニナはなぜあの姿形なの? もっと年配でもよかったんじゃ? 日本に出現するのに、なぜ日本人をシュミレートした人型じゃないんだろう。髪が白、目が赤なのはなんで? 女性型でもよかったのになぜ男性型なの? 裸じゃないほうがいいと言われてなんであの服なの? 上着は絵本の王様を参考に作ったみたいだけど…

 もうね、謎だらけ。
 そして知りたいことだらけ。
 
 そして・・・
 この作品もDVD化されるし、あとでまとめて見る人もいそうなんですが、リアルタイムで毎週放映されるアニメを見るというこの体験はまた格別です。まさに今しかできない。
 次の回まで、カドとヤハクィザシュニナの正体をあれこれ想像し、後の展開を予想する・・・楽しいなぁ。
 DVDでまとめて見るんじゃこの楽しみは体験できない。

 皆様、まだ間に合います。見逃した方はネットで動画が配信されていますので、3話まではそれで見て、残りは一緒にリアルタイムで見ましょう。
 これ、すっごく面白い♪

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2017.04.16

人間の限界~「ふわふわの泉」野尻抱介~

 「ふわふわの泉」という本を読みました。

 タイトルは、まんま、ふわふわしてますが、中身はけっこうハードなSFです。

 2001年に刊行された小説で、後書きにあるように9.11も3.11もなかった頃に書かれています。が、内容は今よりも未来。だって2017年現在、まだ人類は人以外の知的生命体とのファーストインパクトを済ませていないですから。

 小説の後半、人類は、未知の知性体と、先方が作り出したコミュニケーション用の模造体(シュミラクラ)を介していろいろな会話をします。

 彼らは肉体を持たない、情報化されたデータとして存在し、複製によって自己増殖できる存在です。
 …すごい設定だけど、なんとなくそういう存在って、今の時代だとイメージはできます。

 小説の中で、人類もまた宇宙に出ようとチャレンジしているんですが、未知の知性体は、有機体である人類には無理、と言い切ります。

 肉体にはいろいろ限界があって、これを宇宙に持っていくのは難しい。

 じゃあ、人間も「情報化」した存在になれば宇宙へいける?
 でもそれもその生命体(小説ではスターフォッグと呼ばれています。)は無理と言います。なぜかというと。

(引用開始)

 みなさんの自意識には中枢がありません。人間の自意識は、自己と周囲の環境とのかかわりを類推することで生まれる一種の錯覚です。

(引用終わり)

 他にもこんなふうに彼らは人類を評します。

(引用開始)

 みなさんのような有機体は適応的な存在であって、環境の一要素でしかありません。

 人間の視覚は太陽スペクトルの最も強い部分しか知覚できない。
 聴覚は空気がないと機能しない。
 生存できる温度条件がきわめて狭い。
 食料とは別に酸素呼吸を必要とする。
 脳は三次元空間しか理解できない。
 
 みなさんは食と性と他者の支配にほとんどの関心を向けています。すべての欲求は遺伝子をより広く継承させるためにデザインされていますが、それは個体の意志とは無関係に発生したシステムであって、遺伝子の継承自体にはなんの価値もありません、この段階の生命が獲得する知性に、おのずから限界があることはおわかりでしょう。

(引用おわり)

 うーむ。うすうす分かっていたけどそこまではっきり言われるとは(苦笑)。

 人も一応「知性体」ではあるんでしょうけど、まだまだ、地球環境に縛られていて、生命としての限界を超えることはできない。

 まあそれが「人」って生き物ではあるんですが・・・

 こうして少しだけ、宇宙や意識や次元というものを認識できるようになってきただけでもすごいのかな。

 作者の野尻抱介さんは後書きでこう書いています。

(引用開始)

 人類は太陽が黄色矮星のままでいる限り、滅亡することはなさそうだ。
 苦悩に満ちた現代は過渡期にすぎない。
 持続可能な社会の構築を心がけ、テクノロジーの発展をやめない限り、いずれ全人類は不老不死になり、永遠に遊んで暮らせるようになる。
 そのことを悟ったとき、人はどんな反応を見せるだろう?

 本書の終わりでなぜ三人が笑い転げているのか、おわかりだろうか?

(引用終わり)

 うん。
 そう思いたい。
 
 トランプさんがかなりぶっとんでて、北朝鮮がますます危険で、シリアで化学兵器が使われ、日本では原発が津波でぶち壊れ、出生率が低下して2050年に人口が半減するとしても・・・

 「持続可能な社会の構築を心がけ、テクノロジーの発展をやめない限り」

 我々は地球に存在し続け、宇宙に出る「いつか」に向けて歩みを止めないだろうと。

 子供の頃、手塚治虫の「火の鳥」や萩尾望都の「ポーの一族」などを読んで、不死の存在に憧れていました。
 こういう小説を読むと今も思っちゃうな。

 ずっとずっと生きて、人類の行く末を見届けたい。
 価値観や考え方は、どんどん変わっていって今とは全く違う世界になっているのだろうけど・・・

 肉体には限界があるとして、人の意識が情報化して肉体のくびきを離れ、永遠を手に入れるまで、直観的にはあともうちょっとの気がするのよね。

 どうも私の寿命的には、「私」が消滅するまでには間に合いそうにないのがとても残念だけど、ブログのこのデータはもしかすると残るかも!?
 それが私の今の一番の夢なんですよ^^

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2017.04.11

ステーキは座って食べたいという話

つい先日のこと。
町で店舗を見かけても行列してたりして、なかなか入れなかった「いきなりステーキ」を、初めて体験しました。
おいしかったし安かった。あのボリュームであの値段。すごいなぁ。

でも、うーん、やっぱりステーキは座って食べたいと、つくづく思いました。
立ち食いそばは抵抗ないのに、ステーキの立ち食いってかなり抵抗がありました。
せっかくのおいしいお肉ものどを通らない感じ。(と言いつつしっかり食べたけど)

一般に、ご家庭できちんと躾けられたお坊ちゃん、お嬢さんは、歩きながらクレープ等を食べたり、駅の自動販売機で飲み物を買って立って飲んだりすることに抵抗があると聞きます。
私はそんなにいい家で育ったわけでもないので、食卓以外の場所で何かを食べたり飲んだりすることに全く抵抗はありません。

そんな私でも、なんとなく立った姿勢でナイフとフォークで肉を切るのはちょっと嫌だった。
我ながら不思議です。どうしてそう感じるんだろう。

子供のころのことを思い返してみました。

小学校高学年の頃に、近所に不二家レストランができました。
そこで、初めて「ハンバーグステーキ」をナイフとフォークで食べる経験をしました。フォークの背にご飯をのっけて食べる(これ、ホントは正しいマナーじゃないらしいですね)のもそのときに教わったっけな。

なので、おそらく鉄板に乗っていてナイフとフォークで食べるものは、私の中では「ごちそう」なんだと思います。ごちそうは明らかに「天ぷらそば」とは違う。座ってゆっくり食べたい。

つまり、立ってステーキを食べることに抵抗があるのは、親の「躾け」ではなく、単純に食習慣のせいみたいです。
これをお読みの皆さんは、立ち食いってどのラインまでOKでしょうか。

いきなりステーキのお肉、おいしかったんですけどね・・・多分、私はもう行かないなぁ。

お肉を食べたかったら、実は肉屋で肉買って、自分の家のキッチンで焼いて、自宅でゆっくりいただくのが一番安上がりでおいしいのです。。

あー書いてたらお肉食べたくなってきたー♪

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2017.04.02

経験は時に判断を誤らせる

平成29年3月27日に栃木県那須町の那須温泉ファミリースキー場で高校生ら10人以上が雪崩に巻きこまれ8人が死亡するという事故が起きました。

高校生達は、25日から2泊3日の日程で、栃木県内の7つの高校から山岳部の生徒ら51人と引率の教師11人、あわせて62人で、春山安全登山講習会に参加していたとのこと。

スポーツ庁は昨年11月、高校生の冬山登山を原則禁止とする通知を各都道府県に出していたそうですが、この講習会は50年以上続いている恒例の研修だったようで、講習会としては「春山」なので、この通知の対象ではないという認識だったみたいです。

事故の起こった当日は天候が悪く、本当は登山の研修だったのを変更し、スキー場での「ラッセル訓練」という雪をかきわけて進む訓練にしたのだとか。

訓練だからだと思いますが、スキー場自体は今季の営業は終了しており、営業中であれば実施する雪崩防止の措置も取っていなかったのこと。
おまけに、事故の現場はスキー場の敷地外であったことも判明しました。

事故が起こってから検証すれば、当日は雪崩が起きやすい条件が揃っていたことや、死亡した8人が位置情報を知らせるビーコンをつけていなかったことなど、どんどん「このときこうしていれば」という情報がでてくるんですけど、多分・・・

・普通、研修でビーコンをつけることはない
・春山だし、スキー場だったから、安全に問題はないと思った
・そもそも過去、こんな事故は起こったことがない

うーーーーーーん。
起こってしまってから「なんでそんな危険な状況で訓練をしたんだ」と言うのは簡単ですけど、もし自分が当事者だったら、どうしただろうと考えてしまいます。
思うのは、「経験が判断を誤らせる」ということ。
東北大震災の津波だってそうですよね。まさか、そんな高さの津波が来るとは誰も思ってなかった。
過去の前例なんて全く参考にならず、逆にそれに捕らわれてしまうことで最悪の事態を招く。

もう一つ、この3月には「てるみくらぶ」という旅行会社が突然倒産し、その旅行会社のパックで海外に行っていた旅行者が旅行の途中で、宿も予約が取れていない、帰りの飛行機もないという事態に巻き込まれたという話がありました。

「てるみくらぶ」も倒産してから振り返れば、かなり前から粉飾決算だったなど危ない情報がいくらでも出てくるんですが、日本旅行業協会正会員企業であり、実績もそれなりにあり、それでいて安いということで人気の旅行会社だったようです。私は使ったことなかったんですけど。

私は旅行だと「クラブツーリズム」をよく使っていますが、クラブツーリズムが大丈夫かとはあまり考えたことがありません。「てるみくらぶ」のように安くはないですが、ネットで簡単に予約できるのが便利なので使っちゃう。
どんなものでもリスクって常にあるんですけど、普段はあまり気にしていない。それが通常の感覚だったりします。

難しいな…
どれだけ注意を払ってもリスクは0になることはない。
経験則から「まあ大丈夫だろう」と思ってしまうことも多いですが、雪崩事故のような最悪の事態、自分だけでなく周りの多くの人の命に関わるようなことになってしまったら取り返しが付かないので、「経験則」に頼る時もいつもそのリスクを考えていないといけないのかも。

そういう注意喚起の意味でも、もっとこの二つのニュース、報道して欲しいのだけどな。渡部謙の不倫報道なんかよりもね。

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2017.03.28

「ひとり」の自分に10の質問

Q1 なぜ一人暮らしなんですか。

A1 親元を離れて一人暮らしを始めたのは27才の時。
  それ以来ずっと一人暮らし。それで困ったことないし、大人だし、働いているし、一人暮らしが「当たり前」って感じです。


Q2 一人でさみしくないですか。

A2 うん。むしろ一人が快適。一人の部屋に帰るとほっとします。


Q2 一人で困ったことってホントにないの?

A2 高いところのものが取れないのがちょっと困る。キッチンに作り付けの食器棚があるんですが、一番上は何も置けない~。


Q3 一人暮らしを始めてよかったことは?

A3 親と暮らしていた時と違い、自分の人生はそこから始まった気がします。何でも自分で決めなくていけない。その代わりなんでも自分の自由にできる。まさに「自分の人生」を手に入れた感じ。
 そんなに束縛が強い親でもなかったんだけど、親と暮らしていた頃は自分の人生を自分で主体的に生きていなかった感じがします。親がそうあれと望むように生きていたんだろうな。自分でそうとは気づかずに自分で選んだのではなく誰かが望んだように生きている人って案外多いのかもしれないけれど。


Q4 結婚しようと思ったことはありますか。

A4 「結婚」とはちょっと違うけど、この人となら一緒に暮らしたい、人生を共に歩みたいと思ったことはありますよ。残念ながら相手にふられちゃいましたが^^


Q5 もう結婚しないの?

A5 うん、しないなぁ~。だってもう子供を産める年齢も過ぎたし、この間、気がついちゃったのよね。私は「一人がいい」ことに。誰かがそばにいると安心できない。人に頼るのも頼られるのも好きじゃない。ほっとかれるのが一番楽。子供の頃から「誰もいない一人きりの場所」にずっと行きたかった。だから今は理想の生活なのです。


Q6 もし「結婚しよう」という人が現れたらどうする?

A6 本気で言われたら「ごめんなさい」します。


Q7 もっと年をとったら一人は困るんじゃない?

A7 目や耳がきかなくなって、頭も働かなくなって、体も思うように動かなくなる時がいつかは来るんだろうけど、そうなってもまともに人生を終えることができるように、とりあえず今は貯金をしっかりしています。公共サービスとかもできるだけ使いながら、可能な限り一人暮らしを続けていきたい。
 将来的には、独身の友達同士で隣同士で暮らしたりしたいなーと考えています。けっこう多いのよね、独身の友人。


Q8 ぶっちゃけ、何のために生きているの?

A8 あ~、それ、よく考える。でもね、命って別に何のためじゃなくても生きていていいんだと思う。というか「生かされている」んだと思う。何か、役目があるのかもね。ここにいるだけで。なんとなくそう信じています。


Q9 何が楽しくて生きているの?

A9 一人で一番いいと思うのは自分がやりたいと思ったことはなんでも出来ること。旅行が好きでね。見たことのないところ、行ったことのないところに行って、いろんなものを見たり、体験したりするのが楽しいよ。一人ならいつだってどこへだって行けるもの。


Q10 最後の質問です。でもホントは恋人ほしいよね?

A10 うん!(笑)
 お互いに一緒にいても苦じゃなくて、一緒にいるときが一番リラックスできて、全然気を遣わない、そんな相手がいたらな~。相手にとっても私が、私にとっても相手がいると、一人でいるときよりも癒やされて、断然、二人でいた方が幸せで。
 どこかにいないかなーーーーーーーー♪
 ま、ぜいたくだよね。分かってますとも♪

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2017.03.18

poem(116)

「3月」

長く生きるとその分だけ
思い出は増える

病床の母に枕元で歌を歌ったのが3月
卒業で初めて花束をもらったのが3月
親切だった同僚と異動で別れた3月
3月は「さようなら」の月だ

誰もが何かに区切りを付け
ここから旅立ってゆく

それなら今年は私も
あれもこれもにさようならしてしまおうか
全てを終わりにしてしまいたいと
今まで何度も考えたことはあるけれど

でもその絶望から
私達は必ず再生する

春の風に肩を押され
古い思い出に別れを告げ
再び歩き出す
3月

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「空港日誌」

 今年は、鳥取砂丘に例年にない大きな水たまりができているとのこと。
 それを見に20日に、羽田から鳥取まで飛行機でいくことにしたのですが、国内を移動する飛行機に乗る時にいつも中島みゆきの「空港日誌」という歌を思い出します。

 歌詞はこちら

 薬師丸ひろ子も歌っているらしいですが、そのバージョンは聞いたことありません。

 歌の舞台となっている空港は鳥取ではなく広島空港。

 広島空港で、恋人の男性がやってくるのを待つ女性。
 でも風が強くて、飛行機は広島空港には降りないようで。

 待っても待ち人は空港にはやってきません。

 でも、そもそも…
 どうやらその男性はその便に乗っていないようです。
「今夜の乗客は9人 乳飲み子が1人 女性が2人、あとは常連客 尋ねられた名前はありません」

 かつてその女性と男性は恋仲でしたがどうも不倫だったようです。
 想像で行間を埋めるとすると、彼は東京で勤務していたけど、何らかの理由で地方にとばされてしまう。
 私はそれが広島だったんじゃないかと想像しています。
 おそらく単身赴任だったのでしょう。そこで女性と出会う。いわゆる現地妻ですな。

「あの日にあなたが博多にいたという愛のアリバイを壊してあげたい
 写真ひとつでしあわせはたじろぐ」

 今は東京に戻った彼は、たまに出張で地方へ行くこともあるのでしょう。
 博多には支社があるのかな。
「出張で博多へ行く」と嘘をついて、実は広島の彼女に会いに来ることがあったのかも。

 女性は今日も空港で彼を待ちます。
 彼にとっては報われない地方勤務の日々だったかもしれないけれど、彼女にとっては愛した人との思い出の日々。

 東京には彼の妻や子供もいるんだろうな。
 地方勤務が終わり、東京に戻れば彼は戻ってはこない。
 そんなこと百もわかりきってるけど、でも、もしかしたらこの飛行機に彼が乗ってはいないか。
 
 切ない祈りとともに女性は今日もかつて彼がやってきた飛行機に合わせて空港へ。
 でも乗務員に尋ねても彼の名前は乗客名簿にはない。

 そう「羽田へ向かう道にさえ乗っていない」。
 女性がどんなに願ってももう彼は来ない。

 分かってる。もう彼との日々が戻ってこないことは。
 でもあきらめきれない。苦しい。だから…
「冷たい声で事実を告げて」

…いやぁ、切ない歌だなぁ…
 私はなんでこの歌が好きなのかしら。

 中島みゆきの歌ですが、曲調はどちらかというと明るめ。ゆったりしたバラードです。
 飛行機で空をゆくイメージにぴったりです。

 なんというか…どんなに望んでも叶わない夢、というのはやっぱりあって。
「分かってるんだけどね」
 と言いながらも…そうねぇ、あきらめきれないというのは違うかな。もう叶わないんだけど捨てられない。
 2人が恋人だった頃の思い出、愛された時の幸せ。
 そりゃ忘れられないよね。

 またあのゲートをくぐり出てくる彼の姿が見えないかと、もしかしたら乗客名簿に彼の名前がないかと、ついつい思ってしまう。

 私自身は不倫もそもそもそんな恋愛も経験したことないのですが、もし、この歌の女性に自分がかぶるんだとしたら、
「叶わないと分かっていても捨てられない『夢』とともに明日も生きていく」
というところかな。
 何が自分の夢だったかすらもう忘れそうですが、飛行機に乗って遠くへ行く瞬間に、ふと、その『夢』に触れたような気がします。
 なんでだろうな。何か、前世の記憶かしら(笑)。

 何を望んでこの世界に生まれてきたのか、どうも私はすっかり忘れてしまったようで、きっと死ぬまで思い出すことはないのかもしれないんですけど、もしかしたらその夢は私の場合、空港にあるのかもしれません。
 初めて見る砂丘も楽しみですが、飛行機も楽しみです。

 以降は余談。
 上記のようにきれいにまとめつつ、実は中島みゆきの「空港日誌」はそういうロマンティックな歌ではないような気もしています。

 女性は、男性が博多にいると嘘をついて広島にいたときの写真を、実際に東京の彼の家へ送りつけたんでしょう。
 きっと写真は他にもあって、それは彼が広島で妻以外の女性と不倫をしていたという証拠写真となります。
 なので、女性は男性にこう伝える。
「このままフェードアウトして関係解消を狙ってるなら、そんな都合のいいことにはさせないわ。もう広島にあなたが来ないなら、この写真を家だけじゃなく、会社にも送りつけてあげる。不倫がばれたらあなた、どうなるのかしらね。また地方勤務に戻りたい? 私はそれでもいいけどね(嗤)」

 でもそんな脅しをしても男性はもう来ないんだよなぁ~
 やっぱり切ないわね。片思いって。

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2017.02.23

poem(115)

『2月』

1年の12の月の中で
2月は一番短い
28日か年によっては29日
それだけしかないから実際に短いんだけど
それ以上に心理的にも
なぜだかすぐ終わってしまう

不思議に長く感じる1月が終わると
あっという間に過ぎ去る2月

年度末まで
三学期が終わって次の学年に進級するまで
気がつくとあとひと月しかない

人によっては
卒業があり
人事異動や転勤があり
退職がある
慣れ親しんだ生活との
仲の良かった友人との
別れの3月が近づく

もっとやっておきたかったことはなかったか
もっと親しくなりたかったんじゃないのか
このまま別れてしまっていいのか

おかしいね
永遠の別れは誰にでも
いつやってくるか分からないのに
なぜ私達は明日も
同じような毎日を過ごすはずと
根拠もなく信じているのか

その油断を咎めるかのように
この2月も
焦る私を置き去りに
足早に過ぎてゆく

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2017.02.22

男性限定のメリットを考えてみた

霞ヶ関カンツリー倶楽部というゴルフ場は、女性は正会員になれないという決まりがあるそうです。
私はゴルフをしないので全く関係ない話だけれど、ニュースを見て不思議には思いました。

なんでそんな決まりがあるんだろう?
単に昔からそうだったということみたいですが・・・ちょっと考えてみました。

「男性限定」にすることってどんなメリットがあるのだろう。

女性と男性が同じ場所に混在すると、男性だけ、もしくは女性だけ、という場合よりもお互い気を遣うというのは確かにあります。

私は高校は女子校だったのですが、とても楽でした。
中学は共学でしたが、共学だと周りの関心が「○○ちゃんは△△くんが好き」とかそんな話ばっかりなんですよ。
私は当時、全くそういう色気のある話題に興味がなかったので、周囲についていけず、高校は女子校にしました。

女子校はよかったなぁ。
女子ってのは男子がいると何でも男子にやらせたがります。
群れのリーダーは常に男子。女子は一歩下がって、モブキャラに徹する。

でも女子しかいなければなんでも自分で決めなくちゃいけません。
面倒事も自分が引き受けなければ。
クラスのトップも女子ならばビリも女子。
その他大勢でいることが許されないというか、女子でも自分の主張をしっかりしなければいけない。
授業で指されるのも女子だしね。

男女共学の場では「汚れ役」は男子という暗黙の了解事項があったような気がします。
クラスの最下層も男子ならトップも男子。女子は真ん中くらいに固まってた感じ。

それまで私は男性がいる場ではなるべく気配を消していましたが、女子校だとそうもいかなくなりました。
それが嫌なんじゃなくて、なんかほっとした感じ。言いたいことを言えるし、自分の主張もできる。

大学はまた共学だったので、男性に全ておまかせできる世界に戻りそれはそれで楽ではありましたが、女子校時代はよい経験になりました。

今でも思います。
「女性だけ」or「男性だけ」と「男女混合」ではあきらかに何かが違う。

女性がいるとできない話題、男性がいるとできない話題、それぞれ実際にありますし。

通勤電車の女性専用はお互いにとってメリットですよ。
男性は痴漢に間違われずに済むし、女性は男性とぴったりくっつかずに済む。

ゴルフの場合、男性だけだとどういうメリットがあるのかはゴルフをしたことがないので分かりませんが、たとえば美人のキャディさんを同伴させて男メンバーだけでコースをまわったら気持ちいいだろうな、と私は女性ですが、思います。

そこにもし女性がプレイヤーがいて、そういう殿様気分を味わってるところを見られたらちょっと後ろめたいですけど、女性がいないのが分かってれば気楽ですよねぇ。

男性は女性に気を遣うし、気を遣わなかったら気遣いがないって言われそうだし、そりゃ窮屈です。
「男だけ」の場所もあってもいいじゃないか。ちょっと霞ヶ関CCのメンバーの気持ち、分かる気がする。

「女性限定」の旅行ツアーに私は参加したことありますが、とても楽しかったです。
食事がちょっとおしゃれなんですよ。量はないけど、その代わりにデザートがついていたりして。
旅行会社としても、男性と女性では喜ぶポイントが違うからそれぞれ限定にすると企画しやすいんじゃないかと思いました。

ふむ…差別じゃないな、これは。
単に、ここのゴルフ倶楽部は「男性が女性に気兼ねなくプレーできる」ことを一つの売りにしているだけで。
そういうサービスもあり、なんじゃないかなー。

以前、泊まったビジネスホテルのことも思い出しました。
そのビジネスホテルは大浴場があったんですが、男性限定でした。
男性の泊まり客が多かったから必然的にそうなってるだけで、私も女性用の大浴場もあるとよかったのに、とは思いましたが、女性の泊まり客はめったにいないそうなので、そのためだけに女風呂は作れないんだからしょうがない。

これも差別ではありません。
霞ヶ関CCの決まりはどちらかというこれに近いような気がしました。
そもそも正会員になれないのと、日曜は男性のみってだけで、女性が全くプレーできないわけじゃないのだし。

「男性限定」
「女性限定」
そして
「男女混合」
それぞれにメリットはある。いろんなサービス、いろんな楽しみ方があっていいと思うんだけどな。それを「差別」と言ってしまうのってどうなんだろう。

女性だけ、男性だけは気楽だけど、それを体験し、また異性のいる場に戻ってくると、改めて良さを実感したりも…しないかな。いかがでしょうか。

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