2019.01.17

おウチカーブス

 年を取ると筋肉が減って、体の節々が調子が悪くなってくるそうです・・・

 本格的な年寄りはまだ先のはずの私でも、今でさえ腰痛や椎間板ヘルニア、そして階段を上り下りするときには膝の痛みが気になっており、とにかく健康でないと年をとったら大変です。

 動けなくなったら一人で暮らせなくなっちゃう^^;

 ということで、今の内から運動習慣を身に着けておかないと動けなくなるのは必須なので、運動不足は常に気にしているんですが、最近、友人が「カーブス」というのを始めたと聞きました。

 1回30分で終わる運動プログラムを週2回ほどやるスポーツジムのようで、1回30分ならいいかなぁとちょっと興味が湧きました。

 …
 …
 しかし、これ、ネットの口コミを見ると、非常に評判悪いですねぇ。

 そもそも、平日の19時までしかやってないので、18時まで仕事な私は仕事で遅くなったらまず行かれません。
 
 それと、何やらプロテインを売りつけられるらしい。
 それに、いっしょに参加している方といろいろおしゃべりしたり、目標を発表したりするらしい。

 だめだ、ただでさえ人見知りのコミュ障だから知らない人となるべく話したくない。スポーツクラブで友達を作るなんて絶対したくない。
 今までもスポーツジムにゲストでたまにいくことがありましたが、スポーツクラブは一人で黙々とエアロバイクこいだり、プールで歩いたりするところだと私は思っています。
 
 一人で自分の体と向き合うところ。

 だから一人が好きな私には憩いの場所なのです。
 なのに、何が悲しくて、スポーツクラブでコミュニケーションまでとらなくてはならないのか。

 それに、私、そういうところでプロテインを売りつけられたら、買っちゃいそうなんだよなぁ。
 断り切れない。
 絵のキャッチセールに遭ったことはありますが、それは買わなかったので、買わないこと自体はできるかもしれませんが、そうすると、どうもカーブスの場合、買う人と買わない人へのスタッフの接し方が変わるようです。

 げー、やだ。

 いろいろ実態を知るにつけ、コミュ障で一人が好きな割に、空気を読まず我が道を行くことのプレッシャーにも耐えきれないヘタレの私は、カーブスには近寄らない方がいいという結論に達しました。

 しかし、いろいろ調べていて、カーブスがどういうプログラムなのかは分かりました。
 家でスクワットとかしてたら、子供が寄ってきちゃったりするお母さんは、家ではトレーニングできませんが、私は一人暮らしなんだから、これ、家でできるんじゃないかな。

 ということで、さっそくカーブスもどきプログラムを、ネット情報から拾って、家でやってみることにしました。

 踏み台昇降 30秒
 ↓
 腹筋     30秒
 ↓
 踏み台昇降 30秒
 ↓
 腕立て伏せ 30秒 
 ↓
 踏み台昇降 30秒
 ↓
 ダンベル   30秒
 ↓
 踏み台昇降 30秒
 ↓
 スクワット  30秒

 これを1セットとし、1回に4セットやります。1セットが4分だから、4セットで16分。あとストレッチな感じかな。

 踏み台昇降用の台は、以前に買ってますので、すでにあります。
 ダンベルはないけど、2リットルペットボトルを両手に1本ずつもって、上げ下ろし。

 腕立てはできないので、膝ついてやります。
 スクワットもキツイので、つかまりスクワット。

 負荷はだいぶ軽減されてしまいますが、最初はここからでしょう。慣れてきたら負荷は上げていけばいい。

 以前から踏み台昇降は保健士さんから勧められていたんですが、これだけだと退屈なんですよねー。
 でも、上の30秒で筋トレと繰り返すのだと、飽きる前に次の動作が入るので、面白いな。

 けっこう16分間は忙しく体を動かします。
 でも、筋トレの間に踏み台昇降を挟むからか、体はラクだし、これ、いいかも~♪

 これを週2やるといいようです。
 毎日やるとそりゃいいんでしょうが、とりあえずはカーブスへ行ったつもりになって週2を目標にやってみたいと思います。
 楽しかったので続くかも。

 一人でできるし、何よりタダだし、着替えも必要ないし、なんだ、簡単だわ。
 ということでブログにつけてみました。

 さて、三日坊主になりませんように。

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2019.01.14

メディケアダイエット(その10)

 土曜日はメディケアダイエットのカウンセリングでした。

 正月明けで、体重は元のもくあみ。2キロくらい増えてしまいました^^;

 結局リバウンドか…なんて落ち込んでいましたが、カウンセリングでは、改めて食事内容をチェック。ここんとこ、甘いものが止まらなかったんですが、

 ・パンや麺ではなく、主食はごはんにする
 ・野菜を食べる

 ということで、再チャレンジ。
 土曜日、日曜日、そして今日、月曜日は鍋にして野菜をたくさんとっています。

 鍋食べて、ごはんも食べると、甘いもの食べなくても大丈夫だなぁ。

 食べたくなったら、ミカンやバナナを食べるようにしました。

 これでまた頑張ってみるか。
 
 パンが好きでたまにとても食べたくなるのですが、小麦はダメなんだそうです。なるべく全粒粉パンにしたりしてがんばってたのになぁ。

 てか、食べちゃいけないものないんじゃなかったっけ、メディケアダイエットって。
 結局食事制限だし、パンは禁止だし、体重の10%減なんて達成できそうにないし、お金かけたかいがない(-_-;)

 でも、一応、卒業は3月でカウンセリングは、あと2月と3月、残っています。

 とりあえず来月、今より3キロぐらい減ってたらいいんだけど。
 

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2019.01.11

「論理国語」とは

本日も東洋経済の記事より。

「作文下手な日本人」が生まれる歴史的な必然
なぜ、日本人は論理的な文章を書けないのか

少し調べてみると、高校の国語が、2022年度の学習指導要領から「論理国語」、「文学国語」、「国語表現」、「古典探求」の四つになるようです。
今まではどうだったかというと国語表現、現代文A、現代文B、古典A、古典B。
うん、私の頃も確かそうでした。
今から考えると「A」だの「B」だのって何じゃいな、と思いますねぇ。

ざっくりいうと、新しく登場する論理国語は「論理的な文章の書き方」を学ばせるものであるようです。
古文を読んだり、夏目漱石の「こころ」を読んでKの気持ちを議論したりするのではなく、契約書の作成方法とかグラフを読み取り方を学ぶ。
社会に出たとき、より役に立つ「実学」を勉強するわけですね。
それに対し文学者からは「日本人なら誰もが読んできた文学作品が国語教育から消える」という声が上がっているとのニュースもありました。

確かに「学校で学ぶ勉強って社会に出たときに役に立たない」ことが多いのですが、私は「勉強」ってそういうものだと思っていたので、だからどうするべきと考えたことはありません。

ただ、古典や現代文学が大事と言われても、それもあまりピンとこない。
「こころ」を読まなくたって生きていけますし、その時間にもっとやるべきことがあるならやった方がいいとも思います。

振り返ると、私自身は、小さな頃から国語は得意科目で、作文も大変得意でした。文章を書くのは当時から大好き。
それが論理的な文章か、と言われると、このブログの文章を自分で読み返すと、なるべく読んでいる人に伝わりやすいように書いてはいるつもりですが、論理の飛躍があったり、違う論点にすり替わったりしているときもありまして、あまり自信はないというのが正直なところです。

ただ、書くのを苦痛に思ったことはなく、自分の思ったことを文章に書き起こすことに困ったことはありません。
ブログも、仕事もね。

「話し方」はやや難があります。うまく説明ができないことが多い。
昨日も、上司への説明の際に
「で、一体何が言いたいの?」
というしどろもどろ状態に。文章で書くならあまりそうはならないんだけどな。

という自分の実態を考えると「話し方」は学校で教えてくれてたらなぁと思うことはあります。
3分間スピーチとか、もっと学校でやればいいんだよな。
内容は何でもいい。それが正しいとか間違ってるとかじゃなくて、事実について3分間で適切に話す訓練とかした方がいい。
たとえば昨日、テレビで見たドラマ、とか大好きなマンガや音楽やゲームについて語らせるのでもいいと思います。
そういうのって学校でやらなかったなぁ。私の頃は。

私は文学者ではないので、近代文学も古典も、やる必要があるかと言われると「ない」というのが私の意見です。
読解力が必要なら、小さい頃から読書を好きにさせて、習慣づけるようにすれば自然と身に付きます。
別にその本が「怪獣大事典」でも「日本妖怪総覧」でもいいでしょ。
読むこと、読んでその内容を理解することが大事。
私なんか小学校中学年から高学年まで図書館で星新一ばかり借りて読んでいました。

夏目漱石じゃなくて星新一で十分でしょう。
文章で書かれたものを読んで、それを理解し、楽しむことができればね。
どんな文学作品だって、どう読むかは読者の自由なのだから、読んで何をどう考えるか教育の範疇ではない。
読書を親しむことを習慣づけるところまでが国語教育ではないかしら。

一方、話し方は、読書ほど私自身には自然には身につかなかったので、学校でやってほしかったな。
社会人をもう30年弱やってきて今更ですけど。

物の考え方、読解力、そしてその表現。
国語って大事です。
「論理国語」か。
可能なら今から私もやりたいかも。

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2019.01.03

お正月に「家族」について考えてみた

 一人でどんなに気楽でぜいたくな生活をしたとしても「家族」がいる喜びの方が素晴らしい…

 読書メーターのサイトを眺めていたらそんなショートショートが掲載されていたので読んでいました。

 それから、ツイッターでは

「男が老いて独り身なのはかなり惨め。でも女が老いて独り身なのは毎日がサバイバルだ。危機感持てよ。」

 というつぶやきを目にしまして、ちょっと落ち込む(苦笑)。

 まあ、女とか男とか独身とか既婚とかで、一括りにできないことは重々分かってはいるのですが、こういう意見ってたまに目にするとやっぱり気になるのよねぇ。

 以前から、私個人は一人であまり困ったことはなくて、結婚も30代以降、早々に見切りをつけ、代わりに一人で生きていくための備えをしてきたわけで。

 後悔しないためにどれだけ準備をしてきたか。
 「危機感持て」なんて今更言われなくても、相当危機感、感じてやってきました。

 そのせいか、世間一般の声をよく聞いてみると、私はどうも「結婚できないままきちゃった高齢女性」の一般的なくくりと違うところにいるみたいです。

 いや、そうじゃないか。時代そのものが変わってきているのか。以前の「一般的なくくり」ともう私ら世代は、全員違うのかもしれない。

 思うに、私らよりも前の世代の高齢女性は、やっぱり男性に養われる存在で、男性に幸せにしてもらうという価値観が基本だったんでしょう。
 もちろん、今がそうじゃないとは言いません。そういう価値観がが悪いとも思いません。今もそうでありたい女性もいるし、私個人は男性が働いて、女性がそれを支えて、それが幸せならそれでいいと思っています。

 前にツイッターでちょっと書いたのですが、女性自身が医師になりたいと望む人もいて、それはそれでいいのですが、医師としてがんばりたい男性の妻としてその男性を支える女性がいてもいいと私は思うんですよ。
 いわゆる某医大の入試での女性差別の話ね。

 もちろん、女性が医師として働きたいならその道を入試の段階で閉ざすなんて許せないことです。
 ただ、医師という職業が非常に過酷な労働環境にあるのは事実であって、それ自体をなんとかしなければいけないというのは当然なんですが、現実に、今、現場に男手が必要で、女性は前面に出るのではなく後方支援に当たるというのはそれも有効な役割分担ではないかと考えたりしました。

 男女で語る話ではないのかもしれませんけど。
 第一線で活躍する人も、その後方支援に当たる人も、職業に貴賎はなし。
 昔から、私は主婦も大事な「職業」だと思っていたしな。

 ちょっと話がそれました。
 女性が男性に養われることは否定しないという話でした。

 ただ、そういう時代だったなら確かに「女性が年取ると悲惨」だったのでしょう。
 高齢になった女性は、夫婦ならともかく、他人だと男性からの評価は0でしょうし。
 若くてきれいなうちに、男性にパートナーになってもらう。
 男性にとっての評価が女性にとっての全てでした。

 高齢者のコンカツについてネットで情報を拾ってみると、私たちよりも上の世代のコンカツだと、高齢女性が当時の価値観に基づき、自分を養ってくれる男性を探したいと思って活動している構図みたいです。女性の方が会員が多いみたい。でも男性からしたらいくつになっても若い子がいいんでしょう。きっついなぁ。 

 女性は男性から評価されることが全て。過去は確かにそうでした。
 でも今はそうじゃない。

 今は「結婚」って選ばれた人しかもうできなくなっているんじゃないかと私は思っています。
 昔…といっても一世代前の話ですが、当時は結局、結婚するのが当たり前だったし、女性は結婚しなきゃ食べていけなかったから。誰でもいいとは言いませんが、たとえば多少、性格に難があったりしても、若くて経済的には厳しかったりしても、マザコンだったとしても、どんな男性でも結婚できたんだろうと思います。

 今は違います。
 女性は自分と合わない男性と無理に結婚したりしません。もちろん男性もね。

 結婚して幸せになれる人もいる。それで子供を持ち、家庭があって幸せな人もいる。
 でもみんながみんなそうじゃない。
 結婚しないという選択肢もあって、男性も女性も、それを選んでもいい。

 自分を幸せにできるのは結局自分しかいません。誰かに幸せにして欲しいと願い、その誰かが男性だったり、子供だったりしたとしても、人に頼っている限りは幸せにはなれないと私は思います。
 
 もちろん年を取ったら人に頼らずには生きていけないので「誰にも頼らない」なんていうのは驕りだと、私は常々自分に言い聞かせているところですが、ボケて何も分からなくなるまでは、若くても、年をとっても、自分が自分であることの尊厳って変わらないんですよね。 
 
 パートナーもいず、家庭がないと最後は「孤独死」なんでしょうが、これからの時代はそんなの当たり前になっていくんじゃないかしら。
 まあ死んで何日も放置されてしまったら後片付けをする方が大変なので、独居の高齢者には見守りシステムが必須になるでしょう。私の家にもつけて欲しい。

 だから、独身だから悲惨だ、とかじゃなくて、独身でも幸せでいられる道をちゃんと探しておこうよ、というだけの話のような気がします。
 結婚できなくて、家庭もないけど、私個人は今は幸せだし、これからも幸せでいるための努力はずっと続けていきます。

 そういう人がこれからは増えていく。
 そういう人のための世の中になっていく。

 というか、そういう世の中にするために、独身高齢女性の一人として、これからもがんばっていきたいわ。
 

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2019.01.02

2019年の始まり

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 あけましておめでとうございます。
 2019年は船の上で迎えました。
 以前、仙台に住んでいた時に、松島で遊覧船に乗って海の上から初日の出を見るというバスツアーに参加したことがあって、とてもよかったので、関東でもそういうのがないかなぁと思って探したら…ありました。

 昔、よくテレビのCMで聞いた覚えのある♪さんふらわぁ~♪って分かります?

 その、さんふらわあが、大晦日の夜に茨城県の大洗から出て、横浜の八景島まで行き、洋上から八景島のカウントダウン花火を見たのちに、元旦に大洗まで戻ってくるというツアー。

 犬吠埼沖から初日の出を眺めることができます。
 2019年はちょっと天気が心配でしたが、さすが、私の晴れ女パワー♪
 ちょっと雲がかかっていて、太陽がのぞくのが遅かったんですけど、ちゃんと見事な初日の出を見ることができました。

 さんふらわあは、お高いスイートや個室がたくさんあって、今の時代はそちらの方から先に売れていくそうです。

 私は一番安い、二等船室の大広間。
 でも、ちゃんと個人別にカーテンが引けて、自分のブースが割り当てられています。ベットじゃないですが、病院の大部屋みたいな感じ。
 もう一昨年になりますが、やはり正月の特別列車で夜行のカシオペアに乗ったことがあって、寝台車の魅力に目覚め、今は失き北斗星の寝台を模したホテルにも泊まってみたことのある私。
 大広間も修学旅行みたいで面白かったです。

 コインロッカーもタダで使えるし、大浴場もあるし、トイレは綺麗だし、着替えるところや座って化粧できる場所もちゃんとあるし。

 二等船室は船の真ん中にあって窓がないのですが、部屋の外にはロビーがあって、そこでゆっくり海を見ながらくつろげます。
 海を眺めながら、好きな音楽をウォークマンで聞き、文庫本を開く。
 まぁなんというぜいたく♪

 それに年越しのこういう旅行は普段、一人暮らしの私には、素晴らしいメリットがあります。
 それは、バイキングで正月料理を一通り味わえること。

 いや、一人だと、正月ってたとえば伊達巻でも、黒豆でも、家でそろえるといちいち高いし、量もあって食べきれないし非効率なんですよねぇ。

 でもやっぱ日本人なせいか、正月からいつものごはんに納豆ってのもさみしい。
 今回のツアーでは船のレストランで、伊達巻、黒豆はもちろん、カニやエビやお雑煮などなど、お正月料理を堪能致しました。
 大晦日の夜は、年越しそばも出たしね。
 
 さんふらわあ、よかったな~♪
 素晴らしい年越しになりました。


 
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2018.12.08

メディケアダイエット(その9)

  今日はメディケアダイエットのカウンセリングにいってまいりました。

 ダイエットの進捗はというと、11月はずっと風邪ひいていたので、ダイエットどころではなく。
 やっと風邪は治ってきましたが、まだセキが残っています。

 風邪がひどい間は漢方の防風通聖散もお休みしていましたし、食べるものもとりあえず食べられるものを食べるという感じ。
 野菜を買ってスープを作るどころか魚を焼くのも面倒で、とりあえず何か買ってきて食べるの繰り返しですからねぇ。

 無論、風邪でヒーヒー言ってた間は体重は最低記録を更新しましたが、風邪が治ってくると体重も戻ってきまして、食べるものは食べるのに体を動かすのは控えめなため、その分、体重に跳ね返ります。

 今朝はより増加気味で、マイナス3キロの水準に戻ってきてしまった。
 一時期はマイナス5キロまではいってたんですけどね・・・

 ま、それは風邪のせいか^^;

 今回のカウンセリングでは、とりあえず風邪をしっかり治すとして、年末年始に気が緩まないよう、注意がありました。
 私は仕事をしているときより、家でゆっくりしているときのほうが体重は減るので、そこは心配ないんですけど、また気合い入れ直さねば。

 さて、メディケアダイエットは5月から始めたので、11月で半年が過ぎました。

 メディケアダイエットのベーシックコースは最短3ヶ月で、3か月で目標が達成できない場合は、さらに3か月延長という契約なんで、当初の予定では、遅くとも11月には体重の10%減を達成しているはずでした。

 しかし、実際に11月になっても、ぶっちゃけ、今朝の体重は始めたころと比べてマイナス3キロだからなぁ。

 いや、記録を振り返ると…それも違うな。

 5月12日の測定と今日の測定を比べるとマイナス2キロしか減ってません。
 
 5月に始めた頃は、まだメディケアダイエットの指導がカロリー制限だというのを知らず、とにかくバランスよく食べることを指導されたため、それまで糖質制限をしていたのに、そこからごはんやパンなど、炭水化物も食べるようになったので、逆に体重は増えました。

 7月21日の体重が最大でそこから比べると3キロ落ちてる、というだけの話。

 4群点数法でのカロリー制限を始めたのが、その7月からなので、そこからは体重は落ちてはきていますが、5月と比べると2キロ減とは・・・

 2キロなんて、はっきりいって誤差ですって(爆)。

 まあでも、きつきつだった服が入るようになってきたり、パンツのウエストにかなり余裕が出てきたりしていますので、数字よりはダイエットには確かになってるとは思います。

 でも、かけた金の分、元がとれてるかというと、まだこれじゃ満足できない。

 私が期待してた成果はマイナス10キロです。それだけ金かけたんだから。

 メディケアダイエットの契約上では体重の10%減ですから、10キロではないにしても・・・せめて5キロ以上は減らないと!!!!

 で、現状、半年が過ぎてまだたったの2キロで、この先どうなるかというと、カウンセリングは全部で12回受けられるので、あと3回、残してあります。

 今年は今日で終わりですが、月に1度のカウンセリングで、残りは1月、2月、3月。

 もう3か月延長です。

 その3か月で、契約どおりだとするとあとせめて5キロは減ってくれないと卒業はできんぞ(汗)。
 予定でいけば最後は3月、折しも卒業シーズン。私も卒業したいなぁ。
 
 とにかく野菜を食べるのだ。よーくかんでね。
 そして4群点数法で1日15点を守る。15点といえば1200kcal、ほんと、がんばらないとすぐに越えてしまうのですがこれができなきゃ減らない^^;

 今日は、さすがにカウンセリング当日ですから、21時現在、この後何も食べなければ、10.5点で終われます。
 
 まだまだまだ来年もダイエットがんばります。

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2018.11.30

『どうすれば適度な距離を保ちながら、関係を築くことができるのか』

東洋経済オンラインの以下の記事を読みました。

アスペルガー41歳男性が「就労不可」の理由

本日の記事のタイトルは、上記の記事から引用しました。
「どうすれば適度な距離を保ちながら、関係を築くことができるのか」
ほんとそれよね。

たとえば外国人との付き合いでもそういうことってあるわけですが、物の感じ方、考え方の違いは人間一人一人誰にでもあって。
いや、外国人じゃなくても、義親でも、自分の親でも、兄弟でも、クラスメイトでも、夫でも、子供でも、自分とすっかり同じ人間がいない以上は、自分と違う人間同士、互いに幸せになるためにはって話。
究極、みんな一人一人、誰ともかかわらず一人で暮らせばいいってことになるわけで、今、一人暮らしをしている私はそういう結論になってしまっても同意こそすれ反論はできないのですけど…

問題はやはり「仕事」です。
人間がみんな一人で暮らせばいいといっても、本当に一人では生きられない。
生きるためにコンビニでその日の食事を買うとすれば、それを売る人、作る人がいて成り立っているわけで。
そして「買う」ためには自分も何かの役割を果たし、買うための金を稼ぎ出す必要がある。
それが仕事であり、人の個性だ、違いだと言いつつも、仕事の前ではそれを制御する必要がどうしても出てくる。
プライベートは一人でもいいけど、やっぱり仕事はそうはいかないものなぁ。
うーん、人と接しなくていい、ただ一人で作業をこなせばいい仕事ってないのかな。
コメント欄にいろいろな意見が出ているけれど、アスペを社会全体で受け入れるなら「アスペでも適応しやすい仕事」をもっと調べて、標準化した方がいいんじゃないかと思ってしまいます。
もしかしたらアスペであることで高い生産性を出せる仕事もあるのかもしれないのに、もったいない。

記事についたコメントを見ていてつくづく思うのですが、この記事を書いた記者は、自分が普通であることに疑いを持ったことはないのかしらね。
一度「少数者」の側に立ってみればいいのに。
自分が社会に無理やり合わせようとするんじゃなくて、社会の仕組みの側が少しだけ変われば、ありのままの自分で生きられるようになる。
多分、アスペであることに苦しむ人が望むのはそういうことなんじゃないのかな。

もし普通の人間がこの記者のように自分が普通であることにプライドを持つほど偉いのなら、アスペを理解し、アスペでも生きやすい世の中を作るように努力してほしいけど、実際にはこうしてアスペの側に自分のいる「普通」の世界に適用させようとすることしか言えないのであれば、「普通」の人間はそんなに偉くないってことなんでしょう。

当たり前か。ただ「普通」で「多数」なだけなんだから。

アスペの人の中にはものすごく才能のある人もいるので、アスペが生きやすい世の中を作るためにどうすればいいか、アスペでも働いて収入を得るためにどんな仕事が向いているかは、アスペの側が提案できるのかもしれません。
ただ、人との交渉とかそれを現実化するための段取りとかはアスペだと苦手だと思うので、そこをうまく調整する「普通の人」と連携できないものかなぁ。
聴覚障がいや視覚障がい、身体的な障がい、または性同一性障がいなど数的に言えば少数で、「普通」が横行する世の中で生きることに様々な困難が伴う障がいはいろいろあるのですが、その中ではアスペはノウハウさえ確立すれば、世の中に多数存在するいわゆる「普通」の人々と、うまく役割分担しながらやっていけそうな感じはするんだけどな。

これだけアスペの性質や特性が分かってきたのだから、そこに至るまであともうちょっとって気はするんですけどね。
全ての人の幸せをどれだけ望んでもかなわないことは分かっていますが、少なくともアスペには幸せになる道もあると信じたい。
というか、今でもアスペでも自分に合った楽な生き方をできている人っていないのかな。
五体不満足でも、自分なりの幸せな生き方を確立し、いろんなことにチャレンジしている乙武さんのように。

アスペルガーの障がいを持ちながらも、この社会でありのままの自分で生きている…そういう先駆者、いるんじゃないかな。

「普通」で「多数」の人はむしろ、そういった先駆者たちに教えを乞うくらいの気持ちにならないと。
上から目線で自分たちが「少数者を受け入れてあげます」なんて言ってる場合じゃない。
でなければ、真に多様性のある社会など作り上げられない。

どうか、アスペに限らずできるだけ多くの人が、「普通」で「多数」な生き方を押し付けられることなく、幸せになれる世界となりますように。

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2018.11.28

清潔を保つのって大変なのよね

 昨日、久々に牛丼の吉野家に行きました。
 ちょっと通勤のルートからはずれている場所にあるのでたまにしかいかないのですが、吉野家のメニューはいつもおいしいです。

 今年の夏、うなぎは安いのを食べると資源保護に反するんだよなぁと思って控えていたんですが、吉野家で一度だけ食べたらそのおいしさにびっくりしてしまいました。
 牛丼もおいしいです。
 でも肉の量が少なくて、ごはんばっかり多くてやや不満(もちろん注文でカスタマイズはできますがそこまでするほどではない)なので、最近、牛丼のアタマ(ごはんではなく肉やたれやたまねぎの部分のこと)の自作に挑戦したこともあり、自分で作ればたくさん食べられるので吉野家で牛丼を食べることはなくなりました。そもそも、生涯ダイエットの身にとって、肉はともかく、どんぶりごはんなんて禁断ですからねぇ。

 それでも昨日、吉野家に行ってしまったのはここ最近ずっと風邪気味で、夕食の支度をしたくなかったため。
 ベジ牛定食という野菜の炒め物と牛皿のセットを頼みました。ごはんも少な目だったな。
 
 お料理はおいしいです。昔はまずかった味噌汁もなかなかです。

 しかし…この吉野家の店舗、いつもあまりきれいじゃないのですよね…

 昨日は食事をしてたら、向かい側のイスにハエが一匹止まってました。

 いや、昔はね、豚小屋が裏手にある小学校に通っててハエなんて見慣れていました。周りに農家が多くて、たい肥が積んであるような田舎でしたから。ただ近年は住宅街に住み、ハエなんて見たこともない生活をしています。久々に見たわ、ハエ。

 改めて周りを見まわしてみると、床もかなり汚い。
 前の客がこぼしたらしい食べ物の残骸が落ちているし、拭いても落ちないのか、黒い汚れがそこかしこに。
 イスはそういう汚れはないのですが、かなり使い込んできれいな色ではなくなっている感じ。うーむ…

 家の最寄りには「すき家」もあるのですが、その「すき家」も一度行ったらあまり清潔ではなかったので二度と行ってません。
 幸楽苑が隣にあって、その幸楽苑は汚いと感じたことがないので、そちらにばかり行ってしまいます。

 もう一つ、吉野家やすき家より、立ち寄る頻度が多い松屋は、前述の二店舗よりはきれいです。というか、すごく気を付けている感じが伝わってくる。
「消毒してるぜ!」
 という、食べ物を提供する店というよりは病院の食堂のような。清潔は清潔だけど無理やり清潔にしているような…でも不潔よりははるかにマシです。

 ちょっとネットで調べてみたのですが、牛丼チェーンの店の清潔さってその店で働く人によるようです。マニュアルはあるんでしょうが、きちんきちんとこまめに掃除しないとすぐに汚れてしまう。
 「きちんきちんとこまめに掃除」
 これねぇ。実は当たり前じゃないんですよね。掃除してもしなくても時給が同じならとアルバイトなら考えますよね。
 いくらマニュアルを徹底させると言っても所詮、やるのは「人」。
 
 掃除って、
「きれいにしなくちゃ」
「きれいにしたい!」
と思わなければ続かないです…

 この記事で書きたかったのは、

「きれい」は当たり前ではない

 ということに、汚い店に行って気が付いた、ということ。

 客からしたら「金を払ってるから」
 店員からしたら「金をもらってるから」

 それだけではなくて、きれいにしたい、きれいにしなくちゃ、という思いがなければどんどん汚れていくわけで、その仕事に対する誇りや責任感がなかったら「きれい」は維持できない。
 そのことに改めて気が付きました。

 以前、JRの駅のホームで掃除をする人を見かけたときに、ふと周りを見渡したらホームにごみ一つ落ちていないことに驚いたことがありました。昔は駅ってめちゃ汚かったよなぁ。
 今はなんてきれいなことか。トイレもきれいです。設備も新しくなってますが、きっと掃除も担当している会社が、その会社で勤務している担当の人ががんばってくれているんでしょう。
 職場のトイレもきれいです。毎日、高齢者の方が掃除してくれています。

 当たり前ではない「清潔」ということ。
 そのために払わなければいけない「努力」。
 私たちはもっともっとそのことを意識しなくてはいけないのかもしれません。

 振り返って自分の家ですが…
 一人暮らしなので、汚すのも自分、片付けるのも自分。
 今の住まいには3年前から住んでいますが、お掃除ロボットを導入し、アイランドキッチンになって水回りとリビングが一体化したため、なるべくきれいに使うように努力はしています。
 というかそもそもあまり汚さないようにがんばってます。
 使う側も掃除する側もお互いに配慮し、気を付けなければ…

 『きれいは当たり前じゃない。』
 
 ああ、風呂場も年末、大掃除しなくちゃなー。

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2018.11.27

「咳をしても一人」がいいよ

11月11日から急激に悪化し七転八倒した後、のどの痛みと咳で苦しめられてきた風邪も11月27日現在、やっと咳がおさまってきました。
まだ薬は飲んでいます。
11月20日にもらった薬は10日分。そろそろ無くなりつつありますが、この様子だと飲み切って終わりという感じ。それでも咳が残るようなら、もう一度内科、行っとくか…

その間、仕事もいってまして、あまりの咳に
「風邪じゃないんじゃないの?」
と疑われる始末。止まらない苦しい咳は今回が初めてではないのですが、今のところ、肺炎やぜんそくの診断を受けた病歴はないんですが。
一応、今週、もし内科に行ったら、上記の話をしてみようと思っています。

咳自体も苦しいし、しゃべってるときにしゃべれなくなるし、仕事にも当然支障を来して困るのですが、咳で腹圧がかかることによる尿失禁が困る(汗)。

生理用ナプキンで対応していましたが、昨日ドラックストアにいったら、最近はいわゆる「尿取りパッド」がこんなに出てるのか!!と驚きました。
水分の吸収も生理用ナプキンよりもはるかに優れており、なんだ、早くこれ使えばよかった。次回の教訓と致します。って次回がないのが一番だけど。

今回の風邪では、最初は咳はなかったんですけどねぇ。
熱と節々の痛みに全身の倦怠感。あれはひどかった。
横になって安静にしててもそれで楽にならないと、それ以上手の打ちようがない。
水分とったり、とにかくあったかくして汗を出したり、プリンやヨーグルトやフルーツやスープを取りながら自宅療養。
最初にきつかったのが日曜日だったので、朝がきたら病院にいくぞと念じながら一晩過ごすわけですが風邪なので、皆さんご存知のとおり、結局は自分の抵抗力でウイルスをやっつけるしかなく。
一番苦しい時間帯は、ひたすら時が過ぎるのを待つしかありません。
それが過ぎれば自然と回復に向かうと自分でも分かってるから、ひたすら耐えるしかない。

その「耐える時間帯」。
私は布団の中でゴロゴロしたり、じっとしていられなくて、何度も水を飲みに行ったりトイレいったり、うめいたり、うなったりしていました。

これねー。
ホント一人暮らしでよかったと思います。
家族がいたら心配させるじゃないですか。
横で誰かが出てたら安眠妨害以外の何物もないし。
というか、自分がこんなに苦しいのに、風邪がうつるからと別室に行かれてそこですうすう寝てられたら、それはそれで腹が立つかもしれない(苦笑)。

自分でもどうしようもない。
ひたすら耐えるしかないのは自分でも分かってる。
そんなときは一人がいいです。
だって、そばに誰かがいてもその誰かを心配させるだけだし、それで自分が楽になるわけじゃない。

たとえば年をとって老人ホームみたいなところにいたら、夜中に具合が悪くなってうなってたりしたら、きっと周りの老人たちに迷惑がられるだろうな。
介護の人はいるかもしれないけど、苦しいからって助けてくれるわけじゃない。
結局、自分は自分が助けるしかない。

入院していたとしてもそうです。
先日、「産褥期精神病」を描いたマンガについて書きましたが、苦しくてどうしようもなくても、誰も助けてくれず、それは仕方ないとしても、苦しくて暴れたりすると薬を打って眠らされたり、拘束されたり。
つらいなぁ。

風邪も後半に入り、全身症状は軽くなってきたのに、今度は咳がひどくなり、咳もまたそばに誰かがいたら困るよなと思います。
自分でも「咳」したくないけど、出ちゃうものは仕方ない。
自分でも止められないから咳しているのに、咳しているのを聞いている人がもしいたら、咳すら自由にできない。
うるさいと言われたら、やってられないなぁ。
言う方の気持ちももちろん分かりますけど。

こんなひどい風邪ひくなよ、と。
予防をちゃんとしなかったからじゃないの?と。

そんなこと、自分でも分かってる。
分かってるから言わないでよ。
誰も近くに寄るな。ほっといてくれ。
私を一人にして…

世の中の、一人暮らしじゃない人は、一体こういうときどうしているのでしょうか。
こんな状態になっても、一人でいるより、心配してくれる誰かに近くにいてほしいと思うのでしょうか。

もちろんもっと重い病気ならこんなこと言ってられません。
風邪だから…治るのが分かってるから、ではありますけど。
「咳をしても一人」で本当によかったといつも思うのです。

これって、私だけじゃないよな、きっと。

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2018.11.26

産褥期精神病

 たまたま、ツイッターを眺めていたら「まんが王国」というサイトで「妊娠したら死にたくなった~産褥期精神病~」というマンガが無料キャンペーン中というCMが入ってきました。

 ちょっと読んでみると、おや、これは・・・

 私の母が躁うつ病、最近の言い方では「双極性障害」だったという話を当ブログで書いたことがありますが、それは私の出産を契機に発病したという話でしたので、まさにこれだったのかな、と。

 全部を読んだわけではありませんが、精神病院に入院し、手足を拘束されてしまう、ごくごく普通の女性だった主人公の様子が痛々しくて見ていられません。

 …いや、しょうがないんですけどね。
 本人もコントロールできない状態で、暴れてしまったり、自殺しようとしてしまうような状態なら、拘束されるのもね。
 でも、なんというか、他の病気も全部そうなんですけど、どんなに苦しくても、その苦しみは周りの人間には当たり前ですが伝わらない。

 苦しくてどうにかラクになりたくて、少なくともどうすれば苦しくなくなるのか、いつこの苦しみが終わるのか、教えて欲しいと願うのに、医師からも看護の人からも、明確な答えは得られず、ただ、暴れないように拘束されるだけって…

 こんなの生き地獄以外の何物でもない。

 精神の病にかかって、家族の手に負えなくなったら病院に入れるしかないのですが、病院では結局、こうやって対処するしかないのなら、なるべくやっぱり病院に入れたくないって思っちゃいました・・・

 私の母がうつのときは、ひたすら布団に寝たきりで、食べるものも食べず、風呂にも入れず、普通に考えると入院させたほうがよかったのだろうかと思いますが、入院しても、別によくなるわけではなく、ただ家で面倒見切れないから入院させるだけなら、家にいたほうがまだ、人の目を気にせずに苦しいときは苦しいって言えるし、それを適当にあしらわれたりとかもしないし、話しかけられたくない時はほっといてもらえるし、ずっとましなのかなぁと。

 いえ、マンガを見て、精神を病む人に対して、普通の人間って、こんなに冷たいんだな、ということを思い出してしまってね。

 怠けてる、とか、気のせい、とか、甘えだ、とか…

 ひどすぎるよなぁ。

 自分だってどうしていいか分からない。心も体も言うことを聞かない。

 そういう状態を想像できない人達がいるのは、もちろん幸せで、うらやましいことで、彼らを責めるのはおかしいのは分かっていますが、それでもなんともやりきれない。

 たとえばたかが風邪だって、苦しい時はほんと苦しくて、なんとかして苦しみから逃れようと、薬飲んだり医者いったりします。
 風邪はそれで少しは楽になるからいいようなものの、心の病は体の病気ほどうまく薬がきかないことがあるし。
 それでも、私の母の時代よりは今はいろいろ研究がされてきているのかもしれませんが。

 人の心ってのはほんとやっかいな代物で。
 精神病がホルモンの関係で引き起こされるならば、もっともっと研究が進んでほしい。

 もちろん人の感情を薬や電気刺激で完全にコントロールすることを考えると怖い気はするんですが、わけもわからず不安になったり、苦しくなったりすることを制御する方法だけは必要なんだと思うのです・・・

 心の病は昔より増えているらしいですが、そう、少なくとも、産褥期の精神病はホルモンの変化によることがはっきりしているのだろうし、発現したときの対策をしっかりとお願いしたいと思います。

 このマンガの主人公のように苦しむ女性が、どうか今後減っていきますように。

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