2019.05.21

「ブスの本懐」

 先日、我が家で中学校時代の友人二人と久々に再会し、昔話に花を咲かせました。

 もう一人、今、結婚してニュージーランドにいる友人がいて、ライブチャット。とても楽しかったです。

 でも、ライブチャット…ニュージーランドの友人には、動画メッセージも送りましたが、それを自分で見ると。

 友人二人は年を取っても美しいのに、私は…ブスだなぁ~(苦笑)

 

 表題の「ブスの本懐」はカレー沢庵という方の書籍で、存在を知ってからずっと一度は読んでみたいと思っていました。曰く、「ブス」はそれこそ「天空の城ラピュタ」に出てくる滅びの呪文以上のパワーをもつ呪いの言葉。その一言が全てを台無しにします。

 なんて他人事みたいに書かずとも、私はもう昔から、十分、この身をもって知ってますとも。母親にさえ「整形したらいいのに」と言われたことありますからねぇ。

 悟ったようなことを書いてしまいますと、なんだかんだ言ったって人間にとって「見た目」ってめちゃくちゃ大事なのです。そんな本もありますね、「見た目が90%」とかなんとか。

 ただ、いろいろブスと美人の所得格差などを語った本などを読んだりして私が思うのは、もちろん見た目で得する分野はたくさんあります。その分野で比べたら見た目がいい方に勝るに決まってるわけで。

 私は生粋のブスですから、最初から同じ「見た目」を競う場所でそういう女性達と戦うつもりはありませんでした。見た目が残念でも生きる方法はあるはずですし、実際あります。そのために情報収集、行動あるのみ。

 ブスを嘆いたり、美人との格差にジタバタしたって仕方ありません。

 ブスにはブスの生き方があります。

 それで私は十分、今、幸せ。

 「見た目」で競う戦場の最たるものはコンカツです。男性の争奪は見た目がいいものが絶対的有利で、それを知ってるからからこそ、女性はダイエットや美容やファッションに余念がないわけです。

 私はその戦場からは早々に離脱しました。だから幸せになれたのかもな。

 ブスでない人、美人や普通の人は結婚してください。そして幸せになってください。でも私はだめだわw

 でも、その代わりにたくさんのものが手に入りました。友達もそうだし、男性に振り回されない分、自分の本当に好きなことに没頭できましたし。実らなかったけど恋もしました。実らなくても恋の経験は楽しかったです。過ぎてみればね。

 ブスのいいところというのは本当に「男性に振り回されない」それに尽きます。

 友人が我が家を評して「女子力高いね」とほめてくれました。

 インテリアが素敵なものが多く、おしゃれだからだそうです。

 でも、それ聞いてびっくりしましたよ。誰に見てもらうわけでもなく、自分が暮らしやすいように自分が好きなものを揃えて生活しているだけなのにな。「女子力」? ちゃんちゃらおかしいわw

 男性に「女子」として評価されようなんて気持ちはとうにありません。そんなものがなくても私は十分生きていける。それが私の今です。

 

 なーんてね。ブログでは書きますが、人にはリアルには言いません。だって「イタイ」じゃないのw

 どう語ったって「負け惜しみ」と思われる。幸せ自慢なんてそんなものです。でも「ブスの本懐」を読んだら、ちょっとだけ語ってみたくなったので書いてみました。

 ふふ、やっぱりイタイかなぁ。ま、いいけどね(苦笑)

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2019.05.01

祝 令和

 昨日と今日は、平成から令和への移行に伴う、皇室の行事のテレビ中継をがっつり見てしまいました。昨日の夜はプリンセス美智子様もドラマも見ました。

 政教分離だから、テレビで放映する際になるべく宗教色を失くすことが必要なのは理解しているのですが、直観的に私が思うのは、おそらく皇室の意義って、この国を何らかの人智を越えた祈りで守ることにあるのではないかってことなのです。

 おかしいかなぁ。

 もちろん、そうした祈りや願いが強制力を持ち始めたらまずいし、その力を利用しようとする者も出てくるから表向き「ない」ことにしないといけないのだろうけど、おそらく「天皇家」というのはそういう神職なのだろうと思うのです。

 神職が権威と結びつき、支配者としての性格を帯び始めることを、私たちが注意深く警戒しなければいけない理由は歴史が証明しているんだけど、権力と結びつくことを可能な限り避けている分には、天皇家は「国民の安寧」という祈りのためにこの国にあるのだろうと。

 私の洞察は間違っているかしら。

 いや、何が言いたいかというと、お祭りを楽しんだり、正月に初詣出にいったり、受験の合格を祈願したりするのと同じように、私たちはもっと天皇家のことを知りたいのに、天皇家が古来のしきたりに基づき、国の繁栄を願ったり、五穀豊穣を祈ったりすることを、どうしてもっとテレビでやってくれないのかということ。

 あの方たちは、天皇家に生まれたというだけで、私たちにある基本的人権さえも保障されず、自由に生きることが許されていない。

 雅子皇后や美智子上皇后は、天皇家に嫁ぐという形で自ら決断してあの世界に飛び込んだんだけど、男性はガチガチに縛られて、私たちの象徴であることを生まれながらに強いられてしまっている。

 もちろんある程度の自由は昔よりはあるし、自分がどんな天皇になるかも自ら選べるんだろうけど、ね…

 その自由と引き換えに、天皇家が日本のために何をしているのか、もっと私たちは知っていた方がいいんじゃないのかなぁ。

 そして時として、天皇家と一緒に何かを祈ったり、願ったりすることも必要なんじゃないだろうか。わざと隠されているんだよね。そして、誰もそれを教えてくれなければ知る機会さえない。

 今はネットがあるから、これからは知ろうとしさえすればきっとそれも不可能ではないとは思うんだけど。

 無理やり政教分離して批判を避けようとすることが不自然に感じられてならないわ。私たちも、いや私たちこそ、国の繁栄を願わなければいけない立場にあるというのに。

 願ったり、祈ったりすれば全て解決するのかと言われればもちろんNOだ。

 私たちは行動し、自らの国を自らの手で作っていかなければいけない。神はいないし、仮にいたとしても、私たちは神ではなく自分たちの手で自らの未来を選択する。

 けれど、時として天災はやってくるし、想定外の事故はどんなに備えたって発生する。

 傷ついて、それでも立ち上がらなければならないときもあるだろう。

 その時になくてはならないのが、願いであり、祈りなのだ。

 上皇はそのことをよくご存知であり、それこそが天皇家の役割だと知っていたからこそ、各地の被災地や戦跡を訪問し、慰霊の旅をされてきたんだろうと思います。

 多分…神様まかせにするのはいけないんだけど、全てが自分の力で変えられると思うのは人間の驕りなのでしょう。

 

 退位の昨日はずっと雨が降っていました。でも即位の今日は、即位後朝見の儀の頃、おだやかな光が差していました。

 新しい天皇陛下の即位と新しい令和の時代の到来を、今日は心よりお祝い申し上げます。

 

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2019.04.25

子供の貧困

食事は給食頼み」長期休暇明けに痩せて登校する子どもたち

今日、この記事を読んだのですが、ちょっと違和感がありました。
何に違和感を感じたのか、書いてみたいと思います。

私は、子供の頃、母親がうつで寝たきりのときは、自分でお米といでごはんを炊いたり、わかめの味噌汁は作ったりしたけど、おかずは

鮭の水煮缶詰
サンマのかば焼き缶詰
コンビーフ
ホテイの焼き鳥缶詰
イシイのハンバーグ(温めるだけで食べられる)
ボンカレー

とかでした。なので缶詰類は今もソウルフードです。
昔はコンビニもホカ弁もなかったから、開けるだけで食べられたり、温めるだけで食べられるものは貴重でした。
貧困というよりは物理的に食事を作ってくれる人、面倒を見てくれる人がいなかったからなぁ。

記事を読んで思うんですが、休み明けに痩せて出てくるということは、つまり
「コンビニで弁当も買えない」
ってことなのではないでしょうか。

それを「コンビニのお弁当など、栄養バランスが取れていない子が多い」ってバランスの問題にしない方がいいと思うんですよ。
そういうこと言い出すときりがない。
私が幼稚園の時、親が弁当を作れないときは昼に園から菓子パンと牛乳が出ました。
バランスはとれてないけど、それが悪いとは私は思いません。
「バランスがとれた食事」なんて言い出すからどんどんハードルが高くなる。
「こども食堂」だってそんなこと言ってるから月に1~2度しかできないんじゃないの?
フードバンクなどにストックされている食料を利用して、とにかく食べさせることを優先するくらいにハードルを下げればいいのではないかなぁ。

記事の後段になるともっと違和感はひどくなります。
キャンプ? 美術館・博物館? 旅行?

(引用開始)
夏休みやGWなどの休暇明けにはクラスの中で「キャンプに行った」「遊園地で遊んだ」という会話で盛り上がることでしょう。そこに入れない劣等感や疎外感を感じた場合、非認知能力のひとつで全ての力の基礎にもなる自己肯定感が著しく低下します。
(引用終わり)

非認知能力? 自己肯定感? 何言ってんの?
友達は遊園地に行ったことあるけど、自分は一回も親と行ったことない。そんなの普通にあるでしょ。
親に言ったって
「よそはよそ、家は家」
で終わりです。私は遊園地は幼稚園の遠足で行ったきり。親とは行ったことががないです。キャンプの経験もないし。

「子供の貧困」って何なの、って話です。
昔と今は違うっていうのも分かった上で言うのですが、問題は
「コンビニにいけばいくらでも食べ物があるのに買えない子」
「学校には行ってても給食費も払えない、遠足に行くときの交通費もない」
というような子どもなのではないでしょうか。

学校側で学びの機会を作るために博物館への遠足を企画したとしても、移動のための電車賃も払えなくて遠足の日は休まないといけない子がいたらそれは貧困です。
でも親がそういう場に連れていけるかいけないかは経済的な問題もあるし、親の労働環境もあります。
夜に働かなきゃいけない親は当然いるだろうし、祖父母の介護があって子どもと旅行なんていけない家庭もある。
それは貧困の問題もあるだろうけど、また別の話だし、そのことをもって「貧困だ、支援だ」って正直、
「よけいなお世話」
って気がしてならないのです。

この世界の全ての子供が、皆、バランスのよい食事を三食とり、親は昼間に働き、長期休暇には親とキャンプに行き、博物館や美術館にも連れてってもらい、旅行にも行く…
あまりにもお花畑思考なのでは?

私が言いたいのは、こういうことを言うから貧困問題って取り上げられる度に、
「俺の方がもっと困ってる」
という反発を招くんじゃないの?ってこと。
反発を招いてしまうと、本当に支援が必要な「長期休暇にやせてしまう子」への支援まで批判されちゃうでしょ。

貧困は本当に問題で社会的な支援が必要です。
けれど、どこに対してどのような支援が必要なのかはしっかり考えるべき。
発言する側はよっぽど気を付けないと。
とはいえ、私も自分自身の中の常識と「支援が必要な状態」を整理しながらこれを書いているのですが。
「貧困」とそれに対する「支援」を語るのはなかなかに難しいです。

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2019.04.23

異動

毎年この時期になると、若くして自ら命を絶った同僚のことを思い出します。

命日は5月12日。

東日本大震災の後、当時、私とその同僚は同じ部署で東北の復興支援の仕事をしていたのですが、同僚は4月の末で1年の任期が終わり、5月のゴールデンウィーク明けから元いた職場に復帰することになっていました。
12日は元の職場への初出勤の日でした。

遺書によると自殺の原因は仕事ではなかったようです。
本当の原因は分からないのですが、同僚は職場に迷惑をかけたくないとの思いからしっかりそのことを書き残していたと聞きました。

一緒に働いていた間もそんな素振りは全然見せなかった。
自ら命を絶つほど悩んでいたことがあったのに、誰にもそのことを話さないまま逝ってしまいました。
そのことがどうにも悔しく、悲しかったことを今でも思い出します。

私も異動を今まで何度も経験してきました。
今年は4月いっぱいで今まで所属していた部署を離れ、5月から新しい部署に移ることになり、溜まっていた不要な書類を捨てたり、必要なものをファイリングしたりしながら整理を進めているのですが、この作業をしているとこのタイミングを同僚が選んだ気持ちが分かるような気がしてなりません。

異動というのは不思議なものです。
それまで必死にやってきたこと、目指してきたこと、積み上げてきたものが全て目の前から消え失せます。
新しい部署ではまた新しい目標があり、新しい課題があり、それを必死にやっていくことになり、それは今までもこれからも何も変わらないはずなのですが、そう思ってみても、
「何かを失うような感覚」
がどうしてもしてしまいます。

もちろんそれは後任に引き継いでいくのだし、自分が担当ではなくなってもなくなるわけじゃない。自分はまた新たなことを覚え、チャレンジしていく。
それはサラリーマンであればみんなが経験してきたことだし、これからも経験し続けることで、何も私が特別なわけではないんですけど。

そこにゴールデンウィークの長い休みが挟まると余計に思ってしまうのかも。
ここで全て終わりにしてしまってもいいんじゃないか、と。

仕事でなくても同じなのかな。
人は、この世界に生まれ、成長し、その時々にいろいろな経験をし、恋をしたり、辛い思いをしたり、いっぱいいっぱいいろんなことを考えて 喜んだり、悲しんだりしながら生きています。
でもそれって、何か意味があるかというと、そのこと自体には特に意味はない。
自分にとっては大事なだけど、他人にとっては関係ないこと。

仕事はたくさんの努力やたくさんの苦労をしながら仮に結果を出したとしても、異動してしまえばそれは自分のものではなくなります。
それって「喪失」の感覚に他ならず。
がんばった経験は自分にとっては意味はあるけど、逆に言えば自分にしか意味はない。

私は、
「生きることには意味はないけれど、意味なんかなくても生きることはそれだけで楽しい」
と思って日々を生きています。
だから、異動で、今まで頑張ってきたことが自分のものではなくなり、残るのは「経験」という自己満足にすぎないとしても、そこで「死んで終わりにしたい」とは今は思いません。

漠然とした期待でしかありませんが、生きている限りは何かを失ったとしてもまた何か新しいものを得るのだろうという気持ちがあるからです。

何を得るかは自分次第なので、また明日も新たな何かを求めて生きていきます。

ただ…やっぱり異動ってね。
失うものの大きさを思い知らされるというか。
逆かなぁ。
自分が今まで必死にやってきたものがこんなにちっぽけだったということを思い知らされるせいかな。
その感覚がどうにも悲しいというか、切ないというか、やるせないというか。

きっと同僚もそんなふうに、異動のためにそれまで自分の住んでいた部屋を片付け、元の職場に戻るために身辺整理をし、いろんなことを思って過ごしたゴールデンウィークだったのだろうと。
その心中を思うとやっぱり涙があふれてきます。

また会おうね。
いつかきっと会おう。
私も命が尽きる時が来たらきっと行くところは同じだから、さ。
もうしばらく待っていてね。

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2019.04.20

なぜ私はひきこもりにならずに済んだのだろうか

私が生きているうちに…」ひきこもりの中年息子、惑う79歳母

「ひきこもり」についての記事を読むと他人事ではないような気がしてしまいます。
親が79歳、50近い息子…
この息子、間違いなく私と同世代です。
「引っ込み思案」「人付き合いが苦手」「学校で孤立し、いじめられた」
うん、私も全部該当する。
だけど、私は引きこもりにはなりませんでした。私と彼を分けた理由は何だろう。

一つは社会に出た時期でしょうか。
私はギリギリバブル期、彼は就職氷河期。
同世代なのに、なぜその違いがあるかというと、この人は「浪人して私立大学に進学」とあります。
おそらく年齢自体も1歳くらいの違いはあるのですが、浪人したことにより、私よりも2年くらい遅れての大卒といえそうです。
完全に運でしかないのですが、この2年の違いは大きい。
「気後れして企業の説明会に行くこともできなかった」
のは私も同じですが、だからこそ、私は当時、試験に受かればどこかしらに採用されると言われていた公務員試験を受けました。
受かってから採用されるまでが世間知らずでコミュ障だったせいもあり大変だったんですが…ギリギリ何とか採用してくれる先がありました。
そこが大きな分かれ目だったのだと思います。

でも、この人も「知人のつて」で事務の仕事に就職したことあったとのこと。
「人間関係をこじらせて1年余りでやめた」って何をこじらせたんだろう。
本当にブラックで、周りの人間の最低な職場もあるから一概には判断できませんが、基本、仕事って、人のことは気にせず、やらなければならないことをしっかりやれば、昇進はできなくてもふつうには勤めていけるのではないか、と思ってしまいます。
営業などでノルマがあって成績をグラフで示されて給与も能力給の割り合いが高かったらそんなこと言ってられませんが、事務なら。
仕事をするようになってよく言われたのですが、職場は「仲良しクラブ」ではないので、基本的には仕事さえきっちりやればいい。
「仲良しクラブ」な職場もあるんだろうけど、今も当時も、忙しい職場であればあるほど人のことなんか構っていられません。
みんなが自分を冷たい目で見ているとか、自分だけ話しかけてもらえないとかが「人間関係のこじれ」だと思うならそれは病気です。
自分が思うほど他人は「私」を気にしていない。

ひきこもりの何が問題って、自分の食い扶持を自分で稼げないことが一番の問題です。
自分の食い扶持くらいは自分で稼げないと。そのための「仕事」。
引きこもりを減らすためには仕事についてもらうことが必要なんですが、朝、電車に乗って決まった時間に会社に行き、そこでやるべきことをやる。それがそれほどに難しいことなんだろうか。

たとえばパン工場のアルバイトとかをイメージしてみます。
やるのは単純作業。立ちっぱなしで体はきついようですが、それでお金がもらえる。
口コミによると、延々と同じ仕事をすることがきついという感想が多いですが、それは人によるんだよな…と、スポーツクラブで延々、マシンでランニングしている人のことを思ってみたり。

学生の頃、郵便配達のアルバイトをしたことがあります。
自転車に郵便物を載せて配達。あの仕事は楽しかったなぁ。

証券代行会社で、延々証券を数える仕事。それはあまり楽しくなかった。
何の仕事が楽しくて、何の仕事はつまらないかは人によりますが、そうしてとりあえずアルバイトでもいいから働けたら。
その一歩のハードルの高さが私にはあまりピンときません。

何が違うんだろう。
なぜ私は引きこもらずに済んだんだろう。
人見知りでコミュ障は今も変わらないけれど、月曜日から金曜日まで毎朝出勤して、働いて、土日は好きなことをしている私は思います。
私の父はこのお母さんと同じ年だけど、私はもう自分の稼ぎで食べていて、将来のための貯蓄もしているし、その点ではあまり心配をかけていないはず。独身なのでそのことは心配でしょうが、それはまた別の話。

増加しているというひきこもり。
一人でも多くの人を、ひきこもりから脱出させるためのカギは一体何だろう。

私に何か、できないだろうか。

そんなことをひきこもりに関する記事を読む度に考えています。

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2019.04.19

メディケアダイエット(その11)

 昨年5月に¥486000(税込)で契約したメディケアダイエットのダイエット支援が終了しました。

 結果はですね…うん、全然やせませんでした!

   最初の1ヶ月~3ヶ月くらいは50万円近くもお金かけたのに、やせなかったら訴えてやる!くらいの気持ちでいましたが、やせないので、契約期間を何度か延長してもらってるうちに、なんだかどうでもよくなってきました。

 やせないけど、バランスの良い食事が身についたせいか、体調は絶好調なので。

 1年前に比べてずいぶん野菜を食べるようになりました。白滝とかきのこ類も。

 分かっているといえば分かっていることでしたが、やせる魔法なんてないんだわ。努力してもできないこともある。

 叶わない願いなどないはずですが、ダイエットだけはどうにも思うようになりません。

 せめて健康ならそれでいいじゃないか、と思うようになりました。

 まあでも、血圧が高めなのは事実ですし、そのせいですい臓や肝臓が弱るのは困るし、太ってると着られる服が限られてしまうし、もう、分かってます。一生ダイエットは続けます。

 メディケアダイエットとも、このままさよならではなく、一応、この先はアフターカウンセリングといって、2か月に一度くらいカウンセリングは続けていこうかと思っています。

 そうじゃないと、やせないのはともかく太っちゃうしね。というか、すでに4月は体重増加気味。

 1年かければ10キロくらいやせられると思ってたのになぁ。全然ダメじゃん!!

   でも先月、Ingressのアノマリーでいっぱい歩いても全然平気だったので、腰もひざも弱っていないのには自信を持ちました。このままバランスのよい食事をして、野菜もいっぱいとって、いっぱい歩いて、年をとっていければいいか。

 健康って幸せなことです。

 この健康をこれからも守って頑張っていこう。メディケアダイエットには感謝しています。夢はかなわなかったけど、別のものが見つかる…そう、夢ってね、そういうことなのよね。

 

 

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2019.04.15

10年後もしくは20年後に。

 すっかりこのブログ、不定期更新ですみません。

 定期的に見ている人はいないだろうな、と思ったら、そうでもなく、3月5日から4月の記事まで一ヶ月以上間が空いたために心配させてしまったようです。

 すみません、その間もとても元気でした。

 何をやってたかというと、2019年3月23日は、私が仙台にいる当時に始めた「Ingress」というゲームの「アノマリー」という、イベントというか大会というか、そういうのが東京でありまして、今までは個人(ソロ)でしか参加してなかったんですけど、今年は初めてチームにエントリーして参加しました。

 Ingressを知らない方に一言で説明するのはとても難しいのですが、スマートフォンを使用して行う、現実の世界を舞台にした陣取り合戦です。

 現代のスマートフォンには、ほぼ全てにGPS機能がついていて、現在地を地図上に表示させる機能があります。Ingressはそれを利用しています。

 現実の世界の地図に「ポータル」とよばれるチェックポイントをいくつか設置してあり、複数、とりあえず3か所のチェックポイントを実際に足で歩いてチェック(ハックと言います)して、その三か所のポイントを繋ぐ(リンクと言います)と、三角形の陣地ができます。「Ingress」はそうして現実の世界のチェックポイントをたくさん周り、三角で囲い、自分のチームの陣地を作っていくゲームです。

 「ゲーム」とかいうと怒られるのかなぁ(笑)

 私は「Enlightened」という色で言うと緑色のチームです。この世界に存在するXMという未知のエネルギーを今後も積極的に取り入れ、活用し、人類を新たな進化へ導くために活動する一派、ということになっています。

 一方の「Resistace」は色でいうと青色のチームで、XMの影響から人類を解放、防衛しようとしています。

 私はIngressを勧めてくれた友人が緑だったのが、緑を選んだ一番大きな理由ではあるのですが、現実的にも支持したいのはやっぱり前者かなぁ。XMってのが何かはよく分かりませんが、結局、青だ緑だと陣地争いをする、その理由の根源は上記の設定にあるわけで。「Resistace」が勝ったら、Ingress自体が終わっちゃうのではないかしらん。

 まあ設定はどうあれ、私は、歩くことや旅行をすることが大好きなので、そうやっていろいろなところへいく度に、様々な「ポータル」を「ハック」し、その場所に自分の足跡を残していくことがとても楽しみなのです。

 幸い、3月23日の東京での「アノマリー」は緑の「Enlightened」が大勝利を納めました。普段、地元では「Resistace」にやられっぱなしなので、とてもうれしかったです。その日だけでなく、次の日も、その翌週もアノマリーの関連イベントで散々、東京を歩きました。いやぁ、楽しかった♪

 そんなわけで、3月はほぼアノマリー一色、ingress一色だったのですが、4月に入って現実に帰ってきました。

 テレビでもNHKの朝ドラは、大好きだった「まんぷく」が終わり「なつぞら」が始まっています。

 なつぞら、最初、ちょっと嫌だったんですよ。親を戦争で亡くし、たった一人、知り合いに引き取られて北海道の十勝に移り住むことになる女の子…だなんて、もう可哀そうで見てられなくて。でも、あまり冷たくも意地悪もされず、なんとか北海道の家庭に馴染むことができたようで、結局、続きも見てしまいました。

 その「なつぞら」で、北海道の荒れ地を、1年ではだめ、2年でも3年でもだめ、それ以上かかって緑豊かな土地に変える開墾が先週、始められていました。

 1年や2年では無理。

 でも10年なら。20年なら。無理だと思われたことも可能となる…

 ふとそれを見ていて思いました。私はどうなんだろうと。

 この20年で私は何か、そういうことができただろうか?

 一つ、囲碁は10年以上かかりましたが、初段になることができました。初段になるのが目標だったし、これ以上はちょっと上達できるような気がしないので、一区切り。

 だとしたら、これからの10年、20年で、今は荒れ地だとしてもその長いスパンで何かを叶えたいなぁと。

 新しく何か始めたいな。

 ダイエット? いやぁ、1年、お金もかけてがんばりましたが、それはちょっと…(苦笑)いや、まぁ、続けますけどね。

 そういえばメディケアダイエット記事も、総括を書かないといけないな。

 ダイエットは一生涯続けますけど、それはそれとして、何かこれからの10年もしくは20年でやっていくことをこれから見つけたいと思ってます。

 令和も始まるし、ね。

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2019.04.10

ひとりごと

 たとえば、夫の立場で奥さんの愚痴を聞くときがあるとします。愚痴ってのは大体が感想ばかりです。解決しないから愚痴という。

 コーチングでは「事実」と「感想」を分けて聞くと前に習ったことがあるのですが、妻の愚痴を聞くときに、大事な事実は

「妻はそれを困ったと感じている」

 というただそれだけ。愚痴の内容をまともに聞いてはいけない。ましてやその愚痴の内容が正しいか正しくないかなんて関係ない。「正しい」とか「正しくない」というのはコーチの「評価」でコーチは相手のことを評価してはいけません。

 

 誰かの悩みを聞くときに、コーチングでコーチは自分からその問題への解決策をアドバイスすることもいけないとされています。

 なぜならその悩みは相手の悩みだから。

 コーチの悩みではないから。

 解決するのはあくまでも相手なので、コーチが勝手に解決したらダメなのです。それは解決にはならない。

 

 誰かの悩みを聞くときは「自分の気持ち」を切り離さないといけない。

「自分はこう思う」

 なんて言っちゃいけない。

「こうした方がいい」

 もNGなのです。

 

 ・・・というのが鉄則なのに、つい今日は「〇〇した方がいい」と言ってしまったなぁ。しまった(汗)。

 自分の感情や思いを一切挟まずに、相手が自分で解決できるよう、事実だけを聞くこと。

 もう一度、胸に刻まねば。

 プロのコーチじゃなくてよかったわ。これでお金をもらってたら信用を無くしてしまうわ。

 

 でも、私を信頼して相談してくれる人のために、何かしらその悩みの解消の手助けができたら、と。

 そのために指針となるのはいつでもコーチングで教わったことだったりします。 

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2019.03.05

「美容整形」っていいことなのか

有村藍里さんが美容整形を受けたというのがテレビのドキュメンタリーで放映され、朝の情報番組でも報道されているのを見ました。Yahooニュースのリンクも貼っておきます。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190303-00000320-oric-ent

美容整形の成功に称賛の声が集まっているとのこと。

うーん。私は3月4日の朝にテレビでこの話を知ったんですけど、何とも嫌な気分になりました。そして「怖い」と感じました。
彼女は自分の口元が気になっていたそうで、報道では「こんもりした唇」が嫌だったこと、自分の顔で他人を不快にさせていないか気になっていたことなどを話していました。

「自分の顔で、相手を不快にさせる」?
それが気になって整形しないではいられない?
それって「醜形恐怖症」ではないかしら。
つまり精神障害です。

私は藍里さんを批判したいわけではありません。
私が怖かったのは「美容整形がいいこと」であるとなったら、美容整形をしないことは悪いことであり、美人でない顔をそのままにしておくことは美意識が低く、他人を不快にさせる行為である、となってしまうのではないかということ。

見た目がよくない人を批判したり、さげすんだりすることが当たり前になってしまわないかということ。

有村藍里さんは確かにかわいくなりました。
でもそれで済むのだろうか。
唇やあごを整形したらまた他のところが気になるのではないかな。
そしていずれ年をとればシミやしわが気になるのではないのかな。

結局はあれって「美容整形」を当たり前にして、成功事例を華々しく報道することで業界が儲かりたいだけなのでは。
いや、別に業界が儲かることを否定はしませんが
「1mmでもかわいくなりたい」「かわいくないのは嫌」「かわいくないと人の目が怖い」
ある意味で精神疾患に近いような女性の意識に付け込んで、
「ほら、美容整形するとこんなにかわいくなって劣等意識も克服できて幸せになれますよ」
って…美に憧れる気持ちを利用されて、搾取されるだけでしょ。

私たちは「美=善」という一つの価値観に捉われてはいけません。
「美」も確かに世の中の善いことの一つで私もそれは否定しないけど、そのために、何かを犠牲にすることだけはあってはならない。

藍里さんは自分で考えて自分で「美容整形」を選択しました。
そのこと自体は批判したくないし、仮に彼女の今回のカミングアウトが彼女のプロデュースであるなら、それも戦略の一つだと認めてもいい。私はそれが彼女の幸せだとは思わないけれど、自分の幸せは自分で決めるものだから、彼女がそれを選択し、芸能界で生きていくならそれでも構いません。

ただ、その姿をテレビで見せられる、少なくとも「私」は、それを見たときの自分の不快感や恐怖をちゃんとこうして書いておきたいと思いました。

自分の容姿に劣等意識があって、それを克服したいと思うとき、「美容整形」は決して最善の方法ではありません。
なぜなら、それは、結局ところ際限がないからです。美にゴールってありません。
そして人間は誰でも年をとるしね。

美容整形というとマイケル・ジャクソンのことを思い出したりもします。
彼もずっと顔を直し続けた。それで最後は満足できたのかしら。

ずっと美容整形にお金をつぎ込み続け、どんなに社会的に成功しても、最後まで気持ちが満たされることがない・・・
それって地獄でしょう。

結局、幸せって「美」にはないんですよ。
「美」も幸せという価値観はあってもいいけれど、それは長い人生においてほんの一瞬でしかない。
というか「他人が自分を見る目」の中に本当の幸せなんてないんです。

これって現代を生きる私たちにとって当たり前だと思っていたので、最近の流れが私は怖くてたまりません。見た目の美のことばかりを言い続けたNHKの前朝ドラ「半分、青い」も怖かったしなぁ。

「美容整形」を悪いとは言いません。でもいいことだとも思いません。
有村藍里さんについては、彼女が自分の幸せのために選択したことなら仕方ない。
ただ、その報道を見て、その選択が支持されて、美容整形が広まっていくことに対しては危機感を抱いています。
皆さんはどう感じますか?

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2019.03.02

「wish~キボウ~」

NHKみんなのうたで、たまに流れてくるこの歌を聴くと、いつも涙が流れてしまいます。

wish ~キボウ~

>希望はあなたを捨てない
>あなたが希望を捨てるのだ

この最初のフレーズもグサッとくるのですが、その後の歌詞も一つ一つがとても胸に刺さります。

みんなのうたの映像を見ていても、3.11をどうしても私は思い出してしまいます。

津波でふるさとが被害にあった人たち。
原発事故でふるさとを去って、他の土地で暮らさなくてはいけなくなった人たち。

私は、何か力になりたいと双葉町にも、三陸の被災地に行ったけれど、何もできなかった気がしていて。

>あかりを灯そう
>わずかでもあかりを灯そう

うん、それだけでもできたなら。これからもしていけるなら。

もうすぐ平成30年度が終わるのですが、今年も北海道の地震、西日本豪雨、本当に天災が多い年でした。
各地域で、どうすることもできない自然災害に途方に暮れてしまった人がいる。

同時代に生きている一人である私は、忘れずにいることしかできない。

この先の日本も、どうなるんだろう。
またいろんなことはあるのだろうけど、みんなで力を合わせて乗り越えていけたなら。

私はそう願いながら、今日もこの歌を聴いています。

そして同じ思いでこの歌を聴いている人が日本中にきっといることを信じて。

>今すぐ笑えなくてもきっといい
>みんな旅の途中


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