2004.10.29
「本を読む」ということには様々な効用があって、子供も大人も「本を読む」ことは良いことされています。でも、私は昔から「本を読む」って人がいうほど、「すばらしいこと」とは思えないんですよね・・・というのは、「本ばっかり読んで全然勉強しない」とよく怒られていましたから。
小学校4年生の頃、当時住んでいた市にピカピカの新しい図書館ができて、ママチャリをとばして毎週通ったのを思い出します。私はSFが好きで、読む本といえば、そういう本ばかり。当時はテレビでも、ウルトラマンレオとか、仮面ライダーとか、マジンガーZとか、人造人間なんとかとか、流行っていましたからねえ。そうそう、当時夕方になると何度も再放送があったデビルマンもSFチックでした。
兄弟姉妹がいなかったので、身の回りには当時、「マンガ」というものはほとんどなく(もちろんデビルマンも元はマンガなんですが、原作は見たことがない)、まさに図書館で借りてくるSF小説が、身近な娯楽でした。あと、星新一のショートショートもずいぶん読みました。読みやすくて、分かりやすくて、マンガで言うなら4コママンガみたい。
私にとっては、「読書」は、マンガを読んだり、映画を見たりすることと同じ、「娯楽」の一つでしかありません。「読書」を何か、人間的教養を深めるすごいことのように言う人もいますけど、果たしてどうなのかしら?
社会人になった今も、読むのは乃南アサの短編サイコミステリーとか、たとえば高見広春の「バトルロワイヤル」とか。最近のヒットは、小林泰三の「AΩ」です。とっても面白かった!!
たまに、読書を、自分に必要な知識を得るための「ツール」として考えてる人がいます。男性はそういう人、多いですよね。そういう人にとっては読書は有益で、まさに、「読書」が世間に推奨される理由の一つだと思うのですが・・・私は、「読書」を愛する人間として、そういうふうに本を読むことはあまりしたくないです。
読書は娯楽。楽しければいい。読んで何かに役立てようなんて読書は邪道だ(笑)。
ヒトコ様の記事「学校図書室のマンガ」を読んで、私はこんなふうに思いました。
子供達は、マンガを読むのが楽しいから、マンガを読むんでしょうね。本を読むのも楽しいけど、それは、自分の趣味を人に押しつけるようで、私の場合は「もっとみんなも本を読むべきだ」とはちょっと気恥ずかしくて言えないや。
絶対そういうところの司書さんにはなれなそうにない^^;
「バトルロワイヤル」とかは面白いですけど、そういう本を子供に読ませるのは、また別の社会問題になったりもします。どんな本を読んで、それを読んだ子供が一人一人、それをどう受け止めるか。それは本当に人それぞれで。本と人との出会いというのは、ある種、運命的なものさえ私は感じてしまいます。
さて、「読書」はいいこと? 悪いこと? 私は、今のところ、「私は好きだけど」くらいしか答えることができそうにありません。
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2004.10.28
職場の囲碁サークルに出席し、久々に、9子置いて対局をしました。最近は上手の方と打つ時も9子置くことは稀なので、なんだか混乱しましたけど、まあ、いいか悪いかは別として、勝つだけなら、9子置きなら、なんとかなるのかもなぁ・・・相手の手に一々応手しない。これです(爆)。隅の一つや二つあげたって、その分、自分の地を固めれば。よほど、うまい人だって・・・いや、たまに職場のサークルにくる、プロ試験を目指してる先生には負けますが・・・黒が、他を犠牲にして固めた地に打ち込んでサバくなんてよほどの無茶をしない限りはできるはずがない、と思ったり致します。でも、そういうことをしていると・・・そりゃ指導碁にならないわね^^;
それとは別に昨日打ってて、気が付いたことが一つ。それが「切り」恐怖症です。上手と打つとどうかは分かりませんが、級位者同士で打ってると、はねると必ず切られるので、最近どうも、仮にはねたとしても、相手がそれを抑えたら、必ずつぐ、のが自分の中で鉄則と化していました。
昨日の対局では、いくつかの「ツギ」が必要のない手だと指摘されまして。確かに「手を抜かなければ」、大丈夫だったんですが、だからといってそこをほっとくと、自分が後手になりそうな局面で、いつもそこが頭にひっかかって気が気ではありません。
または・・・過去の対局で、最後の方になって、自分の地だと思ってた部分に、いきなり打ち込まれ、慌てて応手を誤る内に、大量にアゲられて、大逆転されて大差で負けることが多かったものですから、どうも傷には過敏になりがちです。
いらないツギで後手をひくよりも、打ち込まれた時に慌てないで、正しい応手をすること。それが大事なんだろうなぁ・・・と思いはするものの^^;
大体が級位者同士の対局だと、本来手にならないはずが手になっちゃうことが多い。もちろんそれは、自分が下手でうまくとがめられないせいではあるのですが。それを防ぐために、最初に危ないところはついでしまう。これは、ちょっと克服しなければいけない、一つの課題だと感じます。
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2004.10.27
私は文章を書くのが好きで、ずっと以前からYAHOOの掲示板などに、自分のトピックスを作って書き込みをしていたり、ブログもこうして始めているわけですが、時折・・・自分ではかなり心外なのですが・・・読んでいる人に「男性かと思った」と言われることがあります。まあ、当ブログは、恋愛ネタを書いているので、それを読めば、女性だということはすぐ分かると思うのですが、そうかなぁ・・・自分では、意識して性別不詳にしているつもりは全然無いのですけど。ただ、以前、「男性脳、女性脳テスト」をしてみたことがあるんですが、私はかなり男性脳に偏っているようでして。思考回路的に女性よりは男性に近いのかもしれませぬ。
実はこんなことがありました。ある旅行サイトの懸賞に、珍しくも大当たりし、都内の高級ホテル宿泊券が当たったんです。一度泊まってみたいホテルだったので、とっても嬉しかったんですけど・・・う~む、誰を誘おうか。
応募したときは、恋愛カテゴリに登場する、私が今めちゃめちゃ好きな人を思い切って誘っちゃおうかと思っておりましたが、いざ、実際当たってみると、どうも最近、ますます微妙になっておりまして^^; とても、誘える状況ではありません。誘っても、また黙殺されたらショックだしなぁ・・・
などと考えていると、だんだんと・・・。かつて、クリスマス時期には都内の高級ホテルってカップルの予約でいっぱいになるって話がありましたよね。大好きなあの子とクリスマスに一発・・・ではなくて一泊・・・きっととっておきの夜を演出して、彼女とデートを楽しむんでしょうなぁ。でも、もしクリスマス前にその子と別れたら、その予約ってどうするんだろう? そういう、クリスマス前に彼女に振られた男性の気分になってきてしまいました(汗)。
そういう場合、もし本当に男性だったら、当たった宿泊券を破り、海にでも捨てにいくのでしょうが、私は女性なので、そういうもったいないことはしません(笑) 転んでもただで起きるものかいな。
以前、温泉囲碁合宿を敢行しましたが、今度は「高級ホテル囲碁合宿」でもしようかしら?(笑) 幸い当たった部屋はツインだし、同性で泊まっても誰に文句を言われる筋合いもない。 高級ホテルに泊まって、囲碁も強くなれば、なんてお得♪
いつの世も女性はこうしてたくましく生きていくものです(笑)。だから、私は性別不詳のつもりはないんですが・・・やっぱあんまり女性っぽくはないですか?(笑)
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2004.10.26
昨日、自分が囲碁に向いているかどうか分からない、というようなことを書きましたが、昨今、向いているのかいないのか皆目見当がつかないものがもう一つ。そう、それが簿記です。
私めは、簿記の3級の資格をとるべく、今年の初めから、検定試験にチャレンジしておるのですが、3級なのに、2回もその試験に落ちました。2回も、ですよ、2回も。しかも3級。職場の後輩には、「直前の1週間くらいちょこっと勉強すれば受かりますよ」的なことを言われたのですが、とんでもないことだー。最初の1回は「まあ、勉強しなかったから落ちたんだ」と自分に言い訳し、次の2回目は、勉強の期間中、囲碁も控えて勉強しましたよ。必勝の体制でした。なのに、落ちたーーーー(TT)
職場には3級を持ってる後輩はざらですし、遊び仲間の中には1級の取得者もいます。3級を2回も受けて2回も落ちたなんて恥ずかしくていえません。私は簿記に向いてないとあきらめて、もう今回は受けるのよそうかと思いました。が。
こうなったら背水の陣。今度受からなかったら、簿記の資格取得はあきらめます。今回で最後。
囲碁はもしかすると(いやもしかしなくても)才能がないのかもしれません。
しかし簿記に才能は関係なし。単純計算ができなくて、電卓使っても間違えて、書く欄の右と左を間違える、そういう初歩的というか小学生レベルのミスを減らし、今回はなんとしても3級取得を目指したいと思います。
言い訳をするわけじゃないんですが前回の簿記の資格試験は、合格率が異様に低かったです。運も悪かったよなぁ。なので、今度こそ。簿記の試験は11月21日。それまで囲碁の方はちょっとおろそかになるかもしれませんがご勘弁くださいませ。
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2004.10.25
本日は「囲碁雑考RETURNS」(前田博明さんの囲碁日記のページ。役に立つリンクや、ご自分の棋譜と解説などが載っていて、とても参考になります。)とのリンク記念ということで、囲碁話をしてみたいと思います。本当は自分の棋譜をここに載せられれば一番てっとり早いのですがやり方が分からないので、文章で自分の棋歴を追ってみます。
ヒカルの碁が好きで、「囲碁をやってみたいなぁ」と思ったのが約二年前。最初はYahooの掲示板で情報収集を始めました。そこで「ヒカルの碁」の囲碁のゲームソフトがあるのを教えてもらい、プレイステーション(2ではない)もたまたま家にあったので、プレイステーション用の「ヒカルの碁」のゲームソフトを購入し、囲碁を始めました。プレイステーション用に限ったことかもしれませんが、またこのゲームソフトがめちゃくちゃ初心者向けに出来ています。ちょっと覚えただけで、すぐ勝ててしまう。プレステ用の「ヒカルの碁」のゲームソフトは二種類出ているのですが、どちらもクリア。一応、囲碁の基本的なルールはこれで全て覚えました。
ゲームで軽く勝ててしまうようになると、これですっかりいい気になり(笑)、人と打ちたくなります。職場の囲碁サークルに入ったり、あとはNHKの囲碁講座を見始めたりしつつ、ついにパソコンを購入、同時に「常時接続」にもして、いよいよ、これでネットデビュー!!・・・かと思われましたが、実戦では、死に石の指定や「セキ」の処理や「コウ立て」の意味も良く分かっていませんで^^; 何回かの対局ですっかりとへこみ、公式ネット碁デビューはちょっとまだ早いか・・・と思っていました。
そんなときに個人の方が開いている囲碁サイトに誘われまして。そこには同じような級位者の方が何人かいらして、今ではそこの常連と化し、時間があるときは、たいていいつも夜に顔を出し、打たせていただいております。
実戦は、いいですね。コウ立てや死活も、実戦で痛い目を見て覚えることが多く・・・そのサイトのいいところは、じっくりと検討ができるところです。自分の碁の悪いところを、自分で気付くことができると、次に生かせます。
NHKの囲碁講座のテキストには、付録として小さい本がついています。「テーマ別徹底後略」という本なのですが、これがけっこう面白くて。33の基本的な定石や、ヨセのお得な打ち方、簡単な手筋などは、このミニブックで少しずつ覚えています。
NHKの囲碁講座で勉強しつつ、日々の実戦。
こう書くとすごーく勉強しているように見えますが、あんまりそうでもないですわ。覚えた端からすぐ忘れるし(笑)。先日の土曜日は、そのいつもの囲碁サイトで二連敗、中押し負けを喫しました。それも、最悪なことに、何が悪かったのかが良く分からない^^; 最初の一局は、カカリに対し挟まれた後の処理がダメダメだったのですが、次の一局は・・・う~む。
今日、もう一度、サイトに行ったら検討してみるかな・・・
まだまだ弱いので、ひどい負け方をすることも多いのですが、それでも・・・多分、私は囲碁が好きなんでしょう。(向いてるかどうかは疑問の余地がありますが^^;)「神の一手」なんかにはとうてい及ばないですが、まっさらな碁盤に自分の陣地を築いていく・・・私は碁の序盤が特に好きです。布石が終わり、戦いはこれから。さあ、どこからで打ってこい!なんちゃって。(BGMは「♪僕がキミを支えて~キミが僕を支える~♪のヒカ碁のオープニングテーマでどうぞ(笑))
まだまだ実力は全然ですが、打ち続けて負け続けても、少しずつ少しずつ強くなれたらいいなぁと思う、今日この頃です。これからもみなさんよろしく♪
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2004.10.21
以前「トリビアの泉」で、ガッツ石松さんが言う「OK牧場」というのは心理学用語だというのがやっておりました。学生時代に心理学をやってたので、そのときに興味をもって改めて意味を調べたのですが、それ以後、まさしくそのとおりだなぁと思うことが多いです。
例えば、友達と待ち合わせて、友達が待ち合わせ時間になってもやってこない時。自分の反応として4つのパターンがあるわけです。あなたはどれに当てはまりますか?
自分をAとし、友達をBとします。
①AはOK、BはOKでない。
「あいつまた遅れやがって。ふざけんなよ、毎度毎度、俺ばかり待たせやがって、来たら文句を言ってやる!!」
②AはOKでない、BはOKである。
「しまった・・・待ち合わせた場所が分かりにくかったかな・・・それとも時間がまずかったかな・・・いや、すっぽかされたとしても・・・最初から、俺なんかと飯食うのがあいつ、気が進まなかったのかな」
③AもBもOKでない
「そもそもいつも俺は、誰と待ち合わせをしても、こうやって待ち合わせがうまくいった試しがない。あいつともいつだってうまくいかない。あの時もこの時も結局はケンカになった。もう二度とあいつと会う約束なんかよそう」
④AもBもOKである
「ああ、出がけにもしかして何か急用が入ったのかな? まあ、いいや、携帯もあるし、何かあれば電話をかけてくるだろう。本でも読んでもう少し待ってみよう。」
4つめが一番、理想的な在り方なのですが・・・つい、自分を振り返っても、何かあったときに相手を責めたり、余計な自責の念をもったりしてしまいがちです。
何かうまくいかないことがあっても、本当はAもBも悪くない。自分も相手もOK。これ一つを心がけることで、人間関係ってはるかにスムーズになるし、自分の心も軽くなります。
ぜひ、何かにむかついた時とか、嫌なことがあった時にご活用下さいませ♪
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2004.10.20
標題は、コンピュータグラフィックで、自然界の映像などを描く時に使われる理論です。複雑で無秩序に見える自然界の景色なども、全て一つの単純な形の繰り返しに過ぎない・・・ちょっと聞くと信じられないような話ですが、ホントらしい。この世界って意外にシンプルにできているようです。だから1と0の区別しかできないはずのコンピュータでも、現実に近い映像を作り出すことができちゃう。
でも私もずっと「フラクタクル」だと思ってましたー。これ、正しくは「フラクタル」なんです。知ってました?
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2004.10.18
更新にちょっと間が空きました(^^;)
先週、祖母が亡くなりまして、週末、通夜と告別式がありました。祖母は87才でした。糖尿があったので人工透析の必要があったため入院生活をしていましたし、もう年も年なので、知らせを受けたときもそれほどショックではなかったんですが、人の死に立ち合うと、いろいろ考えてしまいます。
祖母の一生は幸せだったかなぁ・・・って。
入院してからは意識もはっきりしなくなっていて、お見舞いに行っても誰だか分からない様子なのを見ると、どうしても足が遠のきがちで。かわいがってもらった思い出があるだけにやるせなさが募ります。
・・・ありがとう、おばあちゃん・・・
告別式では言えなかったので、ここに書いておこう。
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2004.10.14
東京国際フォーラムで開かれている「人体の不思議展」に行ってきました。東京国際フォーラムは以前にコンサートで行ったことがあるのですが、コンサートホールは分かるものの、「人体の不思議展」の会場を探すのに、時間がかかってしまいました。けっこう迷ってる人が他にもいましたねえ。
混むという噂だったので、わざわざ平日に行ったのに、意外なほど混んでいました。平日でこれじゃ、休日なんてひどいでしょう。おまけになぜか子供が多い。学校はどうしたのかね、君たち。前でも後ろでも、「ほら、○○ちゃん、ここが心臓だよー」などとお母さんが子供に説明しています。子供はガラスにぺったり手を付けてしまうので、けっこう展示ガラスには手の跡がペタペタと・・・まあ、でもはりつきたくなる気持ちは分かりますわ。
本物の人体のプラストミック標本。作り物じゃないところが衝撃的です。脳の中、体の中・・・これが美術館なら、適当に見て流れていけますが、なんていうんでしょう、これこそ、「釘付け」って感じ。とにかくすごい。
人間の体の中に胃や腸や脾臓や肝臓がこんなふうにつまっているのかーというのが実感できます。私が一番すごいと思ったのは、人体を縦に輪切りにした標本。横の輪切りもありますが、よくもまあ、標本とはいえ、人間を細切れにできたものだ、と正直思います。CTスキャン映像では、こんなのを見られるみたいですが、その実物ですよ。う~すごい、信じられない。
江戸時代の終わりに、初めて当時「腑分け」と呼ばれた人体の解剖を行い、人間の体の中身を見ることができた人達もこのくらいびっくりしたかなぁ・・・
↑こういう話って、子供の頃、「マンガはじめて物語」とかで学びませんでした? 私もすっかり忘れておりましたが、「杉田玄白」とか「前野良沢」って名前、ピンときます? あらためて調べてみると、彼らが腑分けを行ったのは、私はすっかり明治になってからだと思っていたんですが、江戸時代の終わりだったのですわ。すげー。
(興味のある方は「解体新書」や「杉田玄白」で検索をしてみてくださいませ。勝手にリンクは張れないや^^;)
今回の「人体の不思議展」がすごいと思うのは、単なる骨格の見本や筋肉の見本だけでなく、リンパ腺や血管の見本が見られることです。標本の後ろ側に回ると脊髄が見える。ホントに背筋がゾクゾクしますよ。
人間の体・・・すごいですね。一生の内にこんなものを見られるのは、今回だけかもしれない。もしお時間があれば、みなさんもぜひ、見に行ってください。あーでも、血を見るのもダメな人はダメかな。
つくづく・・・自分が「好奇心」いっぱいの人間であることを自覚してしまいました。
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2004.10.12
さてさて、最近この年ともなると、普段よく話す女友達も、結婚して、子供もいたりするのが当たり前。一昔前よりも、結婚の平均年齢も上がっているし、独身女性も少なくないので、そういう意味では肩身がせまい思いもそれほどしなくて済んでいますが、ただそうすると、母が5年前に亡くなっているので、家族というと父と自分だけ。これ以上家族は増えようがないなぁと思っていました。今日までは。
なんと、今日、父に再婚話が持ち上がっているという告白を、本人から受けてしまいました。いやーまあ、別に不思議なことではないですが、一方で、娘は一回も結婚したことがないというのに、父はもし再婚が現実化すると、二回も結婚しちゃうことになります。なんて・・・うらやましい(爆)
また、父が、けっこう嬉しそうにその話をするわけですよ。お相手は知り合いの紹介で縁のあった方だそうですが、父はその方がどうということよりも、自分にそういう話があること自体にうきうきしている様子。
これはいかん、釘を刺さねば(笑)。
相手の方は父よりも10歳も年下。定年して年金でかつかつの生活をしている父と比べたら、まだ現役バリバリの女性かもしれませぬ。私は父に言いました。
「結婚したからって、家のことをやってもらおうとか、そういうことを考えてるようじゃだめ。そういう方なら、あなたがその方を支えていくくらいの気持ちでないといけないよ。ましてや、家は特に財産とかあるわけじゃないし、せっかくきてもらってもその人を幸せにできるの? お父さん」
つーことです。 相手の趣味もろくに知らないし、付き合ってるというほど付き合ってもいないようだし、大丈夫なのかいな。完全に父と娘が逆転してまして、なんだか自分でもおかしくなってしまいました。その方にあったら、「ふつつかな父ですがどうぞよろしく」とか言いそうな自分が怖い。
相手の方には3人も娘がいて、みんな結婚しているそうです。あらまぁ、義理の姉妹ってか。いきなり親戚が増えるなぁ。
本当に、家族なんてこのまま父と娘だけで終わるかと思っていたのにすごい展開。長く生きてるといろいろ面白いことがあるものです・・・なんて人事じゃないやね^^; ほんと。
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2004.10.11
日付的には昨日、ですが、DVDで「ファインディング・ニモ」を見ました。私は、ディズニーアニメはファンではないのですが、「モンスターズ・インク」は好きでした。そして「ファインディング・ニモ」も面白かったです。見た人はご存知だと思いますが、ファインディング・ニモはクマノミという、イソギンチャクと共生するお魚の話です。以前「リトルマーメイド」を見た時から思ってたんですが、ディズニーアニメが作る海の中の風景というのはめちゃくちゃリアルできれいなんですよねえ。ファインディング・ニモでは、海のシーンなどもCGを使って描かれているのですが、いやぁ、ホントきれいでした。
作品的な美しさもさることながら、ストーリーも気に入りました。まあ、あれだ、私はけっこう「クサイ」といわれるベタな話が比較的好きで、たとえば、ほら、子豚が主人公の「ベイブ」とかも何度見ても「良いなぁ」と思ってしまうのです。ファインディング・ニモもそんなお話なのですが、最初、主人公のニモくんの、右のヒレがなぜか普通の魚のヒレよりちっちゃいのにびっくりしてしまいました。つまり生まれながらのハンディを負っている子なんですね。だからもう、親の心配ときたら人一倍。
「この子は普通と違うから、ちゃんとやっていけないかも」
「俺がちゃんと守ってやらなきゃこの子はだめなんだ」
そんな思いで、親(ファインディング・ニモではお父さんです)は心配で心配でしょうがない。解説では、小さなヒレは「子供に対する親の心配の種の象徴」だなんて語られていましたが、お話の最後で、お父さんは子供を信じることができます。その成長ぶりが感動ですよ。
もう一つ。そのお父さん魚は、子供を捜しに旅に出るんですが、途中でドリーという女性のお魚が道連れとなります。このドリー、ほんと、ちょっとオカシイんじゃないか、ぐらいの物忘れの激しい方です。今さっき話してたことも忘れちゃう。そういう病気、実際にありますよね。
だからお父さん魚は、ドリーを全然信用してない。途中で足手まといだから置いていこうともするし、言うことも信用しない。でも、お話の中では状況が行き詰ってしまってどうしようもないときに、ドリーの大胆な行動が事態の突破口を開いてくれます。ドリーはすごい。
まあ、大体が通常、私なども、失敗したくないから、何事も慎重になってしまうもの。どっちかといえばお父さん魚のような行動パターンにはまりがちですわ。思い切って前に進んでみること。誰かの話を注意深く聞いたり、必要な時には助力を求めること。そんなことも必要だし、物事を楽天的に考えることも必要なんだなー。
子供であるニモの方もいろんな体験をして、いろんな生き物と出会って、一回り大きくなって帰ってきます。
まあ、実際は、けっこう危ないことも多い。二匹ともよく無事で会えたなぁと冷静に考えると思うのですが、そこはまあ、お話ですから(笑)。いろんな出会いを通して親と子、それぞれが成長する姿は、見ていてとても勇気づけられます。
ちなみに、日本語の吹き替えは、お父さん役をとんねるずの木梨憲武、ドリーを室井滋がやってます。あはは、室井さん、とぼけたドリーがはまり役だ。憲さんも、こういうのいいかも。実写のドラマとかで、お父さん役とかぜひやって欲しいですねえ。田村まさかずよりは似合いそうだなぁ。
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2004.10.10
もし、カテゴリに「暮らし」なんてのがあれば、今日の話題はそれに入るのですが、まあ、新しくカテゴリを作るほどのことでもないので、つらつらといきましょう。今日のテーマは「食器洗い」。
食器洗いってもし、好きか嫌いかを私が誰かに問われたら・・・「あまり好きじゃない」と答えると思います。たとえば、レストランとかで、一日中、食器洗いをさせられる仕事なんかをやれと言われたら・・・う~む・・・仕事なら仕方ないか(笑) でも、「よーし、私にまかせなさい。ルンルン♪」って気分にはなれないだろうなぁ・・・。
ただ食器洗いというのは、物を食べた以上は必須の結果なわけですよ。嫌だからって、弁当の容器みたいに、ワンウェイの食器で食べるのは、味気ないし、経済的でないし、何より・・・ゴミが増えて環境に優しくない。
だから私も食器洗いをするときには、嫌だとは思わずに、きれいな食器でおしゃれに(?)食事をすることと引き換えの、必然の結果ということで甘受せざるを得ないと考えます。え?大げさ?
まあ、今朝も食器洗いをしました。きれいになった流しときれいになった食器。そういうものを見るのは気持ちいいです。これでまた、きれいな食器で、おしゃれに食事ができる。そこには多少の、生きていく喜び、みたいなものがあります。(・・・最近、だんだん文体が、すな部の武中さんに影響されてきている気がしてならない。気のせいかなぁ?)
つまり食器洗いというのは、食べた以上は必然的に発生するんですよ。なぜそんなことを何度も念を押すように言うかというと、世の中には、食事は自動的に出てくるし、食べたあとの食器は自動的にきれいになると考えている人がいるんですねー、信じられないことに。
私は、誰かのために何かをすることについてはやぶさかではありません。相手が喜んでくれるなら何でもやりたい、なんて殊勝なことを考えたりも時には致します。しかし、自動食器洗い機になるつもりはさらさらありません。自動食器洗い機があれば確かに便利でしょうけど・・・「あれば便利」とかそういうことで私を購入しないで欲しいなぁと思います。
いえ、購入希望も落札も、具体的にあったわけじゃーないんですが。つまり、余計なことばかり考えて、勝手に暴走する食器洗い機は、買い手がなかなか現れない、と。そういうことかしら?(笑) まあ、それならそれでいいわ~。
今日もそしてまた明日も、自分のための小さなキッチンで、食器を洗うことにしましょうか。
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今夜、仲間内で飲んでいるときに、ふと、信仰や宗教の話題になりました。これを読んでいるみなさんは、どうでしょう? 何か信じてるものってあります?
信じてるもの・・・多分、それって、人それぞれに、いろんなものがあって、たとえば、大好きなマンガの中で語られていたメッセージでもいいし、ふと耳にして好きになった歌手の歌でもいい。たとえばそれは、愛する人の存在や言葉でもいい。人生という闇の中で迷った時に、行く手を照らす指針となるもの・・・そういうものを持っている人は幸福だと思います。
私個人は、両親が信仰をしていて、私は当たり前にようにそれを見て育ちました。まあ、信仰ったって、私の一家は多分、そんなに真面目にがんばっていたわけでもなかったので、私も、かなりいい加減な感じですが、たまに、ふと、その信仰の中で教えられたことを思い出す瞬間があったりします。困ったときや苦しい時、悩んだ時なんかに。
世の中にはいろいろなことがあって、その中には自分が注意していれば避けられることもありますが、そうでなくて、自分の力だけではどうしようもないこと、どんなに自分が注意深くそれと向き合っていても、そうなってしまうことというのがあって。
私は5年前に、肉親の死に立会いました。
亡くなったのは、春の桜の時期でしたけれど、ちょうど、2月から3月の寒いころ、人工呼吸器をつけた肉親のそばに付き添いながら、冷たい雨の振る景色を病室から眺めつつ、自分のすべきことやこれからのことを考えました。そして亡くなった日には、肉親の枕元で小さな声で祈りました。その時に他に何もできることがなかったので。でも・・・その時に、肉親を送る方法を、誰に頼ることもなく、自分が知っていたことが少し嬉しかった。
生きること、死ぬこと。おそらくこの世界には、様々な価値観が共存していて、どれが正しいという絶対的なものは存在しなのではないかと私は思います。
「宗教」とは、ある一つの考え方が正しいと信じることかもしれないので、ある意味、様々な価値観の存在を認める信仰は不完全なのかもしれません。でも、私は、多分、それを、私と私の両親が信仰していた教えから学んだような気がします。だから、私はそれと出会ったことを感謝したい。
でも、その信仰が何かはここではないしょ(笑)。何を信じているかはおそらく、個人、個人の心の中の、大切なもので、人に押し付けるものではないのでしょうから。
みなさんも、自分にとって信じる「何か」を見つけてください。願わくは、それがあなたにとって幸福をもたらすものでありますように。
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2004.10.08
昨日は、またパソコンソフトの二級君と対局をしました。置き石を9子から始め、7子、6子、5子と幸い、順調に勝ち進み、昨日は4子置き(囲碁は弱い方が先に盤上に石を置いて相手にハンデを負わせます。つまり私は二級以下ということ。4子置きの場合は、4個、先に石を置きます)で勝負を挑みました。
布石は、互いに無難な進行。勝負どころは中盤に訪れました。私は、たいていいつも、局地戦しか見えておらず、大局を見ることができません。相手の石を取れそうだと思えば、深追いし、追い詰めます。この対局でも、いけると思ったところを深追いし、アタリ(次の一手で相手の石がとれることを言います)で追い詰めました。
ところがある場面で、二級君は、そこでまた逃げないと、私に石をとられてしまうというシーンで、逃げずに別のところに石を置きました。
「あら?」
私はすかさず相手の石を抜き(囲碁では相手の石を取ることを「「抜く」と言います)ましたが、その代わりに隅を殺されてしまいました。
これで戦局はどうなったかというと・・・いやー隅を殺されてどうなることかと思ったんですが、最後はけっこう大差で勝利♪
抜いた石のところが大きく自分の陣地になったので、めずらしく追い詰めたのが功を奏したようです。観戦していた方からは「ゲーム機殺し」とのありがたいお言葉をいただきました♪ ただ、「囲碁は石を取るゲームじゃない、囲うゲームなんだ」という教訓もいただきまして。
さて、次はいかなる勝負になりますか。お楽しみに。
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2004.10.07
詩というよりは、やっぱり恋愛カテゴリに入っちゃう詩です^^; でもまぁ、読んでやってください。
きみが今どうしているかを考えるのをやめれば楽になれる
きみの幸せを祈ることをやめれば楽になれる
きみのことを考えるのをやめ
その代わりに他のことを考えれば
私はとても楽になれるだろう
それはとてもよく分かるのだけど
忘れたくないんだ
きみを好きな気持ちを
そして願わずにいられないよ
きみが幸せであるように
どうしてなのかは分からない
でも愛してる
きみが好きだよ
楽になるよりも 今はまだ
私はきみを好きでいたい
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2004.10.06
DVD鑑賞が最近くせになり、昨日はトム・クルーズのマイノリティー・リポートを借りてきて、見ました。以下は感想でネタばれ注意~。
一言でいうと、「もっとすごい話かと思った」・・・です^^;
なんとなく、SFというよりは短編推理小説みたいなお話で。同系統の映画で思い出すのは「トータル・リコール」(主演、シュワちゃん)や「12モンキーズ」(主演ブルース・ウィリス)なんですが、その方がもっともっとドキドキしたなぁ。あとあれ。同じトム・クルーズものなら「バニラ・スカイ」。「オープン・ユア・アイズ」という映画をトム・クルーズがリメイクした作品ですが、あれはすごかったなぁ。記憶と偽記憶が入り乱れ、真実がぐちゃぐちゃになる。
この「マイノリティ・リポート」も、殺人事件を予知し、未来の殺人犯を事件前に逮捕することで、殺人を未然に防ぐというシステムがある未来世界で、未来の、まったく身に覚えのない殺人事件の犯人として追われる身になってしまうのが、トム・lクルーズ演じる主人公。未来と現実が入り乱れて、結局、予知どおり、主人公が、殺人を犯してしまうシーンはなかなかどきどきはしました。
「あれれ?」と思ったのは後半で。
主人公は、事件後に、結局はつかまってしまって、どうも「マイノリティ・リポート」というキーワードがうまく響いてこない。言いたいことはつまり、未来は自分で変えられるということのようだけど、主人公は、理由はどうあれ、殺人を犯してしまったことは事実なわけだ。
それに今、思ったのだけど、結局、主人公を嵌めて、殺人犯にしたてあげたのは誰だったのだろう?
ふむ・・・つまり、殺人には理由があってそれは殺人が起こった後に理由が判明することもあるし、それでいくと、殺人の実行犯だけを裁けないから、未来予知により、事前に殺人を防止するシステム自体がやはりまちがってるということなのかしらん?
まあ、それならそれで、そういうふうにお話をまとめれば、まだすっきりするけど、お話の中では、主人公の義理の父親の犯罪などが明らかになったりして、結局その未来予知による犯罪防止システムは崩壊する。
なんとなく見ていて、消化不良のような、言いたいことがなんだかよく分からないような、でもまぁ、その未来予知システムで利用され続ける限り、人間らしい生活ができない未来予知能力者(プリコグ)は、システムの崩壊で、任務から解放されて幸せになって、それだけはよかったような・・・
とにかくちょっと「訳分からないまま終わったなぁ」という印象が残る映画でした^^;
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2004.10.05
「春眠暁を覚えず」などと申しますが、秋もどうも眠くなりませんか? 昔、「雨の日のネコはとことん眠い」という本を読んだことがあるんですが(現在は絶版らしいっす)、つまり動物は雨の日は必然的にエサ取りなど行動が制限されるため、エネルギーの消耗をなるたけ小さくするために、眠くなるんだそうですよ。
と、いう言い訳はともかくとして、少し涼しくて、外は雨で・・・昨日の夜は、いつものように、ネットで囲碁を打つためにらんまさんという、個人で囲碁サイトを運営されている方のサイトのおじゃましていたんですが、対局相手を待っている内にすっかり眠くなってきてしまいました。
結局耐えきれずに、居眠りをしていたら、Holyさんという、私よりはとてもとても上位の方がサイトを訪れてくださって
打って下さることに。
ところがもう、眠さは最高潮。打ち始めたのはいいものの・・・思考がほとんど停止状態・・・最初の方は、なんとか辺を固めていましたが、中央の地を荒らさないといけない、勝負の肝心な部分で、もう全然頭が働かず、結局切断されてアウト・・・投了~って感じでした。
Holyさん、せっかく打っていただいたのに申し訳ありませんでした。(ってここは見てないか)。
先日は、対局中にトイレに行っていたら、集中力が途切れ、大切なところでミスって石を殺されてしまったことがありましたっけ。プロの対局なんかでも、すごく長いじゃないですか~。眠くなることはないでしょうけど、トイレとか行きたくなっても、トイレ中もずっと盤面に集中してたりするのかなぁ。だとしたら、すごいなぁ。
今夜はさて眠くならずに対局できるでしょうか。不安だ~
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2004.10.04
昨日は、マトリックス三部作の最後の作品「マトリックス・レボリューションズ」をDVDレンタルで見ました。私は、マトリクスって、一番最初の作品がとても好きでした。二作目の「リローデッド」は映画館で見たのですが、それが実は今一つでして・・・^^; ではシリーズ最後の「レボリューションズ」がどうだったかといいますと。
ストーリーが、分かるような、分からないような・・・マトリックスってもしかすると、映画だけじゃあまり話が分からないのかもしれませぬ。解説本がいろいろ出てるようですが。
私はけっこうSFが好きで、多分、普通の人よりは読み込んでいる方なのですが、マトリックスって話は、現実と仮想現実の絡みがなかなか複雑です。キアヌ・リーブスが演じる「ネオ」という主人公は、現実と仮想現実、両方の世界を救う救世主としての役割を背負っています。レボリューションズでは、ネオは、仮想現実内で、暴走、増殖したスミスというプログラムを倒すことで、機械と人間の現実社会での戦争を終わらせることに成功する。きちんと救世主としての役割を果たしたんですわ。ネオ、えらい。
でも、つい考えてしまうのですよ。
「スミスを倒す」というのは、実際、どういうことだったのか。
映画内では、それが映像となって、アクションシーンとして繰り広げられるわけですけど、実際はマトリックス上のデータが相手を消去せんとして戦ってるわけですよね。不思議だ。
そして、そもそも・・・「リローデッド」を見たときから思ってたのですが、「ネオ」の存在自体が、もしかすると現実のものではなくてコンピュータ上のプログラムだったような気もします。
でも、一応、現実の「有機物としての」ネオはちゃんといて、トリニティーという恋人と、人間らしいラブラブシーンを演じたりしてるんですけどね(これは「リローデッド」でのお話)。
ネオという、マトリックス上の、全てを超越する存在。その存在とバランスをとるために、コンピュータが生み出してしまったバグ(?)、スミスの存在。
「マトリックス」という作品に、私が惹かれるのは、仮想現実(=マトリックス)の世界では、生きている人間以外に、たくさんの、人間ではない、仮想空間上の「プログラム」が人間以上に人間らしく暮らしているという設定だったりします。もし私が、マトリックス内に入れたら、「預言者」とか、会ってみたいなぁ。
なんちゃって、やばい・・・以前「ルサンチマン」というマンガをこのブログで紹介したことがあるんですが、私はどうもそういう仮想現実の設定に魅力を感じているみたい。
現実逃避かなぁ?(^^;)
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2004.10.02
すっかり、食べ物の話題になってしまっていますが、かまわず行きます(笑)。
私はごはんも牛乳も好きですが、実はシチューというかスープというかそういうものも好きです。なので、皆様、「スープストックトーキョー」って店、ご存知でしょうか。スープの専門店で上野駅や、東京の丸ビルや、ビーナスフォートや、赤坂のアークヒルズなんかにあります。もっと近ければ、私はきっと毎日でも通ってしまうでしょうが、あいにく遠い。
今年の6月の末から7月初旬、私は、友人の薦めで、ハンガリーのブタペストに旅行にいきまして、それ以来ちょっぴりハンガリー好きになりつつありまして。大好きなスープストックトーキョーにそのハンガリーのスープ「ハンガリアングーラッシュ」があるのを知り、「これは食べないわけには行かないでしょ♪」と近頃、ずっと、そのスープストックトーキョーのメニューにハンガリアングーラッシュがお目見えするのをてぐすね引いて待っておりました。
スープストックトーキョーのスープのメニューは週代わりでいろいろ代わります。スープメニューは全部で20種類くらいあるのですが、全部がいっぺんには食べられません。狙う、ハンガリアングーラッシュが、いつ、どの店に出るのかは、神のみぞ知る・・・
いやいや、そんなわけは本当はないはずなんですが、「スープストックトーキョー」のホームページを調べても、各店のメニューは各店にそれぞれ電話して調べるしかないようなのです。おいおい・・・頼むからそれくらいインターネットで分かるようにしてくれー。
で、まさか全部の店に電話して「ハンガリアングーラッシュ」を探しまわるわけにもいかず、とりあえず、東京の丸ビルだけは10月12日からハンガリアングーラッシュを出すのを調べたのですが、12日なんてまだはるか先・・・待つしかないかと思っていましたら。今日、実はたまたま新宿にいったので、新宿駅にもスープストックトーキョーがあるんで、覗いてみましたら・・・あったんですよー「ハンガリアングーラッシュ」!!!
ようやく念願の・・・ああ、嬉しい。店は混んでたので、テイクアウトして、家でゆっくりと味わいました。んまい♪ 具沢山の、パンに良く合う、食事にぴったりで、体にもよさそうな、思ったとおりのスープでした。
スープストックトーキョー http://www.soup-stock-tokyo.com/
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2004.10.01
昨日に続き、私の好きなものの話(笑)。今日は「森永のおいしい牛乳」を飲んでいます。うまい♪牛乳もダイエットにはよくないらしいですねえ(汗) ダイエットによくないものばかりが好きだなぁ。ってか食べることが好きなのがそもそもダイエット向きでないのかも。一方、酢の物とかはあまり好きじゃないのです。酢は体にいいのにねえ。でも小さい頃よりは、酢の物も食べられるようになりました。マリネとか、もずく酢とか、たことわかめときゅうりの酢のものとか。それと納豆が好きなので、コレステロールもう少しさがらないかなぁ。今日は豆乳も買ってきました。さらさら血になりたいよぉ~
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