2004.11.30
ドラゴンクエストの新作が出たそうな・・・悲しいかな、もしやるなら、プレステ2も買わなければできないのですよね。私の家のハードはプレステでストップしております。
RPGというジャンルが確立するるまでは、ファミコンソフトのゲームっていうのは「終わり」がありませんでした。どこまで行っても終わりがなく、ただスコアを積み重ねるだけ。ラストステージまでいくと最初に戻ってエンドレス。ゲームというものはそういうものだったのです。
最初に私がドラゴンクエストをやったのはシリーズのⅡのときでしたが、あの感動は、今でも忘れることができません。今から考えれば、映像もストーリーもチャチではありましたが、「こういうゲームがある時代に生まれてよかった」と本気で思いました。
その後、ファイナルファンタジーやロマンシング・サガやマザーやクロノクロス、女神転生などいろんなRPGをやりましたが、やっぱりドラクエは原点。ファイナルファンタジーのストーリーは忘れてもドラクエのストーリーは忘れません。
しかし、当時ティーンエイジだった少女もいまやすっかり大人になりました。ドラクエを作ってる人たちも、エンジニアもそれだけ年をとっているはずですが・・・
やはり、今またドラクエが出るってことは、やはり、私のような、ドラクエを原点と思うような世代を狙っているんでしょうかねえ?
う~む、ドラクエやるよりも、今は囲碁なのだけれど・・・困ったものだ。
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2004.11.29
先日、「キリクと魔女」という作品のDVDをレンタルしました。いっしょに、「猫の恩返し」もレンタルしましたが、印象度では「キリクと魔女」のインパクトがはるかに強かったなぁ~。浅野温子が魔女の声をあててるのですが、なかなか熱演でした。「キリクと魔女」はフランスのアニメなんですが、確か、スタジオジブリの招待作品、って位置づけだったようです。
小さくて頭のいい子、キリク。「一休さん」みたいだなぁと思いましたが、どちらかというと、昔のアニメ、「小さなバイキング、ビッケ」(タイトルちがうかも)を彷彿させますね。小さい男の子が、その機転で大人をぎゃふんと言わせるお話という点において。
キリクの機転や知恵は、それだけで見ているこちらがスカッとしますが、やはり、勧善懲悪が幻想だというところが、私としては好きです。
ネタばれになってはまずいので、詳細はここでは書きませんが、「なぜ魔女は意地悪なの?」という質問に、大人たちは誰も答えてくれません。魔女が意地悪なのは当たり前。理由なんかいらない。そう大人たちは言いますが・・・物事には何にせよ理由があるもの。キリクは最後にその答えに行き着き、それを克服することに成功します。
政治家は私服を肥やし、公務員は無駄遣いばかりし、若者は礼儀知らず。でもそれを嘆いているばかりでは、キリクの村の人々と同じなのかもしれない・・・
リスの小さな巣穴を通って賢者の元へたどりつこうとするキリクの小さな冒険が、とても楽しく見られました。う~ん、クリスマス用に、これをとっておけばよかったなぁ(笑)
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2004.11.28
久々に図書館へ行き、清水義範&西原理恵子の新作「飛びすぎる教室」を借りてきました。
私は、どうも清水ハカセ(いや、博士ではない)の雑学が好きらしくて。西原理恵子というマンガ家さんは、実は全然知らなくて、清水義範つながりで多少どんな人かを知っている程度のものだけど、この二人の、全くつながっていない、合作のこのシリーズは、意味もなく好きなのです。
その中に幽霊についてハカセが考察した一節がありまして。
人間って死んだら、霊魂って残るんですかねえ? 輪廻転生ってあると思います?
これってけっこう根源的な問いでして。今の世界って、どれくらい、これを信じている人間がいるのでしょうか・・・
私は基本的に人間ってのも、物質だから、生まれて生きて死んだらそれで終わり、というのが真実だと思います。いや、こう言ってしまうとみもふたもないのですが。生まれて生きて死んだらそれで終わり。なのに、どうして、死にたくないと思ったり、生まれる前や死んだ後、つまり、未来や過去のことを考察するように人間ってできてるのかなぁ?
猫なんか、きっと、そんなこと考えていないのに。
たかだか長くて80年しかもたない意識しかないくせに、生まれ変わったりもしないくせに、なぜ?
私はつくづくそれが不思議でなりませんわ。
「生まれ変わったらいっしょになろうね」
なんて誰かが言った言葉がありますが、生まれ変わりなんてない、んでしょう、やっぱね。だから、いっしょになりたいなら、今のこの世界でいっしょになればいいし、諸事情でいっしょになれないなら、すっぱりあきらめるしかない。生まれ変わったらいっしょに・・・なんて、ありもしないことを信じてそれに望みを託すなんて、悲しすぎると思ったりします。私だったら、自分の納得いくまで、みっともなくてもジタバタして、それで、死ぬ時は「まーやるだけやったからしょうがないやね」と思いながら死にたいなー。悔いのない人生。これですわ。死んで消滅してしまうのは、ちょっと怖いけど、今のところ、いつ死んでも、まだ、悔いのない生き方はできてるみたいです。
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2004.11.27
酒が飲めない私は、最近、飲み会なるものにまったく誘われなくなったので、よく、12月といえば、毎日何かしらの忘年会があって肝臓を傷める人もいるようですが、とりあえずその心配はしなくても大丈夫。でも、昨日はめずらしく、飲み会、でありました。
昨今、居酒屋などでも、ソフトドリンクは「ウーロン茶」しかないところは少なくなりました。昨日はまず、一件目ではグレープフルーツジュースを。「グレープフルーツ」がダイエットにいいというのをなんかで見たことがあるけれど、真偽のほどはおいとくとして、まあ、ビタミンCが多いことには変わりなく。普段あまり果物を食べない(だって一人暮らしで買うには高すぎるんだもの)私にとっては貴重なビタミンC摂取源です。オレンジやアップルジュースは甘ったるいけど、グレープフルーツジュースは、あのさわやかな酸味が飲んでて飽きないですなー。
グレープフルーツジュースの他、たまにそういう場で愛飲するのは、ジンジャーエール。色がきれいだし、見た目は、何かのカクテル風。おしゃれでよいですが、糖分が多そうなので、グイグイはいけない。
ウーロン茶は当然、定番で、今はどの店にもグレープフルーツジュースやジンシャーエールがなくてもウーロン茶はあります。正直、私はウーロン茶ってすごく好きなわけではないので、メニューが他にあれば、ウーロン茶は頼まないですが、「別に何も飲みたくないけど、何か飲まなくてはいけないとき」にはウーロン茶は助かりますね。安いし。
さて、ここでふと思うのですが、飲み屋にソフトドリンクがいろいろあるのは、おそらく、それがオレンジジュースやグレープフルーツジュースなどは、カクテルの材料だからなんでしょう。焼酎を割るのにも使う。だとしたら。カルーアミルクがあったりするんだから、牛乳はおいてるはず。なのに、なぜ飲み屋のメニューには「牛乳」がないのでしょうねえ(笑)。
まあ、昔から歌に出てくるフレーズ。バーにガキが入ると「ミルクでも飲んでお帰り」。ということは、バーにはミルクがあるのか(笑)。
いや、牛乳。あってもいいと思うのですが。だって、アルコール飲む前に牛乳をぐいっといっとくと悪酔いしないというし。牛乳好きの私としては、あったらうれしいのになぁ。
さて、昨夜、二件目では、トマトジュースをオーダー。けっこう、あの店のトマトジュースはうまかった。トマトジュースは確か「ブラッディマリー」とかいうトマトジュースを使うカクテルもあるので、置いてる店は置いていて、私は、トマトジュースがあれば、飲み屋ではトマトジュースを頼みます。なんたって、健康にいいしねえ。
この店には面白いことに「緑茶・ボトル」なんてメニューがありましたが、よくみると、それは焼酎のトッピングなのですね。私は焼酎って飲んだことがないのですが、ジュースや緑茶やウーロン茶で割ったり、梅干をいれたりして作る、あの焼酎の「何がうまいのか」・・・まあおそらく私には永遠に分からないのでしょうが、ちょっと興味は惹かれますなぁ。
ジンジャーエールで思い出しましたが、そういや、なぜ、飲み屋ってコーラはないのでしょう? まあ、コーラも糖分が高い飲み物なので、あってもそうたくさんは頼まないとは思いますが、「キューバリバー」とかいうカクテルが、確か何かのコーラ割りだった気がするし、あってもおかしくないのに。あったら、私だったら、最初の一杯はじゃあ、コーラにしようかしらん(笑)
と、いうわけで、たまに飲み屋にいくと、飲めない私もいろいろと楽しみがあります。どうせ割り勘負けはするんだから、飲みたいものがたくさんメニューにあって、飲めると嬉しい。いやいや、飲み屋としては酒を飲んでもらわないともとがとれないのかもしれませんけど(爆)。
希望するラインナップとしては、
「コーラ」「ジンジャーエール」「オレンジジュース」「グレープフルーツジュース」(以上は生ジュース希望)「トマトジュース」「ミルク」(なんとか牧場直送のミルクだと嬉しいなぁ)「ウーロン茶」「緑茶」「プーアル茶」(お茶のバリエーションも増えると楽しい。ホットもあるとなお良し。)「アイスティー」「アイスコーヒー」・・・・
あはは、飲み屋にこないで、ドリンクバーのある、ファミレスにいけって? いやいや、だから、飲み屋にもソフトドリンクバー作って欲しいわ。飲み放題で250円が希望♪(さすがに無理か)。
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2004.11.24
・・・またこの時期がやってきてしまった。
彼氏いない歴、もう数えたくない私にとっては、クリスマスってやっぱどうもすっきりした気分になれません。家族もちは当然家族とケーキでも食べているんでしょうしねえ。まあ、いいんですよ、街のイルミネーションもきれいだし、店も華やか。女友達とプレゼントも交換したりして。クリスマスまでは楽しめる。クリスマスまでは。しかし、いざ当日になると、なんとなく、何も悪いことしてないのに、空しい気分になるわけです。酒でも飲めりゃへべれけになるまでよっぱらって過ごしちゃうのにねえ。幸い今年は土曜日だし。
この空しさを感じないために、毎年、クリスマスに何か予定をいれるべく、友達に電話かけてみたりするんですが、またこれが、大体埋まってる。世の中の人はクリスマスも私よりもはるかに忙しいようで。
そんなふうに、無理して予定を作っても仕方ないので、最近は、テレビのクリスマススペシャルを見たり、レンタルビデオを借りたりなんかしながら、一人で過ごすわけです。
何か、そういう日にお勧めの映画とかないですか?「クリスマスに独りでみるのにベストな映画」・・・あなたのお勧め、お待ちしております。
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2004.11.22
さて、無事に簿記も終わったことだし、昨日はナッキーさんと二度目の対局。日中友好囲碁大会以降、久々の囲碁でした。ナッキーさん、ありがとう♪ 今回は、3子局で私が白を持ちました。
まず最初の一手で、置き碁なんて慣れてない故、いきなり、空いてる隅ではなく、うっかり星にかかってしまった^^; げげ。
かかった石から辺にひらいたのちに、当然ナッキーさんが先に空いてる星へ打ち、なんかもう気分は4子局?
さて、置き碁の場合は、相手の地を荒らしたり、さばいたりできなければ勝負にならないですよね。周りの黒が強く、どうやっても、ここは、白が外勢を築くのは難しそうな、右上隅に、勉強したての33勝負。ここは、定石どおりナッキーさんにうけていただいたおかげで、生きることができました。きゃー33で生きたの初めてかも~。
そして、もう一つ、こちらも黒が強い左下隅。こちらは、コゲイマじまりだったので、33は生きるの難しそう。でも入って・・・逆に33に入った石を攻められている間に、外勢を固めてみる。かなり、この外勢は無茶な手だったかもしれませんが、壁にすることができて、中央を囲える目処ができました。
その後の攻防は、後の検討でも話題になりましたが、ナッキーさんが中央上部の地を固める間に、私がガラガラだった右下隅から下辺に対し、先手でまわれて有利に。
そして中央上でできたコウ。コウだてをナッキーさんに受けてもらえませんでしたが、その代わり5子くらいアゲて、さらに左上隅をかなり荒らせたので、これは私の方が得だったようです。
最後の方、辺のヨセで、多少得もでき、結果的に下辺から中央にかけて大きい地ができ、勝利することができました。
弱い石とそうじゃない石。置き碁って、その勉強になるなぁと思います。私も置き碁で、自分が置く立場で上手に挑戦することが多いですが、上手って、ずいぶん無理な手を打ってるんですね・・・
下手で黒を持つ方は、自分の方が強いのだから、本当は、白の無茶な手に対し、どんどん攻めていっていいのかも。今度、置き碁で黒を持つ時は、そういう視点で打ってみよう!
と、いうことで、今回の対局もとても勉強になりました。ナッキーさん、またよろしくお願いします♪
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2004.11.21
第108回日商簿記検定試験、終了~。
あー、1回目と2回目は、終わった後、気持ちよい解放感がありまして、
「こういうの学生時代以来だわ。たまにはよいかも♪」
なんて、不合格の憂き目を見るともつゆしらず、うきうき気分になっていたものでしたが、今回は、終わって試験会場を出た時に、なんていうのかな・・・脱力感?(苦笑)
「これでもう毎朝毎晩、模擬試験をやる必要はないんだ・・・私、これからどうやって生きていこう?」
おいおいおいおい~!!
しかし、こんなにせねば受からないのかと、つくづく情けなくなりますわよ。だって簿記3級に初めて挑戦したときは、後輩に「直前一週間勉強すれば受かる」って言われたんです。その上、当時は、一週間に一度、仕事の後、簿記の講習まで受けていたし。私、もっと簿記の3級って簡単だと思っていました。それこそ、仕事の片手間にちょこちょこっと勉強すれば受かるのかと・・・
まあ、さすがにそりゃ甘かったかと、一度目の不合格の時は思いました。なので、二度目の時は、過去問を繰り返しやりまして、一応、自分では、それなりに仕上げて、臨んだのに・・・まあ、過去最悪の不合格率を記録したのが第107回の試験だったので運も悪かったんですけどね・・・。
今回は、問題を見て、最初、血の気が引きました。「合計残高試算表」じゃん!! その上、店ごとの売掛金&買掛金も出せってか!! なんで二回続けて、この問題が出るんだよ、おい!!!・・・見た途端、投げたくなりましたが、いやいや、ここで投げちゃいかん。
いや、さすがに出題者も反省したのか、今回の「合計残高試算表」はシンプルなつくりでしたね。量も前回より」少なかった気がする。これを仕訳しないで、最初の作戦どおり、Tバーを作るところから始めたので、時間を短縮することができました。
嫌な感じだったのは二問目の、支払家賃を損益に振り替えるやつ。ちょっとこれ、やってるうちに頭がパニック、メダパニになって、やっぱり戦いを途中放棄したくなりましたが、そういう問題は、とりあえず途中でほっといて、先に進むしかない。
1問目と、5問目は予定どおり。いきなり1問目の備品の仕訳が「直接法」だったのには驚きましたが。随所で、そういう、人を混乱に陥れる罠が貼られているわけです。5問目も同じ備品の売却の仕訳でだまされるところでした。パソコンは二台売ったのね。だから11万円で売却できても売却損なのね。ふふふ、手の内は読めてるんだよ、きみ。(何の勝負だ)。
全部解き終わって、20分ほど時間があまり、この時点では、まだ第3問目の右と左が合ってませんでした。仕訳段階から、時間の許す限りチェック。数字の転記ミスを見つけて、再計算・・・よっしゃ、これで3問目も貸借が一致!!
最後の10分で、よく分からなかった2問目をもう一度読み直し。
「ええと、期首の繰越は未払家賃で、期末の繰越は前払家賃・・・仕訳はこうなんだから・・・」
いや、これ、時間をかければ解けるはずの問題です。しかし、時間をかけてる余裕はない。最後に一箇所、間違いを見つけ、時間ぎりぎりに訂正。そして、終了~。(あれ、合ってるよな・・・(笑))
まあ、こんな具合で・・・いや、合格できてるはずですよ。というか、この文章自体、それを前提に書いておりますが。合格発表は12月7日。楽しみです。まじ。
思えば、最初の試験が今年の二月。簿記三級合格は、図らずも、2004年の悲願となってしまいました。合格したら、誰か合格祝いして・・・(笑)
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2004.11.19
「幸せな終末」
出会って恋に落ちるまでは
そう時間はかからない
どんなささいなきっかけだって
始まりには理由がない
結局恋はひとりよがりなもの
「欲しい」と願い
「得られない」と嘆き
「信じられない」と疑っては
「それでも好き」と
言わずにはいられないもの
相手には何の得ももたらさず
ソレさえ分かっていても
自分では止められないほど
強く相手を求めてしまう気持ち
つまりそれはパワーなのだろう
恋は病である
ビョーキそのもの
傷がいつかは癒えるように
病気はいつか治っていく
そしてそれは思い出になる
どんな恋もおそらくは
同じ経過を辿るのだろう
叶わぬ恋も実を結ぶ恋も
行き着く先は同じだ
ある日我に返って
お互いを見つめ直した時
せめて恋をしていた時の思い出を
共有できる関係でいられたら
それが恋の
おそらくは幸せな終末
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2004.11.18
先日、「自分の人生計画では・・・」なんて話を、ある方としておりました。
私は高校生の時に、自分の未来を予想した文章を書いたことがあるのですが、私なんかが学生の当時は「世紀末」ばやりで。1999年7の月。ノストラダムスの大予言は多かれ少なかれ、世紀末に生まれた我々の人生観に影響を及ぼしていたのではないかと思われます。2000年問題なんていうのもありましたしね。
子ども時代の私にとっては1999年は、すっかりもう大人になっていて、子どもの二人でもいるころかと思っておりました。自分が母親だとしたら、家族を守るために一番先に死ぬんだろうな、などと思っていましたよ。けっこう悲壮な決意ですわね。
当時、高校生だった私は、自分が将来、何になりたいか、何になれるかがまったく分かっていませんでした。混沌とした未来。将来について考えるのがそら恐ろしい気さえしていました。
そんな「自分は一体何者なんだろう?」という漠然とした不安が消えたのは、今をさかのぼること8年前。この年に実家を出て一人暮らしを始めました。やってみたら面白かったですねえ、一人暮らし。やっと、自分が、自分の人生を自分で決めるんだという自覚ができて、それ以来、訳の分からない将来の不安はなくなりました。いや、不安は今でもありますけど、訳が分からなくはない。矢でも鉄砲でも持ってこいって感じ(笑)。矢でも鉄砲でも、結婚でも・・・なんて思いまして、その当時が、結婚願望なども一番強かったっけ。残念ながら、いい縁には巡り会えませんでしたけれども。今、思えば、そのときに結婚してれば、1999年に子ども二人ってのもあり得なくはないのか。あそこで道を踏み外しましたな^^;
まあでも1999年に恐怖の大王は降らなかったし、とりあえず、かつての人生計画よりも、幸せに過ごしていることには間違いありません。
気になるのは、この先。とりあえず10年先、どんなふうに暮らしているだろう?
人生というのは、ジワジワ変化があるのではなくて、変わる時には一気に何もかもが変わるらしいです。ここ1年だって、もう恋なんかしないと思ってたのに、好きな人できちゃったしなぁ・・・
2004年も後、少しですね。みなさんも、たまには、人生を振り返ってみるといいかもしれませんよ。
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2004.11.17
第108回日商簿記検定試験まであと5日。
3度目の正直、今度こそ3級に合格しようと勉強に励む毎日です。一昨日、自分で模擬テストをやってみたら、なんと時間を30分余らせた上に、満点を取れたので、「こりゃ今回は楽勝だ」と思ったのもつかの間、「合計残高試算表」が第三問目に来る予想問題をやったら、やばい、時間がたりなくて五問目までいかない・・・それで34点しかとれてなかった(爆)。この落差はなんなんだー。
いや、「合計残高試算表」。実は、異様に合格率が低かった、前回、107回の簿記検定試験で、これが出題されたのです。私はそれで、前回不合格でした。
う~む、今回は、あれ、出るのかなぁ? いや、出なきゃもう楽勝ペースなんですが。
しかし何が出ようと今回は必勝を胸に誓っているので、ちと今夜あたりからは試算表の問題の練習を何回か繰り返してやってみるつもりです。
ここ2日は、夜は早めに寝て、3時とか5時とかに起きて、それから、簿記の模擬テストをしています。早朝って、静かで神秘的でよいですね。いや、朝寝が大好きな私が3時や5時に起きるなんて言ったら・・・何時に寝てるか分かりますか? 3時に起きた時は夜の8時には寝てました^^; 夜はだから、ご飯食べて、お風呂入って、歯を磨いて・・・他に何もできません。でも一人だと、やっぱり時間を好きに使えていいわ~。誰かといっしょだったら夜の8時に寝るなんてできなさそう。
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2004.11.15
囲碁関連でよくコメントを下さるまえださんのブログ、囲碁雑考RETURNSに「囲碁における読みとは?」という記事が出ていました。
「あたったかはずれたかはない、読んだか読んでないかしかない」・・・そのとおりだと思います。
昨日の日中友好囲碁大会の最後の対局で、「自分がこう打てば相手はこう打つはずだ」というのを、私はことごとくはずされましたけど、なんていうんでしょう、それは、「むむ、この人は私の知らないことを知っているな」という感覚。私くらいの級だと、こういうのを実感することがとても多いです。
この間、ふと、囲碁の初心者から初級者に上がるのって、「地上を歩く人と空を飛ぶ人」の違いだなぁって思いました。19路の盤面を、自分の打ってるところだけじゃなくて、全体として見られるようになると、一気に、空を飛ぶ鳥のように視野が広がります。地上を歩く人には見えない景色がそこにある。
たとえ今、攻め合いをしているそこで何子か捨てても、反対側でものすごく得ができる。それを分かるか、分からないかで打ち方も変わるし、まえださんには怒られそうですが、相手が、そこしか見えてないのが分かると、そこにトラップを作ることもできてしまう。(←こんなことはしてはいけませぬ)。
私は今、空をやっと飛べるようになって、それだけがめちゃめちゃうれしくて、でたらめに飛びまわっているわけですけれども、地上の景色には、実は道もあって川もあって、家もあるわけですわ。私はまだあまり地上の景色の意味は良く分かってなくて、山があったり川があったり、その全体が見えたりすることが嬉しくてしょうがない。
空を飛ぶことにも実はルールもある。
さらに高く飛ぶにはやはりコツがいるし、飛ぶ方向や近道や遠回りや、そこに流れる気流を読んだり、まあいろんなことがあるらしい・・・
あの気流を捕まえれば、今よりも高くいけそうだ。そんなものを見つけるとワクワクしますわ。
私の級くらいでは、要するに「知っていることと知らないこと」に差があるのかもしれません。まだまだ、だから本当の意味では、「勝負」にもなってない、つーことで。でも新しいことを知り、それを実戦で試したり、今回みたいに、さらに高いところをいく人と出会ってワクワクするのは楽しいことです。
そして・・・まあ、読めてないこともたくさんありますが、「さあ、この局面ではどこが一番大きいか。そして次に相手はどこに打ってくるか」・・・ええと、これって、読みって言わないの? まえださん~・・・そういうのを考えつつ盤面の流れを想像すること、これが今の私にとっての一番の「囲碁の楽しみ」です。
想像がうまく当たれば嬉しいですが、物語は意表をつく展開が面白い。
予定調和もそれはそれで面白い。予定調和なら水戸黄門。「この印籠が目に入らぬか」・・・囲碁だと「この三三が目に入らぬか」だったり?(笑)(いや三三は形で結果が決まるから、予定調和なのかなぁと)
最後はちょっと戯れ言になりました(^^)。
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昨日11月14日は、日本棋院で日中友好囲碁大会があり、私は職場の囲碁サークルの一員として参加しました。昨年も参加しましたが全敗だったので、今年はとりあえず一勝が目標。
日中友好囲碁大会では、団体戦の参加で、私は級位者Bチーム(6級から10級)、一チーム3人の内の3将、登録は9級。対局は4局あり、4連勝すると登録の級から二級上の認定がもらえ、3勝すると、一級上の認定がもらえます。
と、いうことで、はりきって参加・・・しようと思ったのはいいのですが、当日、体調を崩し、会場に開始時刻までに間に合わず、緒戦は不戦敗・・・チームの人にも大変申し訳ないことをしてしまいました。m(__)m 私以外のメンバーは、大将は勝ち、2将は負け。よってチームはまず一敗。
第2局目。私は会場には、なんとかたどりついたものの、なんだかフラフラする感じ。熱はなかったんですが・・・こりゃいかんですね。しかし、そうも言ってられない。マラソンの勝負ではありませんから、とりあえず昼休みを挟んで、ゆっくり休憩をとった後、いざ対局の場である、日本棋院六階の洗心の間へ。
いやぁ、昨年は、級位者クラスの対局は一階のロビーでやってたのに、こんないいところが会場でいいのかしら。ゆったりしたイスにきれいなテーブル。おまけに隣に院生が勉強するお部屋などがあるというのに、級位者クラスの参加者なんて小学校低学年のお子さん達ばかりですから、うるさいこと、うるさいこと。対局の合間は、バタバタ走りまわっちゃって、うわ~すみません、って感じ。
さあ、いざ対局。私の相手はおそらく10才~12才くらいであろうという男の子。大将に「負けるなよ」などとプレッシャーをかけられておりました。お子様相手の対局は昨年もありましたが、猛烈に早いのが特徴です。こっちが置く前にもう自分の石をもってる。このペースに巻き込まれてはこちらの負けです。なるべく時間をとるように、心がけました。彼は7級だったので2子置きでの勝負。
でも、彼は子どもながら、石の置き方も丁寧だしとても落ち着いていました。私としては・・・打ちやすかったかも^^;
私と同じで彼も、打ち込んでさばく技術がないようです。右の三連星の布陣が結局丸々私の地になり、さらに、下辺で彼の見損じで、私が先に相手の石を取り込み、有利に。
とはいえ、私もヨセでいくつか痛いミス。かなり差をつめられヒヤヒヤしましたが・・・結果は、18目差の勝ちでした。やったね♪ いや、肩を落とす彼の前で、喜びをこらえるのに必死でした。チームもこの回は3人、全勝。快調なすべりだしです。
次の対局では、子ども二人に年配の男性というチームと当たりました。子ども達がそれぞれ大将と二将。ご年配の男性の方が私の対局相手です。大人相手だとじっくり打っても大丈夫。がんばりましたよー。
しかし、結果は私の負け。う~む、敗因はというと・・・いや、終盤に入ったとき、その方が三三に打ち込んでこられたんです。うそでしょー! この方は私と同じ9級。三三で、この狭さで生きられる訳がない!!・・・いや結局生きちゃいましたが。あとでその方も言ってました。「いやぁ、ここは死んだと思いましたよ」。
えーん、こういうイチかバチかの手で相手に生きられるほど、自分が情けなくなることはありません。私は大体死活の勝負で相手の目作りを手伝ってしまうので、あまり手をいれずにほっといたんですが。改めて、三三の定石、及び死活を勉強し直そうと思った対局でした。チームは私以外の二人は勝って、チームとしては二連勝。
最後の対局では「風鈴会」という囲碁サークルの方が相手。大人相手だー、よしよし。しかし、このチームは強かったです。結果的には、私のチームは大将しか勝てませんでした。私の相手の方は7級で、また二子置きの勝負。おそらく私と同じくらいの年と思われる女性の方でしたが、この勝負では、序盤から、なんだか読みをはずされる。全然相手の方が私の読みどおり打ってこないのですよ。
接近戦の勝負では、そのため多少焦りが。私も、相手の意図をはずして攻勢をかけますが、きっちりと受けられ(または甘かったのか、手を抜かれることも)結局、どこも殺せないまま、18目差の差で敗北を喫しました。
いや~この対局では地力の差を感じました。うまいなぁ。終わった後、検討もしていただけて、なんだかとってもその女性の方が、ステキに見えてしまいました。ああ、こんな女性に私もなりたい。
検討時に相手の方がおっしゃるには、私はかなり相手に楽をさせてしまった様子。
「私がこう打ったのはかなり無茶な手だったんですよ。こう受けられたらこうなって、私はとても困っていたはずですけど・・・」
とおっしゃっていました。さらに、私が
「いや~、強気にいくとボロボロになることが多いので慎重にと思って」
と言ったら
「いつも誰かにいじめられているんじゃないですか?」
とのお言葉。あはははは。誰かって・・・このブログを読んでいる・・・そう、あなたのことかも!?
この時のお相手の方は昨日三勝されて一級昇格。6級の免状がもらえると喜んでおられました。いいなぁ。
私は1勝なのでとりあえず9級以下。この辺が確かに分相応の実力のようです。
いやいや、なかなか面白かったなぁ。三敗したけどとりあえず一勝の目標は達成できたので満足です。チームも二勝できたので(去年は全敗だったし)よかったよかった。もう少し、私もチームに貢献できるように来年はなりたいな。
また1年、実戦を積み、勉強もし、実力アップしたいと思います。上がまだまだあるというのはいいですね。
最終目標は・・・もちろん「いつか初段」!!
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2004.11.12
「定石」というのは、囲碁の定石のこと。「じょうせき」と読みます。
そういえば「定石」って言葉も囲碁以外にも使われますね。
囲碁には定石というものがありまして、つまり、「こう打った時は相手はこう打つ。そうすれば相手も自分も損にならない」という手のことです。19本の線が交錯するだけの狭い世界で、これだけ長い間、人類に楽しまれているゲームですから、そういうものがごまんとあるわけです。
世の中の理に、原則と例外があるように、もちろん定石にもいっぱい例外があるんですが、一応基本的には、「定石」というのは、こっちが定石どおりに打って、相手が定石ではない手を打ったとしたら、こっちがものすごーく得をする手があるはずなんですわ。そうじゃないと「定石」じゃないもんね。
ところが・・・相手が定石じゃない手を打った時、自分が次にどこを打つか・・・それが難しい。下手をすると、自分の方が一方的に損をすることになりかねない。なので・・・定石を覚えても覚えただけでは、役に立たないのですな。
私は「暗記」があまり得意ではないので、もとより、定石を最初から暗記しようなんて考えたことはありませんでした。でも、どこに打とうか迷った時に、定石はとても参考になります。ツケノビ定石などは、とても分かりやすい。私が最初に覚えたのは多分、これ。
今は三三(碁盤の端から三本目の線の交点)の定石を、なんとか物にしようと躍起になっております。三三に入って一度でいいから生きてみたい(爆)。そして、相手が無茶な三三入りをしたら確実に撃退できるように。三三に入られて生きられるのはいいとして、それなら自分は外と辺を厚くする、というのを常々心がけています。「三三に入ったことを後悔させてやる!」(笑)というのが自分なりのコンセプトなのですが、上手には食い破られることも。隅は19路全体の定石に比べてまだ数は少ないですから、少しでも物にできるようがんばりたいです。
以前は、「暗記は苦手だから」と覚えるのがいやだった定石。最近やっと、少し覚えられるようになってきたし、「覚えよう」という意識も湧いてきました。当面はまず、三三に入って生きることを目標に(笑)がんばろっと。
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2004.11.11
先日テレビを見ていましたら、最近、献血に来ても、血液検査の結果、献血を断られる人の数が激増しているというのをやっていました。原因はというと、鉄分の不足にあるらしい。
私は外食が多いわりには、貧血ってなったことはないのですが、献血で断られたことは何度かあります。あれは、ショックですよ~
昔、学生の頃、大学に行ったら、受けようと思った講義が休講だったりして、突然暇になると、近くの献血ルームで献血をして帰ったりしていました。なので、一応、献血回数はかなりの数にのぼります。
でも最近は、献血ルームが近くにないのと、近頃、献血するとうまく血管に採血用の針が血管に入らなくて、アザになったり、ひどいときは刺すだけ刺して、「今日は入らないので、またね」と痛い思いだけして帰されたりするのに嫌気が差してしまい、ちょいと献血から足が遠のいております。
いや、献血の話でなくて鉄分の話でしたね。
そのテレビによると、鉄分不足の原因は、偏食ももちろん大きな原因ではあるのですけど、それ以外に実はお茶やコーヒーによるのだとか。お茶などに含まれるタンニンが、鉄を体外に排出してしまうらしいのですよ。日本人に鉄分不足が多いわけだわ。
まあ、そういうテレビ番組を見るとなんとなく気になるわけで、昨日あたりは、レバーを食べました。
いや、自分でレバーを料理できないので、お惣菜の「若菜」で、鷄レバーを甘辛く煮たのを買ってきました。あとはひじきとか。大豆にも鉄が含まれているので、納豆食べてれば大丈夫かな。
でも、鉄をとるのと同じくらい、お茶やコーヒーはついつい毎日採りますよねえ。お茶もコーヒーも鉄には悪いかもしれないけど、健康にはいいし。う~む、難しいものだ。
まあ、まんべんなく、バランスのとれた食事。これがいいことに越したことはない。明日はごはんを炊いて、家で食べるかなー。
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2004.11.10
久々に囲碁カテゴリを更新しま~す♪
昨夜、11月9日(火)夜、ナッキーさんとネット碁で初対局をさせていただいました。嬉しい♪
ナッキーさんは日本棋院の囲碁教室に通われていて、棋歴は3ヶ月とのこと。私は一応、丸二年たって今年は三年目ですが、ヒカ碁のゲームソフトと、職場のあんまり活動してない囲碁サークルと、テキストだけは買ってるけどたまに見忘れるNHKの囲碁講座という棋歴ですから・・・気を引き締めていかないと~ということで、ドキドキしながら対局に臨みました。 握りの結果、ナッキーさんが黒番、私が白番。
序盤・・・う~む、ナッキーさん、布石がとてもしっかりしてる~
私は、普段いつも置き碁なので、星以外の初手って自分も打ったことがないし、相手にも打たれたことがないのです。よって定石もほとんど覚えてない。ナッキーさんが小目に打たれたので、一気に動揺^^; でもここで焦ってはいけない。自分はいつもどおり星に。
そこからはカカリと受けが始まりますが、私は実は挟まれるのが超苦手です。ナッキーさんには挟まずに素直に受けていただいたので、ほっとしてちょっと落ち着いてきました。左辺を三連星に打てたので、とりあえず、次は、自分の石が少ない右辺からの展開を考えるところ。
ここからの右上から中央の攻防では、かなり白、ピンチでした。根拠を黒に奪われて中央に逃げたはいいけど、ナッキーさんに急所に先に打たれ、周辺を囲われそう。
「げ、やばい^^;」(←内心の声)
なんとかこのピンチを脱しなければ・・・ということで、まずは黒が薄い上辺に進出。ここで3線の黒石を一子ポン抜きにでき、さらに中央でも黒石をシチョウで3子抜けたため、ここで一気に白が有利になりました。ピンチだった右の白ともこれで連絡、この辺の石が全て強くなったので、中央及び右下に対しても、攻勢に出られるのが嬉しい。
・・・と、いうことで、初対局は、なんとか勝利^^ ナッキーさん、ありがとうございました。
でも・・・中盤のピンチで、ナッキーさんにうまく打たれてたら、私、きっとダメダメだよなぁ。相手の陣地でのさばき方が思い切り下手で、下手だと、苦手意識の強迫観念で、いれなくてもいい手も入れてしまうし、急所は逃すし、それで焦って、後手後手に回り、悪循環になってしまいます。
いろいろと自分の課題も見えた一局でした。
今回は勝てましたが、ナッキーさんにはすぐに追いつかれそうな予感^^; 勉強と実戦とで、今後ともがんばりたいと思いますです。ナッキーさん、これからもどうぞよろしくお願いします~
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2004.11.09
村上春樹の短編集で、標題の「回転木馬のデッドヒート」という本があります。
私はこの短編集がとても好き。この短編集は、村上春樹がいろいろな人に聞いた奇妙な話を、短編風にまとめた話で、私はこんなふうに「ちょっと変な話」が好きなのですわ。もともとがSF好きですしね。
村上春樹作品は、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」や「パン屋再襲撃」や「ねじまき鳥クロニクル」や「TVピープル」などいろいろと奇妙な話を読みましたが、この作家さんは、小説を書く以外に、人の話を聞くことがうまいそうです。それを生かし、オウムの事件の関係者にインタビューを行い、それをまとめた「アンダーグラウンド」&「アンダーグラウンド2」なんていう作品もある。私は、単純に、人の話を聞くのがうまいというその1点においても、村上春樹という人を「すごいなぁ」と思うのです。
「回転木馬のデッドヒート」の序文では、村上春樹本人が書いた、彼のスタンス、みたいなものが綴られていて。 私は、この序文を読むたびに「本当にそうだよなぁ」と思います。
「回転木馬のデッドヒート」・・・この世界に生きている私たちは、ある既定の枠の中で、誰も追い越さず誰にも追い抜かれず、どこにいくわけでもなく、同じ場所をぐるぐると周り続けている。なのに、いるはずもない仮想の競争相手に向かって、必死にデッドヒートをしているように見える。私達が生きるこの現実で、時に奇妙なことが実際に起こるのは、きっとそのせいなんだろう・・・
(う~ん、私が意訳すると変な感じですねえ。興味のある方は本書を当たってくださいねー)
さて、どこにも行けないことを分かってしまった私としては、まだデッドヒートを続けるか、それとも・・・なんてことを日々考えたり致します。
でも、まあ少なくとも、私はそんな人間のおかしさ、みたいなものを肯定的に考えたい。
だから「清水義範」作品なんかも大好き。清水義範という作家さんの作品についても、またいずれレビューしたいと思います。
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2004.11.08
「たとえ話」
ほんとにぼくは
きみを愛してるんだろうか?
時折考える
ぼくは鏡に映った自分を愛しているだけなんじゃないかと
きみに何かをしてあげると
きみが喜ぶ
きみが喜ぶとぼくもうれしくなる
きみが喜ぶとぼくも幸せ
きみが悲しいとぼくも悲しい
きみは鏡に映ったぼく
ぼくはぼくの姿を見て喜んだり悲しんだりする
ある日きみがぼくを映さなくなった
ぼくがプレゼントをしても喜ばなくなった
いっしょに食事に行ってもおいしいと言わなくなった
ぼくはがっかりして
ぼくの姿を映さなくなったきみを見るのが怖くなった
きみは言った
「私はあなたが喜ぶと思ってあなたの望むようにしてきた」と
「高いプレゼントも高級レストランの食事もいらない」と
「私が本当に欲しいものは」
きみが欲しいものは何?
今度はぼくに本当のきみを教えて欲しい
もう一度やり直そう
鏡でない真実のきみを
今度こそ本当に愛したい
これは一つのたとえ話
これは私と貴方
願うのは一つ
・・・本当の貴方を教えて・・・
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2004.11.07
今日はちょっと軽めな話題でいきましょう。あなたの冷蔵庫に入っている生卵。いつ買ったものだか、見に行かなくても分かる人、手を上げて(笑)。私は、分かりますよ。昨日、買ったばかりです。今日はそれで雑炊を作って食べました。・・・というか、2日前に炊いたごはんがあまってたのですが、さすがに「生」の状態では、このごはんはやばいだろうと思ったので、一応、火を通してみました。ここ最近、ちょっと暖かいですからねえ。ご飯の加工品を作る場合は、チャーハンでもおじやでも、卵は欠かせませんよね。
さて、この卵。私は10個買ってくるとまず食べきれないので、割高ではありますが、いつも6個入りを買ってきます。しかし、私には卵を毎日食べる習慣がないため、「卵料理」を意識して作るときでないと、卵を消費することができません。オムレツでも、ゆでたまごでも、目玉焼きでも、いり卵でも、なんでも作ればいいじゃないかと、主婦のヒトコさんなどは思われるかもしれませんが、これがねー、なかなか・・・
だいたい、日々の食事って、朝はパンとコーヒー、夜は、よくて、ご飯と納豆と、買ってきたお惣菜一、ニ品、という生活なので(悪いとスーパーの500円前後のお弁当、または外でラーメン)、卵を使うチャンスがないのですよ。実は、今回、卵を買う前日に、その前に買った卵が一個だけ冷蔵庫にありました。雑炊に使うのだから、生で食べるわけでなし、まだいけるかどうか、一応、割って中を確かめてみたのですが、見た目はそれほど変わりませんが、気のせいか、白身に透明感がなく、黄身にも弾力がなく、へにゃっとしてる感じ。捨てるのはもったいない気がしたのですが、先日も風邪でおなかをこわして、ヘロヘロになったばかりなので、やはり健康には代えられず、卵はそのまま、流しの三角コーナーへと消えました。
さて、くだんの卵。いつ買ったものだったか、予想してみてください。・・・・しました?(笑)
最近はスーパーで卵を買うとちゃんと賞味期限シールが貼られています。えーとそれによるとですね。2004年の8月10日。
・・・一瞬でも使おうかと考えた私。これでもうん十年、人間をやってます(爆)。
こんなんを、「グルメ・クッキング」カテゴリに入れてすみません。
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2004.11.06
出典元が分からないのに、つい思い浮かぶフレーズってたまにありません?
歌とかも誰が歌ってたのかも分からないのに、つい口から出ちゃう歌ってありますよね。まあ、それは大体CMソングなことが多いのですが。恐るべし、テレビの刷り込み効果(笑)。
タイトルは、あるフレーズの一部ですが、多分CMではないのでしょう。多分、私よりも年上の方ならすぐに、「ああ、これね」って分かると思います。年下の人は、「何これ?」なのかなぁ。さあ、出典元が分かる方はトラックバックかコメントをどーぞ(笑)。
いや、昨日はちょっと寝るのが遅くなったので、今朝はけっこう遅く起きて、朝、風呂にお湯を張って、のんびりと風呂に浸かっていました。きもちよかった~。以前、家族と住んでいた頃は、明るいうちに風呂に入るなんて考えられなかったのですが、一人暮らしをしていると、あらゆる「常識」というタブーを、一人で打ち破ることができます。まあ誰に迷惑がかかるわけでもなし。
で、風呂に浸かりながら浮かぶ、このフレーズ。「♪朝寝、朝酒、朝湯が大好きで そ~れで身上(しんしょう)つ~ぶした」。このあとに「もっともだぁ~もっともだ!」と合いの手が入るらしい(笑)。なんだこれ? いや、どうしても知りたければネットで検索をかけるか、「教えてgoo」に書き込みでもするんですが、いや、別にそこまですることはないかと(笑)。
まあ出典元は分かりませんが、意味はよく分かっております。つまり朝寝や朝酒や朝湯が大好きなやつぁ、ろくでなしだから、いずれ、やってけなくなるであろう・・・そんな意味。
私は酒が飲めることに憧れはあるのですが、どうも体は憧れについていかず、アルコールを摂取すると、どうき、息切れ、めまいのオンパレードになるので、最近は無理して飲むのをすっかりやめてしまいました。気持ちが悪くなるのを分かっていて、何ゆえ酒なんか飲まなくちゃいけないんだーと、それが一応持論。飲める人のことは本当うらやましいですわ。・・・なので、朝酒どころか、寝酒も、ランチビールも有り得ないのですが、朝寝と朝湯は大好きです!!
やばい、ろくでなし、一歩手前・・・^^;
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2004.11.04
たまに思うのですが、ある人にとってはものすごく大変なことも、別な人にとっては息をするように簡単にできてしまうこと、というのが世の中にはあるような気がします。
みんなが同じことを同じようにできることが必要なのではなくて、自分が好きなこと、向いていることで、できない人の分も何かができれば、それでいいんじゃないの?などと思ったり致します。
たとえば英語をしゃべることなどがそうなわけですが、私は過去2年、高い金を払って、英会話スクールに通ったにも関わらず、ラスベガスで、レストランの予約をすることができなかった(汗)。英会話の演習で散々やったのになぁ。だめなんですよ、外国の方(その場合は自分が外国人なんですが)を前にして、話しかけるということがどうしても、どうしてもできない~。いや、英会話スクールの先生相手には一生懸命しゃべってはいました。しかし、それは先生だからできることであって、一般人相手になんかしゃべれませんよ~。
いや、これは英会話能力ということではなくて、コミュニケーション能力ということなのかもしれませぬ。英会話を習い始めたばかりの頃、よく言われたのは、「東京に住んでるなら、六本木で外国人を捕まえて友達になるのが英会話上達の一番の早道」なんてことでした。・・・確かに正論だ。多少危険は伴うにしても(笑)。
しかし、私にはそんなことはできない。自慢じゃないが、道を歩いてて知らない人に声をかけるなんてできない。もし、私が男でも、絶対ナンパなんてできない(笑)。
私には大変なことでも、別な人にはけっこう簡単なことかもしれません。私の、ある友人は、道を歩いていて、けっこういろんな人に声をかけられるといっておりました。え?美人だろうって? まあ、そうかも(笑)。ただ彼女は、外国語修得の能力もかなり高く、うらやましい限りなのです。
ということで・・・ある人には難しくても、ある人には簡単にできること・・・それは世の中には確かにあるのだというお話でした。
さて、今日のタイトルですが(笑)。私は英語だけじゃなくて算数もつくづく苦手です。今は簿記の勉強をしていますが、つくづく凡ミスの多さに呆れます。いや、もう仕訳は完璧なのだよ。問題は計算間違いだ。電卓使ってても、なぜか合計が合わない~。
囲碁ならば、私は地の計算がまるでできません。「こっちが15目、そっちが8目、ここが21目・・・・」これだけでもう合計の計算が暗算できないぞ(爆)。
う~ん、私ってバカかも^^; しかし、バカにも何かとりえが一つくらいはあるはず・・・そう、こうして文章を書くことだけが私の唯一のとりえなのです。それにしては、いつもたいしたこと書いてるわけではありませんが、読者の皆様、今後ともごひいきに~m(_ _)mペコリ
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2004.11.03
「ビックコミックスピリッツ」という男性向けマンガ雑誌が好きで(前も書きましたが、「ルサンチマン」(by花沢健吾)というマンガが好き♪)、毎週読んでいるのですが、その中に連載されている「ゼブラーマン」(原作 宮藤宮九郎、漫画 山田怜司)というマンガの中で、「大人テスト」というのがあります。問題があって、それの答えによって、大人だと判断されると処刑される、という物騒なテストなんですが。その第一問が「空はどうして青いの?」なのです。さあ、どのように答えましょうね?
主人公は、最初に答えに失敗し、大人だというのがばれてしまうんですが、二度目に大人テストを受けた時は、こう答えます。
「空は青だけじゃないよ」
この答えが、大人テストの正解かどうかは分かりませんが、作品の中では、問題を出した方は意表をつかれて、主人公は、窮地を脱することができます。
今日は、とてもいい天気でしたね。私も空を眺めながら、考えていました。
「空はどうして青いの?」
思うに
「空は青だけじゃないよ」
という答えは、大人テストの正解じゃないように思えます。だってそれはまさに大人の答えだもの。人間ってのは長く生きれば生きた分、物事のいろんな面を見ることができるようになります。
全ての事象は、善悪で分けることができないってこととか。いろいろなシーンで、正しいと思えることも正しくない時がある。空が「青だけじゃない」っていう答えはその象徴のような気がしませんか。
そして、そんな混沌の中で、真実は、その世界を生きる人間、一人一人が見つけるしかなくて。誰が正しくて、誰が正しくないか、それすら実は明確な基準なんてない。そういう多様性を認めることができるようになること。他者を尊重し、自分を尊重することができるようになること。
それが「大人になる」ということ。
子供って、そういう物事の多面性とか多様性を、捉えるのが難しいと思います。1+1=2みたいなシンプルな世界が子供の世界。だから空は青い。青くない空があるのを知った時・・・それは子供が一つ大人になった時なんじゃないかな。
小さな子供を教える時は、だから逆に、物事に多様性があることを知っていても「この問題はこれが答えだ」とはっきり教えてあげないといけないような気がします。教える側が迷っていたら、子供はどうしたらいいか分からない。
思うに、教育なんて90%は大人のハッタリ(笑)。でも、子供の前では、自分が迷っていることを見せないで、ハッタリをかますことが大事なんでしょう。いずれ、成長すれば、子供は大人のハッタリを見抜くようになる。何が真実かを自分で探すことを始める。そして、ある日、自分で空は青だけじゃないことに気付く。大人も迷っていることに気付く。
その時、もうその子は子供じゃない。一人の大人になる・・・
生きることは迷い探しながらの長い旅。
いろんな答えを捜し求めて、疲れた時も、空は青く、そして時には灰色になり、夜空になり、夕焼けに染まったりしながら、私たちの上に広がっている。そう思うと、一休みしたらまた、この旅路を歩き始めようと思えます。
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2004.11.02
この詩はちょっと以前に書きました。へぼたろさんのコメントにレスをつけていて、「そういや無人島の詩を書いたっけなぁ」と思いだしたので拙作ですが載せてみます。読んでやってくださいまし。
「無人島へいく前に」
母さんが
仕事で遅くなった夜
放課後
遊ぼうと誘ってくれる友達もいなくて
一人で帰る帰り道
コンビニで買ったおにぎりのビニールを
キッチンではがしている土曜日の昼
小さい頃を思い返しても
一人だった思い出しかない
家を離れ一人で暮らしても
だから全然平気なんだ
「人間はみんな一人なんだから」
寂しいなんて思っちゃイケナイ
友達がいないことを悲しく思っちゃイケナイ
1日中誰とも話をしないことがあっても
平気でいないとイケナイ
そうさ
無人島で何年も一人で暮らした人の話を知っている
だから生きていけるんだよ
誰だって一人でも
そう言ったらきみはただ黙って笑ってた
『ほんとはへいきじゃない
きみがいないとさびしくてしかたない
きみにあいしてほしい
きみにそばにいてほしい・・・』
無人島へ旅立つ前に
一度だけきみに尋ねてみようか
・・・いっしょに来ない?・・・
ふられたら
今よりもっと寂しくなるけど
それはもちろん覚悟の上で
明日、きみに打ち明けよう
きみはうなずいてくれるかな
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