「不食」ってホントかしら?
今日(正確には昨日ですが^^;)本屋にいったら、表紙に「不食」と赤い字で大きく書いてある本がありまして。調べてみたらタイトルは「不食」じゃなくて「人は食べなくても生きられる」(著・山田鷹夫)という本でした。
どんな内容なんだろうと、パラパラとめくってみましたら、文字どおり、人は食べなくても生きられるし、食べないとダメなんだと思うのは、間違っている、ということが書いてありました。
・・・う~む。さてさて、この本に書いてあることは本当でしょうか?
いや、まったく食べなければ、多分だめなんでしょう。冷静に考えるとそう思います。
この著者は、コーヒーとか飲んでるし、ヤサイなども食べている。確かに総量として大変小食なんですが、まったく何も食べていないわけではないのです。
「不食」というのはセンセーショナルすぎるコピーだなぁと思いますが、そういう過激さはある程度割り引いて考えるとして、私は実は少し、頷けるんですよ。不食の考え方って。
私は、世の女性のご多分に漏れず、日々、ダイエッターなんですが、以前、10キロ、自分の体重を減らした時の経験からいうと、一番、ダイエットにとって敵となるのは「食べなければ身体に悪い」などと考えることだったりするのです。人間に必要なエネルギーって実はそんなにないみたい。
ダイエットをしたときは、今までの価値観が変わりました。食べることにとても気を使うようになった。惰性で、ただ毎日三食食べるのではなくて、自分に必要な「食べ物」がなんなのか? いかにダラダラと必要もないのに食べていたか、分かるような気がしました。
人間は食べなくても生きられるのかもしれない・・・私はちょっとそう思います。
思うけど・・・不食は、実行できないだろうなぁ。今夜の夕食さえ抜けなかった。ホントは抜こうと思ってたのに。食べることにはいろいろな効用がありまして。不食が仮にいいことであっても、やっぱり食を手放すことは難しいのかもしれませぬ。
たとえば・・・私はお酒を飲めないので、酒を飲まなくても生きていけることはよく知ってますが、一部の人間には、お酒をやめることができないように、ね。
ちなみに・・・・誤解のないよう書いておきますが、ダイエットして、10キロ体重を減らしたことは事実ですが、それはもうずいぶん前の話。今はすっかりやせる前に戻っていまして、このリバウンドってのも、なんだかなー。やせるのってどうしてこんなに難しいのでしょうね^^;
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Comments
著者の勇気に敬意を払う者ではある。
今読み終えたところであるが、著者の「不食」は正しくないと思う。
何故なら食事のメニュ-をみると結構口に入っている。この程度の食をしていれば差ほど驚くに当たらない。
本の終盤には水とわずかな野菜程度で数年間過ごすといった過程が述べられるかと期待したが・・残念。
しかし著者の云わんとするところは理解できる。
小生も長年joggingを習慣づけている者で、思うに人には自浄能力が備わっているのに不摂生のあまりその能力を自ら失わせている人が圧倒的だと思う。20代後半からボチボチ失い始め50代頃からは腹の膨れた脂肪人間だらけになっている現状だ。
野郎どもは薬を常用しながら一向身体を動かそうとはしない。食うカロリ-は消費エネルギ-を上回っているから改善されない。
著者に問いたい。Jogging中に急に空腹を覚えガタッと力が抜ける時があるが、こんな時でも食わずに毎日走り続けてもいいのだろうか?
スキ-で賭けをした話が出てくるが、ならば一流アスリ-トも「不食」を実行しトップを目指したトレ-ニングが可能なのだろうか?
小生は無理だと思う。「不食」の実行者は仙人のような生活を目指す者ではないか。
人類がみんな同じ考えで争いのない社会ならばそれも通用できるかも知れないが、現状の社会環境に生きていては難しい。
もう一つ気になることは著者は神の存在を認めているようだが、その根拠はどこにあるのだろうか?これほどの勇気と実践をする人が神を恐れているのが不思議でもある。
キリストと釈迦の名が挙げられていたが、中身については触れられていなかった。
一体「不食」とどうゆう関係があるのだろう。彼らも仙人みたいな偉い人だが・・
小生は神を信ずることは出来ない。それこそ皆がそう云っているに過ぎない。
死後の世界が誰も知り得ないように誰も分からないことではないか。
不食で幸せを感じる者もいれば、飲み食いして幸せな者も大勢いる。
勿論世の中は良くなって貰いたいし、身近なところで自分なりの努力はするが、キリストや釈迦がいくら説教しても聴く耳を持たぬ愚か者が多いのが世の常で仕方がない。
「人生いろいろ」である。自分の人生だから好きなようにしたらいい。
Posted by: 佐藤中治 | 2004.12.09 22:02