2005.01.31
前回は「つまらなかった飲み会」の話題をしましたので「楽しかった飲み会」の話をしてみましょう。あまり楽しいと思ったことはない、なんて書いてますが、少ないけど楽しかったこともあるんですよ(笑)。
「行った店の料理がおいしかった」とかそうじゃなくて、話題として楽しかったのは・・・恋愛話(爆)。
いや、女性同士でよくあるような「のろけ」や「恋愛相談」じゃなくて、みんなの「どんな恋をしてきたか」みたいな話を聞くのは楽しかったなぁ。私は特に、男性が、「好きな女性にどうアプローチしたか」という話を聞くのが楽しくてね~。
「・・・・で、彼女とはどうなったの?」
「だめじゃん、それじゃー!! そこは、もっと○○すべきでしょ」
などと、女の立場で共感したり、茶々を入れたりするのがめちゃくちゃ楽しい(笑)。
以前、飲み会で「俺は恋愛はしたいけど結婚はしたくない」という持論を持つ男性がいまして。その男性に対しては、酒を飲ませつつ「結婚観」について、とことん追求してしまいました。いや、私と結婚して欲しいわけではなかったんですが(笑)「ふ~ん、男性ってこんなふうに考えるのね」ってのが面白くてね~。
また、過去、「私って、何で彼氏ができないんだろー」というのをストレートに男性に聞いてみたこともあったりします。泊まりがけの飲み会で、午前二時くらいの時間。酒が入らなきゃ聞けない話ですねえ(爆)。そのアドバイスがまた的確で面白かった。そのときも「ほー男性ってのはそう考えるんだ」と思ったっけ。
たとえば「男女間の友情は成立するか」とか、「好きでもない異性に告白されたら付き合うか」とか、そんな話は素面ではできにくい。いや、もちろん私は素面ですが(爆)。男性、女性、それぞれに持論がある人も多くて、そういう話で朝まで語りあったりしちゃうと、「飲み会も悪くないなぁ~」と思ったりしました。
人間ってのは面白いものだと私は思います。バカやっちゃたり、悲しくなったり、落ち込んだり、悩んだりすることもあるけれど、それを、人生の「おかしみ」として乗り越えていくためには、たまには飲み会でそれを吐き出すことが必要なのかもしれません。ニュアンスが微妙ですが、それは「愚痴」ではなくて・・・ね。
そんな飲み会だったら、私はまた行ってみたいなぁと思います。
それと、私は自分は飲めない分、酒が飲めることに憧れがあるので、相手が酒について語ってるのを聞くのはけっこう好きですね。日本酒の話、ワインの話。どこのどの銘柄がどんなふうにうまいのか。おかげで「日本酒」の銘柄、飲めないくせに多少は知っております。
いっしょに食事にいったら、私は飲まないけど、相手には遠慮せず、ワインとか飲んで欲しい。そんでそのワインの味について私にも教えて欲しいな~。
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2005.01.28
昨日は珍しく飲み会でありました。職場の同期が7名ほど集まりました。同期なのでね。特に気を使うこともなく、だから、酒がダメな私も、顔を出すことにしたのですが。
まず、時間通りにほとんど集まらない。幹事からして時間に来ない。
それに腹を立てるって間違ってますかねえ?
「俺はねー、仕事、忙しいんだよねー。時間どおり来られるわけないじゃん。あんたみたいに暇じゃねーんだよ」
と、言われているような気がしてならんのだが・・・
ほぼ時間どおりに集まったのは、私ともうひとりだけ。「ほぼ」というのは、みんなが遅れてくるのがわかったので、10分ほど遅くしてみた(爆)。なのに、まだ私の前に一人しかいない。その相手もみんながどうせ遅れると思ったので、そのちょっと前にきたとか。
時間通りに来ないなら、その時間に開始時間を設定するんじゃねーっての(怒)。
その後、その最初に来た人はその1時間ほど後に帰りました。他の約束があったかどうかは分かりませぬが、あきれて帰ったとしても、私はその気持ちがすごーく分かる。
開始から、30分後~1時間後に、人はようやく少しずつ集まりだしまして。結局その店の閉店まで3時間半、その店にいましたが・・・
飲み会の話題もほとんどが仕事のグチばっか。いや、自分も飲んでりゃグチでもいいのかもしれませんけど、飲めないものはしょうがない。
いや~無駄な時間を過ごしてしまった。とっとと帰って囲碁打ってた方がどんなにましだったか。
振り返ってみれば・・・仕事をするようになってから、何かというと飲み会だの、懇親会だの、歓送迎会だの、あるんですが、飲み会ってどうも、あんまり楽しい思いをしたことがありませぬ。
飲めないってのが最大の原因かもしれませんけど、飲めない人だって飲み会を楽しめる人はいますよね。
飲み会って、何が楽しいンだろう?
ってわけで、「楽しかった飲み会」「つまらんかった飲み会」両方でもどちらかでも、参考までにコメントかトラックバックして欲しいなぁ~なんて思います。ご覧になった方、ぜひよろしく~♪
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2005.01.27
気持ちよく晴れた冬の日に
どこまでも高い空を見上げた
きみを思うと今でもまだ
少しだけせつない・・・けれど
離れてもきっときみとの絆は切れないだろう
きみは私を忘れることはないだろう
いっしょにいた日々をふと思い出す度に
私を思ってくれるだろう
・・・元気かな・・・
ってね
私はきっと
きみがそばにいなくても生きていける
きみが私がそばにいなくても生きていけるように
私ときみは多分互いに不可欠な存在じゃない
じゃあ何かといえば
世の中にたくさんある人と人との出会いの中で
「こんな形もあるんだ」
っていう一つの・・・
そう、私にとっては「恩寵」のようなものだったかもしれない
月並みな言い方だけど
私が今まで出会った人の中できみみたいな人はいなかった
もしかしたら一生出会わずに終わったかもしれないのに
きみが大勢の人の中から
私を見つけ出してくれたのだから
この世界での「私」の存在っていうのも
もしかしたらまんざら捨てたものではないのかもしれないね
愛するきみ
大好きなきみ
私は・・・私のためにしか生きることができない
この出会いさえ 自分のために生かすことしかできない
きみのために何一つできることがない
でもそれをきみはきっと許してくれるだろう
私はきっと幸せになる
私が幸せならきみも幸せでいてくれる?
人はもしかすると
他人を幸せにはできないのかもしれない
自分を幸せにすることしかできないのかもしれない
『愛する人が幸せになるように』
誰もみな祈ることしかできないのかもしれない
それがこの世界の真実でも
きみと出会ったことを
この世界に生まれてきたことを
・・・私は感謝する
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2005.01.26
カラオケの話の続きです。
前回「○○オンリーカラオケ」の項でお話ししたように、yahoo掲示板で声かけを行って、中島みゆきオンリーのカラオケをしていたわけですが。いつの頃からか、そのカラオケの会を「中島みゆきしばりカラオケ」略して「なみしか」と呼ぶ人が増えてきました。
「しばり」???? いや、前回の記事にコメントをいただいたまえださんも「しばり」という言葉を使われていますが、私自身は「しばり」という言葉をみんなが言い出すまで全然知らなくて。私の印象としては「しばり」だなんて、ムチでビシバシやるイメージ(おいおい)で、あんまり気に入ってはいなかったんですが、まあ、呼びたい人がそう呼べばよい、とのんきに構えている内に、いつのまにか「なみしか」という呼称が定着しました。
私はそのカラオケの会を始める時に、何も決めないでやろうというのをコンセプトにしていました。呼称も、集まる人の役割も開催頻度も・・・
嫌になったらやめればいい。やりたいときにやればいい。誰も何の責任を負うことなく、拘束し合うこともなく。そう、たかがカラオケの会じゃないですか^^
でも回を重ね、参加者が増えるにつれ、カラオケだけでなくもっといろんなことをやってみたいなど、参加者のニーズも変わってきました。人が増えれば宴会部長も必要となるし、大人数では移動だけだって大変だ^^;
なかなか当初のコンセプトを貫くのも難しくなってきた頃に、「なみしか」は発展的解消(と私は思っております)をし、カラオケだけでなくいろいろなことをしてみようという新しいサークルなどにその流れを引き継いで、そこで「なみしか」は役割を終えました。それが約1年前のこと。
でも1年立ちましたら・・・こりない私は、またみゆきさんの曲、歌いたくなってきてしまいました(笑)。
何も決めないで、歌いたいときに、歌いたい人で、歌いにいく。
そんなふうに「みゆきさんの歌を歌う」以外の「しばり」はなるべく設けないで、これからもまた楽しんでいきたいと思ったりします。
♪自由に歩いていくのなら一人がいい
♪そのくせ今夜も人の戸口で眠る
(中島みゆき「友情」より)
自由がいい。でも孤独でいたくない。人間ってのは矛盾を抱えた生き物ですなぁ。
ただその矛盾を共通認識として持っていられる仲間なら・・・これは私の「叶わぬ夢」の一つなのかもしれません。
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2005.01.25
過去を遡ること5年前の秋。yahoo掲示板でこういう声かけをしました。
「中島みゆきさんの曲だけのカラオケしませんか?」
だって、ファンでない人たちの前でみゆきさんの歌を歌うと、なんだかその場が「ひく」んですもの。一度でいいから、思いっきり「エレーン」や「うらみます」を歌ってみたいよ~・・・で、同好の人々が集まり、中島みゆきさんの曲だけのカラオケの会は不定期に、今でも続いております。
私が主催していたのは都内でしたけど、今ではYahooの掲示板を通して、私が知っているだけでも四国や九州や北海道や・・・いろいろなところで中島みゆきさんの曲だけのカラオケが開催されています。その後、「地上の星」の大ヒットなどがあり、5年前にはカラオケにちょっとしか入ってなかったみゆきさんの曲も、今では機種によっては、アルバム曲も全て網羅するほどの活況を呈しております。いや~私らのせいではないと思いますが、これはすごいことだ。
○○オンリーカラオケ、というのは楽しいです。歌うのみならず、他の人の歌を聴いていても、大好きな歌手の曲である、というのがたまらない。
そうねえ・・・さだまさしオンリーなんてのもあるといいんですが・・・ヒトコさん、今度いっしょにカラオケいきませんか?^^
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2005.01.24
「ハウルの動く城」を、この間、見まして、一つ、印象に残っているシーンがあります。
主人公の女の子、ソフィーは、魔女の呪いで老婆に変身させられるんですが、その姿が、面白いことに、時々若返ったり、また老婆に戻ったり、します。
私が一観客として想像するに、あれはソフィーの自己イメージを表現しているように思えますな。
ソフィーの心の移り変わりがそのまま姿に現れる・・・ここの部分はなかなか興味深い設定でありました。
ヒーロー役の魔法使いハウルは絶世の美青年。対するソフィーは普通の女の子。その対比において、つまり、彼女は自分のことを全然きれいじゃない、と思ってるわけです。ハウルは美女の心臓を取る(比喩ではなく実際にとり殺す、といったようなイメージでこの作品の中では使われているようです)と言われてるけど、自分は美人じゃないから、ハウルだって私の心臓を取ったりはしないわ。物語の冒頭、彼女はそんなふうに自らを評しておりました。
また、こんなシーンもあります。金髪のハウルは超カッコイイ美青年ですが、地毛は実は黒らしい。魔法で髪を金色にしてるわけですが、ソフィーが、汚れ放題だった浴室をきれいに掃除したら、魔法が解けて、ハウルの髪は黒に戻ってしまう。そしたら、もうハウルは・・・怒るなら「大魔法使い」らしいのですが、どんよりと落ち込んでしまいます(このシーンは笑えた)。ハウルはそのときに・・・うろ覚えですが・・・きれいじゃなければ生きる意味がない、みたいなことを言うわけです。ソフィーはそれにショックを受ける。
「私なんか今までに一度もきれいになんかなったことがないわ」
そしてまた、後半にこんなシーンも。どうもハウル自身も、ソフィーに気がありそうという恋愛モードに突入して以降のシーン。ハウルはソフィーの手をとって、「きみはきれいだよ」というようなことを言う。このときはソフィーは少女の格好に戻っていたので、実際、まあ、かわいかった。なのに、彼女はそんなハウルの言葉を自分で否定して、みるみる内に老婆に逆戻りしてしまうのでした。
さて。この自信の無さ、というもの。
男性、女性を問わず、自分の姿に劣等感を抱いている人は多く、抱いていない人の方が世の中には少ないんじゃないかなぁ・・・
ご多分にもれず、私もそういう自分の容姿にはまったく自信のない人間の一人。ソフィーの気持ちには思わず感情移入をしてしまいます。大体がハウルなんて声がキムタクですから(笑)。キムタクが目の前に現れて「きみってかわいいね」と言われた時の女性の反応は
「ふふ、やっぱ私ってかわいいわよね」
というよりは
「からかってるんでしょ、やめなさいよ」
が自然かと思われますわ。
ラスト(ちとネタばれですが、まあいいでしょう)ソフィーはそんなハウルとラブラブになり、少女の姿に戻ることができます。この辺の経緯がまた「説得力ねーな」と突っ込みたくなる部分ではあるのですが(笑)。
私はと言えば、容姿にも、異性に対しても相変わらずまったく自信はありませんが・・・せめて囲碁では、自信を持ちたいと思い始めているところ^^ 過剰な自信は禁物ですが、少なくとも自ら望んで老け込むこともないわけでねえ。まだまだ若い者には負けませんわ(笑)
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2005.01.23
今回も囲碁のお話であります。
私が初心者から初級者に上がったな~と、自分で思えるようになったのは、
「ここは相手にあげる、代わりに私はこっちを取るよん」
と思えるようになった瞬間でありました。
『打ち込まれた石は、無理してとらない。相手がそこで生きたら、自分はもっと大きい、別なとこで得をしよう。』
私の打つ手がしばしば緩いと言われ、囲碁合宿の友人にも「相手を困らせる手を打たないとだめよ」などと言われるのは、多分、そのせいなんだろうなぁと思います。基本的な考えとして、相手がある一つの辺を固めようとしているのが分かったら、そこには無理して打ち込まないで、自分が得をできそうな別な手を打とう、と。
ケイマのカカリに対する星からのコスミつけなどは、その考えの象徴的な手でして。相手に辺をやる代わりに、自分は隅をもらおう、と。しかし、その手は上手の方に、「よくない」といわれました^^; 理由はおそらく「隅をもらったとしても、辺を固めさせてしまってはあまりにも代償が大きい」ということ。(ですよね?)
というわけで、そもそもの考え方を改良しようと、打ち込みやさばき方の基本を勉強しようとしているところなのですが、その前に。
昨夜は久々に9子置きの対局をしました。9子局って・・・いやぁ、久々だったので忘れてましたが、「無理してとらない、自分はこっちをとる」では勝てないのです^^; 打ち込まれて生かしたら、自分は中央に出るしかない。そうしたら何がなんでも相手を封鎖しないとだめ。だけど上手には、それって案外あっさりと突破をされたりしますし・・・そして、中央に広く取った地は、荒らされて小さくされるのが常。だったら、打ち込まれた石を少しは苦しめないとだめなんですなぁ・・・そう、そもそも打ち込まれた時点から、本来なら、黒の方が数が多くて有利なんですから。
昨夜の対局では、中央をとるのか、辺をとるのか、自分の方針がはっきりしないまま、ウッテガエシを決められたりするなど致命的なポカもあり、負けちゃいました^^;
まずは9子で・・・自分が取る場所と相手に取らせる場所の「大きさ」をちゃんと見極めないとだめだな。それに、大体が9子置きの白なんて無理してるに決まってるわけで。無理してるということは・・・やり方しだいでは、殺せるということ。
無理してる白をどう攻めるか・・・それも直接的に行かずに、遠くから攻める。これは昨日、打っていただいた対局相手の方に教えていただきました。
覚えたこと、教わったこと。それを生かしながら、仲間といっしょにがんばりたいなぁと決意を新たにし・・・
あれ?なんでそもそも、私、囲碁をやろうと思ったんだっけ?(笑)
最初は「ヒカルの碁」を読んで。「囲碁」ってどんなんだろうと思い、ゲームソフトを買ってプレイしてみたのがきっかけでした。ゲームソフトを攻略してしまったら、誰か人と打ちたくなって・・・そして同じくらいの初級者友達との出会いもあり今に至るわけですが。
やっぱね。囲碁って面白いですよ。これをご覧のみなさま、ぜひ、いっしょに打ってみませんか?^^
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ジブリの作品「ハウルの動く城」を見ました。
ふむ・・・見終わって、ぼーぜん。
「なんで戦争が終わったの? この戦争って何のためのものだったんじゃーーー」
いや、私は、あの動く城が、戦場で、バシバシ、大砲を打ちまくったり、敵を全滅させたりする、大活劇なのかと思っていたのですよ。
そしてソフィーは「魔女の宅急便」のキキのように、自立して生き生きと生きていく女の子(ばーちゃんも可)になり。
ハウルは無敵の魔法使いで(でもお間抜けなところがあったりして)、仲間みんなで、エゴにこだわる大国をバッタバッタとやっつけていく話だと思っておりました(笑)。
・・・はい、こんな話ではありません。読んだ方、誤解しないように。
脚本の出来がよくないのではないかと思います。いろんなこと盛り込みすぎなのではないでしょうか。昨今、ストーリー作りというのは、ゲームソフト業界でも、駄作は駆逐されているというのに・・・
いままで宮崎駿さんの作品は、ストーリー展開に矛盾がなく、お話として魅せるものでありました。このヒトなら、はずれがないと思っていたのですが、今回はちょっと、その破綻具合にびっくりしてしまいました。多分、あのラストには( ゚ p゚ )ボーーーゼンとする人が多いと思うのです。せっかくお城はよくできているのに。
えっと。これから見る方へ。
「ハウルの動く城」はラブストーリーです。余計なこと考えず、そう思ってみてください。そうすれば、きっと見終わって「面白かった」と思えるかも。
はー、私はその内、ビデオになったら、そう思いながら見てみよう。ここまで呆然とはしなくてすむだろうな。
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2005.01.21
♪ちからの限り生きたから~未練などないわ~
(「昭和枯れすすき」作詞:山田孝雄 作曲: むつひろし うた: さくらと一郎)
昨日は囲碁で見事なまでの逆転負けを喰らいました。圧勝の碁を落とす。アホちゃうか、自分。
まーでも言ってるほど、落ち込んではいません。
負け碁の数が勲章さ。いつか強くなったときに、「私もこれでよくやられた時代があったわ(ニッコリ)」と言えるようになりたひ。
昨日の碁では、「曲がりとび」のリスクと、三三の定石の応用で隅で生きられることと、攻めるにはまずしっかり守ってから、というのを教わりました。・・・そうね、まだ心中には早すぎる。
碁仲間には「不死鳥」とかいう、由来がよく分からないキャッチコピーを付けられましたが、まあせっかくなので、負けても一晩で再生することにします(笑)。プロメテウスじゃなくてよかった。ギリシャ神話のプロメテウスは、岩に縛り付けられ、ハゲ鷹に肝臓を喰われるのですが、一晩(?)たつと肝臓は再生するので、また次の日、肝臓を喰われるのです(こ、こわい・・・)
生け贄の美女(プロメテウスは男性ですが)はどーも柄ではないので、黙って肝臓を喰わせるよりは、やっぱ「フェニックス」の方がいいな。楽天に負けたけど(爆)。
まだ逆転負けショックから立ち直ってないせいか支離滅裂な文になってますが、 意味が分からん方、苦情は、コメントで受け付けます^^
(歌詞等を引用するときは、著作権のことが気になるものですが、引用のルールからいえば出典元を明かにし、かつ、本文の趣旨と引用部分を比較し、そのウェイトが本文にあるものならよい、とのことで^^; 念のためこちらのコラムなどを参考にさせていただきました。)
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2005.01.20
「或る休日」
きみは今頃どうしているか
久々に部屋をそうじして
一人でお昼ごはんを食べているか
それとも友達がやってきているか
私の知らない間にきみが何をしているかなんて
私に分かるわけがない
それはそう、逆も同じ
きみの知らない間に私はいろいろなことをしている
きみの知らない友達と旅行へ行ったり
きみの知らない同僚と仕事の話をしたりする
そうして日々は過ぎるもの
友達も仕事ももちろん大事なんだけど
きみはそもそもそのどちらでもない
誰とどこに行ったって 誰とどう過ごしたって
それがきみに代わるわけじゃない
きみは今頃どうしているか
考えてみたってどうしようもないことを
つい繰り返してしまう毎日
きみの知らない間に私はいろいろなことをしている
きみを想い
きみの幸せを
いつもいつも 考えてる
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2005.01.19
NHKの囲碁講座のテキスト2月号のテーマは、「打ち込みと荒らし」。すばらしー、グットタイミング~♪
自分で打ってて、相手の石が強いところに打ち込んでさばくのがどうもできないし、相手の打ち込みにも適切な対処ができなくて、それを課題に感じていたところに、なんてよいテーマなんでしょ。やはり「求めよ、さらば与えられん」ってホントなのね。
まだ置き碁の多い身としては、「小目の定石」なんてテーマの特集があっても、実戦にはすぐ使えないもの。以前、そういうテーマのときがあったのですが、読んでもちっとも身にならずに、数少ない互い先の相手に小目に打たれた時は、どうカカッたらいいものやらさっぱりでした。 2月号はじっくり読んで、身につけて、実戦で使ってみたーい♪と思います^^
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2005.01.18
以前、誕生日特典の記事で、カラオケのお店、パセラでは、バースディ特典でシャンパンとスペシャルハニートーストがもらえる、というのを書きました。私の誕生日は12月ですが、まだ権利を行使してなかったので、1月誕生日の友達といっしょにいってきました。私はアルコールはダメなんですけど、この日はシャンパンをちょっぴり飲んでみました。おいしかった♪ ハニートーストも果物がいっぱい乗っている、ほんとに「スペシャル」なハニートースト。もう普通のハニトー、食べられないかも。
友達とは結局、二人で3時間、カラオケを堪能しました。何を歌うかというと・・・たとえば、杉田かおる、結婚記念で「鳥の詩」など。う~む年齢がばればれだ(笑)。でも、いい歌なので、もう一度、杉田かおるがこのタイミングで、CDシングル出せば売れるかもしれないね~と友達とは話しておりました。
いっしょに行った友人は、左下にある「亜空間GOGO」というホームページで、長編歴史大河小説をネット公開しています。(興味がある方は、リンク先からどうぞ~♪) カラオケでは、その長編歴史大河小説の主題歌として、勝手に認定した歌もいくつか歌ったりして、なかなか二人で盛り上がりました。さだまさしの「冬の蝉」とか。けっこうさだまさしの歌って歴史ドラマの主題歌に合いそうなのあるんですよ~♪
帰ってきてから、久々にさだまさしの歌を、昔のカセットテープを引っ張り出してきて聴きました。アルバム「夢ばかりみていた」も好きな曲がいっぱい入っているアルバムです。「初恋」とかもとっても好きだわ~
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2005.01.17
今日は旅先のビジネスホテルからブログの更新をしております。ホテルの一階にパソコンが使えるブースがあるんですよ~。すごーい。なんて便利なんだ。
以前、自宅でインターネットが常時接続になる前は、近くのマンガ喫茶へよく出入りしておりました。パソコンを買って常時接続にしたのは、ネットで碁を打つためだったんです。なので、懐かしいな、この感じ。マンガ喫茶にいるみたい。
パソコンとケータイと。この二つで世の中はずいぶん変わった気がします。いや、今だにどちらも縁が無い人もいますけど、今現在は、どのくらいの普及率なんだろう?
私なんぞは、もはやネット上で知り合った友達が、それ以前に知り合った友達と同数くらいになってきました。この間、囲碁合宿をした友人などもその一人ですが、もしネットをしてなければ・・・囲碁をやってなければ・・・そしてあのサイトで出会わなければ・・・いっしょに温泉入ったりもしてないだろうね、と話していました。
そう考えると縁って不思議なもの。インターネットがなかったら出会えていない大切な友人たち。私にとっての宝物です。
このブログをお読みのみなさまにとっても、ネット上でいい出会いがあるといいですね。
え? もしかしてもう出会いました?^^
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2005.01.15
昨日は職場の人事異動による歓迎会でした。中途半端な時期に人事異動があるのは、私の職場では不思議なことはないのですが、私は今、そういうイベントごとがあるときの幹事をつとめておりまして。まあ幹事ったって、みんなの都合をきいて、飲み屋の場所をおさえて、集金して、払う、くらいのもの。昔とちがって、二次会のセットも最近はさぼりがちになってきたし、いいかげんなもんです。
いいかげんなものだったのに・・・プレッシャーなんてないはずなのに・・・信じられないことをしてしまいました。昨日、「ではみなさん、会場の方へ異動してくださーい」と言って、みんなでぞろぞろと異動。飲み屋に着いて、幹事なので末席に座って、皆様が席についたのを確認してほっとしたときに。
『おりょ?私のバックがないぞ』
というのに気付きました。いつも持っている比較的大きめの手提げバックなので、落とすわけはないのです。当然持ってきてると思ったのに、なぜここにないのだろう?
思えば・・・職場を出る時に、みんながなかなか腰をあげないので、やきもきしていたっけなぁ・・・自分が何を持ったか確認してなかったかも。それにいつもは一つしか持ってないバックも、来週からの出張のためにもう一つ同じようなバックを持ってたから(それはちゃんと飲み屋まで持ってきてました)、勘違いしたんだな、うん。
幸い、職場から近い場所だったので、みんなには、「先に飲んでてくださいねー」と言いつつ、急いで職場に逆戻り。しかし。
オフィスについてみれば私のバックはないんですよ。おりょ?
『え~、やっぱ飲み屋に持ってって、どこかに置いちゃったのかな。そうだよなぁ、いつも持ってるバックを置き忘れてて気がつかないわけがないもんな。職場に忘れたなんて、あるわけないじゃん。そそっかしいなぁ、私』
と思いまして、今度は急いで飲み屋に戻りました。
はい、もう予想がついたと思いますが、やはり飲み屋にもないのです。頭は半分、パニック。飲み屋の支払い用に、みんなから事前に集めた金もそのバックに入っているのに。財布にはカードも入ってるのに。
『なんでないんだ~?????』
しかし、途中で落としたとはどうしても考えられない。そういやさっき、職場に戻った時に、ざっと見回して「ない」と思っちゃった。もっとよく探せばよかった。どう見ても、飲み屋の方にないことはこの時点で明白。戻るしかない。
・・・ということで再び職場へ。そして発見いたしました。何の気なしに、自分のディスクではなく、打ち合わせ机の方のイスに置いたまま、忘れてしまっていたようで・・・
恥ずかしくて、職場と飲み屋をそんなに往復したなんて言えやしません。とりあえず見つかってほっとしましたが。
このブログを読んで下さってる方は分かったと思いますが、前にもこんなことがありました。家の中で鍵を失くして見つからなかった事件。・・・やばいなぁ。年をとって一番気になるのは「記憶力」なのですが、と、いうよりも、この失せ物多発は、何かに取り憑かれているような感じさえします。いや、まじ。または、何か、もっと大きな物を失う予兆なのか!?
気をつけねば・・・二度あることは三度ある・・・(爆)
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2005.01.13
「きみに知って欲しいこと」
私は今日も元気でいる
おいしい物を食べたり テレビを見て笑ったり
いろんなことをしながら楽しく生きている
きみがここに
この世界、この時代にいなかったら
やっぱりそこになんの意味もないんだけど
私が元気で幸せであることは
そのままきみを思うこと、だったりする
そんなふうにいつでもきみを思っていることを
きみに知って欲しい
でもきみは
私がどんなふうにきみを好きでも
それで幸せになったりはしないんだろうな
私はただ
お風呂に入ってのんびりしたり
キッチンで食器を洗ったり
晴れた日に布団を干したり
そんな日常の中の全ての幸せが
きみといっしょにいることで感じられるんだってことを
きみに伝えたくて仕方ないだけなんだ
私が何をきみに感謝しているかって・・・
『私は一人じゃない』
それを分からせてくれたのが
きみ、なんだよ
ありがとうという気持ち
それだけが
きみに知って欲しいこと
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中島みゆきの曲「ファイト!」にこんな一節があります。
(引用開始)
あたし男だったらよかったわ 力ずくで男の思うままに
ならずにすんだかもしれないだけ あたし男に生まれればよかったわ
(引用終わり)
世の中の男と女ってのは、そもそもはこういう力関係なのかなぁ? 支配するものされるもの。
昔から、私が目指していた未来っていうのは、誰にも何者にも束縛を受けないこと、だったりしました。
まあそれほど縛り付けられて育てられていたわけでもないんですが、 学校教育を受けていた頃は学校に。親と住んでいた頃は親に。一応、縛られてはいたかもしれない。
欲しかったのは自由。そして、それは今、手に入った・・・・かもしれない。
昔は、大人になること、というのはイコール、社会の枠組みに自分を押し込めていくことだったりしました。もちろん、それはいいこともあるし、そうじゃなきゃ社会は成り立っていかない。
だから、子供の頃は、大人になるのはいやだったなぁ。20歳過ぎたら何の自由もないかと思っていた。
いざ実際に大人になったら、景色はずいぶんとちがっていました。子供の頃とちがって勉強も好きなことだけすればいいし。
家庭を持たないことで、社会人としての義務を果たしていないなぁという気にはちょっとはなります。出生率の低下にも貢献している。しかし。
誰の思うままにもならず、自分の選んだ自分の道を行く。誰にも縛られない。そのことはやはり「幸せ」と言っていいんじゃないかな、と思ったり、します。今の時代なら、それができる。女に生まれても、ね。
いえ、別に何があったというわけではないんですが。自分は恵まれているなぁと思って。自分が幸せであることに気付けるということは、それだけでもとても幸せなことだと思います。
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2005.01.12
ネット上には、いろいろなホームページに詰め碁や手筋やその他もろもろ、たくさんの情報があるので、自分の力を確かめる手段には不自由しません。
私はここへたまに行って問題を解きます。手筋の問題、詰碁の問題、いろんな問題があって楽しいのですが、問題はここの場合、回答がないこと(^^;) 自力で正解にたどり着けないと、答えが分からない~
一番困るのは「布石」の問題です。手筋や詰碁や死活なら、選択肢が限られているので片っ端からクリックしていけばすぐに回答にたどりつけますが、布石の場合は、でたらめにクリックするには、数が多すぎるので・・・。ある程度分かってないと、布石の問題は解けない、ちゅうことですな。
昨日「弱い石から動く」ということを意識する、ということを書きましたが、NHKの囲碁講座で石倉昇さんが言っていたのは、まず「自分の弱いところがないか」を見て、なければ「相手に弱いところがないか」を見て、どっちもなければ「大場に打つ」という三つ。
それを念頭に、ホームページの布石問題を解いてみたら・・・あら、不思議、すいすい解けるじゃないの~。いえ、もちろん回答に辿り着くのに苦労した問題もあるんですが、以前よりもだいぶスラスラ解けるようになりました。嬉しいなぁ。多少ですが定石もちょっとだけ覚えたので、定石で解くことのできる問題もありますし、回答を見ると「あーなるほどね」と分かるのが嬉しい。
こういう「やったー解けたー。なるほど、そうだったのねん」なんていうのがあると、記憶にも残るし、実戦でも思い出せる気がします。
何より。パッとみたときに「どこが弱いか、どこが強いか」というのが分かるようになっただけでもすごい進歩だ。以前は「強い、弱い」がよく分からなかったもんなー。
と、囲碁合宿連敗ショックで、いろいろと足下を振り返ってみたりしています。囲碁合宿の友人とも、いっしょに囲碁教室に通おうか、と計画中。私はほめられると調子にのりますが、怒られるとへこむので、今まで人について習ったことはないのですが、一度行っておくのも損はないかな、と思いまして。今年も囲碁、がんばります♪
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2005.01.11
と、いうわけで、都内一泊で、「大江戸温泉物語」付き、囲碁合宿、行って参りました。
都内の温泉施設「大江戸温泉物語」、一度行ってみたかったんです。料金はちょっと高めですが、なかなか楽しめる温泉テーマパークでした。浴衣を貸してくれて、館内はを浴衣姿でまわるのですが、なかなか華やかでgood。旅館の浴衣よりはステキだったので、私も着るとそれなりに様になるし♪ 縁日のようなお店が並ぶ館内を、財布は持たずに(料金はキーについているバーコードで払い、帰る時に全て精算します)歩いてると、非日常的ないい気分が味わえます。私はとっても楽しかったです~。思わず使い捨てカメラ買って、写真もとっちゃったもんね。
新橋からゆりかもめに乗っていくのですが、ゆりかもめから見るお台場の風景もプラスαでなかなか楽しかったし。帰りなどは夜景になって、とてもきれいでしたよ。
さて、問題の囲碁の方ですが。友人とは4局対局しましたが、最後まで打てたのは1局きり。それも30目近い負け。他のは全部中押し負けで・・・いや、だって、もう途中で戦意を喪失するくらい悲惨だったんですもの。ちゃんと打ってるつもりなのに、「あれあれ」という間にガバッと石が死んでいる。切られて、生きられなくて・・・
そして、そこをなんとか生きたとしても中央に壁ができて囲われている。もちろん生きても小さい地しかないし、見合いにするにはあまりにも差が大きい。
かといって、辺や隅にはこだわらずに中央に進出しようと、一間やケイマにとべば、のぞかれて、しかたなくツグと、相手側の壁を作るのをお手伝いした結果に。
打ち込めば殺され、打ち込まなきゃ削られ、もう最悪~。手も足も出ませんでした。
なんでこんなに差があるんだ~。初心者時代に戻ってしまったわ。
友人は、最近仕事が忙しくて、あまり打ってないと言ってました。一方の私は、大晦日も正月もネットで打っているというのに・・・なんなんでしょう、これは。自分も打っていなければ言い訳もできようものの、自分ではそれなりにがんばっている手応えがあっただけに、悲しくなってしまいました。うえ~ん。
とりあえず、今回の教訓。「弱い石から動く」。
いや、弱い石を動くと、まとめてドカッと殺されそうで、今回は弱い石から動けずに、結局、取られて終わってましたので、仮に殺されるにしても、ただ殺されていたのでは、ダメですわ。 「何を当たり前のことを」と言わないで下さいまし~。
友人には「BUBIさんはいい人過ぎる」と言われました。囲碁ではもっと相手をいじめないとだめだそうです。いや~いい人のつもりはないのですが・・・もっと悪あがきをしないとだめですね。私レベルで、スマートな碁を目指すのは、無様なだけかもなぁ・・・ちっと反省。もっと筋悪になります(・・いや、誰か止めてください^^;)。
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2005.01.09
今日、明日は、都内で、泊りがけの囲碁合宿。以前、温泉囲碁合宿に行きましたが、同じコンセプトで、都内にも温泉があるので、そことセットで。メンバーも前回と同じ、前々からの気の置けない女性の囲碁仲間です。何回対局できるかわかりませんが、がんばらないとなぁ。
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2005.01.08
年末に大掃除ができなかったので、今頃、ぼちぼちと掃除をしております。「やらなきゃなぁ」と思っていたのは、キッチンの換気扇掃除。正確にいうと換気扇のカバー掃除。ここ、あぶら汚れとほこりがべったりとついて・・・いやぁ、やりがいがありました。ほこりを水で洗い流し、そのあと、こびりついた汚れをあぶら用洗剤をふきつけて5分置く。そのあと洗い流す。
・・・ふむ。なかなか満足いく仕上がり。ついでにレンジも掃除しまして、ピカピカになりました。ふと。
小さな頃、リカちゃんハウスの一つ、パットちゃんの魔法のおうちというを持ってまして。きれいで広いキッチン。そして、プラスチックのきれいなお料理。
一人暮らしをしてもうだいぶたちますが、今ひとつ、これがほんものの生活、という実感がもてません。キッチンなんて、バッチイのが生活ですわ。私の部屋は一部屋しかなくてガスレンジも一つしかない。小さなキッチン。その中の生活。ママゴトみたいだなぁ・・・。
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2005.01.07
昨日は「JQ 一億人の大検定 あなたの日本人度数が分かる」とかいう番組をつけておりました。日本人の人口構成に合わせて集められた1000人に、四択の質問をして、どれが一番多いかという番組だったんですが、こういうのが「ちょっと面白い」のは、日本人ならではでしょうね。自分と同じ意見の人がたくさんいると嬉しい。少数意見だとちょっと寂しい。そういう心理って。
私は自称「一般人」。自分のことを、たとえば空から隕石が降ってきたりして、大勢の人が逃げまどう場面があるとしたら、一番先にそこで死ぬ「その他大勢」の一人だろうと思っております。なので、この番組だったら自分はほとんどが一番多い意見だろうなぁと思いつつ見ていました。
第一問目が、「正直、一番払いたくないのは?」というのだったのですが、選択肢は「NHK受信料」「消費税」「介護保険料」「年金」の4つ。これが私はいきなり、多数派でした。一番多いのは、「NHK受信料」。やっぱ、NHK自身見直した方がいいと思うなぁ、NHKの受信料そのものの考え方を・・・。
年をとって一番気になるものは?
「肌」「体型」「記憶力」「老後」の内、一番多いのは「記憶力」。これは私も同意見です。特に最近物忘れが多くなったような。肌や体型はもう気にしない(爆)。
宮崎アニメで一番好きなのは?
「千と千尋の神隠し」「もののけ姫」「風の谷のナウシカ」「となりのトトロ」からの四択で、一番多いのは「となりのトトロ」でした。私は「天空の城ラピュタ」なのに選択肢がない^^; こういう質問は困りますが、あえて選ぶとすれば「風の谷のナウシカ」だな。
もう引退した方がいいと思う人。「高橋尚子」「清原和博」「三浦和良」「曙」からの四択。これ「曙」が多いんですよね~意外。私は「三浦知良」です。現役じゃなくてもカズならいくらでも活躍の場があると思うから。
相談してみたい人、という四択では、選択肢が「みのもんた」「細木数子」「瀬戸内寂静」「武田鉄矢」。私は細木数子と武田鉄矢には絶対イヤ。怒られるのは嫌だし、説教もごめんこうむりたい。「みのもんた」さんにしました。説教はされるかもしれないけど、まだこちらの話も聞いてくれそうなんだもの。そしたら、9才の男の子と同じ意見でした。ちなみに一番多いのは「瀬戸内寂静」。
日本の将来で一番不安なのは?という四択。これも私は大多数からはずれました。選択肢は「地震」「テロ」「治安の悪化」「年金システムの崩壊」。私はこれ、迷わず「テロ」でしたが、大多数は「地震」でした。自然災害よりも人災の方が怖いと思うけどな。
命に次に大事なものは? 「お金」「正義」「愛」「夢」・・・これ多数意見は「お金」。まあ、他の選択肢が漠然としすぎてますからねえ・・・え? 私? 想像してみてください。答えはプロフィールの二択に書いてあります。
他、どうでもいい質問もいくつかありましたが、一般人だと思っていた私、けっこう多数派意見からずれているのが多かったのに驚きました。・・・でもきっと、そういう感想こそ、多数派なんだろうなぁと思ったりします。
もう一つ、私が多数派でなかった四択。生まれ変わったらこうなりたい、という四択です。
「もっと裕福な環境に生まれたい」「もっと顔がよく生まれたい」「今とは違う異性に生まれたい」
「もっと才能に恵まれたい」・・・
あはは。これは大多数は4つ目、「才能に恵まれたい」だったのですが、私は・・・まあ、少数派だったといっておきましょう^^;
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2005.01.06
当ブログは2004年の8月から始まってるので、約5ヶ月になります。
そもそもブログというものを知ったのはAERAの記事でとりあげられているのを見たからだし、パソコンを買ったのも比較的最近なのですが、インターネット生活を始めたのはけっこう古い方で。その間、けっこう多くの友人達が自分のホームページを作っているのを横目に「自分でホームページを作るのは絶対にやめよう」と思っていました。それはなぜかというと・・・
創作、というのはやっぱり見てもらってなんぼ、の物だと思うのです。そしてインターネット上において、人に見てもらうためには「更新」すること、それが命。見るたびにどこかが変わっている、それがネット上における「魅力」であって、それができなければ、訪れる人もいなくなる。そういうもの。
そういう意味では、大量生産ができない「小説」なんていうのは、ネットに向かないなぁと思います。いや、もちろん、知り合いの中には「小説」をどんどん更新していく強者もいましたが・・・なんていうんでしょうね、古い人間なのかもしれませんが、やはり小説はネットで読むんじゃなくて、本で読みたいなぁと思ってしまいます。ネットで読む小説はどんどん消費されていってしまう。基本的に「本」は記録ですから。テレビの映像のように一瞬で消費されてしまってはなんとなくもったいない気がしてしまいます。
・・・とまあ大層なことを書いていますが、要するに毎日更新することができそうにない、ので、ホームページは持たなかった、ということ(^^;)。
ブログは、ホームページに比べると立ち上げが簡単だし、要はコンテンツが一個しかないので、そこをただ更新していけばいいだけで。 意外とすんなり5ヶ月続けることができました。
読んで下さる方も幸いポツポツといらっしゃる様子。いつもありがとうございます♪
ただ、近頃ちょっと気にかかることが。ブログを始めてから、自分が書くのはともかく、日々、周りのブログが更新されていくのを読むのが楽しみの一つでした。ところが最近、前はいつも更新されていたブログがあまり更新されなくなっていることが多いような気が・・・ちょっとさみしい。
・・・しょうがないのかな。更新されていくブログと更新されないブログがあって。それが常に入れ替わっていくのが、この「ブログ」という新しいツールの姿なのかもしれません。
自分も参加しているからなおさらですが、「ブログ」とはなんぞや、という記事にもとても興味があります。それでこの記事はstandopoint1989さんの「こんなブログは更新するな」 にトラックバックしています。面白いのでぜひ読んでみて下さい。この記事には、さらに元ネタがあって「こんなブログは更新するな」というブログそのものもありまして。
いや、当ブログもけっこう当てはまってるんですよ、これが。どきっとすることばかりでちょっと怖いかも~
私が一番どきっとしたのは、「文末には必ず自己ツッコミ」。・・・いや、まったくしゃれにならないわ(^^;)
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2005.01.05
私は小説を書くのが趣味で、ハッピーネットワークという、投稿料を払うと自分の作品(詩や小説、イラストなどなんでも)を載せてくれる冊子に、自作のお話を連載してたりするんですが、正月、時間があるときに、新作を書き下ろしていて、昨日あたりはタイトルのようなテーマについて考えておりました。
(なんか大層な小説のようですけど、あまりたいしたもんではありません^^;。)
一人の少年がいて、彼は、小さい頃、親と別れて育ちました。正確に言うと親に金で売られたんですけど。少年は成長してから、自分の母親に会いにいくんですが、母親は彼を覚えていませんでした。なんせ別れたのが4才の頃。売った当時も、他に子どももいたし、彼はある事情で(その事情のせいで高く買ってもらえましたが)、親にとっては育てにくいやっかいな子どもだったので、あまり愛されていなかったのです。
少年は、その事実を知り、とてもショックを受けます。
(自分は誰にも必要とされていないんだ・・・)
その少年はさらに数年後、思春期を迎え、恋人を作ったりするようになりますが、そのときも、彼は、恋人に「自分を必要として欲しい」ということを一番に求めるようになりました。見ていて痛ましいくらいに。
さて。上記の小説のテーマは、「誰かに必要とされないと人は生きていけないか」ということ。たとえば親になれば子どもに必要とされ、結婚すれば夫は妻を必要とし、妻は夫を必要とする。もちろん、そこに愛情もあると信じたいですが、仮に愛情がなくても、互いに相手を必要とし、かけがえのないものと感じていれば、それがすなわち「愛情」ということなのかもしれないよなぁ・・・
では逆に考えると。
「必要がない」ところに愛はないのかもしれない!?
私は普段、一人で暮らしていて、とりたてて誰かが必要だと感じたり、そばにいて欲しいと思う人が今のところいません。好きな人はいますが、「必要だ」とか「そばにいて欲しい」とか言うと迷惑がられるので、そう思うことは2004年でやめてしまいました^^;
そんな生活をしているので、誰にも必要とされなくても人は生きていけるんだろうなぁとは漠然と思います。が。おそらくそこに「愛」はないなぁ。
いや、そもそも「必要とされる」ことや「必要とする」ことと「愛」がイコールかどうかが微妙なんですけどね。
さて、貴方はどう思われますか?
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2005.01.04
昨年末の打ち納めから今年の打ち初めにかけて、「迷人戦」七番勝負が開始されています。「迷人戦」とは、私と碁敵の対局の名称で、まあ、たまたま互いに棋力が同じくらいなので、勝手にタイトル戦を企画して対局をしております。
大晦日に第一局があり、確か22目半くらいで私が惨敗を喫しました。布石時点での劣勢をどうにも覆せず、最初から終わりまで、勝つ気がしない対局でした。やれやれ。そういう手も足もでないような対局をしてしまうと、碁を打つ気がしなくなります。もうこの相手には一生勝てないような気がするわけで。
『こりゃ今回の迷人戦は4連敗の予感・・・』
年末は、他の人とのネット対局でも惨敗し、すっかり自信を喪失しておりました。
しかし。惨敗のショックも一夜明けると忘れるこりない性分がこういうときは救いです。2日には迷人戦の第二局が行われました。
思うに、私たちレベルも、対局って地力の差よりも精神的なもので、勝敗が左右されることってあるような気がします。元々、碁敵は長考派。私は昔はそうでもなかったんですが、最近は以前よりも着手が早くなってきてしまいました。自分のペースで打てた方が、やっぱり有利ですね。年末の対局では、互いに1手20秒、60分の持ち時間で、彼が時間をたっぷり使ったのに対し、私はつい待っていられずに60分以上時間を余らせてしまいました。そのため二局目は持ち時間を30分に短縮。
この日の碁敵は、意表を突くのぞきや打ち込みが多く、かなり積極的でしたが、そのせいで守りに手抜きが多かったようです。一方、私の打ち込みも失敗し、ただの相手の持ち込みに。
級位者同士ですので、こういうミスやあり得ない手をとがめることで勝負がついてしまうことが多々あります。両方失敗してるので「お互い様」なことが多いですが、この対局では、辺のハネツギに対し相手が手を抜いたため、私が大もうけをして、最終的には8目半差で勝たせていただきました。
やった~、4連敗は免れた~・・・しかし。相手のミスで勝ってるようじゃいかんなぁ。8目半だったので、最後までヒヤヒヤでした。隅の死活で、めずらしく私が打ち間違いをせずに相手を殺せたのも勝因ですが、3回に1回くらいしか成功しないのよね(←それは分かってる、とは言わない)。
新年ももっともっと勉強しなければと思わされた一局でした。負けた時はもう棋譜を振り返るのも嫌で、ひたすら「もう碁をやめようか」と思うばかりですが、勝った時は多少余裕があるので、勝った時の方が自分としては勉強になってたりして・・・(いいのか、それで)。
また二週間後に迷人戦第3局があります。きっと今度は相手も雪辱を誓っていることでしょう。
よく「楽しんで打つことが大事」だなんて言われますが、なんだか、私はいつもいっぱいいっぱい。負けると悔しいし、勝つと嬉しい。碁敵との迷人戦も、思い切り真剣勝負ですが、そうやって打ってくれる相手がいるということは、いいことだなぁと思います。
今年もたくさん打って、強くなりたいと思います。
囲碁仲間の皆様、どうぞよろしく♪
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2005.01.03
新年早々にまた清水義範の「サイエンス言誤学」という科学エッセイを読みました。「面白くても理科」のシリーズ同様、挿絵は西原理恵子さんです。
私は小さい頃、小学館の「こども百科事典」という本が大好きで、それで遊んで育ち、そのせいで理科大好き少女だったんですわ。数学嫌いがたたって、中学校以上の「科学」には弱いので、ちょうど、清水義範の科学雑学話がヒットするわけです。
その中に「花の名前」というエッセイがあります。
昔、「はいからさんが通る」というマンガの中に「花オンチ」という人が出てきましたっけ。主役の紅緒さんだったかなぁ?それは忘れましたが、とにかく、花の名前が「チューリップ」と「桜」くらいしか分からないのを花オンチというらしい。清水義範のエッセイも「花の名前」をどれだけ知っているかという(「俺は知っているぞ」という自慢かもね(笑))ものなのですが、さて。私は少なくとも、たんぽぽや菜の花やチューリップや水仙や桜や桃や椿やバラやかすみ草は分かる。ユリや桔梗やかきつばたやヒヤシンスやおしろい花やアジサイも分かる。なので、花オンチではない自信はあったのですが、これ、もしかして「花検定」なんてのがあったら、レベル1か2くらいなんじゃないかしら?
というのも、先日行った「南房パラダイス」であまり花の名が分からなかったからです。どひゃ~
一応、胡蝶蘭は分かった。シクラメンも分かった。でも、カトレアが怪しかった。フリージアも怪しい。そして、ベゴニアがさっぱり分からなかった。ハイビスカスって名前を聞いてすぐイメージできますか? アナナスって言われてピンときます? そして、画像のこの花・・・というか植物。名前分かります? いや、分からなくても生きていくには支障ないのですが、一応、物書きのはしくれとしては、花の名前くらいピンとこなくてはいけない、などと思うわけです。
清水義範氏も言っている。
「小説でもエッセイでも、老大家のものには適度に花の名前が出てくる。木瓜だの、百日紅だの、山茶花だのという言葉が出てきて味わいのある文章だなぁということになるのだ」(「」内、サイエンス言誤学より引用)
・・・いや、もちろんしゃれですが(爆)。でもまあ、この画像の植物の名前と、アナナスだけは今後もどこかで出会ったときに名前を思い出したいなぁと思うわけです。
え~と、トトさん、正解はなんでしたっけ?^^;
(トトさん&雀さんご夫婦とはいっしょに南房総の旅にいきました。お二人のホームページには左下のリンクからどうぞ)
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2005.01.01
新年なので、テンプレートを変えてみました。
昨日はこちらでも雪が降りましたが、みなさんのところはいかがでしょうか。
今年もどうぞよろしく♪
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