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2005.01.23

久々の9子局

今回も囲碁のお話であります。

 私が初心者から初級者に上がったな~と、自分で思えるようになったのは、
「ここは相手にあげる、代わりに私はこっちを取るよん」
 と思えるようになった瞬間でありました。
『打ち込まれた石は、無理してとらない。相手がそこで生きたら、自分はもっと大きい、別なとこで得をしよう。』

 私の打つ手がしばしば緩いと言われ、囲碁合宿の友人にも「相手を困らせる手を打たないとだめよ」などと言われるのは、多分、そのせいなんだろうなぁと思います。基本的な考えとして、相手がある一つの辺を固めようとしているのが分かったら、そこには無理して打ち込まないで、自分が得をできそうな別な手を打とう、と。
 ケイマのカカリに対する星からのコスミつけなどは、その考えの象徴的な手でして。相手に辺をやる代わりに、自分は隅をもらおう、と。しかし、その手は上手の方に、「よくない」といわれました^^; 理由はおそらく「隅をもらったとしても、辺を固めさせてしまってはあまりにも代償が大きい」ということ。(ですよね?)
 というわけで、そもそもの考え方を改良しようと、打ち込みやさばき方の基本を勉強しようとしているところなのですが、その前に。

 昨夜は久々に9子置きの対局をしました。9子局って・・・いやぁ、久々だったので忘れてましたが、「無理してとらない、自分はこっちをとる」では勝てないのです^^; 打ち込まれて生かしたら、自分は中央に出るしかない。そうしたら何がなんでも相手を封鎖しないとだめ。だけど上手には、それって案外あっさりと突破をされたりしますし・・・そして、中央に広く取った地は、荒らされて小さくされるのが常。だったら、打ち込まれた石を少しは苦しめないとだめなんですなぁ・・・そう、そもそも打ち込まれた時点から、本来なら、黒の方が数が多くて有利なんですから。
 昨夜の対局では、中央をとるのか、辺をとるのか、自分の方針がはっきりしないまま、ウッテガエシを決められたりするなど致命的なポカもあり、負けちゃいました^^;
 まずは9子で・・・自分が取る場所と相手に取らせる場所の「大きさ」をちゃんと見極めないとだめだな。それに、大体が9子置きの白なんて無理してるに決まってるわけで。無理してるということは・・・やり方しだいでは、殺せるということ。
 無理してる白をどう攻めるか・・・それも直接的に行かずに、遠くから攻める。これは昨日、打っていただいた対局相手の方に教えていただきました。
 覚えたこと、教わったこと。それを生かしながら、仲間といっしょにがんばりたいなぁと決意を新たにし・・・
 あれ?なんでそもそも、私、囲碁をやろうと思ったんだっけ?(笑)

 最初は「ヒカルの碁」を読んで。「囲碁」ってどんなんだろうと思い、ゲームソフトを買ってプレイしてみたのがきっかけでした。ゲームソフトを攻略してしまったら、誰か人と打ちたくなって・・・そして同じくらいの初級者友達との出会いもあり今に至るわけですが。
 やっぱね。囲碁って面白いですよ。これをご覧のみなさま、ぜひ、いっしょに打ってみませんか?^^

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Comments

隅の星にケイマでかかられて悪い理由。それは相手の石を強くして、理想的な三間開きを決められるからです。しかもコスミツケて、隅の石を一間に飛んでも隅はまだ守れてない。石の効率に大幅な差が出てしまうのです。

で、九子ですが。実は「じゃあ私はこっち」でも勝つのはさほど難しくないんですよ。ただ、ハンディがた~くさんあるので、「ちょっといじめてやれ」と思って打った方が勝ちやすいんです。

「ちょっといじめて」が行きすぎて「潰してやる」になると、また負けたりするんですよね。その辺の匙具合が、囲碁の面白さのひとつでもあります(^^)。

Posted by: まえだ | 2005.01.23 23:43

「ヒカルの碁」の影響って結構大きいですよね。私は囲碁が面白いと思い始めた頃には単行本が出揃っていたので年甲斐もなく”連続一気読み”をしてしまいました。
ところで9子局で指導してもらえる方がいるというのはチョットうらやましいです。私はネット碁で同じぐらいの棋力の方と打ちながら上達してきたので置碁(多子局)の経験が殆どありません。自称初段に近い級位者なので9子局の機会を失ってしまったかもしれません(プロ棋士に真剣に打たれたら井目風鈴でも勝ちきる自信はありませんが)。イヤミではなく本心です。置碁を通して学べる棋理も多くあるように思いますので。

Posted by: マダマダ | 2005.01.24 01:06

 まえださん、コメントありがとうございます。
 今は23日の深夜ですが、今日は9子局で勝てました~。上辺の石、取れると思わなかったのに。対局者が優しい人でよかった^^
 「潰してやる」と思うと私の場合は、自分でダメを詰めてしまいます。以前からしばしば、BUBIさんは自分でダメを詰めている、という指摘を受けていたんですが、ようやっと、それがどういう意味なのか分かってきました。
 それと、取りきれない石に夢を見なくなったことはすごくプラスかも^^ 今までは読めてもいないくせに、ダメ元で攻めちゃったりすることがたまにあったりしましたが(おいおい^^;)、そこで一つ考えられるようになったので、前よりもちょっと利口になった気がする~。
 今後ともどうぞよろしくお願いしまーす。

Posted by: BUBI | 2005.01.24 01:18

まだまださんこんにちは~。

多子局で指導してもらえるのが羨ましいって、私も思います。私は囲碁入門が初心者教室で皆同じくらいの棋力だったんで、みんな互先で九路盤、十三路盤、そして十九路盤って感じに進んでいったんですよね。だもんだから、ある程度になるまでは置き碁すらうったことがありませんでした。「ああ、最初から十九路で、多子局で指導してもらった人と私の碁はきっと違うんだろうなぁ」なんて考えてました。いや、今でも考えてるかな…

まだまださんのおっしゃる「置き碁を通して学べる棋理」ってのはホント、確かにあると思いますよねえ。昔の私の黒番置き碁なんて、ほんとめちゃくちゃだったし、それを互先に活かすことなんて全くできなかったし。

そんなこんなで「気持ちよい置き碁」を経験しなかった私は、今になって弟子たちに白を持たせて八子局を打ったりします(爆)。否、それはそれで私なりの指導方針があるんですけどね(^^。でも令文氏には「いぢめ」と見なされているようです(苦笑)。

Posted by: まえだ | 2005.01.24 03:28

 マダマダさん、コメントありがとうございます^^「置き碁」の効果って話、ちょっと興味深い話題です。
 私の、ネット碁の知り合いには、置き碁をあまり打たない人がいます。プロの棋譜を並べるのが好きで、互い先で打つと小目の定石をよく使ってくるので、置き碁だとその人にとっては窮屈なんだろうなぁと、思ったりします。
 私の実感からいうと、初心者の内はいくら石を置いたところで「そこに石がある意味」さえ分からない。互い先を経験したあとに、また置き碁を打ってみるとその効果が分かるんですが。
 囲碁は、実力が違っても、置き碁でハンデをつけることで上級者と下級者がいっしょに打てるのがよいという話を、以前訊いたことがあるけれど、置き石をどう働かせるかもわからない内は、逆効果もあるのかもしれないなぁなんて思ったりしました。そういう意味では、初心者の内から互い先の経験を積んでいくのもいいのかも~
 私の場合は、やっぱりいろんな人といっしょに打っていただく、ということが、全て経験なんだな~という気がしています。
 9子で強い人と打っていただける経験ができるというのはありがたいことです^^

Posted by: BUBI | 2005.01.24 12:20

まえださん、BUBIさん、レスありがとうございます。
 BUBIさんのおっしゃるように初心者のうちは置碁が逆効果になるなもしれないですね。(上手に厳しく打たれて囲碁が嫌いになってしまっては元も子もないですものね。)勝ち負けを競う勝負事として置碁を打てばそうなってしまうかもしれないです。ただ、「教材」とて打てば上手も下手も学ぶところが多くあると思います。
 いろんな方と置碁、互先を楽しみながら打てればいいですね。

Posted by: マダマダ | 2005.01.25 22:52

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