負けたり、負けたり・・・たまぁに勝ったり。
私が囲碁のルールを最初に覚えたのは、プレイステーションの「ヒカルの碁」のゲームソフトだったんですが、その後、ゲームをクリアしてしまい、人と打ち始めた頃・・・つまり、囲碁を始めてそう間もない頃に、あることに気づきました。
それは・・・これから私は囲碁をやっていくわけだけど、「勝ちより負けの数が一生多い」(爆)。
だって。囲碁って上には上、その上にはさらに上、果てははるかなプロの世界まで、囲碁をやってる人間の99%くらいが自分よりも強いのです。(当たり前だけど)
で、まあ、もし仮に自分が少しでも上達したとして。その場合は、周りの人も上達する。それに、強くなればなったで、上手の人と石を減らしながら、互い先になるまで挑戦し続けるわけで。どう考えたって、勝って「やったね」と思うよりも、負けて「ぢくしょ~くやじぃ~」と思う瞬間の方が、囲碁を続ける限り多いわけですな。ぐは・・・
囲碁を始めた頃は、よく「もう少し強くなれば、周りの人と、勝ったり負けたりできるようになるであろう」と思っていました。
ところが・・・まあ、当時よりは「もう少し」は強くなった現在でも。「勝ったり負けたり」はしてはいません。負けたり、負けたり、負けたり・・・・たまぁに、勝ったり。勝率を計算したら1割に届かないかもなぁ。
それに、勝つ場合は、それにいつだって必然の理由があるわけです。先般の対局では、私の石がシチョウになったのですが、シチョウアタリがあったので、逃げ、先方はそれをどんどん追ってきたので、結局追った方がひどいことになってしまいました。その状況で負けたら、自分の方が「もう一回最初からやり直したら?」って感じになってしまうので。
つまり、勝つ場合は必然、負けたら自分がアホ、という状況なので、やっぱり、勝って嬉しいと思う時よりも、負けて悔しい時の方が、碁を続けて行く限りは圧倒的に多いのだなぁと、今も思います。
だからおそらく・・・勝つために囲碁をやる、というのは間違っているのでしょう。
じゃあ、何のために?・・・そうねえ・・・う~ん・・・あはは・・・
これは訊いてみようかな?(^^) ここを読んでくださる方は、多分囲碁をバリバリやってるか、今はやってないけど、以前ちょっとでもかじったことのある方が多いので・・・
勝つためにではないとしたら、碁を打つのは何のためでしょう? よろしければコメントをどうぞ^^
(「勝つためにやってる」って人もいるかなぁ~)
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Comments
またやってきたストーカー、まえだです(爆)。
私が碁を打つのは「碁を理解したいから」。絵とか音楽とか小説とかと一緒ですよ。そこにあるものを見て理解したい。おまけに囲碁は日本の伝統文化。せっかく情報量豊かな日本にいるんだから、碁を理解しないのはもったいない(笑)。
勝ち負けは枝葉ですが、でも「強い人には絶対に勝てない」というのも碁の不思議な魅力ですね。そういう意味では勝敗も大事な要素(^^)。
Posted by: まえだ | 2005.02.09 12:39
いつもコメントありがとうございます^^
私の場合、小説を読むことが好きですが、確かに、そこには勝ち負けも、読んで得することも、求めてはいないですね。読む事自体が楽しい。
囲碁も打つこと自体が楽しい・・・となればいいのですが、やっぱり負けるとくやぢぃです~(笑)。
Posted by: BUBI | 2005.02.09 18:21
初めまして。まえださんのところのLINKをたどってやってきました。
そういえば、何のために囲碁を打ってるんでしょうかね?私が囲碁を打つのは、やっぱり、打ってて楽しいと思える瞬間があるからなんだと思います。
負けでも、対局中に自分なりに納得できる手が打てたときとか、相手の手を見てのけぞりながらも感心できたときとか、そういうときに、楽しいと思えるから囲碁を続けてるんだと思います。負けて悔しければ悔しいほど勝ったときの喜びも大きいしね。
Posted by: naoyan | 2005.02.09 20:38
変な例えですが、サッカーをやっていると稀に「道」がみえたりします。瞬時に、フィールド全体の動きが把握できてしまうような感じになるのです。碁の経験は激しく少ないのですが、打っていてそれと似た感覚がつかめそうなときがあります。もし、そんな感覚で碁を打つことができたら、相当おもしろいだろうな、と思ってぼくは石をとるのだと思います。…最近、さぼりがちですが。
Posted by: 武中 | 2005.02.10 11:37
すな部の中の人、こんにちは~。はじめまして。
そうそう、囲碁はスポーツ観戦とも似てますよね。私はラグビーやサッカーが好きでよく見に行っていたんですけど、ラグビーやサッカーも「理解したい」と思ってみてました。私にとってラグビーやサッカーを見るのと囲碁を打つのは、ある意味で等価です。
Posted by: まえだ | 2005.02.10 11:52
>naoyan様
はじめまして^^ようこそお越しくださいました。
負けても
「すごい人に会っちゃったな、この人には適わないな」
という「納得のいく負け」のときは打ってよかったなーと思います。
いつもそういう負け方ができればいいんですが、私、負け方が悪いのだろうなぁ^^;
>武中さん
いらっしゃい♪
そう「私には見える、白の生きる道が!」みたいな感覚の時は、まるで、自分が世界を支配する神になったかのような感覚があったりしますよ♪
・・・私の場合は多くが自分の錯覚だったことを思い知らされるんですが(爆)。
「恋とは誤解と錯覚との戦い」と、誰かが歌っていましたが、そういう意味では囲碁は「恋」と似てます。思いが叶ったと「錯覚」(笑)する瞬間はエクスタシーがありますもん。
Posted by: BUBI | 2005.02.10 16:04
碁は「心」なり。碁は「人」なり。
しかし先日のシチョウ見逃しは、確かににひどかった。
付き合わせてごめんね。
Posted by: STONECOLD | 2005.02.11 23:04
>STONECOLD様
いいえ~そんな。
つまりは、そういうのがない限り、私はSTONEさんに勝てない、ということです^^;
ずっと負けたり、負けたり、だと思いますが、がんばってついていきます。良きライバル殿、これからもよろしく^^
Posted by: BUBI | 2005.02.12 02:37