友情について語ってみた♪
HR-Millerさんの記事にトラックバックをしつつ、今日は友情について書いてみようと思います。
HR-Millerさんの記事に出ているAERAの記事を私はまだ読んでいないのですが、
(引用開始)
>この記事の中の河合隼雄さんとよしもとばななさんの対談の中にもありましたけど、真剣勝負のコミュニケーションを挑んでいくと、時間もパワーもかかる為、必然的に相手の数は減っていくと思うんです。「仲間」と「友人」は違うもんだと。
>でも、真剣すぎるとゼロになっちゃうから、大抵の人とは、お互いがどこか適当なところで妥協して、関係を維持していこうとするものだと思うんです。
>この妥協の産物を友情って呼ぶのなら、人間関係を疎外するような要素ができれば、それなりに壊れちゃうのは想像つきますよね。
(引用終わり)
さて。友情とは妥協の産物なのか?
人と人とのコミュニケーションとは何かと考えた時、 それは必ずしも「勝負」ではないと私は思います。意見をぶつけ合って、勝った負けたを争うものではないはず。
私はこう思う。あなたはこう思う。
それをお互いに認め合うことが、コミュニケーションであって、必ずしもその違う価値観をぶつけ合って、どちらか一つ(勝った方)にする必要はないと思うのです。
「相手の数が減っていく」のは、価値観の違う人間を排除しようとするから。こいつとは意見が違うと思う人間とは友情は成立しない、という定義をするなら、正しいのですが、必ずしも同じ価値観を持つ人間だけが友達というわけではないですよね。また・・・まったく同じ価値観の人間なんていないのだから、友情の定義をそこに求めると、友達なんて一人もいなくなってしまいます。
私には今、とても大切な友人がいます。
この先も年をとっても、ずっと付き合っていきたいなぁと思う。
たとえ、地理的に離れてしまっても。
彼女は私とは同じ考えをする部分もありますが、違う考えをする部分もあります。
そして年齢は近いのですが、生活ぶりも、家庭環境も、多分、あまり似ていない。
でもそんな彼女と話をしながら、彼女を理解していくことは、私にとってはとても刺激的で楽しいことでした。おそらくはこれからもそうでしょう。
彼女とはいろいろな話をしますが、面白かったのは、上記に書いた部分でも意見の違いがあること。
私は、「人と人とは理解し合える」と信じています。それは価値観を同じにする、ということではなく、相手が何をどう考えるのかを知り、理解し、認め合うこと。
私がそういうと、彼女は「相手の気持ちを理解することはできない」と言いました。そして「理解しなくたって、人と人とは付き合っていける」とね。「私はそこまでは求めない」と。
・・・ふふ、結局そこは平行線でしたねー。
人と人とは考え方が違う。それは当然のこと。
でも、そこで「違うから」と言ってそれについて話し合うのをやめてしまうのはつまらないと私は思ってしまいます。どこが違うのか、相手は何をどう考えているのか・・・それを知ることで、私も変わっていくし、世界は広がっていく。それが本当のコミュニケーションなんじゃないかって思うのですよ。
ま、そういうわけで、そこについては考え方の違う、私と友達ですが^^
おそらく、「考え方が違う」ということが、友達であり続けることの、阻害の要因にはならないのではないかと。
そしてそれは決して「妥協」じゃないですよね。
互いの意見の違いを認め合うこと。それを私は妥協とは思いません。そして友情とは、その、妥協とは異なる
相互理解の上に成り立つものだと思います。
おかげで私はけっこう友達が多いような気がします。始終会ったり、連絡をとりあったりしてる友達が多いわけではありませんし、金曜日の夜にヒマなことはしょっちゅうですが(笑)、みんな、それぞれの生活をしながら、それぞれの場所でがんばっているはず^^
しばらく会ってない友達もいますが、またいつか会おうね。私もここでがんばってますから^^
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