好きになる才能
「ビックコミックスピリッツ」という週刊の青年マンガ雑誌に、「SEKIDO」(著・山本康人)というマンガが連載されております。
水泳部のエースで、水泳がめちゃめちゃ大好きで、早く泳ぐためなら、オレはどんな努力も惜しまないぜーって感じの熱い高校生の男の子が主人公なのですが、1年生に、ぼーっとしてるように見えるけど、水泳にはとてつもない才能を持った「セキド」くんが入ってきて、あっという間にエースの座は奪われてしまいます。
そして、先日は、別の高校の、超生意気な高校トップクラスの選手と水泳で勝負をし、完膚なきまでに敗北してしまう。
「君には水泳の才能がない」
とか言われた上、後輩のセキド君が次にその生意気なヤツと勝負して勝っちゃったので、ものすごくショックを受ける。「水泳やめようか」と思うわけですな。
連載中の回では、彼は落ち込んで、大好きな水泳をあきらめるか、どうするかという瀬戸際に立たされております・・・が。
彼は、やっぱりとても水泳が好きです。自分のゴール目指してひたすら泳ぐ。タイムをほんの少し縮めるためにも、ものすごい努力をしなければならない、報われることの少ないスポーツなのですが、それでも、彼は泳ぐことが好きでたまらない。
「オレは水泳の才能がないんだ」
と落ち込む彼に、そんな彼を見ていたルルという女の子が言う。
「あるじゃん、才能・・・そこまで何かを好きになれるって、才能じゃん。ルルにはそんなのない・・・みんな・・・ないよ」
好きになるのも才能なのか・・・いいコトバだ。報われなくても才能なくても好きだから、水泳をやりたいと思う気持ち。これで彼はきっと立ち直れるような気がします。
と、いうわけで。これには読んでいる私も勇気づけられました^^
報われなくても、年甲斐もなくても、相手にはメーワクがられても(おいおい)、何も手に入らなくても、私も大好きな人がいる^^ 何かを好きになるのに才能が必要なのだとしたら、少なくともその才能だけは私にもありそう。
結局のところ・・・彼が水泳を続けても、それが実を結ぶとは限らない。というか、特にスポーツの世界は、才能が物を言う。それはそのマンガの中でも何度も出てくるテーマです。それでも、好きで水泳をしたいと思う気持ち。それって大事ですよね。
生きていることに意味が必要なら、意味のないことはするべきじゃないかもしれない。
でも多分・・・意味なんてなくても、生きるってことは・・・
まだ達観できる年でもないので、これから私も同じことで何度も悩むのでしょう。それでも、きっと最後に残るのは、好きかどうかなんだろうなって。今の私は、そう思っているところです。
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Comments
いや、コメントらしくなくてすまん。でも「好きになる才能」というのは、あくまでも「アマチュア」の世界での話だと思う。「志」を立てれば「好きになる才能」は辛いモノとして現れてくると思う…。
いや、コメントらしくなくてすまん。
Posted by: まえだ | 2005.07.06 01:30
コメントありがとうございます。
まえださんのおっしゃるとおりだと思いますよ^^
「プロ」と「アマチュア」の差って、それくらい差があって、だからこそのプロだと思います。
プロの場合は時として、「好きか嫌いか」なんていう自分の意志にさえ関係なく、その才能に、生きる方向性を決定されてしまったりするんじゃないかな・・・
私は自分が平凡な一市民なので、
自分のような「その他大勢」が、この世界の中で
どう生きていけばいいのかってことをよく考えます。
「才能のないヤツ」が生きるための、言い訳ですけど^^
好きならば好きなほど、それに「才能がない」と思い知らされるのはツライことで。
でも、それを嫌というほど思い知っても、その先にまだ人生が続くしなぁ・・・
そうなったときに生き続ける理由が必要なら、やっぱり何かを好きだって思う強い意志しかないんじゃないかって。
志を立て、プロを目指す人たちには、一人一人にそういう挫折と、そこから立ち上がるプロセスがあるのかな、って思います・・・マンガの読み過ぎかしら^^
Posted by: BUBI | 2005.07.06 12:06