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September 2005

2005.09.30

少しだけ残念なこと。

 もう20年ほど前まで、私は巷ではやっているアニメやコミックなどは、名前を聞けば
「あ~、あれね」
と即座に反応できておりました。ヲタではありませんが、ミーハーだったもので、その方面の流行物は一応チェックするようにしていたのです。
 が、どうも、寄る年波には勝てず(?)、しばらく前から、とても人気があるはずのアニメやコミックに、あまり惹かれなくなってしまいました。ちょっとショックなのです。

 その1「エヴァンゲリオン」
 当時、友達の薦めでアニメのビデオで10話くらいまで見たのですが、どうも面白さが分からない^^; エヴァは好きな人が多いアニメでしたし、SFに偏った私の嗜好にもマッチしてたはずなんですが。

 その2「テニスの王子様」
 ヒカルの碁はいいと思いましたが、テニプリはテレビで見たけどそれほど惹かれませんでした。スラムダンクや、かつてはキャプテン翼が好きだったんだから、スポーツ物がだめってこともないはずなんですが^^;

 その他、ポケモンにもまったく興味がないし、ワンピースは流行ってるのは知ってても全然見ようという気が起きませんでしたし、「最遊記」も読んだけどはまらなかった^^;

 そして最近、この作品にも、自分が惹かれなかったのに気付き、さすがにこれはショック。もう10代とは同じ感覚じゃなくなっちゃったのね、私;;

 その3「鋼の錬金術師」
 まずマンガ喫茶で原作をちょっと読み、そのあと、アニメをDVDで借りて見てみたのですが・・・うーむ。あまり面白くない。あの若さで国家錬金術師の称号を持ち、強い意志と実力を兼ね備えた、鋼の錬金術師、エドワード・エルリック。まあ、かっこいいのでしょう。人気があるのも分かる。それにサブキャラの軍の人たちも、女性ファンがつくんだろうなぁ^^ なぜ流行るのかはなんとなく分かるのですが、今一つ・・・うーむ。

 昔、幽遊白書は好きでしたしドラゴンボールのベジータにはほれてた(爆)。でももう、今の流行物にはついていけなくなってしまったのだなぁ^^; やっぱり若ぶってもこの辺が潮時なのかしら。
 
 「鋼の錬金術師」をチェックしにマンガ喫茶へ行った時は、結局、くだんの作品はちっとも読まないで、青池保子の「エロイカより愛をこめて」を一気読みしていました。大好きなんですよね、「エロイカより愛をこめて」。
 ドイツが好きなのは多分、この作品の影響なのでしょう。だって、田中芳樹の「銀河英雄伝説」では、ドイツテイストの帝国よりもアメリカンな同盟の方ばかりを応援してたし。でも「銀英伝」で一番好きなキャラクター、オーベルシュタインは帝国側の人だなぁ・・・

 すみません、ヲタじゃないといいながら、自分の世界になってしまいましたので、今日はこの辺で。

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2005.09.29

poem(27)

出せなかった手紙
言えなかった言葉
訊けなかった問い
出せなかった答え

そして今も
消えない 思い

きみに・・・会いたい

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2005.09.28

恋愛対象でない、存在

 ととさんから、「高校は共学でしたか?」の記事に下記のコメントをいただきました。

(以下、コメントより引用)

「私は,共学です.うちの学校も,HR-Millerさんの学校ほどじゃないけど男子生徒の方が多くて,しかも私は理系選択しましたから,まわりは男の子でいっぱい.大学も理系学部ですから,まわりは男の子でいっぱい.そのような環境で思春期を過すと,恋愛対象でない異性の存在が,すごくフツーなんですよ.めちゃ仲がいいのに,愛はないというか・・・.そのせいか,男性と話しをすることには全然抵抗がないし,ノリも実に軽い感じです.
でも,中学から女子校で,大学でも女子学生の方が多い学部にいた友人は,そのノリが信じられないみたい.彼女の場合は,テキトーという部分がないようです.」

(引用終わり)

 いや~身に覚えのあることがたくさんあります^^
 私は男友達、というのがほとんどいません。「恋愛対象でない普通の関係」として、異性をとらえにくいのですね。
 ・・・い、いや、その。職場には、「恋愛対象でない異性」は当然たくさんいますが、その人たちは、みな「職場の人」でして。つまり、プライベートで「恋愛対象じゃない関係の異性」という人が考えづらいのです。
 プライベートだと・・・たとえば趣味友で、カラオケ仲間や囲碁仲間には男性もいます。
 でも、それもあくまで「カラオケ」あくまで「囲碁」。趣味友なだけで、それ以上にはならない・・・それ以上というと、もう、私の場合、「恋愛関係」しかないのですよ~どひゃぁ~
 職場の人や趣味友と、「恋愛関係」の中間がない。ととさんのいう「テキトー」の部分がないんですね。男友達などできるわけないや。
 女性だと、そういうことは全然ないので、普通に友達になれます^^ 普通に友達になって、いっしょに食事にいったり、温泉に行ったり、旅行に行ったりしています。当たり前か(爆)。
 よくある議論ですが「男女間で友情は存在するか?」 私の場合は、「存在しない」ってことになっちゃうな~
 うーん、高校が女子校だったから、という理由だけでもないのでしょうが・・・

 それで今まで来ちゃったので、これからそれを克服するつもりもないのですが、ととさんや、私の友達にも異性と気軽に付き合える人もいて、そういう関係を時々羨ましいなぁと思ったりもします。

 世の中にはどっちのタイプの人が多いのでしょう。
 そして、男性も、こういうのあるのかな。

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2005.09.27

「まさしく愚考だ・・・」byラインハルト

 「銀河英雄伝説」(著・田中芳樹)という小説があります。

 宇宙歴八世紀、後に帝国の皇帝となる、若き天才戦略家、ラインハルト、そしてその宿命のライバル(←本人は「そんな大層なもんじゃないさ」と言いそう)であり、唯一その天才とタメを張れる正義の味方、ヤン・ウェンリー(ついだから、こんなふうに肩書きをつけて面白がってしまいます^^)の物語でございます。

 その冒頭はこんなシーンから始まります。四万隻、自軍の倍の敵軍に包囲されようとしている帝国軍。それを率いるは、天才、ラインハルト。しかし、周囲の人間は、この若造を全然信用していません。ラインハルトが当時の皇帝の寵愛を受けている愛人の弟なので、コネだけで成り上がったやつだと思われていますので・・・

 まあ、つまり、この戦いが、ラインハルトの全ての戦いの始まりになりますから、結果は自ずから明らか。
 ラインハルトは、この戦いをひっくり返します。

 一方の敵軍、同盟軍の方に、ライバル、ヤン・ウェンリーがいるんですが、こちらはまだ准将でして、艦隊全てを率いる立場にありません。慎重に「負けない」ための、作戦案を出すものの、上官がそれを握りつぶします。なんせ、圧倒的な兵力差。普通に戦えば勝てるのです。
 そう、普通に戦えば・・・・

 無能な上官は、「非常識」(ヤンに言わせれば「想定の範囲内」)なラインハルトの用兵術に翻弄され、結果としては大敗を喫します。
 戦いの途中で、上官が怪我をして、ヤンがそこから指揮権を引き継いだため、一応、帝国軍に一矢報いることにはなるのですが・・・(それでラインハルトも「ヤン」という名前を覚えるのであった)
 この戦いがアスターテ会戦と呼ばれる、銀河英雄伝説という小説の最初の会戦です。

 と、まあ小説の話はどうでもいいっちゃいいんですが。
 私も先日の碁で、圧倒的有利だと思っていたのをひっくりかえされてしまいました。
 いや・・・置き碁でハンデをもらって打つことが多いので、いつだって、圧倒的有利なんですけどねえ。(笑)
 無能な戦略家はいつでも、自軍が圧倒的有利でありながら、目先に捕らわれて、敗北を喫してしまいます。

上官「キミは第四艦隊を見殺しにしろというのか!?」 
ヤン「今から行ってもどうせ間に合いません」

 いやはや。碁は元々、そういう戦場での用兵をゲームにしたものだと言われるのですが、なかなか、やはり、天才ラインハルトや、ミラクル・ヤンのようにはいきません。自分のやってることが、無能な上官そのものなのに気付き、昨日は思わず、自分の棋譜を見ながら失笑してしまいました。

 全体を見る・・・目先に捕らわれない・・・そして戦略の重要さは、散々「銀英伝」で見てきたのに、何やってんだかな~

 ラインハルトやヤン・ウェンリーなんて言わないけど、もうちょっと、普通の戦いで、普通に勝てるようになりたいです。せっかく艦隊指揮権が自分の手にあるのですから。
 碁の何が面白いって、きっとそれなのでしょう^^

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2005.09.26

「ボルケーノ」にびっくり

 昨日、夜10時頃、テレビをつけたら「ボルケーノ」という映画を地上波でやっていました。
 以前、火山の映画は何かを見たことがあって、「ボルケーノ」もてっきりそれかと思い、
「なんだ、二回目か・・・」
 と思いながら、チャンネルを合わせた後、テレビに釘付けになってしまいました。

 私が以前見た映画は、もっと山の方の町の話でした。こんな都会のど真ん中で噴火が起こる話じゃなかった。調べてみると、それは「ダンテズ・ピーク」という映画だったらしいです^^;

 見た人はおわかりかと思いますが、「ボルケーノ」は、ものすごいパニック映画。パニック映画と言えば、「タイタニック」、「ポセイドン・アドベンチャー」、「タワーリング・インフェルノ」が、私のベスト3だったのですが、もしかすると「ボルケーノ」はそれに割って入るかもしれない。(ちなみにそれ以外だと「ディープ・インパクト」なども結構好きです。)なんでも浅間山が一時期噴火の兆候を見せたため、放送が延期された、とか。そのくらいすごい。
 こういう映画で、もし現実にこういうことが起こったら、私は一番最初に、何の活躍もせずに、画面の隅で死ぬ人間なのだろうなぁと思います^^;

 ・・・溶岩がせまってきて、パニックになり、商店の商品を略奪する市民達・・・そして、それをヘリコプターから映し放映するテレビ・・・
 最近は、津波、地震、ハリケーンと、現実の世界でも、大災害が立て続けに起こっていますから、なんだか、とても他人事とは思えません。
 この映画では危機管理官という人が活躍し、最悪の事態を回避して、めでたしめでたし(?)で映画は終わるのですが、現実は、当然そうもいかないわけで。言い古されたセリフですが、何かの災害が起こったときに、それにどう対処するのか、日頃からの備えがつくづく大事だ、と思います。
 私も、とりあえず、自力で三日は生きていける備えをしないとな。飲料水と食料はありそうですが、今の懸案はトイレ。水洗なので、断水するとすぐ困ってしまいます。ポリタンクに水でも準備しとこうかな。それと、ラジオと電池とカセットコンロが欲しいんですけど、日頃、必要じゃないものばかりなので、なかなかそろえることができません。
 こうして防災意識を高めるのにつながるので、こういう映画って必要なんだな~

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2005.09.25

誰かに恋をされたとき

 私の好きなコミックで、紫堂恭子の「辺境警備」というファンタジーマンガがあります。
 この中にこういうエピソードがあります。

 村の神殿に、都から派遣されてきている年若い神官さんがいまして。
 村の少女は、そのステキな神官さんに恋をしております。勉強を教えてもらったり、いろいろするのですが、博識で、誠実で、働き物で、真面目なんだけど、ちょっとユニークなところもある神官さんに、ほのかな恋心をずっと抱いておりました。何でもできるけど、裁縫だけはとっても苦手な神官さんの代わりに、上着を縫ってあげたりなんかして。
 まあ、ぶっちゃけあまりにもステキな人ですし、神官という職務柄、結婚しないことも決まっています。
 だから、手の届く人ではないと分かってるし、恋してどうなる、ということもない。それを知っていても、彼女は、
「そっと思うことだけならば、かまわないわよね」
 と思っていました。
 が、近頃、いつも優しかった神官さんが、ちょっと・・・冷たいというわけではありませんがよそよそしくなってきました。

 さて、なぜでしょう? って、分かりますか。

 答えは簡単、神官さんは、少女の思いに気付いてしまい、応えられないのを申し訳なく思い、距離を置こうとするようになったのです。そのために、短くしていた髪をのばして、男性っぽくみられないようにしたりして・・・あらまぁ。

 少女は、それを知ってしまいます。

(引用開始)

「わかってるの・・・私を気遣ってのことだって。でもこれからもずっと、そんなふうにやんわり避けられるとしたらわたし、どうしたらいいの? 上着を縫ってさしあげるのもいけないの?」

(引用終わり)

 少女はそう言って泣いてしまいます。
 
 マンガのお話はここまで。さて、もしも・・・・自分がその思いに応えてあげられないという相手に、恋をされたとき、どうするのが一番よいのかな。

 いや・・・私も。好きな人に、ずっとやんわり避けられておりますので^^;;;;;
 もしかしてすげー迷惑なのかなぁと思ったり、よく、します。
 「好き」って言ったり、何かをしてあげたいと思ったり、「好き」でいることは構わないよね、と勝手に1人で思っていたりすることが、相手にはうっとうしいことなのかなぁと・・・

 まあもちろんその可能性はいつでもあるのですが。
 今のところ、たぶん、「迷惑」とか「嫌い」とかは思われていないはずなんですよね。
 だとしたら、たとえ恋人にはなれなくても、ずっと「好き」ではいたいと思います。
 そうしたら、その人にとって、恋人にはなれなくても、何か違うものにはなれるんじゃないかな、なんてね。

 叶わない恋というものは世の中にありまして。
 どんなに好きでも、うまくいかないのはよくあること。
 誰かに恋をされたとき、自分がその思いに応えられないと思ったら、どうするのが一番いいか。

 きっぱり、嫌いだといって別れるのが思いやりだ、というのも一つの説。
 なんとなく距離を置きつつフェイドアウトしてくのも一つのやり方。

 うーん・・・しかし、どっちも、その少女の立場である私としたら、やって欲しくないんだよな・・・
 一番良いのはですねえ・・・

 私は、好きな人に好きだと言ったときから、こう思っておりました。「私はあなたを好きな大勢の中の1人でいい」とね。だから好きになられた方は、相手の好意を受けても、それに無理に応えたり、やんわり避けたり、相手に申し訳ないなんて思わずに、「ありがとう」って言ってていいんじゃないかな。

 いや、もちろん、応えられないということは、先に言うんですよ。
 応えられないと言ってんのに、相手がそれでも好きだ、っていうのは、相手の勝手ですから。
 あとは、自分ができるだけのことを相手にしてあげたらいいんじゃないかなぁ。

 なんてのは、恋する側からの勝手な言い分なのかしらね^^;

 くだんの神官さんのマンガなどを読んでいると。
 神官さんは、少女の思いを知っても、平然としてればいいと思うのですけどねえ。
 
 村でお祭りがあり、そのお祭りで、少女は、神官さんと踊るのが夢でありました。
 神官さんは、経緯を知った友人(笑・・・いや、なぜ(笑)かは、原作をお読みください)の薦めで、少女と踊ることになるのですが、彼は、少女と踊ったあと、とても落ち込んでしまいます。
 つまりは、「応えられないと知っているのにあんなことをしてよかったのか」と。(すごいまじめなんだよなぁ)。彼に少女の夢をかなえてあげるように薦めた友人は、言います。
「あんたが落ち込んでちゃはじまらんよ」

 もし、私が少女だったなら。
 そんなふうに神官さんと踊れたのが、たとえ、その一回限りだったとしてもめちゃくちゃ嬉しい。
 
 私は誰かに好きになられたことはあまりないのですが、人は、きっと、誰かに愛されることにも、もっともっとうまくなっていいのだと思います。

 さて。私は自分の信念どおり、その人を好きでいるわけですから。それこそ落ち込んでても始まらない。
 できることなら、相手にとっても、私の思いが「迷惑」以外の何かでありますように・・・

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2005.09.24

高校は共学でしたか?

 高校の頃って、共学でしたか? それとも?

 友人たちと話をしていて、ふと、そんな話題になりました。私は公立には珍しい女子高でした。
 んで、まあ、ぶっちゃっけ、高校で共学っていうのは、どんな感じなのだろう?ということにちょっと興味があります。やっぱり好きな人ができてときめいたり、誰かに告白されたり、そういう甘い思い出なんてのが、共学だとあるんだろうか^^
 聞いてみたところ、やはり、ありますね~^^ 告白されたり、片思いをしたり。ステキだなぁ。
 いえ、女子高だってある人はあるのでしょうが、自分の高校の頃を振り返ると、まったくそういうこととは無縁の生活を送っておりました。じゃー何をしていたんだろうと考えると、マンガを読んだり、本を読んだり、そういうことをたくさんしていました。一応勉強もしていましたが、何が一番楽しかったって、やはりマンガをたくさん読んだことです。マンガといってもいわゆる恋愛少女マンガではなくて、「日出処天子」とか「エロイカより愛をこめて」だとかそういうマンガを友達に借りて、読んでいました。「風の谷のナウシカ」が好きな友達もいたし、キャプテン翼や聖闘士星矢などがテレビで放映されたりもしていたっけ。
 告白されたり、好きな人ができたりはしなかったけど、そういうフィクションの世界にはまりながら、とても楽しい高校時代を過ごしていました。
 
 好きな人ができたり、「告白された」りはないけど「告白した」りしたのは、それからざっと10年後。人より、10年ぐらい精神年齢の成長が遅れているようで^^; 人より遅れても、誰かを好きになったり、そのせいで苦しい思いをしたり、その一方で幸せを感じたり、ということはとても大きな財産ですが、それは、また別の話。

 今思うと、まあ、もちろんそのときはそのときで、それが楽しかったからいいのですが、ちょっともったいないことをしたかな、という気がちょっぴり・・・そうほんのちょっぴりですが、します^^
 初恋くらい、10代の頃にしておけばよかったわ。

 「恋」というのは典型的な症状がいくつか現れるので、罹患すると、あきらかにそれがそうなんだ、と分かります。それまでにも、いとこの○○ちゃんが好きだったりしたことはありますが、実際そうなってみると、憧れとは別種類のものなんだなぁと。みなさんは初恋っていつでしたか? 10代の頃に初恋ってしました?
  なんだかそういう話を聞くのがとても楽しい今日この頃。こんなふうに思うのも、おそらくは今の実年齢よりも10年くらい前の反応なのだろうな~

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2005.09.21

「自分流のすすめ」

 来月からNHKの囲碁の時間で、新しい講師さんの講義が始まります。
 テキストを毎号買ってるのですが読んでみて、「どひゃぁ~」と思いました。いわく・・・

(引用開始)
『普段アマチュアの方と接していて思うのは、
  「あの先生がああ言ったから」
  「定石はこうだから」
 といった思い込みの多さです。(中略)
 勉強しているつもりなのに、その知識が逆に上達の妨げになっていることが実は非常に多いのです。』
(引用終わり)

 ぐはっ。まるで自分のことを言われているようで、グサッときました。
 定石・・・いや、ちゃんと覚えているわけでもないのですが(だからよけいに悪い)、定石を覚えてると、碁を打つ時に迷いがなくなります。
 こう打ったら、こう。ああ打ったらこう。ツケにはハネよ。ハネにはノビよ。切り違い一方をノビよ・・・エトセトラ。
 自分の中にある決まりどおりに打って、気持ちよくなっていたわけですが、どうも、結果はよくありません。
『おかしい・・・変な手は打ってないはずなのに~、これで損はしないはずなのに~』
 
 それって全てもしかして思いこみ~???(爆)
 上手な人から見ると、きっと面白いようにハマッてるかも・・・
 思えば、自分でちゃんと周りの石を見て、考えて打っていなかったかもしれない。
 部分的なところばかりを見て、「これがいいはずだ」と勝手に思いこんでいたかもしれない。
 怖いですねぇ、思い込み。

(引用開始)
「知識ばかりを急いで追わず一手一手の意味をもう一度いっしょに考えてみましょう。」
(引用終わり)

 (^∇^ゞラジャ!    
 既成概念を見直して、自分の頭で、考えて打つように心がけてみよう。
 10月からのNHK囲碁講座も楽しみになってきました。
 「大森泰志八段の自分流のすすめ」。
http://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=0130&textCategoryCode=09189
 よし、また、囲碁がんばるぞー

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2005.09.20

poem(26)

「もうきみしか愛さない」
そう思ったら楽になった

無理して誰かを好きになろうとしても
結局それは自分に嘘をつくこと、だから

『もう恋なんてしない』っていう歌があったね
好きな人と別れてしまったあとで

─ 二人で出せなかった答えは
    君の知らない誰かと見つけてみせる─

って歌だけど
それはきっと強がりなんだ

そうできるならいいけど
そうしたいとは思うけど
実際はそんなふうにできない
一度好きになった人を
別れてしまったからって
好きになってもらえなかったからって
忘れてしまうことなんてできやしない

「もうきみ以外 誰も愛さない」
それが今の私の
本当に正直な気持ち

ずっとずっときみを好きでいる

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2005.09.19

今、しなくてはいけないこと。~「女王の教室」最終回より~

 土曜日9時から放映していた連続ドラマ「女王の教室」が一昨日、最終回を迎えました。
 教室の児童を、成績でランク付けし、最下位の児童、または、自分に逆らった児童には雑用をやらせる。あからさまな差別により、必然的に発生するクラス内のいじめ。「できない」子がいることで、連帯責任の名の元に与えられる罰に、仲間内で争いが頻発し、成績至上主義に従う子とそうじゃない子の間でできる亀裂。告げ口、えこひいいき、いじめ、おもねり・・・

 いや~すごいドラマでしたな。
 
 阿久津先生に負けてなるものか、ということで、がんばった子供たちは、最後はそのがんばりが先生に与えられた試練によるものだったと気付き、最後は「仰げば尊し」を先生のために歌い、卒業記念のクラスのプレートに、阿久津先生の姿を描いたりします。
 もちろん、阿久津先生はいい先生だったわけですが・・・

 勉強は自分のためにするのだ、ということ。
 今、自分が何をしなければならないか、を自覚すること。
 自分の人生は自分が決めること。

 阿久津先生の教えは、とても大切なことで、口でただ言っても分からないことを、子供たちに叩き込んだ、ということなのですが・・・今、振り返ると、やはりやり過ぎだよなぁという気はどうしてもしてしまいます。
 これはドラマだから、うまくいきましたが、阿久津先生のやり方は、やはり、寝る時間も惜しんで、子供たちを24時間フォローできるくらいじゃないと、危険過ぎる^^; 私だったら、あんな先生のクラスだったら、すぐへこんで絶対対抗できませぬ。うまく行ったのは 「神田和美」「進藤ひかる」という子がいたからなのかな・・・

 と、いうドラマそのもののお話はここまでで。

 阿久津先生は、最後の授業でこんなことを言っておりました。少し長いですが引用させていただきます。

「いい加減目覚めなさい。
 人生に不安があるのは当たり前です。
 大事なのは、そのせいで自信を失ったり、根も葉もない噂に乗ったり、人を傷つけたりしないことです。
 (中略)
 分からないものを、分かったような顔をして、無理に納得する必要なんかないんです。
 それより、今をもっと見つめなさい。
 
 イメージできる?
 私たちの周りには美しいものがいっぱいあふれてるの。
 (中略)
 そういう大切なものをしっかり目を開いて見なさい。耳を澄まして聞きなさい。全身で感じなさい。
 それが生きているということです。
 
 今はまだ具体的な目標がないのなら、とにかく勉強しなさい。
 12歳の今しかできないことをいっしょうけんめいやりなさい。そして・・・中学へ行きなさい。
 中学に行っても、高校に行っても、今しかできないことはいっぱいあるんです。それをちゃんとやらずに将来のことばかり気にするのはやめなさい。
 そんなことばかりしていると、いつまでたっても、何にも気づいたりしません。」

 私は。・・・いや、もうオトナなんですけどね。
 あらためて思いました。私にも、きっと今しかできないことがあるんだろうなって。
 身の周りにあふれている美しいものや大切なものを、きちんと目を開いて見て、聞いて、感じること。それをしないで、このまま結婚しないで、年をとった時のことばかり考えててもしょうがないものな。
 いくつになっても、きっと「今しかできないこと」というのはあるのでしょう。私には何ができるだろう?
 
 阿久津先生・・・天海祐希の言葉には、私がそう思ってしまうほど説得力がありました。演技力が、さすが、ということなのだろうなぁ。

 ああ、なんだか、小6のときの先生に会いたくなってきました。塚本先生~どこにいるの?(笑)

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2005.09.17

DVD+RW?

 さだまさしさんの3333回コンサートをテレビでやっております。

 それを買ったばかりのDVDレコーダーで録画しようと思い立ち、いつもはハードディスクに録画してますが、今日はハードじゃない方に録画してみようと、近くのケーズデンキに光ディスクを買いにいきました。間違えないように「for VIDEO」と書かれたディスクを買い、家に帰ってきて、機械に入れてみたところ、読み込んでくれません。

 なぜだ? なぜなんだ~!!!
 汚れてるのかと思ってふいてみたり、裏と表を逆に入れてみたりしましたが・・・

 このディスクは、DVD+RW。 ・・・ん? 私のDVDレコーダで使えるのは、DVD-RW。 +と-があるの? 同じDVDでももしかして+RWは使えないの? なんだ、そりゃ~~~~

 ・・・というわけで。DVDもいっぱい種類があるんですな~(汗) DVD-R、DVD-RAM、DVD-ROM etc.
うう、基本的なミスをしでかしてしまいました。次は間違いなく、DVD-RWを買ってこないと。よかった・・・5枚組みセットとかを買ってこなくて。

 とりあえず、今、さだまさしコンサートはハードディスクに録画されております。

 ちなみに今夜は「女王の教室」のスペシャル。昼間は、総集編をやってましたが、上記のどたばたで見逃してしまいました。先週は、野球の延長で録画を逃し、後半の名場面を見逃すし、ついてない^^;
 でも今日、総集編を最後を、少しだけ見ることができて、「女王の教室」のホームページでは、分からなかった名場面を見ることができました。

和美    「幸せって一人一人違うんじゃないですか? 私は、このクラスの全員が幸せになれると思います」
阿久津先生「その言葉をずっと忘れないことね」

(注)正確ではありません^^;

 そして今日、最終回。楽しみです。

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仕事、楽しいですか?

 昨日の「今日中」の発注は、思ったよりすんなりと終わりまして、昨日は、ちゃんとその日中に家に帰りつくことができました。しかしまぁ、今週は、ほとんど、部屋にいるときは「寝るだけ」の毎日で・・・そんな生活って、している人の話はきいたことがありますし、そういう人を想像することはできますが、まさか自分がそうなるときがあるとは、ちょっとびっくりしてしまいました。長く生きているといろんなことがあるものです。

 さて、表題。
 昨日の出張は後輩といっしょに行ったのですが、移動中の雑談で、ふと後輩にそう尋ねられました。ふふ・・・若い質問だなぁ。私もそれで悩んだことはたくさんあったっけな。

 そうねえ・・・私にとって、今、仕事は「生業(なりわい)」です。
 生業、という言葉の、本当の定義はもしかすると、違うかもしれないけど、私はこの言葉をこんなふうにイメージしています。

 人には何か役割があるのだろうと。
 「それ」は、やらなければならない、と決まっている。
 やるのが自然・・・・たとえば、花が咲いたり、犬がほえたり、赤ん坊が泣いたりすることと同じように、私にとっては、今は、仕事はするのが自然って感じなのですね。
 そして、それをすることによって、私は給料をもらって生きていけるわけで。それが、つまり「生業」ってことじゃないのかと。

 そうなってしまっている「仕事」は、私にとってすでに、楽しい、楽しくない、って域はもう超えてしまいました^^;
 でも、まあ、今は、楽しいは楽しいかな・・・
 昔、自分のやっている仕事に何の意味があるのか、と悩んだ頃がありました。突き詰めて考えると、その時の自分の仕事にはどう考えても意味はなかった。その時は、この職場をやめようかと考えていましたっけ。
 が、そのあと部署の異動がありまして、いくつかの部署を周るうちに、その部署以外のところでは、それなりに意味がある仕事につくことができました。
 ・・・いや、そんな大層な「意味」でもないのですが。自分のやってることが誰かの役に立っていればそれでいいのです。
 今も一応、意味はある仕事。誰でもできますが、誰かがやらなければならない仕事です。「今日中」の発注が、夕方の6時に来て、自宅にいるのを呼び出されたりすると、「ナンなのよ!」とは思いますが(笑)、まあ、やらないといけないのでしょう^^;
 
 「楽しいか」と訊かれて「楽しい」と即答はできないのですが、これが私の役割なのだろうと、漠然と感じます。
そして自分の役割を果たすことにはそれなりの喜びはあるわけで。おそらく、人生の、その時々に、自分なりに精一杯やってきた結果が、自分の「今」なのだろうと思います。だから、それに後悔はない。
 
 ・・・難しいですね。後輩にうまく説明できないや。
 生きるってことは、自分にできるだけのことを、精一杯やっていく。ただそれだけのことで。今の私はあまり難しく考えてはいません。そう思えるようになったのも、おそらく最近で、昔はずいぶん、悩んだり難しく考えたりしてたっけなぁ。今も無論、悩むことはあるわけで、後輩の気持ちはとてもよくわかります。

 楽しいか?と訊かれれば、「楽しい」と、答えるかな・・・でもそれは「うそ」だなぁ。
 
 え? 実際そのときはどうしたかって? 

「あなたはどう?」

 と問い返してしまいました。ちょっとずるかったかしら。私もすっかり「オトナ」になったもんです^^;
 

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2005.09.16

今日中っていつまで?

 今日は、出張で、初めてつくばエキスプレスに乗車し、つくばに行ってまいりました。仕事も滞りなく済み、本日は直行直帰、久々に家でゆっくりできると思いましたら、携帯に職場からTELが。

「これから発注するらしいんだけど、今日中に回答が欲しいって連絡が来てるよ」

 今日中? 
 今、夕方の6時で、もう家にいるんですが、今日中っていつ?(爆)

 仕方がないので、職場に戻りましたよ~。でも、もうすぐ、19時半。発注っていつ来るの? 今日中っていつまでなんだ。発注が来るまでは待機だそうで、今、オフィスで食事をしながら、これを書いております。

 ああ、今日もタクシー帰りなのかしら・・・ショック。

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2005.09.15

明日の朝までに

 一部の働く社会人にとっては当たり前のことかもしれませんが、なんと、私にも、タクシー帰りが当たり前という仕事がやってきてしまいました。昨日は夜1時くらいにオフィスを出て、タクシーで帰りました。そんでもって、今日も^^;
 職住接近の暮らしをしているので、3000円くらいで深夜でも家に帰り着けます。近くて良かった。
 それにしても・・・夕方くらいに電話がかかってきて「明日の朝までによろしく」なんて仕事ってあるのねえ。ご主人の帰りが遅い奥様の話をたまに聞きますが、そういうご主人ってどういう仕事をしてるのかと思ったら、こういう仕事なのねん。
 1時まで仕事しても、タクシーで帰れば、風呂入ったりしても2時半には寝られます。そうするとまあ、睡眠時間もとりあえずはとれて。菓子パンとおにぎりの夕飯がバランス悪いなぁとは思いますが、あと今週は二日だ・・・がんばろっと。
 今日は、職場のビルの通用口を出るとすぐのところにタクシーが止まっていたので、助かりました。深夜なのに、タクシーの運転手さんと、税金の無駄遣いの話で盛り上がってしまいました。

追記:そんなわけで、本当は、昨日、脳ドックの予約を入れておいたので、初MRI体験記をお送りできる予定だったのですが、ぽしゃりました。楽しみにして下さっていた方、すみませんm(__)m
 一応、来月の11日に再予約し直してありますので、またその体験記は来月にでも。え?別に誰も待ってはいない?(笑)

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2005.09.13

♪自由に歩いてゆくのならひとりがいい

 標題は中島みゆき(敬称略)の「友情」から。
 このフレーズの後にはこう続きます。

(引用開始)

 そのくせ今夜も人の戸口で眠る

(引用終わり)

 いや~そのとおり(汗) ひとりがよくて自由がいいなら、お見合いなんかするなよ~と、いつも自分に突っ込みを入れている昨今ですが、やっぱ、「そのくせ今夜も」、「人の戸口」ならぬ、ブログを綴りつつ、皆様のブログを心の友としております。
 ひとりでもいいんですけど、どうも、背中を蚊に刺されたらしく、自分じゃ背中の虫刺されって見えないのですよね。じゃ、誰に見てもらおうかなぁと思った時に、見てもらえる人がいるといいなぁと思います^^
 誰かといっしょに暮らすとしても相手への期待なんてそんなもんですよ。
 ・・・あ、でも、相手への期待っていうのは、最初はそんなちっぽけなもののはずが、どんどん大きくなっていくから始末に負えないのかもしれませんね。
 相手からも当然期待されるだろうし・・・

(引用開始)

頼れるものはどこにある
頼られるのが嫌いなけものたち

(引用終わり)

ふう・・・この歌を最初に聞いたのはまだ高校生の頃でした。あのころとちょっとだけ違うのは、同じようにこの曲が好きな友達が今はいることかな。カラオケでもこれ歌っちゃうもんね。

(引用開始)

この世見据えて笑うほど 冷たい悟りもまだ持てず
この世望んで走るほど 心の荷物は軽くない

(引用終わり)

いい年してまだ悟れないのかよと、いつも思いますが、根がおめでたいので、いつまでも悟れないでジタバタしちゃうのだろうなぁ。

(引用開始)

背中に隠したナイフの意味を 
問わないことが友情だろうか

(引用終わり)

そう・・・おそらくはそうなのでしょう。
背中にナイフを隠しているのを知っていてもあえてそれを問わない。
ナイフの1本や2本、誰だって持っています。それを、人を傷つけるために使う前に、どんなナイフなのか、使いやすいのか、尖っているのか、どっちが大きいか、なんて、カミングアウトして、笑って話してしまえるような関係になれるのが理想です。
自分で書いておいてなんですが、ちょっと難しいでしょうか・・・

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2005.09.12

お見合い話の続き

 昨日、先般、「お相手をご紹介」してくださった方から電話がかかってきました。
 私からは、お断りしたい、という旨を一度話したのですが、
「え~、お似合いだと思ったのよ。どうして~?」
 と言われてしまいました。いや、お似合いだと思っていただいても、本人同士の話ですから^^;
 うう、断るの大変だなぁ、もう。お見合いって、うまくいかなかったときにうまく納めるのも仲介人の役目だと思うんだけどな。

 先日、「女王の教室」を見ておりました。引き合いに出すのは前々回の放映の内容なのですが、和美ちゃんが、私立受験を勧める母親に「私立に行く意味が分からない」なんてことを言いますです。「自分の人生は自分で決めたいの」と。しごくまっとうなことを言ってますよね。
 意味が分からないのに「私立にいく方がいいから」とか「いい会社に入りたいから」とか漠然とした「その方がいいから」で何かは決められません。ましてや和美ちゃんと違って、私はもういい大人ですから、やっぱそこは「誰がいいと言ったから」なんて人のせいにできませぬ。
 だから、いくら周囲がお似合いだと思っても・・・こればっかりは。
 
 ふと思ったのですが、男性側にとっては、お見合いってもしかしてけっこう便利な制度なんですかねえ?
 普通、女性を口説く時は、まず食事に誘ったり、次には二人ででかけるように誘ったり、まめに電話をしたり、プレゼントしたり、いろいろするものだと思うのですが、お見合いの場合は、それ一切しなくて済むということなのかなぁ? そういうことを一切しないでも、周りが全部セットしてくれて、自動的に(?)結婚できる・・・とか思ってんのかな^^;
 いや、別に口説いて欲しいわけじゃないんですが、「周りが全部セットしてくれて」それで結婚する「結婚」なんて、私は嫌だな。見合いってのはきっかけであって、そのあとは自分で進めないと・・・というか、「進めよう」という意志がそこにない限りは「自動的」に結婚なんてあり得ない。
 そして、「進めよう」という意志がお互いにないのなら、その話はそこで「おしまい」なのだと私は思います^^; それは見合いだろうが、普通の出会いだろうが同じこと。
 非婚化が進んでいるのは、もしかすると、そういう「意志」と係わる動機付けの部分で、「結婚」というものが魅力を失っているせいなのかもしれませんね・・・。
 昔だって、別に「結婚」に魅力を感じて結婚してたわけじゃないのでしょうが、少なくとも、女性も男性も、結婚しないと困ることがいろいろあったような気がします。今は、別に困らない。だとしたら、よほど強力な動機付け・・・たとえば、相手のことをものすごーく好き、だとか(笑)がなきゃ、結婚って成立しないよな。
 見合いによる成婚率も、きっと下がってるのだろうと思いますです。
   

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2005.09.11

自民党圧倒的勝利!?

  うーむ・・・あまり勝ちすぎるのもなぁ・・・^^;
  いや、私も、改革は進めないといけないと思います。自民党を出て、今回新党を作った方々は、「今までのやり方」を無視されたから怒っているだけのように見えました。時代は変わる。
 政策の是非は、郵政事業の民営化のみならず、どちらがいい、悪いと一言で言えないものばかりで、今後もこの大勝にいい気にならず、慎重に検討を進めていって欲しいと思います。

 私たちは自民党を監視し続けたいですね。

 今回の選挙では、新しい議員も増えました。
 でも一方で、深谷元通産大臣など、一度、落ちた人で復活してる人もいたりして、今回の大勝で、昔の体質に戻ってしまうかもしれないというのが、一番危惧されるところです。
 選挙に勝ったからって古い体質には戻らない、戻さない、で欲しい。それがおそらく、自民党を支持した人たちの、切なる願いです。「改革をSTOPさせるな」の思い。それが今回の大勝の理由だと思うので。

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2005.09.09

何を話そう

 友達と会って、何を話したらいいのか、困ったことってありませんか? 私はあります^^
 そんなとき、どんな話をしますか?
 もし私だったら・・・

 「この夏は東京湾の花火を見に行った」
 このネタは使えますね。だって、とっても感動したもの。どこで見たのか、混雑がどうだったか、そこから、過去、見に行った花火の話も含めて、30分は持ちますね~、花火ネタ。

 「今度、中島みゆきの曲を演奏してるバンドで、ボーカルをやる」
 相手が中島みゆきを知ってれば、けっこう持ちます。相手が興味を見せたら、バンドメンバーとどこでどう知り合い、いつもどこで練習しているかも含め、これも30分はイケる。

 「『女王の教室』が面白い」
 ドラマなんてほとんど見ないという人は多いですが、自分が子供だった頃の先生の話などもからめていけば、相手がドラマそのものを知らなくてもある程度は持ちます。思い出話というのは、つぼにはまればけっこう盛り上がったりするかも。

 「父親の再婚」
 だからどうした、という話ですが、全然知らない姉妹がある日できている、というのは、話しようによってはドラマティックな演出ができます。相手にとっては関係ない話ですが、関係ないだけに、気軽に話題にできる話かも。

などと、まあ、普段ブログに書くネタを総動員すれば、話題には事欠きませんけれども。
友達と会った時に本当に話したい話って何かなぁ。

 時々考えます。もし好きな人に会いにいったら、一番最初に何を話そう?
 どれもわざわざ会いに行ってどうしてもしたい話じゃないなぁ・・・

 あえて言えば、相手の話を聞きたい、かな。
 毎日どうしてるのか、何か楽しいことがあったか。
 相手にとってはつまらない話でもいいから。
 
・・・そうか。人と会うということは、自分が話すためじゃなくて、相手の話を聞くため、なんだ。
え? もしかして当たり前のことですか?^^

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2005.09.07

poem(26)

きみに何もできないことなんて
もうとっくに知っていたけど
それでも願わずにいられない

 きみが苦しくないように
 きみが痛くないように
 きみが幸せであるように

何もできないかどうかなんて分からない
信じなきゃ何も叶わない
だから そう どうか

 きみが苦しくないように
 きみが痛くないように
 きみが幸せであるように・・・

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2005.09.06

自分のために生きる~「積み木くずし・真相」を見て

 先週、金曜日と土曜日にやっていたスペシャルドラマ「積み木くずし真相」を見ました。
 舘ひろし、すごかった。あんな役もできちゃうのね。役者だ・・・

 見てない方のために解説をちょこっとすると、かつて、家庭内暴力が吹き荒れた時代、非行に走った娘を更正させた親子の話、「積み木くずし」が本になり、ドラマになったことがありました。私も見てましたよ。
 「積み木くずし」はノンフィクションでして、穂積隆信という俳優さんとその娘、由香里さんの実話です。「積み木くずし真相」ももちろんドラマ的に作ってはあるのでしょうが・・・多分、本物の物語なのだろうなぁ・・・。
 かつての「積み木くずし」というドラマでは、娘が更正のきざしを見せるところで終わっており、荒れる子供達の対処療法として、一つのバイブルとも成り得たのですが。現実は、娘さんはその後も大麻所持等で、逮捕されたりするなどして、その後もいろいろあったらしい。今回放映されたスペシャルドラマは、そういう「その後」を描いたドラマで、「積み木くずし」という本を出し、娘をさらし者にした親、として、主人公が糾弾される場面から始まります。

 由香里さん・・・いや、ドラマですから、ドラマの役名で言いましょう、娘の朋美さんの姿を見ていて、とても胸が痛みました。彼女はドラマの最後に若くして病気で亡くなってしまいます。シンナーや麻薬の影響があったのか、それとも生まれた頃からの疾患だったのか、または、大人になってからの無理な生活がたたったのか、その辺はドラマでは分からないのですが、医師に余命1年と宣告を受けたあとの3年間、周りには気遣わせずに、仕事に勉強にがんばったまま・・・
 彼女の最後の願いは、父親に自分のウエディングドレス姿を見せることだった。最後の残りの人生を、父に「普通の娘」になってみせることに捧げた。
 ドラマではそんなストーリーでした。

 もちろん「ドラマ」なのは分かった上で書くのですが。
 父と母と・・・積み木くずしと・・・それに翻弄され続けた彼女の人生に、なんだか、とても痛ましいものを感じてしまいます。あんな父親も母親も縁を切って、自分の幸せを見つけることはできなかったのかなぁ。結局最後まで・・・いや、亡くなってからでなければ、自分の苦しみを吐露することが出来ずに、最後は「いい娘」を演じて亡くなったような気がしてしまいます。
 彼女は自分のために生きることができたのかな・・・

 いや、もちろん、彼女自身がそう生きることに決めた結果なら、他人がとやかく言うことではないのですが、「誰かのために生きる人生」っていうのはありなのかなぁ?と私はなんとなくそれを痛ましく思ってしまうのです。
 人生は誰もが自分のために生きるべきだと私は思っています。例えばこのドラマなら、朋美ちゃんが自分のために幸せになることができたなら、親もまわりもみんなそれを喜んだことだろうと思う。果たして、それはできたのだろうか?彼女が亡くなった今になっては、誰もそれを知ることはできませんが・・・
 どうしようもない痛みや苦しみにあってしまったときに、人はそれをどう乗り越えたらいいのでしょう。
 彼女のように自分で抱えて苦しみ続けていくしかないのかな・・・そんなのひど過ぎる。死んでからでなく、生きている内に、せめてそれを何らかの形で癒やす術はなかったのかな・・・

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2005.09.05

シンクロニシティ

 倉阪鬼一郎の「サイト」という本を読んでおります。まだ途中ですが訳の分からない小説なのであまりお勧めはしません^^; amazonの書評でも散々な酷評を受けております。

 が、まあ、ちょっと今日はその中に出てくる、シンクロニシティというキーワードについて少し。
 シンクロニシティというのは、簡単に言うと「偶然の一致」のことです。心理学者のユングの書ではそれを「共時性」と言っています。

 たとえば、サイトという本の主人公は右目の視野が元々狭かったのですが、手術を受け、まったく普通の状態ではないものの、以前よりも右目の視力が回復してきました。ただそれからというもの奇妙な幻覚を見るようになり、それと同時に自分の書く小説と、現実世界の出来事が、奇妙な符号、つまり「シンクロニシティ」を見せるようになる・・・という小説なのですが。
 私もたまたま・・・いや、ほんとにたまたまですが、今どうも目がオカシイので。
 「あら、これも考えてみればシンクロニシティだわ」
 と思ったりしました。

 あるマンガで、「似たものは似たものに作用する」というおまじないの原理を読んだことがあります。
 たとえば人型を作って、それを傷つけると、そのモデルになった人間も傷つく・・・わら人形とかですわね。それもそれに基づくもの。わら人形は呪いですが、そのマンガには、たとえば体におできができたときに、そのおできによく似た・・・たとえば小豆などを川に捨てたりすると、偶然におできも取れる、と言ったような、民間のおまじないをそこで例示していました。

 もし、本当に、似たものが似たものに作用するならば。そして、それが共時性の原理に基づくものならば。それを利用することができるかもしれませんね。まさに「おまじない」の世界ですが。
 
 「サイト」の主人公は、これからどうなるだろう? 最後に死んだりしないよな・・・。それにシンクロしちゃうと大変ですが、逆に、この主人公に私の目の違和感も背負ってもらって、小説の世界に持っていってもらえれば、私の現実は安泰になるかもしれない・・・?
 ということで、こっそりおまじない。小説の結末が良い方に転ぶにせよ悪い方に転ぶにせよ、私の目によい働きをもたらすように願いたいと思います。
 おまじないですから、自分の都合のよいように考えるのですよ。そう「ぼのぼの」のスナドリネコさんも言っていた。
「『なる』のと『ならない』のとどっちを信用するんだ?」
 ぼのぼのはそれにこう答えました。
「『なる』といいから『なる』方を信じるなぁ」
 私も『なる』方を信じよう^^

 いや、もちろんおまじない、だけじゃなく、脳ドックも受けますけどね^^ 

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2005.09.04

脳ドックを受けてみよう

 最近パソコンの画面の見すぎなのか、左目の下がピクピク動くような違和感があります。ネットで調べたこところ、「顔面けいれん」というのの症状に近く、もしこれだとするとほっといてもよくならないとか^^;
 え~、やだなぁ・・・。顔面をつかさどる神経を、脳の中の血管が、なんらかの要因で圧迫していることが原因のようです。悪くすると脳腫瘍とかが要因になっている可能性もあるそうで。ひええ~
 ということで、脳ドックを申し込んでみることにしました。MRIって一度受けてみたかったし。
 しかし・・・こういうことがあると、つくづく健康って大事だわと思います。脳ドックは今月の13日に受けることに決まりました。また体験談を書きますので、続報をお待ちください。
 症状自体はこれ以上ひろがったりしなきゃいいんだけどなぁ。ちょっと心配です。

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2005.09.03

自分は弱くても石は弱くない

先日、久々に囲碁、19路を打たせていただきました。いつものネット対局場でお相手は、なつみさん。私とは互い先のお相手ですがこのところ連敗中です。そろそろ黒先なのかなぁ^^;
 序盤からなんだか苦労をしてしまいました。
 例によって、いつもの上手の方に棋譜を見てもらったのですが、いわく、「下辺の損がひどすぎる」。

 下辺に、パッと見た感じ、つまりカタチ的に打ち込める場所があったので、打ち込みを打ってみました。タイミングと場所はぴったりだったらしく「お、強くなったんじゃないか?」とそこまでは言われたんですが。
 次の瞬間からもうだめ~。死ぬはずのない石がそのまま持ち込みと化し、持ち込みの損のみならず、下辺が丸々相手の地になってしまいました。

 打ち込み。
 打ち込みってしたことあります?^^
 
 碁を教わっていると、
「そこは相手を固めるから打ってはいけない。固めなければまだ打ち込む手がある」
 と言われる時があるのですが、固めないで、かつ、打ち込まないでいると、そこを大きく相手に囲われてしまいます。打ち込みを打てないとそもそも意味がなくなっちゃう^^; 「普通はそこは死なない」はずのところを死んじゃうんだもんなー。
 
 この間、いつも教えて下さっている上手の方に教えてもらった言葉が一つあります。
「自分は弱くても自分の石は弱くない」
 これってほんとにそうで。このときは互い先でしたが、極端な話、もし置き碁だったら、まわり中、みんな味方なんだから、自分が悪くなるはずがないのです。なのに悪くなるのは、相手の手に惑わされて、自ら、碁を悪くしてるんですよね。
 自分の石は強いはず。たとえ私がヘボだとしても・・・そう信じないと^^;

 そして、打ち込み。カタチ的にはありなんだから、あとは手順をしっかり覚えること。しっかり打てば死ぬはずはないんだ~  打ち込みの定石、いいかげんちゃんと打てるようになりたい。いつまでも持ち込みばかり増やしてたらずっとへぼのままだもん。

 でもおかげさまで、とにかく打ってみたことで、自分のしなくちゃいけないことや、クリアすべき課題が見えたようで、かなり励みになりました。いつもながら、私と打ってくれたり、教えてくださったりするみなさま、ありがとうございますー。
 なつみさん、また打ちましょうね。

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2005.09.02

渡辺淳一の時代

 小説で恋愛ものやそこで書かれている「女性像」を読むと、現代とのギャップにびっくりするときがたまにあります。今日のテキストは渡辺淳一の「泪壺」。

 渡辺淳一といえば、大ヒット小説「失楽園」で知られる、1933年生まれの作家です。渡辺淳一氏の書く男女の恋愛ものを読むと「へー、男性の理想の女性像ってこんななのね」と参考になります。それに文章が平易で分かりやすく、肩肘を張らずに気楽に読める。
 「泪壺」は、比較的最近に出た短編集ですが、文庫版なので、表題作の「泪壺」だと初出は、1988年になります。けっこう前ですよね。
 さて・・・表題作は、愛していた妻がガンで逝き、その妻の頼みもあって、その骨を白磁(いわゆる「ボーンチャイナ」)の壺にして手元に置く男性のお話。作品のテーマについては、
「ふむふむ、そりゃそうよね・・・」
 読む前に想像したとおりの結果でしたが、そういう予定調和も短編集なら、悪くはありませんです。

 で、この主人公の男性。40代前半でパートナーを亡くすのですが、奥さんが死んで1年後くらいには、まず37歳の女性といい仲になる。「どんなに愛していても妻が死んだら、別の女性と仲良くなって再婚も考える」・・・それも1年くらいで、というのが当たり前のように書かれているのを見て、
「へー、そんなものなのねえ」
 と、ちょっとびっくり。いや、現実的じゃないとか不道徳とかいうのではなく、それが男性にとっては普通なのか、というのが、面白いわけです。身の回りに女性がいない方が彼にとっては不自然なわけですね。でもその37才の女性とは初めはいい感じですが、その内ぎくしゃくし、自然消滅します。(理由は・・・まあ想像してみてください)。

 で、次に付き合う女性は知り合いの紹介で出会った29歳の女性。いわゆる「見合い」ですが、しかし40過ぎの中年男性に10以上も年が違う女性との見合い話があって、おまけに男性がその気になると、女性もあっさり承諾し、いとも簡単にベッドイン(とーぜん結婚前)に至るという経緯が、これまたびっくりするわけですよ。
 20年前はこれが現実だったのかしら・・・(笑)
 ちなみに29歳の女性は、結婚したら仕事をやめて、家庭に入ってくれるという設定。
「外で働く女性より、帰ってきたとき家にいてくれる女性の方が好ましい」
 という小説中の記述もあります。一般論ではなく、この小説の主人公がそう考えた、ということで、そういう考えをする男性がいることは、小説ですから、まあ、ありでしょう。

 で、この小説がどうなるかというと・・・

 主人公は、車に29歳の彼女を乗せているときに不慮の事故に遭います。女性は死に、男性だけはなぜか無事。それが壺にこめられた妻の念がなせる業だったのでは・・・というある意味、分かりやすいお話です。

 しかし29歳で、へんな中年男にひっかかって、妻の怨念で殺される(?)女性の立場って^^; まあ小説ですからいいんですが、男性にとって、女性って、こんなもんなんだなーと、こういう小説を読むとつくづく思って・・・ふふ、面白いです(笑)

 ほんの20年前までは、これが普通だったのかな。男性にとっては、女性は、自分が豊かに人生を過ごすためのアクセサリーかつ付属物で。妻が死ねば、他の女性を捜して、自分に都合のよい条件をその人が備えていればおつきあいし、自然と結婚へと至る。
 
 いや、まあ、いいんですが^^;
 ただ・・・当時の女性は、じゃあ、どういうつもりで結婚ってしてたのかなぁと考えるわけです。

 女性にとっては結婚ってのは「安定」ですな。たとえば29才で40過ぎの男性と見合い話があったとして、仕事はしないで、家庭に入るという選択をするとする。一人の男性の人生に自分も寄り添い、一つの道を歩むわけです。それが女性の幸せであった。まあ、まったく分からなくはありませぬ。

 そして、現代。
 自分の人生は自分の思うとおりに生きたいと、思う人の方が今の世の中には多くなりました。
 人が二人いれば、それがたとえ男女であっても、一つの人生ではなく二つの人生があります。一つの道を歩いても、目は四つあり、頭も二つある。「家庭」というのは一つの家ではなくて、二人の人がいっしょに住む場所です。・・・やはりここ何10年かで、だいぶ結婚観って変わりましたね。
 
 私は、自分の父が、なぜ、私の結婚相手を考えるのに「条件」から入るのか、まったく理解できませんでした。しかし、父の世代なら、それが普通だったのか、とあらためて気がついた感じです。
 自分の人生を自分で作るのではなく、結婚して結婚相手の男性に作ってもらい、考えてもらうのも男性に考えてもらえる・・・女性はただついていく・・・それで女性も男性も幸せだった時代が過去はあったのかもしれません。
 でも今はもう違うなぁ。女性もですが男性も。女性の人生をまるごと引き受ける男性なんてもう世の中にはいないでしょうし、女性もやっぱり自分の人生は自分のために生きたいと思うのでしょう。だから熟年離婚もあるわけで。

 ただ、人が二人いて、人生が一つではなく二つでも、結婚したり、子供を産んだり、家庭を持ってる人は、現代でもちゃんといます。頭が二つになった分、成婚率は低くなったに違いありませんが、結婚して幸せに暮らしてる人もいますよね^^  私もそうなれたらいいんだけどな、と思ったりはするわけで、それで見合い話を受けたりしちゃうわけですが、「結婚」ってものの考え方の違い・・・特に親の世代との違いというのは、あまり簡単に考えてると、面倒なことになるんだなーと、ちょっと今回は身に染みてしまいました。

 小説の話からだいぶ横道にそれました。渡辺淳一の小説は、そういうわけで、女性がちょっと都合よく書かれ過ぎてるなぁと感じることもあるのですが、それはそれなりにリアリティはあったりします。女性と男性がすれ違う時の、男性側の心理を知るのに大変参考になるお話が多くて^^ この「泪壺」同様、男性側が幸せにはならず、悲哀をこめて「男と女ってのは・・・」としみじみ語る渡辺口調も、嫌いではありません。嫌いどころか・・・けっこう好きなのです^^

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