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2005.09.02

渡辺淳一の時代

 小説で恋愛ものやそこで書かれている「女性像」を読むと、現代とのギャップにびっくりするときがたまにあります。今日のテキストは渡辺淳一の「泪壺」。

 渡辺淳一といえば、大ヒット小説「失楽園」で知られる、1933年生まれの作家です。渡辺淳一氏の書く男女の恋愛ものを読むと「へー、男性の理想の女性像ってこんななのね」と参考になります。それに文章が平易で分かりやすく、肩肘を張らずに気楽に読める。
 「泪壺」は、比較的最近に出た短編集ですが、文庫版なので、表題作の「泪壺」だと初出は、1988年になります。けっこう前ですよね。
 さて・・・表題作は、愛していた妻がガンで逝き、その妻の頼みもあって、その骨を白磁(いわゆる「ボーンチャイナ」)の壺にして手元に置く男性のお話。作品のテーマについては、
「ふむふむ、そりゃそうよね・・・」
 読む前に想像したとおりの結果でしたが、そういう予定調和も短編集なら、悪くはありませんです。

 で、この主人公の男性。40代前半でパートナーを亡くすのですが、奥さんが死んで1年後くらいには、まず37歳の女性といい仲になる。「どんなに愛していても妻が死んだら、別の女性と仲良くなって再婚も考える」・・・それも1年くらいで、というのが当たり前のように書かれているのを見て、
「へー、そんなものなのねえ」
 と、ちょっとびっくり。いや、現実的じゃないとか不道徳とかいうのではなく、それが男性にとっては普通なのか、というのが、面白いわけです。身の回りに女性がいない方が彼にとっては不自然なわけですね。でもその37才の女性とは初めはいい感じですが、その内ぎくしゃくし、自然消滅します。(理由は・・・まあ想像してみてください)。

 で、次に付き合う女性は知り合いの紹介で出会った29歳の女性。いわゆる「見合い」ですが、しかし40過ぎの中年男性に10以上も年が違う女性との見合い話があって、おまけに男性がその気になると、女性もあっさり承諾し、いとも簡単にベッドイン(とーぜん結婚前)に至るという経緯が、これまたびっくりするわけですよ。
 20年前はこれが現実だったのかしら・・・(笑)
 ちなみに29歳の女性は、結婚したら仕事をやめて、家庭に入ってくれるという設定。
「外で働く女性より、帰ってきたとき家にいてくれる女性の方が好ましい」
 という小説中の記述もあります。一般論ではなく、この小説の主人公がそう考えた、ということで、そういう考えをする男性がいることは、小説ですから、まあ、ありでしょう。

 で、この小説がどうなるかというと・・・

 主人公は、車に29歳の彼女を乗せているときに不慮の事故に遭います。女性は死に、男性だけはなぜか無事。それが壺にこめられた妻の念がなせる業だったのでは・・・というある意味、分かりやすいお話です。

 しかし29歳で、へんな中年男にひっかかって、妻の怨念で殺される(?)女性の立場って^^; まあ小説ですからいいんですが、男性にとって、女性って、こんなもんなんだなーと、こういう小説を読むとつくづく思って・・・ふふ、面白いです(笑)

 ほんの20年前までは、これが普通だったのかな。男性にとっては、女性は、自分が豊かに人生を過ごすためのアクセサリーかつ付属物で。妻が死ねば、他の女性を捜して、自分に都合のよい条件をその人が備えていればおつきあいし、自然と結婚へと至る。
 
 いや、まあ、いいんですが^^;
 ただ・・・当時の女性は、じゃあ、どういうつもりで結婚ってしてたのかなぁと考えるわけです。

 女性にとっては結婚ってのは「安定」ですな。たとえば29才で40過ぎの男性と見合い話があったとして、仕事はしないで、家庭に入るという選択をするとする。一人の男性の人生に自分も寄り添い、一つの道を歩むわけです。それが女性の幸せであった。まあ、まったく分からなくはありませぬ。

 そして、現代。
 自分の人生は自分の思うとおりに生きたいと、思う人の方が今の世の中には多くなりました。
 人が二人いれば、それがたとえ男女であっても、一つの人生ではなく二つの人生があります。一つの道を歩いても、目は四つあり、頭も二つある。「家庭」というのは一つの家ではなくて、二人の人がいっしょに住む場所です。・・・やはりここ何10年かで、だいぶ結婚観って変わりましたね。
 
 私は、自分の父が、なぜ、私の結婚相手を考えるのに「条件」から入るのか、まったく理解できませんでした。しかし、父の世代なら、それが普通だったのか、とあらためて気がついた感じです。
 自分の人生を自分で作るのではなく、結婚して結婚相手の男性に作ってもらい、考えてもらうのも男性に考えてもらえる・・・女性はただついていく・・・それで女性も男性も幸せだった時代が過去はあったのかもしれません。
 でも今はもう違うなぁ。女性もですが男性も。女性の人生をまるごと引き受ける男性なんてもう世の中にはいないでしょうし、女性もやっぱり自分の人生は自分のために生きたいと思うのでしょう。だから熟年離婚もあるわけで。

 ただ、人が二人いて、人生が一つではなく二つでも、結婚したり、子供を産んだり、家庭を持ってる人は、現代でもちゃんといます。頭が二つになった分、成婚率は低くなったに違いありませんが、結婚して幸せに暮らしてる人もいますよね^^  私もそうなれたらいいんだけどな、と思ったりはするわけで、それで見合い話を受けたりしちゃうわけですが、「結婚」ってものの考え方の違い・・・特に親の世代との違いというのは、あまり簡単に考えてると、面倒なことになるんだなーと、ちょっと今回は身に染みてしまいました。

 小説の話からだいぶ横道にそれました。渡辺淳一の小説は、そういうわけで、女性がちょっと都合よく書かれ過ぎてるなぁと感じることもあるのですが、それはそれなりにリアリティはあったりします。女性と男性がすれ違う時の、男性側の心理を知るのに大変参考になるお話が多くて^^ この「泪壺」同様、男性側が幸せにはならず、悲哀をこめて「男と女ってのは・・・」としみじみ語る渡辺口調も、嫌いではありません。嫌いどころか・・・けっこう好きなのです^^

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