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November 2005

2005.11.30

空が青いわ・・・

 今朝、駅から職場までの通勤経路を歩きながら、空を見上げると、真っ青な空が頭上に広がっておりました。冬は、景色が鮮やかになりますね。青い空にくっきりとそびえ立つのは、さいたまの場合、「高層マンション」。あのマンションもこのマンションも手抜き工事じゃないかな・・・大丈夫かな・・・と思ってしまう、昨今の状況って、どうなんでしょ。

 私のこのブログを海外から見ているかもしれない方のためにちょっと解説すると、今、日本では、「姉歯(あねは)」とか「ヒューザー」という言葉がキーワード。道を歩いてる人に聞くと、誰もが知っている固有名詞となっております。きっと、日本を知らない人は「?」と思うのでしょうね。どちらもマンションの「耐震構造偽造問題」で一躍、年末のトップニュースに躍り出た人々です。ニュースを検索するとすぐにひっかかります^^

 私は、今、三階建ての賃貸マンション(木造モルタルではないので、一応「アパート」ではなく「マンション」)に住んでおります。賃貸なので、引っ越そうと思えばいつでも越せる。ローンもないし。マンション持ってなくてよかったわ。

 今までに、「マンション買わないの?」と、尋ねられたことが何度かあります。
 でも、なるべく物は持たないで、身一つでどこへでも流れていける気楽さが好き。定職についちゃってますから、実際は、明日からいきなり「旅にでます」ってことはできませんけども。

 「耐震構造偽造問題」では、テレビを見るたびにモラルハザードを憂いたりしておりますが、突っ込んで語るのは、また時期をみていずれ・・・なんて言ってる間にほとぼりが冷めたりするのかな。

 失いたくないものを持てば持つほど、それを失うかもしれない不安も増える。
 何も持たない強み、なんてのがあるとしたら、少なくとも、私にはそれがあるかもしれない・・・とかなんとか思いつつ、また明日もさいたまの青い空の下を歩く、私なのでした。

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2005.11.29

「汚れなき者よ この海に迷いこむな」

標題は中島みゆきさんの「紅灯の海」より。

なんかこう、人生に疲れたなーという時に聞くと不思議と癒やされる曲です。

(引用開始)

海と名のつくものは優しい

(引用終わり)

子供ができたら「海」って名前にしようかなぁ^^

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2005.11.28

ウソ? ホント?

 エッセイストの山崎えり子さんという人が、「公正証書原本不実記載容疑」で逮捕されたというニュースを見ました。
 聞いていたら、なんだかとても不思議な事件でしたよ。まるでフィクションみたいな。

 自分は、実はもともと結婚していて他に夫がいるんだけど、事実上は、別の男性といっしょに夫婦同然に暮らしている。で、そんな中で、「節約生活」のエッセイを出したら、それがたくさん売れて収入があったのだけど、その収入を自分の所得とせず、いっしょに暮らしている男性の口座に振り込んでもらっていたらしいです。自分の収入にしちゃうと、夫との離婚が成立したときに財産分与とかそういう話になってしまうからじゃないか、とニュースでは言っていました。

 で、事実上いっしょに暮らしている人と結婚したいけれど、離婚が成立していないのでそれはできない。そのため、知り合いから、借金を肩代わりしてあげる代わりに戸籍を買い、その、買った戸籍の人間として、いっしょに暮らしている人との婚姻届けを出した、というわけ。

 で、「公正証書原本不実記載」ということになったのですが・・・よくばれたなーこれ。AさんがほんとにAさんかどうかなんて、分からないですよね。っていうか、Aさんが「私はBです」と言っていたら、それがウソかどうかなんて普通は分からないと思うんだけどな。

 一番に、松本清張の小説、「砂の器」を思い出してしまいました。あれは確か有名ピアニストが、戦後のどさくさにまぎれて他の人のふりをしていたけど、それがばれそうになったので、殺人をしてしまう、という話でした。

 この作者の人が出版された本には架空の経歴がたくさん書かれていたそうです。
 節約生活はドイツで学んだとあるのにドイツに行ってなかったり、公務員経験があるみたいに書いてあるのに、公務員だったことはなかったり。
 
 ううむ・・・一度ついたウソのために、次々とウソを重ねることになってしまったか。元々の夫とどういう経緯があったかは分かりませんが、今いっしょにいる男性との生活も長いし、はた目にも、とても仲の良いご夫婦に見えたそうです。
 
 それこそ、「はみだしっ子」というマンガの中でも書かれていた話ですが、ウソをつくのは簡単だけど、つき続けるのは大変です。ドイツに行ったことないのにドイツに行ったことにするのは、世の中、ホントにドイツに行ったことがある人はたくさんいるからつらい。結婚してるのにしてないふりをするのもつらい。
 つきたくなくても、のっぴきならない事情でウソをついてしまう状況もあるでしょうが、私自身はなるべくウソをつかないで生きていきたいなぁと思います。あんまり器用じゃないから、ウソも上手につけそうにないしな。
 それは、ウソを書いても分からない、このブログでも同じで。だから、ここに書いてあることはほとんどホントのことなんですよ。
 いや、わざと、書いてないことはたくさんありますがね( ̄ー ̄)ニヤリ
 

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2005.11.26

童顔もたいがいにせい

 今日は高校時代の友人の入っているギターサークルの第30回記念演奏会だったので、その受付をお手伝いしにいってきました。
 このギターサークル、以前、私も、さいたまに住む前に入っておりまして。長いことお世話になったサークルです。懐かしい人たちが今でもギターをがんばっているので、今日なども、楽しく過ごしてきました。
 高校を卒業した後から、就職、そして、さいたまに引っ越すまで、そのギタークラブで私と友人はいっしょに、演奏に参加してきたのですが、その間、ほとんどずっと最年少会員でありました。そして今は、友人が最年少会員。いや、最年少ってねえ・・・今年が30回の演奏会なら、かつて、13回くらいの時から、私と友人はそのギタークラブと縁がありました。それから数えたって、いい加減いい年なのは分かるわけですが、どうも私たちは、ギタークラブの人から未だに20代だと思われているらしい(笑)
 童顔もたいがいにせいって感じです。まあ、二人とも結婚もせず苦労してないせいでしょうね^^;
 類は友を呼ぶと言いますが、高校時代の友人もほとんどがみな独身。女子高だったので、全員女性なのですけども、なぜにそんなにみんながみんな縁遠いやら。不思議ですねえ。

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2005.11.25

「ザ・リング」を見ました(ネタばれあり)

 なんだか、仕事でもそれ以外でもいろいろと煮詰まっているときは、軽く見られるDVDでも借りてきて、心を癒そうと、選んだのが「ザ・リング」(爆)。自分でもなんだかなーと思いますが、選択は間違っておりませんでした。面白かったです。

「ザ・リング」は、日本版の「リング」のリメイク作品です。「Shall we Dance?」が普通に面白かったので、リメイクも悪くないなーと。流れを知ってるから、肩肘張らずに見られますし。

 煮詰まってる時は、たとえば「世界の中心で愛を叫ぶ」等恋愛ものはNG。日常とかけ離れていて、突っ込もうにも突っ込む手がかりが何もないようなものがよいですね。でも、だからといって「スターウォーズ」シリーズは見てて疲れるんだよな・・・。私はそういうときにホラーを見ます。
 でも以前、ええと・・・ああ「呪怨」。これは今一つでした。あまり面白くなかった^^; 原作者の大石圭さんは好きなんですが。

 私がホラーが好きなのは、ホラーは人の心を書く話が多いからです。
 恨みや悲しみ・・・なぜそんな事件が起こるのか・・・やっぱり幽霊でもなんでも、たとえ負のエネルギーだろうと強い「思い」があるからこそ、そこに事件が起こる。
 そう、今回はアメリカ版ですが、「リング」もサマラ(日本だと貞子)がどんな思いであの呪いのビデオを作り出したのか・・・そこに説得力がなければこの話の一番の価値が薄れてしまいます。

 私は日本版の「リング」をかなり前に、最初はテレビドラマで見ましたが、あのときの衝撃は今でも忘れられません。映画版の「リング」はちょっとテレビドラマ版よりは、安っぽいなという気がしました。ホラーだからって、怖がらせるためだけのあからさまな作りだと「見て損した」と思ってしまいます(そういうホラーも多いですけどね^^;)
 どちらの日本版の「リング」もだいぶ前に見たので、ストーリーの詳細をかなり忘れていたこともあり、今回アメリカ版を見ても、日本版の「リング」との相違点はそれほど気にならずに、別物として楽しめた気がします。

 サマラはとてもかわいそうです。納屋の屋根裏に作られた子供部屋の設定などは、アメリカ版ならでは、でしたが、ちょっとあれを見て、いっそうサマラに感情移入をしてしまいました。そして知っているのに、やはり井戸の底のサマラを発見できたシーンはちょっと嬉しくて。・・・無論、発見できても、それがサマラの救いにも何もなりはしない、というのが、「リング」というお話なのですが。(すみません、ネタばれで^^;)

 一本のビデオから、7日間という限られた時間の中で、サマラを発見するまでのストーリーも、日本版とかなり大きく違っているところもあるのですが、私はどちらかというと、アメリカ版の方が好きです。
 日本版だと、貞子のお母さんは、「千里眼」の力を持つ超能力者なのですが、アメリカ版はそこを大きく作り変えています。本来であれば、あのビデオが「念写」によって作り出されたという因果関係のために、「千里眼」の説明が必要なのですけど・・・そこを削除してしまったアメリカ版では、サマラがどんな方法を使ってあのビデオを作ったのかが説明不足ではあるのですが。私はなんとなく・・・強い「念」が映像となってビデオに焼きつくというのは、別に超能力の説明なんかしなくても、普通にあり得るのではないかと、思っていますのでね^^

 「Shall we Dance?」に続き、今回も個人的に、楽しめるDVDを見られてよかった。はずすときははずしまくりますから^^;
 アメリカ版ではありますが、「リング」を久々に見たせいで、ちょっと続きも見たくなってきました。私はまだ「らせん」も「リング2」も「リング0」も見ていないのです。
 しかし・・・「らせん」の監督って飯田譲治さんか・・・いや、嫌いではないのですが、「NIGHT HEAD」の劇場版ではちょっとはずした記憶が・・・

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2005.11.24

休日出勤

 私は職場で今年の4月から、現場ではなく管理部門へと移り、職員の給料計算をする仕事をしております。年末は「年末調整」という作業があり、めんどくさい書類を職員分全て、一枚ずつチェックをしております。給料計算なんて、この部署に来るまではもっと、機械化されてるのかと思っていた・・・とんでもないですな。一人一人が、入っている保険の額などを、保険会社から本人が受け取った「証明書」を元に、全て手入力でExcelに入力していきます。いや、10人や100人ならいいですよ。・・・ぐはっ。言うだけ虚しい。
 んでもって、昨日は休日出勤をしました。だってやらないと期日までに終わらない。
 
 なんていうんですかね、こういう管理畑の仕事というのは、生産性がなく、やらなきゃいけないことは分かっているのですが、やったからといって、何か楽しいことがあるわけでもない。まあもちろん、これで私は給料をいただいているのですから、贅沢を言ってはいけないと思います。
 思いますが^^;

 休日に出勤して一人で山のような書類を、こつこつと片づけていけると、なんとなく、やっぱりいろんなことが虚しくなってきてしまいます。
 ・・・幸せってなんだっけ・・・
 

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2005.11.23

「密やかな結晶」(ネタばれあり)

 小川洋子という作家の作品を読んでみております。
 最初に図書館で借りてきた「まぶた」という短編集を読みまして、どことなく村上春樹を思わせるような、少し奇妙で興味深い作品を書く作家さんなのだなぁと思いました。
 でも、一番最初に「読んでみようかな」と思ったのはこの「密やかな結晶」でした。図書館にはなかったので、文庫を自分で買ってきました。

 ここではない違う世界の物語。

 やっぱり私は、村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」にちょっと感じが似てるな、と思いました。村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」は、「世界の終わり」というもう一つの閉じられた世界の話と、現実(?)である「ハードボイルド」な話が平行して書かれている作品です。「密やかな結晶」は、ここで言う「世界の終わり」という方の話に雰囲気が似ている気がしました・・・って、知らん人には何の話か分かりませんわね。

 「密やかな結晶」は、次々に物が消滅していく島の一人の女性小説家の話。

 「物が消滅していく」という話は、「言葉が消滅していく」筒井康隆の「残像に口紅を」と同じで、やはり消滅していく物に対する思いが切なくて悲しい、物語です。でも消滅してしまうから、その「切なくて悲しい」気持ちさえ消えて思い出せなくなっていく・・・それがまた切ない。
 ただ違うのは、「残像に口紅を」の言葉の消滅が、作者の実験だったのに対して、「密やかな結晶」では、誰が何のために物を消していくのかが最後まで明らかにされません。

 物が消滅すると同時に、島に住む人々の記憶からもその物に対する記憶は消えていくのですが、中には記憶が消えない人もいて。そういう人は「記憶狩り」という組織(それも何のためにあるのか分からない)に連れて行かれてしまいます。

 女性小説家は、そんな、記憶が消えない人を一人、自分の家の中に匿います。

 面白いことに、記憶が消える人にとっては、その「物」が消えた後、仮にそれが目の前にあっても、その物は何の意味も持たず、つまり、その人にはないのと同じことになります。

 たとえば「ハーモニカ」。記憶の消えた人には、もう「ハーモニカ」というものはこの世に存在しません。だから、実際にその「物」が目の前にあっても、それが何をするものなのか、吹いて音が出ても、それが何なのか理解することができなくなります。ただの銀色の穴の空いた棒にしか見えない。

 でも記憶が消えない人にとってはそれは相変わらず「ハーモニカ」なのですよ。

 そんなふうに「物が消滅していく」仕組みが面白くて最後まで読みましたが、結局、このお話には謎解きはありません。ただ物が無くなっていって終わるだけ。後には、記憶が消えない人だけが残る。
 最初は、記憶が消えない人が記憶狩りにあって、次々と連れ去られるのですが、最後はそんな逆転のシーンでこの小説は終わります。

 えーと。面白くないかと言われるとそうでもないのですが、私はどうも物語に「起承転結」を求めてしまうので、なんとなく終わってしまうところが今一つな感じでした。
 
 昔、「銀河鉄道999」が大好きで。「銀河鉄道999」には奇妙な星がたくさん出てきます。主人公の鉄郎は999に乗って、アンドロメダへ向かいながら、いろいろな星を旅します。
 「密やかな結晶」は、「999」で言うなら、「物が消滅していく」星が一つあって、その星が最後にまるごと「消滅」してしまった感じの話。

 または「キノの旅」っていう小説があるんですが、主人公のキノは、いろいろな国を旅しています。その国もいろんな奇妙な国がありまして。そんな「国」の一つって感じもします。

 つまり・・・これだけで、小説一本にするにはちょっと小ぶりかなぁと^^; そんな印象の小説でした。

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2005.11.22

「人恋しと泣け 十二月」

 標題は、いつものように中島みゆきさんの曲から。
 文字どおり「十二月」というタイトルの曲でございます(「グッバイガール」というアルバムに入っております)。

(引用開始)

自殺する若い女が この月だけ急に増える
それぞれに男たち 急に正気に帰るシーズン
大都会の薬屋では 睡眠薬が売り切れる
なけなしのテレビでは 家族たちが笑っている

(引用終わり)

最初にこの曲を聴いた時、ぞっとしました。あまりにも・・・そのまんまなんだもの~(爆)。
クリスマスの時期というのは町は華やかに彩られます。カップルだったらロマンティックで最高なんだろうなー。でも、だから、というか、なんというか、一人身にはその孤独が思い知らされるシーズンなのですよ。洒落にならないわ。

(引用開始)

何万人の女たちが「私は違う」と思いながら
何万人の女たちと同じと気がついてしまう月

(引用終わり)

やれやれ・・・・(ため息)
12月は好きなのです。好きなのですが、年ごとにため息が増えますな。普段はのんきに一人を楽しんでいるのに。クリスマスの時期だけ、どこか、あったかい南の島にでも逃亡したい(まじ)。

たかがクリスマスなのに、なぜこんなに何かの「プレッシャー」(?)があるのだろう? 自分でもよく分かりませんわ。誰かといることだけが幸せじゃないはずだ、と思うんだけどなー。それはやっぱり「自分にウソをついてる」んだろうか^^; 

でも、私はこの「十二月」という歌がとても好きなのです。

(引用開始)

好きになるのも 信じきるのも
待ちわびるのも 思い切るのも
みんな自由だ みんな自由だ
人恋しと泣け 十二月

(引用終わり)

 誰を好きになろうと、誰を待ちわびようと・・・そしていつ死のうと自由。その覚悟さえあれば、テレビのファミリードラマだって、町を歩くカップルだって、なんでもこいという気になってきますわ(苦笑)
 みゆきさんの曲は、失恋のどん底の歌がたくさんありますが、逆説的に、聞いた後は勇気が湧いてくると言われています。興味のある方は「十二月」、ぜひ一度、聞いて見て下さい。元気が出る・・・かも?

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2005.11.21

iryaさんと初対局♪(コスミツケの誘惑)

続くときは続く囲碁ネタ。囲碁、分かんない方、すみませぬ^^;

日曜日は、iryaさんと対局しました。iryaさんはなんと、動く碁盤をアップできるサイトに新しくブログを設置されたそうです^^ そこにアップされる、記念すべき第一回の対局が私との対局。い、いいのかしらん(^^;)
というわけで棋譜の方は、ご興味がある方は、iryaさんのブログをご覧下さいませ。

初対局は緊張しますねー。どきどきしながら打ったらいつもよりも早碁になってしまいました。

右側にドカンとiryaさんの黒地が(初対局なので互い先。iryaさんが黒番、私が白番になりました)大きくできまして、例によって、
「け、消せない~~~」(←内心の声)

上辺の境界線を固められた時点で、
「こりゃ入れねーわ」
と判断してしまって、右辺下隅から、禁断の(笑)星の石からのコスミツケ!!

なぜ禁断かというと、先般、師匠に
「コスミ付けは悪手だ。何度言ったら分かるんだ。あほか、おめーは」(誇張表現あり^^)
と叱られたばかりでございました。なのになぜ打つ^^;

・・・えー、碁とは。NHKの大森講座でも言ってますが、「思いこみ」で打ってはいけないものでございます。ちゃんと周りを見て、何が最良かを判断しないといけません。
私が師匠なら、
「入れない、ってそりゃ、ちゃんと周りを見て言ってんのか、あほー!」
となるところ。

なぜ、コスミ付けを打つ前に考えないのかなー、私。それも散々、
「コスミ付けを打つと叱られるかもしれない」
という認識はあるはずなのに。
(叱られたいのか?(爆) ちゃうちゃう。)

あまりにも不思議なので、ちょっと自己分析をしてみました。

・・・やはりこれは「思いこみ」のせいのようですね。
囲碁を始めた頃って、置き碁なので、星に石がある状態からスタートします。9子の時はコスミツケの威力は絶大。それと、これも師匠によく注意を受ける、星の石にかかられたときに一間に受けるのも、当時の記憶に基づいたものです。9子置きの頃は、勢力重視で打つと勝ちやすいし、初心者の場合によくある、切られてどこかがドカッと取られるなんてことにもなりにくい。辺や隅に閉じこもらず、中央へ、中央へ・・・。

「三つ子の魂、百まで」と言いますが、ボケッとしているとすぐに周りも見ずに、一間に受け、コスミ付けを打つ。いや、もちろん周りの状況で、一間がいいとき、コスミ付けがいいときはあるのです。だから、そう・・・周りを見ているのか? 思いこみで打っていないか? それこそが・・・未だに初段になれない、今の私の、目前に横たわる何個目かのハードルなのです。

 コスミツケを打って、さらに二線にはね、隅を固めてしまう流れは、見た目が分かりやすく、効果絶大に思えます。禁断の果実はたいてい甘いもの。手としても小さくはない。しかし、これは、師匠の受け売りですが、それによって相手を固め、この碁でもiryaさんの右辺の地を確実なものにしているわけです。
 
 ふー。なるほどなぁ・・・

 というわけで、またしても学ぶ物がとても多い碁でありました。iryaさん、どうもありがとうございます^^ またよろしくお願いしますね^^

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2005.11.20

迷人戦第7局

昨日、囲碁きっずののきっず対局道場、グループ★すくうぇあで、私、BUBIと、STONECOLDさんの「迷人戦」七番勝負の第7局目、最終局が行われました。

・・・ということで、初めて棋譜のアップに挑戦いたします。うまく出るかな?
にぎりで私が白番、STONECOLDさんが黒番で打っております。

meijin7


今までの6局までは三勝三敗の五分。しかしながら教えてくださってる上手の方の評価ではSTONECOLDさんがよく、私は勝ちはするものの、あまり内容的にはよくない感じで・・・・

昨日のこの対局では、「普通に打つ」ことを心がけました。
もし負けたとしても、少なくとも「序盤はよかった」師匠に言われたい。

・・・その心がけのせいか、この対局はご覧のとおり、白番である私が中押しで、勝たせていただきました。迷人タイトルはとりあえず防衛できたようです^^

そして師匠にも、久々におほめの言葉をいただきました。最後の大石を抜いた一手なども全て読みきって打ってたわけではなく、まだまだ「読み」の部分は身についてないなぁと、この一局を振り返ると反省しきりなところも多いのですが、この碁は、師匠に「囲碁の世界にようこそ」といっていただきまして^^

囲碁の世界って深遠ですわね。やっと入り口くらいにはたどりついたのかな。

(;GM[1]FF[1]AP[http://igo.cc]SZ[19]PB[STONECOLD]BR[[\][\]不明]PW[BUBI]WR[[\][\]6級]
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2005.11.19

ハンガリアングーラッシュ♪

 私の友人がとてもハンガリーが好きだというので、私もハンガリーという国を見に行こうと思いたち、とりあえず首都のブタペストだけですが、行ってきたのは昨年の7月。それ以来、ハンガリー絡みのものを日本で見かけるとつい気になるようになっております。スープストックトーキョーの「ハンガリアングーラッシュ」もその一つ。
 人気のある「わたり蟹のスープ」や「東京ボルシチ」とかはいつもあるのですが、基本的には、スープストックトーキョーのスープは週代わりなので、機会を見つけてはスープストックトーキョーに頻繁に足を運んでいても、なかなか、大好きな「ハンガリアングーラッシュ」に出会えないのですよねー。
 ハンガリーひいきだからでなくて、本当においしいのです。コクがあって、パンにもごはんにもよく合う。
 で、今日は、新宿店で、ハンガリアングーラッシュに運良く出会うことができました。やったね♪ どれくらいぶりの「ハンガリアングーラッシュ」だろう~
 スープストックトーキョーのスープはもちろん他のもおいしいので、とりあえず行けば、このスープがなくても何かしら食べては帰る常連なんですが、この冬もこのスープに出会えて本当によかった♪ スープストックトーキョーさん、ありがとう~

 と、昨年からずっと言っていて、そんなに好きなら、自分で作ればいいのですが、まだ、作ったことはありません。ネットにもいっぱいレシピあるんですけどねー。
 たとえばここ
 このレシピなんか簡単そうだよなー

 ちなみに一般的には、「グヤーシュ」というようです^^

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2005.11.18

「はみだしっ子」が盗作された

 ちょっと時期的には遅れましたが、以前YAHOOのニュースで、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051108-00000091-mai-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051108-00000112-kyodo-ent
という報道がされました。

「飛鳥部勝則氏「誰のための綾織」における、三原順氏「はみだしっ子」との類似点比較」こちらのページを見ると、なんだかとても暗澹たる気分になります。

以前、モーニング娘。の安倍なつみさんの盗作の話でも思いましたが、創作メモに、既存の作品の一部がまぎれこんでいたため、気が付かなかった、なんてことがあるんですかねえ・・・

あるとしたら。これは本当に怖いことです。
自分でも意識しない内に、人の作品を盗作しちゃうってことがある、ってことですもの。

「はみだしっ子」という作品に私は思い入れがとてもあります。私も自分で小説を書きますが、印象に強く残っているから逆に「この表現は『はみだしっ子』のものだ」というのは、分かります。自分のオリジナルと混同なんか絶対にしません。
「中島みゆき」だってそう。影響を受けている部分はあるかもしれないけど、みゆきさんの表現と自分の表現の違いくらいは簡単に分かります。
いや、それが分からなければ、物書きじゃないです。

飛鳥部さんという人は・・・一体、どうしちゃったのでしょうね^^;

モーニング娘。のなっちさんは、まだ許せるのです。彼女は物書きのプロじゃないから。たまたま「やっちゃった」のでしょう。そうじゃなきゃあんなにあからさまに人の作品を自分の詩になんかしない。

だけど、飛鳥部氏は作家で、「はみだしっ子」の作者、三原さんはもう亡くなっている。
もしも、「だから」流用した、という確信的な部分があるなら・・・それはまた、ひどい話です。

はみだしっ子、大好きな人は、私の周りにはけっこういます。その表現は全て、私たちの宝物。それを自分の作品に使っちゃうなんて・・・うーむまさに由々しき事態とはこのこと。

とりあえず絶版にはなったそうで。「はみだしっ子」大好きな私としてはほっとしました。

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2005.11.17

体重増加中・・・

 仕事で遅くなると、そのあとに、帰りに一駅余計に歩いたり、仕事帰りにスポーツクラブによることができなくなってしまいます。
 
で、一方で、仕事が終わった後は、
「おなかすいたなー」
 となってしまい、夕飯を軽く済ませる、ということができない(汗)

 そしてさらに、仕事で遅く帰ると必然的に夕食の時間も遅くなる。疲れてるから早く寝る、ということになってしまい、食べてすぐ寝る・・・体重が増える一番の要因ですわな。

 そういうわけで今朝、体重をはかったら、着実に増えていました。いかん。
 STOP! リバウンド。

 今年は夏にダイエットをして少し体重が減りました。ほんとはもっと減らすのが理想なのですが、なかなかそれが難しく・・・でも、戻ってどうする。
 運動はできませんが、節制を心がけることにします。ホントは昨日は、食べないで寝ちゃおうと思ったのにな~

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2005.11.15

「不自由な心」

読み終わった途端、いやな気持ちになる小説を読んでしまいました^^;
白石一文の「不自由な心」という本に入っている「天気雨」という小編。図書館の閉館まぎわに、急いで借りてきたので、この作家の作品は初めてだし、内容もざっとしか確認してなかったのですが・・・

まあ、その。

主人公は、大手部品メーカーに勤める中年の男。職場の秘書課にいる若い美人OLと付き合っております。男性の方は結婚していて家庭があるわけですが、美人OLにめちゃ惚れている。家庭では奥さんも美人、かわいい娘もいて、要するにどっちもうまくやってるわけですわね。
しかし、その美人OLは、長年の不倫に疲れてしまい、以前やはり不倫関係にあった部長が、奥さんと離婚して、彼女にプロポーズをしてきたので、その人の方に行こうかと迷っている。現不倫相手の主人公としては、彼女がその部長と結婚するという噂を聞き、面白くない気分になるわけです。まあその部長の方には
「あなたは三年前の私です。どちらが彼女を幸せにできるか初めから答えは出ている」
なんてことを言われます。当然ですな。

いやー・・・別にいいんですけどね。
不倫が悪いとは言いません。愛し合ってるなら、それでも良い。
ですが。

その小説のラストはこんなですよ。主人公の男は、仙台支店の支店長に栄転することになります。家族も仙台に連れて行こうと思ったら、奥さんには「娘の学校もあるし単身赴任してください。仙台なら近いから大丈夫でしょう?」と言われます。
なので・・・
その前に、その彼女にプロポーズをした「部長」と直接対決をしたりなどすったもんだがあって、彼女を今まで苦しめてきたことに気付き、不倫関係を清算しようかとも考えていたくせに、
「やっぱり恵理(彼女ですね)を失うわけにはいかない」
とかなんとか言って、
「会社をやめて仙台にいっしょに来い。妻はめったに仙台にはこないからいっしょにいられる時間も増えるぞ」
なんてことを言う。
そこで小説が終わる。

なんだーーーそりゃーーーーー!

なんて身勝手な男だ。ふざけんじゃない。ちょっと怒り心頭でしたわよ。

・・・いや、いいんですけどね(爆)。
彼女としては結婚できなくても、大好きな彼といっしょにいたいのだろうし、彼が仙台に来いと言えば、きっと仙台に行くでしょう。しかし。しかしだね。

男としてそれでいいんかい。女は惚れた男のためならなんでもしますわよ。
しかし、それをいいことに、いつまでも不倫なんかしやがって、超むかつく(爆)。
まったくなんていう話なんだと、ちょっと怒りを通り越して、あきれてしまいました。

まあ所詮、小説ですからいいんですが・・・ふと思いました。
昔ってこれが普通だったんですかねえ?
その小説の中で、出てくる女性はことごとく誰かの愛人だったりします。秘書課の女性がその上司の愛人・・・ってそれって普通?^^; っていうか、そもそも、女性がいて男性がいれば、そこに男と女の関係が生じるのって普通なんですかねぇ? そんでもって、男は結婚していても、愛人作るのが普通なんですか^^;

と、もう、その本を投げ捨てたくなりました。(図書館の本ですからそれはしてはいけません。)

ちなみに、amazonのレビューを見ると、読者レビューには同じようなコメントがついておりますね。
でも、内容紹介のところで「透徹した視線で人間存在の根源を凝視め、緊密な文体を駆使してリアルかつ独自の物語世界を構築した」なんて書いてある。
そんな紹介するから、私が手に取っちゃうんじゃないの^^;;;;

私は、渡辺淳一とか好きなので、男性作家が書く恋愛小説にある程度の許容範囲はあると思っています。しかし、この本の、この話は許容範囲を軽く越えてしまいました。

人を好きになる、ということは理屈では語れないと思います。だから家庭のある人間が誰かに惹かれてしまうことも世の中にはある。それで職場のかわいい子と付き合ったとしましょう。100歩譲ってそれも許す。
しかし、その彼女がその関係を清算する気になったなら、男は潔く身を引けって思うんですよねー。本気で家庭を捨てて彼女を取るなら、それはそれでいいけど、その気もないくせにズルズルと不倫関係を続けようなんてとんでもない男だ。

私が渡辺淳一作品が好きなのは、渡辺淳一作品に出てくる男性がそれほど嫌いではないからです。しかし、この作品の主人公は嫌い。だから、美人OLである彼女がどれほど彼を好きなのかという、その気持ちにも感情移入できないし、そもそも女性の側は「美人で秘書」ってくらいであまり表現的にも書き込まれていません。

こういう類の小説を読むと、男性ってのは、こういうのが好きなのかーとちょっと絶望的な気分になります(苦笑)
まあ、もちろん、そうでない人がたくさんいることも分かっておりますけども、ね。

・・・・・・ただ。ここまでこき下ろしておいてなんですが、amazonの読者レビューによると、表題作の「不自由な心」はちょっと感動っぽいです。こんなとんでもない話を冒頭に持ってくるのも、作者の計算なのだろうか。
我慢して読んでみるかな・・・次の短編・・・

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2005.11.14

poem(30)

「何度でも」

生きていれば
病気にもなるし
落ち込む日もあるし
悲しくて涙が止まらない日もある
ひとりぼっちでたまらなくさびしい時もある

でも
生きていれば

とっても嬉しい日もある

これから・・・
そう
あなたと私
何度でも

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2005.11.13

とっても嬉しい日^^

というわけで、行ってきました、日中友好囲碁大会!
職場のサークルで団体戦に参加したのですが、私は、級位者Bチーム(一チーム三名)で出場しました。リーグ戦形式ですが、総当りではなく、勝ったら、勝ったチーム同士で、組み合わせが決まります。一日で4局打つことになります。
私は、今回で参加は三回目になります。最初の年は10級で出て全敗。次の年は9級で出て、この時は1勝3敗。今年は、8級での参加となりました。

・・・のはいいのですが、年に一回しか棋院に行かないので、今朝は、降りる駅を間違えるという失態を犯し、日本棋院は市ヶ谷なのに、飯田橋で電車を降りちゃいまして。たまたまそばにいたタクシーを拾い、棋院に駆けつけました。去年も実は、遅刻で最初の対局が不戦敗^^; 二度もそんなことしたら、最悪でした^^;

なんとか間に合った最初の対局。
相手は10級の小学生の男の子。私とは二子の置かせ碁。いやーねばられた^^ 最初、6子も相手に抜かれ、辺の地を囲われてしまい、大変なことになってしまったのですが、私は、中央にでて、それ以上に広く囲いました。すると、彼は中央に打ち込み。最終的には、二眼ができずに黒が死んでしまって投了だったのですが、なかなかあきらめないのでどうなることかと思いました。これで一勝。

お昼をはさんで二回目の対局は、年輩のおじさま、おばさま方。私の相手は8級のおじさまです。互い先で私が黒番でしたが、一局目と同じく、私が有利な展開になったところで、相手の方が打ち込んでこられました。でも、相手の方が、攻め合いだと思っていたところで、私は二眼を確保し、これもかなり粘られましたが、白が大きく二箇所で死んでしまい、私の勝ち。これがずいぶん長くかかり、すっごく疲れました^^;

三局目は、また10級の小学生。やっぱり地を大きくとられましたが、辺に黒を封鎖し、またしても中央作戦。その展開になると白は一石碁になるのですよね。黒を生かさないように、慎重に目をつぶし、私の勝ち。いや、あれで中央で二眼で生きられるのなら、彼も10級じゃありませんとも^^; 上手には簡単にしのがれるかもしれないですが。

思うに・・・地をとって、相手が中央をとろうとしたとき、消すタイミングはほんと難しいです。私もなかなかできないからなー

四局目は、9級の中学生。チームとしてもこの時点で三勝同士の戦い。相手もかなりつよかったー。定石も知ってるし、死活がかかるところは手をぬかない。さすが。が、一箇所、見損じかな、死んじゃったところがあって。最後は、時計が持ち出されて時間勝負になったせいで、お互いに6子を抜きつ抜かれつのすごいことになってしまいましたが、死んだところの分だけ、私が勝ちました。11目の勝ち。

ということで、個人としては4勝&二級特進、チームとしても、全勝で、級位者Bクラスでの優勝となりました!
やったねん♪ 8級で二級特進なので、6級の免状をいただけることになりました。

いやーうれしかった・・・。私は、今、ネット碁で、上手の方に自分の碁の検討をしていただいたり、その方の棋譜を見せていただいて、打ち方を勉強させていただいたりしております。
職場の囲碁サークルの人には、
「そこまでしてもらってるんじゃ、強くならないとね」
といわれておりました。自分でもそう思います。
教えてもらってるんだから、結果を出さないと、教えていただいてる方にも申し訳ない。
今日は、そういう意味で、一つ結果を出せて、とても嬉しかったのです。

いいライバルと、いい師匠とのおかげで、ここまで強くなれた^^ ありがとうございますー^^
今日から晴れて6級。これからもがんばります!

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日中友好囲碁大会へ

 今日は日中友好囲碁大会に参加します。日本棋院にいってきまーす♪

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2005.11.11

完成してなくてもいいのになぁ

この記事はHR-Millerさんの「口説かない男」にトラックバックをしております。
こちらの記事の中で、HR-Millerさんは、ある雑誌に書かれていた「晩婚化の原因」をご紹介されています。

(引用開始)
女性は結婚相手に完成品を求める傾向がある。結婚して、2人の間に起きる問題をひとつひとつ解決していくことで、夫婦としてお互いに成長していくものなのに、男性に最初から成熟した人格を求めている。

対して男性は、自分以外の責任や問題を背負いたくないという、人間的な未熟さがみられる。
(引用終わり)

HR-Millerさんは男性の方の指摘について、意見を書かれておりましたが、「女性の方の指摘はコメントが難しい」とのことですので、私が書いてみようかと(笑)。

私は、完成してる人なんてやだなぁ。
完成してたらそこで終わり、ってことですもの。
未完成で、死ぬまで成長し続ける、お互いにそういう可能性を持ちながら、いっしょにいられればいいな、と思います。
お互いに未完成な部分を認め合えないと、一緒にはいられないと思うのですよね。
私自身が完成してなくて未熟な部分が多いので、完成してる人間を前にしたらプレッシャーを感じてしまいます。
それにすでに完成してるなら、別に、私がそばにいる必要もないし。
未熟な部分も、尊敬できる部分もお互いに持ち合い、それを互いにフォローし合える関係が理想です。

ただ。未熟な部分があるのはいいけれど、全てが人まかせで主体性がない人を見ると、それも困るな、って思います。未完成でもいいのだけど、それを人のせいにしたり、誰かがフォローするのを当たり前だと思わないで欲しい。お互い様な関係になりたい。

>「男性は、自分以外の責任や問題を背負いたくないという、人間的な未熟さがみられる。」

これはちょっと違うかも。そういう人は、自分自身の責任や問題も背負いたくないんじゃないかって気がします。

おそらく、あらゆる責任や問題は、自分以外も自分もなく、結婚したら全て自分の問題になると思うのです。それがいやだ、という人は、今の自分自身の責任や問題も、誰かに肩代わりしてもらってるんじゃないのかな。

私は・・・少なくとも、自分の人生を誰かのせいにしたくない。
自分自身の責任や問題は自分で背負う覚悟だけはあります。
もし結婚するなら、相手の責任も問題もいっしょに考えたい。そしていっしょに幸せになりたい。
いっしょに考えられる人じゃないと、いっしょにはいられない。

もしかしてすごーくぜいたくなことを言ってますかね^^

まあただ・・・
HR-Millerさんの記事を読んでいて思うのですが、私もすっかりいい年になってしまったので、今更結婚だ、なんだというのも、ちょっと面倒くさいです(おいおい)。
「口説かない男」だって、たまに食事に誘ってくれたりして、いっしょに楽しい時間を過ごせるなら、ありではないかと。
たとえ、特定の相手に落ち着かないとしても、互いに淡い好意を持ち合って、いっしょの時間を楽しめるなら、それも恋愛の一つの形ではないかと思うのですよね。
誰か特定の人に思い切り夢中になる恋愛は素敵だけど、かなり消耗するものです。そんな恋愛は一生に一度くらいすればいいので、あとはのんびりとたまに会って食事したりして、余生を楽しむ、なんて感じで・・・

ありゃ。ちょっと、問題発言か!? ちなみに実生活で、私にはそんな優雅な相手はいません(爆)。

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2005.11.10

♪君は強い人だから いいね 一人でも

 標題は、いつものように、中島みゆきの作品から。「それ以上言わないで」というタイトルの曲で「miss M.」というアルバムに入っております。

(引用開始)

「君は強い人だから いいね 一人でも 
 でも僕のあの娘は・・・」
 それ以上 言わないで

(引用終了)

という歌詞なわけで「君は強い人うんぬん」は、別れようとする恋人のセリフです。最近、この「miss M.」というアルバムを聴いているのですが、この曲に来ると、なんだか、聴くのがつらくてね~(爆)
「君は強い人だから」なんてどんなに強そうに見える女性にでも言ってはだめだよなぁ。

(あれ? 男性だとどうなのかしら。一人で生きるのも平気かしらね?^^)

男性のことは知りませんが、女性は一人で「強い人」なんていないような気がしますねえ。いや、一人じゃなきゃ女性は強いですよ。子供がいたり、愛する人がいたりする女性は強い^^ その人を守るためなら、きっとどんなことでもできるでしょう。でも、きっと一人では弱い。

 そんなことも分からん、この歌詞の、相手の男。私がそばにいたら、後ろから殴ってやりたくなります(爆) でも、ホントに殴ったら、女性の方に恨まれるのだろうなー だって彼女はそれでも彼が好きなんだろうし。

ちなみに。この歌は後半にこんな歌詞があるのですよ。

(引用開始)

 もしも私に勇気があれば ここで貴方を殺したかった
 あの娘にあげる心はあげる せめて私に命をほしい

(引用終わり)

ふふ、みゆきさんっぽいでしょ。でもきっと、勇気があっても多分、殺せない。殺したいと思っても殺せません。それが・・・まあ・・・それ以上言わないで♪

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2005.11.09

死を悼む

 同じ職場の方が1人、昨日の朝、亡くなり、今夜はお通夜にいってまいりました。喉頭がんで、手術をしてから、しばらく病気療養中だったのだけど、いつかまた、職場に復帰されるだろうと漠然と考えていたので、知らせを受けたときはやはり一瞬言葉を失いました。
 本田美奈子さんの若すぎる死にもびっくりしたけれど、やはり身近な人の死は衝撃的です。今まで、祖父、祖母、母、など身内の死に接する機会も何回かあったため、こういう感じは初めてではないし、人間が死んだらどうなるのかも、私は、もう知っています。けれども、やっぱり、あの人がもういない・・・そのことは、なんだかとても・・・うーん、うまく言葉にはできませんが・・・

 死ってなんて突然来るものなのでしょうね。
 死んでしまった人たちは、自分の死を認識できたのだろうか?
 自分が死んでしまうという自覚もないままに、ある日を境にぷっつりと意識が途切れる。
 そのことを考えると、なんだか居たたまれない気持ちになります。

 好きな人には好きと伝えておかなければ。やりたいと思っていることはやっておかねば。

 私の母は亡くなるしばらく前から意識がありませんでした。気が付くと意志疎通がかなわなくなっていましたっけ。最後に何を話したのか、私は覚えていません。母、自身はどうだったのだろう? これでもう、この世界とさよならなんだ、ということを分かって逝けたのかな・・・

 自分の死期を知ることができたらいいのに。そうしたら、ちゃんといろんな人にお別れを言えるのにな。お世話になった人にも改めて御礼を言いたい。

 でもそれはできないから。お世話になった人への感謝と、好きな人への好きだという気持ちだけは、いつ死んでもいいようにちゃんと伝えておきたいと思ったりします。

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2005.11.08

囲碁の楽しさ、について

わたいごつながりで、先般nipparatさんのブログの記事を読ませていただきました。そこで

(引用開始)
「ルールを覚えるのが難しそう」「強くならないと楽しめない」という誤解が取っ付きにくくしているのは確かであろう。
(引用終わり)

nipparatさんがこう書かれているのを読みまして、ありゃ~と思いました^^ これって誤解なのかしらん?

私にとっては、囲碁は、ルールを覚えるのが難しいし、強くならないと楽しめないと思うもの、なんですよ~
今、必死で難しいルールを覚えて、強くなろうとしているのも囲碁を楽しみたいから。もっと強くなれば、きっと、このゲームは楽しいはずだ、そう思うからです。

「いつかうまくなりたい」「いつか初段になりたい」

その一念と、ともにがんばるライバルや教えてくださる上手の方の応援で今に至っています。

前に囲碁をダイエットに例えたことがありまして。
やっている間は楽しくないし、つらいばかりですが、「やせたらいろんな服も着られるようになる」とか思ってダイエットをがんばる。
囲碁も同じです。
打つこと自体は楽しくないけど(爆)いつか強くなりたい、その日を目指して、がんばる^^

ただ、強くなったからって何がある、というわけでもなく、碁はいくら強くなっても上には上が、そのまた上が・・・なので、その果てしない上の方を見ると、たまにがんばるのが徒労に思える瞬間も実はあるのです。

もっと簡単に強くなれるゲームは他にたくさんあります。ハンゲームというサイトで「ヘクサー」というブロック崩しのゲームをやったことを、こちらの記事で触れましたが、
そういうゲームはある程度慣れれば、「勝ったり負けたり」できる^^
運の要素もあったりして、弱くても勝てるときがあったりします。
そういうゲームは「弱くても楽しい」です。
ヘクサーは分からない人が多いと思うのでたとえば「ボーリング」を例にとりましょう。私はものすごくボーリングがへたくそですが、そんな私でも、ストライクが出ちゃうことがあるんですねー。
弱くても楽しめるゲームはそういうものだと思うのです。

碁は、そういうゲームではありません。運の要素はほとんどなし。負けるのは弱いから、勝つのは強いから。実にはっきりしています。始めたばかりの初心者は、たとえいくつ置石しても、上手にはかないません。それが囲碁。
そういうはっきりしたところが楽しいという人もいらっしゃるとは思いますが、でも、つまりは・・・・

碁をやってみようか、と思う。
やってみる。
負ける。
なぜ負けるのか教えてもらう。
やってみる。
また負ける。
ずっと負ける。・・・・

楽しくないです(爆)。やっぱり、早い時期に勝ったり負けたりできるようにならないと、とても普通の人は囲碁を続けようとは思わない気がするんですよー。私自身は、その意味ではちょっと普通ではないかもしれません。幾分自虐趣味があるのかも^^(こらこら) あと、一度始めるとなかなかやめられない、のもクセでして^^;

囲碁を始めたころ、「1年で誰でも初段になれる」と言われたことがあります。当時はそれを信じていました。いや、もちろんなれる人もいるでしょう。だけど、たぶん、それは囲碁にそもそも向いている方。そういう人はどんどん強くなって碁が楽しくなるんだろうなー
でも世の中、多分そうじゃない人の方が多い気がします。(まあ、私が、極端に向いてないという説もありますが、とりあえずそれはここではおいておきまして・・・)

囲碁を始めてみたい。
やってみた。
でも負けた・・・

さあ、次に、その人に、どう囲碁を続けてもらうのか?

私は、自分の実感として、囲碁は難しいし、強くならないと楽しめないと思います。
私は、自分の友達に「囲碁は簡単だし、楽しいよ」とはとてもいえない。

おそらく。
囲碁の楽しさは、逆にいうと、難しかったり(つまり、それは奥が深い、ということ)、どんなに強くなっても、上には上がいて、簡単にはそこに到達できないことにあるんじゃないでしょうか。

そう思いませんか^^nipparatさま。
ただ、その面白さは、誰にでもすぐに簡単に分かる面白さではないこと。
簡単に強くなれるゲームとは、本質的に違う部分に魅力があること。
囲碁普及の、一番のネックは、こういう「囲碁」というゲームの、そもそもの特質にあるのだと私は思っています。

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2005.11.07

負けると無口になる私。(^^;)

 昨夜は、私、BUBIと、当ブログへもたまにコメントをいただいている、STONECOLDさんの間で行われている「迷人戦」の第6局が囲碁きっず のきっず対局道場、グループ★すくうぇあで行われました。

 迷人戦は7番勝負。三勝二敗で迎えた第6局目。
 私の師匠によれば、これまでずっと、私が負けた対局はもとより、勝った対局もSTONECOLDさんが有利に運んでいる、とのこと。できれば第7局にもつれ込むことは避けて、第6局で決めてしまいたい、と思っておりました。
 が、結果は中押しの惨敗。その上、中押しのはるか前から、師匠には「見ているのがつらい」と思わせる展開だったようです・・・
 最後、生きてるはずのところをうっかりミスで切断されてしまったのですが、本人は、それまではいい勝負かと思ってました。負けたこともショックですが、師匠に「3子捨てたところで終わってた」と言われた方がショック。私は、「3子ってどこの3子?」ってノリでしたもん~~しぇぇぇ~。

 負けると落ち込むのは毎度のことですが、こんなとき喋ると「投げやり」「八つ当たり」「自虐」etc.
 師匠及び対局相手のSTONECOLDさんに嫌な思いをさせてはいけませんので、こういうときは喋らないに越したことはありません(ネット対局なので会話はチャットですが)・・・というのは半分の理由で、残りの半分は、相手への配慮より何より、キーボードに指を置く気力さえなくなったというのが正直なところ^^;
 全ての対局で、負けるとこんなふうに落ち込むというわけでは、最近はなくなってきてたのですが、善戦して負けるのならともかく、最初から負けてて、それに気が付かないで、最後はうっかりミスなんて最悪っぽくないですか。
 負けた時こそ検討が必要だというのは分かっていても、こういういいところなしの対局を検討すると、傷口に塩を塗られてる気になっちゃうんですよね~ううう・・・屈辱・・・

 でも、なんだか、囲碁っていいなぁと思ってしまいます。え? いや・・・。私はそもそも人生をとても楽に生きています。勝てる勝負しかしない。負ける勝負はしない。高校受験では、自分の学力よりも下の学校を受けて楽々受かり、大学受験では三流大学に一般推薦で入り。自分の夢のために努力して何かを掴みとる、よりも、楽してそこそこの人生を歩んできてます。嫌な奴かも?^^; でも、それが、いつもHAPPYでいられるコツなんだよな。
 もちろん、努力して何かをつかみ取る人生はすばらしいと思います。それが出来る人を見ると心から尊敬しちゃう。

 ・・・ふふ、そんな私がですよ。ここまで負けて、自らの無力さ、アホさ加減を自覚させられるって、囲碁ってなんてすごいのかしら。ふっふっふ。そしてもっとすごいのは、それでもまたやりたくなるところ、ですよ。

 負けて、無口になっている私を、師匠は大層心配してくれました^^
 それをいいことに・・・

師匠    「STONECOLDさんは強くなりましたね」
STONEさん「ありがとうございます」
BUBI   「私は~? ねえねえ、私は?」
師匠    「BUBIちゃんも強くはなっているでしょう」(多分苦笑していたにちがいない)
BUBI   「やったー!!!」

 無理矢理言わせて悦に入る私(爆)。師匠のその一言で、またがんばろうと思えてきます。いつもありがとうございます。
 そして。再来週は最終局の第7局ですね、STONECOLDさん。迷人タイトル保持者としては、超えるハードルとしては大変低くて恐縮ながら、ぜひ私を叩きのめして、STONECOLDさんにより高みを目指していただきたいと、思っております。
 なんちゃって、かっこつけるまでもなく、とりあえず、また再来週もよろしく。
 (来週は日中友好囲碁大会なので、一回お休み、です。)

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2005.11.06

「Shall we Dance?」

 アメリカ版「Shall we Dance?」をDVDで見ました。
 社交ダンスって、やっぱりちょっとえっち、なのねん(爆)。ルンバのレッスンをしたときの、ポリーナ先生の、解説シーンが笑えた~。

「ルンバは相手への熱い想いを体の動きで表現するの。『彼女の太ももが生きがい』というように抱き締めるの。そしてハートがもぎ取られるように彼女を放す。そして・・・『この場で抱きたい』というように引き戻す。最後は彼女に屈するの」 (アメリカ版「Shall we Dance? 」より引用)

 あっはっは。いやーアメリカ版ならではです^^
 日本人は、基本的に愛情表現についてはシャイですからねえ。こんなふうにルンバを踊ってる人がいたら見てるだけで照れちゃう。だから、日本版では、竹中直人のルンバが「気持ち悪い」なんて言われちゃうのですよねえ。
 日本版だとそれが普通に思えますが、アメリカ版だと、主人公と、美しいヒロイン、ポリーナがなぜ恋に落ちないのか不思議な感じがします。ダンスが愛を語りあうものならば、やっぱり、色恋が絡まないのはなんとなく嘘っぽい^^ ただ・・・そう、日本の、中高年だと、とってもリアルなのですねー
 

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2005.11.05

「吹雪」

(このお話は、中島みゆきさんの「吹雪」という曲を元にBUBIが作りました)

「ひどい吹雪だねえ」
 雪を避けて、その戸口をくぐり、雪を払っていると、部屋の中央の囲炉裏の前に座っていた老人がゆっくりと話しかけてきた。
 私は一つ頷いて応える。
「・・・ああ、本当に」
「どこからきたかね?」
「南から」
「そうかい。旅はどうだったね」
「いつもと同じだよ」
「変わらないのはいいことだ。悪くなるよりゃいい」
 そうかもしれないが、私はあまり頷く気にはなれなかった。
 酒場と駅の待合所を合わせたようなこの小屋には、雨宿りならぬ、雪を避けて集まってきた数人の男女が火の回りを囲んでいる。
「どこを訪ねておいでかね」
 一人の老婆が尋ねてきた。
「マヤの家に」
 火を囲んでいた内の一人がギョッとした様子を見せたが、老婆は私の言葉に特に反応を見せなかった。それが私への配慮なのかどうか知らないが。

 雪がこやみになると、私はその家にむかった。雪で閉じこめられた家の中は、赤々と火が点っている。火のそばでは、子供と大人とがめいめい違う仕事をしていた。
 あるものは豆をひき、あるものは糸を紡ぎ、あるものは敷物に刺繍をしている。赤ん坊をあやしている少女もいた。そしてそのそばで仕事を覚えるにはまだ早い子らが2人、じゃれあっていた。男の子と女の子。
 私を見ると50才に届くか届かないかの女が、のっそりと立ち上がり、私を部屋の奥へと導いた。
 粗末な板戸をしめ、囲炉裏の部屋と仕切られた小さな土間で二人きりになると女はいった。
「どうしても二人はだめかね」
「だめだね。今日持ってきたのは一人分だ」
「じゃ、それでいいよ。あの子もつれってってもらえないかね」
「だめだっていってるだろう。他の町であと数人拾うんだ。足手まといはごめんだ」
 女はそれでもあきらめない。
「男の方が将来力仕事に役立つよ。もう自分で歩けるし、負担にはならないよ」
「『将来』なんて待っていられない。女の方がすぐに金になる」
「しかしここにおいといても・・・」
「こっちだって同じだ。どうせ死なすなら家族のそばに埋めてやるのが情ってもんだろ?」
 そう言ったら女はあきらめた様子だった。

 翌朝、女の子を連れて乗合バスに乗った。女の子はおとなしい。昨夜寝ている間に、気づかれないようそっと、うなじに印を付けておいた。こうしておくとどこへ逃げても、持ち主が誰かがすぐ分かる。
 代わりにおいてきたのは、一冬分の豆や麦が買える金。これであの家の子供は飢えずに済むだろう。一人ぐらい間引けば、の話だが。

 人買い。人は私をそう呼ぶ。しかし人々は私に感謝する。一冬の食い扶持を恵むからだ。
男の子は今頃、お腹一杯食べさせてもらっているかも知れない。死ぬ前くらいいい思いをさせてやるのが親心。私が連れているこの子とどちらが幸せか・・・

 毎冬、私はこの村を訪れる。訪ねる家は違うが用向きはいつも同じだ。去年も吹雪だった。子供が一人いなくなっても二人いなくなっても、村は変わらない。初めからそんな子供などいなかったのと同じだ。
 私を覚えているものはいない。私の生まれた家はある年の雪崩で消えたという。それでもあの村は変わらない。家が一つ消えても子供が一人消えても同じことだ。

 女の子が私の手を握りしめる。私も軽く握り返してやる。女の人買いは子供の警戒心を薄れさせる。「悪いようにはしない」と思わせる。それが錯覚であることを、近い内にこの子は知らなければならない。

 私は子供を連れて次の町へ向かう。吹雪は相変わらず強い。どんなに雪が吹き付けても、私のうなじの刻印は消えない。

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スピーカーを買ってみた

 住まいの近くに安売り電気店ができたもので、ちょいとのぞきに行って見ました。
 私はたまにパソコンで音楽を聴いているのですが、どうもヘッドホンがわずらわしいのです。
 ので、ちょっとパソコンに接続するスピーカーを買ってみました。初聞きは、みゆきさんの「愛から遠く離れて」だ~
・・・ ・・・
 うーん、やはり、1020円のスピーカーだけあるなぁ。買い物に付き合ってくれた職場の後輩が「音楽はパソコンで聴くものではないっ!」って言ってましたが、一理ある。
  結局週末の土曜日、いつものコンポで、みゆきさんのアルバム「グッバイガール」を聴いております。このアルバムに「吹雪」が入ってるのよね。あ、そうだ、ギターもちょっと練習しとこ。

 「吹雪」・・・以前この曲を元にお話を作ったことがあります。
 もしよければ、ちょっと読んでください。上にアップしておきます。

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2005.11.04

好きこそものの・・・?

 昨夜は、私、囲碁は打たないでずっと・・・何をしていたかというと、中島みゆきの「吹雪」という歌を聴きながら、ベースの音拾いをしておりました。また「ぷれなみ」(「Let’s play 中島みゆき」の略。楽器を持ちよって、中島みゆきの曲を演奏しております)で、次のLIVEが2月なので、今度は「吹雪」をやろうと、いう話が持ち上がっておりまして。みゆきさんの曲はバンド譜がほとんど市販されていないので耳コピをするしかないのですが、複雑なのはだめだけど「吹雪」のベースくらいなら・・・
 やり始めたら、面白くてハマってしまいました。ベースは持ってませんが(いつも演奏するときは借り物)クラシックギター片手に、パソコンで何度も繰り返し聴きながら、「あーでもない」「こーでもない」と呟きつつ、楽譜・・・じゃない「ラ・ド・ファ・ラ」と起こしていく・・・(カッコ悪~)

 で、それがやっと終わったあとに、囲碁をいつも教えてくださってる上手の方とチャットでその話をしていたのですが。その方が「(クラシックギターをやってたんなら)アルハンブラくらい弾いちゃうんだよね」というようなことをおっしゃいました。

 アルハンブラ!!! 弾けないっすーーーー!

 そしてまた。私は読書が好きです。好きというか、本を読むことは生活の一部。本がなくては生きていけない。なーんて話をしてましたら、その上手の方が。
「以前『私、けっこう本読むの』という女の子の本棚をみたら、50冊程度しかない(それも最近の流行ものばかり)ので愕然とした」
 という話をされておりました。・・・・pgさんじゃありませんが、

 『軽くやばい』(爆)

 1K(1級、ではない)の私の住まいに鎮座する本棚は、自慢じゃありませんが、ぎっしりつめてもそんなに・・・いや、それよりもその本棚の半分が実は「ぼのぼの」だったり「ゴーマニズム宣言」だったり「SLAMDUNK」だったり(墓穴だ、墓穴)。本は大好きなのですが、自分で本を所有するのは引っ越しの荷造りの時にこりてしまいました^^; なので、普段は、図書館から借りてきちゃ読んできますが、それも無論、最近の流行・・・ってわけでもありませんが、鴎外とか太宰とかじゃないんです~ぐはっ。

 いやぁもう、読書もギターも、ホント囲碁くらいの実力(8級相当)なのねー私ってば。

 ・・・し、しかし。そうだっ、「みかんの木にリンゴはならない」のである。(自分のpoemから引用しちゃってるよ)

 私はギターも本も囲碁も大好きなのです。
 たとえ8級しかなくても、好きなのには変わりない。そして、私は何より、一度始めるとやめられないのですよ。それだけは、とりえ、かも^^

 そう、そして。
 それは人間関係も同じことが言えちゃったりするのでしょう、私の場合。一度好きになった人はずっと好きなのですよ~(←誰に言ってるんだ・・・・)

 いや、この間ね。私の好きな人が、「もうオレのことは吹っ切れたんだろ」的なことを言うのです(爆)。
 吹っ切れてるかどうかは・・・まあ、このブログを見て、察していただこう^^

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2005.11.02

やっと光が見えてきた

 さて、囲碁についてこのブログで書くといつも言ってるような気がしますが。囲碁って、打ってる最中は、私、全然楽しくありません・・・でした。だって、負けてぼろぼろになって自己嫌悪~ってパターンばっかりなんですもの。打ってる間中、相手に攻められどおしで、自分の石がいつ殺されてしまうのかヒヤヒヤしつつ、確保していたつもりの地は減らされ、打ち込んだ石は取られ、投げずに最後まで打っても、終局したらやっぱり負けてた・・・どよ~~ん・・・これのどこが楽しいっちゅうんじゃ!

 しかし。やっとですよ、やっと。棋歴3年目にしてやっと楽しくなってきましたよ~
 
 以前、スキーを始めた時もそうでした。最初の頃なんて、転んであざだらけになるは、高いところから滑りおりるのは怖いは、スキーなんてどこが楽しいのか、と。苦行以外の何者でもなかったのです。が。ある日、気が付くと、滑るのが楽しくなっていました。冬山から見る景色もきれいですしねー。

 今日は、昼休み、職場の囲碁サークルに指導碁にいらしていただいている、大澤摩耶先生(大澤奈留美プロの妹さん)と9子で、打たせていただきました。昼休みなので時間が限られるため、勝負はこれから、なところでいつも終わってしまうのでいつまでも9子だし、石の減る気配はまったくありませんが、今日はなんだか打っていてとても楽しかったです。何も無理する必要はない。9子も置いてますから、白の方が不利に決まっています。白を攻めつつ、地とのバランスをとりつつ、別に白を殺さなくてもいいけれど、自分が得するように打つ。

(・・・あ、なるほど、ここを切るつもりなのね・・・でもこっちを打てば白の方に利くわ)

 などと、今日は一方的に攻められっぱなしではなくて、先生と碁でちょっと会話できたような。(←思いこみか?)自分の打った手に対し、白に利いてもらったときはうれしくてねー。
 恋人に告白して、OKをもらったときのような感じ^^
 また、大澤摩耶先生が、かわいい感じの美人で、すてきな方なのですよー(関係ないし(爆))
 
 やっと・・・本当に、3年目にしてやっと、碁になってきたか!?
 謝ってばかりの碁じゃなくて、盤面で白と駆け引きができるようになれば負けても悔いなし! 負けるのはそれこそ相手が上手だった、ってことですものね。
 ああ、今日はちょっと幸せです。だって告白してOKがもらえたんですもの~(違うっちゅうに)。次はデートに誘い、その次は・・・ふっふっふ(意味不明)。
 とにかく、がんばるわ、私! 今月11月13日には、職場のサークルで日中友好囲碁大会に出る予定です。昨年の目標はとにかく1勝すること、で、それは果たすことができましたが、今年は「目指せ、3勝」です。3勝して日本棋院7級の免状をGETだ!(いえ、9級で出ようと思ったら8級で登録されてしまったので。3勝すれば1級上のお免状がいただけるのですって)

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2005.11.01

ハロウィンとなりきりチャット

 昨日、スポーツクラブにいきましたら、お菓子をもらいました。それに受付の人がみんなしてトンガリ帽子をかぶっておりまして。
「なんじゃーこりゃ」
 と思ったら、昨日はハロウィンだったのですねー。知ってましたか?

ハロウィーン【Halloween】
万聖節(11 月 1 日)の前夜祭。秋の収穫を祝い悪霊を追い出す祭り。アメリカでは,カボチャをくりぬき目鼻口をつけた提灯(ちようちん)を飾り,夜には怪物に仮装した子供たちが近所を回り菓子をもらったりする。ハローイン。
(goo辞書より引用)

 いやーもう、家族持ちでないと、季節のイベントなど、ただでさえ疎くなるもんですから~。なかなかスポーツクラブのイベントは新鮮でございました。しかし、地元のおじちゃん、おばちゃんしか来ないのに、ハロウィンの仮装とかして、果たして効果はあったのだろうか^^

 日本ではクリスマスやバレンタインデーで代表されるように、記念日にかこつけて商売に結びつけようとする商魂たくましい人達がたくさんいるのですが、どうもハロウィンは、今ひとつ定着度合いが少ないような気がします。

 私も海外でハロウィンに出くわしたことがないので、実際のハロウィンがどんなものだかは知らないのですが、「E.T.」という映画の1シーンにハロウィンの様子が出てくるので、どんな感じだかはその範囲で知っています。
 お化けに仮装した子供達が、いろんな家をまわってお菓子をもらう。「E.T.」もこのときばかりとその姿をみんなの前に堂々とさらし、地球人の仲良くなった子供達と、お菓子をもらいに家々をまわっておりました。
 
 うーむ。日本では確かに定着しづらいかもしれませんねー。
 大体、日本って仮装パーティってあんまりないじゃないですか。素性を隠してハメを外して大騒ぎをするって、どうも・・・

 あ、もしかして、ネットはみんなハンドルネームだから、仮装かも?(笑)

 思うに・・・仮装なんてのは、仮装したって本当は誰だか簡単に分かりますよね、普通。
 でも西洋の文化では、仮装してれば、無礼講になります。
 日本は、おそらく「誰だか簡単に分かる仮装」では、ハメを外しきれないのでしょう。
 ネットでは誰だか簡単には分からない・・・ふふ、そういや、昔、「なりきりチャット」やったことあるなー私。何のなりきりチャットかというと田中芳樹の「銀河英雄伝説」のキャラクターになりきってチャットをしました。
 いや、誰って(誰も聞いてないっちゅーに)グリューネワルト伯爵夫人、主人公ラインハルトの美貌の姉君であるアンネローゼでございます。楽しかったなぁー・・・いいじゃないですか、なりきりチャットくらいは、美人になったって~(爆)
 

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