引き合う孤独の力~「白夜行」最終回~
「白夜行」、最終回、見ちゃいました。
私は、いつ見ていても、つい亮(りょう)の立場になってしまいます。
人を好きになると、その人のためなら何でもしたくなってしまうのはとてもよく分かります。特に自分に他に失うものが何もなく、全てを捨ててもその人を守り抜くとまで誓った相手ならば・・・
だって、「たった一つの太陽」ですもの。
つくづく思うのは、昨日も書きましたが、どうしてそこまで人は人に惹かれてしまうのか、どうしてそこまで誰かを求めずにはいられないのか、ということです。
結局それって、誰も幸せにしないのに。二人は、お互いをたった一つの太陽だと信じて生きてきたけれど、太陽の下を再び手をつないで歩くという夢は結局叶わなかった。大切な相手を失ってしまえば、残された彼女にどんな幸福があるというのか・・・
この話が、より悲劇的に思えるのは、おそらく亮自身、雪穂との行き着く先が、決して幸せなんかではないことに気付いていたに違いないことです。多分、亮は、もうずいぶん昔に、そのことに気付いていた。だけど・・・そう生きることしかできなかった。
ドラマの最後にこういう会話がありましたね。誰かに人生を捧げた人間と捧げられた人間はどっちが不幸かって話。捧げられた人間の方がもしかしたら不幸なんじゃないかという。聞いていて、
「確かにそうかもしれないな・・・」
と思いました。
私の好きな人は、かつて、私以外にもいろいろな人に「恋をされる」ことが多いと話していたことがありました。身びいきではなく、客観的に見ても確かにそれだけ魅力的な人でしたしね。
いろんな人に恋をされればどんなに幸せかと私なんぞは思うのですが、そのせいでいろいろ苦労も多かったらしく・・・そのことに悩んでいるふうでもありました。つまり、私がその人を好きになったところで、結局その人にとっては、悩みがまた一個増えただけだった、というオチ。
まあ、個人的な体験はどうでもいいのですが、つまり、人生を捧げるほど愛した人がいるならば、愛された人よりも、愛した人の方がやはり幸せなのでしょう。
人生は捧げてないですが、私個人は今でも幸せだしなぁ。
私がそうしてその人に出会っただけで幸せにしてもらった分、勝手に人生を捧げて、相手を不幸にしちゃいけないなぁと思ったりするわけです。
ドラマの話に戻りましょう。
人と人が引き合う力ってのは一体何なんだろうなぁ・・・必ずしもそれが人を幸せにするわけでもないのに、それどころかこうしてお互いを不幸にしたりもするのに、それでも、相手のために生きたいと思ってしまう気持ちって・・・
谷川俊太郎の詩のフレーズを思い出しました。
(引用開始)
万有引力とは/ひき合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる/それ故みんなは求め合う
宇宙はどんどん膨らんでゆく/それ故みんなは不安である
「二十億光年の孤独」より
(引用終わり)
うーん・・・だから、なのかなぁ・・・(^^)
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