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March 2006

2006.03.31

「愛とは何か」

 HR-Millerさんから、お題をいただきました。

>突然ですが、BUBIさんは「愛とは何か?」という問いかけがあったら、どう答えますか?

 私は、けっこういい年になるまで、本気で誰かを好きになったことが一度もありませんでした。それまでは、愛も、そして恋も、何だか、分からなかったんです。

 しかし、20代も後半になったある年、初めて好きな人ができました。
 その時に・・・自分でもびっくりしましたよ。
 人って本当に、自分よりも、誰かを大事だと思うことができるのだなぁと。

 私は自分のことを、リアリストだと思っています。夢見がちなこともたまには言ったりしますが、夢を見ているだけでは食べてはいけないことは知っていて。
 好きな人が出来る前は、
「所詮人間ってのは、自分が一番大事なんだ」
 と思っておりました^^;
 人に嫌われるのが怖かったので、なるべく他人には優しく、礼儀正しくしよう、なんて考えながら子供時代は送っていましたが、それも、結局「自分がよく思われたいため」なんですよね。
 人に親切にするのも「他人から自分がいい人だと思われたい」から。そして、人間ってのは、みんな、そう考えて生きているんだと思っていたのです。

 しかし。そうじゃないんですわ。

 好きになった人のためなら、何でもできる。もしその人が望むなら、自分なんかどうなっても構わない。ホントに人ってそう思えるんですよー。びっくりしましたねー(笑) まさか自分がそんなふうに誰かを好きになることがあるなんて。
 母親は自分の子供のためなら、自分が犠牲になることも厭わないと言います。私は母になったことはないですが、今はその気持ちが分かるような気がします。

 多分、人間っていうのは、基本的には自分が一番大事な生き物なのだと思います。でも、自分よりも大切にしたい存在ができる時がある。なぜそんなことが起こるのか? その答えが「愛があるから」なんじゃないかと^^

 言葉だけを捕らえれば「自己愛」なんてのもあるんで定義が難しいのですが、専門的な話とは別に、私の実感としては、自分ではない誰かを自分よりも大切に思える心、それが愛ではないかと考えています。

 HR-Millerさんのコメントへのレスで、愛とは何かについては、かつて、野島伸司の「世紀末の詩」というドラマについてネットの掲示板で語り合ったことがあると書いたのですが、このドラマの中では、必ずしも、愛は人を幸せにはしません。
 自分ではない誰かを自分よりも大切に思っても、それがその誰かを不幸にすることはよくあることみたい。その誰かも不幸にし、自分も不幸にし、他人からは「どうしてそんなふうになっちゃうのだろう?」と思われたりする。でもそれもまた「愛」というものの姿なのでしょう。

 さて。初めて人を好きになってから幾星霜。そんなふうに人を好きになるのは、一生に一回しかなかろうと思っていたのですが、なんと一回だけじゃなかった~。今も二回目は継続中でございます^^
 リアルに私を知っている人には笑われちゃいそうですが、「心から誰かを愛せる」という経験を二度もできたってことは、この人生もなかなか悪くないじゃないの、なんて思いながら、毎日、幸せに過ごしております^^

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2006.03.28

そんなことって、ありか!?

 先日職場の同期と飲みに行く機会がありました。私は酒がだめですし、職場の同期連中もみな家庭を持ち、それぞれの仕事が忙しいので、なかなか飲み会なんてのもないので、本当に久しぶりでした。
 が、そこで、
「うーん? それってどうなのよ?」
 と思うことが。まあ読んでやって下さい。珍しく怒り心頭モードです(苦笑)。おまけに長文です(爆)。

 年齢は私と同じ。結婚して5年目くらいの男性に、家庭のことを聞いたら、彼は
「俺はだまされた」
 と言うのです。
 いわく、結婚なんかするんじゃなかった。結婚したら、妻は仕事をやめて家庭に入ってしまった。俺と離婚したら、あいつは生活できなくなる。だから離婚もできない。仕事をやめるなんて聞いてなかった。俺はだまされた・・・
 え~っ! そんな言い方ってないんじゃないの?
 しかし・・・案外男性ってこういうふうに考えてる人が多いのかもしれません。だって、そんなふうに言う男の話、これが初めてじゃないんだもの。
 
 以前、私の友達がご主人とケンカしたとき、そのご主人は、彼女にこう言ったと言います。
「俺は別に結婚なんかしたくなかった。お前がしたいっていうからしたんだ。するんじゃなかった」
 それを聞いた時も、ふざけんな、と思ったのですが。
 男ってなんでそうなんですかねー。結婚って二人で決めてするものでは? どっちが先にほれたかどうかなんて関係なく、自分も同意して結婚したのに、後で自分の思惑と違ったからって「結婚したくなかった」だなんて・・・人のせいにするなよ!

 女だって、結婚するときはそれ相応の覚悟をするものです。その覚悟って、もしかしたら男性以上かも。だって、ろくでもないかもしれない一人の男と、一生を共にする決意をして結婚するんだもの。思うように仕事もできなくなるし、子育てもするんだから、自分の時間なんてろくに持てなくなる。それでも、子供と夫と自分とをひっくるめた「家庭」を作るという決意を前提に、そういう全ての責任を引き受けて結婚ってするんですよ。責任もあればそこに幸せもあると信じて。

 女がそこまでの覚悟で結婚してんのに、男は何なんだー
 自分が楽になるために結婚するの? 今までのライフスタイルは何も変えないで? てめえの女房、子供の面倒を見る覚悟もなくて、ヘラヘラ結婚して、後で「するんじゃなかった」とか言うんじゃな~い!
 私の会ったことのある独身の男性などもみんなそうです。何も考えてないみたい。自分が結婚したいかどうかも。で、相手にしようと言われればしてもいいかな、みたいな。全部他人まかせ。そういうヤツがあとで「俺はしたくなかった。だまされた」とか言うのです。

 で。
 その「だまされた」とか言ってる男の家庭・・・
 この先どうなると思いますか? 私なんかだと、そんな男、無視して、奥さんも趣味とか好きなことやればいいと思うのですが、奥さんの求めるものはそうじゃないみたいで。
 子供が欲しいんですって。子供が居れば旦那がろくでもなくても、いいんだって。

 私はそこでも「えー!」と思ってしまいました。
 そんな男、子供ができたって絶対子育てとか手伝ってくれないじゃないですか。手伝うどころか、子供に無関心だったりして、奥さんだけが子供を育てるために、好きなこともがまんして「家庭」をやってかなきゃいけないじゃないですか。それでいいのかなぁ?

 自分の結婚さえ「だまされた」とか言って人にせいにしてる男との間に子供なんか作ったら、苦労が目に見えるようです。子供こそ二人の子供ですもの。それなのに子供に対する責任までお母さんが一人で背負わなきゃいけないのなんて、とんでもない。
 もちろん、どんな男の子供だろうと、子供は子供、罪はないですから、生まれたらお母さんは一生懸命育てるんでしょうけど・・・男はその間、じゃあ何をやってるのよ?

 女性も仕事をするようになってから、夫は妻を養う責任が軽くなりました。だけど、そうしたら、やつらは何の責任も負うことをやめてしまったかのように私には見えます。私たちはみんな自分の人生の責任を負っているはず。結婚したら、その相手もひっくるめて、自分の人生だと私は思う。

 ただ、ちょっとショックだったのは・・・同じ女性でもこれに関する意見って、全然違うんですよ。
 私の友人はこう言っていました。趣味だ、仕事だと言ったって、結局は何にもならない。どんな男だろうと、結婚した相手がいるなら子供作った方が幸せになれる、と。

 うーん・・・そう言われてしまったら・・・
 私の人生って何なんだろう?って思わず考え込みました。友達がいて趣味があって仕事をして生きているよりも、ろくでもない男とでも結婚して子供を作るコトの方が幸せなんだろうか?

「幸せって一人一人違うんじゃないですか?」 by神田和美【女王の教室】

 無論、子育てっていうのはすばらしい仕事です。女性にとってこれほどやりがいのある仕事はない。旦那が協力しようがしまいが、それに命がけの女性は多いし、命をかけるだけの価値が確かにある。
 でも、子供の人生は子供のもの。親になった人間の、うまくいかない人生の代わりとして存在するわけじゃありません。親が幸せでなくてどうして子供を幸せにしてやれるだろう。私はそう思ってしまうのです。

 妻にだまされたと思い続ける夫。
 そんな夫であると分かりながらも、子供を作ることで、家庭を続けていこうとする妻。
 そんなのってあんまりだ・・・と思ってしまいます。

 私は。結婚しない自分の方が結婚している人よりも幸せだとは思っていません。結婚しなくても結婚していても、それぞれに違う幸せがあると思っています。それこそ和美ちゃんじゃないけど^^
 ただ思うのは・・・結婚して家庭を持っている女性には等しく幸せで居て欲しい。私なんかよりもずっと、ずっと。自分がするしないに関わらず、人生を共有できる誰かと出会い、その誰かと人生を共にする生き方というのは、私の憧れですから。
 だから。やっぱ、男性に、もっとしっかりして欲しい。「結婚するんじゃなかった」なんて後悔に逃げないで、今、目の前にいる、自分のパートナーをもっともっとちゃんと見て欲しい。長い人生で出会った、たった一人の人生のパートナーなんですから。

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2006.03.27

poem(41)

「1クール」

連続ドラマが終わるように
やっと終わったかもしれない
テレビドラマにしてはやけに長い1クールだったね
見ている間は夢中だった

終わったドラマが忘れられていくように
痛みも思い出もなく
この恋は過去になるのだろう
まるで始めから何もなかったかのように

失うものなんて始めから何もありはしない
全ては思いこみと幻でしかない
心を揺らすのも涙を流すのも
ドラマと現実にそう違いがあるわけじゃない

私が忘れれば全ては終わる
始めからそんな恋だった

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poem(40)

もし誰かを愛することで
人が精神の安定を保つなら
または
この世界との絆を結んでいるのなら

私にはきみがいるから
明日も明後日もこの先もずっと
この世界にいて
いろんなものを愛せるんだよ

分かるかな・・・どんなに大きな物を
きみが私に与えているのか

きみはこれを聞いたら
また黙って笑うだろう
それとも悲しむだろうか

でもね
きみが信じてくれなくても
私はきみに心から感謝してる

何もいらない
何もできない

きみと私の絆は
そんなふうに見えない糸を
必死につないでいるようなものなのだけど

いつかこのままこの世界から消えてしまう時がきても
絶対後悔しないから
どうかずっとずっと幸せでいてね
大好きなきみへ

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2006.03.26

ナルニア国物語、面白かったです♪

「ナルニア国物語/第一章:ライオンと魔女」を見てきました。面白かったです♪

 私は、ファンタジー物にけっこう弱くて、思えば昔、「ネバーエンディングストーリー」を見た時には、感動しちゃって夢にまで出たほどでした。ゲームのRPG物も好きですし、「ロード・オブ・ザ・リング」も好きです。ただ、「ハリーポッター」のシリーズは今一つなので、もうすっかり大人になっちゃったから、ファンタジー物にはまることはもうないのかなぁと思っていたのですが・・・

 「ナルニア国物語」は、実はとてもベタなお話でございます。
 現実の世界に住む4人の兄弟&姉妹が、古いお屋敷の洋服ダンスの奥から、100年の冬に閉ざされたナルニア国に迷い込みます。
 そのナルニア国には予言があり、人間の子供4人が迷い込んだその瞬間から、100年の冬の終わりとなる運命が動き始める。子供たちはいやおうもなく、魔女と英雄の戦いに巻き込まれることになります。

 子供たちはイギリスの普通の子供で、よくある日本のファンタジーアニメのように、いきなり強くなったりはしません。お姉ちゃんは、念じれば当たる矢をもらったり、妹は、一滴飲めばたちどころに傷を治す薬なんかをもらったりしますが、男の子二人は、王様なんていわれて英雄に祀り上げられはするものの、剣なんていきなりふるえませんわな。まあ、イギリスの子供なので、ちょっと練習すればそれなりに様になったりするのがご愛嬌なのですが、一応そこも、うそっぽくならない範囲にはできていて。
 お兄ちゃんは弟を守るために必死に魔女に剣で戦いを挑みます。がんばりました、お兄ちゃん。
 今、冷静に考えると、なぜ、魔女は、魔法を使わずに、まともに人間の子供と剣の勝負なんかするのかなぁ?(笑)そういう突っ込みどころは多少ありつつも、一応、勇敢に戦った4人の子供たちは、ライオンの英雄に助けられ、見事魔女を打ち倒し、予言どおり、ナルニア国の王となります。かっこよかったですな。

 まあ、その・・・本当に、よくある話、なのですよ。ある意味「水戸黄門」と同じくらい予定調和な。でも、なぜか面白いのですよね。なぜなんだろうなぁ。

 実は、映画の最初のシーンに、私はびっくりしました。
 原作がそうなのかもしれませんが、いきなり、現実世界の空襲のシーンです。イギリスですから、B29ではないでしょうが、そういう飛行機から爆弾がドカドカ落ちて、子供たちが、防空壕に命からがら逃げ込む。
 空襲と防空壕といえば、日本の映画ばかりで知っていますが、英国にもこんな戦争の時代があったんだなぁ。(当然空襲にやってくる輩はドイツ軍なのでしょう)そして、子供たちは、母と別れ、大混雑の駅から子供4人だけで田舎に疎開します。ナルニア国の入り口となる洋服ダンスはその疎開先の屋敷にあるのです。
 そういう導入部のリアルな作りが、説得力を持たせる一因になってるのかもしれませんね。

 敵役の魔女がまたなかなか強くて凛々しくていいですね。やっぱり敵はある程度、強くないとつまらない。
 ただいっしょにいった友達とは、
「もっとうまくやれば人間の子供を4人とも捕まえて、さっさと殺すとかできたはずなのにねえ」
と話していました。最初、弟の方を「王にしてあげるから、他の兄弟もみんなつれて、城へおいで」とかってだまそうとするのですが、その演技をもっと徹底すれば、人間の子供なんて一ひねりだったはず。ただ、悪い魔女だけあって優しくするのになれてなかったのか、すぐに本性を現しちゃうので敵だというのがばれちゃうのです。ライオンと魔女、どっちが本当の味方なのか・・・もうちょっと分からなくて混乱するくらいが面白いと思うのですが、まあそこは、子供向けファンタジーだからきっと分かりやすい方がいいのでしょう。

 いろいろ楽しませていただきました。分かりやすいファンタジーがお好きな方はおすすめです♪

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2006.03.25

確かに白黒つけたがる人は多い

 PSE法(電気用品安全法)の4月からの本格的実施の関連のニュースを見て「PSE法ってなんだろう?」と、ネットで検索したコラムを読んでいました。

興味がある方はぜひ読んでみて下さい。
http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0602/20/news013.html
http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0602/27/news009.html

 PSE法というのは、ものすごく単純に書くと、4月からはPSEマークを付けた家電製品しか売っちゃいけませんよ、ということを定めた法律でして、PSEマークを付けるにはその商品が安全かどうか、製造業者がちゃんと検査をしなければならないらしいです。

 で、たとえば、今、電化製品の中古屋さんにある古い電気製品なんかはマークが付いてないので、誰かがマークを付けなければ売れないのですが、中古屋さん自身が検査してマークを付けるわけにもいかず(検査をし、マークを付ける義務を負っているのは「製造業者」なので)結果、「うちの商品、4月から売れないじゃないか。どういうこっちゃ」ということでニュースになっているわけですね。

 まあ、検査自身は漏電がないかどうかの検査で、そう難しそうな検査でもないから中古屋さんがちゃっちゃとやれそうな感じもあるのですが、そうすると、販売業者が自ら「製造業者」である旨、登録して(登録自体はすぐできそうですけど)製造業者としての責任を負うなんてことになりそれもまたやっかいなようです。
 うーむ・・・上で紹介してるコラムを読んでみても、PSE法で本当に規制しようとしているのは新品であって、中古の販売を制限しようというのが目的なわけではないみたいでなんですが。
 少々、コラムから引用します。

(引用開始)

つまり、(本物の)中古品は危険だから市場を縮小させるとか、そういう論理でこの法を動かすわけではないということである。むしろ中古品だったから火災になった、という事例は少なく、むしろ電化製品が故障などのトラブルが発生しやすいのは、使い始めて1年未満の、いわゆる初期不良期間が一番多い。実は中古品とは、長期ランニングテスト完了済みということで、実態は新品よりも安全性が高いという見方もできるのである。
【小寺信良・電気用品安全法は「新たなる敵」か (Side A)より】

(引用終わり)

 中古品を買って使うこと自体が別に禁止されてるわけじゃないし、要は消費者が安全な電気製品を使えるように、これからは製造者がきちんと責任を負うというのがPSE法の趣旨なのでしょう。ただ、そうなると、中古品の安全は誰が責任を負うのか。製造した会社がもうつぶれてたりしたら?
 引用部分の考え方からすれば、中古品は基本的にはみな安全、とも言えるので、中古品は全部対象外にしてもいいのかもしれませんが、コラムによると、それだと新品を中古と偽って検査逃れをする業者もいるので、そうもいかないみたいです。まあ、それはそうだろうなぁ・・・
 コラムの筆者は、こう書いています。

 (引用開始)
 筆者がSide Aで暗に言わんとしたことは、あまり騒ぎ立てると損になる、ということである。経産省に取材して筆者が感じたニュアンスでは、積極的に省庁が音頭を取って中古市場の実体解明に尽くすという感じはまったくなく、実際にはある程度売られてもしょうがないですよねぇという、日本人独特の「お目こぼし」の論理で解釈した方が得だな、という印象を受けた。
 現場の中古屋さんに思ったよりも緊張感がないのは、おそらくこのあたりのルールはある程度含みおきだったのではないだろうか。だが、世の中こうした旧日本的な「本音と建て前」を嫌って白黒はっきり付けたがる人は想像以上に多いようで、すでに世界のサカモトまで引っ張り出してしまった以上、もうあまりこの手は通用しないと考えるべきかもしれない。
【小寺信良・電気用品安全法は「新たなる敵」か (Side B)より】
(引用終わり)

 逆にニュースになってしまったことで、中古商品を扱う業者は、苦しい立場になっちゃってるんじゃないでしょうか。世界のサカモトさんのニュースはテレビでも見ましたが、有名人っていうのはそういう時に利用されちゃって大変ですね^^; 
 
 私もある程度、年をとったせいか、白黒はっきりつけることの弊害を、時々実感します。
 法律ってのは、ある意味、マニュアルみたいなもので、マニュアルを作るとそのとおりやればいいから楽は楽なのですが、マニュアルをはずれたときにどう考えるかができなくなって、「法律に細かく書いてないのが悪いんだ」なんてことになる。なんでそういう法律が必要なのか、ってところは置き去りにされて。
「決まってるからダメ、決まってないからやっていい」
 という世の中よりも
「しちゃだめとは決まってないけど、そんなことをしたら仁義に反するからダメ」
 という方が暮らしやすいのではないかと思いますけどね。仁義の部分はなるべくグレーで残しておいた方がいい。
 ・・・ああ、でも耐震構造偽造問題があったりして、もう仁義なんかない世の中なのかな・・・法律で縛ると例外がなくなっていろいろと困ることも出てくるのに。ビンテージ物なんて別に大騒ぎしないで、こっそり取引してれば別にいちいち経済省が見に来たりしなかっただろうになぁ・・・なんてのは甘いですか^^;
 瑣末なことに拘って、法律そのものをひっくりかえしたりすると、真面目にやってた業者がバカを見ることになってしまいます。どうかそうはなりませんように・・・・

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2006.03.24

引き合う孤独の力~「白夜行」最終回~

「白夜行」、最終回、見ちゃいました。
 私は、いつ見ていても、つい亮(りょう)の立場になってしまいます。
 
 人を好きになると、その人のためなら何でもしたくなってしまうのはとてもよく分かります。特に自分に他に失うものが何もなく、全てを捨ててもその人を守り抜くとまで誓った相手ならば・・・
 だって、「たった一つの太陽」ですもの。

 つくづく思うのは、昨日も書きましたが、どうしてそこまで人は人に惹かれてしまうのか、どうしてそこまで誰かを求めずにはいられないのか、ということです。

 結局それって、誰も幸せにしないのに。二人は、お互いをたった一つの太陽だと信じて生きてきたけれど、太陽の下を再び手をつないで歩くという夢は結局叶わなかった。大切な相手を失ってしまえば、残された彼女にどんな幸福があるというのか・・・
 この話が、より悲劇的に思えるのは、おそらく亮自身、雪穂との行き着く先が、決して幸せなんかではないことに気付いていたに違いないことです。多分、亮は、もうずいぶん昔に、そのことに気付いていた。だけど・・・そう生きることしかできなかった。

 ドラマの最後にこういう会話がありましたね。誰かに人生を捧げた人間と捧げられた人間はどっちが不幸かって話。捧げられた人間の方がもしかしたら不幸なんじゃないかという。聞いていて、
「確かにそうかもしれないな・・・」
 と思いました。
 
 私の好きな人は、かつて、私以外にもいろいろな人に「恋をされる」ことが多いと話していたことがありました。身びいきではなく、客観的に見ても確かにそれだけ魅力的な人でしたしね。
 いろんな人に恋をされればどんなに幸せかと私なんぞは思うのですが、そのせいでいろいろ苦労も多かったらしく・・・そのことに悩んでいるふうでもありました。つまり、私がその人を好きになったところで、結局その人にとっては、悩みがまた一個増えただけだった、というオチ。
 まあ、個人的な体験はどうでもいいのですが、つまり、人生を捧げるほど愛した人がいるならば、愛された人よりも、愛した人の方がやはり幸せなのでしょう。
 人生は捧げてないですが、私個人は今でも幸せだしなぁ。
 私がそうしてその人に出会っただけで幸せにしてもらった分、勝手に人生を捧げて、相手を不幸にしちゃいけないなぁと思ったりするわけです。
  
 ドラマの話に戻りましょう。
 人と人が引き合う力ってのは一体何なんだろうなぁ・・・必ずしもそれが人を幸せにするわけでもないのに、それどころかこうしてお互いを不幸にしたりもするのに、それでも、相手のために生きたいと思ってしまう気持ちって・・・
 谷川俊太郎の詩のフレーズを思い出しました。

(引用開始)

 万有引力とは/ひき合う孤独の力である
 宇宙はひずんでいる/それ故みんなは求め合う
 宇宙はどんどん膨らんでゆく/それ故みんなは不安である
                  「二十億光年の孤独」より
(引用終わり)

 うーん・・・だから、なのかなぁ・・・(^^)

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2006.03.23

たったひとつの・・・

 今夜は「白夜行」の最終回であります。
 やりきれないほどつらい主人公達、二人の物語もやっと今日終わります。
 
 「きみはたったひとつの太陽だった・・・」

 なんていうか、うまく言葉にできないのですが。人が人を求める気持ちというのは、これはどうでしょう、万人に共通のものなんでしょうかねえ?
 もしも、誰も必要としなくても、誰に必要とされなくても、人間がたった一人でも生きていけるものならば、こんな悲劇は生まれないだろうと思うのですよ。

 しかし・・・人間ってのはやっぱそうはできないみたい。たとえまがいものであろうとも、その光を求め、それを信じ、それを守ろうとし、そして・・・それ以外を拒否しようとしさえする。それは人間の業みたいなものなのかもしれないなぁ。業であり、そして、逆にそれが「希望」なのかもしれませぬ。
 彼が彼女に、彼女が彼に、あの、幼い頃、二人の出会いがなければ、この物語は生まれなかった。出会ってしまったから、悲劇が生まれたのですが、でもそれは「悲劇」というだけなんだろうか? 本当にそれだけなんだろうか? 
 ・・・その答えが、今夜の「白夜行」最終回で明らかになります。

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2006.03.22

200gの週末

平日の残業で疲れてしまって
何も予定を入れずにいた週末
テレビをつけて
おなかが空いても買いものへも行かず
あるものを食べて
日がな一日ぼーっとしてた

誰とも話さないで
ずっと一人でいる
・・・私がここに
 いてもいなくっても
 誰にもカンケーないんだな・・・

ここまで何もしないと
いっそ清々しい気持ちになってくるじゃないの

ついでに週末断食して
体重も減らそうなんて
物を食べるのもやめたりすると
本当にここで消えてしまうかもしれない、なんて
ちょっとした臨死体験

もしかしたら世の中には
そうやってほんとに消えてしまう人も
いるんだろうって思うよ

でも

まだもう少し生きていようかな
いいこともたくさんあったし
これから見たい映画もあるし

生きるって
本当にただそれだけのことで
難しい意味なんて
ホントはあるかもしれないけど
私には見つからない

私の望みはもう叶えられてしまった
あとはもう何も望まない
ただ大好きなきみの人生を
ゆっくりと見守るだけでいいよ

次の朝目覚めたら
体重はほんの200gだけ
減っていた

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2006.03.18

「女王の教室」見ちゃいました・・・

 昨日と今日、女王の教室のスペシャルが放映されております。

 怖い・・・ですね・・・

 いや、その・・・純粋で人一倍、愛が深い人間が、周囲の人間を傷つけ、取り返しのつかない過ちを犯してしまうという物語。

 彼女は周囲の全ての人と仲良くなって、幸せになって欲しいだけだったのに。自分の子供にも、自分の生徒にも・・・なのに悲劇はあんな最悪な形で起こってしまって。

 この物語が怖い、と感じるのは、
「ありゃ、私もそうやって誰かを傷つけてはこなかっただろうか」
 と思うせいです。
「私が今、一人で、周りに誰もいないのもそのせいなのだろうか」
 とかね。はは。いや別に、真矢(まや)先生ほど、愛情深くもないのですが。

 私にとっては、これは「誰にでも起りうる悲劇」として映りました。
 「一番犯しやすい過ち」とも。

 私はきっと「だから」先生という職業は選択しなかったんだと思います。自分がいくらベストと思ってしたことも、40人の生徒の全てにベストを尽くしてやることはできない。生徒はみんな「自分だけを見て欲しい」のだから、それの全てに応えてやることは不可能だし。どこかでそれを割り切れなければ先生なんてできませんよ、うん。
 だからって阿久津先生のように、24時間子供たちを見て、一人一人に膨大なファイルを作ってなんてことはとても自分にはできませんもの。

 人に自分の正しさを押し付けるなんてのも、やってはいないつもりなのですが、本人には自覚がないのだろうからな・・・やってんのかな、私^^; そんなに清廉潔白に生きてるわけでもないので、自分としてはかなり許容範囲も広いし、ケースバイケースの意味も分かってるし、「なんでもありでいいんじゃないの?」と笑いとばせる余裕もあるつもり。だけど・・・うーん。今のところ、それを「私って本当にそうかな?」と尋ねる人も周りにはいません。不安だ^^;

 まあ、とりあえず、これはドラマの見過ぎによる杞憂ということで。
 今夜のお話もますますディープな感じの「女王の教室」。しっかり録画予約もしております^^
 

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2006.03.16

「プラス・X」

 ハンゲームというゲームサイトの中の、「ミニハンゲーム」という一人で遊べるゲームの中に「プラス・X」というゲームがあります。
 非常に単純なゲームでして。
 画面上に1から9までの数字のパネルが散らばっており、その横に、たとえば「11」とお題がでます。
 お題の数字を見て、画面上の数字のパネルを、足して「11」になるように複数個、クリックすると、そのパネルが消える。
 どんどんパネルを消していって、なるべく早く全てのパネルを消すというゲームです。

 これね・・・やり始めるとはまってしまうのですが、やってて、つくづく
「私って頭悪いなー」
 と思ってしまいます^^;
 いや、囲碁で整地したあと、地を足し上げる計算さえ暗算でできないので(当然目算もできない^^;)数字に弱いのは分かってはいたのですが・・・逆に、数字に強い人は、こういうゲームがカンタンにできるのだろうと、「あなたの知らない世界」を垣間見た気になるわけです。

 たとえば「11」。足して11にするパターンというのはたくさんあります。
 1+9+1 でもいいわけですし
 6+5   でもいいわけです。
 7+4   でもいい。
 
 1から9までのパネルは最初はたくさんありますが、消していくと当然、目の前にあるパネルの数が少なくなってくる。
 たとえばもう残りが4と5と8と2と7しかないときは、「11」とお題が出た瞬間に、数ある、足して11になる選択肢の中から「4+7」を選び出し、パネルを消していないといけないのですね。

 いかがでしょ。そういうゲームだったら自信あるっていう人いますか?

 私は、全然だめですねー。たとえば「20」というお題だと真っ先に浮かぶ選択肢は、次のどれですか?
 (パネルに10はありません)

1 5+5+5+5
2 (9+1)×2 ←「×2」というパネルはあります
3 (5+5)×2
4 7+3+6+4
5 8+2+1+9
6 8+6+6
7 それ以外   

 私はいつもパネルを消す時に、20という数字を「10と10」というふうに分けて考えています。なので、大体1番から5番くらいまでの発想になるのですが、パネルの数が少なくなってくると選択肢が限られてくるので、いつもの発想をしていると、なかなかお題の数字にならなかったりします。
 「20」と示されてすぐに6番を思いつける人っているかなぁ。または、

  9+7+4

 とかって。いかがでしょうか?

 私はできないけど、こういうのがパッと出来る人は世の中にたくさんいるんだろうなーと思うと、つくづく自分って頭悪いなーとね^^; でもそう思いつつ、ちゃんとクリアするまではやりたい!ってつい何度も挑戦してしまいます。・・・いや、全部パネルを消すまでの時間は実は決まっていて、決まった時間内に全部消すことができないと、失敗なんですよ。以前調子のいいときはできたこともあるのですが、最近は全然クリアできない^^;

 自信とお時間のある方はぜひ一度挑戦してみて下さい。

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2006.03.15

食べると幸せになれる・・・

 昨月よりも1キロくらい体重が増えてしまいました。
 昨年の春から夏にかけて、ダイエットをがんばったときはマイナス4キロになったのですが、どうも最近じわじわと戻りつつあります。一ヶ月に1キロずつ戻ってる感じ。いかん・・・この辺でまた引き締めねば。
 しかしまあダイエットをしてもなかなか痩せられないのも、ダイエットをしてもすぐ戻っちゃうのも、基本的なところで、イケナイ考え方をしているからです。それが

「食べると幸せになれる」

 おいしいものを食べると、幸せを感じてしまうんですよねー
 昨日も、大好きな「スープストックトーキョー」へいったんですが、また「温野菜とチーズのブラウンシチュー」なんてメニューがありまして。
 もう、むちゃくちゃ美味しい。食べるだけで、「ああ、今まで生きていてよかった♪」とか思っちゃうのです^^; チーズのシチューなんて、いかにもカロリー高そうなのに。
 
 そしてまた、これが、高い食べ物でなくてもいい。白いご飯やおにぎりなんかもおいしいですねえ。納豆ごはんだって、かなりおいしい。たまにしか食べられないものしかおいしく感じない食通ならまだしも、安い物だっておいしいのですから、これがまた、食欲増進につながっちゃうわけです。いかんなぁ。

 男性などにたまに、食べることに栄養補給以外の意味を見いださない人がいたりします。そう考えられたら、食事なんて面倒だくらいなもので、1日の摂取カロリーを控えることがカンタンにできるかもしれません。

 私だとがんばって抑えようとしても、朝350kcalくらい食べて、昼650kcalくらい食べちゃえば、もうそれだけで1000kcal。人が1日に必要な最低限のエネルギーは1200kcalですから、ダイエットするなら、あと200kcalしか食べちゃいけないのです。200kcaということはダイエットクッキーとお茶しか食べられないということになる。・・・考えるだけで悲しくなってきます。
 なら昼を減らせばいいのですが、昼食べなかったり抜いたりすると、夕方ものすごくおなかが減って、夜いっぱい食べちゃうことになり、それはさらにダイエットによくない^^; やっぱ、それよりは夜を控えめにするのがベスト。

 一番ダイエットに効く方法はきっと・・・食べるコト以外の幸せを見つけることでしょう(爆)
 いつもながらみもふたもない結論だなぁ。

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2006.03.14

Let's try!9子局

 昨夜は、めっちゃ強いけど、優しそうな方に、是非にとお願いして、9子局を打っていただきました。
 昨日書いた6段の方と再対局する前に、9子局に慣れておかねばと思いまして^^
 鳳雛さん、打っていただいてありがとうございました♪

 この9子局は、打ち終わった後に自己嫌悪に陥らないように、とにかくビビらず強気で行くことを目標にしました。
終わったら、9目差でやっぱ負けたんですけど(おいおい)、この間、オバケのQ太郎さんという8段の方と打った9子局よりはビビらずに打つことができたような気がします。

 しかしながら、自分ではベストの選択をしながら打ったつもりなのに、結果として負けている。なぜなんだろうというわけで、いつも教えていただいている師匠に棋譜を見ていただきましたら・・・「碁とは思えない、あり得ない手の連発」、「そもそも9子局で数える碁になってる時点で悪い」、「攻めるつもりで打ってるのに攻めてないじゃないか」などなど。負けはしたものの自分では悪くないつもりでいたんですが、ダメダメですわね^^;

 なんつーかその・・・攻める石につけるな、という格言があるのに、いきなりつけて相手を強くしてるのは、サバキの時の石の運びと勘違いしてるせい。
 ポンヌキがよくないと言われているのに、ポン抜かせているのは、後の展開をしっかり読めていなくて、自分が封鎖されるのを防ごうとしてしまったせい(ほんとはどう打っても黒が封鎖されるわけがないところでした)。
 一応、自分なりにそう打った理由はあるわけですが、その考え方自体が間違ってます。

 師匠からは決定的な一言が!

「読めてないんだから、『こうなったら嬉しい』とか『こうなったら嫌』とかそういうことをいう資格はない。読めてないならまずしのごの言う前に形で打て!」(多少主観による脚色あり(爆))

 ひー! おっしゃるとおりでございますm(_ _)m

 私は未だに3手先しか読めません。3手というのは「自分がこう打ったら相手はこう、そしたら自分はこう」そこまでしか読めてないということです。3手しか読めてないので、その読みや未来予測で打つと、それより先まで読めてる人にとっては、なんでそんな損な手を打つのか分からない、なんてことになります^^; 
 それなら、3手先しか読めない自分の読みよりも、まず形・・・なるほどなー。

 うーむ、いろいろなことが明らかになった昨日の対局でありました。
 遅くまでお付き合い下さいました皆様、ありがとうございました。

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2006.03.13

花は桜木、人は武士

 先週の水曜日、職場の囲碁サークルで、インターネットではない囲碁を打ちました。最初の対局は、相手の人は二段だったので、6級の私は7子置き。失敗したところを打ち直させていただいたり、コウ立てを教えてもらったりしまして、勝たせていただきました。
 次の対局では初段の方と5子局対局。二子を当たりにされて思わず継いだら、その代わりに切られてはならないところを切られてしまい、大石が落ちて中押し負け。でも、右上の死活を間違えずに白を殺せたので、ちょっとうれしかったな^^
 そういうわけで、その日、久々に
「囲碁って楽しいなぁ」
 と思いました。二局目は大石が落ちたんで、まあ、間抜けというか、弱いところを守ってない、ダメな碁だったとは思うのですが、それでも、ビビらずに攻めてそれで負けるなら、負けても悔いなしというか。弱いところを守らなかったのは反省は無論しなきゃだめですが、それでも、強気で攻めて負ける方が「楽しく打てる」ことに気付きました。
 やっぱりビビってちゃだめです。強気で行っても勝てないかもしれないけど、ビビってちゃもっと勝てない。どうせ負けるなら、花は桜木、人は武士、潔くいこうじゃありませんか^^

 というわけで、また囲碁をがんばろうと前向きになっているところ、先日時間切れ負けした、相手の三段の方の真の実力が「六段」だという新情報が入りました。
 ろ、ろ、ろ、六段~!!!
 
 私の6級は自慢じゃありませんが、掛け値なしの6級です。それも日本棋院の認定ですから、相当それだけでも甘いわけですが、囲碁未来の「カンタンに棋力判定」の問題をやったら、やっぱり6級だったし、たまに7級に落ちることさえあります。
 6級と6段じゃ単純計算でも12の差があるわけですよ。12の差ったら9子置きでもたりない。9子置きプラス鉄柱か風鈴かってとこです。そんな人と前回私は、4子置きで戦おうとしておりました。なんて無謀な^^;手合い違いもここに極まれり。
 その対局は、時間切れ負けでは「あまりにも」なので、再戦をしようということになっています。再戦は・・・よしっ、絶対、9子で打っていただこう!

 「有段者」と「級位者」っていうのは、「級位者」と「囲碁を始めたばかりの初心者」くらいの違いがあります(いやもしかしてそれ以上)。囲碁というものの考え方そのものが違いますから、ガチンコ勝負で勝ち負けを競ったら、いくらハンデをもらっても太刀打ちできるわけがない。
 だからこそ、ハンデ戦で戦って、今の自分がどれだけまだ、力不足かを思い知らなくては。4子で負けたんじゃ当たり前過ぎて反省にもなりゃしません。

 えへへ、多分その方はここはご覧にはなっていないと思います。それをいいことにここは強気にいきますよ。

「決勝に進むなら、6級相手に4子とか言ってないで、9子の置かせ碁で私をたたきのめしてからになさい」(爆)

 いや、その方、今、リーグで全勝なのです。つ、強い・・・まじに9子でも私、かなりきついのですが。
 もう、現在全敗中の私、このくらいしゃれないと囲碁が嫌いになりそうですもん。がんばりますよ、うん。
 
 あ、リーグ関係者の方、ご当人にはこのブログのことは内密に・・・(←やっぱびびってやんの^^;)

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2006.03.12

きみの幸せはぼくの幸せ~「白夜行」第7話~

「白夜行」というドラマの話を何度かこのブログでも書いているのですが、たまっていたここ数回の放映分を今、まとめて見ております。毎回、劇的な展開がありまして・・・救いようのない深みに主人公の二人がはまっていくのをみて、実は第6回あたりで、
「もう、知らん。勝手にやってくれー!!」
 と、続きを見るのをやめたくなってきてしまいました。
 しかし、やはり録画はしていて^^; 今日、やっと第7回の録画を見ることができました。

 ドラマの詳細は、まあともかくとして。
 第7回を見ていて、これもまた「賢者の贈り物だ」と思ってしまいました。
(「賢者の贈り物」に関してはこちらの記事をご参照ください。)

 「自分がどんなに不幸になっても、きみが幸せならばいいんだ」
そう聞くとなんとなく、それは確かに美徳のようなんですが。

 私は、それって絶対まちがってると思う。だって、愛し合ってるなら、お互いそう思うでしょー!!
 自分だけ幸せになったって、相手が幸せにならなきゃ幸せにはなれないってば。 だからどちらかが先に幸せにならなければ、お互いずっと不幸のままなんですよ。そりゃいかん。絶対にいかん。
 まあ、この話は私のオリジナルではなくて、三原順という人のマンガ「はみだしっ子」に出てくるんですがね。

 ぶっちゃけ、このブログには何度も書いているんですが、私には今、とっても好きな人がいまして。私なんかでもやはり好きな人には幸せになって欲しいと思うわけですわ。まぁ、好きな人といっても、恋人じゃなくて、私の片思いのようなもんでございます。片思いなので、私がその人にできることはほとんどありません。まったくと言っていいほどないのかも^^;

 しかし、唯一できることがある!  それは、自分が幸せになることだー!!(爆)

 いや、別に私の場合は、愛しあってるわけじゃーないので、私が幸せになって相手がそれで喜んでくれるかどうかは分かりませんがね(^^;) ただ、これが愛にせよ、友情にせよ、腐れ縁にせよ、私自身としても、いつかずっと先に、この恋や出会いを、笑って振り返れるようになりたいと思うのです。そのためには、少なくとも私はちゃんと幸せでいなきゃ。

「白夜行」では。
・・・ヒロインの「彼女」の幸せが何なのかって、どうして、彼も単純に考えちゃうのでしょう。
「金持ちの男と結婚すること」
そんなの彼女の幸せなんかじゃないに決まってるじゃないですかー。

彼女の幸せは彼が幸せであること。
彼の幸せは彼女が幸せであること。

彼女は、彼を太陽の元に戻すために金持ちの男と結婚した。好きでもない男と結婚することが売春と同じだと言いながらも。
彼はその意味を本当に分かったのだろうか?
第7回の終わりで、彼女が夫から手にいれたツテを元に、彼がまっとうな会社の社員になってるのを見ると、一応、彼も彼女の意思を理解したと思いたいところ。
・・・うむ・・・また「白夜行」目が離せなくなってきました。

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2006.03.11

poem(39)

※昨年の春に作ったpoemです

「桜」

別れは
心が裂けてしまいそうなほど
苦しくて悲しかったけれど
また会えるからと笑う君に
私も笑って後ろを向いた
振り返って君の背中を見たら
泣いてしまいそうだった

降り注ぐ桜の花びら
もうここに君はいないから
泣いても泣いても
もう君には見えないから

散り急ぐ桜の根方で泣く
2005年 春

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2006.03.10

取り急ぎ、皆様へ。

 3月9日から3月10日にかけて、当ブログの更新もできないし、コメントもできない状態が続いていました。これは@niftyのブログサービスの内、有料サービスである「ベーシック」「プラス」「プロ」を使っているブログに共通の障害だったようです。(このブログは「ベーシック」です)

詳細はこちら→http://cocolog2006.typepad.jp/blog/

 もしその間にコメントつけようとしてコメント出来なかった方がいらしたらごめんなさい。
 私自身もiryaさんのコメントのお返事を何度も書きこもうとしてそのたびに書き込めなくて、困り果てていました。

 この障害は、2日間という長期にわたり発生していた上に、ブログの閲覧だけはできるけれど、閲覧だけする人には、なぜ書き込めないのか、なぜ更新が止まっているのか等の情報が一切告知されず、ブログの持ち主の側からも閲覧者にそれを知らせる術がないという、かなりひどいトラブルでした。
 私もこのトラブルが、自分だけに起こっているものなのか、それとも全員に起こっているものなのか、最初はそれも分からずに困ってしまいました。ココログには上の三つのタイプとは別に「フリー」という無償のブログサイトもあって、そちらはまた普通にアクセスできていたみたいですし。
 いつも伺っている同じココログ仲間の皆さんが同様に更新できていないのを見て
「ああ、ベーシックのユーザーは全員なのかな」
と推測することはできましたが、そのときにココログのトップ画面を見ても障害情報は載っていなくて、本当に一体どうしてしまったのか、まったく分からない状態でした。

 1日や2日、更新が止まることもコメントできないことも、この、私のブログに限ってはあるんですけど・・・
 毎日欠かさず更新をしていたり、たくさんの閲覧者がいるブログだったりすると、お怒りの方は本当にたくさんいるようです^^;それだけブログというツールが、利用者にとって大切なものになっているという証拠なんですよね。

 個人的には、ブログの個人の各サイトに、閲覧者に対して「メンテナンス中」ないしは「障害発生中」である旨を告知できる何らかのシステムを作れないものかなぁと思います。
 そうでないと、見に来て下さった方に失礼ですし^^;

 ネットって便利ですけど、こういうこともあるんですね・・・というか。
 これでいいのだろうか? まあ直ったから個人的には、しょうがないのかな、って気もしてるんですけど^^;

 ただ・・・あまりにも更新も書き込みもできない期間が続いたので、このままもしもう更新ができなくなってしまったら、見ていた人に「何かあったんじゃないか」って心配させちゃうんじゃないかな、とちょっと思いました。
 このブログをご覧になってる皆様は、このブログ上だけで私を知っているだけの人もいらっしゃるので。
 
 とりあえず、今回は、私は元気です^^
 また何かあるときは、メールでも下さいませ。メールアドレス:bubi_31@yahoo.co.jp

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2006.03.08

こどもとおとな

 ハンゲームというゲームサイトで、自分の家(というか部屋)を作った、という話をこのブログにもちょこっと書きました。
 最初はフローリングと白い壁しかない部屋なのですが、そこに自分の好きな家具や観葉植物やインテリアを置き、自分のお気に入りの空間にデザインしていく、という遊びなわけですね。
 私、今、これにはまってまして^^;
 当初は窓もなく、殺風景だった部屋も、次第に自分の居心地のよい空間と変わりつつあります。
 このサイト上に部屋を持っている方は、たくさんいらっしゃいまして。他の人の部屋も自由に見学することができます。いろいろ見て回るのも楽しいですね。かわいい部屋、くつろぎの和室、ペットがいっぱいいる部屋(ペットも飼えるんです)それぞれ、みんな特色があって素敵です。

 が。前も書きましたが、家具や観葉植物、そして床や壁のデザインまで、部屋を飾るアイテムの一つ一つは、基本的に全て有料。リアルにお金がかかるのです。
 もちろん、額的には100~300円、一個一個は駄菓子程度のお値段なんですが・・・
 たとえば、テーブル、ソファ、窓、カーテン、照明器具、ベッド、テレビ、観葉植物。それに、かわいいぬいぐるみ、床にはじゅうたん、壁の色もちょっとおしゃれにしよう、なんてことになると、一部屋につき、ざっと2000円くらいかかるわけです。
 で、「ハンゲーム」の商売のうまいこと、一人が今は5部屋まで持てることになっていまして、5部屋全部を充実させようとすれば1万円。
 こうなるととても子供の遊びでは収まらなくなります。ゴージャスな部屋を持っている方々を拝見すると、あきらかに子供じゃありません。そこに落とし穴があるような。

 私らオトナは、一回、飲み会にいけば6000円くらいかかりますし、パチンコに行けば1万円くらい使ってしまう人もおそらくざらでしょう。それに比べれば安上がりな娯楽ではありますが、ネットのゲームサイトの土俵には子供も大人も平等に存在します。自分が白い壁と床しかなくて、隣の家がゴージャスに飾り付けられていれば、子供だって自分も欲しくてたまらなくなる・・・
 ハンゲームのサイトには、だから、子供の物乞いがいたりします。
「アイテム下さい」とか「コイン下さい」とか、親しくもないまったくの他人にいきなりメールを送ったりしてひんしゅくを買っています。無論、誰もあげたりしませんが。そういうのを見てるとちょっと心配になります。
 
 子供にそういうサイトに「来てはいけません」とは言えませんが、なかなかこれは教育上よろしくないかもなぁ。リアルの世界では大人は大人、子供は子供、見た目で分かりますが、ネット上ではそれが分かりませんしね。私がもし親だったら、自分の子供にはハンゲームサイトには出入りさせたくないです。ネット上の部屋を飾りたいからって、5000円ちょうだいなんてねだられたって、絶対あげません(爆)。
 ・・・うーむ。子供にやらせたくない、と言って自分がやってる遊びって。ある意味、あまりたちがよくないのだろうか^^; でも、楽しいんですよぉ~(こらこら)

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2006.03.07

スキーの思い出、囲碁の今

 私は子供の頃から運動が大の苦手でした。スポーツなんてもう、苦痛以外の何物でもない~って感じ。
 でも勤めるようになってから、同僚にテニスやスキーに誘われるようになりまして。スポーツは苦手だけど、友達と休日に遊びに行ったりしたいじゃないですか~。なので、苦手だけど、がんばってチャレンジすることにしました。ただ、テニスはともかく、スキーはね・・・ずっと誘われても断ってたんです。
 でも、あるとき、ふと。
「今のままの私じゃいけない! だめだと思っていたことでもチャレンジしてみよう! I can change!」
 と思ったんです。

 で、始めましたよ、スキー。始めたばかりの時は泣きそうでした。散々転んで、急なコースは怖くって、散々な目にあって下までやっと降りれば、また上にリフトで連れて行かれる。なんでこんなに大変な思いをしなきゃいけないのか、自分でも分かりませんでしたし、友達には笑われました。
「滑るのが楽しいからスキーってするのに、なんでそんなに泣きそうになってんの?」
 そう言われて情けなかったですねー。

 でも、やっと、ボーゲンでなんとか中級者コースを一人で転ばずに降りられるようになった頃。
 急なコースでなければ、普通に滑れるようになったことに気が付きました。曲がるのも止まるのも、初心者コースなら自由にできるようになって。そうなったときに初めて、冬山の美しい景色や痛いくらいに澄みきった青空を眺めて
「なんてきれいなんだろう・・・こんな景色が見られるなんて、スキーをやってみてよかった」
 と思ったのです。

 またここ2年くらいはスキーから離れちゃってるんですが、あのときの充実感は忘れられません。
 人は変わることができる。ほんとですわ。

 ということで^^;
 いや・・・囲碁ってねー、負けると、私、ほんとに落ち込むんですよ。自分のできの悪さを実感して、どこまでも自己嫌悪。
「楽しむためにやってるのに、何でそんなに泣きそうになってんの?」
 ってまた誰かに言われるかもなー
 でもね。やっぱボーゲンでもいいから滑れるようになったら、きっとスキーと同じくらいに素敵な景色があるんじゃないかと思うのですよ。囲碁も^^
 今までも少しずつですが「囲碁の面白さ」に気付いた瞬間というのはあって。だから転んでも、いやにならずに続けていこうと思います。
 
 ・・・なんちゃって。小学生の作文みたいだなぁ(笑)
 ただまぁ、なんとなく思うのは「楽しい」ってことは何なんだろう?と。「負けても楽しい」と思えるようになるには、自分に何が足りないのかなぁと思ったりします。
 もっと心に余裕がないといけないのかな。
 
 

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2006.03.06

「臆せば死ぬぜっ!」by ピンポン

 昨日はひどい碁を二連続で打ってしまいました・・・
 こういうときに教えてくれる人がいるというのは助かります。「ひどい」のが気のせいなのか、ホントにひどいのか分かるように教えてもらえるので^^;(師匠、すみません、ひどい碁の連発で~)

 実際、自分ではよく分からない。
 基本的に、負けたら、それはだめな碁だと自分では思っていますが、負けても単純なポカだったとか、つまり、たまたま負けたんだったら、内容的には悪くない碁であるときもあるようです。
 が、昨日は誰がどう見ても、よくない碁でした。

 何が原因かは自分ではよく分かっているつもり。
 それは・・・「びびってるから」!(爆)
 最近はigo棋院で打ってるんですが、igo棋院では全然勝てなくって。今、参加してる大会でも、連敗中。
 負けるのは弱いから仕方ないんですが、こうも連敗が続くと、自分の打ってる碁に自信がなくなってくるんですなー。

 昨日はリーグで一番強い方に、9子局を打っていただいてるんですが、序盤で自分が生きることばかりを考えて白をとっても有利にしてしまって、あとはもう攻められっぱなし。逃げ回っている間に地合が接近し、最後は二眼ないのに気が付かずに、大石がごっそり死ぬという大失態でした。
 その9子局の後の、3段の人との4子局では、序盤で時間切れ負け。もうびびり過ぎで、どう打てばいいのかも分からなくなっております。
 その前の日は、打ってる途中で「その手はよくないんじゃないか」と言われただけで、打ち続けられなくなって投了してしまったし。

 いかんなぁ。弱気になって負け、負けてますます自信を無くすデフレスパイラル(用語が違うかな)。
 まあ、でも打つのをやめたいとは思いません。きっとこういうのは打ち続けることでしか突破口は見つからないのでしょう、多分(←多分って^^;)。
 

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2006.03.03

poem(38)

(このpoemは湊さんの「明日の行方など」を読んだあとに作りました。)

きっとこの恋は
してはいけなかったのだろう

もしも世界中の全てのものから
「あの人には恋をしてはいけない」と言われても
きみがそれを許してくれるなら
私はほほえんでいられた

でも この恋のために
世界中の全てのものと戦って
その全てに勝てたとしても
きみの「困った顔」ひとつで
その勝利は無意味になる

この恋はしてはいけなかった

私が別の人に恋をしても
きみは私の
一生の友達でいてくれただろうに
お互いの恋人の愚痴を言い合いながら
ずっといっしょにいられただろうに

好きという感情が生まれても
「恋」なんて言葉を知らなければ
離れずに済んだかもしれなかったのに

・・・でもこれはけして「後悔」じゃない

してはいけなくたって
幾度最初からやり直しても
私はきみに恋をする

そう、きみにまた
きっと恋をする

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2006.03.02

無事、出産♪

 1月の末に産休に入った同じ係の女性から、今朝、「無事、生まれました」と連絡が入りました。産休というのは、制度的には産前6週、産後8週になっておりまして、産前も、年次休暇があれば、8週前から休んでもよい感じなのですが、彼女は6週前まで勤務してくれまして。1月も業務多忙だったものですから、大変助かりました。

 そんなぎりぎりまで働かせたイケナイ上司としては、無事生まれますように・・・と願ってましたので、ほっとしました~。よかった、よかった。彼女はこれで3人目なのですが、上二人が男の子なので、三人目はぜひ女の子を、と、それは彼女じゃなくて、ご主人が特に願っていたようですが、待望の女の子が誕生とのこと。ダブルでよかった、よかった♪

 いっしょに働く身としても、同じ女性としても、いろいろ考えさせられることはあったわけですが、ともかくも、やはり、新しい命が誕生した、ということはなんだかとても嬉しいですわ^^ 命というのはこうして受け継がれていくものなのねー・・・って、私がお父さんみたいだ~

 やはりこう、好きな人と結婚して暖かい家庭を築いている女性には、安心して、じゃんじゃん子供を産んで欲しいと思ったりします。働くのは私にまかせなさいって感じ?^^ あー、ほんと、私もできることならお嫁さん欲しい。絶対幸せにしますからっ!(爆)

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2006.03.01

心が疲れた時に思い出す歌

仕事が忙しかったり、人間関係に疲れたり、恋愛で思い詰めたり・・・まあ世の中にはいろいろございます。
そんなときに思い出す歌・・・あなただったらどんな歌ですか?
私は奥田民生の「イージューライダー」。今朝からずっと頭の中でサビ部分がリフレインしています。

歌詞はこちら。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=57944&title=%A5%A4%A1%BC%A5%B8%A5%E5%A1%BC%A1%FA%A5%E9%A5%A4%A5%C0%A1%BC&artist=%B1%FC%C5%C4%CC%B1%C0%B8&ss=%B1%FC%C5%C4%CC%B1%C0%B8&sk=%B1%FC%C5%C4%CC%B1%C0%B8
実は、これ、職場の後輩がカラオケで歌ったのを聴いたのが一番最初です。
聴いて、心に染みてしまいました。

(引用開始)

僕らの自由を 僕らの青春を
大げさに言うのならば きっとそういうことなんだろう

(引用終わり)

私の日常は毎日のほほんと過ぎていまして。
誰の心配をすることもなく、自分の心配だけをしていればいいから、あんまりプレッシャーもないのですが。
ふふ・・・ストレスがあるとしたら、囲碁で連敗をし続けた時ですかねぇ(苦笑)

(引用開始)

幅広い心を くだらないアイデアを
軽く笑えるユーモアを うまくやり抜く賢さを

(引用終わり)

ここがとても好きです。特に「うまくやり抜く賢さを」ここがねー。なんか好きでねー。

(引用開始)

何もないな 誰もいないな
快適なスピードで
道はただ延々続く 
話しながら 歌いながら

(引用終わり)

多分、人生ってそういう感じ^^ 大げさに言うのならばきっとそういうことなんでしょう。

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