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May 2006

2006.05.31

おなかがこわれた~(><;)

 昨夜、就寝中におなかがキュルキュルしだしました。
 寝ぼけ眼でトイレに行ったら、そのまま30分くらい出られず^^; 
 ひっさびさに下痢しちゃいました~
 
 胃腸には自信があるほうなのですが、時々、腸も存在感を示しておかないと忘れられると思うらしく(?)下痢をすることがあります。多分、「もう暑くなって食べ物も腐りやすいんだから気を付けないと・・・大変なことになりますよ?(本当は怖い家庭の医学風)」という警告なのだろうなぁと思います。

 めったにお腹をこわさないので、たまにこういうことになると、お腹に力が入らないせいか、外を歩いていてもフラフラしてしまいます。正露丸も常備してないしなぁ。
 昨夜食べたものの何が悪かったのかしら。普段はあまり自炊らしい自炊をしてなくて、ごはんにスーパーで買ったお総菜ってことが多いのですが、昨日はお弁当を買って帰ってしまいました。あのお弁当がよくなかったかな・・・
 みなさんも、ほんと暑くなってきたのでご用心下さいませ。・・・おっと、またトイレ、トイレ(><;)

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2006.05.30

両立ってそもそも無理なんじゃないか(続き)

 ちゃいさんからのコメントにレスを書いていたらまたまた長くなってしまいました^^;
 この記事は主にちゃいさんのコメントへのレスとなっております。
 ちゃいさん、コメントありがとうございます♪

ちゃいさん:wrote

>『児童手当もあるし、扶養手当もあるし、税金の減額もある』とありますが、正社員で働いてもらえる給与に比べたら、「屁」ほどです。

 扶養手当等があっても、正社員としての給与がはるかにいい、それはそうですよね。

 ただ、
「正社員としての働くのと、子供を育てるのとは両立できないんじゃないだろうか」
「両立できないときに優先するのは子育てなんじゃないだろうか」
「両立できない以上、子育ても仕事も、なんて無理する必要がほんとにあるんだろうか」
 ということです。

 子育てをしている間は、仕事は「子育てしてない人」と同じようにできるわけないし「しろ」とは言えない、というのは前の記事に書いたとおりですが、ということは、その人が正職員でいる限り、何年も、子供のために早く帰ったり、子供が病気になったら休んだり、出張も残業もできなかったりする年が続くんですよね。それどころかやっと復帰しても、またすぐ1年も立たずに産休に入ったりして。

 いっしょに仕事する身としては、
「いつまでこんなことが続くんだろう」
と思っちゃうんです^^;

 子育てしてない人が普通に配置されてる課なら、普通に1人分の仕事が分担できるのに。
 仮に育児休業でほんとにそこにいなければ、臨時で人を雇えるんですが、子育て中の場合は、その人ができない分があっても、他に人を雇うわけにもいかず、結局は周りがその分を、フォローしていかなくてはいけません。

 そこに、
「あなたは独身なんだから(残業できるんだから)残業するのも当たり前よね」
 と言われると
「私だって好きでやってんじゃない。私が忙しいのはあなたたちが普通に働けないからでしょう」
 と口には出せませんが、思ってしまう。

・・・人間できてないよなぁ・・・

 子育て中の人が正社員でいたい気持ちは分かります。しかし、その人の経済的な面やキャリアの為に、そうでない人間が負担を強いられるのってどうなんだろう。
 うーん、でも日本の将来のためには、そのくらい仕方ないのかなぁ。

 ぶっちゃけ、キャリアってそんなに大事なのかしら。経済的な面でもしも十分な支援があれば(と言っても前に書いたとおり、上を見ればキリがない。税金も限りあるから、正社員レベルの収入を税金で保証はできないでしょうけど)仕事しないで子育てに専念出来た方が、女性にとっては都合がいいんじゃないかなぁ?
 結局はお金が一番の問題かな。

ちゃいさん:wrote

>専業主婦世帯より、働いている女性のほうが子供が多い

 これは寡聞にして知りませんでした。情報ありがとうございます。ということはやっぱり、収入に子供の数が比例するのか。

 では、この問題の本質はなんだろう?

 私は子供がいる女性が働くのはどうしても無理があると思ってしまいます。実際、子供を持ちながら仕事をするのは大変なことですし。いい加減にやられては周りにも影響する。だとしたら・・・

 「子供を持つ家庭に、母親が働かないでも大丈夫なくらい、十分な収入を確保する」

 ・・・それができれば、誰も悩んだりしない、って声が聞こえてきそうですが、今の日本がやってることは逆ですよね^^; というか時代の流れが「女性も働く」方へシフトしている。いや、女性が働くのはいいんですが、子育て中の女性もそうでない女性もいっしょくたにして「女性の社会進出」だけを取り上げて、扶養手当が減らされたり、税金の減額がなくなったりするのが変。
 もっともっと「働かなくても子育てできる」世の中にしないといけないような気がします。
 
 もっと言えば、会社で働いてなくても、子育てしてる女性は働いてないわけじゃない。「子育て」という立派な仕事について働いている。もっともっとそれを、社会が認識すべきだし、場合によっては子育てという仕事に対する報酬として、しっかりと社会が母親に対しその経費を支払うという意識にならないと、ずっと、このゆがみは続いていく。少子化だって歯止めはかからないんじゃないかと思います。

 以下は追加の部分へのレスです。

ちゃいさん:wrote

>スローダウンはあくまで制度上のことであって、仕事の中身までスローダウンしてさせて欲しいとは思っていません。

 うーん。正直な話、仕事の中味もスローダウンは仕方ないかと^^; 期限のある仕事とか、出張のある仕事とかはさせられません。だって、本人が休みたくなくたって、いつ休むか分からないし。子供が40度の熱だして、保育園に行かれないのに、それを置いて仕事しろとは言えませんもん。
 土日に出勤したり、仕事を家に持ち帰るのも微妙です。上司からは「休みに出勤するな」と厳命が下ってまして。残業とか労務管理とかで別の問題が出てくるようです。程度の差こそあれ、他の職場でもそんな感じじゃないかなぁ。実際は、今の部署でこっそりやっちゃいましたけど^^; 仕事の家への持ち帰りは、情報漏洩の危険から最近厳しく禁止されました。
 そう考えるとますます子育てと仕事を両立しにくくなってきてるような気がしてきますね・・・

>「子供がいるから頑張れない」なんて言う人はナンセンスです。働く母親がこんな人ばかりだとはおもわないでください。

 もちろんがんばって働いている女性もたくさんいます。妊娠中で具合が悪いのに、無理矢理出てきて仕事しようとする女性の例は書いたとおり。おばあちゃんが居ればおばあちゃんに頼んで、自分は残業をする女性もいます。しかし・・・個人的な努力でがんばれるといっても、それは個人差がある。
 ホントは働かないで子育てに専念できればいいんだよなぁ。
 
 そう思っちゃうのって間違ってますか?^^;

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2006.05.29

自分の中の揺るぎないもの

 なんだか今日は、今朝体重を測ったら昨日より600gも増えていたにもかかわらず、いい気分です。なんでかな?^^

 一方、小説の中の「彼女」は相変わらず、日々悩み中です。
 彼ととりあえず別の道の歩み始めて、仕事もして、毎日は過ぎていくのですが、なんだか生活にどうにもハリがない。新しい出会いを、なんて思っても、昨日の今日、そんなに気持ちを切り替えられるわけもなく。
 今、いっしょに住んでいる、育ての親が
「悩んでるのだったら、よければ話を聞くよ」
 と言ってくれたので、彼女がぽつりぽつりと語り始めるところでは・・・
 今までは、彼との生活をずっと続けていこうとそれだけを考えていたんですね、彼女。すぐ他の人に心を移す、自分勝手な彼と暮らしていくことに、彼女はかなりのエネルギーを使っていました。
 別れたら、そういう義務感からは、すっかり解放されてしまったのですが、なんとなく、
「これから私、どうすればいいんだろう・・・」
 って感じでいます。
・・・どこかに向かっていく何かが欲しい・・・

 と、いうのは「彼女」の悩みなのですが。私はと言えば・・・どうなのかな。まあ別に何に向かっていくわけでもなく普通に生活をしています。仕事して、ご飯食べて、体重測って、一喜一憂して(笑)。平凡過ぎるなぁ。でもこの普通な生活も大事。毎日健康で、一生懸命働いて暮らせれば、何も不満はありません。
 ただ・・・この間、ふと考えてしまいました。10年後。20年後。その頃もまだ私は定年じゃないから働いてるんだと思うのですが、家庭も持たないで、このまま何もしないで生きるにはちょっと人生長過ぎはしないだろうか。
 あと自分の人生が10年しかなかったら、私は何をするだろう?
 毎日やりたいことやってるので、明日、パタッといっても特に悔いはないのですけど。逆に生き続けてしまうことの方が、不安かもしれない。

 ・・・でもまぁ。
 こんな時に、私は、大好きな人と一方的にした約束を思い出します。お互い年をとって愛だの恋だの関係なくなった頃に。またどこかで会って、昔の話をできたらいい。きっと、お互いぼけちゃって、同じ話を何度もしたりするんだろうけど、笑ってそれを聞きながら、いっしょに晴れた日の公園とかをのんびり歩けたらいい。そのためには、健康で長生きしなきゃ。
 そんな日が来るやら来ないやら分かりませんが、そんな夢があるから、私は今日も多分、元気でいられるのかも。

 今日のタイトルは「自分の中の揺るぎないもの」なんていう大層なタイトルなんですが、意識してる人もしてない人もいるでしょうけど、みんな何かしらそんなものを持ちつつ・・・まだない人はそれを探しながら、毎日を生きているんじゃないかなと思います。

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2006.05.28

よい筋と形

 NHKの囲碁のテキストにいつも付録としてついているミニブック、「練習問題シリーズ・基本編・テーマ別徹底攻略」という本をいつも持ち歩き、電車の中などで眺めております。

 今日、中学時代の友人と久しぶりに会い、池袋で食事をしたのですが、その際、お店が混んでいて、外で少し待つ時間があったんですよね。

 友人は待っている間にお手洗いに行き、私は、店の外の、待っている人のために用意されたイスに座って、ミニブックを開きました。

 待つこと数分。友達が戻ってきて言いました。

友「その本、何?」
私「囲碁の本だよ」
友「そうなんだ。私はてっきり、なんか整体とかそういう勉強をしてるのかと思った。だって『筋』と『形』だから」

・・・いや~笑った、笑った。今回、見ていた本のタイトルは「よい筋と形」。なるほど確かにねー。
私は、開いて中身を友達に見せましたが、

私「これだけ見てもなんだか分からないよね?」
友「うん、分からない」

即答でした^^

 「よい筋と形」、けっこうこのシリーズの中でも面白い一冊です。面白いけど、どう面白いのか、囲碁を知らない友達には伝えらない。残念だなぁ~~~(笑)

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2006.05.26

両立ってそもそも無理なんじゃないか。

 「またおめでた^^;」の続きです。
 いえ、レスを書こうとしたら長くなっちゃったので・・・
 職場にいる「お母さん」と仕事について、またいろいろ考えてしまいました。

 はじめさん:wrote
>「母親」にとっては子育てが絶対に第一優先事項のはず。

 そうなんですよねー。
 同じ係の人が妊娠されていた頃、その女性は、逆にとてもがんばっちゃう、人でした。
 妊娠中の体調が悪く、医者からは流産の危険があるからと絶対安静を言い渡されているにもかかわらず、出社してきて、おなかをかばってゆっくりゆっくり歩いているのを見たら・・・仕事があるのは分かってても
「とにかく帰って安静にしてなさい」
 と何度口を酸っぱくして言ったことか。第一優先事項が何かは明か^^;

 子供がいれば、妊娠しちゃえば、結局のところ、職場の戦力とは成り得ない。
 それは、「事実」。

 でも、その事実自体は、女性が恥じるべきことでも負い目に思うことでもないのですよ。私は、妊娠も子育てもしてませんが、同じ職場に働く人間として、
「子供がいるなら子育てを優先して下さい」
「妊娠してるなら自分の体を大事にして下さい」
 と、思います。それは、女性、男性にかかわらず人として、当たり前の感情であって。
 第三者の私もそう思うくらいですから、本人にとっても子供が優先になるのは当然のことです。

 私は・・・

「だったら仕事は、無理して続けるべきじゃないのでは」

 つまり「両立」は、結局は、できないんじゃないかって思うんです。
 女性が妊娠したり、子供育てたりするなら、仕事は、男性や、子育てをしていない女性と同じにはできない。しようとすれば無理しないといけないし、無理して同じに働け、なんて誰にも言えないし、そんなこと言いたくないです。
 ならば・・・いや、どうしても仕事したいんなら、正社員として無理無理に勤務するんでなく、パートとかで時間を区切って働く方がよほど、お互いにとっていいのじゃないかって・・・

 がんばられても、適当にやられても、どっちも困ってしまう。
 今回、おめでたの女性のように開き直られてしまうと、よけいに。

 仮に、男性がもっと育児に協力しても、仮に、保育園がもっともっと充実しても、結局、お母さんが子供を育てることは必要だと思います。特に最近のように、小さな子供が犠牲になる犯罪が増えているような世の中では、やっぱり一番に子供のことを考えてないといけません。それと、仕事と、どっちも、なんて無理じゃないのかなぁ・・・

 もちろん、子供が居ても働かなきゃ食べていけない「経済的事情」がある家庭もあるから一概には言えないんですけど、そのために、児童手当もあるし、扶養手当もあるし、税金の減額もある。お金はいくらあっても、上を見ればキリがないですから、それじゃ足りないって働く人の気持ちは分からないでもないですが、それでも優先事項はお金よりも子供ですよね。
 
 うーん・・・何をどうしろと言うよりは、結局は、やめないで職場にいる以上は
「子供がいるからがんばれません」
 はないよね^^;ってことなのかも~。

 子供がいても仕事をしている女性を、私は応援したいと思っています。もし両立できるものなら、両立できるのがほんとは一番いい。それにはやっぱり、周囲の理解より何より、本人の姿勢が一番大事なのかも・・・おっと結論は当たり前のところに落ち着いてしまいました^^;

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2006.05.25

ブログと「責任」の話

 ブログに関するニュースが、ここ数日の間に二つほどYAHOOのトピックスに取り上げられていました。

杉村太蔵議員がブログで盗用
元日テレの藪本アナ、ブログ炎上

 どちらもなかなか「ブログ」というものについて考えさせられる記事でした。もちろんお二人ともそれぞれ政治家であり、元日テレのアナウンサーでありということで、ココログ風にいうなら「ココセレブ」さんたちだからこそなんですが、ブログの発言にも慎重になる必要があるんだなぁと、思います。

 「杉村太蔵議員」の方は、記事にもあるとおり、ブログの記事が、代ゼミの講師の方の著作からの盗用ではないのか、という疑惑。

 盗作問題というのは、事件の度にいつも複雑な気持ちになってしまいます。今回は特に「ブログ」での盗用、ということですので、今までの「盗作」とは、違うような気もしますし。
 ブログというのは著書や新聞記事とは違い、人に読ませるという意識が多少なりとも薄くなりがちです。盗用だったのかどうか、記事では不明ですが、本人もまったく意識しないままに、ある本で読んだことをまるで自分の体験したことのように書いてしまったとしたら・・・うーん、ありがち^^;
 
 以前も何度か盗作問題についてはこのブログでも触れていて
「物を書くプロならば、自分の書いたものが、自分のオリジナルかそうでないかは、分かって当然。『うっかり混同してしまった』なんてありえるのか?」
 ということを書きましたし、それが物書きが書いたのではなく、タレント本みたいなものなら
「企画、製作する側が、きちんとチェックすべきだ」
 と思う旨を書きました。

 しかし、ブログは。
 物書きのプロではない太蔵議員が、ブログですから、誰のチェックを受けるわけでもなく、思いついたままに書いてしまう性質のもの。
 「雪山に行って死のうと思った」っていう事実自体はほんとなのかな。あまりの寒さに断念したのはどうだろうか。事実にせよそうでないにせよ、こういうのが「盗用」として取り上げられてしまうとは、やはり、議員という立場になったからには、何かにつけ慎重さを求められるということでしょう^^;

 もう一つは、日本テレビのアナウンサーが女子高生のスカートの中を盗撮していたという事件について、元日本テレビのアナウンサー、藪本さんがブログに書いた内容に対し、批判が殺到した、という記事。
 「身内である日テレのアナウンサーの犯罪行為を擁護している」という批判が集中したらしいのですが、ブログに書かれた内容を読むと微妙です。
 「盗撮」という行為の擁護というよりは、一般論として、短いスカートをはいている女子高生がどうなのかなぁという感想なのではないかって気がしますが、まあでも、一般に公開された著作物というのは、読む人がどう捕らえようと、それは読む人の自由なので「擁護している」と感じた人がいても、それは仕方がないというか、もっとも、というか。 
 著者が自由に書いてブログという形式で発表したものが、一般の人に読まれた場合に、どこまで責任が持てるか、そしてその責任をどこまで自覚して、ブログを書いているか、ということかもしれません。

 まあ、普通は誰も「責任」なんてあまり考えずに、テレビの前で、ニュースを見て、「これってどうなのよ」と思ったことを書いている感じなのでしょう。私だって我が身を振り返ればそうかも^^; ブログというのはそういうもので。
 ただ読む方の立場からはそうじゃない。「誰が」書いているかがけっこう重要で。だからこそ、私たちが書くのと、元日テレのアナウンサーが書くのとでは、位置付けが違うわけです。

 物を書く側と読む側・・・
 自分の書いたものが、どう解釈されるか、どう受け取る人がいるか、どんな立場の人が読むのか。
 ブログではなく、作家やエッセイストや記者など、書くことの専門家は、それを予想しながら書くのが普通です。しかし、ブログを書いているのは素人。そこにちょっぴり問題があるのかも。
 素人だから、と許容範囲を広げるのか、素人でも、書いたものに対する責任をとるべきだとするなら、それはどこまでのものなのか。

 私は書くことが好きですが、書くことを商売にするとあまりいいことがないのは、けっこう前から知っていました。まず自由になんて書けない。誰が読んで、どう解釈するのか分からないのだし。でも、それを心配し始めたら、何も書けなくなってしまいます。
 
 ではブログは・・・?
 なかなか難しい問題という気がしますが、私はココセレブじゃないので、あまり心配しなくてもよいかなー(お気楽だ)

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2006.05.24

またおめでた^^;

 今、私と同じ係の女性が二人、産休&育休中ですが、またまた、今度はさすがに同じ係じゃないんですが、同じ課にいる女性に子供ができたとのこと。産休に入るのはしばらく先ですが。

 ・・・いや、まあ子供ができるのはめでたい。日本の将来のためにも・・・
 ・・・しかし・・・しかしなぁ・・・

 この女性も子供、三人目です。三人も子供がいて、それでも働くなんて、大変じゃないのかなぁ?
 実際、今までも残業はできなかったし、残業しなくても大丈夫なような、あまり忙しくない係にいます。
 彼女は、それをどうも「当たり前」だと思っているみたい。
 「子供がいるんだから」ってね。
 当課に配属になったときも、課長に「がんばってね」と言われて「子供がいるから、がんばれません」と言ったとか。
 そこまで割り切ってしまえるということは、周りには何と思われてもその人は構わないのでしょうが、目の前でそういう姿を見せられてしまうと、私自身のモチベーションが下がってしまいます^^; 一生懸命働くのが、ばかばかしくなってきちゃう。同じ女性だから余計、なのかな。

 でも、男性からはそういうのってどう見られているんだろう。
「女だからしょうがない」
ってことになるんだろうか。これじゃあ、メスくさい課とか言われてもしょうがないのかな^^;;;; うう・・・なんかやだ。
 

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2006.05.23

彼と彼女の物語2

 (この話はフィクションです)
  同棲しているカップルの彼の方に他に恋人ができたけれど、
 ○彼は彼女にそれを「理解して欲しい」なんてことを言った
 ○彼に彼女と別れるつもりはないらしい
 ○彼女は彼のことが好きなので、どうすればいいか悩んでいる
 というお話の続きです。

 その後、彼と彼女がどうなったかというと・・・彼女は彼といっしょに住んでいた家を出る決意をしました。で、先日までは
「とりあえず距離を置いて考えてみたい」
 ということだったのですが、その後、いろいろ考えた末に、同棲は完全解消することとなりました。
 どうやら皆様からのアドバイスが効いたようです。

 いや、彼の方が「別れる気がないのにそんなことを言ってるんだろう」というご意見もあったので、本当にそうか、ちょっと試す意味もあったのですが。
 実際、彼女が家を出て行ってしまうと、彼はいわゆる、マッキーの歌じゃないけど

♪きみがいないと何にもできないわけじゃないと
♪やかんを火にかけたけど紅茶のありかが分からない

 状態。彼女をより必要としていたのはやはり彼の方だったようです。

 最初は彼が家を出て行くって言ってたんですけどね。彼女は、それを拒否した。だって、彼が家を出て行って、彼女がその家に留まったままだと、単に出て行った彼を、彼女が待ってる図になって、今までと何も変わらない。そんなのはまっぴらなので、彼女は家を出、とりあえず、彼女、両親はいないのですが、育ての親にあたる人のところに身を寄せることとなりました。
 育ての親も、彼女も大人だから、彼と彼女の関係に口出しは控えていたものの、彼女のことを心配しておりましたので、何も聞かずに、彼女を家に入れてくれました。

 で、彼の方はというと、彼女がいなくなれば、彼女に気を遣うこともなく恋人にも会えるはずなんですが・・・逆に彼女のことがどうしても気になってしまって。予想はつくと思いますが恋人ともうまくいかなくなってしまいます。
 
 彼は、出て行った彼女に会いにいきます。
 とにかく、傷つけてしまったことを謝ろう・・・と。

 しかし、彼女を訪ねてきた彼を(そのとき彼女はたまたま留守だったんですが)育ての親は追い返しました。まだ謝罪を受ける段階でもない。彼が訪ねてきたことは彼女に伝えましたが、彼女はその時、彼と自分の関係を冷静に見つめ直すことができました。

 彼女は、彼のため、彼の人生のために自分の一生はあるのだと決めていた。
 でも、彼は今は他の人を好きになってしまっている。
 だとしたら・・・

 彼のために生きるのではない生き方もあるんじゃないか、と。
 その方が彼のためにもなるのではないか、と。

 そんなふうに考えるのは彼女にとって初めてのことでした。だって、昔、彼に助けてもらったときから、ずっと彼しか見えてませんでしたからねぇ・・・

 そう思った後、彼女は、彼と、きちんと会います。
 彼はその時、「戻ってきてくれ」と言いました。が、彼女は断ります。そして、同棲を完全解消しようと。二人で住んでいた家はもう処分してしまって、お互い別々に暮らそうと言いました。

 で、家を引っ越す日に二人はお互いの荷物を片づけながら、これからどこで働くのか、どういうふうに生活をしていくか、みたいなことを話します。
 彼女は言いました。

「いっしょにいるときはまともにこういう話さえしたことなかったね。私はあなたが家にいないとき、何をしているのか不安で何も訊けなかった。あなたも、私の顔を正面から見られなかった。二人とも何も話せなかったよね」

 振り返ればまさにそのとおりで・・・
 別れると決まってからじゃないと、まともに話さえできない。不安と、不信と・・・探りを入れたり、わざと訊かなかったり。長くいっしょにいればいるほど、お互いが大事になればなっていくほど、本当のことが訊けなくなっていく。最初、いっしょに暮らし始めた時は、当然そうじゃなかったはずなのに。
 真実を言うことが相手を傷つけることもあって。それを庇おうとすれば、お互いに本音は隠しながら、上辺だけの共同生活が続いていくだけ・・・

「いっしょにいた日々の何かが間違っていたとは思わない。だけど、今は離れることが正しいんだと思う」

 そう彼女は言い、彼は黙って頷いた・・・というストーリーになりました。(ありがちかしらん)

 彼と彼女の話はまだまだ続きそうですが、もしちゃんと作品にするなら、ここで第○章終わりって感じです。

 前回、このあらすじをブログで公表してみたことで、彼女は、自分の気持ちを見直すきっかけになったようです。
 前も書きましたが、何度、彼が浮気を繰り返しても、彼女はずっと彼のそばにいて、彼を好きでいることが全てだと思っていまして。いくら別れさせようと思っても、結局はよりを戻すことの繰り返しでした。
 でも、今回は久々にストーリーが大きく動いたかもしれない。
 まだまだ予断は許しませんが、彼女が自分の考え方を変えることができたのは、皆様にコメントをいただけたおかげかもしれません。彼女のためにはこれでよかったと作者も思います。ありがとうございました^^

 ・・・というお話を作っていつも一人で遊んでおります。

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2006.05.22

おいしいものって何だろう

 自分のことを食通と思ったことはないけれど、基本的に食べるのが好きなので、いろいろな店へ行っておいしいものを食べるのが好きです。
 でも、納豆と、ごはんと、白菜の漬物と、おいしいみそ汁。それが一番かなぁ、実は。ノリと卵と焼きたてのアジの開きがつけば、もう、言うことなしかも。やっぱ食通ではないですね、うん。(一人で納得)

 いや、土曜に日本棋院に行った時、市ヶ谷駅の二階にある「TO THE HERBS(トゥー・ザ・ハーブス)」というお店に行きました。土曜はやたら暑い日で、周りの緑は濃く、景色は鮮やか。「TO THE HERBS」は、とてもきれいなお店で、テラス席なんかもあってとてもおしゃれ。このお店、さいたま新都心にもあるのですが、いつも混んでいてほとんど入ったことがありません。
 友達と食事するのに、場所と雰囲気で選んだお店で、どちらも文句なく、いい雰囲気を堪能して満足して帰ってきたのですが、ふと・・・

 「TO THE HERBS」って実はあんまりおいしい店じゃないんじゃないだろうか?

 こんなページをネットで見つけて読んで見ると、実は、私も思いあたる節が大有りだったりします。
 
 考えてみれば、私は「TO THE HERBS」でおいしいものを食べた記憶がなく。この日も「きのこの香草風味」というパスタだったんですが、バジルやカモミール(だと思った)を生でそのままパスタにのっけられても、なんというか・・・うん、おいしくない^^; いっしょにいった友達は、トマトソースのパスタだったけど、おいしかったかな。そっちはおいしかったらいいなぁ。せっかく連れて行ったお店で、おいしくないもの食べさせちゃったらいけません^^; とにかく、私のは、あまりにおいしくなかったので、食後にタピオカ入りのアイスミルクティーを頼んで口直し。ミルクティーは甘くておいしかった。

 雰囲気はいいのになぁ・・・店を出るときは、「また来たいな」と思ったくらい。
 でもおいしくはない^^; そして値段も安くはない^^; (まあそれは場所代かな)

 うーん、たった二回だけ行って、評価するというのもどうかと思いますので、ただ、頼むものをはずしてるだけかもしれませんが、思ったのは・・・

「おいしいものってナンだろう?」

 っていう素朴な自問だったりします。おしゃれなお店で雰囲気を味わうなら、別に食べたものはまずくてもいいのかもしれない。・・・・まずくても? いや、やっぱまずいのは、いけないでしょう^^; 客に出してますからねえ。おしゃれなお店に行っておいしいものを食べた気になっていた、自分を反省しました。
  
 昔、清水義範の小説で「全国まずいものマップ」という短編があったんですけどね。私はその小説が大好きでした。いわく

 「うまいものなんてごくたまに食べればいいのだ。旅の食事の楽しみは断然まずいものを食べることである。そういうまずいものと思いがけず出会うことの豊かさを味わわなければならない」

・・・あ、清水義範を知らない人には誤解を招きそうなので、お断りしておきますが、もちろんこれは、巷にあふれるグルメ雑誌のパロディです^^ でも、おいしいものに出会うことよりも、思いがけずまずいものに出会って、「なんでこんなにまずいんだろう? どうしてそれなのに、こういう店がはやるのだろう?」なんて考えることも、確かに心の「豊かさ」の一つかも(?)なんてね。そう考えると「TO THE HERBS」ってけっこう面白い研究材料だったりするかもしれません。こりずにまた行ってみようと思います。今度はさいたま新都心店が空いてるときにでも。

 ちなみにこの短編は「私は作中の人物である」という短編集に入っています。
 

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2006.05.21

囲碁漬けの休日

 今日は職場の先輩と、私の友人と3人で、日本棋院に行ってきました。
 日本棋院には二階に一般対局場があって、そこで職場の先輩と2局打ちました。
 先輩は初段ですが、今日は4子置きで打たせていだたきました。それで・・・勝ててたら「6級」なはずないのですが、負けました。二局やって二局とも。

 帰ってきてから、igo棋院の囲碁ロボット、ポカぼっとと互い先。このロボットは7級らしいのですが、4局やって4局とも負けました。あれれ、これじゃあ、6級の免状、返上かぁ?;;

 そのあと、今日もZONさんと一局打たせていただきました。互い先で、にぎりで私が白番で打っていましたが、途中で数えてみたらどうも黒がいい。時間もあまってたので、ZONさんといっしょに、目算をしてみたら、ZONさんは白がいいとおっしゃっていました。ん~? おかしいな~ということで、最後までやったら、この対局は半目差で黒のZONさんの勝ちでした。最後に、いらんダメをつめて、一目損したので、それで勝負が決まった。成立しない切りも打ってるし。ケイマを出切りされたときに、抑える方向を間違えて大損してるし。

 今日、その日本棋院の帰りに、先輩と友達と三人でお茶してた時に話をしてたんですが、また、いつものごとく弱音吐きまくり。
「私、時々、何のために碁を打ってるのか分からなくなるときがあるよ~」
 負けて悔しい思いをしても、碁をやめようとは思わないのですが。
 ただ、もう強くなんてならないんじゃないのか、と最近よく思います^^;

 ・・・強くならなくても。自分で納得のいく碁を打って、それで負けるなら仕方ないのかもしれん。

 囲碁を始めた頃、碁は勝ち負けじゃない、ってよく言われました。
 でも勝つと嬉しいし、負けるとどうにも悔しいので、
 「碁は勝ち負けだよ~」
 としつこく思っていましたが、やっと、負けてもいいと思えるようになってきたか・・・

 強くなることや勝つことじゃなくて、きちんと打てればいい。そう思うことにしようかと。
 そうじゃないと・・・なんだかもう打ち続けることがつらくなっちゃうんだもん^^;;;;;;;

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2006.05.19

「筋がいい」とはどういうこと、か?

 NHKの囲碁講座のテキストをずっと買っておりますが、5月号の付録についているミニブックの今月のテーマが、「よい筋と形」でした。
 筋がいい、と言われるのは嬉しいことです。ずっといい筋、いい形の碁が打ちたいと、それを念頭に置きながら打っています。

 しかし・・・筋がいいということは一体どういうことでしょうか?
 どうも、私、よく分かっていないかも。

 たとえば、ある場所で「ハネ」か「ノビ」か迷う場面があるとして。
 「ハネ」が成立する場面であればハネから読むのが、おそらく常道。でも・・・
 その「ハネ」によって自分の形が崩れそうなら、または、ハネたところを相手に切られた時に、後々面倒なことになりそうなら「ノビ」る。こういう時にノビを選択できるのが「筋がいい」ことなのかと思っておりましたです。
 多分その考え方自体は合ってるんだとは思うのですが、私は「危なそう」と思うところでは、あまり読まないで、とりあえずのびたりしておりました^^; それでは碁は勝てません。
 本当に、切られたら手があるのか。
 本当にそのハネは成立しないのか。
 厳しく打っても相手にアジが残る余地がないのに、自分の石の心配ばかりしているのは「筋がいい」とはきっと言いません。またはアジは残すとしても、それ以上に大きな手があるならば、両方は打てないのだから、大きい方を選択しなければ。のぞかれればツギ、オサエに継がれれば自分もツギ、なんてのも基本だろうと思い、あまり考えもせず打ってますが、場合によってはそれが小さいこともある。

 「いろいろある利き筋を保留することが、いい筋です」(ミニブックより)

 ん~?・・・いかん、あまり意味が分からないぞよ^^;
 てか、保留しとくと、結局は打てないことが多いので、すぐ決めたがる。それもよくないんだろうな。

 いい筋ってなんだろう? 分かりますか?みなさま。

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2006.05.18

きみのために今、何ができるか

 明治生命のCMで小田和正さんの歌が流れているのを聞いたことがありますか?
 ちらっと検索したところ「たしかなこと」というタイトルのようです。いえ、今、調べて分かったんですが^^;

(引用開始)

 時を超えて君を愛せるか
 本当に君を守れるか
 空を見て考えてた 
 君のために今何ができるか

(引用終わり)

 やだ、なんだか涙が出てきちゃうなぁ・・・
 ぜひ、歌詞全文を見てみて下さいね。シンプルなんだけど、とても・・・うん、とても・・・

 「君のために今何ができるか」、大好きな人ができてからずっとそれを考えない日はなかったような気がします。
でもいつも、その自問自答の末の答えは

 『私には何もできない』

 でした。片思いでしたしね^^; 何にもならないどころか、相手にとって迷惑になるし、困らせるだけ。思いを伝えても、負担に思われるだけで。相手のために何ができるか、なんて、一番は、「好き、好き」ってしつこくしないことだったりする。まいったなあ・・・

 そんなことを振り返るにつけ、「たしかなこと」聴いてみたいけど、フルコーラス通しではとても聴けないかもしれない(汗)と思う、今日この頃です。
 

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2006.05.17

ロビンソン・クルーソー

 先日、中見盛さんのブログを拝見していて、何かに悩んだり、行き詰まったりしたときに、何かいい方法がなかったかなーと考えていてこんな提案をさせていただきました。
 
 ○自分のいいところを10個、箇条書きにしてみる
 ○自分の悪いところを10個、箇条書きにしてみる
 ○それで、それをじっくりと眺める

 私も、恋に破れた時など(^^;)自分の一体何がいけなかったのだろうと、ついいろいろ考えてしまうときにやってみる方法です。幸いにして、書くことがきらいではないので、書くだけで気持ちが整理できるというか。堂々巡りをしがちな考えが書いてみることで客観視できるのですよね。中見さんは、これを「内観法」ですね、とおっしゃられていましたが、私はこの方法って・・・どこで知ったんだろうと振り返ったら、昔読んだ本の中にあって覚えていた方法でした。
 
 それが、「ロビンソン・クルーソー」。
 有名な話なので、解説しなくてもみなさんご存じだと思いますが、無人島にたった一人流れついて、そこで長いことたった一人で暮らしたロビンソンの話。
 ひとりぼっちで、耐え難い孤独に耐えなければいけなかった彼は、自分で自分の状況を把握するために、この方法を使いました。良かったことと悪かったことを箇条書きにしていきます。

 「無人島にたった一人で流れついて話し相手もいず助けのくる見込みもないこと」

 これは悪いこと。

 「他の人はみな遭難して死んでしまった中で、自分だけは助かってこうして生きていること」
 
 これが良かったこと。

 そうやって自分の置かれた状況を客観視していくことで、ロビンソンはたった一人で長いこと無人島で、自分を見失うことなく前向きに生き抜くことができたようです。

 無人島でたった一人。
 前にも書きましたが、大勢の中にいても「ぼのぼの」のアナグマくんがいうように、やぱりみんな一人ぼっちなのは変わりありません。なので、本当にたった一人でくじけずにがんばったロビンソンの物語は、現代の私達にも勇気を与えてくれる素敵な物語です。
 今の子供達は、ロビンソン・クルーソー、読んだことあるのかな? こうして大人になっても、時に生きていく助けになる本ってあるから、面白くてためになる物語をいっぱい子供の内に読んで欲しいなぁって思ったり致します。

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2006.05.16

三歩進んで二歩下がる

 続くときは続く囲碁話題。

 昨日は久々に、ネットで会えた友達と碁を打ちました。
 負けますた・・・それも26目半。なんですか、その大差は。途中で投げろよ~って感じ^^;

 いや、ショックだったのは、自分でそんな大差だと思ってなくて打ってしまったこと。
 相手の方から見ると、
「なんでそこを手抜きするんだろう」
 というところを、全然自分で気が付いていなかったこと。
 同じ負けるんでも、自分で状況が分かっているならともかく、分かってないで負けるなんて、なんかオカシイぞよ。恥ずかしすぎる~
 終局した碁を見れば四隅全部とられてますから、不思議でもなんでもなく、負けるの当たり前の状況だったりします。
 
 いやー、毎日いろいろな方にお相手いただいて打ってますが、ちょっと勝ったりして、
「少し強くなったのかなー」
 なんて思ってると、すぐこうやってイタイ敗北が待っている。

 ♪一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がる~♪

 一日一歩でもちょっとずつ進んでればともかく、こうして二歩下がってるので、まったく成長の歩みは遅々としております。あ、でも三日で一歩は進んでるかな^^;
 1年365日、普通の人は365歩、進みますが、私はその1/3しか進んでない。初段の前に寿命の方が尽きるんじゃないかとたまに思いますが「最終目標」が初段ですから、たれぱんだ並速度でも長生きしてればいつかは・・・

 ZONさん、またどうぞよろしくね。次回はせめて、自分が負けてるんだか勝ってるんだか、ちゃんと分かって打たなくちゃ。

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2006.05.15

倉橋正行九段、応援してます。

 昨日、囲碁講座の続きでいつも放映されているNHK杯を見ていましたら「倉橋正行」さんというプロ棋士の方の対局でした。
 私はあまりプロ棋士に詳しくないのですが、最近、よく対局させていただいている囲碁友に、この倉橋九段のファンの方がおりまして。
「ほーう、この人かぁ・・・」
 と思いながら、今までは誰の応援というわけでもなく漠然と見ていたNHK杯を、今回に限っては倉橋九段にエールを送りながら見てみることにしました。
 
 ほっそりした方で確かにいい感じかも。
 対局の時の厳しい表情も好感が持てます。

 対局の内容自体についてはプロの対局ですから、あまりどうこう言えませんが、中盤から倉橋九段有利が解説者によって伝えられます。
 NHK杯は持ち時間が決まっており、それを越えると、秒読みに入ります。時間も少なくなってくる中、コウ争いになりましたが、倉橋九段は一歩も引かず、しっかりとコウ争いを続けます。
 そして、コウに勝ち、さらに、相手の小県真樹九段の猛烈な寄りつきにも冷静に対応し、勝ちきりました。

 碁って、やっぱり人間が打ってるから、メンタルな部分も相当影響します。有利なはずの対局も
「勝ったな」
 と思うとその瞬間に緩んで負けちゃったりとかありますよね。
 負けている相手だって必死ですから、一瞬の気の緩みで大逆転ってことが、特にプロ同士なら実力伯仲ですし、十分にあり得るわけで。さらにNHK杯の場合は秒読みもある。
 その中で冷静に打ち続ける精神力・・・若いのに、一歩も引かない強気な姿勢。(かなり身びいきが入ってますが(笑))。確かにファンができるのも分かるなぁ。

 というわけで、いつもは途中で眠くなっちゃう(こらこらこら)NHK杯でしたが、昨日はしっかり目を開けて拝見致しました。

 倉橋九段、しかし次はなんと、天才棋士、趙治勲さんが相手ですよ~
 がんばって欲しいなぁ。次も応援したいと思います。
 
 対局が終わった後。ほんの少しだけ見せた笑顔がまたなかなかよかったです。ね?pgさん^^ 

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2006.05.13

男たちの深い孤独

 この間久しぶりに図書館に行き、
「だいじょうぶ! ひとりでも生きられる!」
 なんてベタなタイトルの本を借りてきました。筆者はドイツのヘルガ・フェルビンガーというジャーナリストです。

 シングル生活に浸っている私の福音となる本かと思いきや、中味をみたら全く違いました。
 この本はなんと・・・離婚をした女性向けの本だったのです~ひぇぇぇぇ~
 結婚もしてないのに、離婚の本、読んでどうすんだ~(核爆)
 まあ、どんな本か興味のある方は、書店とか図書館で探してみてください。

 私は実は、この本の本筋とは違う部分・・・「男たちの深い孤独」という第8章にちょっと興味をひかれました。

 いや、女性はね。きっと一人でも生きていかれるんです。なぜかというと、女性は、自分で自分の心をメンテナンスする術を、身につけているから。
 そりゃ、シングルでいることでいろいろなジレンマもありまさぁな。しかし、私なんぞでも、いっしょに温泉にいく同性の友達もいれば、いっしょに星を見にいくご夫婦の友達もいるわけです。

 が・・・男性はそうじゃない。男性の一人って、どこまでいっても孤独みたいだなぁ。男性にとって、心を開いて慰めや癒しを求めることができるのは、パートナーである妻しかいないみたいなんですよね。女同士の友達なら、いろいろ悩み事とか語りあったりしますが、男同士って、プライドがじゃまして、友達同士でもどーでもいい話しかしない・・・とこの本には書いてあった。
 もちろん、本に書いてあることが全てだなんて思うほど、私も阿呆ではありませんが、男性にそういう一面があるのは事実のような気がします。
 女性よりもすごく孤独だし、結婚したときにパートナーを「中心的存在」だと思い、別れたときにボロボロになってしまうのは、やはり男性(ドイツと日本では多少違う気もしますが)。
 アメリカ、スイス、ドイツで行われたどの調査でも、離婚後、男性は女性よりもずっと早く再婚するか、決まった相手と関係に入るそうですが、それは、男性の方が立ち直りが早いからではなく・・・男性は、やっぱ女性がそばにいないとやっていけないからみたいですねぇ^^;

 こうやって、男性が、女性が、と書くのは「お前も性差にこだわってんじゃねーか」という感じもしますが、私は基本的には、同じ人間だと思うからこそ、理解したいと思っちゃいます。つい自分を中心に物事を考えがちなんですが、向こうには向こうの言い分があるのだろうと。そしてそういう状況を作り出してるものって何なのかなーと。

 人間て孤独なんだよなー。結局のところ、男も女も。
 しかし、それを乗り越えることができる方法、人が人らしく幸せに生きられる方法というのは必ずあるはずなんじゃーないか、と、理想論だ、ガキだと言われつつも、私は考えたり致します。

 本のあとがきに、こんなフレーズがありました。

「相手にのみ向けられた愛は自己破壊と同じであり、一人になること、愛されないことへの不安からきている」
 
 だからその愛と信頼をまず自分自身に向けること。それが大事らしい。
・・・
・・・
 いや、分かっちゃいるけど、けっこう難しいのよねー、それが~ くぅ~(-_-;)

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2006.05.12

男の本音

 昨日は飲み会でした。季節はずれの人事異動があったので、その歓送迎会。
 酒の飲めない私は、本当なら一次会で帰りたいところだったのですが、幹事であることや、送別の主役の一人が仕事の都合上、二次会にしか来られないということだったので、やむを得ず二次会までお付き合いしました。
 二次会なんていうと、みんな酔っぱらって、本音が出まくりになってきます。私は素面で、ニコニコしながらそれらのお話を聞いているのですが・・・いやーなんか、すごいですね。前に書いた、「結婚なんかするんじゃなかった。だまされた」という男性の本音もすごいなーって感じでしたが、今回も。

 私の所属部署は女性が多い課です。私のいる係も女性ばかり。なぜ女性が多いかはいろいろと理由があるのですが、まあそれはおいといて。女性は主婦が多いので、二次会のメンバーは男性比率が必然的に高くなります。
 そこで、ある男性職員曰く。
「あんなメスくさい課は嫌だ。俺も早くかわりたい」
 ・・・メスくさい、ってすごいですわよね。びっくりしてしまいました。女性が多いってだけで「あんな課はいやだ」ってやっぱ男性は思うのかぁ。

 私は以前、自分以外は全員男性の部署に配属になったことも数回あります。
 でもそれはよくあることですし「男性が多い課はいやだ」なんて思ってたら仕事になりませんから~。
 
 本当にこの人がこの部署が嫌な理由は、女性が多いっていう理由だけじゃないのでしょう。内向きの仕事ばかりな管理部門なので、仕事内容が生産的じゃない。その人は、以前は、外向きの仕事でバリバリやっていた人でしたし。私と同じ部署にきたのは左遷ではなく、それなりに偉くなったからこそ、管理部門にもまわってきているわけで、それは仕方のないことなんですが。まあ、でもそんなことは私にも分かるくらいですから、本当は本人も分かっているはず。

 けれど
 「メスくさい」
 それだけで一刀両断。やれやれ、ですな(苦笑)。

 なんていうか、男性と女性という価値観っていうのは、私の職場のように、女性も男性と待遇面ではほとんど変わらず働いているような場所でも、根強く残っているんだなーと思ったり致します。個人のせいではなく、男性の意識そのものが、そういうふうにできているのかもしれません。
 基本的に人間としては、女性も男性も同じだと私などは思うのですけどね。男性も本当はそれを分かっているはず・・・と信じたいところ。
 しかし、やっぱり・・・こういうのを「ジェンダー」というのでしょうか、男性ならこうあるべき、女性ならこうあるべき、というのに、意識的に、または無意識的に、縛られながら生きているのが現状なのだなー。

 私は今回はあきれてしまって、何を言う気も起きませんでした。まあ酔っぱらいですしね。でも一応は、私もメスの一人なんだけどな^^ それを忘れるくらいいっぱい飲んでくれたのなら、幹事としてはみなさんに楽しんでいただけたということでよしとしますか・・・ふふふ・・・( ̄ー ̄)ニヤリ。

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2006.05.11

海外旅行は気力、体力、時の運・・・そしてお金

 5月2日で10年間のパスポートの期限が切れました。昨年は海外にいかなかったので、更新するタイミングを逃してしまいまして。

 海外旅行・・・自分では自覚があまりなかったのですが、けっこうたくさん行ってる方のようです。英会話教室に行ってた頃、「How many times have you been abroad?」とかを基本英会話でやることがあると、まだ一度も行ったことがないという学生と比べると、なんか異常なくらい多い。

 でも、海外旅行というのは、行ける時に行っておかないと、と最近思います。
 気力、体力、時の運、そしてお金。全部がそろってないととても行かれません。
 たとえば家族が病気になるかもしれない。仕事が忙しくなって休みがとれなくなるかもしれない。転んで捻挫して、長く歩くのができなくなるかもしれない。人生何があるか分からない。

 GWに、清里や箱根に行ってきたばかりなんですが・・・気持ちはもう夏休み。今年の夏、またどこかに行けるといいなぁ。具体的なプランが煮詰まったら、パスポートもとらなきゃ。
 世界はまだまだ広い。行ったことのないところ、まだたくさんあります。DQなんかやってると、とりあえず、行ったことのない場所には行っておかなきゃ、なんて気になりますね(笑)。
 

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2006.05.10

結婚はタイミング!?

 男性はどうだか知りませんが、女性が「結婚したいなぁ~」と思うのには、時期があるようで。
 男性の方は、身に覚えがありませんか。
 
 付き合ってる人と、そろそろどうかな~と思ったのに、今一彼女が煮えきらない・・・嫌われてはいないはずだし、ずっと付き合ってんのに、なんでだよ!みたいな。
 そういう時は、多分、結婚したくない時期だったんでしょう、きっと。

 または・・・こっちの方が多いでしょうか・・・付き合ってる彼女がやたら決断を迫ってくる。別に俺はまだいいのにな~みたいな。
 そういう時は、ちょうど彼女が「結婚したい」時期だったのかもしれません。

 結婚してる人に聞くと、この「タイミング」というのは、結構モノをいうようです。別な言葉で言うと「勢い」(笑)。
 思うに、人には、意識できるものとそうでないものがありそうですが、それぞれ、人生に「転機」というのが存在するようです。その転機にうまくはまると、トントン拍子に行くことがあるのかもなー。

 え? 私ですか?(←訊いてない、訊いてない)
 ありましたよー。10年くらい前に「結婚したい」時期。(←10年前かぃ)
 でもまあ、たいてい焦ると、いい結果になどならないものです。ただ焦らなくても結果は同じですけどねー(苦笑)。
 私の知り合いもまだまだ独身女性、たくさんいます。やっぱ非婚率って上がってるなー。たとえば、日本人の30代女性の内、結婚してる人って何%くらいでしょうか?地域によっても違うと思いますが、たとえば、東京とその近郊で調査したら、私の感じだと50%割ってても驚かないですね。もし、そういう調査結果をどこかで見たことがある方がいたら、教えて下さい。
 これだけ非婚者が増えると、独身でいてもなーんも困りません。日本の将来のためにはどうかと思いますが、個人的には、暮らしやすい世の中になってよかったなぁと思います。
 
 もうタイミングは来ないだろうな~。
 いや^^; 来たらどうしようと思ってる内は、なんだか今の生活が「仮」な感じで落ち着かないのですが「来ない」と決めちゃえば、あとは自分の人生をどう悔いなく生きるかだけで。自分が年をとったときに暮らしやすい世の中にしておくために、何ができるか、なんてことを考えてもいいかもしれません。今、結婚してる人だって、女性の方が平均寿命も長いし、女性の高齢者の一人暮らしって増えるでしょうし。

 ただ。結婚はしなくても、恋はいくつになってもできるみたい^^ 結婚はタイミング、では「恋」は・・・なんでしょうね?^^
 

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2006.05.09

poem(45)

「一番遠く」

きみの重荷にはなりたくない
だから会わなくたっていい
会いに来るなっていうなら
会いには行かないよ

忙しい時は忘れてしまっていい
好きな人と居るときもね

だけど
さみしい時には
思い出してもらえればいいんだけどな

一番遠くで
一番最後まで

ずっときみを思っている

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2006.05.08

好きな人にどこまで譲歩できるか

(これは実話ではありませんからね~^^;念のため)

 私の書いている小説のお話の中でのこと。

 ある一組のカップルがいて、同棲をしております。
 結婚こそしておりませんが、ずーっと長いこといっしょに住んでいて、夫婦同然の関係なのですが。
 その内の片割れに、その相手とは別に恋人ができました。
 
 そいつはとても自分に都合のいいことをいいます。
「俺は、ずっとお前のそばにいると約束したよ。その約束を破るつもりはない。だからお前が俺を嫌にならない限り、俺の方から別れるつもりはないんだ。だけど、あいつ(恋人ですな)のことを愛している。お前にはそれを理解して欲しい」

 そう言われた彼女の方は相当悩みます。
 というか、彼女の友人たちはみんな、
「そんなヤツとはきっぱり別れた方がいい」
 と言うんですけどねー。でも彼女はとても彼が好きなのです。

 付き合い始めてから、これまでいろいろ紆余曲折ありまして。彼がそういうタチ・・・つまり、ほれっぽいヤツなのも分かっております。浮気も実は初めてではありません。
 彼にとってそもそも彼女の存在は、「恋人」ではなく「家族」。彼女にとってもまた彼はすでに「家族」です。自分のことを一番分かってくれる、何をしても受け入れてくれる、そういう存在。
 逆に言えば、だからこそ彼は「恋人」を他に作っちゃった上に、それを理解しろ、なんてむちゃくちゃなことを言うわけですが・・・

 彼は、こう言います。
「もしお前が俺との関係をもう続けたくないと思うなら別れてもいい」
 と。
 彼女にとっては二者択一の選択。

 ○彼に恋人がいることを黙認して、このまま同棲を続ける
 ○きっぱり別れる

 もしも、あなたなら・・・どうしますか?^^

 この小説を書いている「私」は、彼女の立場に立つと、とても複雑な気持ちになってしまいます。
 「彼」はもうほんと家族ですからねー。彼のいない生活なんて考えられない。
 彼は、恋人を作ったとしても、いつもの浮気らしい。つまり、彼女を捨てて新しい恋人と同棲する気持ちがあるわけではなく、ただ単に、家族である彼女とは違う、別の存在に恋をしてしまって今はその子に夢中というわけで。
 しかし、浮気と分かっていても、それを理解しろと言われて、おとなしく「はい」なんて言えるわけがない。

 「私」は、一方で、彼の気持ちにもなって小説を書いてもいます。
 彼自身は、まったく二股かけてるつもりはないんです。彼女は彼女、新しい恋人は新しい恋人。彼女は家族だし、別れるつもりはまったくないのですが、でも、今は新しい恋人がとても好きで。
 ずっといっしょにいる彼女のこと、これでも大事にしているのですよ。
 自分はもちろん彼女とは別れるつもりはないけれど、新しい恋人を好きな気持ちも偽りようがなく、もし、そんな自分に彼女がもう愛想を尽かしているなら、別れるしかない・・・そんなふうに思っているわけです。
 やっぱ男の方が都合よく考えすぎてますかねー。
 
 こういう時に。
 彼女の立場になったときに・・・どれだけ人は惚れている相手に譲歩できるものなのかなーと時々考えます。
 彼女としては「別れる」というのは最悪の選択肢。もちろん、世の中、彼だけが男じゃないのだから、別れて別な道を歩むというのが、これが「現実」ならば、相応な決着の仕方なのですが。
 これは小説なので、彼女にとっては「彼」の存在が、唯一無二なんですよねー。

 小説だから、というのは、つまり・・・

 よくある話ですが、昔、彼女が生きるか死ぬかってときに、彼が助けてくれまして。彼女はそれ以来、彼に対する恩を忘れたことはありません。
 その時、この先、何があっても、彼のそばにいようと決めたし、たとえ彼が彼女を恋人としてではなく、単なる家族としか見ていなくても、それで構わないと思っていました。

 しかし、そんな彼女でも・・・どこまで譲歩できるものなのだろうと、物語を作りつつ思います。
 彼が他の誰かに夢中でも、愛想を尽かさずに側にいることって、できるものなのだろうか。
 仮にできるとして、それはやっぱりリアリティーがないのかなー。
 いえ、そこにどうリアリティーを持たせるかってところが、作者の腕の見せ所なのかもしれませんが。

 この小説の「彼」の方は、なんていうか・・・いや、もちろん彼女のこともキライじゃないんですけど、彼女の存在と「恋愛」は別だと思っております。今までも、けっこういろんな恋愛を繰り返してきまして。まあ、そういう男ですから、女性から振られることもしばしば。そんな彼に、果たして彼女は、いつまで愛想を尽かさずに付き合っていけるだろうか・・・というお話だったのか、これ。(自分で言うな)。

 小説のキャラクターとしては、こういう男性を書くのは、けっこう面白いです。
 どこまでも自分本位、どこまでも身勝手、だけどどうしても憎めない・・・そして、何度失恋しても恋に懲りない。そういうところはある意味、すごいと思います。でも現実にいて、そういう男性を好きになっちゃったら、困るだろうなー。
 ・・・なんてね。そんな小説を書いて、いつも一人で遊んでおります^^

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2006.05.06

GW in 箱根

 ゴールデンウィークはどこに行っても混むのですが、だからといってどこにも行かないと、休みが長すぎるっ!
 
 というわけで、かつて出張へ行く時によく利用してたインターネットの旅行予約システム「旅の窓口」(現在は「楽天トラベル」と名前が変わっております。)を使って検索したところ、箱根でまだ空いてる宿がありまして。
 「箱根だっ、駅近だっ、お手ごろ価格だっ!」
 ってんで、あまり施設概要を見もせず、迷わず予約してしまいました。それが、こちら、富士屋ホテル。箱根の宮ノ下駅近くにあるホテルなのですが、明治11年創業、老舗中の老舗、すごいホテルなんですよー。もうびっくり。
 泊まったのは西洋館という建物でして、登録有形文化財指定だという白壁の洋館でした。なんていうか・・・とても趣きのある建物。それこそ、神戸の異人館に宿泊します、って感じです。フロントのある本館もとっても伝統ある雰囲気。磨かれて飴色になった木の柱や階段がなんだかとても懐かしい感じです。メインダイニングも、なんだか大正時代の華族のお屋敷みたい。温泉は、大浴場もあったのですが、部屋のお風呂も温泉が出るようになっていたので、今回は、部屋の浴室の、これも古い洋画に出てくるようなバスタブで温泉を堪能してしまいました。
 こんなホテル、泊まったの初めてです。新婚旅行は海外とかじゃなくていいや、こういうとこに泊まりたいですなー♪(←いつだよ^^;) 新婚旅行じゃなくても、またいつか、泊まりに来たい♪

 箱根、行きは、仙石原の「星の王子さまミュージアム」を目指しました。
 仙石原は、最寄駅からかなり離れたところにありまして、電車で行くと路線バスを利用しないわけにはいきません。GWで超混みの路線バスで長時間座れないことを恐れた私たちは、新宿から仙石原まで直通の、高速バスを利用することにしました。が。
 通常は9時に出発して11時に着くところ、到着したのは1時過ぎ。箱根までざっと4時間かかってしまいました。ひー。恐るべし大渋滞!まあ、ある程度覚悟はしてましたし、バスの中でのんびりしてればいつかは着くのですが、うっかり朝食をろくに取らず、食料も持たずにバスに乗り込んでしまったもので、おなかがぺこぺこになってしまいました。で、ミュージアムに着けば、ミュージアム内のレストランも混んでまして、結果的には、お昼にありつけたのは確か3時くらい・・・思いがけず、ちょっとしたサバイバル気分を味わってしまった^^;

 星の王子さまミュージアムは面白かったです。ちょっと寒かったし、おなかが空いてたせいで、気持ち的な余裕がなかったですが(おいおい)、ここなら、また行きたいなぁ。サンテグジュペリって、冒険野郎だったんですねー。
 貴族の家に生まれながら、飛行機乗りに憧れて、郵便飛行機の仕事につき、砂漠の事務所に赴任して、現地の人と仲良くなったりする。日本には来たことなかったようですが、こんな東の果てに自分の作品のミュージアムができて、日本人が訪れてるなんて、彼があの世で知ったら苦笑するはずです。
 ヨーロッパの町並みを模した屋外の庭園や町並みも素敵だし、屋内のミュージアムのなかなか見るかいがあって、とても楽しかったです。レストランの食事もおなか空いてたせいだけではなく(笑)ボリュームもあっておいしかったですよ。

 2日目は彫刻の森美術館へいきました。箱根に行きたいというのは、今回、同行してくれた友人の希望でもあったのですが、私は昨年「美ヶ原高原美術館」に一人旅で行って以来、箱根の彫刻の森もまた行ってみたくなっちゃっていて。「彫刻の森美術館」を訪れるのは10年ぶり、二回目です。記憶の中の彫刻の森とはけっこう印象が違っている部分もあって驚きました。もっといっぱい彫刻もあったし、広かった気がするんだけどなー。でも、まあ楽しかったです。
 なんていうんでしょうねえ・・・美ヶ原に行ったときは一人だったんですけど。こういう彫刻は、友達と二人で見たほうがやっぱ楽しいです。
「これはナンなんだろうね」
とか。
「こんなタイトルだー。変なの」
とか言いながら(笑)。

 帰りは満員の箱根登山鉄道で小田原へ、小田原からは小田急の各駅&急行で。彫刻の森で歩き疲れた体に立ちっぱなしはちょっときつかったですが、途中で座れたので、なんとか帰ってくることができました。
 
 1泊2日の箱根への旅。いい天気でよかったー♪ 箱根って緑がいっぱいですね。新緑がホント鮮やかで富士屋ホテル内の庭園の散策も最高でした。
 そしてやっぱねー気の置けない女友達との旅はいいわねー♪
 またよろしくね、hosinoishiさん♪

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2006.05.02

ドラゴンクエストⅧクリアしました

「今頃かよ!」
というツッコミは置いておいて^^;
 ドラゴンクエストⅧのストーリーって、ストーリーが進めば進むほど、賢者の子孫と言われる人が死んでいき、悪の親玉の復活を手助けしているようで、どうにも最後までクリアしようという気がなくなってくる展開だったんですもん。
(これ以上、人が死ぬのは見たくない・・・)
 と思い、ゲーム途中でほったらかしにしておきました。しかし、中途半端もちょっと、ということでやっとこさ、クリア。予想したとおり、ストーリーが進行するにつれ、事態がどんどん悪化していくのですが、最後に勝てばノープロブレム・・・って、こんなんでいいのかなぁ?

 終わってみれば、「世界を救い、お姫様と結婚する」。ストーリー的には王道の中の王道。
 昔はこれに感動したんだっけ・・・

 この間、清里に行った夜に、宿にミヒャエル・エンデの「モモ」が置いてあったものですから、お借りして、パラパラとベッドに寝転びつつ読んでいました。その中で、モモが時間泥棒から「お人形」をもらうシーンがあります。そのお人形は、とてもよくできた「しゃべる」お人形でした。でも、下手に喋るから、会話を想像したりしていっしょに遊べない。想像の余地がない。

 もしかしてドラゴンクエストもそうかも。昔に比べると格段に進歩したグラフィック、詳細になったキャラクター設定。逆にそれが想像の余地を少なくしているのかもしれません。
 RPGでも、小説や映画やドラマ、他のどんな作品でも、それを「PLAY」する人たちに、どこまで感情移入をしてもらえるかでその物語の良し悪しは決まってくるような気がします。敵とひたすら戦って勝ってレベルを上げていく。それだけじゃね・・・
 
 でも、昔よりも小さなことに感動できなくなってるのかな。ちょっと、それだけは心配です。

        パサパサに乾いていく心を/人のせいにはするな
                 (茨木のり子「自分の感受性くらい」より)

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poem(44)

思い出したよ
私はこうして生きてきたんだった
人間てみんなしょせん一人なんだし
私はそれで幸せだった

なのに
誰かといっしょの人生を考えてしまったのは
やっぱりきみと出会ったから

似ているところが多過ぎて
もちろん違うところも多いんだけど
それぞれに違う孤独を抱えていて
それがひきあってしまったのだろう

面倒を見てくれる誰かなんて
私には必要じゃない
ちゃんと一人で生きていける

誰かに必要とされなくていい
私の書いたものがほんの少しでも
見知らぬ誰かの心を温めてくれればそれで

私はこの世界で
それだけの小さな存在で
それだけで幸せだった
なのに

「ひとりじゃないかも」
って思っちゃった
つまりそれが恋っていうこと

きみが大好きだよ
今この瞬間も泣き出したいくらい
きみのことが大好きだけど

・・・思い出したよ
私はこうして生きてきたんだった
きみと出会うまでずっと一人で

だから
きみが遠くにいってしまっても
もう誰も愛さなくても
ちゃんと一人でやっていける

きみを好きになってから
長いことすっかり忘れていたんだけど

やっと・・・本当にやっと今
思い出したんだよ

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2006.05.01

いい打ち手になりたい

 昨日は、この前に書いた記事のようなことがあったので、どうにも気持ちが落ち着かず、
「誰か知り合いの人と打ちたいよぉ~」
 と思いながらネットを彷徨っていました。
 そうしたら、以前対局させていただいたことがあるJunoさんと、Junoさんの先生であるmasuichiさんの対局があるとのことで、それを見学しに伺いました。見学しながら
「あ~、私も打ちたいよぉ~」
 と思っていたところ、そこにいらしていたgoodspeedさんとおっしゃる方をJunoさんからご紹介いただき、対局していただくことになりました。やったね♪
 goodspeedさんとは二子置きで打たせていただきました。途中経過は割愛致しますが、昨日は私が2目差で勝たせていただきました~うれしい~。

 中盤の折衝で中央に大きな白地を作らせてしまいヘボぶりを披露してしまいましたが、その他のところは、要所を逃さず打つこともできて、いつも教えていただいてる師匠にもほめていただいたし、良い対局ができて良かったなぁと思います。

 囲碁って。良い相手と打つことができると楽しいな、って思えます。
 結婚相手もそうですが(こらこら、同列で語るんじゃない)やっぱね~、相手は誰でもいいわけじゃないわね(爆)。

 無理な手やあり得ない手を打たれて、それをとがめられないでボロボロになって投了の憂き目に遭うと、自分のふがいなさに嫌気がさすし、碁が嫌になる;; 仮にそれでそういう相手にがんばって勝っても、相手が席を立って帰って来ないんじゃ、なんだかな~です^^;
 
 私は、本当にまだ弱いんですけど、少なくとも自分は、相手にそういう嫌な思いをさせるような打ち手にはならないようにしたいです。無理な手で勝っても、それは本当の実力じゃないし。相手がもっと上手なら、所詮は通用しないんだし。下手と打つときだってちゃんと碁を打って勝てればいいし、それで負ければ、相手が下手じゃないということだし。
 もちろん・・・趙治勲さんみたいな天才は、凡人に見えない手が見えてしまうから、無理も無理じゃないんですけどねー。おそらく私の打つレベルくらいでは、成立しない手はやっぱり成立しないのではないかしらん。
 
 先日pgさんとおしゃべりしていたときに思ったのですが、私が弱いのは、定石や「良い形」ということの本当の意味を分からないで、打ってるからなんじゃないのかな~と。だからといって、定石や良い形にこだわらずに打つ・・・んじゃなくて、ちゃんと理解できるまで、何がどうして良くて、何がどうして悪いのかを考えながら、やっぱりこれからも「良い形」を打っていきたいなぁと思ったり致します。
 それにしても、「本当の意味」もねー。普通だったら、いい加減、分かれよって感じなんですけどねー。子供なんかは自然と、理解しようとしなくてもきっと分かっちゃうんだろうな。大人だって、分かる人は直感で分かるんだろうし。
 3年以上やってて、散々教えてもらってもまだ分からないって、やっぱ、「あったま悪いなー、自分」って感じですし、碁にも「向いてねーなー」って思いますが・・・ま、こりずに、がんばろうと思います^^
 
 これをご覧になってる皆様も、またどこかでお会いできましたら、対局して下さいねー。

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