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July 2006

2006.07.31

「ゲド戦記」を読みました。

 子供の頃からファンタジーが大好きで。さまざまなファンタジー小説を読んできましたが、「ゲド戦記」は名作、との噂を聞きつつ、今まで読まずに来てしまいました。映画が公開されるという今頃になって、やっと購入。読んだのは一作目、「影との戦い」です。
 
 う~ん。普通、ですね^^;
 
 なんと言えばいいのか難しいのですが、ファンタジーでは全てが「よくあること」。
 自分の影の部分と戦うという展開もそうならば、ゲドが影を呼び出してしまう経緯も目新しい展開がなかった。まだ、ハリー・ポッターの方が、定石をはずしてるところもあって面白かったかも。
 でも逆に、私が読んだ今までのファンタジーが「ゲド戦記」の亜流だったのかもしれませんので、「ゲド戦記」の価値は確かにあるのだと思います。「ナルニア国物語」もそうですが、つまり、これが「ファンタジーの常道」。水戸黄門だと思えばいい。

 ちょっと期待し過ぎちゃったかな^^;
 もっと、今までに読んだことのないような、すごい話なんじゃないかって。
 そんなことはなかった^^;
 せめてもう少し若い内に読めば違ったかなぁ。

 ただ、一つだけ思ったこと。
 「カラスノエンドウ」という、ちょっと武骨な、ゲドの親友がいまして。ハリー・ポッターと同じくらいに魔法の天才と言われるゲドに比べると、ごく普通の魔法使いなんですけどね。ファンタジーだろうが、リアルだろうが、どんな世界にもカラスノエンドウのような人は必要で。
 私は、とっても平凡な人間なので、ハリーにもゲドにもなれませんが、カラスノエンドウみたいな人にはなりたいなぁ、なれればいいなぁと思いました。 

 ・・・そうか。今、ふと思いました。
 「ゲド」という人物があまりにも「普通」なんですねー。
 功名心があって、妬みや憎しみがあって。なんで先輩の「ヒスイ」の冷笑を受け流せないのやら。カッとなってキレるし、何も教えてくれない師匠には不満だし、分かりやすいったら。で、影を呼び出しちゃって大けがをしてからは、怖くて逃げ回り、近寄っちゃ行けないと言われてるところに自分から近寄り、手痛いしっぺ返しを食って、自分から縁を切った師匠のところに舞い戻る。アホじゃないか、と(笑)。なのに周りの人はけっこう、ゲドに優しい。学院の先生も、師匠も、親友も、ゲドを迎えた村人も。でも、ゲドはそれに感謝しているんだかどうだか。・・・ったく自分一人だけが苦労しているような顔をしちゃってさー(爆)

 考えてみればここまでかっこ悪い主人公って、ファンタジーには珍しいかもしれません。
 なんだか後世は「ゲド」って偉人になるらしいのですが、「影との戦い」では、徹底して情けない姿に書かれているます。「ゲド」って聞くだけで、えらい人なんだと、読み始めた最初から先入観で読んでるから(だって映画だと菅原文太が声をあてるようですし)、思ったよりもかっこよくないゲドに幻滅してしまったのかもしれません。
 
 この普通っぽさ・・・もしかすると「ゲド戦記」って、そんな「普通の人」の物語かもしれない。
 なんだかそう思ったら、「普通」よりは面白いような気もしてきた。これから読む人は、ゲドのダメダメぶりに注目して下さい。ツッコミ入れながら読むと面白いかもしれませんよ。

 さて、ちなみに。ジブリのアニメによる映画もすでに公開されています。
 ・・・公開レビューを見てみたら酷評の嵐でした。あらら^^;

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2006.07.30

風の精ルーラさん、おめでとうございます♪

 今、タイゼム囲碁というネット碁会所で、囲碁ブログ界で腕に覚えのある強豪5人の方が「わ・リーグ」というリーグ戦をしています。

 わ・リーグについては、pgさんのブログnipparatさんのブログをご覧下さい。

 出場選手は、みんなすごい方ばかりで、囲碁歴3年半で未だ6級の私から見るとほんと雲の上って感じの方々なのですが、ブログなら、別に囲碁の実力に関係なく拝見できるので、せっかくですから、わ・リーグの出場者の皆様のブログをちょこちょこ拝見させていただいておりました。

 中でも読み応えあるのが、風の精ルーラさんのブログ。読んでる内に応援したくなってきちゃいました^^
 その上、弁護士志望のルーラさんは、わ・リーグで一勝もできなかったら、メンバーの顧問弁護士を一生勤めるという罰ゲームがあるとのことで。これは負けられません。

 ちまたではわ・リーグ主催者nipparatさんと超有名ブロガーosama先生の一騎打ちとも噂されているようなんですが、強いのはnipparatさんやosama先生だけじゃないっていうのを見せ付けるためにも! ぜひともがんばってほしくて、昨日と今日は、風の精ルーラさんを応援しながら、わ・リーグの対局を観戦しました。

 昨日は、「ルーラさん vs nipparatさん(現在、リーグ戦全勝中)」の対局。惜しかったなー。序盤の攻防は、素人目ですが、黒番のルーラさんに有利な展開であるように思えました。後半まで、ほんとどうなるか、手に汗握る展開で。でも惜しくも昨日は白番nipparatさんの勝ちでした。

 今日は、「ルーラさん vs osama先生(同じく全勝中)」。
 私はネット碁を見ながら、自分でも碁盤を出してきていっしょに並べてみました。ルーラさんは昨日に続き黒番。今日は・・・勝ちましたよ~♪ やったね、ルーラさん♪
 黒、昨日とは違い序盤は、苦戦ぽかったんですが、最後見渡してみると白地が意外と少ない。目算が下手な私でも、「これは勝ったかも♪」と思って、終局結果を待ったらやっぱり勝ち。嬉しかった~♪。

 これでとりあえず、罰ゲームはなしで。まだnipparatさんに一敗してるだけだから優勝だってあるかも~。風の精ルーラさんには、これからますますがんばって欲しいです♪
 

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2006.07.28

努力に報いるのは金じゃない(続き)

 今朝のニュースでも、消費税率、もう上げるしか手がない、みたいな世論になっていますが、ホントにそうなのかなぁ。低所得者によりきつい負担が強いられているような気がしてなりません。

 皆様、「努力に報いるのは金じゃない」の記事にコメントありがとうございます。
 コメントにレスしようと思ったら、長くなっちゃったので、記事にしますね。

 たとえば、10億稼いだ人がいたとして、
 その人が7億5千万円、税金で持って行かれるとします。
「そりゃおかしいだろ」
って10億稼いだ人は思うかもしれない。自分の子供に残そうとしても、相続税でまた税金がとられますし。俺が稼いだ10億なのに、なんで?って思うかもしれない。

 しかし、その10億は、全部自分だけの努力で一人で稼いだものなのだろうか?
 自分の稼ぎが全部自分一人のものだと思うから、
「なんで税金で半分以上も持っていかれなきゃいけないんだ」
 って思う。
 でも、それって、商売なら、買ってくれた人、商品を作ってくれた社員、スポーツや芸能なら、応援してくれた人、
 そういうみんなのおかげで10億稼げたんじゃないかなー。
 ・・・ということが、トラックバックしていただいた、ぐーたんさんの記事にもありましたね。

 ちゃいさんが書かれている、ペ・ヨンジュンさんなどは、それを分かっているから、寄付をしようって考えてくれるんだと思います。金持ちはそうじゃなきゃいかん(笑)

 「努力した人が報われる」
ということで高い収入を得る人とそうでない人がいる現実自体は、ある一定程度までは当然だと思うのです。

 HR-Millerさんがおっしゃるように、たとえば、年収2000万もらってる会社のトップは、年収200万の一般社員よりもリスクを背負っているのかもしれない。スキルもあるのかもしれない。それは、努力で勝ち得たものかもしれない。そのこと自体を否定するつもりはありません。

 ただそれが億とかになると、なんというか・・・

 少なくとも。スキルがありリスクを負ってる会社の社長だったなら、その利益を自分一人のものにしたりしないで、会社を大きくしたり、事業を拡張することにお金を使うと思うので、それは「経費」となり、所得税の課税対象からははずれるんじゃないかしら。
 何億円って利益が個人の所得となるのなら、それはまっとうじゃない。
 月収何十万円の世界で暮らしている大多数の人にとっては、想像もつかない世界なんですよね。高額所得者の世界って。

 仮に月収30万の人が半分の15万も税金が引かれたら大変です。
 しかし、300万の人が150万引かれたってまだ150万あるんだから、住むところにも食べるものにもに困らないはず。いや、俺は都心の億ションに住んでいるし、いい車にも乗っているから、300万、生活するのに必要なんだ、という人がいれば、それは30万で生きている人との「格差」です。同じ日本で、それほどに差があるのは何かがおかしい。

 つまり、仮に税金として50%引かれるとして、まるで月収30万の人が15万引かれるかのように
「ほら、おかしいでしょ? 所得税率高過ぎでしょう?」
 というように説明されるのは詭弁だと私は思います。

 そして、一番詭弁だと思うのはやはり「努力した人が報われるようにしよう」というこの言葉。

 pgさんがおっしゃるように、日々、歩合性で収入を得ている人は、自分の努力が収入に反映しているのを実感しているから、一番、そう言われると「そうだよなぁ」と思っちゃう。
 しかし、何億も稼いでる人は、多分、こつこつと自分の努力で稼いでいる人とは次元が違う世界にいるような気がするのですよね。

 格差社会とは、一方に金持ちがいて、一方に日々の生活にも苦しい人達がいるということ。かっぱさんが書かれていたとおり、金持ちの処にはさらに儲け話がくるかもしれませぬ。
 それが全て「努力」の結果なのか?と。
 日本はそんな社会を目指しているのかしら。みんな、そんな社会でいいのかしら。
 一握りの成功者と大多数の低所得者なんて社会より、みんなが中流の方がいいと思うんだけどな。
 このままだと、「稼いだ」人間だけが立派で、金にならない努力をしている人は馬鹿だってことになっちゃう。私はそうなるのが一番嫌なのです。

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2006.07.27

努力に報いるのは金じゃない

 今朝、朝のワイドショーを見ていたら・・・
 今、日本では「格差」というものが問題になっていて。格差の是正にはどうするのが一番いいだろうということで、所得税の見直し、って話が出ていたんです。

 ちょっと前の日本では、たくさん収入がある人は、大変高い税金を課せられていたそうです。テレビで言っていたところによると、収入に対して最高75%の税率だったとか。つまり稼いだ金の半分以上も税金で持って行かれる。手元に残るのはたったの25%。それではあまりにも・・・ということで、現在は最高でも37%(平成19年以降は40%)になっているんですけど。格差の是正を考える上では、所得税率も見直しが必要かもしれません。

 その時、コメンテーターの人が言いました。

「所得税率を上げて金持ちからたくさん税金を取るような仕組みだと、努力した人が報われないことになってしまう」

 ・・・う~ん・・・
「努力した人が報われない」? 私はこれに引っかかりを感じました。

 いや、その・・・言葉自体は正しいのです。
「努力した人が報われる」社会がベスト。「努力した人が報われない」社会は間違ってる。
 そりゃそうなのです。しかし。

 ぶっちゃけ「金持ち」って努力してるんですか? 貧乏人は努力してないんですか? そんなことないでしょう。

(この先は極論かもしれません。お目汚しになったらすみませんm(_ _)m)

  たくさんの収入がある人は、努力してその収入を勝ち得ているのかというと、とてもそうは私には思えません。
  株でたまたま大当たりをした。人件費や材料費を買いたたいて、売上げに対し、高い利益を上げる仕組みを作った。人件費の安い海外に工場を作って、その分利幅を増やした。
  もちろん、それが商売ですから悪いとは言いません。しかし、「たくさんの金を得る」ことは必ず他に犠牲を強いて成り立つ。大金持ちなんて、まっとうな商売をしていたら、普通はなれない。

 抜け目なく、あこぎにやれば儲かる。株だって、たくさんの情報を自分で分析し、時には損も覚悟しつつ、勝負に出た結果、大当たりすることもあるでしょう。でもそれって「努力」なのかしらん。

 「努力」というあいまいな言葉のイメージは、時として誤解をされやすい。
 
 もっと分かりやすい例で言えば。
 プロ野球やサッカー選手で何億も稼ぐ人がいる。もちろんその人は、それ相応の努力をしてきたわけです。たくさんの収入があるのは当然でしょう。
 でも、同じだけの努力をしたって、プロになれない人もいる。結果を出せない人もいる。つまり、何億円も稼ぐ人がなぜそんなに収入が得られるかっていうのは、努力ではなく「才能」や「運」によるところが大きい。私はそう思うのです。

 たとえば、あるところに、美味しいラーメンを出すお店があるとします。
 その店主は、客に美味しいと言ってもらえるラーメンを作りたくて、努力をしている。いい材料も使ってる。でも材料に金をかければ、1杯600円くらいでは、元をとるだけでカツカツだったりするかもしれません。朝早くから夜遅くまで働かないと、家族を養うことも難しいかもしれません。でも美味しいラーメンを作るのは店主のプライド。客に喜んでもらうことが目的であり、商売をする理由。金儲けじゃない。

 たとえば、世紀の大発明をした技術者がいる。長い間少ない研究費で研究を重ね、その努力が実を結んだわけです。彼の発明を元にした製品は世の中を変えました。しかし儲けたのは会社で、彼には、普通の会社員なみの給料しかなかった。会社が儲けたからちょっとボーナスは増えたのでしょうけど。

 努力というものはそういうもので。所詮、努力って、それをしたからって金が儲かるもんじゃない。
 でも、そのラーメン店はずっと地域の人に愛されていくはず。世紀の発明をした技術者の名前はきっと後世まで残るはず。がんばったけどプロになれなかった野球選手だって、その後も大好きな野球をまた別な形で続けていくかもしれない。努力で報われるのは金じゃない。金がなくたって、努力した人は、周りに愛されるし、尊敬を受ける。それが努力に対する報いというものなんじゃないかな。

 「努力した人が報われるようにしよう」
 なんて言って、金持ちを優遇し、その分の負担を、同じ努力をしても収入に反映されてない人に押しつけるのはどう考えたっておかしいです。何億円もが一人の野球選手の収入になるなら、同じお金で、子供達がもっと野球に親しめるように、スポーツ施設を整備した方がいいかもしれない。つまり税金ってそういうことですよね。

 アメリカの超大金持ちが、多額の寄付をした話がありましたっけ。本当の金持ちには、「金」の意味が分かってると私は思います。私が知ってる弁護士さんは、ロータリークラブ(国際親善と社会奉仕を目的とする、実業人・専門職業人の国際的な社交団体)の役員をやっていました。
「日本にもこういうお金持ちがいるんだな~」
 とびっくりしました。
 そんなふうに、本当の金持ちの人達が、同じ社会貢献をするんでも、無駄遣いが多い「国」に税金として払うのはよしとしない、というなら、それは一理あります。

 だから、国ももっとしっかりしないといけません。財政破綻を防ぐために税率を上げるなら、いろんな議論を尽くして、国民にも説明して、使い道もちゃんと見直して・・・努力した人が、本当の意味で報われる、そういう世の中になって欲しいです。

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2006.07.26

「テルーの唄」

 この夏のジブリの映画、「ゲド戦記」がもうすぐ公開で、最近本屋にいくと、ずっとこの「テルーの唄」がかかっています。初めて映画館の予告で聞いた時から、とても印象的な歌でした。歌の冒頭は、アカペラで歌声だけで始まります。

 昨日、レコード店(今はレコードって言わないか。CDショップ?)へ行って、この「テルーの唄」のCDを購入しました。みゆきさんと同じでYAMAHAのCDなんだなー。

 買ってみて初めて気が付いたんですが、このCD、500円なんですね。やけに安いと思ったら、それで「テルーの唄」一曲しか入ってなかった。アカペラ部分があるからか、よくある「カラオケ」さえなし。カップリング曲も当然なし。この一曲勝負のCDなんです。びっくりしましたよ~

 ジブリの映画の曲は、「千と千尋の神隠し」の主題歌が大好きでよく口ずさんでおります。トトロはCDが二枚(サントラ&イメージアルバム)あるなぁ。その他、インストルメンタルのジブリ音楽特集CDとかもあって。ナウシカは、実は当時LPでサントラを買いました。時代が分かる・・・。 

 「テルーの唄」はいい曲です。あの淡々とした歌いぶりがまたとてもいい感じ。映画でどんな場面で使われるのだろう・・・ちょっとどきどきしてしまいます。かかった瞬間に泣いてたら、どうしよう(爆)

 ちなみにCDを買ったあと、ゲド戦記の原作本も買いに書店へ寄ったら、なんと、ゲド戦記の1巻「影との戦い」はどの本屋でも売り切れでした(一番安い岩波書房の1050円の版のです)。仕方なく、私はハードカバーのを買っちゃいましたよ^^;

 ゲド戦記、名作らしいですが、ファンタジー好き&読書好きな私も、今まで縁がなくきてしまいました。
 これを機会にまず、映画を見る前に原作を読んでみようと思っています。
 読んだらまた当ブログでレビューしますね。

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2006.07.25

好きなものについて語るのは難しい

 私はいがらしみきおの「ぼのぼの」という作品が好きで、たまにこのブログでも言葉を引用したりしております。基本的にファンなんですよね。大好きなんです。・・・え? なんでしつこく強調するのかというと・・・

 どんなに好きなものでも「好きだけど、ここはちょっと」みたいなのってありませんか?

 先日、あるホームぺージでちょっとそのことを書いたら、
「だからってあなたが(こういう作品を)書けますか? 書けないでしょ」
 と言われてしまいました^^;
 その昔、やっぱりあるコミックが大好きで、そのファンサイトの掲示板に感想を書いたことがありました。その時も、「そんなに納得いかないんだったら読まなきゃいい。文句言うなら作者に言え」って言われたのを思い出しました(汗)。
 
 好きなものについて語るのって、簡単なようで、案外難しい。
 語りたいという欲求は当然あっても、「好き」の気持ちは千差万別、そしてそれが「感情」に基づくものである以上、たとえば自分が好きなものに対して「それはちょっと」と言われた時の感情的な反発は、リスクとして常につきまとうものです。そのリスクは覚悟してでも、一歩踏み込んで語り始めなければ、きっと、本当に、大好きなものについて、いろんな人と意見交換をすることなんてできないのだろうな~

 でも、ネットでは、こういうことは「よくあること」で。
 分かってたから、あまりそういう「ファン」サイトには近寄らないようにしていたのに、ついまたやってしまいました^^; こりないなぁ、私も。好きも嫌いもやっぱり自分のブログで語るのが無難のようです。たまには「これは嫌い」とか書いちゃう時もありますが、寛容な気持ちでこれからもお付き合い下さいませm(_ _)m

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2006.07.24

祖母の墓参り

 東京のお盆は、8月ではなく7月です。お盆は過ぎちゃいましたが、昨日、一人で、母方の祖母のお墓参りに行ってきました。祖母のお墓は東京の上野にあります。上野はいつも電車の乗り換えに利用しているのですが、法事の時くらいしか行ってなかったな。

 お墓参りに行くのに、一人、というのは、実は初めての経験です。お盆を逃したせいもあるのですが、これは、自分が結婚してなくて、家族がいないせいでしょう。もし家族が入れば、自分の子供の二人でも引き連れて、
「ひいおばあちゃんに、なむなむ、しなさい」
 とか言うなら格好が付くんだろうな。
 でもこの年でまだ独身だからしょうがない。墓参りくらい、一人でいけないでどうする。

 私の母も7年前に病気で亡くなっています。母の墓参りには父と毎月、行くようにしています。しかし祖母の墓参りは全然行ってなかった。私が赤ん坊だった頃、病気がちだった母に代わり、面倒みてくれた祖母だったのに~。
 
 母方の祖父ももう亡くなっていて、同じお墓に入っているのですが、母や祖母が生きていた頃は、墓参りはその代の仕事、という意識があったような気がします。しかし、もうその祖母もいない。だとしたら、墓参りは、すでに自分の代の責任なんですよね。気付くの遅すぎるかな・・・

 線香とお花を買って、お寺に向かいます。
 幸い、母には弟が二人いて、上の弟は独身ですが、下の弟の子供は男で、結婚して子供もいます。このお墓は彼らに引き継がれそうです。私は自分の実家のお墓の心配があるのですが、とりあえずここは大丈夫ね・・・

 お墓について、お花を手向け、線香を立てる。墓の周りのごみを拾って、ゴミ箱へ。
 祖母が亡くなったのは平成16年。2年前です。今年は三回忌か。2年前なんてついこの間だ・・・
 そう思いながら手を合わせます。

 時代はこうして移り変わっていくのだなぁ・・・
 お墓を後にしてしみじみ思いました。

 一人暮らしが長くなりますと。
 なんとなく、頑固になる、というか、一人で何でもうまくできている、という驕りや嫌み、みたいなものが知らない内に身に付いてしまうような気がして。周りに対する配慮、とか何気ない気遣い、みたいなものに無頓着になってしまってはいけない、と自省したりします。

 一人で生きているわけではない。
 祖母がいて、祖父がいて。そうして、今の自分がここにある。
 当たり前のことなんだけど、つい忘れそうになっちゃいます。
 ・・・忘れたくないなぁと思う。この先ずっと一人で生きていくんだとしても。
 周りの人のちょっとした気遣いや思いやりに感謝できて、そして、それを少しでも周りに返していけるようになりたいなぁ。なれるのかなぁ。

 自分にも、何年先か何十年先か分からないけど、確実に死は訪れます。でも、それまでに。いろんな人と出会って、その出会いを大事にして、生きていきたい。

 私は昔から、自分のことを「その他大勢」だと思って生きてきました。「その他大勢」だから、きっと何も残さずに死ぬんだろうな~。すぐに忘れられちゃうだろうし。ただ、それでも「生きる」ということはそんなに悪いことではありません。楽しかったこともたくさんあったし、きっとこれからもあるんだろうと。根拠はないけど^^

 ともあれ。自分が生きている限りは、自分の祖母のことを忘れないでいようと思った、墓参りの1日でした。

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2006.07.21

『可能性は0だ』

 この記事はRuccaさんのブログの記事にトラックバックをしております。興味のある方はリンク先を一読されたあとこの記事をご覧下さいませ。
『可能性は0だ』
 このタイトルの言葉は、Ruccaさんのブログによると、漫画家の槇村さとる氏が、ある作品で、主人公が親友の婚約者を好きになってしまい、片思いにピリオドつけるために告白をする・・・という設定のときに、その告白を受けた相手の男に言わせたセリフだそうです。

 うん。自分が憎まれたり、嫌われたりするのを覚悟で、こういうセリフをきっぱりと言える男はかっこいいですね。
 しかぁし(爆)。
 フィクションならそう思えます。けれど自分が当事者だったら・・・

 いやぁ、誰だって、憎まれたくも嫌われたくもないですものねぇ。なるべくなら相手も自分も傷つかずに終わりにしたい。そう思ってしまうのが人間なんですよねぇ~~~

 おそらく、現実がそうだからこそ「可能性は0だ」ってきっぱりと告白を拒絶できる男はフィクションの中にしかいないし、仮にいたとしても・・・それがかっこよく見えるのは、フィクションの中だから、なんだろうな。

 もし自分が告白して、そんなこと言われたらショックで立ち直れない;;
 いや、今、好きな人には、他に好きな人がいて、私については「恋愛対象としては見られない」と言われましたから、限りなく「可能性は0」と言われたに等しいのかもしれませんが・・・←おいおい^^;

(Ruccaさん:worte)
 でも『もう少し早く出会っていたらよかったのよ』と自分で自己完結してしまい、一生来世を夢見る少女のままでいてしまう人もいるかもしれない・・・(つД`)まあそれはそれで幸せなら良しなんだけど。

 ・・・ぎくっ^^;;;;;;;
 これって私にも言えるのかもしれません~~
 
 まあ、さすがに来世は夢見ませんけど、なんというか・・・
 私は、元々、超奥手で、本気で人を好きになる、という経験をしたのがとても遅かったんですよね。
 
 けれどどんなに遅くても・・・

 世の中で「本気で好きになることができる相手」と出会える確率というのは、もしかするとそんなに高くないかもしれないと私は思うのです。
 そしてそんな相手、そう何人もいるわけがない、とも。

 『早く出会えばよかった』とは思いません。『来世でもう一度』とも思わない。
 この一回きりの一生で、自分が心の底から「好きだ」って思える人と出会えてよかった。だから、可能性が0だとしても、嫌いにはならないし、好きでいることはやめないと思います。この先、何年経っても。

 これって自己完結してる、ただのアホですかねぇ~~~(苦笑)

 ・・・まあその。

 結局は、何が幸せかってことなんだろうなぁと思ったり致します。もしも、心の底から本当に愛し愛される人と巡り会い、結婚し、子供を持ち、家庭を作ることが幸せなら、可能性が0の相手をずっと好きでいることはアホ以外の何物でもないのですが。

「心の底から本当に愛し愛される人と巡り会う」

 なんてこと自体が「少女マンガじゃあるまいし、あるわけね~やん」と最近の私は思います。
 もちろん、巡り会った人もいて、それは素敵なことで、世の中の人が一人でもそうなれればいいやね~、と思いますが、そううまくいくばかりが恋愛ではなく。多分、恋って可能性があろうがなかろうがするときはするのでしょう。結果を考えて臆病になっていたら、この世の中の誰も愛することはできないもの。そうなるよりは、きっとずっと私は幸せだったんだろうな、と思います。
 やば・・・これこそ自己完結だ~(爆) 

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2006.07.20

また新しく始めればいいのよ

 山本圭一というお笑い芸人が、未成年の女性と飲酒の上、淫行に及んだことで、所属する吉本興業から解雇されました。それを受け、彼が所属していた茨城ゴールデンゴールズという社会人野球クラブチームの萩本欽一監督が会見し、チームの解散を宣言した、というニュースが昨日来、報道されています。

 いろいろネットでも意見があるのだけど、未成年の女性が飲酒をした現場には、山本の他にも同じチームのメンバーが複数人いた、とのことで、欽ちゃんが責任を感じるのはすごくよく分かります。事件は、茨城ゴールデンゴールズの北海道遠征中に起った出来事だし。
 これはやっぱり、「解散」って言いたくなっちゃうよな・・・だって誰も、山本の軽はずみな行動を、止められなかったのは事実。他の選手に罪はないといえばそうなんですけど、山本さんには、この事実を重く受け止めて、もし逮捕や起訴にならなかったとしても、自分の行動を深く反省して欲しいと思います。

 ふと思い出したこと。
 以前、私はネット上で、あるカラオケの会の主宰をしておりました。カラオケしたい人がしたい時に集まって、歌いたい歌を歌う、それだけの会なんですけど、何年か続ける内にたくさんの人が集まって、とても楽しかった思い出があります^^ 今でも忘れられないわ~。 そのときに出会って、今も仲良くしてもらってる友人もいますし、あの時の仲間、みんな元気でいるといいなと思います。
 人が集まるといろんなことがあるもので。楽しくやっていたその会の中で、ちょっとしたトラブルがあったことがありました。私はなるべく何も決めず、何もルールを作らず、歌いたい人が歌いたい時に集まるだけの会でいいと思っていました。それだけの会なのに誰かが泣いたり、誰かが傷ついたりするのなんておかしい。派閥ができて、派閥同士でお互いに疑心暗鬼になって・・・それなら、そんな会はないほうがいい。

 考えてみればおかしなことなのですが、人は時々自分が作った「モノ」に縛られてしまうことがあります。たとえば国とか。チームとか。制度とか。

 私は、欽ちゃんが今のチームを解散する、という決断をしたのは大変潔いと思います。たとえ事件が山本個人の問題だとしても、チームとして「関係ありません」っていうわけにはいかない。
 そのことを、チームは欽ちゃんの私物じゃないとか、他の選手に罪はない、っていう意見もあるようですが、茨城ゴールデンゴールズがそれまでやってきたことはそれはそれとして、一度解散して、また野球がやりたい、というメンバーがいるなら、また新たに立ち上げればそれでいいのだと思います。野球が大好きだという欽ちゃんにも、またがんばって欲しい。

 思いさえあれば、何も失うものはないはず。

 あの頃のカラオケの会のメンバーも、それぞれで、今もカラオケをやったり、歌うことから離れちゃっても、たまには、当時を思い出したりしてくれてるかな。
 ちょっとニュースにかこつけて、個人的な思い出を語ってしまいました~^^;

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2006.07.19

poem(47)

きみにとって私がどんな存在かを
ようやく想像できるようになった
きみにとって私は面倒なだけの重荷
忙しい時はかまっていられない

そのくせ きみは 私に優しいね

馬鹿だなぁ
そんなふうに優しくしなくても大丈夫
一番大事な人にだけ愛情はとっておくもので
それ以外の人とはもっと距離を置いて付き合っていいんだよ
そうしたって誰もきみのことを嫌いだなんて思わないんだから

せめて信じて欲しいな
離れたって私はけしてきみを忘れたりしない

分かってるよ
きみには他に好きな人がいるんだから
いくら私がきみを好きだって
きみにはどうすることもできないことは

分かってるよ
分かってるから

どうして泣くのかなんて
お願いだから 
もう私に訊かないでね

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「フォーガットン」&「姑獲鳥の夏」

 最近どうも、「駄作」と評される作品を面白がれてしまう自分に、複雑な思いがしたりして。
 「フォーガットン」という洋画と「姑獲鳥の夏」という邦画をレンタルDVDで見ました。

 「フォーガットン」はamazonの批評を見るとクソミソですわね。確かにその、なんというか、「トンデモ本」というものがありますが、これは「トンデモ映画」です。映画館で1800円払って見たらあっけに取られて、その後呆然とするでしょうが、ま、レンタルならば・・・
 個人的にはなかなか楽しい映画でした。人が空に飛んでいくところにびっくりした^^ 何度もそこだけリプレイしちゃいました。

 「姑獲鳥の夏」は京極夏彦原作の小説が映画化された作品。昨年の夏に公開されて、ポスター等を眺める度に見たいなぁと思いつつ、見そびれていた映画でした。
 最初の方は誰が誰やら、登場人物がよく飲み込めなくて、ちょっと退屈。やたら思わせぶりだけど、よく分かんない映画だなぁと。
 でも、私はどうも、先日、テレビドラマの「HIRO」で事務官役をやっていた、この「堤真一」という役者が好きみたいです。「姑獲鳥の夏」では、「京極堂」という一番かっこいい役をやっていて。この「京極堂」ってキャラクターも気に入ってしまいました。
(世の中には不思議なことなど何もない・・・)
 安倍晴明の末裔だという憑きもの落としの割に「現実主義者(リアリスト)」。起こる事は全て必然。20ヶ月の妊娠も想像妊娠(ネタバレですみませぬ)。
 我々が現実だと思っている世界は、全て脳内で再構成された仮想現実なんだ、という説は、私にとっては馴染み深いものです。多分、人は、自分の中のストーリーにそった都合のいい現象だけを自分の意識に取り込む・・・だから、怪奇現象も起こる。
 amazonを見ると、原作ファンからはこれまたクソミソですが、私は原作をまったく知らないけれど、京極堂シリーズ、読んでみようかな、って気にはなりました。ただ原作がまた癖がありそうな、読むのにエネルギーがいる作品のようですけれどもね。

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2006.07.18

無事ならそれでよいのです・・・♪

 毎日、普通に・・・いや、ちゃんと注意深く、気を付けて暮らしていても、トラブルというものは発生するものです。
 たとえば、車をぶつけたり。携帯電話を落としたり。クレジットカードを盗まれたり。
 私の好きな「ぼのぼの」というマンガに以前、
 「病気は、何もしなくてもなる」
 というフレーズがありました。そう、病気もそうなんです。気を付けていても風邪をひく時はひく。
 
 トラブルに見舞われた時って
 「なぜこんな目に合わなくちゃいけないのか。何がいけなかったのか」
 って、つい考えちゃいますよね。たとえば、私は先日、Suicaを池袋駅で落としてしまいました。
 気を付けていたのになぁ・・・パスネットのカードも入っていたのになぁ・・・どこで落としちゃったのかなぁ・・・定期入れも気に入っていたのになぁ・・・
 
 でも、こういう時ってくよくよ考えて自分を責めたり、誰かを責めたりするのはよくない。
 いかに早く気持ちを切り替えて、一刻も早くリカバリーできるか。それが大事です♪

 私の場合、Suicaは幸い、翌日には再発行してもらえました(1500円かかりましたが)。定期入れも使ってないのがあったし、それに再発行したSuicaを入れれば、リカバリ完了です。そして1週間後、定期は落ちていたのを拾われて、発行元である地元の駅に戻ってきました。パスネットのカードも使われてはおらず、無事でした。なんて幸運♪

 トラブルも何もなくて、全てがうまくまわっている時は、人はそれが普通だと、つい考えてしまいがちです。そしてトラブルにあって思いどおりにいかないときに、自分を責めたり、人に当たったりする。
 でも、病気も落とし物も全てのトラブルは、全て起こり得るもの。うまくまわっている方が実はすごいことなんだ。そう考えるだけで、いざというときになんて気が楽になることか。そしてうまくいってることに感謝できるようになるんです。

「無事ならよいのです」
 これはマンガ「ぼのぼの」に出てくるシマリスくんの大ねえちゃんの言葉。
 どんなトラブルにあっても、それに落ち込まず、いかに気持ちを切り替えることができるかで、その日を気分よく過ごせるかそうでないかが決まってくる。どうせなら、いつでも楽しく幸せでいたいもん。
 
 と、いうようなことを、先日、実家に帰った時に、家族と話していて気付きました。
 一人暮らしを始めたのは1996年の5月。この前年、1995年は阪神大震災があり、地下鉄サリン事件があった年です。10年も経つと自然と一人で暮らすこつ、なんてのも身に付くってことかな~

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2006.07.17

囲碁もやはり「勝負」なのだった。

 土曜日に近くのマンガ喫茶で、「ヒカルの碁」を最終回まで読んで思いました。
「やっぱ囲碁も『勝負』が全てだ~」
 いえ、なんとなく、囲碁ってとても紳士的なゲームのように思っていましたし(いや、それはそうなんですけど)、よく「勝ち負けにこだわるな」と言われるので、負けるとめちゃくちゃ悔しい自分をちょっと恥ずかしく思ってたんですが、それはそんなことないようです。
 やはり、勝てば嬉しい、負ければ悔しい。
 ヒカル、泣いてたなぁ、最後・・・。すごく分かる;;
 ヒカル以外のプロ棋士もすごい。緒方九段と桑原本因坊が火花を散らしてるシーンとか。他の棋士たちも勝負となると目の色が変わります。
 そして何より。あの佐為だって、最初は遊びで始めた塔矢くんとの碁で噛み付かれて必死になってる。子供相手だって容赦しません。最後は一刀両断、だもんな~
 北斗杯に出る代表選手を決める戦いで、越智くんが関西棋院の社(やしろ)くんと戦って代表を決めたいと言ったシーンなどにも「プロ意識」みたいなものを感じました。越智くんの気持ちもとてもよく分かる。
 囲碁って「実力」の世界なんですよね。
 運で勝ちを拾ったりしない。精神力と実力・・・それが全て。
 他のゲームならば、運が勝敗を左右するときがあります。ツキとか。囲碁は多分・・・いや、まったくなくはないのでしょうけど、あまり、関係ないからなぁ~
 だから勝てばそれは自分の力だし、負ければそれは自分が至らないせいなのです。明快かつ単純。本物の強さを身につけたものだけが上にいける・・・
 
 これがね、好きなんですよね。私は、負けて、自分の至らなさ、未熟さに恥じ入ることばかりが多いのですが、でもいつか強くなりたい。まあ、アキラくんやヒカルみたいにはなれませんが、この世界の末端を知ることができたのは、大いなる喜びです。
 
 さて、今日の、わたいご記念対局楽天囲碁ブロガー・リーグ戦第二局「平成の秀策」と「野球碁聖」の戦いはどうなったであろうか^^
 「わたいご記念対局」については、詳しくはnipparatさんのブログをご覧下さい。

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2006.07.15

ラベンダーを見てきました♪(3日目)

 さて、旅行も最終日。天気予報では雨だったのですけど、けっきょく降らずに、天気、持ちましたね。私は「晴れ女」なのですが、今回もかろうじて、その称号を保つことができたようです。
 最終日は、富良野のチーズ工房へ。時間があったので、本当はチーズ作りの体験とかすればよかったのですが、チャレンジしそびれたため、見学はすぐ終わってしまいました。でもここでフラノデリスの富良野牛乳プリンを見つけてちょっと感動~。これ、前にテレビで見て食べてみたかったのです。富良野牛乳のビンに入ったプリン。おいしかったけど・・・正直に言いましょう。期待したほどではなかった(爆)。でもそれも食べてみなくちゃ分からんのだ~(笑)。
 チーズ工房を見たあと、ちょっと奥の「丘の写真館」まで散策しましたが、すぐに見学は終わってしまいました。富良野って自然以外には「北の国から」のファンじゃない限り、実はあまり見るところがなかったりする^^; ちょっと天気もよくなさそうだったので、このあとは、富良野駅前までバスで行き、駅前から一番近い「我夢舎楽(がむしゃら)」という喫茶店でのんびりしました。この「我夢舎楽」という喫茶店、今、ネットで調べてみたらいくつかヒットしました。私たちもそうですが、電車待ちなどをするお客さんがちょっと休むのに、ちょうどいい場所にあるせいでしょう(というか周辺にめぼしい喫茶店が他にないため、選択の余地なし(爆))。店内では、福山雅治の「The Golden Oldies」がかかっていました。中島みゆきの「ファイト!」を福山がカバーした、という噂だけは聞いていたのですが、初めて聞いた・・・聞いた瞬間はまさか福山雅治だと思いませんでした。男性が歌うとこうなるのかぁ~~~!  びっくり。「ルビーの指輪」とかなら雰囲気もぴったりだしいいと思うのですが、山口百恵のヒット曲「秋桜」などのカバーもあって。女性の歌を男性が歌うということにちょっと私は抵抗があるというか想像がつかなかったのですが、それなりにはまっています。戻ってからまたゆっくり聞いてみたくなっちゃいました。
 
 さて、旅行の話に戻りましょう。
 帰りは旭川からの飛行機が取れなかったので、新千歳空港まで札幌経由の電車の旅。この時期だけの特別急行「フラノラベンダーエキスプレス」に乗りました。成り行きまかせの割りには、こういう季節限定ものを体験することができたのはラッキーだったかも。「フラノラベンダーエキスプレス」だと札幌まで約二時間。飛行機がとれなかったせいではありましたが、電車の旅も車窓の景色をいろいろ楽しめてよかったです。フラノラベンダーエキスプレス内で、富良野駅で買った駅弁「トンとろ弁当」で昼ごはん。豚焼肉と半熟卵をごはんに乗せて食べるお弁当・・・お味は、まあまあ、かな~

 新千歳空港は、おみやげ物屋さんがぎっしりのすごい充実度。さすがは北海道旅行の拠点って感じの飛行場です。行きの旭川空港行きの飛行機は、定員300名くらいの小さめの飛行機だったのですが、帰りはしっかりジャンボジェットでした。帰る前に新千歳空港でカニといくらの夕飯を食べました。
 飛行機がちょっと遅れ、羽田には10時過ぎに到着。家にもかろうじて、12時前には到着しました。北海道と関東もあっというまですね。飛行機って早いなぁ。
 東京に戻れば、すごい蒸し暑さ。戻ってきたーって感じがします。
 
 旅行記は以上。あとは世間と同じですが、この3連休が私にとっては夏休み後半となります。今日は、午前中、日本棋院にいって囲碁のお勉強。午後はマンガ喫茶でヒカルの碁を読みまして、ある意味碁漬けの1日でした。 楽しい旅行も終わっちゃったなぁ~ 早く夏休みをとると後がつらいのよね~
 
 長々とした旅行記でしたが、読んでくださった方ありがとうございます^^
 富良野のラベンダーは本当に綺麗です。まだ行かれていなければ、ぜひ、一度は見て行ってみてくださいね♪
 

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ラベンダーを見てきました♪(2日目)

 ・・・デジカメを持ってないので、テキストデータばかりですみません^^;
 
 さて旅行2日目は、いよいよラベンダー畑へ! 旭川から昨日とは逆に、富良野行きのノロッコ号に乗車し、その名も「ラベンダー畑」というこの時期だけの臨時駅に向かいます。
 しかし、皆様ご存知のとおり、13日は日本全国で猛暑でした。北海道も30度越え! さっかく涼しいところにきたのに~。ノロッコ号の車内は冷房などなく、暑かったです^^;  私は日焼け&熱中症防止のため、帽子と首周りをスカーフでカバー。あまり写真には写りたくない姿になりました。
 ラベンダー畑駅からはファーム富田という富良野では一番有名なラベンダー園まで徒歩でいくことができます。

 今年、富良野のラベンダーはいつもの年よりも1週間くらい盛りが遅れている様子。ラベンダーのスポットは上富良野、中富良野、富良野、それぞれにいくつも点在しているのですが、上富良野の日の出公園などは、遠めで見た感じだけですが、まだちょっと最盛期には遠かった気がします。
 が、ファーム富田のラベンダーはばっちりでした~。紫の海♪ これぞ、見に来たかいがあったというもの。
 ああ、デジカメだったら、写真をお見せしたいわ~
 ラベンダーのソフトクリームも、さっぱりとした味でおいしかったし。園内はラベンダーのさわやかな香りで満ちています。これよこれ♪ ファーム富田の向かいにある「とみたメロンハウス」では夕張メロンも食べましたが、これもんまい♪ おなかも目も大満足で、2時間くらい滞在してましたが、足りないくらいでしたわ~

 さて、ファーム富田からは、バスで富良野ワイン工場へ。お昼を富良野ワイン工場の近くにあるという富良野ワインハウスのチーズフォンデュにしようと思ったので~。ここのチーズフォンデュは有名なのですが、私は多分、まだ食べたことがなかったのです。
 ファーム富田から富良野ワイン工場までは、バスがあるのをしっかり調べてあったのですが、富良野ワイン工場から富良野ワインハウスまでが、行ってみたら歩くとけっこうあって(上り坂だし)、ちょうど午後の暑い時間、ひいひい言いながら上りました。そりゃ、車なら隣でしょうけど、歩きじゃ隣じゃなかった(爆)。
 しかしまあ、たどり着いて堪能したチーズフォンデュは、期待にたがわず、むちゃくちゃおいしかったです。チーズフォンデュ自体は初体験というわけではなく、何回かは食べたことがあるのですけど・・・うん、富良野ワインハウスのチーズフォンデュが、我がチーズフォンデュ歴(笑)でも、ベストチーズフォンデュです♪  富良野に行ったら、ぜひ食べてくださいねー。私はチーズフォンデュの素を買ってきました。家で食べてもおいしいかしら♪

 さて、2日目は富良野プリンスホテルに宿泊です。「プリンスホテル」って言っても基本はスキー宿ですし、プリンスホテルって名前の割には今一つなのは、私の中では定説。富良野プリンスホテルも定説を裏切ったりはしてくれませんでした(プリンスホテルファンがいたらすみません^^;)。富良野にもう一つある、新富良野プリンスホテルは新しいしきれいな感じですけど、富良野プリンスホテルは古いし、旭川のビジネスホテルよりも部屋のレベルが落ちるのです。部屋にユニットバスがついてはいますが(これ、昔はそもそもバス付きじゃなかったんだろうな・・・)、旭川のビジネスホテルのユニットバスよりも狭い。膝を抱えて入らなければ入れないユニットバスなんて、出張であちこちのビジネスホテルに泊まったことのある私にも、久々でしたねー。やってくれるなープリンスホテル。
 でも、夕食と朝食のバイキングはなかなか充実していました。野菜もたくさん、デザートもたくさん。メニューが豊富で全部は食べられませんでした。まー部屋があれだから、せめて食事くらいはね^^;

 夕方に新富良野プリンスホテルまでシャトルバスで行って(隣接してるわけではないのでけっこう遠い)そこのニングルテラスというみやげ物屋さんをのぞきいてきました。銀細工、木工細工、ろうそく、オルゴール、革製品etc.ちょこちょこっとした手作りの工芸品を打っている小さなログハウス風のお店が森の中にあるんです。みんなかわいいお店なのですけど・・・私と友達は、結局ニングルテラスでは何も買わずに、旅行のパックについていた1000円のお買い物券で、新富良野プリンスホテル内のみやげ物屋さんで、お菓子などのおみやげを買ってきました。
 友達と話していたのですが、ニングルテラスで売っているものは・・・そう、「明日、必要のないものばかり」つまり「トリビア」ものばかり!!(笑)  ここを舞台に「北の国から」などのドラマを書いた倉本聰あたりには、笑われてしまいそうですが、つまりは、そういう「生活に必要のないもの」を買ったり楽しんだりできる余裕が、都会からきた私たちにはちと足りないのかもしれませんわね・・・

(3日目に続く)

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ラベンダーを見てきました♪(1日目)

 7月12日から14日まで、早めの夏休みをとって、北海道へ行ってきました。行く先は、この時期、一番美しい美瑛&富良野です。私は富良野のラベンダー畑の風景が大好きで、夏の富良野に行くのは3回目。冬のスキーも入れると富良野を訪れるのは4回目になります。大好きな場所なので、本当は毎年でも来たいくらいなのですが、今回は、ずいぶんと久々でした。・・・だって、北海道旅行、けっこう値段がお高い。今回も2泊3日で64300円(飛行機&宿代のパック料金)。海外行けちゃうよなぁ。宿代だけならペンションなどに泊まれば安くはあがるのですが、北海道の場合は、飛行機代だけでも6万くらいはするので、なんだかんだいってやっぱパックが一番安いような気がします^^;

 行きは羽田から旭川空港。予約が遅かったため、午前の便がとれませんでしたが、のんびり、午後一の便で出発しました。
 旭川空港からはタクシーで、美瑛をドライブしました。だって、運転免許ないんですもの~。運転免許あれば、きっとのんびりドライブが一番いいでしょうね。
 美瑛と言う場所は、何があるというわけでもありません。丘陵地帯に広がる田園の美しい風景を眺めてまわります。12日はちょっと曇っていましたが、それなりに風景を楽しむことができました。じゃがいもの花も満開でした。
 「拓真館」という美瑛の美しい風景の写真館により、そこから近い美馬牛(びばうし)駅でタクシーを降ろしてもらいます。タクシー代は、しめて16000円。ちょっと見込みよりも高かった^^;
 タクシーの運転手さんは、営業熱心な方で、「明日もこのタクシー貸切にしなよ」とか「電車なんか使わずに旭川まで送るよ」なんて言ってました。・・・冗談じゃないです。タクシー貸切だと1日3万。旭川までだって、電車だったら一人600円ですよ。人のよさそうな運転手さんでしたが、口車に乗らないで、美馬牛から電車に乗ってよかった~~~
 美馬牛駅から、この日に宿泊する旭川まではノロッコ号という、観光電車で行きました。翌日の旭川からも、ノロッコ号に乗りました。予備知識もなくたまたまこの電車の乗車時間にあたったので、これでいったのですが、とても面白い電車でしたよ。興味のある方は、リンク先にとんでみてくださいね。

 旭川では、ビジネスホテルに宿泊。パック旅行の指定の宿、富良野がどこも空いてなかったので^^; でも旭川という町も私は嫌いではありません。私は行きませんでしたが、今年は旭山動物園ができて旭川も人気のスポットになったらしいです。夜はぐるなびで調べておいた店で、ジンギスカンを食べました。ラム肉よりも、私は鶏肉のジンギスカンがおいしかったな~

 (2日目に続く)

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2006.07.11

10年後のフェアプレイ

 W杯決勝はフランスvsイタリア。延長戦後半でフランスのジタン選手がイタリアのマテラッツィ選手に頭突きを喰らわしてレッドカード、一発退場。試合自体はPKで、イタリアが勝っただけに、あの時ジタンが退場してなければなぁ・・・と誰しもが思う、なんだかすっきりしないW杯の幕切れとなってしまいました。

 頭突きの理由についてはいろいろ取り沙汰されていますが、どんな理由があろうとも、先に手を出した方が負けだというのが世の定説のようです。ジタン選手自身も、カッとなって思わず手を出してしまったものの、レッドカードには従わざるを得ないのはおそらく納得の上だったでしょうから、まあしょうがないのだろうなぁ。

 それにつけても。
 いつからこんなふうになっちゃったんでしょうね。
 ドイツの選手も試合後、乱闘になって、出場停止処分を受けた選手もいたし。
 日本の選手もブラジルに負けて、肩を落とすのみで、ユニホームの交換をしている選手って、カメラには写ってなかった。

 まあ日本とブラジルではもしかしたら力が違い過ぎて、ユニホームの交換なんかしないのかもしれないですが、他の試合でも、終わった後は互いの健闘を称え合うような終わり方にならないのって、どうしてなんだろうなぁ。

 グループリーグの時ですが、チェコの最終戦で、負けたネドヴェドを対戦相手だったイタリアの選手が代わる代わる慰めていたシーンがありました。その時は、普段は同じチームのチームメイトだから、という理由もあるんですが、勝ったって負けたって恨みっこなしになるのが理想だと思うのですけど・・・

 思えば、ファウルの時に派手に転んだりするのはまだ仕方ないとして、ゴール前のポジション争いもすごいですよね。服をひっぱったり、ひじ打ちを喰らわしたりするのは当たり前の世界になってます。それがサッカーというスポーツなのかしら・・・(これに関してはドイツもあまりお行儀がよかったとは言えない)

 もしも、審判にばれないようにうまくファウルをすることや、相手チームのエースを挑発して退場に追い込むことがサッカーというゲームの戦術なのだとしたら、それってすでにスポーツじゃない。何かがオカシイ。

 終わって相手の健闘を称え合い、ユニホームを交換するようなゲームになって欲しい。だってワールドカップだもの。世界最高峰の試合なのに。こんなんでいいはずがない。・・・と理想論者のBUBIさんは思ってしまいます。

 無論、何にでも、フェアプレイだけでは片づかない世界はあるのですけどね・・・そう、例えば「囲碁」だって。
 
 私はたまに囲碁友に「きれいに打つ」とほめていただくことがあります。そう言われるととても嬉しい。いい形、正しい方向。理想の体現ですよ、うん(笑)。フェアプレイは、突き詰めればそれが高みへの一番の近道だと思います。
 そうは言っても実際、対局では、ちっとも勝てないんですけどね。「形がきれい」だっていうのはそれしかほめるところがないからかも^^;
 でも、だからこそ、囲碁はこれからもがんばりたい。きれいに打ってしっかり勝てるようになるまで。勝てないのはまだまだ理想に対して中途半端だからなんでしょう。きれいに打ってしっかり勝つ、なんて10年早いのかもしれませんが、体現できるのが10年先でも、幸い、時間だけはたっぷりある。10年後のフェアプレイを目指してがんばりたいと思います^^
 

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2006.07.10

こういうのは早起きって言うんだろうか

  昨日は、サッカーW杯の三位決定戦でした。ドイツvsポルトガルの試合があり、2002年のW杯でも出場したドイツのゴールキーパー、カーン選手が登場し、好セーブを立て続けに決めたり、日本人の方が主審を務めるなど、見所満載の試合。とても楽しかったです。もちろん応援していたドイツが勝ったせいもあるのですが。
 試合は朝4時からで、土曜日は夜、iryaさんとネット碁を打った後、普通に夜12時くらいに就寝、4時に目覚ましをかけて、きっちり起きて観戦をいたしました。終わったのは6時くらい。
 それからまた寝て、気がついたら、お昼の12時をまわっており、NHKの囲碁講座を見そびれました。囲碁講座は見られませんでしたが、その後のNHK杯は、女流棋士の小山プロの対局だったので、自分でも碁盤に石を並べながら観戦。何もしないで見てると途中で寝ちゃうのですが、ちゃんと起きていられました。
 NHK杯で、小山プロの敗色が濃厚になった頃、それまで何も食べていなかったので、おなかが空いて。お米をといで、NHKが終わるとともに「炊飯」をきちんと確認の上、スイッチオン。立ったついでに洗濯機を回し、風呂にお湯を入れます。
 ご飯は、わかめスープを作って、それにごはんを入れ、超簡単雑炊(けっこうおいしいんですよ?)。
 ご飯が終わると、お風呂に入り、風呂から出たら洗濯ものを干します。
 で、ちょっとネットをやったりしていると・・・すでに時刻は夕刻。ニュースをちらっとみたあとに、そのまま寝てしまいました。次に起きたのは夜の10時半。
 毎月投稿しているハッピーネットワークという月刊誌の締め切りが10日なので、この週末に原稿を仕上げるつもりだったのを思い出し、プリンターを引っ張り出して、パソコンで原稿作り。ついでに、来月投稿用で、イラスト担当にまわす原稿も仕上げてしまいます。今日はプリンターの調子よかったなぁ。
 原稿を作りながら、昼に炊いたご飯の残りにレトルトカレーをかけて食事をします。野菜が足りないので、トマトジュースを一本、追加。
 なんのかんのやってるうちにあっという間に3時。W杯サッカーの決勝、イタリアVSフランスが始まりました。
 この試合は、同点のまま延長戦に入り、延長でも決まらず、結局PK。3時から始まった試合は、結局、朝の6時でイタリアの勝利で終わりました。ジタンの頭突き一発退場シーンもしっかり見ました。
 6時からちょっとだけ横になりましたが、あまり眠れず、1時間後に起きて、8時には出勤。いつもは出勤時間ぎりぎりですが今日は結構余裕で出勤できました。早起きっていいなぁ・・・

 いいけど・・・これって早起きというのでしょうか。
 というか、人間として、生活リズムはこれで大丈夫なのでしょうか。
 いかにも一人暮らしって感じですわね。これほど何でもありになるものなのか。ちょっと自分でもあきれるというかびっくりしました。

 ちなみに、今朝は駅のドトールでレタスドックとカフェ・ラテで朝食。
 生活リズムもですが食生活もちょっと心配です(爆)

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2006.07.07

おくらのごまあえ

 別に意識してるわけではないのですが、まじめな話の後はこんな話をしたくなっちゃうんです・・・

 私は一人暮らしなので、普段、あまり生の野菜を買って調理して食べることはせずに、スーパーのお総菜で夕飯を済ませることが多いです。最寄りのスーパーは「マルエツ」。マルエツのお総菜コーナーはけっこう気に入っています。「わかめとタコの酢の物」「きんぴらごぼう」「鳥のからあげ」「ひじきの煮物」「切り干し大根の煮物」などが、私の買う定番なのですが、定番以外に季節に合わせたお総菜も並んでいることが多く。昨日は、「おくらのごまあえ」が並んでいまして、目新しかったものですから、思わず購入してしまいました。
 あっさりした味でおいしい。おくらのプチプチ具合もいい感じ。適度に歯ごたえもあって食べでがあり、大満足でした。

 さてさて、翌日の今日。
 私は、日常的に体重を測り、ダイエットに努めているので、日々のお通じにも注意を払うようにしています。量とか質とか。(お食事中の方、すみません)
 今日のお通じには、見慣れないものがありました。
「なんだろう? これって。こんなの食べたかな・・・」
 私はしばらく凝視して、昨夜食べたものを思い返してみました。で、やっと思い当たりました。
(ああ、これ、おくらのタネだ~)
 ・・・だって、そんな小さな白いプツプツ、見たことなかったんですもの。食べた記憶のないものが出てきたら怖いじゃないですか。普段そんなにおくらをたくさん食べることなんてあまりないので、ちとびっくりしてしまいました。

 というわけで日々観察を怠りないので、消化にいいもの悪いものや消化の仕組みなど、胃や腸の機能にはちょっと詳しいかも^^ 人の体っていろいろ不思議ですよね。
 でも・・・やっぱちょっと変かなぁ。

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2006.07.06

普通の国

今回のドイツでのワールドカップで、自国の国旗を買い求め、それを飾ったり、応援に使ったりする人が、ドイツで増えたらしい。それが記事として取り上げられ、「ドイツもやっと普通の国になれた」と書かれてあった。
 ドイツは過去、「ナショナリズム」という思想の元に他国と戦争をし、よく知られているとおり、ユダヤ人を強制的に収容し虐殺した歴史を持つ国である。これは歴史上の事実で変えることができない。だから「ナショナリズム」の復活にはとても気を使っていたことが容易に想像ができる。

 振り返って日本もまた・・・
 たとえ北朝鮮が日本に向かってミサイルを撃ったとしても、多分、日本がそれを理由に軍備を増強することは、過去、日本の侵略を受けた国からは「脅威」として見られてしまうのだろう。

 ドイツが現在、軍隊を持っているのか、持っているとしたら、その軍備はどういう状況にあるのか、日本のように、大国と安全保障条約を結んで自国の安全を確保しているのかどうか。
 日本がどう普通の国になっていけるのか・・・もっと勉強する必要がありそうだ。

 「自分の国くらい自分で守れる国になるべき」とは思う。危機的な状況になったときに、いつもアメリカ頼りでいいのだろうかと。でもドイツがそうであるように、やはり、日本人の「ナショナリズム」は周辺諸国にとって警戒すべき対象であることは想像にかたくない。まだあの戦争から・・・忘れ去られるほどの時間はたっていないから・・・
 普通の国になることってけっこう難しい。

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2006.07.05

ドイツ、負けちゃった~

 W杯サッカー、ずっと応援していたドイツが負けちゃいました;;
 今朝は4時から起きて試合を見ていたのに、延長戦の前にNHKは北朝鮮のミサイル発射のニュースになりました。私も疲れたので、ちょっと休憩・・・で、ふと気が付くと。
 なんと教育テレビで延長戦の放送をしていたんですね~。
 チャンネルを慌てて変えたら、時、すでに遅し。イタリアの選手達が抱き合って喜んでいる。
 なんだ???? 一体何が起こったんだー
 
 延長戦の後半で2点もとられてる~ひえぇぇぇぇぇ~
 何が悲しいって、見ていない間に点取られたのが悔しい・・・(哀)

 思えば2002年当時、決勝まで残ったのに、ドイツは残念ながらブラジルに負けてしまいました。今年こそは優勝できると信じてた。だって、W杯が地元開催だなんてこの先何十年あるか分からない。ただでさえ厳しいW杯の戦いですから、ホームの今年が優勝する絶好のチャンスだったのにー!え~ん・・・・
 
 うう・・・でも・・・きっとブラジルもアルゼンチンもイングランドも、みんな同じように勝てると信じて最後まで戦ったんでしょう。それでも負けるチームがあるのは勝負の非情な掟。悔しいのはみんな同じか・・・。
 
 それに物は考えようです。
 ちょっと嬉しいのは、負けても、準決勝まで勝ち進んだドイツの場合は、3位決定戦があるからもう一試合、彼らが戦うところを見られるということ。バラック、クローゼ、ポドルスキ・・・彼らが最後にバッチリ、ゴールを決めるところをもう一度見たい。それと・・・カーン、出ないかなぁ~
 ある意味、カーンが出ていた2002年、今年よりもドイツは上位までいけたわけで。カーンのためにはよかったかもしれないです。いや、準々決勝でPKを止めたレーマンもよくやりましたが^^
 
 楽しかった・・・W杯。あともう少しですね。各国の選手のスーパープレイを見られるのもあとちょっと。私は完全なるにわかサッカーファンなので、W杯以外はJリーグなんか見もしませんが、なぜかW杯は好きなんです。また4年後を楽しみにしたいと思います。

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2006.07.04

もし本当に「デスノート」があったなら。

 1日は映画の安い日で、私は近所の映画館に「デスノート」の前編を見に行きました。
 なかなか面白かったです。

 一番びっくりしたのは、私はコミックの「デスノート」のファンでもあるのですが、コミックだとまるきりフィクションって感じなのに、映画がとてもリアルにできていたこと。リュークさえ出てこなければ、マンガが原作なのを忘れそうでした。

 もしも本当にデスノートがあったら。いや、あってもおかしくない。

 原作を知らない方のために解説すると「デスノート」とはそこに名前を書くと、書かれた人が必ず死ぬというノートです。もともとは死神の持ち物ですが、わざとそれを人間界に落とし、人間に拾わせた死神(そいつの名前がリュークです)がいて・・・原作、映画ともにそこの設定は同じです。

 ただし、原作と微妙に異なり、映画の主人公は大学生。司法試験を受けて合格したらしい。原作だとちょうど魅上照に印象がだぶる感じの青年です。彼は、世の中の犯罪者の多くが「不起訴」になって法律では裁かれないまま野放しになっているのを知り、司法に限界を感じていた。その時にデスノートを拾うのです。

 この設定からして、だいぶ原作とは違う。原作の主人公、「月(らいと)」くんファンは、もしかしたらがっかりしたかもしれません。(映画も主人公の名前は「月(らいと)」ですけど)
 この後はネタバレになるので書きませんが・・・
 
 本当に人が人を殺せるノートがあったなら。そしてそれにより犯罪を犯した者が次々と死んでいく世の中だったなら。そういう世界ってどうでしょう。理想の世界と言えるんだろうか。そうかもしれないと思いつつ、どうにも想像しがたい感じもします。
  
 コミックでも映画でも、主人公は最初はもちろん「犯罪者」を次々とデスノートで消していくのですが、自分の正体を暴き、捕まえようとする敵もデスノートで殺します。コミックを読んでいた時は、それはあまりにも主人公の行動として必然だったので読み流してしまいましたが、自分を断罪しようとする人間の名前を躊躇なくデスノートに書いたその時から、彼もまたまぎれもなく、正義でも神でもない一人の「犯罪者」なのですね・・・もちろん「犯罪者なら殺してよくて、そうでない人間を殺したら犯罪者」っていうのも、議論の余地がある問題ではありますが。
 コミックで読んでいた時は、主人公を応援していてあまり深く考えたことなかったんですけど、実写の映画でリアルに見るとつい考え込んでしまいます。

 結局「月」くんも人間なのだなぁ。デスノートが世界に現れたこの数年間も、結局は死神に人間がもてあそばれただけで終わってしまうのであろうか。
・・・なんてことを映画を見て感じました。
 
 「デスノート」は原作であるマンガの方ももう完結しているようです。私はまだ読んでないので、知っている方は、私には内緒にして下さい。世の中がデスノートでどう変わったか、それとも変わらなかったのか、その答えは出るのかしら。映画の方もまた11月の後編に期待したいと思います。

 P.S.ミサの寿命が最終的には何歳になったのか知りたい。原作って最終回までに解るのかな~

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2006.07.03

「中退アフロ田中」風に「好き」ということについて考えてみた

 今週のビックコミックスピリッツの「中退アフロ田中」(著:のりつけ雅春)では、主人公の田中くんが「好きとは何か」という難問に挑戦しています。これは、私にとっても興味深いテーマです。

 田中くんは「好き」を辞書で調べました。
 
 ①理屈抜きに(相手に)心がひきつけられる様子。

 だそうですよ。ふむふむ、好きって、理屈抜きなのか・・・。

 いやその。私には好きな人がいます、という話を度々このブログではしていますが、確かに「なぜ好きなのか」を説明するのは難しいもので。その人、本人からも「なぜ好きなのか」と当時、何度か訊かれたことがありました。説明に四苦八苦したっけなぁ~。

 恋愛がうまくいっている内は
「理由なんかないのさ、BABY」
 とか言ってれば済むんですが、そのうち雲行きが怪しくなってくると、なぜ好きなのかを力説する必要が出てきます。
「あなたは私になくてはならない人なのよ。あなたがいないと生きていけないっ!」
 とかなんとか言ってみても
「だからなんで?」
 と切り返されると、だんだん自分の「好き」が一体何なのか、自信が無くなってくるのですな。
 ※文中のセリフは脚色あり。

 自信が無くなってきた私は、自分に「なぜ好きなんだろう」というのをいろいろ自問してみました。この辺の思考回路は田中くんと同じ。その問いの中にこんなのもありました。
「SEXしたいだけなんじゃないだろうか!?」
 ・・・すみません、いきなり下世話な話で^^;;;;; しかし、この問題は避けて通れなくて^^; だって好きだなんだ言ったって究極は「それ」だろうと、誰しも思いますでしょ?
 でも、自問してみた結果、この答えはやっぱNOでした。好きな相手とならそりゃ「したい」と思うのも普通です。しかし「それ」だけなら、その人だけに固執する理由にはならない。「好き」な理由がSEXしたいだけなら、別に特定の人にこだわらなくても・・・ねぇ?

 じゃ、なぜその人じゃなくちゃいけないんだろう?

 ・・・
 ・・・やっぱ理屈じゃなかった^^;;;;;

 説明できない、というのはつらいものです。結局、私は自分の好きな人にそれを説明することができませんでした。まあ説明できなかったからだめだったわけでもないのですが。

 「好き」が理詰めでカタがつくものだとしたら、もっと男女の関係もすっきりするはずです。結婚するのだってもっと簡単なはずだ。
 でも、やっぱね、理屈じゃないんだなぁ~~~
 不思議ですね、「好き」っていう感情って。

 くだんのマンガの田中くんは「好き」という感情が分からなくて「好き」を突き詰めて考えていました。でもマンガの最後で「ああ、好きってこういうことだったのかー」と納得して、今週の掲載分は終わっています。こう書くととてもさわやかなマンガのようですね(笑)。田中くんがどうして納得できたのかは・・・ご興味のある方は、今週のビックコミックスピリッツでご確認くださいませ。(注:出版社のまわし者ではありません)

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2006.07.02

中パッパは大切です。

 先日、ご飯を炊いたのですが、スイッチを入れてでかけ、帰ってきて「もう炊けてるだろう」と炊飯器を開けてみたら、どうもご飯がベタベタしてるんですね。しゃもじを入れると、ご飯粒がくっつきあって、おはぎの中身みたいになっている。ど、どーしたんだ! 炊飯器が壊れたのか!?

いえ、炊飯器のせいではありません、私の完全なる過失・・・
 出かけるときに慌てていたものですから炊飯器のスイッチをしっかり確認するのを忘れていました。どうやら、電源はいれたものの、「炊飯」にせず「保温」にしたままでかけてしまったようです。

 周りはベタベタしてるのに、中には芯が残っている。とてもそのままでは食べられたものではないのですが、もったいので、納豆ごはんにすれば食べられるだろうと、とりあえずよそって納豆をかけてみました。が、これでもまったく、いけてない^^; どうしたら、こんなまずいごはんが炊けるんだろうってくらい。

 そういえば以前もだいぶ昔に一度だけ同じ間違いをしたことがあります。経験上、おじやにしてもチャーハンにしても他の材料が無駄になるだけなので、お百姓さんに申し訳ないと思いつつ、処分させていただきました。

 「始めちょろちょろ、中パッパ。赤子泣いてもふた取るな」
 という有名なごはんの炊き方格言がございます。つまり、始めは弱火でも、中ほどできちんと強火にしなければ、ご飯はご飯にならない。皆様、気をつけましょう(←気をつけるのはお前だ~)

 今日はしっかり炊飯のスイッチを確認してONにしました。しっかり炊けてほっ。
 世の中、当たり前だと思っていることもたまに失敗したりすると、こうしてありがたみを感じたり致します。

 え?グルメでもクッキングの記事でもない? はい、激しくカテゴリーを間違ってる気がしますが、食べ物ネタはってけっこう、こういうのが多いのよね、私・・・。

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