『可能性は0だ』
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『可能性は0だ』
このタイトルの言葉は、Ruccaさんのブログによると、漫画家の槇村さとる氏が、ある作品で、主人公が親友の婚約者を好きになってしまい、片思いにピリオドつけるために告白をする・・・という設定のときに、その告白を受けた相手の男に言わせたセリフだそうです。
うん。自分が憎まれたり、嫌われたりするのを覚悟で、こういうセリフをきっぱりと言える男はかっこいいですね。
しかぁし(爆)。
フィクションならそう思えます。けれど自分が当事者だったら・・・
いやぁ、誰だって、憎まれたくも嫌われたくもないですものねぇ。なるべくなら相手も自分も傷つかずに終わりにしたい。そう思ってしまうのが人間なんですよねぇ~~~
おそらく、現実がそうだからこそ「可能性は0だ」ってきっぱりと告白を拒絶できる男はフィクションの中にしかいないし、仮にいたとしても・・・それがかっこよく見えるのは、フィクションの中だから、なんだろうな。
もし自分が告白して、そんなこと言われたらショックで立ち直れない;;
いや、今、好きな人には、他に好きな人がいて、私については「恋愛対象としては見られない」と言われましたから、限りなく「可能性は0」と言われたに等しいのかもしれませんが・・・←おいおい^^;
(Ruccaさん:worte)
でも『もう少し早く出会っていたらよかったのよ』と自分で自己完結してしまい、一生来世を夢見る少女のままでいてしまう人もいるかもしれない・・・(つД`)まあそれはそれで幸せなら良しなんだけど。
・・・ぎくっ^^;;;;;;;
これって私にも言えるのかもしれません~~
まあ、さすがに来世は夢見ませんけど、なんというか・・・
私は、元々、超奥手で、本気で人を好きになる、という経験をしたのがとても遅かったんですよね。
けれどどんなに遅くても・・・
世の中で「本気で好きになることができる相手」と出会える確率というのは、もしかするとそんなに高くないかもしれないと私は思うのです。
そしてそんな相手、そう何人もいるわけがない、とも。
『早く出会えばよかった』とは思いません。『来世でもう一度』とも思わない。
この一回きりの一生で、自分が心の底から「好きだ」って思える人と出会えてよかった。だから、可能性が0だとしても、嫌いにはならないし、好きでいることはやめないと思います。この先、何年経っても。
これって自己完結してる、ただのアホですかねぇ~~~(苦笑)
・・・まあその。
結局は、何が幸せかってことなんだろうなぁと思ったり致します。もしも、心の底から本当に愛し愛される人と巡り会い、結婚し、子供を持ち、家庭を作ることが幸せなら、可能性が0の相手をずっと好きでいることはアホ以外の何物でもないのですが。
「心の底から本当に愛し愛される人と巡り会う」
なんてこと自体が「少女マンガじゃあるまいし、あるわけね~やん」と最近の私は思います。
もちろん、巡り会った人もいて、それは素敵なことで、世の中の人が一人でもそうなれればいいやね~、と思いますが、そううまくいくばかりが恋愛ではなく。多分、恋って可能性があろうがなかろうがするときはするのでしょう。結果を考えて臆病になっていたら、この世の中の誰も愛することはできないもの。そうなるよりは、きっとずっと私は幸せだったんだろうな、と思います。
やば・・・これこそ自己完結だ~(爆)
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Comments
実際の男性(既婚者含む)の場合、
告白されたら、
きっと嬉しいって気持ちがあると思うんですよね。
人は心理として、
好意を返そうとする性質もあるから、
「君とはおつきあいはできない」
と答えられる人はいても、
「君を好きになる事はない」
と答えられる人はいないと思います。
そして現実では、
略奪が実際に存在したりするのも事実ですから、
「可能性は0」という発言自体、
私もフィクションの世界だと思います。
ついでに、私は、ハッキリ断られる方が、
長い目で見たら傷つかないと思います。
その方が新しい恋へ進める事もあるし。
でも、言葉は選んで欲しいなあ…。
これは、片想いを続ける事が、
幸せか、辛いか、その人の価値観によりますけれど、
新しい恋をシャットアウトする事で、
実は自分が幸せになる道を閉ざしているとしたら、
もったいないかもしれないですよね〜。
Posted by: あきら | 2006.07.22 08:04
あきらちゃん、どもども♪
>新しい恋をシャットアウトする事で、
実は自分が幸せになる道を閉ざしているとしたらもったいない
ふふ、そのとおりです♪
私ももし、自分の親しい友人が「可能性が0」の恋をしていたら、
「いつまでもそんな恋にしがみついてちゃだめ」
と言っちゃうと思います。
結局、記事中にも書いてますが、
「自分が幸せになる道」
って何だろう、ということですね~
片思いで自己完結してれば、それはそれでもちろん幸せなんですよ♪
両思いになって、一人の人生でなく、パートナーと歩くことがいつもいつも幸せとは限らないし。
ただ、そういう自分の姿がベストだとは思わない。
「それって、自己完結してるじゃん~あほだ~(笑)」
と笑いとばせるくらいでいたいなぁと^^
私の数少ない体験から言えば、結局恋はしようと思ってするものではないみたいだから、焦っても仕方がない。それなら、今、自分が一番大事なものを、大切にしようと思っているところです。
ふふ、また恋バナしましょう。
あきらちゃんの話も聞かせてね♪
Posted by: BUBI | 2006.07.24 09:55
BUBIさんこんにちわ~。トラックバックありがとうございます。o(_ _*)o
私は、男があえて『可能性はゼロだ』とまで言い切ったのは、主人公が『婚約者の親友』だったからじゃないかな~って思いました。
このマンガ、実は昔立ち読みした事あるんですが(^_^;)、主人公もあえて『あきらめる』ために告白したようでした。うろ覚えですが…。
片思いを楽しめる(て言い方ヘンでしょうか)ことは、私はステキな事だと思いますよ~♪
ただ前のBUBIさんの小説のような、『付き合ってるのに片思い(ふたまたとか)』状態はあまり…(^_^;)男に都合よすぎるからね。
でも渦中にいると『でも幸せ』『でも好きなんだから仕方ない』って思い込んでしまうんですよね。『でも』がつく時点で違うって事に気づけ~~!!って思ってしまふ…こういうのは悪い自己完結かと。。。
『見ているだけで良かったのよ、誰かに独占されないでいてくれたら』
これも何かの少女マンガのセリフでしたが(^_^;)、とても好きでずっと心に残っています。
触れる事のできないくらいの距離の、こんな静かな片思いは、想像力と創造力のある人だけの贅沢な特権だと思いますよ♪
Posted by: Rucca | 2006.07.24 10:35
可能性がゼロだなんてすばらしい振り方をしてくれる人も、実際にはなかなかいませんよね。Ruccaさんのおっしゃるとおり、親友の婚約者という立場だからかもしれませんが。
私も得意技が片思いなんじゃないかというほどでしたが、昔、振られた後にまた電話してしまった相手に、「自分も振られたことがあるから気持ちがわからないわけではないよ。だけど、一方的に思われて、迷惑ではないといったらうそだ。振った相手にも、幸せになってほしいと心から願うし、あなたは、幸せになれる強い人間だよ。オレのことは忘れたほうがいい」というようなことをいわれて、優しい人だなとおもい、ふっきれたのを思い出しました。今考えると、彼はモテる人だからこそ、そんなことをいえる人間だったのかも。。。キザですものね。
その人よりもその前に、もっと長い期間の片思いが続いた人もいましたが、その人のおかげで、それも忘れることができたのかもしれません。そしてその後、結婚することができたのかもしれないなとおもいます。やっと長い期間の片思いより、結婚してからオットと暮らした時間のほうが長くなってきましたので。
個人的には、オットは暮らしていく上での仲間やチームメートみたいなもので、片思いの相手は淡い想いの対象でした。オットもそんな相手の1人や2人ぐらいはいたのだろうとおもいます。どちらが良いとか優劣はありませんが、どちらも良いところはありますし、どちらも経験しておくのはいいのかなとおもいます。あ、でも同時進行になると、これが世で言う「不倫」ってヤツなんでしょうけど。。。私はいまのところその願望はありませんがね。
Posted by: ちゃい | 2006.07.24 11:27
どもどもRuccaさん、ちゃいさん、コメントありがとうございます。
>Ruccaさん
あきらめるために告白をする、というのは、告白される方にしてみればたまったものではないのでしょうが、告白する方にとっては、しなかったら、そのあと一生、思いを告げられなかったことを悔やむことになっちゃいそうなので、自分の思いにケリを付けるためにも、やっぱり告白した方がよいのでしょう。
・・・ということならば。
もし私が男性で告白された側だったなら、
「ありがとう。でも君になら俺よりもっといい人が現れるよ」
とかが妥当な線かなぁ。
中島みゆきさんの歌によれば「ありがとう」は「これきり」の意味だそうです。
言われた方はそうと気付かない、というおまけ付きですが。
>ちゃいさん
私の場合、以前、好きだった人をあきらめた時は、
「相手が何も答えてくれないのに、勝手に想い続けるのって・・・これってストーカーだわ」
と思って、自分が情けなくなってやめました。このときの相手の人は、私の告白に対して、
「思ってもらえるのはかまわないよ」
なんて言ってましたっけ(爆)。あはは、どんな男だ~懐かしいなぁ。
ちゃいさんが好きになった人は、素敵な人でしたね♪
Posted by: BUBI | 2006.07.24 14:18
何か思い出すなあ。(と、遠い目)
うーん、記事にしようかなあ。
Posted by: ぐーたん | 2006.07.25 13:36
ぐーたんさん、コメント&トラックバックありがとうございました。
たまに思うのですが、他人のことって「本当は何を考えているのか」なんて結局は分からないんですよね・・・
だから、誰かと接した時に、私は、
「この人はぶっきらぼうだけど『本当は』優しい人だ」
とか
「この人は優しくしてくれるけど『本当は』ずるい人だ」
って考えるのはなるべくよそうと思っています。「本当は○○だ」なんていうのは、自分の思い込みだったりすることもよくあるから・・・
人間の心の中は分からない。
だから。
優しいのか優しくないのか、本当のところは分からないけれど、
「この人は私に優しくしてくれた。私はその時、それが嬉しかった」
それは紛れもない「事実」。勝手な思い込みや想像じゃなくて、自分が知っている事実で、物事を決めようといつも自分に言い聞かせています。
もちろんその場合の優しさは、保身や責任逃れからくるものかもしれない、ってこともちゃんと考えに入れた上で・・・
Posted by: BUBI | 2006.07.25 17:29
BUBIさん^^
このコメント胸に響きます。
私はすぐ、人の本心を探ってしまう。
反対に言えば信じやすくて、思い込んでしまうんですね。「この人は優しくしてくれたから、私を大事に思ってくれているんだ」と。男性に対してだけではなく、女性についても。だから傷つかないように、その中身を探ってしまうんですね。
人と言うのは本心を語らない。この頃やっと気がつきました。(自分が本心を語りすぎるからでしょうね。)
何を「優しい」とするかは、人それぞれなんですよね。「本当は優しい」と言うのは魔やかしかなと。友人に対しても、「今、私を見て会話をしている」それでいいんじゃないかって。でもなあ、やっぱり本心を知った時、ショックだったりするんですよねえ。
「優しくされて、嬉しかった」と言うのが大事だと、この頃素直に思えるようになりました。
Posted by: ぐーたん | 2006.07.26 11:08
この記事を目にしてから、暇があると昔の恋愛を思い出したりなんかして。。たびたびのコメントですいません。
BUBIさんの気持ちもその後のコメントでよーくわかるので、なんだか切ない夏の始まりってかんじですかね?(単なる欲求不満かも???)
それでふとおもいだしたのに、柏原芳恵の「最愛」の歌詞のサビの部分。
調べたら、やはり作詞・作曲は中島みゆきだったので。。。BUBIさんに知ってもらいたくてコメントしちゃいました。
歌詞のURL
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36856
このサビの部分、今でも好きですワ。こういう想い(私の場合は死ぬ前に最愛がオットに変るかもしれませんが)は、今の若者にはわかってもらえないかな?
Posted by: ちゃい | 2006.07.27 10:52
>ぐーたんさん
コメント、とってもうれしかったです♪ありがとうございます。
自分で勝手に
「この人は優しい人だ」
って決めつけて、自分の思ったとおりの優しい人じゃなかったからって傷つくのは、情けないことなので、決めつけないようにしているのも、私の自己防衛のようなものです。
相手の本心を、いつまでも疑ってかかってるから、なかなか本気で付き合える人ができないのかもなぁ。
>ちゃいさん
「最愛」いいですよね~
ただ私は、この歌を聴くと、つい「二番目」に「その人なりに」愛される人の立場を考えて、可哀想になってしまいます。
でも、ちゃんと順番を付けることもある意味で、「可能性は0」っていうことと同じように大事なことなのかもしれませんね。
Posted by: BUBI | 2006.07.27 12:15
そうそう、2番目のその人なりに愛される人はかわいそうかもしれません。だからこそ「死ぬまで誰にも言わない」ってことで、墓場に持っていく秘密なんでしょうね。
でも、2番目の人も、その後の将来の行動次第で1位になることもあるかもしれませんし、最愛の1番手の人も、その後の行動によってはランク外になるかもしれないなんて、おもっちゃうんですけど。。。
そう考えると、その時点での「最愛」っていう気持ちは更に切ないものになるのではないかと。
これをかいて「そういえば」と思ったのが、「世界の中心で愛を叫ぶ」です。映画とtvドラマに出てくる、柴咲コウと桜井幸子の役は、原作にはでてこないみたいで、ドラマと映画では死んじゃった女の子に対する想いを背負って生きていくのは辛いからと、登場させたようですね。私は原作の方も、映画やドラマのほうも好きだし、どちらも優劣は無いと思います。ドラマも映画も原作も高校時代の女の子が生きていたときの思いが大事だということは共通していると思うからです。
Posted by: ちゃい | 2006.07.27 20:14