縁があれば
縁があれば結婚もしてたかもしれない
子供が3人くらいいて
肝っ玉母さんだったかもしれない
・・・なんて想像するけど、そういうときも
旦那の顔はまるで想像も付かないや^^;
☆ ☆ ☆
本を読んだり、新しいことを学んだりするのは嫌いではなかったから
興味のある学科のある、学力相応の大学にいった
で、そこを卒業したら就職するのは当たり前だと思っていた
当時はバブル全盛で
かなりの売り手市場だったんだけど
数カ所、面接を受けたら軒並み落ちてかなり落ち込んだ
もうどこも就職できないかと思った
ところが・・・今のところから
3月の末ぎりぎりになって面接の案内があった
面接を受けて通ったから
何をやるところかもろくに知らないまま入っちゃった
「とりあえず・・・」そんな感じで就職したから
長く勤める図なんて想像もできなかった
すぐやめるのだと思った
最初の2年で自分のやってることの意味が分からなくなったけど
後の2年で、一応職場に恩返しをしてからやめようと思った
最初の2年でやめてしまったら給料のボッタクリでしょ?^^
どんな仕事でも誰かのためになる仕事なら
厭わずにやろうと自分に誓って
勤めて4年目に配置換えで配属になった部署は
希望どおりいわゆる「ショムニ」みたいな課だった
どこかの課で蛍光灯がきれれば替えにいった
どこかの課のコピー機で紙詰まりが出れば直しにいった
そういう仕事は嫌じゃなかった
訳の分からない仕事のための仕事をするくらいなら
誰かがやらなければならないことを私がすることに
少しだけやりがいを感じていた
そうして勤めて7年目に係長に昇進する
いきなり部下ができたりして
仕事はいきなり「現場」で「検査」
専門知識もないのに「こんなの私にはできない」と思った
「できない」と言ったらその課の課長は
「きみにできることをやってくれればいい、責任はとるから」
と言った
その時思った
「私が精一杯やって、それでこの仕事が立ちゆかなければ、私がこの部署に不適任ということだ。そう判断されたら、管理職なり人事なりが私を替えるだろう」
そう思ったら迷いは消えた
自分にやれるだけのことを、やれるだけやった
できないものはできないと開き直った
そうなってしまえば
どこへ行っても自分にできるだけのことをやればいいんだと思えるようになった
どの部署のどんな仕事でも
自分にできるだけのことをやる それでいいんだ と
そうして今でも私はその職場にいる
今年は16年目
私は今も自分にできることをやっている
結婚も縁ならば 就職も縁
結婚はできなかったのに 就職はよく縁があったなぁと思う
リストラも可能性がないわけではないし 能力主義の導入でどんどんきつくはなるけれど
いつでも自分にできることを精いっぱいやるしかないのは同じ
結婚して 子供がいて 子育てでいろんなことがあって
そんな人生もあっただろう
でもきっと・・・「自分にできることを精いっぱいやる」
その意味では 私が現実に歩んだ道のりも
仮に結婚していたとしたら歩んでいた道のりも
それほど変わりはないのかもしれない
私は私の人生を生きる
それだけは誰とどこで歩もうとも
きっと同じなのだろう
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