「まあ、いいや」の心理
仕事をしていてたまに思うのは、ここで「まあ、いいや」と思っちゃいけない、ということです。
当たり前ですけどね^^;
何かの見積書を見る。金額が表に書いてある。内訳は?・・・ありゃ、ついてない。
・・・
・・・
まあ、いいや・・・ (じゃ、だめだろ!)
電話して、内訳を出してくれるようにお願いしたら、忘れたころにFAXが来た。ああ、よかった。添付する。でも内訳を計算してみたら、合計と合わない。
・・・
・・・
まあ、いいや・・・ (いやいや。でたらめな内訳じゃしょうがない^^;)
さらに各項目をチェックする。ん? この○○○費というのはなんじゃ? そんな作業頼んでたかな?
・・・
・・・
まあ、いいや・・・ (ダメです。ちゃんと、内訳の内容を相手先に確認しましょう。)
相手先に電話する。
相手先「作業内容は技術の方に訊かないとこちらでは分からないんですよねー」
・・・
・・・
まあ、いいや・・・ (って、ざけんじゃねー、自分とこで出してる見積もりの説明くらいちゃんとしてくれー。)
というわけで。世の中には、脱力するようなことがたくさんあるわけです。しかし仕事というのは、そこで、一緒に脱力してちゃだめ。なぜなら「仕事」なんだから。
プールの監視員の仕事が来た。
プールの監視員なんて、子供がプールサイドを走ったら、注意してりゃいいんだよね。
どうせ溺れる子どもなんてめったにいないんだし。それにマニュアルも渡されなかったし。
あれ? 何かのフタがはずれてるって子供が持ってきたぞ。なんだろう? ・・・まあ、いいや。
・・・なんというか。プロ意識がない。
人に言われたことだけやっていればいいんだろうか? 何のために自分が何をするべきなのか、考えたことがあるだろうか?
もちろん、監視員の人だけが悪いわけではなく。市役所も委託業者もその下請けも。その場しのぎのやっつけ仕事だけで、お金がもらえるならなんでもいいや、と思ってませんか。
仕事ってのは「金をもらうため」にやるんじゃない。楽をしてお金が儲かるならそれが善じゃない。
労働の結果として「お金」をもらうことは確かなんだけど、金だけもらって労働はしなかったら、それは・・・
それは・・・
でも、それも有りと思っちゃってる人が多いのかなぁ? 今の世の中って。
その方が安いからって、鉄筋の量を減らしたマンションを立てれば地震の時に人が死ぬかもしれないように。
「誰も見てなかった」とか「誰も言わなかった」とか「それでうまくいっちゃってた」とかじゃなくて。
自分の仕事として、そんなんで胸を張れるのだろうか?
しかし・・・世の中そういう傾向が強くなってきているのを感じます。
以前、いっしょに仕事をしていた後輩は、税金の計算を間違えてしまいました。再度計算し直して、税務署への書類も提出し直さないといけないのですが。
「これ、ほんとに直さないといけないんですか? もう払っちゃったんだし、誰も気付いてませんよ」
と、言ってましたっけ^^; だめぢゃん^^;
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