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September 2006

2006.09.30

そろそろ1週間ですが。

 市販の薬も飲みきってしまうのに、まだ熱があるようなので、昨日は仕事を休んで、近所の内科にいきました。
思ったとおり「風邪ですね」という診断。大量の薬の処方箋がでました。
 医者っても薬もらうだけなのね^^;
 
 まあでも、医者が風邪だっていうのなら、風邪なんでしょう。おとなしく出された薬を飲んでますが、これが全然効かない。市販の薬の方が効きました^^;
 今日も職場に電話してみましたら、急ぎの発注等はないそうなので、休んで家にいることにしました。しかし。

 時折襲ってくる発作のようなセキ。ぜいぜいするノド。頭の鈍痛。節々の痛み。ゆっくり寝ても居られない・・・全然楽にならないよー。
 でも医者は風邪だというし、薬も飲んでるんだから、これ以上何もやることがないわけで。布団にもぐりこんでひたすらうんうん言っています。

 私は普段、病気はあまりしません。病院も医者もきらいですが・・・こんなときに助けにならないんじゃ、ほんと医者ってあてにならーん(爆)

 ・・・さて、そろそろ1週間ですよ。ほんとに風邪なの?これ。
 

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2006.09.27

「結婚と出産に関する全国調査」

「結婚と出産に関する全国調査」というのがあって、その結果がこのホームページから見られます。

「国立社会保障・人口問題研究所」

ちょっと前、テレビでも取り上げられていました。
「未婚男性の過半数、女性の4割強は異性の交際相手を持っていない」
データで見るとこういうことなのね。
他にもいろいろ興味深い調査結果が出ているので、少子化に興味のある方は一度のぞいて見て下さいませ。

 この結果についてふと考えました。

 たとえば、一つの狭い場所に、未婚の男女を同数だけ入れまして。かき混ぜてしばらく置いておくと、自然とカップルができて、さらに置いておけば子供が生まれるとか。
 人間がもし、そんな簡単なものだったら、誰も苦労はしないですわな~

 水はH2Oですが、単に水素と酸素を同じ瓶に入れただけでは水にはならないわけで。地球に水という物質が豊富にあるのは、いろいろな条件が重なった結果だとか。
 
 思うに、男女も水素と酸素みたいなもので。ただ入れておくだけでは、そこに自然と「愛」が発生するわけでもなく。未婚で適齢期だって、「自然」と知り合って、「自然」と恋に落ち、「自然」と結婚を考え始め、「自然」と華燭の典を挙げるなんてわけにはいかない (・・・昔は自然だったのかな・・・)。そこには何かが必要なんだと思うのですが、何か、ってなんでしょうね? 片思いの経験はあっても、この調査でいうところの「異性の交際相手」ができた試しがない私には答えようがないんですけども。

 ちなみに、調査は「独身調査結果」と「夫婦調査結果」とそれぞれあるので、見てみて下さい。1960年代生まれの夫婦で子供数が減少しているそうです。一番生む時期にある年齢なのになー。
 
 ともあれ、独身の男女に限って言えば、結局、出会いも恋愛も結婚も「自然」ではなくなった、ということなのかも。だからって、意志的にどうこうしろ、とも言いづらいんですけども。うーん、いつもの堂々巡りだわ。

P.S.今日も出勤はしましたが、風邪はあまりよくなってない感じです^^; やっぱ医者いかないとだめか・・・
 

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2006.09.25

風邪ひき中・・・

 鼻水やくしゃみはでませんが、珍しく発熱。
 37度後半から38度なので、さほど高熱ではないのですが、昨日から今日にかけてなかなか下がらないです。
 午前中、ちょっとよくなった気がしたので、食料と薬を買出しに。リンゴのすりおろしたのや、みかんや、ヨーグルトなどを食べています。

 年をとって思うのはこういう風邪が1日で治らなくなったこと。
 前は1日寝てれば治ったのにな。
 明日はよくなりますように・・・

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2006.09.20

「エクスペリメント」

「Experiment」(=実験)というタイトルの映画をDVDで見ました。amazonのHPなどの宣伝文句を見ると、

(引用開始)
 極限状態に陥った人間の狂気を描いた究極のサイコホラー。犯罪者の攻撃性を消滅させる政府極秘プロジェクトによって人格矯正を施された少年たち。しかし次第にサディスティックになっていく看守たちの振る舞いに、彼らはその残虐性を増していき…。
(引用終わり)

 なんて、すごいことが書いてあるのですが、同じような「心理実験」だの「囚人と看守」だのが出てくる「es」という映画と比べるとはるかに・・・

 そうはるかに、なんというか、いい映画、でした。もっとエグい話かと思っていた私(←こらこら)は良い意味で期待を裏切られました。

 「es」はまさに、人間が「攻撃性」という狂気に捕らわれていく様が如実に描かれた映画で、見ていて救いようのない作品でした。人ってそういう状況に置かれるとそうなっちゃうのね・・・という。まあ、「es」の場合は、そのまんま「人間というものはそういう生き物である」ということを証明するための実験が舞台となっているので、結論も経緯も当然といえば当然の帰結なんですけど、それでも「人間てここまでするのか」と。
 そして、それが事実であるところが、怖い、わけですが。

 「エクスペリメント」は似ているようで、まったく違う映画です。
 登場するのは実際の犯罪者と看守。(「es」の場合は実験のため集められた一般人)
 実験とはいっても、これは、ほとんど実用化されているケースですね・・・

 内容については、ネタバレになるので詳しくは書きませんが、私は映画の最後で「犯罪者の更生」というのはこういうことなんだなーとちょっと感じ入ってしまいました。

 たとえば、世の中に理不尽なことがあって。どう考えても自分が正しくて、相手が理不尽な圧力を自分に加えてくる。自分だけならともかく自分の周りの大切な家族にも。家族を守るために暴力を振るう。犯罪も厭わない。・・・私は主人公にすっかり感情移入してこの映画を見ていたものですから、たとえばそんなふうにどうしようもない理不尽な状態に自分が置かれた時には、暴力をもってそれを正そうとする以外、仕方ないじゃないの、と映画を見ている間、考えていました。
 
 でも、そうじゃない。
 そうじゃないんですよ。
 
 世の中には理不尽なことが本当にたくさんある。話し合いが通じない相手もいる。
 そして正義というのは、人の数だけありますから、力で自分の正義を貫こうとすれば、人は最後の一人になるまで戦い続け、殺し合わなければならなくなります。
 けれど、そう言うときに力ではない、もっと別なやり方で自分を守る方法を見つけること。そのためにどうすればいいかを学び、力に対して力ではない別の何かで対すること。
 力を持って自分の理不尽を訴えることが犯罪ならば、「それならどうすればいいか」を学ぶことが真の更生なのだなぁと、ちょっと驚いてしまいました。
 いえ・・・その。かなりこう書いてしまうとネタバレなんですけどね^^;
 
 たとえば、北朝鮮のように、話し合いで解決しようとしても、テポドンを撃ってくるような相手も世界にはいるわけですが。だからといって日本も核武装してもしょうがないわけで。
 この小さな地球で、違う民族同士がお互いに共存しあうためには、ルールとそれを守ることが大切だし、それを破ってくる相手にも、力で対抗しようとすれば人類は自滅するのみじゃないのかな・・・

 自分が甘いことを言ってるのも解ってはいるのですが。力が全てではない。そしてルールとは何か。私にとっては、そんなことを考えさせられる作品だったのです。

 いえ「エクスペリメント」の実験が正しいとは思いません。いくつも問題がある危険極まりないやり方だと思います。けれど「更生」とは何なのか。それをちゃんと考えたことのある人間が世の中にはどれくらいいるだろう?
この映画は、その問いに対しての、答えの一つを提示しているのだと思います。

 かなりネタバレしちゃいましたが・・・「エクスペリメント」、機会がありましたら見てみて下さい。

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2006.09.19

短所。

 ブログをやっていると、たまに「~バトン」というものをやる機会があります。同じ質問に複数の人が、順番にどんどん答えて行くわけですね。最初の頃、「これってチェーンメールみたいなのじゃないの?」と思っていたのですが、質問の内容が面白いものだと「この人にこういう質問をしたらどう答えてくれるかな?」のワクワク感から、内容を見て答えたり、まわしたりするようにしています。
 
 この間、たまたま知り合いのブログを見ましたら、
「見たらあなたも回答してね」
 という強制バトン(笑)がありまして。別にやらなくてもいいのですが、ちょっと興味が湧いたのでやってみることにしました。
 バトンの内容は・・・普通ですね。特に変わった内容のものではありません。好きな食べ物とか嫌いな食べ物とか。答えたからって何になるんだろう?という気がしないでもありませんが、自分を見直すにはいいのかも。
 ただ・・・好きな食べ物、嫌いな食べ物、ならいいですが・・・
 「自分の短所」を書いていて、ちょっと虚しくなってしまいました^^;

 ブログとかに自分の長所、短所を書くのってどんな意味があるんでしょうね。自己紹介にはなるか。でもなぁ・・・いや、長所ならともかく短所って。

 就職のための面接では長所とか短所って聞かれますね。
 でもそのとき、ホントの短所なんか言わないですよ、普通。分かってても。
 だって、就職の面接で、
「飽きっぽいところです」とか
「人のいうことを聞かないところです」とか
 絶対答えないでしょ。

 こういう時にいい答えはこうです。

「頑固なところです。でも、一度決めたらなんと言われようとやり抜く。それは自分の長所でもあります」
みたいな。長所なことを短所として答えるわけですな。
 しかしバトンは別に就職面接じゃないので、そんなこと答えてもあざといというか、馬鹿馬鹿しい。
 なので、ありのまま「短所」を書いてみました。

・・・
・・・
・・・

 うーん、しゃれにならん。友達無くしそうだわ。なので、このブログでは、そのバトンに私が何と答えたかは内緒です(爆)

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2006.09.18

世の中は不公平なんだろうか~宮部みゆき「我らが隣人の犯罪」を読んで~

 宮部みゆきの短編集「我らが隣人の犯罪」を読んでおります。この記事は、この本の感想ではありません。本筋とは関係ないところで、ふと読んでいて思ったことについて綴っております。

 それは「世の中は不公平なんだろうか」ということ。

 「我らが隣人の犯罪」という作品では、登場人物についてこんな描写があります。かたや必死に働いても生活が楽にならず住宅ローンを抱える一家。かやた何億という金を稼ぎ、その上脱税を目論む男とその愛人。

 お話は勧善懲悪、男と愛人は脱税で捕まり、住宅ローンを抱える一家の子供は思いがけない幸運を手に入れる・・・というお話です。まあ、フィクションですから、そういうお話があってもいいとは思います。
 ただ・・・思うのですが、仮に、本当に、隣に何億も稼ぐ人がいて、自分の家は普通のサラリーマンだったとして・・・
「世の中って不公平だ」
 と思うのって、正しいのかなぁ?

 以前、ドラマ「女王の教室」で阿久津先生が、確かこう言っていました。
「この教室の中で、幸せになれるのは1%」
 お金持ちになって、何億も稼いで、ディズニーランドに優先パスで入れて・・・いや、そりゃそうかもしれません。誰もがそんな大金持ちになれるわけでなし。 

 でも、だからといって、競争に勝つことだけを考えたりするのが正しいのか?と。あのドラマはそういうことを考えさせられるドラマでした。それも、「自分でその間違いに気づけ!」という・・・「いいかげん、目覚めなさい」ですね。懐かしい~♪

 あのドラマで生徒だった神田和美は、こう言っていました。
「幸せって一人一人違うんじゃないですか? 私はこのクラスは全員幸せになれると思います」
 私もそう思います。

 世の中は不公平ですよ、そりゃ。
 だって、人間は生まれながらに一人一人違うンだもの。

 走るのが得意な子もいれば、勉強が得意な子もいる。
 マンガが好きな子もいれば、サッカーが好きな子もいる。

 そういう一人一人が、誰が何億稼ごうが、関係なく、みんなが幸せになれることが理想で。
 「金」という価値観一つで、隣と自分とを比べて不公平だと思うことは、不幸でしかないと思います。

 普通に食べられて、普通に暮らせて、普通に学校に通える。
 たとえば「格差社会」の問題はその「普通」が崩れていっていること。
 ただ、上を見れば本当にきりがなくて。豊かな生活ってなんでしょう? 普通に暮らせればそれでいいんじゃないのかなぁ?

(引用開始)
 つまり、世の中には不公平なことなどいくらもあるってことを。先生も親も「努力しなさい、努力すればむくわれる」なんて言うけれど、言っているその声に今いち力が入ってないのは、大人たちの暮らしの周りにも、似たようなことがたくさんあるからなんだろう。それと知らずに「努力しよう、努力すればむくわれないことはないんだ」と真に受けて育ってしまうと、大人になってから自分を振ってもっといい給料をもらっている男と結婚しちゃった元恋人を殺してボストンバックに詰めて捨てちゃう、なんてことになってしまうわけだ。
(引用終わり)

 いやいや、ぼうや。だからってそれが努力しない言い訳になんかならないよ。
 努力すれば報われる。でもその報いは何億も稼ぐことじゃないんだ。

 私がこの主人公のそばにいたら、そう説教を垂れます(爆)。

(参考記事)
 「努力に報いるのは金じゃない」

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2006.09.17

「ピカソとモディリアーニの時代」

 友達の雀さんのお誘いで、渋谷のbunkamuraザ・ミュージアムで開催されている絵画展に行ってきました。タイトルは、「ピカソとモディリアーニの時代」。北フランスの「リール美術館」所蔵のコレクションらしいです。

 モディリアーニという画家の作品は、目が青くベタに塗られた人物画が有名です。一目見ると忘れられない印象的な絵画なので、私も「モディリアーニ」は記憶しているのですが、絵画の好みからいうと、今一・・・(おい)
 なので、今回の自分的メインは「ピカソ」!
5月の連休に、箱根の「彫刻の森美術館」のピカソ館にいったんですが、ピカソがデザインしたお皿しか置いてなくて、まあ、それはそれでもいいのですが、ちょっと消化不良だったのです。
 今回の展示では・・・やはりやってくれますねーピカソ(笑)。私、あの、キュビズムの「なんだ、こりゃ?」な感じが大好きなのです。うーん、絵画鑑賞というよりは、ホラー映画好きがどんどん怖いホラーにはまっていく感じと似ていますか!?(笑)
 特にやはり、これでしょう、「帽子を被った女」。(今、手元の買ってきた絵葉書をチェックしたら、買うの忘れてきました^^; ネット上に画像があってよかったです・・・)とっても「THE ピカソ」って感じの絵ですよねー。
 
 しかし、今回、リール美術館所蔵の絵画は、いろいろ新しい発見がありました。
 極めつけは「ミロ」。「ミロって誰よ?」って感じなんですけど、なんか、すごいですよ、この人。冒頭にご紹介したbunkamuraのこの展覧会の紹介ページをもう一度見てみてください。中ほどにミロの「顔」とタイトルのついた絵があるんですが・・・あははは。思わず笑ってしまった。
 世の中、ピカソ以上にぶっとんだ人っているんですね^^
 リール美術館ってこういう作品ばかりが所蔵されているのか・・・すごいなぁ。

 絵を見るのって好きです。ゴッホとかもいいなぁと思うし、印象派の作品も好きだし、けっこうなんでも好き嫌いなく見られる方です。有名で高名な作品以外にも、もちろん黒井健さんのイラストのファンでもありますし、この間は、KAGAYAさんの画、いいなぁ~と思いましたし。パリへいって、美術館めぐりばかりしちゃうほどの、マニアではないので、多分ミーハーなのでしょう^^
 この秋は、bunkamuraで、このあと11月から開催される「スーパーエッシャー展」や、上野の「ダリ回顧展」も見に行きたいな。しまった、前売り券を買ってくればよかったな。失敗~

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2006.09.16

もっといろいろな手を打てるようになりたい

 さて、今日も日本棋院の「土曜囲碁サロン」に行ってまいりました。
 今日の対局のお相手は、今日が土曜囲碁サロン2回目の5級の方。私もこの教室では、現在5級ですので、互い先で、握りの結果、私が白を持ちました。結果は、コミがかりで、かろうじて3目半勝つことができました。ふぅ~危なかった!

 今日の方は、普段は職場で打たれていらっしゃるとのこと。家には碁盤はないけれど、テレビを見たり、本を読んだりして勉強されているそうです。・・・もしかすると、いつもは、石を取ったり取られたりの碁が多いのかも。

 その方は逃げる時にケイマに打ちます。ケイマは、切られる可能性があるし、現に切られてしまう。切られたら、片方は捨石にするつもりかと私は思ったのですが、どっちの石も動いてこられました。自分の石同士をつながない。かといって弱い方を生きにも来ない。私は中盤以降、ずっとその、目のない大石を攻めながら・・・いや、結局逃げられたので、3目半なんていう細かい碁になってしまったのですが、自分がどう得するかを考えながら打っていました。

 難しかったです。相手の方はあまり「カタチ」には打ってこられない方だったので、「自分がこう打ったら相手はこう来るだろう」という読みをはずされてしまって逆に困ってしまいました。違うルールのゲームをしてるみたいだった。
 実際のところ、周りの白石に危ない石はなかったので、本当なら、その大石をとって、決着を付けるべき碁だったのかも^^; 相手の石を取る碁はあまりしたことないので、緩んでしまったところがあったようです。ほんと危ないところでした・・・勝ててよかった。ずっと攻めっぱなしで攻められることがなかったので、イニシアチブはとれてたのですが、それで負けていたら、きっとまたひどく落ち込んだことでしょう。

 「負けた時」と「勝った時」ってどちらが本人のためになるのかということを話すとき、負ける方がいいんだ、という説があります。
 でも、私はやっぱり勝つ方がいいなー。負けると自分のふがいなさに嫌気がさして、しょせん、自分は碁には向いていないんだ、いっくらやったって初段になんかなれるわけがない、もうだめだ・・・と思考がひたすらマイナス方向にいってしまいます^^;
 勝つとどうなるかというと。
 「もっともっと強くなりたい」と思うんですよ♪
 今日打った碁をふりかえっても、自分の一手一手は、まだまだ「ベスト」じゃないという感じが自分でします。もっといろいろな手が見えるようになって、その時々に一番いい手を打てるようになりたい。
 
 なんていうか・・・相手が強い相手で攻められっぱなしだと、選択の余地があまりないんですよね^^;
 考える間もなく、受けざるを得ない手を打たれ、相手の言うなりになっているうちに・・・たとえば置き碁なら、最初にもらった置石の数だけのハンデをズルズルと埋められていく。
 そういう碁を打ってしまうと、ほんと自分ってだめだなーと思うばかりで^^;

 今日のように、自分に先手があるときに、もっといい手がないか、もっと厳しい手がないか、もっと自分が得できる手がないか、考えながら打つのはめちゃくちゃ楽しいです。
 いえ、本当は置き碁だって同じなんですけどね^^;

 もっと強くなりたい。もっといろんな手が見えるようになりたい。
 今日は本当にそう思いました。
 家に帰れば、NHKの囲碁講座のテキストがありますので、いろいろ見てみようと思います。

 この連休はもしかして、囲碁三昧になるかも!? 

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2006.09.15

poem(48)

きみがそばにいなくても
私はちゃんと生きていけるんだけど
きみがこの世界からいなくなったら
どうして生きていけばいいんだろ

 ☆     ☆     ☆

失うものなんて始めから
何もないと思っているのに
まだ失うのが怖いんだ・・・と思い知らされる毎日

どうしてか信じられない
遠くにいても
「きみが元気で幸せでいる」
って

連絡が来なくなると
日が経つにつれ
きみのことしか考えられなくなっていく

きみは元気でいるだろうか
私を忘れて・・・そう、ただ忘れて
新しいことに夢中だったなら
それならそれでいいのだけれど

(何のために?)
なんて私にも分からない
理由も何もないけど
ただきみを失うのが怖い

きみは無事でいるだろうか
病気になってしまっただろうか
事故にあったんじゃないだろうか
・・・
・・・
そうしてきみからくる一通のメール
それがどんなに私を救うのか
きみはきっと知らないだろう

きみが私にとって何なのか
答えを出そうとすれば比較的簡単
名付けてしまえば多少のニュアンスの違いはあれど
それらしく聞こえるだろう

だからあえて名前はつけない
きみはきみ
大好きな、私の・・・

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2006.09.14

雨が続いています

♪雨が降ります 雨が降る
♪遊びにゆきたし 傘はなし
♪紅緒のかっこも 緒が切れた~

 雨が降ってると、ついこんな歌を口ずさんでしまいます。って、いつ覚えたんだろ、この歌。ネットで調べたところ、そのまんま「雨」というタイトルでした。5番まであるようですが、5番の歌詞がまたすごいですね^^;

 ところで、こういう歌を思い出すと、傘って昔は高級品だったのかなぁ?などと思います。だって、今、傘がない家なんてないですよね? 私の部屋なんか一人しかいないのに、傘は5本くらいあります。その他に職場に2本くらいは置いてある。雨が降った時にでかける必要があるときに傘をさすのは普通。「傘がないから行かれない」状況なんて考えられないです。

 もし、傘が、1本30万円くらいしたら、雨が降ったからってすぐは買えないですから、「傘がないから行かれない」というのも分かるかな。傘がないからでかけないで置こう、とかね。ぜいたく品、高級品の基準というのはそういうもの。ということは、昔は雨が降ってるのに外へでかけるなんてものすごーく贅沢なことだったのかな。
 
 雨が降って外に行かれない・・・もし、そういう日があったら、みなさんは、何をしますか?
 今は、傘があるから実際は「行かれない」なんてことはないですけど。
 好きな人とずっといっしょにいる、なんてのは、どうでしょう?
 日本全国、そうなれば、もしかして出生率も・・・(こらこらこら)

 「雨が降ったら、出生率がUPする」

 「風が吹けば桶屋がもうかる」みたいですわね。

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2006.09.13

ココログブックスを作りたい・・・けれど。

 このブログの場を提供してくれている「ココログ」さんには、「ココログブックス」というサービスがあります。
 要は「ココログ」を本にしてくれるというサービス。
 それも3冊とかそういう単位で作ってくれるらしい。

 なんとも素晴らしいことじゃないですか~♪

 私のような「物を書く」人間にとって、自分の本を作るというのは、たとえ、内容が本にするほどでもなく、人から見たら自己満足にしか過ぎないと分かっていても、見果てぬ「夢」なのであります。

 でも、ちょっと問題が・・・
 私にとっては、ここはあくまでも「ブログ」。
 毎日いろんな話題をごちゃ混ぜに書いているし、日によっては推敲もせずに書き殴ってたりも致します。
 そういうのを本にされてもね~^^;

 一つの案としては、本にしたい記事だけを残し、あとの記事をさっくり削除してしまう、というやり方。
 そうした上でブログをまるごと、「ココログブックス」の素材に提供するわけです。

 でも、そこまでするつもりはあまりなかったりします。このタイトルのこのURLの場所は、あくまでもブログだし。しばらく更新できなかったり、限られた話題しか書けないのは、私が困ります。
 
 ああ、ココログブックスにする記事をカテゴリー単位で選べるといいのになー。
 「ココログブックス」を利用して実際に本を作った人、いないかしら。
 もうちょっと使いやすいサービスにしてくれればいいのにな・・・

 というか。3冊くらいでいいなら、自分で好きな記事だけピックアップして、コピー本でも作ればいいのですよね。

 分かってはいるのですが、超の字がつくほど不器用なので、とても、きれいなコピー本を自作する能力はありませぬ。製本テープさえ、きっと真っ直ぐに張れないものー。(しょうがないなぁ)

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2006.09.12

「DEATH NOTE アナザーノート ロサンゼルスBB連続殺人事件」

 週末に「DEATH NOTE アナザーノート ロサンゼルスBB連続殺人事件」 (著・西尾維新)を読みました。
 「デスノート」というのは、最近、実写映画にもなり話題を呼んでいる、文・大場つぐみ、絵・小畑健のコミックです。「DEATH NOTE アナザーノート ロサンゼルスBB連続殺人事件」という本は、コミックである「デスノート」のノベライズ・・・ではないですね・・・コミックの内容を小説化したものではないので。
 私の印象からすると、これは「パロディ小説」でした。
 「デスノート」は、大層人気のあるコミックなので、ネット上でもそのキャラクターを借りて書いた小説がたくさんあります。そういうのの一つ、な感じ。
 なのに、本屋で「デスノート」と並べて売られていたので、ちょっと余計な期待をしてしまったんですが、ぶっちゃけ、あまり面白くありませんでした^^;
 いや、パロディだと思って、素人が書いているのだと思えば、まったく問題がない、むしろ、かなり完成度が高い小説なんですけど、なんとなくあの「デスノート」の世界観を期待しちゃったのですよね。

 西尾維新という作家さんは、amazonのレビューをいくつか見ると、まだ20代の若い作家でありながら、元々作家が本職で、もうちょっと重厚な作風の方のようです。
 ということは、その作家の人も、いわゆる「パロディ作品」の書きぶりをわざと真似て書いたのかも? うーむ、そんなことしないで、作風のままに書いてくれればよかったのになー。
 amazonのレビューにもありましたが、「ツンデレ」とか「メガネっこ」とか、知らない人にはほとんど意味が分からない流行言葉やオタク言葉が使われているのを見ると、内容以前に「そーゆー小説なの、これ?」って思っちゃう^^; (そう思わせるのも作者の意図なのかもしれませんけど)
 もしかして原作が大人気コミックということで、プレッシャーを感じちゃったかな。正面対決は避けて、こういう形で「いなした」ということかもしれません。

 デスノートは元々、コミック作品ですけど、印象としては大変硬派なお話です。
 私は実写映画も見ましたが、そうなっても十分それに耐えうる、要はパロディが入り込む余地があまりない作品という印象を受けます。
 
 なので「アナザーノート」を書くならば(商業誌として出版するなら)・・・あの作風を踏襲して欲しかった。
 西尾維新さんには、Lを使ったエピソードのアイデアがあといくつかあるようなので、次にもし「Lの事件」を小説化するなら、お遊びなしに、「デスノート」という原作に負けないくらいのものを書いて欲しいです。
 そうじゃないと・・・あの装丁にあの中味じゃバランスとれないよー!(爆)

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2006.09.11

少子化・ラルの考え

※これは、とある私の小説のキャラクター「ラルフ」と私との対話です。
 年齢は25才くらいの男性で、会話に出てくるリオというのは恋人候補の女性です。

俺は女性が働くのが悪いことだとは思わないな。
女も男も関係なく「働く」のは普通だと思う。
あ、でも、やっぱ辺境での、今の俺みたいな仕事は、リオにはやらせたくないな。
ここは宇宙線もきついし、女性の体によくない。
男の体にもよくないが、誰かがやらなきゃしょうがないなら、男がやるべきだと思うよ。
女の体は男よりもやわにできてるんだしな。

BUBIのいるとこじゃ、少子化が問題なんだって?
女が働くことが少子化の原因だとかって議論もあるらしいな。
でも働きながらだって子供は育てられるんじゃないか?
だから、女が働くことが少子化の原因てわけじゃないと俺は思うよ。

え? 働きながら子育てするのは大変だ?

・・・まあそうだろうな。俺にもし自分の娘や息子がいたら、ここ(辺境)で育てるのは大変だろうな。
でも、もしいたらここに連れてくるよ。そりゃ教育とかはシティにいるよりはちょっと遅れるかもしれないし、環境も悪いかもしれないけど、親の背中を見て子供は育つっていうだろ? 俺の仕事ぶりをそばで見ていてもらいたいとは思うよ。特に息子だったりしたらさ。まあ、娘でもな。

女は仕事をしないで子育てするべきだ、なんて考えはどうなんだろうな。
俺にはちょっと時代錯誤としか思えない。
でもBUBIは前、そんなことをブログに書いてたよな。

(だって、働きながら子育てするのって大変じゃない。それなら子育てに専念出来た方がいいと思って。両立って大変だよー)

でも例えば、俺に、息子とか娘とかがいたら、働きながら育てるしかないだろ。

(一人だったらそうだけど、そのときは奥さんがいるわけじゃない)

・・・そうだな・・・たとえば子供がいてそれはリオと俺の子供だとするよな。でもリオが仕事したいなら、俺はリオは仕事をするべきだと思う。

(じゃ、子供の面倒は?)

 俺も手伝うし、リオも手伝う。必要なら公的な施設も使う。そういうことだ。

(働くのが前提なんだね)

 そうさ。俺もリオも働く。その上で子供をどう育てていくか、だろ?
 俺が思うに、BUBIの考えは前提がそもそも違ってる。そりゃ働きながら子供を育てるのは楽じゃないだろうさ。だけど、そうしたいんなら、そうするために何が必要かを考えるんだよ。そうだろ?
 そのためにBUBIのいるところでは保育園の充実が必要だし、子育て支援の策が必要なんだ。
 男も女も働くのが前提なんだよ。

(それじゃ働かなかったら悪いみたいじゃない。子供が病気がちで仕事続けられない女性もいるよ。専業主婦が悪いみたいに聞こえる)

 ・・・あのな。俺が言いたいのはそういうことじゃないのは分かるだろ? どうしてそういう上げ足取りみたいな議論になるんだよ!
 そりゃ人にはいろんな事情があって、働くことが難しい状況にある人もいるさ。いいとか悪いとかじゃないだろ。
 俺の場合でいうなら、リオがどうしたいか、だよな。
 前にお前のブログにコメントしてくれた人だって、みんな「働きたい」という意欲がとてもある人たちだった。俺はそういう女性をかっこいいと思う。そういう女性が子供も産んで、働くこともできる、そういう世の中がベストだろ。そう思わないか。

(うん。それはそう思う。そうだね)

 俺は、男がいて女がいて、そこで愛し合えば、子供ができるのは必然だと思うよ。
 子供を産んで、その後、仕事をどうするとか子育ての環境がどう、って問題は後からついてくるものだ。
 BUBIのいるところの少子化の問題は、子育ての環境よりも、そもそもそうして男と女がお互いを愛おしく思ったりする、そういう人と人とのコミュニケーションが足りなくなってきてるからじゃないかと俺は思うね。
   
(うーん。じゃあ、私もそういうのが足りないわけか)

 まあそうだろうな。BUBIは理屈っぽいし、男から見ると扱いにくく見えるしな。それにビジュアルも今一つ・・・いてて。

(私のビジュアルのことなんかどうでもよろしい!)

 と、ともかく。
 お前が今、できることがあるとしたら、やっぱり子育て中の女性が、職場でのびのびと働けるよう、サポートすることなんじゃないのか? 

(はい、そのとおりです、ラル)


 ラルフ、という名の彼は、男も女も働くのが普通のことだ、とあっさりと言います。
 世の中の主流はやはりそうなんだろうなー。働くのが当たり前の世の中で、あとは、そのために何をするべきか。だから、少子化対策は働く母のためのものなんでしょうね。
 ただ、働きながら子育てがしやすくなったとしても、それは少子化対策の決定打にはならない気がします。そもそも結婚する人が少なくなったから。
 私はそれを「本能」の欠如とは言いたくありません。てか欠如するようなら、それはそもそも「本能」なんかじゃない。じゃあ何が足りないかというと、やっぱり上に書いたようなことなのだろうと思いますです。
 では、それに対する対策というのは・・・うん、いつもこの先が思いつかないのよね~。

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幸せになるために一番大切なこと

 最初に基本情報を。
 
 私の母は8年前に病気で他界しており、その後一人暮らしをしていた父は3年前に再婚をしました。
 義理の母にあたる再婚相手の女性は父よりも10歳下ですが、60代の父の10歳下。娘としては、なんというか、「よくいらしてくれました」という感じです^^  とてもいい方で、いっしょに暮らしているわけではありませんので、いい距離を保っている、という関係です。

 さて、今回はその義理の母(以下、普通に「母」と書きますね)の娘さんの話。
 母には娘さんが3人いて、いずれも、私よりも年下の20代から30代前半。長女と三女は結婚していて、子供もいて、それぞれの家庭を築いております。
 次女の娘さんも子供が二人います。でも旦那さんとは別れちゃったらしく。まあ、人生、いろいろあるわな・・・ということなんですが、その娘さんには付き合っている人がいまして。昨年あたり、その人と結婚するという噂もあったのですが、どうも相手の人が結婚に踏み切れず、とりあえず今すぐ結婚の話は棚上げになったらしい。詳しい経緯はよく分かりませんが、私の知っている事実関係は、上記のとおりです。
 
 その娘さんは子供二人を抱えて、けっこう生活も大変らしいです。
 しかし、最近引越しを考えているらしい。
 付き合っている、その彼が、横浜の方に住んでいて、そっちへ引っ越したいと考えているようなのです。
 話では、でも別に結婚するわけではない。
 結婚するわけではないのに、引越しはしたい。
  
 私の母はどうも、彼女が横浜の方へ引っ越すのに対し難色を示しているらしいです。娘さんの上の子供は小学生。当然学校も変わらなきゃいけない。娘さんの今の職場からも遠くなる。それ以外に、今、母子家庭で、それで市から補助をもらってるから、それも引っ越したらどうなるか分からない。そして当然、母の今住んでいる場所からも遠くなる。
 まあ引越しに反対する理由はいくらでもあります。
  
 しかしながら・・・

 私は最初、話を聞いた時に、その娘さんが、経済的に苦しいので、どうにかしたい、という相談なのかと思いました。しかし、どうもそうではない感じ。

 経済的に苦しいのをどうにかしたいだけなら、いくらでも方法はあります。引越しなんかやめればいい。極端な話、母といっしょに暮らせば、下の子の保育園代も浮くでしょうし。

 おそらく彼女は、彼のいる横浜に行きたいのだろうと、この話を聞いて思いました。
 それが前提ならば、
「娘の転校のことを考えると・・・」
とか
「引越代等、お金のことを考えると・・・」
といっててもしょうがない、と私は思います。

 私は父に言いました。
「結局、どうするかは彼女が決めるしかないよ。その上で、お父さんもお母さんも、自分たちに何ができるかを考えるしかないのでは?」
 
 横浜にいって彼女が幸せになれるかどうかは分からない。子供は転校することになって大変かもしれない。
 でも、一番大事なのは・・・彼女が後悔しない人生を送ること、だと私は思ってしまいます。

 彼女が付き合っている彼が、子供が二人いる彼女となかなか結婚に踏み切れない気持ちも分かるような気はします。けれど、彼女に横浜に住むよう提案したのは彼らしい。彼女も近くに住みたい。結婚しようと思った時もあるのに、結局その話が棚上げになってるくらいだから、けっこうここは彼女と彼の関係も正念場な気がします。

 近くに住んだからといって、彼と彼女が今後、うまくいくかは分からない。
 けれど、今は、彼女が思うどおりにやってみるしかない。
 それで「彼女の子供が可哀想」という、客観的に見るとそういう見方もあるとは思いますが、結局は親がどう生きるかを子供に見せることしか、私たちにはできない。 
 そのためには、彼女がどれだけ覚悟を決めて、子供たちにもいろいろなことを背負わせる覚悟をして、やりたいようにやるしかないんじゃないかなー。

 どうなんだろう? 私は無責任なのかしら。
 
 しかしその娘さんももう25、6だとのこと。どういう人生を送るか、自分で決める権利はあるわけで、周りが心配しても仕方がない。
 客観的に話だけ聞くと、その付き合ってる人とのカンケーがどうなのよ?という感じがしないでもありませんが、彼女はそれでも彼が好きなのでしょう。そして、結婚ってとこまでにはいかなくても、きっと彼女には彼が必要なのだろうと。
 あれこれ理由を持ち出して、引越しさせないことができたとしても、それで彼女が幸せになれるという保証はどこにもないわけで。結果がどうなったとしても「後悔しないこと」、これが一番、誰の人生にも必要なことだと私は思ってしまいます。きっと彼女の子供たちもは分かってくれるはず。

 子供はまだ小さいから自分の人生を決められない。
 だから親が子供の幸せもひっくるめて、考えてやらなきゃいけない。
 でも考えた末、親自身が一番納得のできる選択をするしかない。
 結果がどうでようとそれが自分が選んだ道ならば、それが、幸せになるための、一番の道だと私は思います。

 さてどんなものでしょうね・・・

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2006.09.09

絵なんか買うわけないでしょー!

昨日は定時で退社いたしました。
 一昨日のバタバタで、後回しにした仕事が、たくさん残ってるような気もしたのですが(爆)、それこそ、
「自分にごほうびだー。今日は仕事せんぞ」
 などと思い、時間になったらとっとと帰ることに。(ちなみに同僚は結局先週は、1日しか来られませんでした^^; 大丈夫なんだろうか・・・)

 で、帰りに近くにあるスープカレーの店「心」でスープカレーを堪能し(リンク先は渋谷店ですが、いったのはさいたま新都心店)ふと、会計時にカウンターにおいてあったちらしを見ると、近くの本屋で「ミュシャ」の版画の展示会があるとのこと。
 ミュシャといえば、プラハに旅行したおりに、プラハのミュシャ美術館へ行きました。とても美しい女神の絵を描く画家で、私の大事な友人に、その絵を彷彿させるようなステキな女性がおり、ミュシャの絵をみていると、その友人と、そしてプラハのことを思い出します。
 ということで、いきました。版画の展示会。

 ところが行きましたら、ミュシャのほかに、奇遇というかなんというか、先日プラネタリウムで見たばかりの「銀河鉄道の夜」のKAGAYA氏の版画がありました。
 プラネタリウムでみたCG画像そのままの輝くような画です。めちゃめちゃ美しい。
 光を当てると、まさに、南十字星から光が差してくるように見える、すばらしい作品でした。すげー。こんなのを偶然見られるなんて、なんてついてるの^^
 銀河鉄道の夜のシリーズの版画は、もし家が広かったら、何枚かセットで買いたいわ~(まじ)
 版画の展示会は、入場は無料、版画は即売をしているのですが、店員さんと、「この絵は玄関、この絵は寝室、この絵はリビングがいいわー」とか、話しておりました。
 
 でも一人で見るのはちょっともったいないですね。小学校に飾ってみんなが朝夕見るくらいでちょうどいい価値があるのではないかしら。・・・ああ美しい・・・

 はい、それで。
 表題でご想像のとおり、もちろん、これは版画を売ろうとする、展示会ですから。
 金額を提示され、けっこう長い時間足止めをくらい、説得を受けました。KAGAYAさんの作品は3枚で100万くらい。人にはそれぞれ価値基準がありますからなんともいえませんが、私は、あの3枚で100万なら安い、と思いました。でもね。
 絵なんか買うわけありません。一部屋しかない自分の部屋に、そんなでかい版画を買ってどうする。ちらかってて、そんな絵を飾っても浮きまくりますよ。

 店員さんはセールストークうまかったですね。
 「家が狭くてもみんなこんなふうに飾ってるんですよー」
 みたいな写真を見せてくれたし、けっこう若い人でも版画を購入してニコニコしている写真がありました。(もちろんセールス仕様でしょうが)。
 そして、部屋が狭いだのなんだの言っても、絶対に、
「将来結婚して大きな家に住んだときのために買われた方がいい」
 とは言わないのです。さすが!! 地雷の場所を心得ていらっしゃる^^ 何に感心したって、それがすごいと思いました。普通は言いそうでしょ? 

 ずいぶん長い間、KAGAYAさんの版画を眺め、KAGAYAさんの情報を教えてもらい、お茶出してもらって、見積もりまで出させ(頼んだわけじゃないのですが)それで手ぶらで帰っても嫌な顔一つしない。さすがな店員さんでしたね・・・しかし、私にかかったのが運が悪かった。
 自慢じゃありませんが、国債は買っても絵は買いません(爆)。
 人には分相応というものがあり、私の小さなごちゃごちゃした家に置かれるようでは、KAGAYA作品がもったいな過ぎます。ぜひ学校や人がたくさんくる家に飾られてたくさんの人を感動させて欲しいもの。

 あー、でも面白かった(笑)。

 こうやって、たとえ、買わない客にも、絶対に嫌な思いをさせないで帰すところもさすがな店員教育を感じます。
がんばれ、店員さん。KAGAYA氏の作品なら絶対売れる! 私は買いませんけどねー

追記:てんがさんのコメントおよびリンクしてもらったHPによると、版画が3枚100万だと、どうやら「法外」な値段らしいです。確かにKAGAYAさんのイラストは、とても美しくてステキな作品なんですが、もし購入を検討されている方がいましたら、そういう絵画展示会ではなく、きちんとしたルートで購入を検討されるべきかと思います。ご参考までに。

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2006.09.07

お、お・・・終わりましたー!!

  今朝、くだんの同僚から電話があって、やはり明日もだめ、出勤できないとのこと^^; なので、今日は一日、二人分の仕事に奔走しました。
  今日中になんとかやっつけねば~~~~~!!

  ・・・ということで・・・

  終わりました、なんとか。計算間違っててもあとは知らん!(こらこら) やるだけはやったのだ~
  
  いや、もちろん、私だけではなく、同僚の前々任者まで呼んで作業をお願いして^^;(前任者は育児休業中)
  変な数字が出れば周り中でチェックして。

  終わって涙が出そうになりました。よかったよぉ~~~
  同僚には電話して、「明日は大丈夫よ♪ ゆっくり休んでね」と伝えました。  

  はぁぁぁぁ~ しかし、できるもんなんだな・・・ 自分でも信じられない。
  
  ・・・ああ、世の中って素晴らしい・・・(爆)

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2006.09.06

ある日、突然、一人いなくなったら。

 いっしょに仕事をしている同僚が、今日は熱を出して休んでいる。
 どうやら明日も来られる見込みが少ないとのことだった。
 そういうときに、
「ゆっくり休んでね。仕事は私にまかせて」
 と言えるのがいい同僚なのだが、私の仕事は給料計算で、明日、明後日中には諸々のデータをまとめて入力をしないと給料日に間に合わない。私もどうしてもやらねばならないことが、今日、明日は山とある。毎月、手当や控除額の変動があるので、1日から始まって10日までは、毎月、キチキチの中で動かなくてはいけない。

 一般論として、今の時代は、
「誰かがいなくなっても、まったく問題がない」
 ならば、その誰かはリストラされる。
 
 同僚が明日、明後日休むのだということを上司に報告したら、
「一人が休んだだけで、仕事が立ちゆかなくなる体制が問題なんじゃないか」
 とか言われた。

 私としては今まで、人員削減で、ぎりぎりのところまで人を減らしてきたくせに、何を言うか、である。
 一回くらい、給料日に給料を出せなくなって、人減らしの結果がどうなるか思い知ればいい、と思ってしまう。

 ・・・思ってしまうが、現実問題、そうはいかない^^;
 
 まあ、こういう時もやれることをやれるだけやるしかないのだ。
 明後日、出社できるかなぁ、同僚。てか、来てくれないと、本当に給料出せない~

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2006.09.05

元気の出るマンガ

 いつも読んでいる「ビックコミックスピリッツ」という週刊青年マンガ雑誌で「バンビーノ!」(せきやてつじ著)という作品が連載されています。

 九州男児の若き料理人、伴(ばん)くんは、東京の六本木の有名料理店で修業のために働くことになるんですが、やることなすこと空回り。故郷ではいっぱしの料理人のつもりでいたのに、その店ではひよっこ、つまり「バンビーノ」扱いされちゃって、自らの未熟さを思い知らされ、悔しくて、情けなくて仕方ないという・・・
 この挫折っぷり、囲碁で負けまくって、それは実力がないからなのに、落ち込んだり泣いたりしている私としては、どうにも通じるものを感じてしまって、伴くんを応援したくなっちゃうわけです。

 彼は本当に一生懸命でね・・・一生懸命な若者っていいですねー。
 何かに必死になったり、がんばったりするのってかっこ悪いと見られがちな昨今。「バンビーノ!」みたいなマンガってちょっとスポ根的な感じもあるから、スタイルとしては古いのかなぁ?
 でも、私は好きだ。
 伴くんは未熟なくせに、それを認めようとしなくって、一人前になろうと必死で。
 料理人だけど、今は修業のためにフロアに出て接客をしているんですが、おっかないけどかっこいい、老年女社長(レストランのお客です)に見込まれて、テーブル担当に指名されたりして「バンビの接客はまだまだだね」とか言われています。
 でも、ようやく「来てくれる客に愛情をもっていいサービスを提供する」ということに開眼し、バンビ目当てで来てくれるお客さんもできたりして。いい顔になってきました。

 そうやって壁にぶつかる度に落ち込むけど、がんばって、それを乗り越える伴くんを見ていると・・・
 いや、単純って言わないでね。ほんと月並みですが、私も勇気が湧いてくるんですよ~

 今の若者は、安っぽく、ドラマがないのだと。その「老年女社長」達は、マンガの中で言っていました。でも伴くん・・・彼のような若者が、オリジナルを作り出せる力を持っている。そう語るシーンが今週の「バンビーノ!」にありました。
 オリジナル、か・・・
 私も、あまりドラマのない人生を歩んでいるような気がしますが、いつか自分にしか作り出せない何か、を作りたいな。

 「バンビーノ!」は元気の出るマンガ。これからも伴くんの活躍に期待します。
 

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2006.09.04

喰ったら寝るな、寝るなら喰うな!

 いつもウィークデーに体重が増え、週末に戻すというサイクルできていたのですが、この週末は体重が増えっぱなしでした・・・;;

 あまり食べてはいないのですが、運動をしてないからでしょう^^;
 
 朝起きて、朝食を食べて、ちょっと洗濯とかしながらのんびりして、気持ちよくて寝ちゃって、起きてお腹空いてるので昼食をとる。
 で、囲碁やったり、ブログ書いたり、ゲームしたりして過ごして、また時間がたって、ご飯を炊いて夕飯の準備。で夕食を食べる。風呂入って寝る。

 これじゃなー、食べ過ぎなくてもやっぱ減らないやね。

 今月の標語「喰ったら寝るな、寝るなら喰うな」

 せめて1キロ減らしたい・・・

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2006.09.03

棋譜とれないよ~

 最近、囲碁ネタを書くことが少なくなったので、
「囲碁、やめたんじゃないか」
 と思われている方がこのブログをみている50人くらいの方の中に一人くらいいらっしゃるかもしれません。
 とんでもない!
 宿命のライバルSTONECOLD氏との第○期迷人戦も始まろうかという今日この頃。11月には日中友好囲碁大会もあります。(げ、あと2ヶ月半だ^^;)
 気合入れねばなりませんな。

 日本棋院の土曜囲碁サロンに通っているのですが、そこで、近頃は、棋譜をとることを始めました。
 棋譜をとる用紙はもちろん、はじめさん仕様のかわいいごっくんイラスト付き碁罫紙。
 今まで2回ほど棋譜をとったのですが、とった棋譜を、パソコンのMultiGoで再現し検討しなおしたりするのがまた勉強になって、良い感じです。

 しかし、昨日の土曜囲碁サロンでの対局は!
 一級下の方と、コミなしで、私が白番という対局。自分が相手よりも上の級を名乗っている以上、負けるわけにはいかない対局です。

 序盤早々、隅を取らせる代りに、中央を厚くした場所に、相手が打ち込んできました。ここは強く戦わなくてはなりません。上手の実力を見せ付けてやるぅ~~~
 と、がんばったのですが、敵もさるもの、私の大模様の中で生きちゃいました。
 うまかったですねー相手の方。気がつけば、見合いになってて、見事にしのがれてしまいました。
 ただ、私もただでしのがせたりはせず、周りの自分の石もちゃんと生きております。・・・ふふ、昔は相手が生きたとたん、自分が死んだりしてましたが、生き生きの選択ができるようになったのは進歩だ(爆)。

 生き生きにはなったものの、自分の大模様は荒らされております。ここからはこちらも敵陣の中に踏み込んでいかないといけません。こちらの石に危ない石なし。反撃のチャンスです。

 ・・・そう、こうなったら、もう棋譜なんか悠長にとってる場合かー(爆)。
 碁罫紙もペンもかなぐり捨ての死闘が始まりました。

 結果は・・・・5目差で私の勝ちー♪ やったね♪

 相手の方は序盤の生き生きで自分が有利だと思われてしまったらしく、後半は大事に打とうとされていました。
 おかげで、私はヨセでほとんど先手をとることができ、中央にも白地がつきました。

 囲碁の後半というのは、どちらがより大きいところに先着するかの勝負。私も上手と打つと、大きいところはほとんど上手に持っていかれます^^; でもどこを一段落と見て、そういうところに先着するかというのも、囲碁の難しいところの一つなのですよね。

 あと、昨日の対局で一つ嬉しかったのは、私が三三に入り、基本定石になった形で、
「相手がそこを打っても、まだ私は手抜きができる」
 というところで大場に先着し、後になって、相手がそこに打ってきても、しっかり生きることができたこと。
 こういうのができると、自分の囲碁の勉強もムダじゃないんだなーと思えます。だって昔は、それが定石のはずなのに死んでたものー。
 まあ生きても負けてたらだめですが、ちゃんと勝てたし。

 それにつけても、正念場になると、棋譜をとってる余裕がなくなるのはどうしたものか。
 家でパソコンで打ってても、私の場合は音楽でさえだめです。盤面だけに集中したくなる・・・
 いっしょに土曜囲碁サロンに通っているhosinoishiさんは、それは慣れだとおっしゃっていましたが、慣れればできるようになるのかな・・・・

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2006.09.02

感動した~「スターライトドーム満天・銀河鉄道の夜」

 清里で、星空を眺めて、初めて天の川や流れ星を見た夜。そこのペンションにあった天文雑誌に、サンシャインプラネタリウムのプログラムの宣伝が出ておりました。それがこちら。

「サンシャインスターライトドーム満天・CGプラネタリウム番組・銀河鉄道の夜」

 サンシャインのプラネタリウムって、一時期閉鎖の話があったらしいですが、コニカミノルタが買い取って「サンシャインスターライトドーム満天」に生まれ変わったらしいです。私はサンシャインの水族館には何度か行ったことがあるのですが、プラネタリウムは初めてでした。

 このプログラムはプラネタリウムというよりは、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を解説しながら、その舞台を美しいCG映像と星空に重ね合わせて見せてくれます。

 オープニング。地上の川岸を列車が走っていき、白鳥が川を渡っていきます。
 宮沢賢治のふるさと、北上川。そこを走る列車。現実の風景が、空の星座に重なっていく・・・
 
 「銀河鉄道の夜」、実はあまりちゃんと読んだことがないんですが、初めて、「こういう話だったのか!」ってすごく納得しました。

 空を渡っていく銀河鉄道・・・でも、その空は「銀河鉄道999」みたいな「宇宙」じゃなくて、私たちが見る夜空に広がる星座の世界なんです。

 白鳥座を出発し、天の川沿いを走り、さそり座のアンタレスを対岸に眺めながら、終着駅サザンクロスまで。
 
 私は、清里で、トトさんという優秀なナビゲーターに案内してもらいながら、現実の星空で、白鳥座と天の川を眺めたばかりだったので。

「ああ、これって、本当にあの星空の世界なんだ・・・」

 って。なんだかとても感動してしまいました。

 宮沢賢治はきっと、小さな頃、ふるさとで、ジョバンニのように丘の上で星を眺めながら、星座の世界を渡っていく銀河鉄道を創造し、その世界を物語にした。
 CG映像で見る「銀河鉄道の夜」の幻想の星座の世界は、めちゃくちゃきれいでした!!

 トトさん、ぜひ見に行って~♪ そして星空に詳しい方もそうでない方も。
 この「銀河鉄道の夜」というプログラムは好評につき、ロングランが決定。11月までやってますが、ちょうど、星空の時期は今!
「りんどうの花が咲いているよ」「もう秋だね」・・・
 あの美しいリンドウの花の野原をぜひ、この9月に見に行ってください。あ~私もまた見に行っちゃうかも~

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2006.09.01

今日の占いと「体重を測る」こと

伊坂幸太郎の「重力ピエロ」というお話を読んでおります。
読んでいると知らず知らずの内に、思考回路が伊坂流になっていったりして・・・

今日思ったのは。
私は毎日、ダイエットのため、朝、体重を測定して記録しているのですが、この「体重を測る」という行為は、朝、テレビでやっている「今日の占い」を見るのと似ているなぁと思いました。

体重計に出る数字。数字だから絶対正しいと思うじゃないですか。
でももしかすると正しくないかもしれない。ほんとにあれって「体の重さ」なんでしょうか?

いえ、軽い方がいいからって、疑ってるわけじゃなくて。
たまたまその日は体の水分量が多かったりして。
たまたま前の日に食べた物の影響でお通じが悪かったりして。
もっといえば、何か床の傾きで、違う数字が出ているかもしれない。
前の日の地震の影響で、誤差が出てるかもしれない。

要は出ている数字は自体は正しいとしても、それが「自分の体重」かどうかなんて誰にも分からないです。なのに、みんな簡単にあれが自分の体重だと信じてしまう。不思議だなぁ。体脂肪計も、どんな仕組みかなんて分からないのに、そこに出る数字が自分の体の脂肪を示す数字だと信じてしまう。誰も体を切って調べてみたわけではないのに。

「今日の占い」と同じです。
そこで言っていることがホントかどうかは分からない。

その情報を、信じるか信じないかは自分の内側にある話で、情報自体には、真も偽もない。
その点においては「占い」だろうか「体重計の数字」だろうが、あまり変わらないんだな、と。

何を訳の分からないことを書いてるんだ?って思われるかしら。

訳が分からないように見えて何かとつながっている・・・それが伊坂マジック。
興味が湧いたら「重力ピエロ」読んでみて下さいね。

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