« 「ピカソとモディリアーニの時代」 | Main | 短所。 »

2006.09.18

世の中は不公平なんだろうか~宮部みゆき「我らが隣人の犯罪」を読んで~

 宮部みゆきの短編集「我らが隣人の犯罪」を読んでおります。この記事は、この本の感想ではありません。本筋とは関係ないところで、ふと読んでいて思ったことについて綴っております。

 それは「世の中は不公平なんだろうか」ということ。

 「我らが隣人の犯罪」という作品では、登場人物についてこんな描写があります。かたや必死に働いても生活が楽にならず住宅ローンを抱える一家。かやた何億という金を稼ぎ、その上脱税を目論む男とその愛人。

 お話は勧善懲悪、男と愛人は脱税で捕まり、住宅ローンを抱える一家の子供は思いがけない幸運を手に入れる・・・というお話です。まあ、フィクションですから、そういうお話があってもいいとは思います。
 ただ・・・思うのですが、仮に、本当に、隣に何億も稼ぐ人がいて、自分の家は普通のサラリーマンだったとして・・・
「世の中って不公平だ」
 と思うのって、正しいのかなぁ?

 以前、ドラマ「女王の教室」で阿久津先生が、確かこう言っていました。
「この教室の中で、幸せになれるのは1%」
 お金持ちになって、何億も稼いで、ディズニーランドに優先パスで入れて・・・いや、そりゃそうかもしれません。誰もがそんな大金持ちになれるわけでなし。 

 でも、だからといって、競争に勝つことだけを考えたりするのが正しいのか?と。あのドラマはそういうことを考えさせられるドラマでした。それも、「自分でその間違いに気づけ!」という・・・「いいかげん、目覚めなさい」ですね。懐かしい~♪

 あのドラマで生徒だった神田和美は、こう言っていました。
「幸せって一人一人違うんじゃないですか? 私はこのクラスは全員幸せになれると思います」
 私もそう思います。

 世の中は不公平ですよ、そりゃ。
 だって、人間は生まれながらに一人一人違うンだもの。

 走るのが得意な子もいれば、勉強が得意な子もいる。
 マンガが好きな子もいれば、サッカーが好きな子もいる。

 そういう一人一人が、誰が何億稼ごうが、関係なく、みんなが幸せになれることが理想で。
 「金」という価値観一つで、隣と自分とを比べて不公平だと思うことは、不幸でしかないと思います。

 普通に食べられて、普通に暮らせて、普通に学校に通える。
 たとえば「格差社会」の問題はその「普通」が崩れていっていること。
 ただ、上を見れば本当にきりがなくて。豊かな生活ってなんでしょう? 普通に暮らせればそれでいいんじゃないのかなぁ?

(引用開始)
 つまり、世の中には不公平なことなどいくらもあるってことを。先生も親も「努力しなさい、努力すればむくわれる」なんて言うけれど、言っているその声に今いち力が入ってないのは、大人たちの暮らしの周りにも、似たようなことがたくさんあるからなんだろう。それと知らずに「努力しよう、努力すればむくわれないことはないんだ」と真に受けて育ってしまうと、大人になってから自分を振ってもっといい給料をもらっている男と結婚しちゃった元恋人を殺してボストンバックに詰めて捨てちゃう、なんてことになってしまうわけだ。
(引用終わり)

 いやいや、ぼうや。だからってそれが努力しない言い訳になんかならないよ。
 努力すれば報われる。でもその報いは何億も稼ぐことじゃないんだ。

 私がこの主人公のそばにいたら、そう説教を垂れます(爆)。

(参考記事)
 「努力に報いるのは金じゃない」

|

« 「ピカソとモディリアーニの時代」 | Main | 短所。 »

「書籍・雑誌」カテゴリの記事

Comments

わー。
私、宮部みゆき大ファンです!

で、私は、主人公の言ってる事、
分かるけどなあ…。
要は、現実はそんなに甘くないよ、
ってことを言いたいんじゃないかな、と。
別に「努力しても報われない」という意味ではなくて、
現実には努力だけではどうしようもない事もあって、
その現実を受け入れられない人が、
「自分を振ってもっといい給料をもらっている男と結婚しちゃった元恋人を殺してボストンバックに詰めて捨てちゃう、なんてことになってしまう」
て言いたいんだと思うんですよ。

お仕事もそうですよね。
頑張って努力してる人が評価される訳じゃない。
努力の「ど」の字がなくたって、
業績さえ出せればいいんです。
世の中、正直者が馬鹿を見る事はいくらでもあります。
そこを理解して「努力」しないと、
心が病んだり、歪んだりするんだよ、
って事なんだろうと私は受け取ってますけど…。

>世の中は不公平ですよ、そりゃ。
>だって、人間は生まれながらに一人一人違うンだもの。

でもね、世の中には、
「あの人と同じようにやってるのに、
どうして私は違うの?」
って思ってる人もいるんですよね。
(こういうのが、振った恋人をボストンバックに詰めて捨てるような人ですね)

私から見ると、
BUBIさんのそう言っている内容と、
小説で男の子が言っている内容は、
私には同じに聞こえますけど…。

世の中は不公平なんだよ、本当は。
そこを、努力すれば「同じになれる」なんて、
信じ込んだらいけないけれど、
先生は子供にはそんな風に教えるものだから、
真に受けちゃいけない、
という事じゃないですかねえ。

私だったら、
コドモはもう少し、
夢や希望を追いかけなさい、
って言いますけど(笑)
まあ、現実的な子供も悪くない……かな?

Posted by: あきら | 2006.09.19 at 14:11

どもども、あきらちゃん、いらっしゃい。

世の中は不公平ですが「不公平だ」と思ったら負け、だと私は思っています。何に負けるのかは、書いちゃうと嘘くさくなるので、ご想像におまかせしますが^^;

ただ、世の中を不公平だと思ってしまうと

○まじめに生きるのが馬鹿馬鹿しくなる
○働くのがアホらしくなる
○楽して暮らしたくなる
○人をだましても自分が得したくなる
○うまくいったヤツをねたみたくなる
○真面目で貧乏なヤツをいじめたくなる
○うまくいかないと死にたくなる
etc.・・・
それこそ、犯罪でもなんでもしてやれと。

今の世の中って、うまくやったヤツが偉くて、貧乏なヤツは敗残者だ、みたいな風潮が蔓延しているようで、嫌な世の中になったなぁと思ってしまいます。

私は、文中で
>世の中は不公平ですよ、そりゃ
と言ってますが、
基本的には人間は平等だと思ってます♪
(ゆっちゃった)
誰でも幸せになれる権利を持っているという意味において。
置かれた環境によって、一つの物差ししかなかったら、そりゃ不公平はあるけれど、物差しは一つではないですから。

そして、その、本来平等であるべき権利を捨て去る行為が
「世の中、不公平だ」
と思い込んでしまうことだと思うのです。

子供に
「先生や大人が言ってること嘘じゃんかよ。世の中、不公平なんだよ、ばーか」
なんて言われて、おろおろしてしまうようでは大人がすたる(笑)。

たとえば、
「隣の○○ちゃんちではゲームいっぱい買ってくれてる。なぜ俺は買えないんだよ。家が貧乏なのがいけないんだ」
なんて言う子供がいたとして。
「ああ、そう。そんなに家が嫌なら、○○ちゃんちの子になりなさい」
って言いますよね、親って。
で、子供は。
「やだー」
 となるのが、まあ普通。
(そこで「ああそうかよ、死ね、ばばあ」とかなるのかな、今の子って)

 大事なのは金だったり、ゲームがいっぱい買えたりすることではなく。このお母さんの子供、であったり、この家の子、であることで。そういうことを、子供はこういうやりとりから学んでいく。

 大事なのは金じゃない。
 本当に大事なのは・・・

 私は常々、そんなふうに思っているので「我らが隣人の犯罪」の主人公の独白などを読むと、ちょっとひっかかりを感じてしまうのでありました。
「人間は平等だ」
「努力することは大事だ」
 そう言う言葉に対して
「そんなの嘘だ。真に受けちゃいけないんだ」
 なんて私に言わせると「生意気なこと言ってんじゃねー」って感じですが、まあ、中一の子供だったらこんなものなのでしょうね。
中一だから当たり前ですが・・・まだまだ青いわ(笑)

Posted by: BUBI | 2006.09.20 at 12:13

なるほど…。

BUBIさんって、オトナで、強い人で、
前向きなんだなあ…。
あ、私も前向きは前向きだけど…。

私なんかは、

>誰でも幸せになれる権利を持っている

権利は持ってても、
権利だけで、
幸せになれない人もいるよね。
って思っちゃいますね…。

ちょっと話がずれちゃうけど、
私の通ってた小学校では、
6年生だけ、卒業前に、
校長先生の授業を受けるっていうのがありました。
要は校長先生の演説を、
1時間教室で聞くってだけの時間なんですけど。
で、その校長先生が、
ある詩を読んでくれたんです。

どんな詩だったか正確に覚えてないけど、
「びりの人がいるから1等賞の人がいる。
負ける人がいるから勝つ人がいる。
不幸が何かを知っているから幸せが分かる。」
みたいな内容だったんですよね。

私は、実はBUBIさんとは少し考え方が違って、
世の中不公平なのが、当然なんだって思ってます。
それは、みんな一緒じゃないからなんだけど、
「貧乏な人がいるから裕福な人がいる」
私の言う不公平は、こういう感じでしょうかね。

お金持ちの人は偉ぶってるけど、
それだって私らみたいな庶民がいるからだよーん、
へへーん! て。
みんな裕福だったら、
そんな人がいるはずがないですからね。
だから、私は「不公平」=不幸せ、
だとは思ってないんですけどね。
まあ、ずるいなあって思う事はありますけど。

だから、私はあの小説の男の子の持論は、
「努力しても報われない事はあるけど、
報われなくたって努力する価値を見いだせない人が、
歪んだ大人になっちゃうんだよ」
って言ってるように聞こえるのかもしれません。
不公平なもんなんだって、
分かって努力すればいいんです。

って、それも夢がないかなあ…。

Posted by: あきら | 2006.09.20 at 23:10

ふむふむ。
いらっしゃい、あきらちゃん♪

>>誰でも幸せになれる権利を持っている

>権利は持ってても、
>権利だけで、
>幸せになれない人もいるよね。
>って思っちゃいますね…。

それは「幸せ」とは何か、をどう定義するかにかかってきますねー。

たとえば、先の例にだした
「隣の○○ちゃんちではゲームいっぱい買ってくれてる。なぜ俺は買えないんだよ。家が貧乏なのがいけないんだ」
っていう子供が
「ゲームがいっぱいある」=幸せ
だと考えているのなら、この子はこの家にいる以上、幸せにはなれません。
○○ちゃんの家にいった方がいいわけです。
でも。
やっぱそれは嫌で。
この家の子がいい♪わけで。

幸せは人によって違う。1等もビリもない。
スマップの歌じゃないですが、人それぞれが「オンリー1」なんだと思います。
「世の中って不公平だ」
と思って人をねたんだり、世の中を恨んだり、自分の生活環境や親を憎んだりしなければ、誰だって幸せになれる。
誰だって1等になれる。
誰だって世界で一番幸せになれる。
貧乏か裕福かにあまり関係なく。

「我らが隣人の犯罪」という小説で、きっと一番大事なのは・・・
ダイヤモンドが手に入ったことではなく(あ、ネタばれしちゃった)妹がその犯罪計画にわくわくして元気になったことなんですよね。
(はっきりそうは書いてないけど)
ダイヤはおまけ、みたいなものですわ。
作者の意図もそこにあるのかも。

お金は手に入らなくて「なーんだ」となって、でも「まあ楽しかったしいいか」みたないことになったときに、まったく意図しないところで幸運が転がりこむ。世の中はそういうもの、という。

現実の世界の中では「なーんだ」となってそこで終わりなことが多いわけですが、おまけのダイヤがなくたって、妹が元気になったことが一番の収穫であったのだろうと思います。
あの小説の彼も、きっとそれは分かっているのかも。頭のよさそうな子でしたから。

ふふ、だから余計、私は説教したくなっちゃうのです。
「あんまり、世の中を不公平だと思わない方がいいのに~」
って^^

おそらく、一つの物差しだけで計れば、世の中って永遠に不公平なのだと思います。
「みんなが裕福」にはならない。
だって日本なんて、きっと世界のもっと貧しい国から比べたら「みんなが裕福」に見えるだろうに、そのちっちゃい国の中で、誰が金持ちで、誰が貧乏ってやってますし。

不公平と思えば人をねたみたくなったり、自分の境遇を呪いたくなったりしますけど、「自分が一番幸せ」と思っていれば、本当にそうなれるのだと・・・私はノー天気にそう思って毎日を過ごしています^^

Posted by: BUBI | 2006.09.21 at 10:27

>それは「幸せ」とは何か、をどう定義するかにかかってきますねー。

うーむ。
なんか、
「不公平でもいいじゃない」と思ってる私と、
「不公平なんかじゃないじゃない」と思ってるBUBIさんが、
根本的には同じ結論に達している、
っていうのが面白いなあ…。

本当は、世の中みんなが、
BUBIさんの言うように、
絶対評価を持っているのが一番ですよね。

でも、タンポポやシロツメクサは、
お花屋さんには並ばないのです。
「世間」の評価では、
雑草なんです。
買う価値のないお花なんです。

でも、私は雑草もお花だと思ってるし、
(あ、そしたら、私も、
「みんな平等」だって思ってるんじゃん<笑>)
誰でも名前を知っていて、
道ばたで見かけた子供達が顔をほころばせるのを知っています。
タンポポが大好きって人だって、きっといますよね。

だけど、世の中は相対評価なんだって事を、
ちゃんと覚えておかないと、
傷ついちゃたりする人もいて、
「おまえは雑草じゃんか」
ってお花屋さんの薔薇に言われたりするんです。

ほんと、なんでこんな世の中なんでしょうね?
雑草で悪いか!
雑草には雑草の幸せが、
きっとありますよね♪

ま、モノは考えよう、ですね。
新井素子の小説の一文に、
「自分が不幸だって思うから不幸なのよ」
みたいな文がありました。
全く、その通りだと思います。

Posted by: あきら | 2006.09.21 at 15:14

追記。

校長先生のお話って、
「1等賞だからって自尊心を強くしちゃいけない。
びりである人はそれをを誇りに思いなさい」
というお話なんですよ。

雑草のタンポポが、
お花屋さんの薔薇を、
「高価」に思わせているんです。
タンポポがいなかったら、
薔薇の価値が出ないんです。

相対評価があるのは、
すばらしい人がいるからじゃないんです。
すばらしい人になれたのは、
外れくじを引いた人がいるからなんです。

試合で勝つのも、
勝った人がすごいんじゃなくて、
負けてくれた人がいてくれるからなんです。

これって、
1等賞もブービー賞も、
どっちがすごいとかじゃなくて、
「平等なんだよ」
って事だと思いませんか?

私の曲解かなあ…。

Posted by: あきら | 2006.09.21 at 15:24

どもども、あきらちゃん。

「1等賞だからって自尊心を強くしちゃいけない。びりである人はそれをを誇りに思いなさい」

ふむ・・・
私は、1等賞だったら1等を誇るのはいいと思うのです。

たとえば、子供がたくさん居る人は、子だくさんを誇っていい。
「子供を生めない人もいるのよね」
なんて、遠慮しないで。
同じように、試合で勝った人もすごいと思います。
甲子園の優勝校はそれを誇っていいと思う。私なんかの場合だと、囲碁は勝ち負けを競いますが、勝った人をすごいなぁと思うし、やっぱりそれはそれだけ勉強しているということだから偉いと思います^^
で、負けた自分のことは、それを誇るというよりは、もっとがんばって強くなろうと思います。

たんぽぽとバラのたとえがありましたが、
たんぽぽがいるから、バラの価値が出るというよりは、バラはバラで美しいし、たんぽぽはたんぽぽで美しい。
それで特に問題はないのではないかと。
お店で売れたって売れなくたって、それぞれの美しさが損なわれるわけではないし。

校長先生の時代は、自分の優れた部分を誇ったり、自尊心を持ったりすることが驕りだと思われていたのだと思います。
もちろん、自分が野球で優勝したり、囲碁で勝ったりしたときに、弱い人を馬鹿にしたりするようではよくないですが。

うーん・・・・
ちょっと整理が難しいかしらねー。

物事に優劣は確かに存在する・・・
頭のいい人もいればそれほどでもない人もいる。
スポーツ万能の人もいれば運動音痴の人もいる。
誰もが振り返る美人もいれば、そうでもない人もいる。

物事に優劣はあるけれど、でも平等。
人それぞれ、自分だけの何かを誇れればいい。

そして、私たちは、自分にない物を持つ人をねたんだり「不公平だ」って思うんじゃなくて、それぞれが持つものを尊重し、尊敬しあえれば良いのですわ。

私がもしたんぽぽで、
「お前なんか雑草で、お店に置いてももらえないじゃん」
とか言われても、私はきっと平気です。
だって、お店で売られる花は、根もないし、タネも作れないけど、雑草ならコンクリートの隙間からでも葉っぱを出して、花を咲かせて、タネも作れますもん。
たまに上の葉っぱだけ草取りでむしられちゃっても、根はちゃんと残っていて、また芽を出すことだってできる。
花屋で売られる花をキレイで素敵とは思うけど、私は私で自分の一生をまっとうするだけだわー。

・・・なんてね^^
そう思えるようになったのは、やっぱ年を取ったからなのかもしれませんよ、うん(爆)。

Posted by: BUBI | 2006.09.22 at 15:26

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/47997/11947983

Listed below are links to weblogs that reference 世の中は不公平なんだろうか~宮部みゆき「我らが隣人の犯罪」を読んで~:

« 「ピカソとモディリアーニの時代」 | Main | 短所。 »