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December 2006

2006.12.31

来し方行く末

 先日、仕事帰りにスポーツクラブへ行きましたら、偶然、職場の後輩といっしょになりました。エアロバイクをこぎながら、
「新年になったら歌い初めに行きましょうね」とか
「最近体重が全然減らなくて」とか
「誰と誰が付き合ってたけど別れたらしい」とか
 まあ、いわゆる世間話をしていました。後輩は6才下、未婚、一人暮らし。年齢以外は共通項が多いせいか、いっしょに遊びにいく遊び友達となっています。

 で、その中でふと出た話題。
「BUBIさんは今年新しく友達になった人っていますか? 私、全然いないんですよね。年賀状を書いていると、減りはするけど増えてないんですよ。やばいですよね~」
 と言っていました。・・・どきっ。いるかなぁ、新しい友達。
 
 以前はネットの掲示板で同じ趣味の人と知り合いになって新しい友人ができたりしていたのですが、新しいことを始めるのって、どうも波があるようで。

 囲碁は4年と1ヶ月(長)。
 ブログは2年と4ヶ月(この中では一番短い)。
 片思いが3年と1ヶ月(笑)。

 ちょうど、私の場合、3~4年前に、新しいことを始める波があったようです。ちなみに。

一人暮らしは10年と7ヶ月(さいたまに引っ越してからは6年と9ヶ月)
小説を冊子に投稿し始めてからは9年と1ヶ月、
最初の片思いもほぼ10年前。

 というわけで10年前にも一度、波がありました。
 うん、その頃結婚とかしてれば、子供が小学校にあがるくらいだし、3~4年前なら、子育て奔走中の現在だったかもしれないですね。まあ全て「if」の話。 

 こうしてみると、やはり、人生には「転機」というのがあるようです。
 思い起こせば10年前の大きな波の時につくづくそう思いました。何かが変わる時っていうのは、自分で変えようと思う「意志」より先に、自分の外側のいろいろなことが全て動きます。信じられないくらいにいろいろなことが起こってきて、それ以前の生活とは価値感さえも変わるというか。

 実は今年は「おとなしくしていた方がいい年」でした。今までの成果が実になる時だったらしいですが、実になったものを考えてみれば、囲碁の4級くらいかな。あとは、小説の連載がいったん最終回を迎えたことと。
 そして、どうもこれから数年は、運勢は今ひとつのようです。2007年は変化の年になるのかそれとも安定の年になるのか・・・いずれにしても、来年中に一人は、また新しい年賀状のあて先が増えるようにしたいものです^^
 
 さて、本年も、当ブログをごひいきにしていただいてありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。_(._.)_

 

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2006.12.27

「難しい」はのろけなのか!?

 囲碁を始めた当初からNHKの「囲碁の時間」のテキストを買って勉強しています。今は講師が山田規三生九段で、「山田規三生の超攻撃法」というタイトルの講座が開かれています。
 この「超攻撃法」。なかなか難しいんですよねぇ~

 「難しい」という意味にもいろいろありますが、どう難しいかというと・・・
 囲碁を打つ時に「どちらを打つのが大きいか」という考え方があります。「一手の大きさ」・・・この意味自体が難しいのですが、「どちらが大きいか」「大きい方を打て」と言った時に初級者はその「大きい」の意味を「地の大きさ」だと勘違いしちゃうんですよね。(私だけかなぁ)
 
 山田規三生九段の講座では、12月に「捨て石」の話がありました。「捨て石」というのは、自分の打った石を見捨ててしまうことなんですけど(捨てた石は相手の得点となります)、その一つの石の価値以上に、その石を利用したことによって得られる得が「大きい」時は捨て石を選択するのがいいわけです。

 講座を見ていると、確かに、石を捨てて代わりに別のところに打つと、広げたところの面積は大きいのですが・・・大きいところには打ち込みがきます。打ち込んでさばかれる。
 つまり、石を捨てて「大きい」ところに打ったとしても、その「大きさ」は地が大きいわけじゃない。じゃ、何が大きいのか。そこを打ったことによってどう得なのか。その後、その碁はどうなるのか。

 それがね、イメージできない(爆)。
 だから、山田九段の講座は「難しいなぁ」とつくづく思うのです。
 
 というようなことがありまして、囲碁を打つ友人に「山田九段の講座って上級者向けで難しいよね」という話をしました。が、その友人に、
「その話は何度も聞いたよ。なぜBUBIさんはそれにそんなにこだわるのか。『難しい』ことが嫌なの?」
 と聞かれました。

 はて????
 私は「難しい」のが嫌なんだろうか。

 いろいろ考えて思ったのですが、私はかつて、囲碁ってもっと簡単なものだと考えていました。もちろんプロとかになるんだったら難しいでしょうけど、アマチュアで趣味で打つくらいなら。だって「初段くらいはすぐなれる」って周りの人がみんな言うんですもの。

 ところが実際は囲碁は思ったよりもずっと難しかった。「初段」だってすぐはなれません。
 まあその・・・最初から難しいと言っちゃうと、囲碁をやろうと思う人自体が少なくなっちゃいますから、そうは言えないのも分かるんですが、どうもやはり個人的には「だまされた」感が非常に強いわけです^^;私の場合。
 なので、何かというとつい「難しいよぉ~」と言っちゃうんですよね。で、相手にも「そうだね、難しいよね」と言って欲しい。分からないのは自分がバカだからじゃなくて、囲碁が難しいからだと思いたい(爆)。
 愚痴っちゃってすみませんm(_ _)m>囲碁友の皆様。

 囲碁は確かに難しい。でももしかしたらそれが嫌なわけではなくて、逆かもしれません。好きなのかもね。好きだから言っちゃう。
「難しいよね~」
 ありゃ、じゃあ、それは愚痴じゃなくのろけなのか?(どちらにしても迷惑なのは変わらないとこがなんとも)
 なかなか初段になれない私にとって、囲碁って一生懸命ラブコールしても振り向いてくれない恋人みたいです。でも、片思いする相手が囲碁ならばストーカー防止法にも引っかからないでしょう。なかなか振り向いてくれない恋人をずっと想い続けるのは私、得意です(爆)

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2006.12.26

笑ってしまった・・・「野心測定テスト」

 いろいろと、心理テストやらなにやらをするのが好きな私。今日のチェックは、「上昇志向をチェック! 野心測定テスト」です。

 結果は・・・いやー笑った。これ、当たってます。
 
 私は、現実は、保守的かつ堅実な生活を送ってるんですが、内心は「野心家」です。自覚あります。もうちょっと若い頃は、前もどこかで書いた気がしますが、政治家の奥さんになって、日本の政治を裏で操るのが夢でしたもん(爆)。これは「裏で」っていうのがミソ。表に立てば、政治家なんていろいろと叩かれたり、足を引っ張られたり、つぶされたり、中傷ビラをまかれたり、大変ですもの。

(引用開始)

あなたの結果は……

野心を秘めた、道を極める達人!

 自覚はしていないかもしれませんが、あなたの中には野心がふつふつとわきだっています。1つのことをコツコツと続けて、いずれはその道のエキスパートになりたい。そんな願望がありそう。その道では誰にも負けたくないという野心は十分ですが、成功までにはかなり時間がかかりそう。でも、たとえなかなか芽が出なくても、あきらめずに頑張ることが大切です。

(引用終わり)

 これ、何が笑ったかというと「野心は十分だけど、成功するには時間がかかる」っていうところ。まいったなぁ~。寿命で追いつかないわよ。
 「一つのことをコツコツ続けていずれはその道のエキスパートになりたい願望」は、具体的には、今、最もがんばっている「囲碁」にそれが現れています。
 囲碁を始めた年齢も遅いし、数学は弱いし、詰碁がさっぱり解けないし、客観的に考えれば「エキスパート」になんかなれるわけはないのですが、なんというか・・・うん、そう。

 なりたいと思うのは・・・・
 ・・・
 ・・・
 自由だーーーーーー! (by犬井ヒロシ)

 あはは、いやいや、エキスパートなんていうと身の程知らずで、「ふざけんじゃねー」と言われそうですが、今、現在がへぼでも、もうちょっと囲碁のことを知りたい、うまく打てるようになりたい、と思うのですよね。
 というわけで、野心は確かにありますが「道を極める達人」かどうかは、ホントのところ、はなはだ疑問です^^ 

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2006.12.25

プチ・サンタクロース

 今日はクリスマスですね。クリスマスイブが日曜だったから、ケーキを食べたり、プレゼントを贈り合ったりするのは、昨日だった人が今年は多いのかな。
 23日の日、近所のスーパーに行ったら、鳥の料理やオードブルやらケーキやらが山のように並んでいて、
「さあクリスマスだ。さあ買いなさい、パーティしなさい」
 って感じでなんだかおかしくなってしまいました。まだ本番じゃないでしょうに~
 でも、日本人にとっては、クリスマスはイベントで、25日であることにあんまり意味はないのでしょうから、パーティをやるんだとしたらやっぱり週末だったんでしょうね。
 
 さて、私はといえば、22日あたりは仕事帰りに大宮ルミネへ行き、クリスマスプレゼントの仕入れをしてきました。最近たまに思うのですが、プレゼントというのは贈られるよりも贈る方が楽しいみたい。

 でもプレゼントには理由が必要で。子供だって、知らない人から訳もなく物をもらったら叱られますし。贈る側からしてみれば「いつもありがとう」とか「この先もよろしくね」とかっていう思いを何気なく伝えたくても、きっかけがないとプレゼントはしにくい。
 その点、クリスマスは物を贈る絶好のタイミングです。まあ贈るったって、高価なものは贈れないし、相手の負担になってもいけないので、たいしたもんじゃないのですが・・・

 大宮ルミネでは、私の大好きな「LUSH」というお店で、蜂蜜入りの甘い香りの石けんを4ケ買いました。職場で同じ仕事をしている、同僚及びアルバイトさんに贈るプレゼントです。物が石けんで数もたった4つですが、今朝プレゼントを持って家を出るときは、ちょっとしたプチ・サンタクロース気分でした。

 物を贈れること、それを受け取ってもらえる喜び。
 これはねー。CMじゃないですが「プライスレス」です(笑)。

 昔、子供の頃は、プレゼントは「もらえる」ものでした。大人になるとプレゼントを贈る側になる。それを嬉しいと思えるようになったなんて・・・いやぁ私も大人になったもんだ(爆)。
 きっと家族を持って親になれば、自然と「与える側」に意識が変わるのかもしれませんが、一人暮らしの私は、その辺はまだまだなんですけども。今、これをご覧のみなさんはクリスマスに誰に何をプレゼントしたでしょうか?^^

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2006.12.24

「銀河鉄道の夜」AGAIN

 9月のはじめにサンシャインのスターライトドーム「満天」に行きまして、「銀河鉄道の夜」というプログラムを見ました。

そのときの記事はこちら
「銀河鉄道の夜」についてはこちら

 このプログラムがDVDになるということで、購入予約をしまして、それが昨夜、届きました。もちろん払いは自腹ですが、なんだかクリスマスプレゼントが届いたみたい♪ むふふ。

 映像がとても美しいのですよ~。こんなに美しい映像を見たのって初めて。最初の白鳥が飛ぶシーンで、感動で背筋がゾクゾクしたのを思い出します(表現変かな^^;)。ただ、残念ながら、家庭のテレビで見る映像はやはりサンシャインの満天ドームで見たものよりははるかに迫力は落ちます。代りに私がしているのは、DVDにセットでついてきた、サントラを聞くこと。

 音楽もね~。聴いているだけでとても切なくなってくるのですが、なんというか、聞いてるとあの星空が浮かんでくるのです。サンシャインの満天ドームで見た星空もそうなのですが・・・

 今年の夏は、トトさん、雀さん夫妻といっしょにホンモノの満天の星を見に、清里へいきました。そこでトトさんに白鳥座や天の川やアルビレオを見せていただき、めちゃくちゃ感動したのですよねー。(そのときの記事はこちら。)あの空のように。そして・・・

 ちょっとかっこつけて書きましょう。今夜はクリスマスイブですし。

 私たちが星空を見る時というのは、きっと、いろいろな思いとともに見上げています。「銀河鉄道の夜」でジョバンニがひとりぼっちで夜空を見上げていた時と同じように、今を生きている私たちも、夜空を見ていると、そのときに自分がどんな思いだったかを思い出します。

 「銀河鉄道の夜」を見て、音楽を聴いて、なんともいえなくせつない気持ちになるのは、きっと、自分自身の思いがそこにだぶるからかもしれません。
 そして星の光は、人の心の奥深くを照らし出す。言いふるされたフレーズですが、きっとこれはホントなんでしょう。

 ・・・昨夜は、ホントは、私の大好きな人に、もしかしたら会えるかもしれなかった日でした。でも、朝からちょっと調子が悪くて、その人のいるところまでいけませんでした。残念だったけど仕方ない。もう二度と会えないわけじゃない。またいつか会える。あきらめなければ必ず。

(引用開始)

I am waiting for you and looking for truth,but not a sound is heard.
Whenever you need any help and my voice,please let me know.
Can I sing for you or cry for dream? Let the wind blow.
So I can see the sky.   
(詞・曲 加賀谷玲 / 歌 井上ヒロコ)

(引用終わり)

 夜空にはいつも星があって。私の上にも私の大好きな人の上にも輝いている。だから一人でもあまり寂しくはありません。
 この世界の全ての人が、愛する人と幸せであればいい。
「銀河鉄道の夜」を見ながら、そんなふうに思う、2006年のクリスマスです。

 Merry X’mas♪

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2006.12.20

今の子供っていいなぁ

 ぐーたんさんnaochukuさんの記事を読ませていただきまして。
 世の中のお母さんっていうのは、そうやって子供の頃から、子供をしつけようとがんばってるんだなーと、なんだかびっくりしてしまいました^^

 私と、私の母の場合・・・一つ、象徴的なエピソードがあります。
 私の家というのは、昔、くみ取り式のトイレでした。学校も確かくみ取り式だった。水洗トイレって知らなかったんですよね、幼少のみぎり。で、町のデパートにお母さんといっしょに行って。トイレは一人で入れます。でも、私は「水洗トイレ」っていうのは、用を足したあと水を流さなきゃいけないのを長いこと知りませんでした。教えてもらったのは知らないおばさんから。水を流さないでトイレを出てそのまま行こうとしたら、「お水流さないとダメなのよ」って言われましたっけ^^; まったく親の顔が見たいわ(爆)
 今から考えたら、自分でも、母親はそのとき何やってたんだと思います。
 水洗トイレの使い方ぐらい、教えてやればいいのになぁ~

 そんなわけで、親にあまり構われない子供でありました。
 傘を持たずに家を出て、帰りに雨が降ったら、傘を持ってきてくれるお母さんがいるのが不思議だった。ぬれて帰るのなんて普通だったなー。
 家に忘れ物をしたら、お母さんが持ってきてくれる子もいたけど、それも不思議。うらやましいというよりも、ほんと不思議だった。自分がやらなかったことのつけは自分が払うしかないのが「普通」ですもん。人になんか頼れない。

 ・・・そうか。今もそうだけど、その頃からすでにそうだったのか。「誰にも頼れない」っていう感覚って。

 今の子供っていいなぁと思います。
 お母さんはとっても子供のことを心配するんだなぁ。
 
 私に言わせれば・・・
 忘れ物をしたって、片づけができなくたって、大丈夫、生きていけます♪ naochukuさん家のお子さんなんてたくましくて頼もしいわ^^
 「忘れたってなんとかなるさぁ」
 なんてね~うふふ。
 
 まあ、でも、私みたいにあんまり構われず大きくなると「別にいいや、一人でも」とか思っちゃうから、やっぱり、愛情こめて手をかけてあげることが大切なのかもしれませんわね。

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2006.12.19

美人ってちょっと大変かも~「ふぞろいな秘密」を読んで~

 最近、「ふぞろいな秘密」の検索で、ここに立ち寄られる方が多いようで、ちょっぴり恐縮しております。
 くだんの石原真理子さんの本、「ふぞろいな秘密」は先週の土曜、新宿の紀伊国屋でGETし、その日の内に目を通しました。ちょっと思うところがあり、感想を書くかどうか迷っていたのですが、「どんな本なんだろう?」と思われて検索され、ここに立ち寄られた方のために、紹介を兼ねて感想を記しておこうかと思います。

 有名人の本はゴーストライターが書く場合もあるわけですが、一応ここでは、石原真理子さん、本人が書いたというのを前提にします。読んだ感じでは、非常に率直に、思ったことを思ったままに素直に書いた感じなので、多分、これはホントに本人が書いたんだろうな~という気がします。

 で、思うのは。
 こういう女性っているんだろうな・・・

 子供の頃は、「男性恐怖症」な感じさえあるほど奥手なのですが、とてもかわいいし、人目を惹く容姿のせいもあって、異性に「求められる」ことが多く。
 本人は特に相手に対して恋愛感情があるわけではないけれど、求められればそれに応えようと思う。いろんな男性が目の前に現れて、誘われて、それに応える内に、本人の本当の気持ちとは別に、まったく違う「石原真理子」像が作られていってしまう。彼女はただ、仕事に対しても人に対しても、目の前のことに一生懸命だっただけなのに。

 なんだか・・・たまに、負け惜しみではなく「美人じゃなくてよかった」と思う時があります^^; おそらく人が、本当に愛し合い、信頼し合えるパートナーと巡り会える確率というのは、美人でもそうでなくても、実はそれほど違いはなくて。確率的にはどちらにしてもきっととても少ない。だとしたら、美人じゃない方がはるかに、楽に、自由に生きられるんだよなぁ。
 
 相手に求められればそれに応えたいと思う。デートに誘われればそれをOKする。付き合おうと言われれば付き合ってみる。でもそれはホントの相手じゃなくて、しだいに疎遠になり、そのうちにまた別の人が現れる。それを繰り返して最終的に○人・・・でも、それで彼女は幸せになれたわけでもなく。
 
 もちろん、私が言うのもなんですが、今の時代、結婚して家庭を持つことだけが女性の幸せではありません。ただ彼女が、付き合った人の分だけ別れも経験し、アメリカでもいろんな経験をし、そして今また、女優として復帰しようとしているのを見ていると、がんばってほしい、と思うのと同時に「どうしてこの人ばかりがこんな思いをしなければならなかったのだろう」と思えてなりません。

 でも、もちろん、嫌な思い出ばかりではなかった。彼女のためにすてきな歌を作ってくれた人、真摯に彼女を心配しフォローしようとしてくれた人がいた。そして彼女を心から愛した人も。これからは、そういういい思い出を宝物にして、いい仕事をしていって欲しい、と思います。

 思うけど・・・また彼女を狙う男が出てくるのかな。もうほっといてあげればいいのに^^; つくづく、美人って大変だなぁ~ 言い寄ってくる男なんて適当にあしらって、手玉にとれるくらいに、彼女が強い女だったなら。それこそどんなバッシングを受けたって、それをバネに女優として成長できるだろうに。芸能界なんてところはそうじゃなきゃ傷つくばかりだろうに・・・。

 ともあれ、また女優、石原真理子を何かのドラマで見られることを楽しみにしたいと思います。
 そうね・・・「女王の教室」の阿久津真矢先生なみの不幸な女の役なんかはまりそうだけどなぁ・・・ご、ごめんなさいm(_ _)mぺこり

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2006.12.18

poem(53)


この世界できみと出会ったことを
わたしは神様に感謝したりはしない

なぜって
もしこの世の中に神様がいるのなら
わたしときみとはこの世界で
出会わなかったはずだと思うから

わたしときみが会ったのは
いろいろな偶然が重なった結果

会うのは必然ではなかったし
ほんの少し何かが狂えば
お互いを知らぬままだったろう

だから何に感謝するかと言えば
「この世界に神様などいないこと」

この世界には運命や必然や決まり事など何もなく
全てはまったく無関係に存在している

その出会いに
意味を見つけるのは
神様ではなくわたしたち

きみと出会ったこと
きみを愛したこと
その意味も全て


この地球に生命があふれていることを
犬もねこも魚も虫も
神様に感謝したりなんかしない

もし神様がいたら
地球に命なんか創り出せなかったかもしれない

わたしたちがここに生きているのは
様々な偶然が重なった結果
それはまったく運命でも必然でもなかったんだ

だから
その命に意味を見つけるのは
やっぱり神様ではなくわたしたち

何に感謝するかといえば
「この世界に神様などいないこと」

だからわたしたちは生きていて
人を 命を
愛している

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2006.12.15

8って、なんか好き♪

 昨日、誕生日を迎え、年齢の末尾が8になりました。8ってなんか好きだなぁ。
 いやぁ、もう○十代も長いことやってまいりまして、すでに板についたといっていい感じ。○十代ならではの貫禄も身に付いてきましたし、けれど、まだまだ若い者には負けんっていう、年寄りの冷や水的な感じも自分では好きです(笑)。

 思い起こせば10年前。好きになった男性に初めて自分から告白したのがこの年でありました。
 で、そのときに思ったのですが、私って人より10年遅れてないか!?ということ。
 10年前の片思いも、年甲斐もなく夢中になっちゃってラブレターなんか書いちゃって、まさにそういうのは思春期に済ましておけよ、的な恋でしたし。
 
 ということは、今の私も実年齢より10才若いのかも!?
 
 ふふふ、一人で言ってる分には誰にも迷惑はかかるまい。少なくともこの1年は、大好きな末広がりの8の年、これまで以上に、テンションを上げていきたいと思います。まあ、実際のところは、もうすでに余生っぽい生活をしていますけれども。
 というわけで、また新しい年のBUBIもよろしくお願い致しますm(_ _)mペコリ
 

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2006.12.14

バースデー休暇に炊飯器クッキング

 今日は、12月14日、年休で勝手にバースデー休暇にしました。
 誰と会うわけでもないのですが、自宅で一人でのーんびり。
 体重が過去最大なので(おいおいおい)ケーキを買ったり、ご馳走を作って食べたりするわけには参りませんが、代りに安い野菜で体によさそうな料理を炊飯器で作って食べることに。

 まず作ったのは、前もブログでとりあげましたが、キューピーのスープの素で、和風スープを。シメジ、白菜2枚、鳥肉、水菜のスープ。これは普通に鍋でつくりました。スープの素を使えば失敗はないですからねー。

 そして、次にキャベツとベーコンで炊飯器を使った煮物。Kyabetu

レシピはこちら。http://allabout.co.jp/gourmet/cookingabc/closeup/CU20050523A/index.htm

今、炊いてる途中です。うまくできるかな。

 先日、さつまいもを炊飯器で炊きましたら、とっても甘くできあがりました。
 現在、炊飯器クッキングに挑戦中。おいしいレシピをご存知の方は教えてください♪

(追記)
キャベツのベーコン煮ができあがりました!
・・・うまっ♪♪ キャベツが芯までやわらかーくなって、味もしっかりしみこんで、めっちゃんまいぃぃぃ~。炊飯器クッキングのいいところは、さつまいもの時も思ったのですが、中までしっかり火が通ること。材料をいれた後は、ただ待つだけでいいこと。これ、画期的かもしんない・・・
ぜひ、皆様もお試しあれ~~♪

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2006.12.12

ミネルヴァのふくろう

 今週の「ビックコミックスピリッツ」に、邪眼を持つふくろうの話が出ていました。その「邪眼」というのがまたすごい威力。そのふくろうに「見られた」ものは全て死んでしまうのです。そんなふくろうが東京に飛んできたものだから東京は壊滅。おまけにテレビカメラ越しにその邪眼で見られたものも死んでしまう。そんな最強、最悪の化け物にどう対抗するのやら・・・というのが、そのお話なのですが。

 そのふくろうには「ミネルヴァ」という名前が付けられていました。「ミネルヴァ」って何でしょう。ふくろうにミネルヴァという名前が付くのはなぜ?

 ネットで検索してみたところ、「ミネルヴァ」とはこういうもののようで。

(引用開始)※gooのウィキペディアより

 ミネルウァ(Minerva) はローマ神話における知恵と工芸を司る女神である。英語読みはミナーヴァ。
 ギリシア神話の女神アテナと同一視され戦いも司るようになった。古代ローマでは人気を集めカピトリヌスにユピテル、ユノと共に三柱の神として神殿が立てられた。また軍装のミネルウァは女神ローマのモチーフとしてたびたび使われている。

(引用終わり)

 ではなぜふくろうにその女神の名前が付くのでしょう?

(引用開始)※同じくgooのウィキペディア、「ミネルヴァ書房」の社名の由来より

 社名は、ヘーゲルの『法哲学』の序文にある「せまりくる黄昏れをまって、はじめて飛び立つミネルヴァのふくろう」という言葉から取られており、会社のマスコットにもこの「ミネルヴァのふくろう」を用いている。

(引用終わり)

・・・ヘーゲルの『法哲学』の序文だって^^; 昔、「ツァラトゥストラ」を調べたことがありましたが、同じ類だろうか。「せまりくる黄昏をまって、はじめて飛び立つミネルヴァのふくろう」ってどういう意味なんだろう?
 今度は「ミネルヴァのふくろう」で検索。いいページが見つかりました。

(引用開始)※引用元はこちら

 ミネルヴァはギリシャ神話に登場する知恵の女神で、他の神々や人間に用がある時は、使者としてフクロウを向かわせます。この言葉は哲学者のヘーゲルが言った言葉で、マルクスもこれを引用しています。一つの時代が黄昏を迎えると、その時代を規定していた考え方、哲学、社会経済システムも役割を終え、次の時代を規定する新しい考え方、哲学、社会経済システムが到来して、夜明けを呼ぶ。そういう形で人類の歴史は前へ前へと進んでいくということを、彼らは言いたかったわけです。

(引用終わり)

 なるほど・・・つまり、「ミネルヴァのふくろう」とは、古い時代が終わり、新しい時代がくる、という時に使う「決まり文句」であるようです。
 最悪の化け物に「ミネルヴァ」って名前付けるとはひどい話。確かに破壊はそれまでの時代を終わりにするわけですけども。そう言えば、最終兵器の名前がミネルヴァになっていたアニメがなんかあったような・・・? アテナといえば戦いの女神でもあったような気がするからそのイメージもあるのかも。

 こういう知っている人は知っているっていう話を、調べるのって楽しいし、こういう時にネットって便利だなーと思います。

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2006.12.11

♪片思いのブルース

♪片思いのブルース
♪片思いのブルース

オレがね、
すっごいかわいい女の子を
めっちゃ好きになったときの話やけど

その子な
オレが好きやって告白したら
「他に好きな人おんねん」
って言ったんや

そんときな

「そっか、それじゃダメやな。残念だけど諦めるわ」
とさわやかに言うて、その子の前を猛ダッシュで逃げ出して、
自分の家で一人なったとき
「チクショーーーーーーーーーーー!」
いうて、 小梅太夫みたいに男泣きするか

そう言われてもやっぱあきらめきれんから
「他に彼氏おってもええ。オレともつきあってくれ」
言うて、二またかけられても、その子とデートして束の間の幸せを得るかは
・・・
・・・
自由だーーーー!!

♪片思い is freedom
♪片思い is freedom
♪片思い is freedom
♪片思い is freedom・・・・

・・・でもな。結局、彼女は彼の方選んでしもて、結局オレとはなーんにもならんかて、そんときになって
「あんとき、彼女はとっととあきらめて他の娘いっときゃよかった」
言うのはみっともない、で^^;


(このネタ、「エンタの神様」でけっこう好きなので、私も作ってみました。何かに迷った時、自分で「自由だーーーー!」と言ってみるとちょっとすっきり!?(笑))

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2006.12.10

「忘れてはいけない島がある」

先日、映画を見に行った折に「硫黄島からの手紙」という映画の予告編をやっておりました。
 今、「アメリカから見た硫黄島」と「日本から見た硫黄島」とそれぞれの側面から、先の大戦における、硫黄島決戦を映画にしたもののようです。CMも最近いっぱいやっていますね。ホームページはこちら

 「アメリカから」はともかく、CMを見ただけでも「日本から見た硫黄島」の映画だなんて痛まし過ぎる^^; 戦争とは何か、その中で人がどう戦ったか、を知るためにはこういう映画が必要で、見ることも必要なんだろうなーと思うのですが、なんだかCMを見るだけで胸が痛いのです。ジブリの「ほたるの墓」とかは見られるのですけどね・・・

 12月って確か、戦争の何かの記念日だったような・・・と思って調べてみたら、太平洋戦争の開戦が12月8日。いわゆるパールハーバー、真珠湾攻撃が12月8日でした。

 ベトナム戦争を扱ったアメリカ映画「プラトーン」や「7月4日に生まれて」などを見たことはあって、どちらも印象に残る映画です。戦争の悲惨さから目を背けちゃいけないと思う。「太陽の帝国」なども好きなんですよね。
 
 でも「硫黄島」はあんまり見たくない^^;
 
 なんというか・・・何が悲惨って、「国」というあまりにも大きなものに、個人が否応もなく追いつめられていく姿が見ていて苦しくてたまらなくなるからです。
 ベトナム戦争ならまだ、志願して行ってみたら、そこは地獄だった・・・みたいな書きぶりだからいいのですが。
 「太陽の帝国」なら、戦争の一方的な被害者だから、まだ見ていられるのですが。
 自分だって死ぬのは嫌だけど、国のため、家族のため、戦わなくちゃいけなくて、そこに巻き込まれていく姿って、一番、見ていて苦しい。

 いやぁ、小林よしのりの「戦争論」などを読んだこともあるので、彼らが誇りをもって国を守ったのは分かるのですが、そうするしか選択の余地がなかった「時代」というものや・・・なんというんだろう、人間を戦争へ巻き込んでいく大きな力に対して・・・いや、それだって、元は一人一人の人間から構成されていくんですけどね・・・なんだかやるせないものを感じてしまうのです。

 私は昔から、人の「思い」というものが、このリアルの世界を実際動かす原動力となり得るのだと、ずっと思ってきました。でもそれは、いつもはプラス方向で考えていることが多いわけで。

 ところが現実は、「思い」が世の中を変えていく時に、マイナスに働くことも多い。「戦争」なんてその最たるものですが、それ以外にも、ホラービデオやコンピュータゲームにはまった青年が、衝撃的な殺人をリアルで行ったりする事件を見ると、なんというか・・・
 
 人は「思い」で人を殺せる。
 犯罪は犯罪ですが、戦争では「信念」が人を殺す。
 その現実が・・・なんとも、悔しいというかやるせない気持ちにさせるのです。

 「硫黄島」の映画は、とても映画館で2時間近くそれだけに閉じこめられて見る自信がありません。いつか、DVDになったら見てみたいな、と思っています。

(追記)
 そして、そんな夜、トム・クルーズと渡辺謙の「ラスト・サムライ」を見ました。渡辺謙すごいわ・・・。「硫黄島からの手紙」でも主演をされているようです。ラスト・サムライ、ちょっと泣けました。エンターテイメントとしてよくできた映画だったと思います。面白かったし、感動した。こういう映画なら見られるんだけど^^;
 

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2006.12.09

何がきみを碁盤に向かわせるのか?

 今日も日本棋院の土曜囲碁サロンへいってきました。
 最近、自分よりも級が下の方との置き碁で白を持つことが多く、今日の対局も白番、2子局。先月の日中友好囲碁大会以来、土曜囲碁サロンでの対局で連敗が続いていたので、今日は棋譜をとるのもそっちのけで盤面に集中することにしました。

 いえ、棋譜をとると先生が、その碁を教室での教材にしてくださるのでそれも非常にありがたいことなのですが。先週と先々週、私が負けた碁の棋譜は、先生が教材にしてくださり、検討をしてくださいました。
「ここがどうかなー。これはねー、小さい。」
とか教えてくださるので、とても勉強になるのです。

 でも、さすがに次回も私の棋譜が教材になるのでは、他の生徒さんたちにも申し訳ない^^; なので、今日の実戦は棋譜をとらずに、打つことにしたというわけです。

 さて相手の方とは久々の対局。下手(したて)とはいえ、そんなに棋力は違わないですから、定石もしっかり応手してこられる。ただ、弱い石をあまり守られない方でしたので、前半は大場や模様の接点に先行されたこともあって差がほとんど縮まってこなかった・・・というか、黒の方がよかったのですが、後半、白からの利きがたくさん残っていました。大石がとれたところはなかったのですが、いろんなところを利かせていって、切断できたところもあって、結果は7目差で白の勝ち。ひゃぁー、危なかったなぁ。
 相手の方は
「圧勝だと思ったんだけどなー。ヨセでもっとがんばらなきゃいけなかったか」
 とおっしゃってたので、きっとその辺の心理的なものもあったのでしょう。でも久々に勝ててほっとしました。

 しかしまぁ、勝敗はともかく。
 いつも土曜日の朝、起きたときって寝足りない感じだし、今朝なんか寒くって鼻水は出るし、のどはいがらっぽいし、体調今一なことが多いのですが、なぜか、そうやって棋院にいって、囲碁サロンで講義を聞いて、対局して帰る頃になると、体調が戻っているのですよねー。今日も、なんだかすっかり元気になってしまいました。頭は疲れますけど。
 
 囲碁ってなんなんだろう?
 何がそうやって「囲碁を続けていこう」と思わせる原動力となっているんだろう?

 打っている時は必死で、まずい手を打って、やられてしまうとものすごく悔しいし、情けないし、自分に腹が立つし、全然楽しくないのですけど(苦笑)。
 負けて泣きそうになっても、しばらくするとまた打とう、って思うのです。
 
 今日は、夜、iryaさんと久々にネットで打ち、iryaさんとは互い先でしたが日ごろの勉強量の違いか思わぬ大敗。というか・・・我ながら内容がひどすぎる。見直してもあほじゃないかと^^; 
 昼間、やっと勝ったと思えば、すぐこうだもんなー・・・

 でも、またがんばろうと思うのですよねー。
 素質も才能もほとんどないし「囲碁の何が楽しいんだー」と今でもしょっちゅう言ってますが。
 どうも囲碁、好きみたいです^^;
 (げ、恋愛と同じで不毛路線を一直線か!?(爆))  

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2006.12.08

「ふぞろいな秘密」

 女優の石原真理子さんが「ふぞろいな秘密」という本を出版されるそうで、そのニュースが昨日あたりテレビをにぎわせていました。今後は本格的に女優復帰を目指されるそうです。
 個人的には、彼女が42才という年齢で、ブランクもあるのに、これからも「女優でがんばる」には、「芸能界」という世界にあってはただ戻ったのでは意味がないのだろうな、と思います。どうせ戻るなら、過去の男性芸能人との恋愛遍歴もネタにするくらいの覚悟で、鳴り物入りでカムバックして、後は実力勝負ということで。こそこそ噂されるなら、全部暴露しちゃった方が潔い感じはします。ただワイドショーなどでは、男性の名前を実名であげるのはどうかとひんしゅくを買っているような報道のされ方でした。

 ・・・どうなんだろうな・・・
 出会って、付き合って、別れていれば、いろんなことがあるのだと思うのですが、彼女はそれまでの恋愛を全て前向きに捉えていて、それを本にした、と語っていました。
 一般の人はそういうことは「言わなきゃいいのに」っていう思いの方が強いのかなぁ・・・お付き合いしていた相手には結婚している方もいてそういう方の場合は、奥さんの気持ちを考えると確かに堂々とそれを公開しちゃうというのはどうかって気もするかな。

 ただ、今までの恋愛について、
「その一つ一つが自分を成長させてくれたんだ」
 と好きだった人への感謝もこめて語りたい、という女性の思いは、私にはなんとなくよく分かるような気がします。

 でも男性側からすると
「感謝してるんなら、黙っておいてくれ」
 って感じなのかなぁ。
 
 ・・・では逆に男女を逆に考えてみましょうか。
 昔、好きで、付き合ったことがあって、今は別れた男性がいるとして。
 その男は、「あの人ともこの人とも付き合った。みんな素晴らしい女性だった」と語るとして。
 自分がその女性の立場だったら、それを許せるだろうか・・・

 うーん(汗) ちょっと嫌かも。
 せめてイニシャルにして欲しい。そうすれば、自分にはそれが自分だって分かるけど、他の人には分からない。うーむ、石原真理子さんの場合は、アイドルKなんて書いても、それが誰のことだかすぐ分かっちゃってイニシャルにする意味がないってことなのかもしれませんね。
 
 ただ、ちょっと思うのは「終わってしまった恋愛」というものへの男女の捉え方というのは隔たりがあるんだろうな、ということ。女性にとっては、終わってしまったことは終わってしまったことで、石原真理子さんは「けじめ」という言葉を使っていましたけど、要するに、それはもう本にしちゃってもいいくらい、割り切ってしまえることなのでしょう。だからこそ「ありがとう」って言えるんだろうな。

 でも、男性だったら・・・とは限らないけれど、恋愛は相手があってするものだから、もしかするとその相手は、心のどこかで「あのときの思い」を残していたりするかも。だとしたら、勝手に「終わったこと」にして「あのときはありがとね」なんて、ひどいですわよね~。
 相手の気持ちは分からない。
 そこにおそらく恋愛に「けじめ」を付ける時のリスクがあるような気がします。

 まあでも、それも別れ方の違いかな。
 もし真理子さんからさよならした相手なら、それを実名入りで公開されたら傷つく相手もいるかもしれないけど、たとえば、思いを残す余地もなく真理子さんを置いて去った相手なら。これは確かに、真理子さん自身のけじめ、の問題かもしれない。
 「素敵な恋愛をありがとう。私は私でがんばるね」
 ってことです。真理子さんを振った相手なら、こう言われたら「おう、がんばれよ」ってなもんで。実名を公開されたって別に、「それでお前の気が済むなら、好きなようにしろ」って言うくらいの大物であって欲しいです。

 ・・・ということで。
 他人の恋愛暴露本なんて買うヤツの気が知れないって言われそうですが、ちょっと興味がある私です。  

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2006.12.07

メンテナンスは失敗だったみたいね^^;

 3日間、当ブログのある@niftyのココログは「メンテナンス」ということで更新出来ない状況が続いていたのですが、どうもせっかくメンテナンスしたのにうまくいかなかったようです。

 以下、「ココログからのお知らせ」より引用です。

※※※※※※※※※※※※

12/7 「12/5-12/7ココログメンテナンス」について
日頃よりココログをご利用いただき誠にありがとうございます。

12月5日(火)10時より実施しております、ココログベーシック/プラス/プロのメンテナンスについて、ご報告いたします。

先にお伝えいたしましたとおり、本メンテナンスは「データベース分散化」及び「ココログベーシック/プラス/プロバージョンアップ」を目的として作業を行っておりました。

昨夜の負荷テストにて、負荷が高まりレスポンスが悪化するという現象が発生いたしました。当初は改善できる項目であると判断し、修正/検証作業を行いましたが、本日になっても原因の特定ができず、問題の解決には更に長時間を要すことが予想されたため、一旦メンテナンス前の状態に戻させていただき、12月7日(木)15時にサービスを再開いたします。

ココログをご利用いただいている皆様には、長時間お待ちいただいたにもかかわらずこのような状況となってしまいましたこと、お詫び申し上げます。

尚、データの消失など、お客様のココログへの影響はございませんので、ご安心ください。

今回のメンテナンスで予定されていた改善項目につきましては、今回の問題点について対策を講じた上で、改めてスケジュール等をご報告させていただきます。

今後とも、ココログをよろしくお願い申し上げます。

※※※※※※※※※※※※

 あらら。大変だったのね。でも、えいや、で公開しちゃうんじゃなくて、一度、前の状態に戻したというのは、学習能力があってよろしい♪ 以前、同じようなメンテナンスがあったときは、ひどいことになって、ユーザーから苦情が殺到したのです。

 ブログもいろいろと競争があってバージョンアップしていかないと取り残されてしまうのかな。ココログさん、がんばってください。
 
  

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2006.12.04

poem(52)

「本当に大切な思い出は」

本当に大切な思い出は
カンタンに塗り替えたくはない

きみと行ったレストラン
また行ってみたいから
名前も場所もちゃんと覚えているけれど
あの後 誰とも行ったことはない
きみのいた席に
誰も座って欲しくないから

きみと歩いた道
きみと見た景色
懐かしい思いは福音となる

きみに歌った歌
きみが歌った歌
あの曲を今年もまた歌おう

街に雪が舞う頃
心に降るたくさんの思い出は
今も私をこうして支えている

・・・でも あのレストランには
まだあの後一度も行ったことがない
きみとの思い出を
ありのまま語ることの出来る人とは
まだ出会っていない、から

本当に大切な思い出は
心の奥深くにある
カンタンに取り出すことさえ
きっと

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2006.12.03

NHK杯、見ましたか~

 フィギアスケートではなくて、囲碁の話(笑)。
 今日は3回戦第1局、 山下敬吾棋聖 VS 趙治勲十段の戦いでした。
 いやー、なかなかすごい対局でしたねー。というか、素人目では、解説が面白過ぎー。

「見てる人には分からないから、解説しなくちゃいけないですよね。でもここ難しいですよ」
「囲碁ってのは分からないよねー。でもだから面白いのでしょう。すぐ分かっちゃったらねー」
「あ、そういう手が・・・そうなるのかぁ」

 数々の名セリフ^^ 今日の対局の解説が、武宮さんでよかった♪ 碁そのものも治勲さんと山下さんですから、ただでは済みそうにないわけですが、この解説のおかげで、より面白く見ることができました。
途中
「これ、黒取られてますよ・・・あれ?・・・あ、そうか・・・」(これは攻めあいで、黒勝ちだったのです)
なんてシーンがあって、笑っちゃった。その前も、
「これは白つぶれですね・・・つぶれですよ・・・白つぶれです・・・ん?・・・そうでもないか?」
なんてねー。臨場感があって、見ていてとても楽しくなりました。

 私は棋院で梅沢ゆかりさんや白江治彦先生を見ても分からないくらいの、プロ棋士オンチなのですが、山下敬吾棋聖と趙治勲十段はNHK杯を見始めた頃、最初に覚えたプロ棋士でした。
 治勲さんて、好きなんですよね♪ 碁は天才過ぎて私には分かりませんけれども、ビジュアルが(笑)。50歳だそうですがとってもキュート。今日の対局では、黒番の治勲さんが勝ったのですが、勝った後の笑顔がステキでしたわ~♪
 山下棋聖との対戦成績は分が悪かったようですが、今日は治勲十段が勝ってよかった。おめでとうございます~

 それにつけても・・・碁って面白いんだな~と、今日のNHK杯では思いました。昨日は私は土曜囲碁サロンで負けちゃって、またがっくり来てましたけども。
「分からないから面白い」
 武宮先生のおっしゃるとおりですわ、きっと。

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2006.12.01

詰碁をやるぞ♪

 先日、職場の囲碁サークルで、食事会がありました。
 忘年会や飲み会ではなかったのは、講師の大澤摩耶先生が、1月1日に出産予定だからです♪(先生、元気な赤ちゃんを産んでくださいませ~)
 先生とは8子置き。がんばったけど、中押しで負けました。うーん、一眼もなかった白をがんばって攻めたのに、気がつけば、黒も地がちょっとしかなかった^^; いかんなー、毎度のことながら攻めながら得してない~ 対局後にいろいろ聞いたところ、やっぱ中盤で「どこが大きいか」を見誤って、小さいところを打ってしまっているようです。

 食事会では毎度のぼやき。
「3年もやってまだ初段になれない」とか「囲碁って打ってる間は楽しくない」とか・・・まあ、仕事の嫌な感じを引きずっていたせいで、必要以上にネガティブ発言が続いてしまいました。
 でも先生は
「BUBIさん(仮名)は強くなりますよ」
 とおっしゃってくれました。
 ・・・うん。それならもうちょっとがんばるかなー(単純だ)

 そろそろ、大嫌いだった詰碁をやる時期がきたかもしれません。先生も「詰碁をやりましょう♪」とアドバイスくださいました。明日は日本棋院の土曜囲碁サロン。棋院に行って、詰碁の本を選んでこようと思います。

 囲碁って自分にとってなんだろうと、ふと思います。
 「対局してるときは楽しくない」、なんて言いながらもこうしてまたがんばろうと思う。
 おそらくは・・・成長していく自分を見ていたいのだろうって思います。

「スラムダンク」というバスケマンガで、桜木くんは、最後に「バスケが大好き」な自分に気がつきます。私が囲碁が好きなのは、桜木くんがバスケが好きなのに、ちょっと似てる。
 桜木くんがシュートの練習をいっぱいして、ゴール下シュートを身につけた時みたいに、私も詰碁をやって、一段階上の実力を身につけたいな。

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