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2007.02.13

成人期にも「アイデンティティの危機」は訪れる

 「アイデンティティ」って言葉が一時期ブームみたいになったことがありましたけど、最近はそう言えばさっぱり聞かないですね。もし、今、誰かに
「『アイデンティティ』って何か知ってる?」
 って尋ねたら、どうなるんだろ。

 たまに書いていますが、私は学生の頃、人間科学部というところに在籍していて、心理学をちょっとだけかじったことがありました。
 『自分って何か。』
 アイデンティティっていうのは要するにそういうことです。

 あまり意識したことがない人には概念自体が分かりにくいものですが、なんというか、人はたまに、「俺って何なんだろう?」「私って何なの?」ってことで悩む時がありまして。
 ととさんのブログで、「自分が二人いる感じ」というフレーズを読んで、ふとこの言葉を思い出しました。
 
 アイデンティティという言葉や概念を考えたのは「エリクソン」(E・H・Erikson1902年- 1994年)という人ですが、アイデンティティは子供から大人へ成長していく各段階ごとに、いろんな課題にぶつかりながら、作られていくものであるために、どうも、幼少期から青年期の課題にスポットが当たりがちです。
 大人になったら「自分って何?」なんてことには悩まないだろ、ということですね。

 でもなぁ。たまに思うけどな。「自分って何なんだろ?」と。
 アイデンティティの危機っていうのは、何も幼少期や青年期だけとは限らない。成人期にだって訪れる。
 
 たとえば、やっぱ一番よく言われるのは、定年後のお父さんとか。でも最近は定年になる前のお父さんもかな。いや、ふと思いましたが、最近、成人男性の多くが「アイデンティティ」を見つけにくくなっているんじゃないかって思ったりします。

 女性の場合は、生きていく中で、自分の意味を見つけるのは比較的たやすいような気がします。人によって、仕事だったり、家庭だったり、生活だったり、はたまた恋だったり。子供を産む女性が減っても、ちゃんと代わりに新しい価値観を創造して来られたような。価値観の多様性を受け入れやすい状況にある。
 比べて男性は、自分の意味を、自分の中ではなくて、社会的評価や社会的成功の中に求める傾向がまだやっぱりあるんじゃないかなぁ。分かりやすく言えば「お金」とかにね。でも誰もが成功できるわけではないし、かつての「男性とはこうあるべき」という価値観が崩れていく中で、自分がどうあるべきかを探すのは、女性よりはるかに難しいのではなかろうか、と。
 エリクソンやその後のいろんな研究者は、成人期のアイデンティティの問題を、職業観と結びつけて論じたりしています。これってもしかしたら、日本が今、直面している「ニート」の問題でもあるわけか。

 自分って「何」なんだろう? 

 ちょっと難しい話になっちゃいましたが、単純な話、多分、私たちっていつもそう考えながら生きているんだろうと思います。職場での自分、ネットでこうして語っている自分、誰かを大好きでいる自分、一応まだ「産む機械」に属している自分。そういうのを全部ひっくるめての「私」というもの。アイデンティティ。
 たとえば何かで自分が分からなくなったときに、こうして自分を一つの客体として見ることができれば、たまにそれが問題解決のきっかけになったりするときもあって。私の「昔とった杵柄」はそんなときにたまに役立ちます。

 大人になってもアイデンティティの揺らぎは何度でも訪れる。エリクソンも、自分自身が自分のアイデンティティに悩んだ人らしいですから、きっとそういう体験をしたんだろうな。成人期以降のアイデンティティの課題についてエリクソンが何を言っていたのか、調べてみたくなりました。そして、「今」生きている私たちにそれが何らかの示唆を与えてくれるなら・・・うん、ちょっと面白いかも。

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「心と体」カテゴリの記事

Comments

私のつぶやきから,こんな奥の深い記事が生まれるなんて感激・・・(T-T)

全く私も,ダークサイドに落ちた自分を見るとかなり引いてしまいます.最も嫌なタイプの人間だなぁ~なんて思います.

な・の・に!
ときどきどっぷりとそのダークサイドに脳みそが支配されて,とんでもなく汚い自分になっちゃうんですよね~.(マジ,あきれる)

これってアイデンティティの危機?
よくわかんないけど,危機からは脱出せねば!

私ってほんとは善人(のはず)だもん.

Posted by: とと | 2007.02.14 at 22:37

ととさん、いらっしゃい。
いや、実はこの記事、最初に書こうと思ったこととどうも違う感じになってしまって。

最初は、ととさんが書かれていた
「ブログの中の自分(アイデンティティ)」
ってのが確かにあるんだよなーという記事だったのですが^^;

いろんな自分がいること事態は普通のことなんですけどねー。そんな自分を「見失わないこと」が大事なのですよ、きっと。

Posted by: BUBI | 2007.02.14 at 22:57

ブログの中のアイデンティティですか.面白そうですね.
文章って思った以上に人柄(これがアイデンティティ?)出るものだなぁと思います.また書いている内容やコメントのやり取りからも,人物像が浮かんで来る・・・.

でもそれを意識せず,自由にいられるはずの場所がブログなのかも.

Posted by: とと | 2007.02.15 at 23:23

こんにちは、ととさん。

>でもそれ(ブロクの中の自分)を意識せず,自由にいられるはずの場所がブログなのかも.

 私は、インターネット上でのコミュニケーションの経験がけっこう長い方なのですが、こうして文章を書いていると、ちょっと逆説的ですが、本当の自分じゃない自分を演じることの方が、この場では難しいように感じます。つまり、ネットでは素の自分になる、というか。より「自分」というものに縛られる・・・自分以外の何かにはなれない、というのが私のブログでの実感です。

 まあ、これは人によるんでしょうが。ネットでは違う自分を演じることに快感を覚える人もいるみたいですし。
 
 文章に思った以上に人柄が出るのは、きっと書き言葉が自分を映す鏡だからだと思います。書き手であり、同時に読み手でもあるときに、自分以外のものをそこに映し出すのは、よほど想像力豊かなフィクション作家でない限りは難しいですからね。
 あとはそういうふうに鏡に映った自分を直視できるか、かな・・・
 自分で「あちゃ~」と思う部分も書いてみることで客観視できますから、ぜひやってみて下さい。
 公開するかしないかはそれからでいいですから^^

Posted by: BUBI | 2007.02.16 at 14:14

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