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March 2007

2007.03.29

poem(56)

「南風」

南からの風が吹いている
私は風に向かって立っている

足下はどこまでも続く砂
目や耳に時折砂粒が入るようだ
口が乾いてくる
目を開けていられない
それでも南風に向かって立っている

進みはしない
後戻りもしない
ただここにいることをきみに示すために
何もない砂の中にただ立ち続ける

きみは私を忘れないだろう
でも砂の中に立つ私を
振り返りはしないだろう
望みさえすれば自分の足で歩き出すことができるものを
立ちすくませるのはすでに思い出でさえない


凍てついた空にオリオンが光る
月のない星空の下
彼方に沈むのは海か

海まで歩め
歩くことを忘れる前に

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2007.03.25

女性の価値とセクハラ

 さて、茨城県鉾田市議のセクハラ事件から、男性が女性にセクハラをして悪いと思っていない心理を考えてみよう、の続きでございます。
 彼らが悪いと思わないのは、簡単に言うと

○俺は偉いんだから、嫌がらせしたってOKだ

 ということかも、というのが前の記事でした。「俺より弱いやつには嫌がらせしたって何したっていいんだ」という・・・なんというか心理的な力学みたいなものが、人間に生来備わっているんじゃないか、そうだとしたら嫌だなぁ、ということを書きました。
 この場合は女性に「嫌がらせをした」ということが分かっているんですよね。分かっていてやってる。

 犯罪で「分かっていてやってる」のと「分かってなくてやってしまった」場合、どっちが罪が重いか、というと、一般的には前者が「故意」、後者が「過失」。前者の方が罪が重いといわれています。
 しかし、西洋の宗教や文学作品などにたまに出てくるのですが、向こうでは「無知」=罪、という考えがあるようで。
 ・・・うーん、無知が「罪」ってのは厳しい気もしますが、このセクハラの問題で、議員達が、

「女性が嫌がっていると思わなかった」

というのを聞くと、嫌がらせのつもりじゃなかったんだからいい、とはやっぱ言えないですわね^^;

 さて、ここからが今日の本題です。
 
 私は、普通に考えて「好きでもない男性に触られて喜ぶ女性なんかいない」と思うんですよね。
 でも男性は「女性も喜んでいる」とか思ってるのかなぁ。
 男性が女性の胸に触ったり、お尻に触ることって、あの年代の人にはもしかして「当たり前」で、女性の胸とかお尻っていうのは、男性が触るためにあるとかって考えてるんだろうか?

 いや、もちろんそんなことを考えている人はいませんわね。もう少し言い方を変えます。

「女性というのは、男にかわいがられるために存在する」

 そう思う男性っているかもしれない。そうなると、彼らにとって女性の身体に触ることは「かわいがっている」行為であって、嫌がらせのつもりはなかった、という理屈になります。

「女は男にかわいがられることに価値がある」 

 ・・・昔。私が大学3年だった頃、社会人の女性の先輩が、学校にやってきて、体験を語る会がありました。その先輩はこう言っていました。

「会社に入ったらまずかわいがられるようになりなさい」

 私は「?」と思いましたが、当時は、それが普通でした。
 結婚したら、夫にかわいがられる妻になる。それも当たり前でしたな。

 ぶっちゃけ性的な意味も含め。「女性は男性にかわいがられる存在である」という価値観はおそらく存在するんだろうと思います。それは当たり前だという人も、もしかしたら少なくないかもしれない。それが当たり前だった時代には「セクハラ」という言葉自体がこの世界にありませんでした。

 私自身は、あまりかわいがられる存在になろうとしてこなかったし、なれなかった。今も独身なのは、それも大きな要因の一つであろうと思います。職場ではただひたすら、仕事を一生懸命にやってきました。それもあり、の世の中に、ここ10年くらいで、職場の女性の立場も変わってきたので正直、大変助かっております。
 それでもかつては、バーに連れて行かれてチークダンスをさせられたり、酔った上司に膝枕をさせられたり、まーいろいろありました(^^;) ああ、何もかも、全て懐かしい・・・
 
 私は、実はこの話題は、女性に意見を聞いてみたいのです。
「男性にかわいがられること」というのはやはり女性にとって「価値」の一つ、なんだろうか?

 「セクハラ」というものの土壌には、少なくとも、この考えが根底にはあるような気がします。

 「セクハラ」は多分、100人に聞いても100人が「許しがたい」と思うのですが、もし「男性にかわいがられる」ということが女性の価値である、という考え方に一分の利があるとすれば・・・

 なんてね。これをお読みの女性の方、気が向きましたら、なんでもコメントをお願いします。
 私よりも年上の方もいるし、お勤めの方もいるし、ちょうど、訊いてみたい方ばかりなんだよなぁ~

【和漢箋服用後四週間目】※和漢箋使用開始時を0とする
月曜日 -1.8キロ 10028歩
火曜日 -1.2キロ 11772歩
水曜日 -1.8キロ   -
木曜日 -2.0キロ 10329歩
金曜日 -1.4キロ 10127歩
土曜日 -1.0キロ  8000歩
日曜日 -2.0キロ 10012歩

※金曜日に、この3月で定年になる方の送別会で、コース料理など食べてしまったら体重が増えてしまいどうなることかと思いましたが、今朝は戻っててほっ。とりあえずまだマイナス2キロ。今週もとりあえず、維持に努めます。もちろんできれば少しでも減ってくれればもっといいのですが。

 

 

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2007.03.23

「嫌がらせ」の心理

 今朝のテレビでまた、茨城県鉾田市の市議会議員の一部が、政務調査費を使っての視察旅行先でセクハラをした、というニュースを取り上げていました。
 セクハラをされた女性は「添乗員」でこの視察旅行に同行し、夜の宴会ではビールをついでまわっていたそうです。そしたら、突然抱きつかれて首筋をなめられたり、胸を掴まれて写真を撮られたり、というとんでもない目にあったとのこと。
 その女性は行きのバスの中では、議員の膝の上に座らせられたりもしたそうです。

 ・・・ひどいなぁ・・・

 私はこのニュースを聞くのが何度目かなので、ちょっと考えてしまいました。
 女性っていうのは、男性からどうしてこういう仕打ちを受けてしまうんでしょう・・・ね。
 
 男性っていうのは基本的に女性を見ると「触りたい」と思う生き物みたいです。酔っぱらって理性のタガがはずれると本能丸出しになってしまって、そういうことをしてしまう。彼らの中にはきっと「それのどこが悪い」という気持ちがあるんでしょう。

 女性、男性抜きに考えてみたときには、人の嫌がることをしないというのは人間として常識です。なのに、それをしても「悪くない」と思えてしまうのはどういう論理なのか。

 どう思ってるのかなぁ?

「女性なら嫌がることをしてもいい」と思ってるのかな?
 それとも、「女性は嫌がっていない」と思ってるのかな?
 なんとなく、その両方な気がする。

 まずは前者。「女性なら嫌がることをしてもいい」という心理について。

 「人の嫌がることをしない」というのは人間として常識ですが、現実の世界では「嫌がっていることを分かっているのにそれでもやる」現象っていうのは、けっこうありますよね。

(その1) それが仕事の場合。
 鉾田市の議員は取材されるのを嫌がっていましたが、それでもテレビ朝日の人は取材にいきます。そういう場合。新聞のセールスなども嫌がられても来ますよね。それが仕事だからだよなぁ・・・

(その2) 嫌がらせをする「理由」がある場合。
 例えば「隣近所の家がむかつく」ということを理由に、大音量で音楽を流したり、ずっと布団を叩いたり、悪臭をわざと漂わせてみたり。これは無論、反社会的な例ですが、例えば、何かの公共工事に反対して座り込みをしたりするのも、この例にあたります。

 でも女性にされる嫌がらせは、このどちらでもない第3のケースです。

(その3) 相手が自分よりも弱い立場で逆らえないのが分かってるから「許される」と思っている場合。
 人間って不思議なことに「人の嫌がることはしてはいけない」のが分かっていても、自分の立場が相手よりも強ければOKと思っちゃうんですよね。・・・なぜなんだろう?
 前も、何かのときに書きましたが、人間って、そもそも自分が変わらずに環境を変える性質を持った生き物だから、対人間に対しても、自分が「強い」「正しい」と思えば、それを周りに押しつけることを「自然」に考えてしまう傾向があるんだろうか。

 それが「人」の持って生まれた性質だとすると・・・なんとなく・・・イジメも差別も世の中から無くならないのかなぁとイヤぁ~な気分になりますな^^;

 後者「女性は嫌がっていない」と思う心理については、また次の記事で。

【和漢箋服用後四週間目】※和漢箋使用開始時を0とする
月曜日 -1.8キロ 10028歩
火曜日 -1.2キロ 11772歩
水曜日 -1.8キロ   -
木曜日 -2.0キロ 10329歩
金曜日 -1.4キロ

※ジグザクですが、ジグザグしながら落ちてると思えばよいかな。がんばって歩けてますし。

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2007.03.22

防風通聖散の仕組み

 火曜日にはスポーツクラブに行き、ストレッチの後、エアロバイクを30分、筋力トレーニングや腹筋などを少し、その後クールダウンのストレッチ、スポーツクラブの温泉に入ってゆっくり温まり、帰ってきました。
 運動する前はなんだか身体の調子が今一つで、エアロバイク、いつもは40分するところを30分でやめたのですが、腹筋台で腹筋してみたら、なんかいつもよりも身体が軽い感じがするのですよ。その後、筋力トレーニングの機械であちこちを伸ばしていたら、なんだか気持ちよくなってきてしまいました。
 身体を動かすのっていい♪ 行くまでは面倒なんですけどねー(苦笑)
 
 で、いつもエアロバイクを漕いでいる間がヒマなので、スポーツクラブに置いてある「日経ヘルス」を読むことにしています。「日経ヘルス」にはいつも、ダイエットやデトックスなど身体にいいことの特集がこれでもかと並んでおり、よくネタが尽きないよなぁとぼんやり読んでいるのですが、その中に今回は「漢方薬」の特集がありました。

 ありましたよ、「防風通聖散(ぼうふうつうしょうさん)」。
 
 うろ覚えですが日経ヘルスの記事で私が覚えていることを書きますと。
 漢方薬というのは、身体に合ったものを選ぶのが肝要なようです。飲んでみて、効けば合っているし、効かなければ合っていない、ということ。合っていない物を飲んでも意味がないそうです。

 ロートの和漢箋「防風通聖散錠」が効いている私は、これが身体に合っていたんだなぁ・・・肥満歴&ダイエット歴の長い私ですが、やっと自分の身体に合った漢方薬に出会えた! 日経ヘルスを読みながら一人で感動していました。
 
 この防風通聖散がどんな人に効くのか、というのを、逆読みしますと・・・

○皮下脂肪が多い脂肪太りである
 →いわゆる内臓脂肪ではなくて、ということですな。皮下脂肪は多いですよ(自慢してどうする)。体脂肪率も信じられない数値ですし。
 でも今まで、自分が水太りなのか、脂肪太りなのかって判断が自己判断ではできませんでした。

○体力があって元気&食欲旺盛
 →元気です^^ そうかぁ、元気な人には、これなのか。食欲は旺盛です。すぐお腹空くし、食べるの大好き♪ 甘い物もがんばって控えてるけど好きです^^; この項はまさにぴったり。

○暑がり&便秘傾向
 →便秘はなかったんですけどねー。あまり暑がりな感じでもないし。これが、いつも判断に迷うところでした。
 
 逆に、一般的に水太りと言われるタイプ(足がむくみやすく、体のだるさを良く感じたり、すぐに横になりたい。食欲はあまり旺盛ではなく、肉類より果物などを好む)の人の場合は、「防已黄耆湯(ボウイオウギトウ)」と言う漢方が効くらしいです。

 日経ヘルスの記事によれば、ダイエット中に、偽薬と防風通聖散を飲んだ人の結果を比較すると明らかな有意差が認められ、防風通聖散を飲んだ人の方が体重が減ったそうです。

・・・よしよしよし。信じるものは報われる(爆)。

 では、なぜ、防風通聖散はダイエットに効果があるのか? それもちょっと調べてみました。

 「防風通聖散」という漢方は、身体の中(内臓らしい)に熱が溜まった状態の時に有効なんだそうです。どういうことかというと・・・

 寒いとき、生命を維持するためには、内臓の温度を保つことを最優先するので、体表の皮膚や手足などの血管を収縮して血流量を減らし、熱が放出してしまうのをくい止め、体表の体温が低下します。

 人の身体は、食事から摂取した栄養や、体内に蓄積されている脂肪などを材料にして熱エネルギーをつくりだします。そして、熱の約2割は、肝臓でつくられています。その他は心臓、腎臓などで熱を発生させます。

 防風通聖散が「効く」身体というのは、身体の表面の血管が収縮して熱放散ができなくなっているが、その割に食事量や、脂肪量が多いために、内臓で作られる熱がこもってしまう状態と考えられるとのこと。
 防風通聖散は、この、こもった熱を身体の外に排出する効果を持つとされています。なので、のぼせやニキビにも効くそうです。

 ・・・いやぁ、私、今まで散々怪しいダイエット商法にだまされてきたんですが「防風通聖散」は本物なんだなー。てか、本物があったのに、びっくり。
 でも、本物だとしても、それが自分の身体に合っているかどうか、というのが大事なことです。
 そして当然・・・飲んだだけでは痩せません^^; 体を動かしたり、食事も控えめにしたりもしないとね。

 「和漢箋」のおかげでまたダイエットや身体に関する知識が増えた私。ダイエットに励む読者の方がいらっしゃったなら、参考になれば幸いです。

【和漢箋服用後四週間目】※和漢箋使用開始時を0とする
月曜日 -1.8キロ 10028歩
火曜日 -1.2キロ 11772歩
水曜日 -1.8キロ   -
木曜日 -2.0キロ 

※昨日は休日で外に出なかったもので^^;

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2007.03.20

そんな世の中イヤだ

Yahoo!ニュースより。
(引用開始)
 インターネット掲示板「2ちゃんねる」への誹謗(ひぼう)中傷の書き込みなどを巡り、名誉棄損訴訟などで相次いで敗訴している管理者・西村博之氏(30)が19日、東京地裁で開かれた民事訴訟に出廷した。

 西村氏は閉廷後、報道陣に対し、過去の訴訟で確定した賠償金などについて、「支払わなければ死刑になるのなら支払うが、支払わなくてもどうということはないので支払わない」などと、支払いの意思がないことを明らかにした。

 西村氏は、これまでに全国で50件以上の訴訟を起こされ、その大半で敗訴が確定。未払いの賠償金や、裁判所の仮処分命令に従わないことに対する制裁金が少なくとも計約5億円に上るとされるが、西村氏が自ら支払いに応じたケースはほとんどない。その理由について、西村氏は「踏み倒そうとしたら支払わなくても済む。そんな国の変なルールに基づいて支払うのは、ばかばかしい」と話した。
(引用終わり)

 う・・・イヤなニュースだなぁ^^;
 これ、マネする人が増えたら、世の中どうなっちゃうのかなぁ・・・
 
 「踏み倒そうとしたら支払わなくて済む」のは「変なルール」だそうですが、じゃあ、「変じゃないルール」というのは「踏み倒して払わなかったら死刑」だってことなの?^^;

 税金だって年金だって借金だって、払わなくたって死刑にはならないけれど・・・
 万引きしても、見つからないことはあるかもしれない。
 極端な話、人を殺しても、捕まらないことだってあるかもしれない。
 でも、やってはいけない、というのは、この社会の共通認識だからなぁ。
 
 世の中って信義則で成り立ってる部分が多いんですよね。

 マンションの耐震構造を偽装したり、当たりもしない外国の宝くじを当たると言って売ったりするのが許されないのは、法律以前に人の信頼を裏切る行為だからだと私は思っていまして。

 裁判の決定に従わなくても「死刑になるわけじゃないし」って・・・そりゃちょっとひどすぎる。

 私はこの話の中で、西村氏が、訴訟の内容そのものが馬鹿馬鹿しくて、争う気もないから敗訴でいいや、というところまでは分かる気もするのです。

 でも、だからって「払わなくても死刑にならないんだし」っていうのは言っちゃいけなかった、と思う。

 私は「払わなかったら死刑」なんていうルールがある世の中は絶対に嫌です。
 それならまだ、罰則がないルールだけど、みんなで決めたんだから守ろうよ、くらいな信義や性善説で成り立つ世の中の方がいい。甘いかもしれないんですが。

 そうじゃないと法律の不備を見つけてうまくやった人間だけが得をしちゃう。
 みんながそんなうまくやれるわけないのに・・・。
 そして真っ当に生きてる人間が馬鹿を見る。
 それを防ごうとルールや罰則ばかりがどんどん厳しくなっていく。
 
 そんな世の中ヤダ;; 校則だらけの中学校じゃあるまいし。
 まあ、一人でここで「嫌だ」って言ってても何もならないわけですが、このニュースが今時の若者にどう受け止められているのかが、とても心配です^^;

【和漢箋服用後四週間目】※和漢箋使用開始時を0とする
月曜日 -1.8キロ 10028歩
火曜日 -1.2キロ 

※戻ってますね・・・今日こそはスポーツクラブへいって、脂肪燃焼に励まないと~

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2007.03.19

「ハンニバル」

 「羊たちの沈黙」「ハンニバル」「レッド・ドラゴン」のアンソニー・ホプキンスによるレクター博士の三部作。先日、まだ見ていなかった「レッド・ドラゴン」を見たら、二作目の「ハンニバル」も見たくなって借りてきました。

 以前、これ、テレビで見て、ちょっとだけ内容を覚えてました。
 何を覚えてるって、教会の窓から首をくくるシーンとか、ラストの脳まるだしのシーン。ショッキングなシーンばかりが印象に残ってしまっていました。
 映画の内容そのものはほとんど覚えてなかったのですが、今回、見直してみたら・・・
 やばい。この映画、好きかも^^; こんな映画が好きだなんて人に言えない~

(好きな理由1)フィレンツェ
 この映画でレクター博士は、イタリアのフィレンツェに潜伏しております。フィレンツェ、行ったことはないのですが、旅番組か何かで見て、いいなぁ~と思っていました。
 「ハンニバル」を見てますます行きたくなっちゃった。なんて美しく、それでいて、危険な感じの町なのだろう。
 直近・・・といってももう3年前ですが、東欧のウィーン、プラハ、ブタペストの三都市を巡るツアーに参加したことがあります。ヨーロッパの古い都市って、なんとも言えない魅力があって。フィレンツェを見るだけでもこの映画、価値がありますわ。

(好きな理由2)頭のいい人って好きかも。
 「羊たちの沈黙」も「レッド・ドラゴン」もレクター博士は拘禁されていて、実際に動くのはFBIの捜査官です。「ハンニバル」だけは違って、レクター博士、大活躍。レクターファンにはたまりませんわ。・・・いや、私はレクターファンじゃないのですが^^; 人肉、食べてみたいと思ったことないし。
 ただ、昨日書いたシュルレアリスムと逆なのですが、理性の極致というか、全てを読み、全てを計算して動いている頭のいい人物像というのに、どうにも弱いのです。「銀英伝」ならオーベルシュタインファンだしなぁ。

 もしかしたら囲碁が好きなのも、同じ理由なのかな。
 囲碁の本当の天才は碁も感覚で打つわけですが、どちらかというと私は左脳人間なので、盤面を見て展開を予測し、自分の思い描くストーリーを盤上で繰り広げるこのゲームが、理性のゲームに思えてなりません。碁には運が存在しない。運に頼れない分、弱い人は強い人に絶対勝てないので、自分のダメさを思い知る残酷なゲームでもあるんですけど、そこもまた面白い。

 「ハンニバル」は、そういういろんな意味で「いいなぁ~」と思う映画です。
 でも「好きな映画、何?」って聞かれて「ハンニバル!」とは絶対言えないわ^^;

【和漢箋服用後四週間目】※和漢箋使用開始時を0とする
月曜日 -1.8キロ

※日曜日に一瞬-2キロになりましたが、今朝はちょっと増えました。戻りませんように・・・

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2007.03.18

「シュルレアリスム展」とマグリットの空

 埼玉近代美術館の「シュルレアリスム展」が3月25日までなので、そろそろ行っておこうと、昨日、見に行ってきました。偶然、学芸員によるギャラリートークも聞けたので、ちょっとラッキー。聞かなければ、ダリの絵の隠された意味や、「オートマティスム(自動筆記)」のこと、分かりませんでした。大好きなルネ・マグリットの絵もあり、なかなか楽しかったです。

 「オートマティスム(自動筆記)」について少し。
 ギャラリートークの聞きかじりですが、シュルレアリスムは、そもそも、人の心の中の、理性の向こう側にある無意識の世界を描きだそうとした試みなのだそうです。「オートマティスム(自動筆記)」はその手法の一つ。
 いろいろな無意識の所作で現れてくる無意味な模様を、絵画作品としてまとめ、理性で表せないものを表現しようとした、ということですね。

 たとえばコラージュ(貼り付け)。
 いろいろなものを貼り付けた絵画は、そういえば、この日の埼玉近代美術館の常設展で、靉嘔という人の作品にもありました。ベビーパウダーの缶やら、絵筆や、刷毛など、いろんなものが絵に貼り付けてありました。一見、なんでこんなものが美術作品になってるのかわけが分からないのですが・・・一つ一つの事物というよりも、それを総体としてみたときに、感じられる無意識の何か。コラージュの作品というのはそういうものを表現しているらしい。
・・・へぇ~~
 企画展の方ではエルンストのコラージュの解説が面白かったです。この人、古本や、既存の雑誌の挿絵などを切り抜いて貼り付けて、作品を作っています。そんな美術作品ってありなの!?
 フロッタージュ(こすりだし)の方では、同じくエルンストが、樹の木目やコインのこすりだした模様を作品にしたものが展示されていました。ふむ。

 ・・・シュルレアリスムということはそういうことなのか・・・
 今まであまりちゃんと考えたことがなかったです。

 なんというか・・・私は今まで、ダリやマグリットは、見た人の反応を計算してああいう絵を描いているのかと、思っていたんです。
 でもそもそも「シュルレアリスム」はそういう理性の世界を否定するものですから、ダリは、きっと理屈ぬきで自分の心の世界を絵にし、マグリットはあり得ない事物を一つの絵画にいっしょに描き表すことによって、理性の向こう側にある世界を表現している。It’s SURREALISME. 
 
 へー・・・そういう視点で、マグリットの絵を見たことがなかった。ただ、絵の面白さだけに魅力を感じておりました。ギャラリートーク、聞けてよかった。

 そしてその日の帰り。埼京線に乗って、ぼんやりと電車の外を眺めていたら。
 昨日は風がとても強い日でありました。埼京線というのは高架になっているので、夕暮れ近くの広い空が大パノラマとなって車窓に広がっています。強い風にあおられた雲が、空に不可思議でダイナミックな模様を描いておりました。なんとなく、感動して空に見入ってしまいました。

 ・・・そうか。自動筆記というものがあるなら、まさにこれかも。

 空の雲の姿にはなんの意図も意味もありませんが、それを見る人間の心から無意識の何かが投影されています。
 おそらく、マグリットが空をモチーフにして、「大家族」とか「心の琴線」とか「無限の感謝」など素敵な作品をたくさん描いたのもそのせいかもしれません。

 【和漢箋服用後三週間目】※和漢箋使用開始時を0とする
日曜日 -1.6キロ 13781歩 
月曜日 -1.4キロ 10783歩
火曜日 -1.2キロ 10024歩
水曜日 -1.4キロ 10555歩
木曜日 -1.0キロ  8156歩
金曜日 -1.0キロ  8685歩
土曜日 -1.6キロ 11541歩
日曜日 -2.0キロ 

※来ました!二キロ減! やせる時期に入ったので、ここで畳み掛けたいところ。当面、2キロ減、定着を目標としつつ引き続き推移を見守ります。

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2007.03.17

上手に負けるとめちゃめちゃ悔しいのだ。

 今日の「土曜囲碁サロン」では五段の人と7子置きで打ちました。もちろん、私が黒番。

 ・・・まけますた;; よぇ~な、自分・・・

 下手と打って負けるよりも、上手と打って負ける方が、私の場合、なぜかダメージが大きいです。下手には負けても悔しくないのですよ。私に勝って、早く追いついてね♪って思います。

 でも上手に負けると、なんか自分がホントにまだまだなんだ、ということを思い知らされてめっちゃへこみます。たとえ相手が五段だろうと、7子置きでも勝てないなんて情けない。あほか、と。

 実は、日本棋院の土曜囲碁サロンは、二桁級も多いし、級位者がほとんどなのですよね。五段の人がいたのを私は今日、初めて知りました。なので、7子なんて置き碁で打つのは初めて。負けて、久々にトイレで泣きましたよ~

 ああ、思えば。
 以前、師匠に言われたのを思い出しました。
「BUBIちゃんは、相手が上手なのに勝とうとしてくるね」
 変わらないなぁ、私。上手と打って負けると悔しくてしょうがない。最近は囲碁サロンで、同じくらいの棋力か下手と打つばかりだったので、こういう感覚、忘れておりました。

 ふふ、あの頃も師匠はこう言ってたんですけどね。
 上手に負けるのはあたり前なのにって。
 だからそんなに自分が嫌になったり、だめだと思ったりする必要はきっとないんですわ。

 でもね、やっぱりどうしようもなく悔しい。次に同じ人と7子で打つときがあったら、絶対次は勝ってやる。そのためにももっともっとがんばらねば、って・・・そう、上手に負けると思うのです。

 土曜囲碁サロンでは、今年に入って1勝もしてません。同じ棋力の人に負け、下手に負け、上手にも負けてます。勝ち負けにこだわらず、どんな相手と打つときも自分のベストを尽くすこと。・・・下手や同じ棋力の相手と打つときはそう思えますが、上手にはそうは思えません。

 今に追いついてやるーーーーっ!!

 ・・・さっきまで落ち込んでいたのですが、やっと立ち直ってきたみたいです。こりないわね、私。

 【和漢箋服用後三週間目】※和漢箋使用開始時を0とする
日曜日 -1.6キロ 13781歩 
月曜日 -1.4キロ 10783歩
火曜日 -1.2キロ 10024歩
水曜日 -1.4キロ 10555歩
木曜日 -1.0キロ  8156歩
金曜日 -1.0キロ  8685歩
土曜日 -1.6キロ 11541歩

※ちゃんと減ってます。金曜日、いきつけのクリニックで、お医者様に「和漢箋」を服用してる話をしましたが、継続して服用してもOKのお墨付きをいただきました。クリニックで測った体重も先月より2キロ減ってるので、ほめていただいたし。この調子でがんばります。


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2007.03.15

♪一生いっしょさ、あひるんるんるんるん♪

 スーパーに行ったらアフラックのCMでおなじみの「アヒルのワルツ」のフルバージョンが流れておりました。

 ・・・うーん、いいなぁ~~、あひるんるんるんるん♪

 二人でいれば何もいらない。いつもの町もパリになっちゃう。
 
 逆に言えば・・・欲しい物を何でも手に入れられたとしても、一番必要なのは、大好きな人と「二人でいること」なんだろうな~。はぁぁぁ~ 

 【和漢箋服用後三週間目】※和漢箋使用開始時を0とする
日曜日 -1.6キロ 13781歩 
月曜日 -1.4キロ 10783歩
火曜日 -1.2キロ 10024歩
水曜日 -1.4キロ 10555歩
木曜日 -1.0キロ 
※ ちょうど1ヶ月の内でも体重の増える期間です。なんとか-1キロで止まりますように。

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2007.03.14

「レッド・ドラゴン」

 「羊たちの沈黙」という大ヒット映画に登場するレクター教授のシリーズ、「レッド・ドラゴン」を見ました。近々、またレクター教授の新しい映画も公開されるようですね。それも日本が舞台だとか・・・どんな映画になるんだろ。「羊たちの沈黙」「ハンニバル」「レッド・ドラゴン」が、今出ているシリーズ3部作。「ハンニバル」はかなりぞっとするえぐいシーンがある映画でしたが「レッド・ドラゴン」は、ショッキングなシーンを抑え、物語で見せる良作です。
 推理物としては、レクターやグレアムFBI捜査官が犯人を追いつめるというよりは、犯人が自滅しちゃったような感じで、その点はちょっと不満かな。いいなと思ったのは、自分の顔の傷に劣等感を持つ男と目の見えない女性が恋に落ち・・・そして・・・(この先はネタバレなので自粛)。この辺りのストーリーがとても切なかったです。

 「自分も人からいつも違った目で見られるから、あなたの気持ちが分かる」と彼女は言っていました。一方の男性の方も、彼女の前では劣等感からも自由でいられるし、そして彼女のことを哀れみや同情で見ていない。彼女と彼はお互いに惹かれ合う。その経過がとても自然に感じられました。

 これは、私の個人的な思いなのかもしれませんが・・・

 世の中の多くの人は、他人の前で、「相手から見られる自分」というのを意識してしまって、ありのままの自分でいることができないような気がします。
 
 彼は、目の見えない彼女の前では普通の男でいることができた。

 身体という枠に・・・目に見える姿形に・・・どうしても左右されちゃう人間の心って「愚か」だなぁと思いますが、その愚かさも必然ではあるんですよね。だって、人は心だけでは存在できないから。心も脳という器官に宿るものですし。
 しかし、彼女や彼の背負った物を考えると、そういう目に見えるものから解き放たれてしまえば、ちゃんと愛し合うこともできるのに、と思ってちょっと悔しくなります。

 でもどんな身体を持っていても、ありのままの自分でいることはできるはずで。そうできたときに、人は人を愛したり、愛されることができるような気がします。

 ・・・しますが・・・
 それができれば苦労しないっちゅーに^^; というわけで今日もダイエットに励むとしますか。

【和漢箋服用後三週間目】※和漢箋使用開始時を0とする
日曜日 -1.6キロ 13781歩 
月曜日 -1.4キロ 10783歩
火曜日 -1.2キロ 10024歩
水曜日 -1.4キロ 


 

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2007.03.13

「30日間マクドナルド生活」

 先日、「30日間マクドナルド生活2」というブログを見つけました。
 
 「スーパーサイズ・ミー」という、マクドナルドの食事を続けたらどうなるかを検証したドキュメンタリー映画がありますが、それを実際に、日本でやった人の記録です。なかなか面白いですよ。マクドナルド生活以外にも、いくつも奇抜な実験を試みられて、その結果をまとめた本も出ているようです。

 面白いのは・・・
「スーパーサイズ・ミー」は一ヶ月マクドナルドの食事だけを食べたら体を壊すことを実証したドキュメンタリーなのですが、「30日間マクドナルド生活2」は一ヶ月マクドナルドの食事だけにしたってなんともないということを実証するドキュメンタリーです。

 果たしてどうなったのか・・・その結果をどう受け止めるか・・・それは見る人に委ねられています。

 ・・・こういう視点ができることって重要ですね。私はけっこうなんでも信じちゃうたちだからなー。「スーパーサイズ・ミー」も興味深く見たクチだし。(「スーパーサイズ・ミー」の私の感想はこちら
 お時間があれば、ぜひのぞいてみてください。
 私は、「マックのポテトは本当に腐らないのか?」の実験も面白かったです。

 ちなみに。和漢箋を飲み始めてからの私の体重推移は、掛け値なしの事実に基づいています。でも、前提条件として、自分のBMIを公開してますので、その辺も含めてご参考にしてくださいませね。

【和漢箋服用後三週間目】※和漢箋使用開始時を0とする
日曜日 -1.6キロ 13781歩 
月曜日 -1.4キロ 10783歩
火曜日 -1.2キロ
※順調に体重が戻ってきています。週末に減り、ウィークデーに増える傾向は前も書いたとおりですが、ここでせっかくの効果を無駄にしてはいけませんので、今日はスポーツジムに行ってくることにします。 


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2007.03.12

川村美術館と大日本インキ化学工業㈱

 日曜日に、友達ご夫婦と、千葉県の佐倉市にある「川村記念美術館」という美術館へ行きました。
 とても美しい風景の中に立地する、オシャレで趣のある素敵な場所です。

 この美術館は、リンク先をご覧になると分かりますが、大日本インキ化学工業株式会社及びそのグループが設立した私設の美術館です。
 私設の美術館だから、たいしたことないと思ったら、とんでもない。ルノワール、ピカソ、シャガール、レンブラント・・・すごいコレクションがそろっています。私の好きなルネ・マグリットもありました♪

 大日本インキ化学工業は、創業明治41年、資本金824億という堂々たる大企業でして・・・いやぁ、すごいですよねー。詳しい経緯は分からないのですが、資本金100万のインキ会社からここまでになるなんて。日本は60年くらい前に大きな戦争を経験してますから、基本的にはみんな0から出発してこういう大企業になってるんだなぁと思うとなんだか感動してしまいます。いえ、諸外国だと貴族だとか財閥とかあって大金持ちがいてもそんなに不思議じゃないですが。
 大日本インキ化学工業株式会社だって、東京に工場があったんだもんなぁ・・・戦争の影響ってあったんだろうになぁ・・・
 
 いえ、なんかね。
 お金があって。そしたら絵を収集して、こうして美術館を建てて、それをこうして美しい景色の中で、一般の人、みんなが見ることができる、なんてね。企業の理想だなぁ~~~と思っちゃって。
 
 何に感動したって、私はもしかしたら、そのことに一番感動したかもしれません。ちょっと単純でかしら^^
 もちろん絵もとてもすばらしかったです。
 ちょっと都内からは遠いところにあり、車で行っても場所が分かりにくいのですが、一度ぜひどうぞ。美術館を出て広い敷地内を歩くと、もう菜の花が満開でした。彼岸桜も咲いていました。 

【和漢箋服用後三週間目】※和漢箋使用開始時を0とする
日曜日 -1.6キロ 13781歩 
月曜日 -1.4キロ

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2007.03.11

「日本人の乗客は」

 どこかの外国で、たとえば飛行機が落ちて、炎上したという事件があったときに。
「日本人の乗客は何人で、状況はこうでした」
とか
「日本人は乗っていませんでした」
という報道があるとしまして。

 今日、テレビで竹村健一さんが、「日本人だけのことで大騒ぎするのはエゴだ」みたいなことを言っていました。
 うん、みゆきさんの「4.2.3」という歌にもあるし、そこで、日本人がいなくたって、何が起こっていて、どんな被害状況だかを、日本人に偏ることなく報道することは確かに重要です。

 でもね。

 もしも、日本人である私の親が、子供が、パートナーが、大切な友人が、その便に乗っていたかもしれないときに。
 まず第一報で「日本人は0でした」だけでも、知りたいと思うだろう。
 被害者の名前を、全て正確に報道することができるまでは時間がかかる。それならば、「まず、日本人がいない」という事実が最初に分かった時にそれを報道してくれることが、どんなにありがたいことだろう・・・

 この考えがよいかどうかは、人によって異論があると思います。ただ・・・

 私はたまに思うのです。
 何かを考えるときに「自分が当事者だったら」と、どれだけ自分たちは、想像をできるだろうか、と。

 この間、電車で物を食べることがマナー違反だ、というのがあるネットの記事にあり、いろんな人がコメントをよせていたのですが、どうしても時間がなくて電車での移動時間に何も食べないよりは、少しでも何かを口に入れないといけない状況というのはあるような気がして。

 だれだって、ゆっくり座って、食事はしたい。
 でもそうできないときもある。やむを得ず、そのときにそうせねばならぬときもある。

 どれだけ相手の身になって考え、発言しているだろうかと。健康で、恵まれている自分の立場からだけで、発言してはいないだろうかと。
 なるべく、その当事者の立場を自分にひきよせて、物事を考えていかなきゃな、と思ったことでした。

【和漢箋服用後二週間目】
土曜日 0   キロ 13187歩
日曜日 -1.0キロ  8038歩
月曜日 -1.6キロ  7321歩
火曜日 -0.8キロ  8050歩
水曜日 -0.6キロ 10007歩
木曜日 -1.2キロ 10814歩
金曜日 -1.2キロ 11033歩
土曜日 -1.6キロ  7700歩
日曜日 -1.6キロ  
※数字は前日比ではなく、土曜日を0としたときの増減

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2007.03.09

中国茶は二人で飲むのがいい

 仕事帰りに友人と、近くのおかゆの専門店に行きました。食事の後、中国茶をいただきました。

 ガラスのカップに茶葉が少し。そこに熱いお湯を入れて、ふたをして数分待ちます。ゆっくりと茶葉が開いていく様子をガラス越しに見ることができます。頃合いを見てふたをとると、いい香りが立ちのぼります。それを少しずついただく。

 中国茶は二人で飲むのがいいですね。
 茶葉が開くのを待つ時間も、お茶をいただく時間も、二人だとのんびりとおしゃべりを楽しみながら待つことができる。
 飲むのだけが目的じゃなくて、お茶をする時間自体を楽しむことができる。
 
 中国茶を飲むだけなら、一人暮らしの家でもできますが、どうも一人だと、茶葉が開くのをのんびり待ったりすることができません。何か他のことをやり始めて、気がつくとお茶が冷めちゃってたりしてね。

 そのおかゆ屋さんでは、お茶を飲んでしまうと、茶葉の残ったカップにまたお湯を注ぎにきてくれて、おかわりが何度でもできるので、友人とゆったりした時間を過ごすのぴったりでした。
 最近は、お昼をいっしょにしても、あわただしく席をとって、あわただしく注文して、注文が来ないとイライラして催促して、出てくれば大急ぎで食べて、また職場に戻る感じだもんな・・・

 なんだかとてもぜいたくな時間を過ごした気がしました。今度また、久しぶりの友達とゆっくり会いたい時は、中国茶のお店に行こうと思います。

【和漢箋服用後二週間目】
土曜日 0   キロ 13187歩
日曜日 -1.0キロ  8038歩
月曜日 -1.6キロ  7321歩
火曜日 -0.8キロ  8050歩
水曜日 -0.6キロ 10007歩
木曜日 -1.2キロ 10814歩
金曜日 -1.2キロ 11033歩

※数字は前日比ではなく、土曜日を0としたときの増減

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2007.03.08

和漢箋、効いてるかも!?

【和漢箋服用後二週間目】
土曜日 0   キロ 13187歩
日曜日 -1.0キロ  8038歩
月曜日 -1.6キロ  7321歩
火曜日 -0.8キロ  8050歩
水曜日 -0.6キロ 10007歩
木曜日 -1.2キロ

※数字は前日比ではなく、土曜日を0とした場合の増減。
※おおっ! ウィークデーにもかかわらず、減っているっっ! 体重計の数字を今日はちょっと疑いました。

 ちなみに昨日の食事。

朝   :ミニあんパン2ヶ、ミルクティー、春雨ヌードル (あんパンが余計だ・・・)
午前中:野菜ジュース
昼   :社食にて、肉団子と野菜のあんかけ、みそ汁、五穀ごはん、いんげんのごまあえ
午後  :チョコ二片、せんべい小2枚
夜   :チキンの骨付き肉入りスープカレー(鶏もも肉骨付き一本、ゆでたまご半分、ゆでじゃがいも半分、にんじん1かけ、ライスは玄米で量少なめ)

 野菜はとるようにしてますが、三食しっかり食べちゃってます。
 なのに減ったってことは・・・これは疑いようもなく、和漢箋効果なのかっ!?

※効果は人によって、違いがございます。

 食事の内容は、普段とあまり変わっていません。間食もしちゃってるし。野菜をとるようにしたり、ごはんは雑穀を選べればそうするようにしているのもいつもどおり。1万歩歩くのも今までどおり。なのに減ってる。う~む。

 プラシーボ(偽薬)効果なんて言って話半分だったけど、ちょっと和漢箋の効用を認めたくなってきました。
 
 和漢箋で検索され、ここにきた方のために、もう一度自己紹介。
 BMI36のけっこうな肥満にあたります。便秘の症状はなかったので、和漢箋あまり効かないと思ってたんですが・・・確かに皮下脂肪は多く、その意味では和漢箋向けと申せましょう。
 少なくとも1キロ減は固定化できるか・・・ちょっと期待し始めてます。

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2007.03.07

女性の選択と責任

 先日、同期同士の飲み会でこんな話をしました。
 そこに同席していた男性二人がたまたま二人とも既婚者で、奥様は専業主婦でした。
 
 一人の男性は元々、横浜に住んでいた方で。
 結婚して今は埼玉県に住んでいるのですが、いずれ横浜に帰りたいと話をしていました。

 住み慣れたところにいつかは帰りたい気持ちって、なんとなく一般論としては分かるところで。私はその男性に共感していたんですが、その場にいた女性の一人がこう言いました。

 「横浜じゃなくて、やっぱり奥さんの実家(埼玉)の近くに住むのが当たり前でしょ」

 彼女はその理由としてこう言いました。

 「だって、将来は親の面倒もみなくちゃいけないのだから、どちらかの親の近くに住むべき」

 うん。それは正論です。なかなか卓見ですな。
 当事者の男性に話を聞いてみると、その男性のご実家には今、ご両親しかいなくて、彼は長男。奥様のご兄弟の状況はよく分からないけれど、とりあえず他にご兄弟がいるらしい。
 私は・・・なんとなくそれならご主人の家の近くに住む方が自然に思えたんですが。
 
 彼女いわく。
 「どちらかの親」と言ったら、それは奥さんの方の実家の近くに住むべき。なぜなら、
「親の面倒を見るのは、結局奥さんの方になるんだから」

 親の面倒を見るなら、よく知っている土地の方がいいことに異論はありません。しかし、それなら・・・本人達(ご主人のご両親)の地元でもあり、ご主人の地元でもある土地の方でもいいわけであって。奥さんにとっては知らない土地ではあっても、ご主人が詳しいなら、役所の手続きとかはご主人の方が勝手が分かるかもしれない。奥さんが実質的に介護をすることになっても、ご主人に協力してもらいやすくなるんじゃないかなぁ。

 彼女はこう言います。
「親の介護なんて、所詮は女性がみんなやることになる。専業主婦ならばなおさらだ」

 う~~ん? そうなの?

「だって昼間、仕事してる男性は、役所の手続きなんて行けるわけないじゃない」

 いやいや、それは、結婚してない私も同じだし。私の親を面倒見る時は、私が休んでいかなきゃどうしようもないわけで。それは男性だって同じでしょう。

「家に専業主婦がいるなら、それはその人がやることにどうしたってなるでしょ」

 うーん・・・でも、親の面倒は、夫婦二人の問題で、たとえ、女性が専業主婦であっても、男性だって主体的にやらなきゃいけないんじゃないかなぁ。ましてその面倒を見る相手が、男性側の親ならば、男性側が主体的に動くべきだし、それを奥さんに頼る男なんてどうかと思うけどなぁ。 

 というか、なぜ専業主婦ならば夫の親の介護までその人に全部かかってくるのか。
 専業主婦だって働いてたって同じだと思うんだけど。親の介護をたった一人で背負うのはきついんだから、必要なら役所の助けも借りなくちゃいけないし、そのための手続きは自分の親なら息子がやれよ、と私は思います。なんで奥さんがやるの。
 
 その場には女性が私以外に二人いましたが、二人とも「男なんてあてにできないんだから」と言います。期待する方が損なんだと。結局、何もかもやらなきゃいけないのは奥さんの方。それならば、そういう将来も見据えた上で最初から住むのも奥さんの地元にするべき。

 むむ・・・そ、そうなの? なんかそれじゃあ、専業主婦ってつらいなぁ。
 専業主婦になることで、旦那さんは仕事だけしてればよくて、その他のことは奥さんがみんなやることになるの? そんなの変では・・・

 なんというか、専業主婦だからって求められることとか「こうあるべき」っていうのが、そうでない人に比べて多いような気がします。親の介護問題も子育ても、男性だってやんなきゃだめでしょ。そんなの当たり前と思ってたのにまだまだそうでない人が多いのね・・・びっくり。

 女性はいろんな生き方があっていい時代になってきました。
 でも逆に選択肢が増えた結果、「お前が自分で選んだんだから責任を持ってやるべき」と思われることが多いらしく。ネットではこんな記事を見つけました。

「赤ちゃんポスト越しに見る社会」

「赤ちゃんポスト」自体の是非はともかくとして、この記事の中で、

(引用開始)
「私は、子どもを産むと『選択』したのだから、その選択に責任を持っていい出産をし、いい母親となり、いい子どもに育て上げなければならない。それは義務ではなくて自分で選んだことなのだから、喜びをもってやらなければならない」「あなたはいろいろな可能性のなかから『母親』を『選択』したのだから、その選択に責任をもって、全力で子育てしなければならない。つらいなんて思ってはいけない」‥‥こんなにきっちり考え詰める人は少ないだろうが、意識的無意識的問わず、このような強迫がある
(引用終わり)

 という記述がありまして。それでちょっと飲み会で話した上記のことを思い出したのです。

 自分の選択に責任を持つのは当然ではあるのですが、その責任が、夫婦両方の問題なのにも関わらず、全て女性にかかるというのはいかがなものかと。専業主婦を選択した女性がいたとしても、だからって、家庭のことは全部奥さん任せって、それはないんじゃない?と私は思うのです。

 でも、子育てや介護ってそれが普通なの? うーん、なんとかならないもんですかねぇ・・・
 
 飲み会の時は、私と他の女性二人が熱い議論を交わしている脇で、男性二人はすっかり黙ってしまいました^^;

【和漢箋服用後二週間目】
土曜日 0   キロ 13187歩
日曜日 -1.0キロ  8038歩
月曜日 -1.6キロ  7321歩
火曜日 -0.8キロ  8050歩
水曜日 -0.6キロ
※数字は前日比ではなく、土曜日を0とした場合の増減。
※昨日は残業で遅くなり、1万歩歩けませんでした。体重もジワジワと・・・。


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2007.03.06

「モラル・ハラスメント」とは

「モラル・ハラスメント」・・・私は今日、この言葉を知りました。

「許すまじ!モラル・ハラスメント」
「モラル・ハラスメント」

 「モラル・ハラスメント」とは、一言で言うと、「精神的な虐待」のこと。
 分かりやすく言い換えるとすれば「言葉によるいじめ」みたいなものを想像してもらえばいいのですが、いくつか特徴がありまして・・・ポイントをあげるとすれば、

・加害者と被害者の間に力関係が介在する

 基本的に「弱いものいじめ」。支配者と被支配者の関係がある。
 夫が稼ぎ、妻が養われている場合に生じやすいし、親が子供を扶養している関係にも生じやすいし、上司と部下でも生じやすい。そこに格差があり、それが社会的に認められている「差」だから、なおさらその暴力行為が「しつけ」だの「教育的指導」などに置き換えられる傾向があるみたい。
 加害者はだから自分が悪いことをしているという自覚が全くない。

・加害者が自己愛的である

 相手を虐待することでしか自分に対する安心感を得られない。
 自分の正当性を信じたいがゆえに相手を理不尽に攻撃する。
 つまり、その人にとっては、それが「自分」という人間にとって必要な行為なので・・・こういう性格の人間とは、話し合いもできないし、被害者がいくら努力しても、たとえば素直に従ったり、徹底的に話し合おうとしても、それで相手の変化が期待できない。

 で、このモラル・ハラスメントの一番怖いのは・・・リンク先から引用します。

(引用開始)

被害者は、自分の人間性を非難され「ダメ人間」のレッテルを貼られますが、加害者はさらに巧みに「非難されるのはおまえに非があるせいだ」と思わせます。そのため、被害者はその言葉を素直に受け入れ、自己を否定してしまいやすいのです。

 しかし、被害者が自己を責めつづけるかぎり問題は他人に気づかれにくく、加害者の支配からもなかなか抜け出すことができません。 しかも、加害者は「ダメなおまえを受け入れられるのは、私しかいない」と自分を唯一の理解者であるかのように思わせることもあります。そして、支配から逃れようとすると「おまえのために自分を犠牲にしてきた私から離れようとするなんて、最低な人間だ」などと、罪悪感を植えつけることもあります。

 被害者が素直な人であればあるほど、巧みな言葉に惑わされて、自ら犠牲的立場をとりつづけてしまうこともあるのです。つまり、加害者が自己満足を続けたいがために言葉で操っていることに、被害者自身気づかないということです。

(引用終了)

 モラル・ハラスメントが怖いのは、一番はここですな。
 被害者がそれと気が付かない内に虐待を受け、抵抗できない。

 加害者は被害者以外の第三者には「いい人」だったりして。第三者にはそこにどれだけの虐待行為があるのか見極めにくい。
 被害者も自分がダメだからこういう仕打ちを受けると思ってる。相手の行為を、虐待だと認めることができないまま、逃げ出すこともできずに、ずっと痛めつけられ続ける。まさに子供のいじめと同じ、出口のない生き地獄です。

 虐待だと分かり、相手が正しいことをしているわけではなく、単なる卑怯者で自分を満足させるためだけに被害者を利用しているんだと分かれば、そこから逃げ出すこともできるわけで。

 自己愛人間って、今の世の中、けっこう多そうです。
 相手への攻撃は、煎じ詰めれば自信のなさの裏返しなんですが、自分を守ることだけに意識が向いているから、そのために相手を虐げたり貶めたりしても、相手がそれによってどれだけ悲しい思いをしているかを想像できないのですね。
 加害者になる人間の心理も分かるような気はしますが、どんな境遇や生活環境の結果、そういう精神構造を持つに至ったとしても、だからといって他人を理由もなく貶めたり、相手の尊厳を踏みにじったりする権利は誰にもありません。

 もし、これを読まれている方で。
 身近な人からいわれのない精神的虐待を受けているような気がしたら、一度、リンク先の記事を読んだり、「モラル・ハラスメント」で検索して調べたりしてみてください。

 そのひどい言われようは、あなたが悪いせいではないかもしれません。

【和漢箋服用後二週間目】
土曜日 0   キロ 13187歩
日曜日 -1.0キロ  8038歩
月曜日 -1.6キロ  7321歩
火曜日 -0.8キロ

※数字は前日比ではなく、土曜日を0とした場合の増減。
※昨日はものすごい強風のため、外を歩くのができませんでした。体重も少し戻りました。戻るとしてもすっかり戻るんじゃなくて、この辺で止まってくれればいいのですけどね^^;

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2007.03.05

タイムスリップ・桜木町

 昨日は、夕方から、友人の出演する新堀ギター(国際新堀芸術学院東京校ほか)の卒演を見に行きました。新堀ギター教室ってあちこちでけっこう見るんですが、考えていたよりも、趣味のギター教室というよりは「専門学校」な感じで、とても聴き応えのある卒演でした。ギターのオーケストラって初めて。海外公演もされているそうで、ギターの魅力をまだまだ広げてくれそうです。
 クラシックギターは私も、以前、市民サークルに入ってアンサンブルに参加していたことがあるんですが、腕前は初心者に毛が生えた程度でして^^; 新堀のニューフェイスさんたちには、これからもがんばって欲しいです。

 さて、その会場が横浜の桜木町駅の近くにあったため、久々に桜木町の駅で降り、ランドマークタワーのショッピングモールなどをちょっとだけ歩きました。
 横浜や関内などは、ここ数年でも何度か行く機会もありましたが、桜木町に降り立つのは・・・ちょっと思い出せないくらい久しぶりでした。横浜博の前で、記憶が止まっている・・・あれ、何年くらいの話でしたか。ランドマークタワーが出来たてて話題になってた頃ですよ。古すぎて思い出せない。

 なんだか不思議な感じでした。タイムマシンに乗って過去に来たような。
 もちろん、記憶にある桜木町&みなとみらいとは変わっているところも多いのでしょうけど、記憶そのものも曖昧だし、インターコンチネンタルの半月型のビルや大観覧車は変わらないでそこにある。

 関東に住む私にとって「横浜」という場所は微妙な位置にあります。観光するほど遠くはない。でもしょっちゅう買いものに行くほど近くはない。記憶の中で時が止まっていて、行くとその時点からまた時間が流れ出すような感じがします。おそらくそう感じるのは私の個人的な印象なので、何の参考になるわけでもないのですが、なんとなくこの不思議な感じを覚えておきたいなと思いました。

 横浜・・・赤レンガ倉庫とか、新しいスポットには訪れたことはあるんですが、いつか時間をかけてゆっくり巡ってみたいです。

【和漢箋服用後二週間目】
土曜日 0   キロ 13187歩
日曜日 -1.0キロ  8038歩
月曜日 -1.6キロ  

※数字は前日比ではなく、土曜日を0とした場合の増減。
※体重の減る週末でしたが、今朝の数字はちょっとびっくり。和漢箋を飲み始めてから最低記録を更新しました。きつかったスカートもベストサイズになってきたような♪

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2007.03.04

The Hungry Gene(後編)

体重の減る週末です。和漢箋服用後の結果、最初の1週間の結果。
【和漢箋服用後の推移】
 金曜日 0      12498歩
 土曜日 -1.0キロ  2047歩
 日曜日 -1.0キロ  3783歩
 月曜日 -1.2キロ 10206歩 
 火曜日 -0.4キロ 12405歩 
 水曜日 +0.2キロ 10022歩
 木曜日 +0.4キロ 11789歩
 金曜日 -0.4キロ  8016歩
 土曜日 0      13187歩

 ご覧のとおりプラスマイナス0。体重は変わりませんでした。でも、体脂肪率は昨日はかなり減っていたので、また1週間やってみたいと思います。今週は土曜を基準にこの記録をつけていきますので、和漢箋に興味のある方は、服用の一例として参考にしていただければ、と。

 土曜日 0   キロ 13187歩
 日曜日 -1.0キロ 

 今朝の体重は昨日と比べて1キロ減っていました。体重が減る時って理由は実はよく分かりません。
 昨日は、午前中に囲碁サロン、午後はオルセー美術館展にでかけました。朝は食パンとコーヒー、昼はパスタとサラダとアイスカフェラテ、夜は大根と鳥肉の煮物とごはん、上野で友達と抹茶クリームぜんざいをいただいております。
 美術館からの帰りに万歩計を見ると7000歩。抹茶クリームぜんざいを食べたのと、友人も同じくダイエット中でしたが目に見えてやせたのが分かったのでうらやましくなり、家に帰るのに一駅歩きました。

 帰ってから、「The Hungry Gene」、邦題「太りゆく人類-肥満遺伝子と過食社会」(エレン・ラペル・シェル (著), 栗木 さつき (翻訳)) の後編を読みました。

 書いてあることは、映画「スーパーサイズ・ミー」で見たメッセージとほぼ同じです。要は、薬品会社もマックのようなファーストフード会社も、自分が社会に提供しようとするものが、もうかるかどうかでしか考えてなくて、人間の体にどういう悪影響があるかを考えていない、ということです。

 彼らの理屈は一つ。「消費者には選択肢がある。我々が顧客の口を無理やり空けて、ハンバーガーを詰め込んでいるわけじゃない」。薬害のある薬だって「使用法を守れば、安全だ」。

 うーむ・・・

 私がこの本を読んで一番思うのは・・・「肥満」というものが「企業がもうけること」に利用されているんだなぁということです。太らせたのも企業なら、やせる薬を売るのも企業。脂肪分、糖分たっぷりの食べものは売れる。売れるから作る。選択肢とは言っても・・・実際にそうして世界的に肥満者が増えているのならやはり「個人」の問題じゃなくなっているような。
・・・これってどっかで聞いたフレーズだなぁ。ああ、少子化と同じですね。問題の根本を「個人」に押し込めることで、大きな問題が矮小化されている。そんな気がしました。

 でも企業が「売れるから作る」のはまさにそれが「資本主義」というものでして。「もうけ」が優先され、非効率だけど人間の体にいいものが駆逐されていくなら、社会制度そのものの問題だなぁ。戦争の前に「肥満」で人類が滅びるかも!?

 まあ、人類よりも先に、自分だなぁ・・・
 本を読んでいると、やはり、高カロリー高脂肪の食事がダメだというのがひしひしと伝わってきました。
 昨日食べた大根と鳥肉の煮物は、鳥肉70円、大根1本99円の1/2。とっても経済的かつ実際に体重も減ってるので、マックに行くんじゃなくて、自分で大根買ってきて煮る、やはりこういう食事が大事なのかもしれません。

 先日、スタバでホワイトチョコレートモカを飲んだら、めっちゃおいしくって感動してしまったのですけど、この本に600キロカロリーと書いてあるのを読んで、もう二度と飲むまい、と決意した今日でした^^;

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2007.03.02

自分と「同じ」相手としか友情って成立しないのか?

 以前から、心にひっかかっていることが一つあって。
 
 人を好きになったり、友達になったりするときって、それは「自分と似てるから」なんだろうか?
 価値観や生活環境が違う相手だと、友達になったり、相手を好きになったりすることはできないのだろうか?
 
 というか・・・私が「誰々を好き」という思いは単純に、「自分と似ているから好き」という自己愛の延長なんだろうか?
 相手に自分と違うところを見つけたら、嫌いになるんだろうか?

 今日、これに関し、とっても頷ける文章を見つけました。
 私はまだ読んだことがないのですが「対岸の彼女」という本があり、その本についての「ゆかり」さんという方のレビューです。
 記事はこちら。

 (引用開始)
 女同士の友情は、共感で成り立っていると思う。

 仕事での人間関係や、恋人のことで女友達に愚痴をこぼす。話すことでストレスが解消される。相手から「そういうの分かる」と共感があると「話してよかった」と思い、安心感が得られる。
 (中略) 
 「共感してもらえる」という安心感が持てないと、会って話しをしていても、どことなく落ち着かない。なんとなくスッキリしない気分を抱えてしまう。

 共感は、同じような立場や経験をしている人同士のほうが生じやすいし、強くなる。
 同じような職種、専業主婦なら主婦同士のほうが、話に出てくる状況を分かち合いやすいから、そういう共感を得るために成り立つ友人関係がある。

 一方で、自分と違う立場の人との友人関係は、相手の話を聞くことによって、自分自身の視野が広げられ、発見がある。異なる環境にいる人のほうが、状況を冷静に分析して、的を得た指摘をすることもあるだろう。

 「対岸の彼女」は、女性同士の人間関係の機微を描いている。
 幼い子を抱える専業主婦と独身の女性起業家の出会い。
 生活や仕事に対する価値観の違い、生き方の違いが、人間関係の決別につながる寸前にまで発展する。しかし、どこかで互いに認め合い、友情の絆はしだいに強くなっていく。

 生活の中で起きる些細な出来事について互いに共感できる部分は少ない。
 しかし、環境の異なる者同士の友情関係は、互いに「自分が持っていないものを相手は持っている」という共感がある。

 「この人と知り合いになれて、よかったな」と思える出会いは、明日を生きる力をくれる。
 「対岸の彼女」は、それを思い出させてくれた。

(引用終わり)

 繰り返しになりますが「対岸の彼女」は読んでません^^; けれど、このレビューにちょっと感銘を受けました。今まで迷っていたことの答えが得られたような。

 「似ている」ことでしか成立しない友情は、なんだか窮屈です。
 相手の期待していることも分かってしまうから、ほんとは自分はそう思っていないのに、相手に合わせたりしちゃう。相手と同じでない面を見せると嫌われるかもしれないと思って、だんだん本音が話せなくなる。そして、ちょっとでも違う面を見せられると幻滅したりする。

 でも、確かに共感してもらえることで得られる安心感、というのがあるのは確かなんですよ。同じものを好きな相手と好きなことについて思いっきり話せるのは幸せなことで。
 「会えてよかったな」と思う。同じ部分に同じように感じる相手と出会えることは、心満たされる感覚を味わうことができます。
 多分、人間が所詮は一人だからなんだろうな。「自分だけじゃない」と思えるとほっとするんですよね。

 でも、友情というものは、それだけじゃない、と思いたい自分がいて。

 たとえ、自分の思いこみとは相手の本当の姿が違っていても、それを否定することなく、そのまま受け入れる自分でありたいと、いつも願っていました。そしてそれは絶対、できるはずだ、と。

 自分と似ている人だけを好きになるのなら、結局のところ、自分とそっくり同じ人間なんていないのですから、最終的には「どいつもこいつも自分とは違う」ってことになって孤独が深まるだけです。

 でも自分と違う人を好きになれるのなら、世界中の人間を好きになれることと同じで。
 相手と違ってしまうことにビクビクしたりせずに、お互いの立場を認め合い、尊重しあい・・・その結果、強い絆を作ることができようなそういう関係を、作っていけたらなぁと思います。 
 
 環境が違っても・・・価値観が違っても・・・友情は成立する。
 私は、そう思いたい。小説の中だけでなくて、現実にも。

 みなさんはどう考えますか。

【和漢箋服用後の推移】
 金曜日 0      12498歩
 土曜日 -1.0キロ  2047歩
 日曜日 -1.0キロ  3783歩
 月曜日 -1.2キロ 10206歩 
 火曜日 -0.4キロ 12405歩 
 水曜日 +0.2キロ 10022歩
 木曜日 +0.4キロ 11789歩
 金曜日 -0.4キロ 
 ※数字は前日比ではなく、金曜日を0とした場合の増減
 ※なぜかちょっと減りました。和漢箋効果出てるのかしら。・・・なんて私もゲンキンだなぁ。

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2007.03.01

映画「墨攻」~戦いとは?~

 映画「墨攻」を見てきました。
 「10万の敵にたった一人で挑む」・・・戦術の天才、墨者の革離が、今まさに大国に攻め滅ぼされようとしている国を救う話・・・それだけなら、ヒロイックファンタジー、エンターテイメント超大作でいいのですが、映画の後半は、そういう「戦い」そのものの空しさを感じてしまう物語でした。

 詳細はリンク先(上の「墨攻」をクリックすると公式サイトにとべます)をご覧いただくとしまして。
 ラストまで見終わった後、「人はなぜ戦うのか」なんてことを考えてしまいました。
 
 戦って他国を征服することが、当時の武人達の「生きる目的」だったんですわね。現代の日本に住む我々にとってはナンセンスに思えますが、我々の三世代前は日本もそうだったし。

 人という生き物は、他の生き物にない特質が一つあります。
 それは「脳」という器官によって与えられた「環境を変える力」を持った動物であること。
 
 映画「黒馬物語」のレビューにもちょっと書きましたが、人間以外の生命は、大抵、与えられた環境の中で一生懸命生きるものですが、人間だけは違って、自分は変わらず、自分の周りを変える力を持っている。
 
 どう変えるかという元になるものが「思い出」であったり「夢」であったり「信念」であったり、つまり脳が創り出すイメージによって左右されていくわけです。

 おそらくは・・・
 「人間」というもの、そのものが、「周りを自分の意志(脳の働き)に合わせて変える」ことを命題にした動物なのじゃないかと。仮説ですが。
 環境に順応するんじゃなくて。「変えてやれ」という意志を持つべく宿命づけられている。

 だから戦いも起きる。脳の創り出すイメージに合わせ、国や海や大地や地球を変えていくように、自分以外の人間に対しても自分の思うように「変えたい」。

 「信念」なんていうと高尚なもののようだし「信念」のない人間はダメ人間みたいに言われますが、たかがその一人の人間だけの「思いこみ」に過ぎません。正義も悪もなく、人の脳が創り出す「イメージ」が人の数だけあって、それがぶつかり合い、戦いを生み出す。みんな「自分が正しい」と思っているんだから戦いになるに決まってます。

 植物や他の動物のように、環境に順応して、ただそこで充足して生きていくことが、人間にとっては「愚かなこと」だと判断されてしまうのは、おそらく、そもそも人間が「変える」生き物だからでしょう。

 だとしたら「戦い」はヒトに宿命づけられているのか・・・

 うーん・・・でも・・・私個人は、戦うことも人を支配することもあまり望まないです。地球という限られた環境の中で、あらゆる生き物や人と共存すること。それを望むことが愚かだとは思わない。
 
 そう考える人間は世界中に確実に増えてきているんだと思います。この100年くらいの間に(まだ中東では信念による戦いは続いていますが)。それは人の進化なのだろうか? それとも退化なんだろうか? その結果、人類はどうなるんだろう?
 
 国は滅び、その国を滅ぼした国も他の国に滅ぼされる。では一体その戦いの意味はなんだったのか。そう思った「墨攻」のラストから、いろいろ考えてしまったこと、でした。

【和漢箋服用後の推移】
 金曜日 0      12498歩
 土曜日 -1.0キロ  2047歩
 日曜日 -1.0キロ  3783歩
 月曜日 -1.2キロ 10206歩 
 火曜日 -0.4キロ 12405歩 
 水曜日 +0.2キロ 10022歩
 木曜日 +0.4キロ
 ※数字は前日比ではなく、金曜日を0とした場合の増減
 ※体重は相変わらずですが、記録は付けてないものの、体脂肪率は確かにちょっと落ちているかも?

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