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2007.05.09

コウモリの気持ち

 たとえば・・・
 友人と話している時でも、何かの会議でもいいんですが。
 自分の意見と相手の意見が食い違う場合ってけっこうありますよね。そういう時ってどうします?

 私はそう言うときって「まーどっちもありよね」ってことで、白黒つけない方がいいと思っているのですが、何かを議論する場合に、自分の方が絶対正しいと主張せずに「どっちもあり」なんて言ってるのはずるいのかなぁ。

 どうも争うのが苦手でね~。
 
 いや、そもそも「話し合う」なんていう事自体が、「いろんな意見があってよいと思う」というスタンスでなければできないんじゃないかと思います。
 
 欧米人が行う「ディベート」などだと、相手を論破することが目的だったりしますが、私などが友達と話す時は、いろんな考え方を聞いて、もちろん、自分の考えと違う時は「私はこう思う」って話もして、お互いにとってのこれからの行動の参考になればそれでいいんじゃないかな、なんて思ったりします。

 「ディベート」には勝ち負けがあるのかもしれませんが、別に友達と話すのに勝ち負けがあるわけじゃなし。

 ・・・なんて考えたのは何か重大なことで人と言い争いをしたわけではなくて、書いちゃうとコレを読んでる多くの人は「な~んだ」ってなると思うのですが・・・

 「地球(テラ)へ…」というアニメを四月からやっていて、それが大好きで毎週見ております。
 mixiというコミュニティサイトで、そのアニメについて、いろんな人の意見を読むことが多く、私もこりもせず、書き込んだりしているんですが。
 先日、「地球へ…」の第5話の放映がありまして、そのストーリーに対して賛否両論、いえ、多くは「異議申し立て」のような意見が相次ぎました。

 原因は簡単なことで、「地球へ…」はもともと竹宮恵子のコミックが原作なのですが、その原作とかなり離れたアニメオリジナルのストーリーが第5話だったのです。
 
 原作のある作品を、映像化する場合、こうしたことは宿命ではあるのですが、私などはどちらかというと、原作どおりのストーリーでは先が見えちゃってて面白くないわけで、オリジナルのシーンがあると「おっ!?」と思うわけですよ。同じく原作がある「デスノート」のアニメなども見ていますが、オリジナルのシーンのある回の方が原作どおりの回よりも「見てよかった」と思います。

 まあ、そうは言っても「地球へ…」への第5回への「異議あり!」な意見は、読んでいて「うん、私もそう思った」な意見がたくさんありました。それくらい、とってもオリジナルな第5回だったもので。原作を読んだことのある人にはその人達の分だけそれぞれのシーンに強い思い入れがあり、思い入れのあるシーンが大きく変更されたりすると「なんでよー!」と思うのはとても自然な話。
 
 ただ・・・要はその思い入れは、人によって様々で。
 おそらくアニメの脚本を担当されている方や監督も「地球へ…」が大好きで思い入れがあって、自分なりの思い入れを込めてアニメを作られているはず。
 何がホンモノかを議論すれば、原作のマンガがホンモノに決まっているわけですから、それを素材とし、どうリニューアルしていくか・・・私はそういうアニメならではの創意工夫が楽しいですけどね^^

 「地球へ…」を知らない方の方が多いであろうこのブログで、このアニメのオリジナルの部分についての具体的な是非を書いても仕方ない話なので・・・つまりここで言いたいのは・・・

 「地球へ…」の第5話に対し「ここは変えて欲しくなかった」とか「この展開はないと思う」というのはいいと思うのですよ。原作ファンなら原作に思い入れがあるのが当たり前だし、それと違うストーリーに物申したくなるのもよく分かる。そういう思い入れたっぷりの「異議」を読むのも私はけっこう楽しいです。

 しかし、なんというか、あまりにも自分しか見えてない意見が多い。
 「これは『地球へ…』じゃない」と思うのはいいんだけど、それは原作ファンである「あなた」個人の意見であって。
「アニメから『地球へ…』を知った人が『地球へ…』はこういう話なんだって思われるのが心配」
 とかって、それは、余計なお世話というものです^^; これからの新しいファンは、アニメを見て「地球へ…」を知って、もしかしたら原作も読んでくれるかもしれない。それでいいんじゃないかと。
 「これは私の意見です」
 って言えずに「みんなもそう思ってる」的言い方をする人がなんて多いことか。

 まあ、政治家でさえそんな人が多いですから、一般の人がそうなのは仕方ないかなぁ。

 アニメはアニメでそれも一つの解釈。それに対していろんなことを思うのももちろんあり。でもそれを人に押しつけたり、攻撃的になったりする必要はないわけで。
 「いろんな意見があっていい」と思わなければ話し合いなど、ほんとできません。
 でもえてしてmixiもそうなんですがネット上の書き込みというのは独善的になりがちなんですよね・・・ 

 そんなとき、私はどうしても「まあまあ。言いたいことは分かるけどそうもめないで」と言いたくなってしまうのですが、他の人から見ると「こいつは一体どっちの味方なんだ? アニメか? 原作か?」って感じかなぁ。

 鳥にも動物にもなれなかったコウモリの気持ちがよーく分かる昨今でございます。

【和漢箋服用後11週間目】※和漢箋使用開始時を0とする
5月9日 -1.4キロ 

※なんか最近、体重が増えたり減ったり大きく変動することが多く。増える時は-0.2キロくらいまで戻るのですが、今朝は-1.4キロでした。昨日、一昨日は体調もよくなく、そんな中で残業などをしていたせいで、1万歩歩けなかったし・・・今日はどうするかなぁ。
 

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Comments

私は平行線をたどりそうな議論には参加しないことにしてます。それは、たんに言いたいことを言ってすっきりしたいだけに見えるから。
そして、論点をぼやかしたりずらしたりしてる話題にも参加しません。
結論を出す気のない議論はつかれるだけなので。
でも、逃げてるとは思ってません。
だって、、、そう思うのは自由なんだも〜ん(^^)v
オリジナルストーリー、確かにそれはそれで思い入れが強い部分は多いですね。でも、それに反発するなら、ず〜っとマンガだけを見てれば良い訳で・・・。好んで喧嘩売らんでも良いと思ったりします。そんな私は平和主義者〜♪

Posted by: ちはる | 2007.05.09 at 22:47

ちはるさん、いらっしゃいませ~♪
コメントありがとうございます。

私は・・・そうですねぇ、
話しても「平行線」だと分かっている議論は確かに参加するのは徒労な気がしますが、

いろんな意見は聞いてみたいし、それに対して「自分はこう思う」って言いたくなるたちなんですよね~。

で、いろんな意見がある中で・・・例えばAとBの意見があるとしたら、結論としてAとBどちらかになるより、両方のいいとこどりしたC案が導き出されれば、それが最良であり、「話し合い」というものの最善の結果なんじゃないかと思ってしまいます。

・・・そんなところが「こうもり」っぽいわけですが^^;

そうそう、コメントをいただいたのがちはるさんなので、少々脱線しますが。
囲碁の場合は、黒か白かどちらかしかありません。それが好きだとおっしゃる方も多い。

梅沢ゆかりさんがインタビュー記事で面白いことをおっしゃっていました。

「囲碁は与え合うゲーム。
 譲る心を失わない人が最後に勝つんです」

これ、素敵な言葉だなぁ~
相手にも与えつつ、最後には自分が勝っている♪
そういう碁が打てたら最高です♪

記事はこちら。
http://www.rasel.com/interview/y_umezawa.html

Posted by: BUBI | 2007.05.10 at 10:21

議論好きのぐーたんです。
なるほど~~~。

私は議論は好きですが、勝ち負けのために好きなわけではないです。
自分がなぜそう思うのかを相手に理解してもらうため。
また、相手はなぜそう思うのかを理解するために好きなのです。

例えばボールがあって、私は黒が好きで、これは何がなんでも黒だろうと思っているとします。だから、相手に「これは黒でしょう。なぜなら○○なのだから」と話します。
その時相手が、「私は赤だと思う」と思っていたら、「私は赤だと思う、なぜなら○○なのだから」と話して欲しい。私は「いえ、赤では成り立たないよ。なぜなら△だってあるわけで」なんて言いあうのは好きなのです。そして、「なるほど、あなたが赤が良いという話には○○と言うわけがあるわけね、私は黒だと言う意見を変える事はできないけど、あなたが赤だと言う事もわかる」とか「ほほー、それなら赤も良いね」とか相手が「ぐーこの黒って言うのが良い気がする」とか「ふん、こいつわかっちゃいないなああ」と互いに思うとか・・・・。と言うのが良いのですね。
が、なかなかそのように話し合いが出来る人はいない。

「ぐーこが黒と言うなら、ここは黒と言っておいた方が丸く収まる」とか
「赤でしかありえない、皆もそうだよ。黒だ何て言うぐーこはおかしい。」と皆を持ち出して、ぶちっと話を切るとか。

平行線でも構わないですね。相手を打ち負かそうとしての平行線はダメですけど。相手がなぜそう思うのかを聞き合う平行線が良いです。

本心を明かさない、自分の意見を隠す、その場を丸く納め後になって「私もそう思ってたんだよお」なんて言うのは嫌です。

私は押しが強いと思うので、どうしても一方的になりやすいですけど、それでも相手の意見を聞きたいですし、話して欲しい。また、自分を理解してもらうためには、相手を理解しないといけない(話を聞かないといけない)と思っているので、お互いがそのスタンスで議論ができるのが最高です。

相手の話に聞く耳を持たないのでは議論にはならないですよね。

Posted by: ぐーたん | 2007.05.10 at 11:26

>ぐーたんさん

うん、うん、分かりますよー。私もぐーたんさんと同じです。
「私は黒だと思うけど、なぜあなたは赤だと思うのか、知りたい」
んですよね~

黒vs赤の議論をしている時に、
「まあまあ」
と割って入りたくなるのは、私の場合、

>「赤でしかありえない、皆もそうだよ。黒だ何て言うのはおかしい。」

という意見に対して「みんな」の気持ちがあんたにわかるんかい、と言いたくなるからなのでした。

矛盾してるようですが、争いは嫌いだけど、私も議論は好き。いろんな立場のいろんな意見を聞いてみたいと思います^^

以前、私の親しい友人と、議論というほどのことではありませんが、一つのことについて見解の相違があったときに、その友人はこう言いました。

「BUBIは違うんだね」

 ・・・そう言われてしまうとそこで話が終わっちゃう。私はもっとお互いの思いをそれぞれ話して、どう違うのか、をいっしょに話したかったんですよね~

 折衷案のC案が導き出されず、平行線に終わるとしても、お互いの意見が言い尽くされること、それをお互い理解しあうことに意味がある。

 その平行線も、相手の立場を理解しようとしなければ本当に近づくことさえもないわけで。

 思うのですが、この問題自体も・・・つまり、自分と相手の意見が異なっているときに議論する方がいいのか、そうじゃないのかという問題も、どっちがいいというよりは「どう議論をするか」によるようです。

 私の理想は、まさにぐーたんさんが書かれているように、やっぱそれぞれに意見を言い合って、

> 「なるほど、あなたが赤が良いという話には
> ○○と言うわけがあるわけね、私は黒だと言
> う意見を変える事はできないけど、あなたが
> 赤だと言う事もわかる」とか「ほほー、それ
> なら赤も良いね」とか相手が「ぐーこの黒っ
> て言うのが良い気がする」とか「ふん、こい
> つわかっちゃいないなああ」と互いに思うとか・

そういうのがいいなぁと思います^^

 mixiのコミュニティとかネット上の議論をみていると、議論をする上での「相手の言うこともちゃんと聞く」という基本的なスタンスが「なっちゃいないなぁ」と思うことがけっこうあります。
 
 アニメvs原作のどうでもいい対立も、「絶対原作がいいんだ!!」と言い張って、アニメのダメなところをあげつらうことは簡単だし、第三者的にもそういう構図の方が分かりやすくはあるのですが、同じ作品のファン同士なんだから「議論」するのはかまわないけど、お互い理解はしあっていこうよ・・・と思ってしまいます^^;

Posted by: BUBI | 2007.05.10 at 14:08

「相手にも与えつつ、最後には自分が勝っている♪」
そんな碁が打てる様になりたいですよね。向こうでどなたかが「一子もとらず、そして一子もとられずに勝ちたい」って書いていらっしゃいましたが、これも憧れますね(^^)

少し言葉足らずでしたが、平行線の議論でも、「真剣に話してる人の言葉を無視する耳は持っていない」って思ってます。聞くだけは聞くんですよね〜。。
そう言う意味では、私の方がコウモリさんかも(^^;

Posted by: ちはる | 2007.05.10 at 22:18

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