Newton「量子論」取り寄せました
「光とは何か?」の特集で、量子力学という未知の領域に片足を突っ込んでしまったので、分かるかどうか分かりませんが、Newtonのバックナンバー「量子論」(2006年7月号)を取り寄せてみました。
この土日でじっくり読んでみようと思います。
面白そうだなぁ~わくわく♪
「光とは何か?」の特集で、量子力学という未知の領域に片足を突っ込んでしまったので、分かるかどうか分かりませんが、Newtonのバックナンバー「量子論」(2006年7月号)を取り寄せてみました。
この土日でじっくり読んでみようと思います。
面白そうだなぁ~わくわく♪
今朝は-1.8キロでした。
食べるのを減らせば、いつもこのくらいまでは行くのですが、-2キロの壁がなかなか破れません。
先日、スポーツクラブでプールで泳ぐとき、
「バタ足だけだと全然前に進まない。腕でかいて進むから腕が筋肉痛になる」
という話を後輩にしましたら
「それは腰が浮いているからですよ」
と言われました。
1 足は膝ではなく、付け根から動かす
2 足先まで、水面ではなく水の中で動かすイメージ
この2点をアドバイスされました。後輩はキックだけでもかなり進むらしいです。
水泳ってちゃんと習ったことないからなぁ~
今度、スポーツクラブで泳ぐ時は上の二点を意識してみよう。
あと、いつも運動する前に食事を済ませるようにしていましたが、スポーツ選手の指導もしている栄養士の話を聞いたところ、運動する前に食べるのはあまりよくないのだとか。
筋肉を付ければ代謝も上がるので、運動した後はタンパク質をとった方がいいとのこと。なので、食事の仕方もちょっと変えてみるつもりです。
いや、先日。この2年で15キロ以上、体重を落とし、スリムになった男性上司の話をききました。体の1/5が無くなったそうです。う・・・うらやましい。でも運動量が半端じゃないんですよね。
私もがんばらなきゃ^^;
小学校の頃、クラスで学級委員もやるような、頭のいい、えらい男の子がいました。
その子に私が言われた一言。それが次の言葉です。
「お前、顔だけじゃなくて心も汚いんだな。」
なんでそんなことを言われたのか原因はもうすっかり忘れましたが、その台詞はずっと心に残っています。いや、
トラウマなんていう大層なもんじゃありません。子供なんてなんでも言いますしね^^ 今では笑い話です。
「メガネをはずすと美人になる人っているわよね。あなたもちょっとはずしてみなさい・・・あら、変わらないわね」
これは職場の女性上司に言われました。開けっぴろげな性格の人でねー。昨年その女性は定年退職をされました。最後までゴルフに賭け事にとアクティブな女性の先輩でしたね^^
「あんた、整形しなさいよ。」
これは亡くなった母に言われました。自分の娘に言うか、普通~。まあ母は目が二重で大きい、若い頃はけっこうな美人だったようですが、私は目は父に似て思いっきり一重で細いです。母からしたらそれは気になったんだろうな。まあ肉親じゃなきゃこんなことは思っても言えませんわね。これも今では笑い話です。
いや・・・Ruccaさんのところで、Mさんという親子の話を読んでいたのですが・・・
なんというか、まあ、誰かからないがしろにされてショックを受けた、なんて経験は誰だって山ほどあって当然だと私は思うのですが。でもそうは思わない若い人というのが今の時代は多いんですね。
いわゆる
「父さんにもぶたれたことないのに!」
(記憶があやふやですが、ガンダムの名台詞・・・「母さん」だったかな?)
ってやつですわ。
こんなことを言うと急に老けこんだ気になってきますが、世の中には思いやりや優しさも必要ですが、そのためにはやはりタフであることも必要です。いちいち傷ついていてはきりがない。
・・・と思えるようになったのも年をとったからなので、若かったらしょうがないか^^;
ただRuccaさんの記事にもあるように、奥様で派遣でパートで、社会人経験がなく、そのまま子供を産んでセレブなお母さんになってしまえば、きっとそのままなのかもしれなくて、別にそれが悪いわけではなく、社会と関わらなければなんのトラブルもないわけです。
世の中には・・・いろんな考え方があって、いろんな生き方をしている人がいる。
以前、私の大好きな友人が
「私は人の心が分からないって言われるんだよ」
と言っていたのを思い出しました。私にとっては、いつも周りへの配慮を忘れない、優しい友人なのに。そんな人でもそんなこと言われちゃうのか・・・
人の心が分からないのはみんな一緒です。
思いやりを持って接してもそれが伝わらないこともあるし、裏目に出ることもある。
だからこそ・・・誰かの何気ない一言で傷つくことがあっても、それに対して「人の心が分からない」なんて言える資格は誰にもないんじゃなかろうかと私は思います。
中島みゆきの歌に「DIAMOND CAGE」という歌があります。
(歌詞から一部引用)
DIAMOND CAGE 臆病な笑みを
DIAMOND CAGE 檻で囲え
DIAMOND CAGE 柔らかなヒヨコ
DIAMOND CAGE 息もできず
(引用終わり)
ダイヤモンドの檻の中の柔らかなヒヨコ。これってきっと「人の心」のたとえです。
ダイヤモンドのようなけっして壊れない強い檻で、心を囲ってしまえば、どんな人の言葉にも傷つかずにいられる。私はそうなりたいと思い、そうなれるようがんばってきました。
だからこそ、Ruccaさんの記事を読むと、複雑な思いがしてしまいます。
特別に傷つきやすい人がいて、その人の言動で、周りの人が逆に、自分の思いやりが足りなかったかなどと反省されたりしているのを見るとね・・・。
果たしてダイヤモンドの檻を持つことはいいことなのか、悪いことなのか!?
先週の土曜日、楽しみにしていたドラマ「ライアーゲーム」が最終回を迎えました。
自分が馬鹿正直だ、という自覚がある私は、主人公の神崎直(かんざき・なお)のことをハラハラしながらずっと見ていました。
いやぁ、最終回でも散々な言われようでしたね。
「バカじゃぁぁぁぁぁんんん~!」
とか言われて、裏切られて、笑われて。
ドラマでは「人は平気で嘘をつくし、人を裏切るし、人を踏みつけにしても、自分さえよければいいと思うものなのだ」というのが前提となっておりますが・・・
どこまでも馬鹿正直な私は、その定義自体が、ドラマらしく誇張されたものだと信じております。なんたって「信頼」&「自由」がモットーですから^^
いや、私は別に、人間が「正義」や「善」な存在だとか思っているわけではありません。極端な話、どっちかというと逆で、本来は「自分さえよければいい」って思う「動物」なんだと思っています。
ただ、そういう本来は自分勝手な生き物だけど、そのくせ、何も信じないで生きられるほど強い生き物でもない、のが人間の特質でして。
私たちは、互いを信じている。
または信じているふりをする。
ライアーゲームだって、勝つためには作戦があり、その作戦は一人では成立しません。誰かと組む必要があり、その組む相手の信用は最低限得られなければ、勝ち残ることはできません。
そういう信頼の上で成り立っているのがこの社会ですから・・・だからこそ「裏切り」は許されるものではありません。
豚肉を牛肉だと言って売ったり、耐震性がない建物を耐震性があるように偽装したりすることが許されないのは、信義に反しているから。
そういう、平気で人の信頼を踏みつけにするような人間は、他に誰も人間のいないところで、ずっと一人で閉じこめておけばいいと思います。人と人の間で生きる価値なし。
私達は、そういう「現実」の中で生きています。だから、そうそう「裏切り」なんて起こるはずがない。誰だって天涯孤独でひとりぽっちで生きたくなんかないんだしね。
・・・と思っていますが・・・甘いのかなぁ。
少なくとも私は。
たとえそれが自分がこの世界で淘汰されないためだとしても、人は人を信じたい生き物なんだって思っていたいなぁ。
2007年に入ってからこの半年、一回も勝ってなかった、日本棋院の囲碁教室「土曜囲碁サロン」での対局で、本日、やっと、念願の新年(!?)初勝利をおさめることができました~~~!!
嬉しいよぉ~\(^-^)/バンザーイ!
なんと、先週まで、負けに負けて13連敗。
自分よりも上の級の人にも下の級の人にも、もちろん同じ級の人にも負けまくり、どうすれば勝てるのかさっぱり分からなくなっておりました。
今日のお相手は5級の方。私はこの教室では3級。
囲碁で実力に差がある人同士で打つときには、置き碁というハンデ戦になるのですが、この場合は2級差があるので、2子局、といって、相手の方が先に盤面に二つ自分の石を置いてから対局を始める方式を取ります。
自分よりも下の級の人と打つときは・・・いや、もちろん、そうじゃないときも基本は同じなんですが、まだ囲碁を始めたばかりでこれからのびていく人に嫌な思いをさせないように、だましたり、間違いを期待したりするような手を打たないように一段と気をつけています。
もちろん、だからといって、手加減は絶対にできないし、するべきではありません。自分がハンデを背負っている以上は、そんなことしてたら、ゲームが終わるまでハンデは埋まらない。相手の失敗を期待するんじゃなく、自分が相手よりも効率のよい手を、一手一手打つことによって、しだいにハンデをつめていくのですね。
そうすると、相手の方がたいてい無理な手を打ってこられます。
その無理をとがめることができれば、勝てる。
ただ・・・今までの連敗では、そういう相手の無理をとがめることができずに通してしまって^^;
無理が通ればなんとやらで、それでずーっと負けていたわけです。
でも今日は、相手の方が無理に攻めあいに持っていこうとするのを、きっちりとがめることができました。
相手の方も、今日のは完敗だとおっしゃっておられました。
終わった後、検討(もう一度、その碁を最初から並べなおし、どう打つべきだったかを反省しあうこと)したときも、どの手が無理な手だったか、その手を打たないとしたら、どこがよかったのかを、私から相手の方にご説明もできたので、なんだか、とても・・・うん、同じ連敗ストップでも、今日のような流れで勝つことができて本当によかったなぁと思いました。
それにつけても・・・1勝まで長かったなぁ~
いや、まあ、これからまた2007年の終わりまで勝てないかもしれませんが(爆)、それはそれとして、今日は勝利の美酒・・・なんて酒は飲めないので、勝利の烏龍茶で(笑)、一人、乾杯をしたいと思います。
これからも囲碁、がんばるぞ~
えー最近体重の推移をご報告してませんが、相変わらず-1.4キロから-1.8キロくらいで横這い。
一時期、-0.8くらいまで戻りピンチだったのですが、今朝は-1.4キロ。とりあえず増加はせずに済んでいます。
毎月一回通っているクリニック(ダイエット治療ではありません)では、
ドクター「痩せませんねぇ」
私 「はい・・・」
ドクター「痩せるために何かしていますか」
私 「漢方薬(和漢箋のことです)は飲んでますし、1万歩歩くようにしています。でもそれだけじゃなかなか」
ドクター「そうですね。体重を測って記録していますか」
私 「ええ、それは毎日。一ヶ月の中でも増えたり減ったりですが、結局トータルで見るとあまり変わらないんです」
ドクター「なるほど・・・」
私 「もう少し何かしないといけない気がします。今やっていることは継続したまま、あと一つ何かやってみようかと」
ドクター「ふむ。がんばって下さい」
医者は何も指示してないじゃん(笑)。ま、ダイエットの医者じゃないですから、そこはしょうがない。こうして、見守ってくれるだけでも励みにはなってますわ。
・・・というわけで、今やっていること(和漢箋の「防風通聖散錠」を飲む、毎日一万歩を歩く、スポーツクラブへいくなどなど)に+(プラス)1ということで、以前もやったことのある「オルビス」にお世話になってみることにしました。
オルビスというメーカーの、ダイエット食品のメインは「プチシェイク」。牛乳と混ぜ合わせると「フルーチェ」みたいになるダイエット食品なのですが、これがとてもおいしいし、同じ類のダイエット食品と比べると1食200円で割安です。
ストロベリー、りんご、オレンジシトラス、ピーチ、パイン&マンゴー、ミックスベリー、そして、新製品にバナナといろいろ味がありまして、プチシェイクが好きな私は、全ての味を制覇しております。
お勧めは断然、ストロベリー。でも「りんご」味もおいしいですね。ミックスベリーも酸味があって悪くない。そしてバナナも・・・甘くてこくがあり、満足度高いのです。
一日三食の内の一食をこれに置き換えるわけですが、私はもっぱら朝食に利用しています。ほんとは、夕食をこれにすればいいのですが・・・夕飯はねー。プチシェイクみたいな甘い物よりも、ご飯や野菜やお肉など、しっかり食べたいんですよねぇ。ご飯や肉や脂肪分は控えめに、野菜をいっぱいとる食事を心がけよう。
プチシェイクは暑い時には凍らせてシャーベットにして食べるのもおいしい。夏にぴったりのダイエット食品ですね。甘いものが欲しい人にも。
牛乳のカロリーと合わせると一杯のプチシェイクは大体150kcalくらいです。
これだけを一食にするのはけっこう厳しいですが、いろいろ取り入れながらがんばります。
・・・ダイエットは私にとって囲碁と似ています。
簡単には目標までたどり着かず道が厳しいのも、いろいろな方法を試しながら、自分に向くやり方を見つけようとするのも、目標にたどり着くまではひたすら辛いだけだけど、いつかそこにたどり着くまではがんばろうと思うのも。
どっちがより厳しいか、たまに考えるのですが・・・ま、どっちもどっちかな^^;;;;
昨日の記事の続きです。
・・・というわけで、最新号のNewtonの記事は「光の正体」だったわけですが・・・
特集記事を読み終わって湧き起こる疑問。
で、一体「光」って結局何なんだ?(爆)
Newtonの記事では、光の正体は「電磁波」だと解き明かされます。
電磁波とは、物体を構成する要素の一つ、電子の震動が電波と磁波の二つの波となり伝わっていくものです。つまり・・・そうか、やっぱ光って波なのか。
いや、それはいいのですが。そうすると最初の疑問。
海の波は「水」によって伝わっていく。なら光の波は何によって伝わっていくのか?
空中でも水中でも、光は空気や水の電子の震動を通して伝わっていくわけです。それは分かる。これは耳に聞こえる「音」が空気の振動を通して伝わるのといっしょです。
しかし、「音」は真空では伝わらない。なぜなら音という震動を媒介する空気がそこにないから。
なぜ光は真空中で伝わるのか? そこに震動するものがない場所で、光はなぜ直進することができるの?
・・・もとのもくあみになっております^^;
「光」そのものを私達は見ることができません。光にあたった物が、光の中で特定の可視光を反射している姿を、我々の目が「色」として認識することで、私達は物を見ています。
光・・・電磁波を受けると私たちの目の中の細胞がそれに反応する。その反応を、脳が「そこに物体があります」と認識する。
遠い星からも電磁波が出ていて、それを私たちは目という組織で受け取ると、そこに星がある、と私たちの脳は認識します。
ということは、星と私たちの目の間に、電磁波を媒介するものがあるらしい? ほんとか?
・・・なんて、19世紀以前の昔の人も同じようなことを考えておりました。昔の人は、電磁波を媒介するものを「エーテル」と名付けたそうです^^
が、知っている人は知っています。「エーテル」なんていう物体はこの世界にはありません。
じゃあ光という波は一体何を媒介にして、目に届いているのか?
この疑問を一掃したのは、どうやらアインシュタインらしい。「特殊相対性理論」か^^;
これ、分かりにくいんだよなぁ~~~
特集の後半で「光子」という言葉が出てきました。あれ? これ、架空の物体じゃなかったのか(爆)。じゃ、光って「光子」という物体なの??
(フリー百科事典wikipediaより抜粋)
「光は粒子でもあり波でもある。粒子と波の両方の性質を併せ持つ、量子というものである」
・・・??? 量子? 量子って何?
この先はどうも「量子力学」という素人にはよく分からない世界の話になるようです^^;
(この記事は多分・・・続きません(こら))
参考:ネットの海から「量子力学」を素人にも分かりやすく解説してくれるページを拾って参りました。興味のある方はいってみてね。
Newtonという雑誌をご存じですか?
私は小さい頃、家にあった「こども百科事典」というカラーの挿絵つきの本が大好きで、よく眺めていました。月面の図だとか、魚の種類だとか、世界の国旗一覧(それは社会ですが)だとか、そういうのがカラーで載っている、見ているだけで大変楽しい百科事典で。
おかげで小学校では、理科のテストが一番成績が良かったです。高校でも唯一生物のテストでは100点を取ったことがありました。
算数&数学が苦手なため、物理や化学になるとさっぱりでしたけど、大人になってからも、NHKで以前やっていた「驚異の小宇宙・人体」なんてのは大好きでしたし、生物の進化や星の話など、理科系の話題が好きです。
もしかすると、フィクションでもSF好きなのはその延長なのかもしれません。
というわけでNewton。
月1で通っているクリニックにNewtonが置いてあり、いつも待ち時間に眺めるのですが、最新号の特集は「光の正体」。かなり興味があったのですが今月はクリニックでそれほど待たなかったため、今回は自分で買ってしまいました。
Newtonは税込みで1000円もします。カラーの挿絵が美しい冊子なのでしょうがないか。
内容は期待どおり、私のような「算数嫌い、理科好き」または「ミーハーな理科好き」にぴったりです。
光の正体の解明には古くから「波派」「粒派」の両方の説があり、長い間議論の的となってきましたが、現在は、両方の性質を兼ね備えたものであることが分かっています。
波であれば、たとえば海の波は「水」という物体によって、それが伝わっていくわけですけど、じゃあ光を伝える物は何か、それが分からずにいろいろと議論になってきたわけで。なぜなら、光は真空中でも伝わるからです。
じゃあ、粒なのか? 光子という架空の物体が想定されて議論された時代もありました。
・・・というように「光」の研究は、その歴史自体が諸説が乱立しいろいろと面白いわけですが、現在分かっているのは・・・ま、あとはNewtonの記事に譲りましょう。
極端な話、私たちの目に見えている世界は全て、光が作り出すフィクションの世界です。
目に見えない世界にも「現実」はあるのですが、私たちはそれを感じることができない。
そういうことに思いを馳せるのが・・・なんともロマンチックだなぁ~と、ミーハー理科好きは、Newtonを読みながら思うのです。
またまたまた「地球(テラ)へ…」に関する話題から。
4月から始まりましたTVアニメ版「地球へ…」。おかげさまで大好評になってきました。
どれくらい好評かというと・・・mixiで、このTVアニメ版の「地球へ…」のコミュニティができていて、そこにいろんな人が感想を書いているのですが、以前はTVアニメを見て「原作と違っててここは納得いかない」という感想が大勢を占めていたのですよね。
ところが最近は「TVアニメの『地球へ…』大好き」が好きな人も増えてきて、逆に「ここは納得いかない」という感想を書く人の旗色が悪くなってきました。
それだけTVアニメ版『地球へ…』を支持する人が増えてきたということです。なかなか良いことですわ。
ただ、そうなってくると、今度は「TVアニメ」を好きな人から見ると、TVアニメを批判されることが嫌なようで、TVアニメの良し悪しでなく、「TVアニメに対して否定的な感想を書くこと」自体への批判が、感想として書かれるようになってきました。
うーん・・・
一つのものに、いろんな意見があるのはありだと思うのですけどねー。
私、個人としては、TVアニメが原作とそっくり同じではつまらないと思うし、アニメならではの表現や原作では描ききれなかったエピソードが追加されるのはいいと思うのです。
ただ、先日ちょっと書きましたが、TVアニメの制作スタッフのお一人がインターネットラジオで「地球へ…」について語っているのを聞いたら、「地球へ…」という物語の捉え方自体がまったく違っていてびっくりしたりもして。それが原作が描こうとしていたテーマそのものに関わる話だったりすると、
「ちょっと待ってよ、それは違うんじゃない?」
と言いたくなったりします^^
何か一つの物を嫌いな人と好きな人。
もちろん歩み寄れる場合もあります。
TVアニメの「地球へ…」が大好きな人と、好きだけどちょっと文句も言いたい人は、充分歩み寄れる範囲だと思うのですが、どうも雲行きが怪しいのが心配です。
「戦い」か「決裂」か。
私はせめて、ミュウ達が地球へ行くのをやめて「ナスカ」に安住の地を求めたように、「好きだけど文句も言いたい」人を隔離すれば戦いにはならないと思ったのですが、どうも、「ナスカ」への安住も許さない人もいるようです。
ま、今の私たちは旧人類だから仕方ないのか^^;
・・・これは、アニメの「地球へ…」の話ですが・・・
自分と違う意見、物、考え方を受け容れられるかどうか、というのは人の永遠のテーマなのかもしれません。
平日に休みをとりまして、六本木の国立新美術館で開催中の「モネ大回顧展」へ行ってきました。
一言・・・素晴らしかったです♪
この展覧会、モネが好きな人は、何を置いても見に行かなくては!
国内外のモネの作品が一度に、あんなに見られる展覧会なんてそうそうないです。特にモネの場合、同じモチーフを、時間や季節を変えて連作している絵画が多数ありますが、普段はいろんな美術館に分散しているものを、この展覧会では、並べて見ることができます。
面白いですよ~♪
同じ風景の絵画でも、これだけ違うのか・・・と。一品だけ見るのと、そうやって複数を見るのとでは印象が違ってきます。こんなにぜいたくな展覧会初めて!!
おなじみの「睡蓮」を始め、ポプラ並木や積みわらなど、同じモチーフの作品がたくさん並んでいるところを見ると、モネという画家の物の見方、捉え方が伝わってきます。我が埼玉の県立美術館所蔵の「積みわら」もありました♪ ちょっと嬉しいですね~
なんだか、ほんと面白い。こんなふうに美術展を見たのが初めてで。
モネは日本国内で人気のある画家なのでで、よく見ると、日本の美術館が所蔵している作品がたくさんありました。
「あー、この作品はここの所蔵なんだ。ここ行けば、この絵を見られるんだな~」
なんて思うのも楽しい。
中には個人蔵の作品もあって、この展覧会のために、出品してくれてるわけですね。
ふふ・・・ひそかに自分もモネを持っている人がいたら、これだけの規模のモネ大回顧展なのに、オレの所蔵品はなんで声がかからないんだ、なんて思うかも~(笑)。
いっしょに行った友達と話していたのですが、モネの絵画の所蔵リスト、なんて調べればすぐ分かるんですかねー。
国立新美術館のこけら落としとは言え、これだけの作品を集めるのはどれだけの費用がかかるのかしら。少なくとも、フランスのオルセー美術館から取り寄せるだけだって、輸送代、万が一の保険代、警備など、きっと大変でしたよね。国内の美術館だって、お声掛けをして所蔵品をご提供いただかなきゃいけないですから、大変なことですわ。準備とか大変だったんだろうな・・・
そういういろんな意味で。私自身が見た中でも前代未聞の美術展です。
7月2日までですが、会期末が近づけば大混雑が予想されます。だって一度見てもまた見たい人、多そうだもの。行きたい方は一刻もお早めに行って下さい。私も平日の午前中に行ったのにも関わらず、人が多くててびっくりです。でも、人混み覚悟でも行く価値あり。見たい人は、絶対、見逃さないで下さいね。
美術展を見た後は六本木の新名所、東京ミッドタウンで食事をして帰りました。楽しかったです^^
またまた「地球(テラ)へ…」に関する話題から。
最近インターネットラジオで、この「地球へ…」の脚本等を担当されている方の話を聞く機会がありました。その話の中でその方はこういったことをおっしゃっておられました。
『管理体制』批判はもう古い
・・・ふむ。原作のコミックである竹宮恵子の「地球へ…」は、行き過ぎた管理社会の未来を舞台にしており、SFの中で、こうした管理社会に対する批判が描かれるのは、確かにこのコミックが書かれた当時のSFのブームでありました。
それがもう「古い」のだとすれば・・・今はどんな社会なのでしょう?
「管理社会」というのは、要は全ての人間が平等で均一な社会です。富めるものもいなければ貧しいものもいない。全ての人間が等しく幸福になれる・・・いわゆる「社会主義」なんてのも、ここから生まれました。
一見、良さそうに見えるんですが、なぜかそうした社会は崩壊する。SFなんかでは、人間の自由を束縛する敵として描かれます。
みんなが平等で均一であれば、余剰の富が、その社会をコントロールする極少数の人間に集中するからかもしれません。
または、みんなが平等で均一ならば、怠けることは許されず、娯楽は衰退するし、がんばって自分だけ成功して金持ちになろうとする意欲も薄れる。結果、競争社会についていけず、皆が貧しくなる。
で、「社会主義」は失敗だった、というのが世の中の定説となった後に、今の社会があるわけですな。
うーん・・・なかなかどっちがいいとは言いにくいんですけどねぇ・・・
「自由」を標榜する私としては、やはり管理社会はよくないよなぁとは思うのですが、じゃあ、今の世の中がどうなっているかと言えば、簡単に言うと「弱者切り捨て」の世の中になってきてしまっています。
能力の低い人間は貧しく、能力の高い人間は富む。
税制もここ、何十年かでだいぶ変わってきており、消費税が導入され、貧しかろうが富んでいようが、生きている限り負担は同じになったわけです。病院にかかるのも自己負担が増え、老人への給付金は廃止され、つまりは、「みんなが等しく幸せになる」という思想はなくなって、貧乏が嫌なら自分で稼げ、と。極端な話、人を騙し、隣を蹴落としてもです。モラルも低下するよなぁ、そりゃ。
そして、うまくやった人間と、うまくやれない人間の差が格差となって現れ、片方に子供の給食費もほんとに払えず四苦八苦する親がいると思えば、一戸建てに暮らし車を何台も持っても「給食費なんて払わないで済むなら払わない」と居直る親もいる。
役所の方は、誰の年金をいくら預かっているかも分からなくなっているようですし、完全に「管理」の崩壊です。誰ももう社会保険庁に頼らず、自分でなんとかしようと考えるでしょう。なんとかできない人は・・・落ちていくしかない。
漠然とした考えですが、おそらく、どっちがどっちということではなく、両者は天秤の上に乗っているような気がします。
どっちに偏っても社会は崩壊する。完全な管理体制では人間の個々の意欲を殺ぐし、かといって自由意志に任せれば、うまくやった人間だけが得をする世の中になる。
今がどっちに偏っているかといえば、言わずもがな、後者というわけで。
と、すれば、もしも、今の時代に、SFに限らず、何かのフィクションを作り、社会に警鐘を鳴らすのだとすれば・・・やっぱり「ライアーゲーム」みたいな作品になるんでしょうね。
「本当に『うまくやる』だけでいいのか?」と。
うむ、そう考えると「地球へ…」が描いているストーリーは、確かに、それが即、今の時代を反映するものではないのかもしれません。
でもなぁ。
時代に関係なく、「地球へ…」みたいな作品も、私は必要だと思うけどな。
子供がいないのは1粒の涙
子供がいるのは1000粒の涙
・・・という言葉があります。知っている人もいらっしゃるかと思います。
要は、子供を持ちたいのに子供ができない、と流す涙は1粒だけど、子供ができればその1000倍の苦労をするんだよ、ということですわ。子供のいない私が言うのもなんですが・・・真理なんだろうなぁ~
たまに結婚もそうなんじゃないかと思ったり致します。
一人で生きていくことはたまにさみしかったり、疲れたりしますけど、結婚したら今の1000倍疲れそう^^;と。疲れるだけならともかく、パートナーに冷たくされたり、理解してもらえなかったり、ケンカしたり。そのたびに落ち込んで、苦しんで、自分も我慢して、譲歩して、あきらめて・・・
でも。
もし、独身の男性や自分よりも年下の女性が、私の目の前で同じことを言っていたら、私は相手に、こう言うでしょう。
「でもね、結婚したら1000倍の喜びもあるよ、きっと」
結婚も、子供を生み育てることも、きっと1000倍の喜びがある。1000倍の悲しみといっしょに。どうせ生まれてきたのなら、喜びも悲しみも少ない人生よりも、1000倍の喜びと悲しみがある人生の方がいいでしょう?^^
あるコミックの言葉ですが、人は前世で自分が「次はこうなりたい」と望んだとおりの姿で、今のこの姿に生まれてきているのだとか。それが仮に本当だとしたら、私の前世はさぞ1000粒どころか2000粒も3000粒も涙を流し、結婚に苦労してきたに違いありません。
『次に生まれてくる時は、一生、一人でのんびり暮らしたい』
きっとそう思ったんだろうな~、ふふ。
でもきっと、この一生が終わる頃はこう思っているはず。
「次こそはパートナーと巡りあい、結婚して子供を持つ一生を過ごしたいなぁ」
その繰り返しなのかもしれませんね。
まあ実際には私は、前世も来世もないと思っているリアリストなので。この一生はこれ一回だと思っています。何にせよ、一度きりの人生ならば、後悔しないように日々を生きていければ、それで人間の一生としては上出来なのかもしれません。
【和漢箋服用を再開した16週間目】※和漢箋使用開始時を0とする
6月11日 -0.8キロ
※昨日は-1.2キロだったんですが^^; 今週後半の健康診断の直前なのに、なんだか「もういいや」モードに入りつつあります。やばし。
夏の空遙か
遠くにいるきみを思う
誰かに優しくしたり
誰かに優しくされたり
ちょっとした親切や思いやりを繰り返すたびに
心はきみに還っていく
『忘れてないからね
ずっときみを大好きだからね』
言葉は届かないけれど
思いは届く・・・かもしれない
ほら
そんな台詞を聞いたなら
またきみは何も言わずに笑うだろう
先日「セルフ・コーチング」をこのブログ上でやってみましたが、それを見た、囲碁友のSTONECOLDさんが、「あなたの大切な言葉はなんですか?」というコーチングの問題を送ってきてくれました。
いくつかのプロセスを経て、自分にとって大切な言葉を三つ発見するという出題。
私は最初「自由」「心」「愛」、なんて上がりましたが、「心」と「愛」はちょっと自分に正直ではありませんでした(笑)。
最終的に大切な言葉は「自由」と、そして「信頼」。
このブログもまた、この二つでできあがっております。
「信頼」という言葉を和英辞典でひくと、いくつか類似の言葉がありまして。
【主観に基づく本能的な】trust
【頼りにして信頼すること】reliance
【証拠に基づく理性的な】confidence
【信念に基づいた一方的な強い】faith
ふむ。どれだろう? 微妙。
私は「believe(信じる)」という言葉が好きなんですけど、これの名詞は出てないですねぇ。
私はかつてNHKでやっていた「生きもの地球紀行」という番組のエンディングテーマ「believe」が大好きです。(こちらのページで曲が聴けます)最近は近所の小学校で子供が合唱してるのを聞いたこともあるので、知られた曲だと思います。
・・・まあその。「自由」という言葉への思い入れを紹介する場合はいつも、中島みゆきの「友情」という歌の歌詞をたまに引用するのですが。
♪自由に歩いてゆくのなら一人がいい
一人でいることと自由でいることはやはりセットだと思うのですが、一人でいることや自由でいることを楽しむためには「信頼」が必要だと思ったりします。何に対する信頼かと言えば・・・そうですねぇ、自分以外の誰かや世の中、といったものに対して、かな。まあ自分を信頼していればそれでもいいのですが、何にしても「自信」が足りない私の場合はそれはないので。
世の中や自分以外への誰かへの「信頼」。もしかしたら、ドラマ「バンビ~ノ!」の与那嶺さんなら、それを「愛」というのかもしれません。
【和漢箋服用を再開した15週間目】※和漢箋使用開始時を0とする
6月4日 -1.2キロ 10948歩
6月5日 -0.2キロ 10749歩
6月6日 -0.2キロ 10874歩
6月7日 -0.2キロ
※歩いてるだけじゃ体重は減らないらしい^^; 昨日から和漢箋「ロート防風通聖散錠」の服用を再開しました。
最近ダイエット仲間ということで、ぶーたんさんの「ぶひっ!ログ」によく伺っております。
最新記事で、ぶーたんさんが、外骨腫の疑いで大学病院に行った時の顛末が書かれておりました。(記事はこちら。)
痛むのは右手の薬指の付け根だそうです。手の痛みって何をしていても気になるのですよね・・・
病院に行って、レントゲンを撮り、採血して炎症反応も調べたそうですが、どちらにも所見なし。早めにきちんと調べた方がいいからと言われて大学病院に行ったけれど、結局土曜日にかかりつけのお医者さんが来るからその人に調べてもらって、と言われた、というお話でした。
とってもよく分かる(><)
病気になると早く病院に行けと言われるけど、病院に行っても原因が分からないと、何もしてもらえないんですよね・・・または、薬出されるだけとか。
痛みを和らげたり症状を軽くしたり、そういう手当って病院に行ったってしてもらえない。
当たり前ですけど、結局、医者にとって患者は他人だもんな・・・こういう話を聞くと、やっぱり自分の体は自分で守らねば、と思います。守りきれなかったら医者に頼るしかないけど、頼ったって所詮自分に分からないものを他人が分かるわけがないのかもしれません。
まあ、レントゲンのような「技術」で分かる病気もあるし、お腹が痛いとき、もし「盲腸」だったら外科手術で治るわけですから、対処療法として「病院」が効果的な場合もあるので、いちがいには言えませんが、ぶーたんさんの記事を読んで、
「やっぱなー。病院って頼りにしちゃいけないんだなー」
と、もともと医者&病院に対してかなり不信な私は思うのでした。
どこかがちょっと痛かったり、どこかがちょっと具合悪くなったり。
そういう時に病院に行くか行かないかは・・・・自由だーーー!(by犬井ヒロシ)
♪通院 is Freedam~
・・・でもな、どこかがものすごく痛くなったりしたときに、医者にいって・・・
「なんでもっと早く来なかったんですか」
って怒られることもある、で^^;
【和漢箋服用は中断中の15週間目】※和漢箋使用開始時を0とする
6月4日 -1.2キロ 10948歩
6月5日 -0.2キロ 10749歩
6月6日 -0.2キロ
※体重が減る時期に、最低記録を更新できないまま、停滞期に突入。この時期はやけにならず、日々節制につとめることが肝心・・・だけど、ほんと、減らないわねぇ^^;
「食い逃げされてもバイトは雇うな」という本を読んでいます。
感想・・・なんか当たり前のことが書いてあるなぁ^^
このブログでは、「ライアーゲームのいかさま、あんなのすぐ分かるのに」とか、「通信簿が5や4しかない衝撃」の話をしましたが、こういうのも、みんな、この本が言ってるようなことですわね。「食い逃げをされても、それを防ぐためにバイトを雇う方が金がかかる」のはちょっと考えれば当たり前のように私には思えるのですが、「バイト雇えばいいのにね」って思う人の方が多いとしたらちょっと意外です。
つまり、この本の趣旨は、数字のマジックというか、物事を考える時にすぐに数字でちゃんと判断できるか、という話。見かけ上の数字にだまされていないか、という話です。
私は、お人よしで騙されやすいのを自覚しているので、物事をすぐに信用しないで、ちゃんと考える癖がついているみたい。
なので「この絵は3枚で100万円。安いですよ」とか言われても、「いやいや。どうでしょう、それは」と思うわけです^^ よかった。一応、経理担当の課にいる面目も立ちます。簿記も3級は合格できたし。
この本の冒頭にも書かれていますが、簿記がそうなんですけど、「会計」なんて言っても、ほとんどは数字でなく「言葉」で書かれているわけで、それを理解するのに大事なのは国語力・・・読み解く力が大事だと、私も思います。数字はそれらを分かりやすい指標として表現しているに過ぎません。
「1勝2引き分け」を「3戦無敗」と言ったり、本当はただじゃないのに「0円」って言ったりすることが、数字を操る「技術」であるとこの本は、経営や営業のノウハウとして、紹介しているわけですが、私などから見ると・・・そういう小手先の数字のマジックで人を惹き付けようとするなんて「小細工」って感じがします(苦笑)
もちろん「小細工」であっても時に効果的なことは確かであって。
「100人の中、80人が泣いた感動作」なんて言われると、泣かないと悪いような気がしてくるわけですよねぇ^^
小細工ですが、そういうことを知っているのと知っていないのとではやはり、大きく違います。
私は自分で小細工を使おうとは思いませんが、小細工を使ってくる相手には騙されないようにしようと用心できます。または、「そういう手もあるのねぇ^^」と可笑しく思ったり。
難しい数学は苦手、というか理解できないし、算数は3しか取ったことがありませんでしたが、こういう話はけっこう好きな方です。
もし、こういうのが好きな方がいらっしゃいましたら、私からは、清水義範の「いやでも楽しめる算数」をお勧め致します♪
【和漢箋服用は中断中の15週間目】※和漢箋使用開始時を0とする
6月4日 -1.2キロ
※6月もここから地道にスタート。日単位で増えたり減ったりしても、結局トータルで見ると、このくらいで一ヶ月以上変わってない^^; また和漢箋飲むかなぁ・・・
Recent Comments