馬鹿正直でもいいんじゃないか?~「ライアーゲーム」最終回~
先週の土曜日、楽しみにしていたドラマ「ライアーゲーム」が最終回を迎えました。
自分が馬鹿正直だ、という自覚がある私は、主人公の神崎直(かんざき・なお)のことをハラハラしながらずっと見ていました。
いやぁ、最終回でも散々な言われようでしたね。
「バカじゃぁぁぁぁぁんんん~!」
とか言われて、裏切られて、笑われて。
ドラマでは「人は平気で嘘をつくし、人を裏切るし、人を踏みつけにしても、自分さえよければいいと思うものなのだ」というのが前提となっておりますが・・・
どこまでも馬鹿正直な私は、その定義自体が、ドラマらしく誇張されたものだと信じております。なんたって「信頼」&「自由」がモットーですから^^
いや、私は別に、人間が「正義」や「善」な存在だとか思っているわけではありません。極端な話、どっちかというと逆で、本来は「自分さえよければいい」って思う「動物」なんだと思っています。
ただ、そういう本来は自分勝手な生き物だけど、そのくせ、何も信じないで生きられるほど強い生き物でもない、のが人間の特質でして。
私たちは、互いを信じている。
または信じているふりをする。
ライアーゲームだって、勝つためには作戦があり、その作戦は一人では成立しません。誰かと組む必要があり、その組む相手の信用は最低限得られなければ、勝ち残ることはできません。
そういう信頼の上で成り立っているのがこの社会ですから・・・だからこそ「裏切り」は許されるものではありません。
豚肉を牛肉だと言って売ったり、耐震性がない建物を耐震性があるように偽装したりすることが許されないのは、信義に反しているから。
そういう、平気で人の信頼を踏みつけにするような人間は、他に誰も人間のいないところで、ずっと一人で閉じこめておけばいいと思います。人と人の間で生きる価値なし。
私達は、そういう「現実」の中で生きています。だから、そうそう「裏切り」なんて起こるはずがない。誰だって天涯孤独でひとりぽっちで生きたくなんかないんだしね。
・・・と思っていますが・・・甘いのかなぁ。
少なくとも私は。
たとえそれが自分がこの世界で淘汰されないためだとしても、人は人を信じたい生き物なんだって思っていたいなぁ。
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Comments
いつも楽しく拝見していますが今回の記事はちょぴり失望しました。
「信義に反した人はずっと一人で閉じこめておけばいい」という意味にとれる内容。
経済的に間違えた人はその方面で反省いただけばよいとおもいますが、人の存在そのものを否定ほどの罪とは思えません。
罪に対して期待する罰のバランスを欠いてはいないでしょうか。
Posted by: はいり | 2007.06.27 06:56
はいりさん、いらっしゃいませ♪
コメントは初めまして、でしょうか。
いつもご覧いただいてありがとうございます。
ふむ・・・罪に対して罰が重すぎると。
具体的にどんな裏切りについてどんな罰が正当であるかは、個別に考えていかなければいけない問題であろうかと思います。
ただ、私が感じるのはなんというか・・・量刑とかそういうことじゃなくて、
人間は人の間で生きているのだから、基本的に信頼しあうべきだし、その「信頼」を前提に関係しあっているのに、
「人は本来裏切るものなんだから、だまされた方が悪い」
と開き直る人間を許せない、と思うということです。
「人は本来裏切るもの」
という前提が違う。
人をだます人間は「人は本来裏切るもの」だと自分の行為を正当化するようなことを言いながら、人は信頼しあう生き物だということを知っていて、それを利用して自分だけがいい思いをしようとするわけです。
・・・まさにライアーゲーム・・・
なんというか、私はそういう「確信犯」が一番許せないと思います。
いいんですよ、「人なんか信じられない!」って思ってどこか人のいないところで、人が平気で生きられるなら。
でもそんなことできるわけないのに。
そういう人の弱みにつけ込んで、開き直るなんて許せん!
という思いで本文は書きました。
実際問題、豚肉を牛肉と言って売ったくらいじゃ、たいした罪にはならないと思います。くだんの社長もそう思っているはず。
「何が悪いんだ?」と。
でも「人としてそれはどうなんだろう?」と私は思います。
Posted by: BUBI | 2007.06.27 14:03