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July 2007

2007.07.31

桝添氏は何大臣になりたいだろう?

 2007年参議院議員選挙が終わりました。
 今回の選挙は、年金記録不備問題や政治家の不明瞭な事務所費問題、現職大臣の自殺、など、選挙直前に現行政権におけるマイナスの事件が多発したこと、そして・・・やっぱりその前の衆議院議員選挙で自民党が大勝しすぎてしまった反動もあるような気がする・・・などで、与党大敗は始まる前から見えていたような選挙でした。

 いろいろな政策は「人気取り」だけではいけませんから、国民にとって嬉しくない政策もやらなきゃいけない時はあるんですけど、やっぱり現政権は国民に対して「説明できていない」「ちゃんと検討されていない」印象を与えてしまっています。
 いわゆる「政治不信」・・・
 
 首相の力量を判断する分かりやすい基準である各大臣の選び方自体が「安倍政権論功行賞内閣」「お友達人事」なんて言われちゃってますし。
 まあ、済んだことをとやかく言っても仕方ないので、前回は首相交代したばかりだったから仕方ないとしましょう。
 
 だからこそ、今度は誰に何大臣を任命するかが重要です。人心一新ですよね。安倍さん、がんばらなきゃ。

 以前、小泉さんは、各大臣を部屋にこもって一人で決めた、と言われています。誰の意見も聞かないで。だから、派閥にとっては「え~っ!」って人事もあったらしいです。安倍さんもそうした方がいいとは言えません。小泉さんの人事だって、田中真紀子外相みたいな大失敗もありましたし。
 だけど、少なくとも派閥どうこうじゃなく、国民から見ても、安倍首相の覚悟のほどが見える人事を期待したいところ。

 大臣となる人間が、本気で任された省庁の改革に取り組もうとしてもこれは容易ではありません。今度の選挙でも官僚批判がすさまじかったですが、敵は「公務員」一人一人ではなくて「前例踏襲」という巨大なシステムだと私には思えます。

 誰だって前と同じようにやってた方が楽ですから。変えようとしても変わらない。
 そこに立ち止まり続けることがマイナスだと分かっていても、前と同じようにやり続ける。自分で考えることをやめ思考停止して、与えられたことだけを淡々とやり続けて、何事もなく定年を迎えられればいい。

 役人というのは、元々、自分では考えません。考えてはいけないことになっています。
 政治家が考え、政治家が決める法律に基づいて・・・言うなれば、コンピュータと同じで。Aと入力すれば「あ」と表示するみたいな「システム」なのです。

 ただ普通のコンピュータは、プログラムを変えようとすれば変えられますが、このシステムは機械ではなく、人間でできているので、機械の部品のように取っ替え引っ変えされたくない・・・要は「変わりたくない」という意志は持っていて・・・そこが改革を難しくしている一番のポイントであろうと思います。

 大臣は、この「変わりたくない」という意志を持つシステムを、時代に合わせて改革していかなくてはいけません。機械はそっくり部品を変えないとダメですが、人間のシステムならば「意識改革」できるかもしれない・・・まあ、それがきっと一番難しいのでしょうけど^^;

 たとえば今回、自民で比例でトップで当選した桝添さんだったら、どれか好きな大臣をやらせてやると言ったらどの省の大臣になりたいかな、とちょっと思いました。

 国土交通省か財務省あたりはどうだろう。
 財務省は今、必死で各省庁に経費削減を迫っているところです。どこが必要でどこが必要じゃないか、予算を通して国政を一番左右できる・・・いいかもしれない。 
 国土交通省は、既得権益が一掃されたかどうか点検が必要だし、国の歳出削減に一番貢献できそう。一方で災害に耐える建築物基準の再考もしてもらわないといけません。やらなくていいことは直ちに廃止し、やるべきことは一刻も早く取り組む必要があります。

 農水省や厚生労働省は専門家にまかせた方がいい気がするな。外務省、防衛省、環境省も。
 文部科学省はぜひ民間から起用して欲しい。教育に熱心らしい安倍さんなら、すぐに誰か思いつく人がいるかもしれません。
 
 新しい内閣、新しい大臣。ちょっと楽しみです。安倍首相、背水の陣。衆議院が解散総選挙になるかならないか、なるとしてもその選挙で、国民の信を得られるかどうか・・・その一番最初の試金石です。

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2007.07.27

君は「ひぐらしのなく頃に」を見たか

 「ひぐらしのなく頃に」というアニメをネットテレビGyaoで見ました。
 ・・・はまっちゃいましたよ^^; これ、すごいですね・・・

 知らない方にまずご紹介しますと、この作品は、始まりは、とある田舎に転校した普通の男の子が、そこでかわいい女の子達に囲まれて何気ない日常を過ごす、という美少女キャラアニメみたいな話なのですが、そこから、彼は非日常の世界に引きずりこまれていきます。怖いです。
 まだ途中までしか見ていませんが、最初の4話「鬼隠し編」を見て、

「これは『放送禁止』シリーズだ・・・」

 と思いました。放送禁止シリーズも同じようなコンセプトで作られています。一見、普通のノンフィクション番組を装いながら、よーく見ると、表面に現れていない部分で何か恐ろしいことが起こっている。

 「ひぐらしのなく頃に」は元々はゲームだそうです。プレイヤーは主人公の男の子としてゲームを進めていく。その村のいろんな人と会って、いろんな会話をしていく内に・・・生まれてくる謎。不可解な事件。秘密。
 
 「鬼隠し編」のラストは衝撃的でした。
 どうしてこんなことになるのか・・・
 一体、この事件の真相は・・・
 さっぱり分からなくて、次の回を見る。
 
 次のお話は「綿流し編」。
 面白いことに登場人物や設定は同じで、時系列は「鬼隠し編」が始まった最初に戻ってまた同じ話が繰り返されるのですが、「鬼隠し編」とは後半は違うストーリーが展開されます。最後はやはり悲惨な結末&残る謎・・・(「鬼隠し編」よりはまだ救いが)
 
 どうも、各編ごとに、少しずつ違うエンディングにはなっているようですが、まったく違う物語というわけでもなく、前の編で明らかにされたことが次の編で生きてきたりもして、不思議な感じがします。

 今は三つ目のお話、「祟殺し編」の途中ですが、こうしていくつものお話があり、謎があり、錯綜するストーリーの中でいくつかの符号があり・・・いずれ真相が見えてくるのか・・・それともますます謎が深まるのか^^;

 でもやっぱり今のところ「鬼隠し編」が一番、怖かったです^^;
 豹変する少女たち。渦巻く疑念、不信。主人公を追いつめるのは、少女達なのか、それとも自分なのか。ふと我に返った時には、両手が血で染まっている・・・
 
 ホラーが苦手な人はダメかもしれませんが、なんというか、私はちょっとびっくりしてしまいました。こんなやり方があったのか、と。
 
 この記事は「ひぐらしのなく頃に」をお勧めする記事ではありません。
 ひたすら、私がこの作品をみて驚いたという感想です。

 もし興味がおありの方はとりあえずGyaoで、無料で1話と2話は見られますのでどうぞ。2話までみたら、私はお金を払っても続きを見ないではいられなくなってしまいました^^;

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2007.07.25

「芸者の花代」って何だろ?

 政治家の不明瞭な事務所費問題。
 「芸者の花代」に使ったから領収書なんかない、と言った副大臣がいてニュースになっております。
 「花代」って何? ・・・と思ったらやはり同じ疑問を持った人はいるらしく、こんな記事を見つけました。

「領収書が出ない芸者の花代。ご祝儀?それとも何なのか?」 

 一般には、料亭とかで芸者さんを呼ぶとその費用を「花代」というらしいですが、飲食代と込みで普通は料亭に払うので、領収書はもらおうと思えばもらえるそうです。

 ちなみに私、「芸者」という職業もちょっと誤解しておりました。
http://www.atami-furuya.co.jp/geisha.htm←こちらを見て納得。伝統文化だったのか~。

 私は女性なので、酒や宴会の席に、あでやかな女性が同席して、お酌をすることの、何がそんなに嬉しいのか、今一つ、ピンと来ませんが、ま、男性の人はうれしいのでしょう。
 あでやかな女性を呼ぶにはお金がかかる。舞でも披露してもらえればもっとお金がかかる。そのお金が「花代」のようです。

 しかし、そんなん経費で落とすなってば^^;

 職場の経費削減で「接待費」が大幅に減り、そのおかげで銀座のお店なども大変らしいですが、私などは、大変けっこうなことじゃないかと思います。
 自分で稼いだ金で何をしようが、それはまあ人間としての節度を守っている範囲ならいいとします。
 しかし、すてきな女性のいる店に連れてってくれたから、あなたの会社と取引しましょう、便宜を図りましょう、って、なんだそりゃ^^; そんなんでビジネスが成り立つなんて、まったくおかしいですわ。

 「はあ、社長さんは、女の子でも子供がお好みですか。じゃ早速手配させますわ。・・・いやいや取締は厳しくなりましたが、あるところにはあるんですよ」
 なんてのがまかり通るから児童ポルノだって根絶しないし、商売が成り立っちゃうんじゃないの。

 いやー何を青くさいことをって思われるかもしれませんが、はっきりいって、SEXや性的な欲求はプライベートな問題なんだからビジネスとは切り離して考えるべき、と私は「女性だから」かもしれませんが思います。

 日本ってずいぶん長い間、当たり前のように「接待」なんてのが行われてきました。政治家ならば料亭で打ち合わせして芸者を呼ぶのが当たり前だったのかなぁ? でも、女性にお酌させながら打ち合わせですか。酒飲みながら会議ですか。もう、そんな時代は古い!

 芸者さんが伝統芸能として残っていくことには特段、異議があるわけではありません。
 キャバクラだってあってもいい。でも、せめて自分のお金で楽しんで欲しいな~

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2007.07.23

♪難しい~ものなのね

 昨日は、小学校時代の友人二人と15年ぶりくらいにさいたま新都心で会いまして。いろいろとおしゃべりをしてきました。
 
 二人とも女性ですが、私同様、独身。話している内に、3人とも、自分のことはさておき、他の二人のことを
「どうして結婚しないのかな~」
 と思っていることが分かり、なんだか可笑しくなってしまいました。

 そこで、いろいろと過去の恋愛話。こんな具合です。

私 「誰かに告白されたりとかはなかったの?」
友人A「う~ん、ないなぁ・・・あ、でもこういうことはあった」

 Aさんの話はこうです。

 ある日、知らない男の子から電話がかかってきて、「いつも電車で見かけていて、いいなと思っていました。○○駅で待っています」と言われたそうです。Aさんは気になって駅まで自分の友人といっしょに見に行ったそうですが、相手の男の子を見つけられなかった。それっぽい男の子はいたそうですが、ほんとにそうかAさんには分からなかったので、声をかけられなかったんですって。で、当然ですがそれきり。

私 「Bさんは?好きって言われたことないの?」
友人B「うーん・・・」

 Bさんは、本人から告白されたことはないけれど、その子の友人から「○○がお前のこと好きなんだって」とかっていう話はよくあったみたい。でもBさん曰く・・・

友人B「でも本人から言われなかったら、本当かどうか分からないじゃない? 違う人からそう言われたからってどうにもならないよー」

 そうか・・・それでは、ということで・・・

私 「じゃさ。好きな人はいなかった?」
B 「いっぱいいたよー。ころころ変わってたけど^^ 大好きな子の写真を撮りに、その子の出ている体育祭を見に行って撮りまくったっけ」
A 「K先輩のことがとっても好きだったな。卒業の時に第二ボタンもらった♪ でも、あの先輩、そういうことに疎かったみたいでね。私が『ボタン下さい』って言ったら『え? どのボタン?』とか言ってたー(笑)」

 うふふ。みんな、可愛いわね。昔の「女の子」はみんなそうだったのよねー。

 しかし・・・好きになるのはカンタンでも、それを相手に伝えて両思いになって、さらに結婚って・・・やっぱ難しいのね。
 結婚する人も減り、子供も減りましたが、今、独身の女性も、みんな昔は普通の女の子だった。誰かに恋されたり、恋をしたり、みんないろいろあった。それなのにな~。不思議。
 
 やっぱり人を好きになることと「結婚」って違うのかな。
 でも好きじゃない人とは結婚したくないよね、やっぱり^^

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2007.07.20

健康診断の結果を受けて。

 今年の健康診断の結果がでました。
 毎度、指摘を受けていることが二つあるのですが、今回も改善はみられませんでした。

 一つは総コレステロールの値。一般に220mg/dl以上を示すと「高脂血症」と判断され治療を要すということになるようです。えーと、私は・・・252mg/dlです^^; 

 もう一つは超音波検診で必ず言われるんですが・・・「脂肪肝」。
 でも、脂肪肝の方はB判定、「わずかに異常ですが今のところ心配ありまえせん」に比べ、総コレステロールの値の方は、私の場合D判定、「経過観察を要します。3ヶ月後に再検診をお受け下さい」となっております。

 コレステロールも脂肪肝も今すぐどうという結果ではありません。
 男性の場合は総コレステロールの値が高いと、心筋梗塞になりやすいそうですが、女性はあまりコレステロールの治療をしても心筋梗塞の発生率に影響がないために、治療の必要がないのだとか。
 ただ、毎年、黄色信号が点る状況は相変わらずで・・・うーん。

 毎月、問診を受けているとあるクリニックの医者の話では、
「コレステロールも脂肪肝も減量すればすぐ改善します」
 とのこと。要は「やせろ」と。

 まあBMIだって肥満で出るし、見た目があきらかに肥満だし、体脂肪計に乗れば・・・(さすがに自重)なので、やせなきゃだめなんですよねぇ~

 和漢箋は続けており、万歩計も付けて歩いてはいますが、どうも、体重は2キロ以上は減りません。
 昨日はスポーツクラブに行って気持ちよく運動ができましたが、今朝の体重は-0.4キロ。だめじゃん。

 太ってると見た目がよくないし、着る服も限られちゃうし、よくないことばかりです。
 その上、脂肪肝に高コレステロールでは、やはり、全ての指標が「やせろ」に出ているのは明らかです。
 今回の検診の時は体重は前年よりも2キロ減ってたし、和漢箋も飲んでたし、気を付けてたのに、こういう結果かぁ~。うーん、残念。
 当面、1万歩、歩くことや食事の質の改善など、考えられることを続けていくしかないわ^^;

 ちなみに尿検査や10年ぶりくらいに受けた胸部レントゲンは、異常なしでした。血圧も正常。ほっ。

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2007.07.18

映画「ゲド戦記」感想

 「ゲド戦記」のDVDレンタルが開始されました。
 昨年、映画館に見に行くつもりが、あまりの評判の悪さに尻込みしてしまい、やめてしまいました。

 その後、ゲド戦記の1巻を買って読み、2巻は図書館で借りて読みました。原作の感想は・・・ふむ、つまらなくはないけれど、新鮮味が薄く、なぜかどこかで同じような話を読んだことがあるような気がしました。
(2巻は、新井素子の「ラビリンス(迷宮)」を思い出しました)

 もしかするとファンタジー小説を書く人達の多くは、一度は「ゲド戦記」を読んだことがあるのかもしれません。ゲド戦記はファンタジー小説の原点で、それを元に小説家は自分の物語を紡いでる。
 何より、宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」も、「ゲド戦記」をアニメ化したかったけれど、当時はそれが叶わなかった(映像化の権利がアメリカにあったそうです)ため、監督が自分のイメージで、自分の物語を作った・・・という話を聞いたことがあります。そのため今までの宮崎駿作品には、ゲド戦記的なモチーフがあちこちで使われており・・・だから、宮崎駿監督は、自分の手で「ゲド戦記」をアニメ化しても、過去の作品の焼き直しになってしまうことが分かっていてこのオファーを断った、そうです。
 しかし、「それならば」と宮崎駿監督の息子、宮崎吾朗氏の監督で作られたのがこの「ゲド戦記」。
 ついに見てしまいました(苦笑)。

 感想は・・・思ったほど悪くなかった、です^^;
 映画公開当時、あまりにも評判が悪かったため、どんなにひどいかとある程度覚悟してたために、ショックが少なかったのかも。

 ただ、評判の悪さの理由は分かるような気がしました。少なくとも、これは「ゲド戦記」ではないですね。
 じゃ、何かというと、普通の「アニメ映画」。

 少年と少女が悪と戦う話。敵は「千と千尋の神隠し」に出てくる「顔なし」みたいな感じ。
 今までのジブリのキャラがみんな出てきて、ファンタジー活劇を展開するという、深く考えなければ、なかなか楽しめます。テーマも単純。「命を大切にしましょう」ということ。
 もし、新興の宗教団体が、何かPRのためにアニメ映画を作成したら、こんな感じになるかもしれません。

 このアニメはゲド戦記の3巻と4巻をベースにしたと言われていますが、私は原作の3巻と4巻は読んでいないので、どこまでが原作でどこまで映画オリジナルかが今一つ分かりません。主人公のアレンを追う影が本来は彼の「光」であった、という設定は、原作のものなのかしら。「光のアレン」とテナーのシーンは、ちょっと感動しました。この映画で一番「いいな」と思ったシーンでした。

 物語の始まりからアレンを支配している、彼の苦しみや悩みは、作品の中では一切語られません。私は自分でその部分を頭の中でイメージしつつ、補完しながら映画を見ました。ここの部分がうまくイメージできないと、彼に感情移入できなくて、見ているのが辛いかもしれません。
 劇場公開時の感想でもその部分に対して「納得できない」という感想が多かったです。私はそれを知っていたので、勝手に自分で想像して物語を作りながら見たので、アレンの悩みが語られないことについては、それほど不満を持ちませんでした。

 何らかの理由で、生きる意味を見いだせず、苦しんでいるアレン。
 その彼が、ゲド、テルー、テナーに助けられ、救われる。

 原作がどんな話かは分かりませんが、一本の作品としては一応できあがっていて、訳が分からないとか、見終わった後、嫌な気持ちになるとか、そういうことはありませんでした。

 もちろん、話としては非常に小さくまとまってしまっていて「世界の均衡」はどうなったんだ?みたいな部分はありますがね・・・

 でも、実のところ、私は原作のゲド戦記1巻と2巻を読んで、同じような感想を持っていました。
 それほど深淵なテーマを内包した話なんだろうか?と。(ファンの方、すみません^^;)
 1巻と2巻しか読んでないからかなぁ?

 最近大人になったからなのか、ファンタジー作品を見ても、今ひとつその中に入りきれないことがたまにあります。物語が目の前で勝手に始まって勝手に終わる。そんな感想を持つことがしばしばあります。
 この、映画の「ゲド戦記」もそんな感じ。他の作品とそう変わるわけではありません。

 しかし・・・「ナウシカ」や「ラピュタ」にはやっぱり引き込まれたんだよなぁ~。一体何が違ったんでしょうね。
 見ている自分が年食っただけ、ってわけではないと、思いたい^^;

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2007.07.17

またしても心理テストをやってみた。

毎度おなじみYahooの心理テスト。
題して

「あなたの中に眠る○○人気質」

面白い結果がでたので報告します。
私は・・・

(引用開始)

「哲学的なのにいいかげん。インド気質の不思議ちゃん」

眉間にシワをよせて何か思索しているかと思えば、クラブに行けばハジけて踊りまくる。会議で凄い企画を出したあとで単純な計算ミスをする。そんなつかみどころがないあなたには神秘的なインド人気質が隠れています。最近ヨーガやチャイに惹かれませんか? あなたの中には“なるようになるサ”という投げやりな面と“人生の意味を解きあかしたい”という哲学性がチャンプルになっています。ハイテク大国になりつつあるインドと同じく今後の成長が楽しみな人材といえるでしょう!

(引用終わり)

 ・・・うん。けっこう当たってる^^;

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2007.07.13

年金問題と労働組合

参議院選挙の告示がありましたね。
 テレビでは、各党の党首などが政策について語っております。一番はもちろん年金問題。
 ただちょっとテレビを見ていて、ひっかかりを感じた議論がありました。

 それは・・・「労働組合」批判。

 年金問題では、社保庁が年金の記録を紛失したことが問題となっていますが、その原因が何かというと、ものすごーく単純に

「社保庁の人間が怠慢だったから」

 と片づけられております。そして、その怠慢の原因の一つとして「労働組合の力が強く、あり得ない労働条件を突きつけてきて、使用者側がそれを唯々諾々と飲んでいたからである」とされています。

 ・・・うーん・・・キケンだ。短絡的というか。

 社保庁がいったいどういう仕事ぶりで、何をしてきたか・・・実体を知らないので、いちがいには言えないのですが、一般に労使の関係というのは「使用者」側が圧倒的に強いものです。

 だって馘首をタテにとられたら、労働者側は逆らえませんもの。

 だからこそ、労働者側が物を言う手段として「労働組合」があるわけで。労働三権などもある。

 私は・・・基本的には人間ってのは誰だって、楽な方に流れるものだと思うんですよね。
 それは金持ちだって貧乏人だってみんな同じで。

「貧乏人だったら汗水たらして働け、金持ちだったら楽して構わない、悔しかったらてめぇも金儲けしろ」
っていうのは何か違う気がする。

 労働者にも「楽」をしたい、という気持ちはあったっていい。だから組合がいろいろな要求をするのは当たり前だし、それが多少過剰であろうとも、それは、使用者側との話し合いで、現実的な線に落ち着くのが普通で。

 もしそこに問題があるのなら、責任をとるべきなのは使用者側であろうと私は思います。

 だって・・・もしこれが会社ならば・・・役員なんて自分たちと株主の利益ばかりに目が行ってて、人件費なんてなるべく削減したくてしょうがないんですから。
 それに物言いをつけ、労働者側の権利を主張する「労働組合」が弱気になっては、労働条件が悪化するばかりです。

 もちろん、その労使関係の結果、「本務」がおろそかになり、社保庁を信用して年金を払った人たちに迷惑をかけたのは事実であり、その事実に対し、今後、真摯に再発防止を計ることや、年金の適正な受給を行うべく努力をすることは言うまでもないことですが、だからといって「労働組合」の責任を問うのはどうなんだろう?と個人的には思います。

 テレビの議論を聞いていると、どうも何か、問題のすり替えがあるように思えてなりません。労働組合の問題だからと言って「民主党」や「共産党」に対し、文句を言ったからって何になるんでしょうか^^; 無意味だよなぁ~
 

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2007.07.11

17才バトン

 最近、いろんなことにやる気がない今日このごろ。
 
 囲碁はやる気、あります^^。ダイエットも一応、継続中。夏休みは3年ぶりに海外旅行を計画し、チカママさんともカラオケ行くし、その前の週には20年くらい会わなかった友達と久々に会う予定です。

 ・・・が、なんだか「やるべきこと」「やりたいこと」はたくさんあるけど、それに積極的な意味が持てないというか、燃え尽き症候群というか・・・

 原因は分かっております。
 最近、好きな人からぱったりと連絡が・・・

 忙しいんだと思います^^; 忘れられてはいないはず。でも、そうこうするうちに、きっと、いろんなことが相手の中で「過去」というカテゴリーに分類されてしまうのだろうな・・・と思うと、なんだか目の前のこと全てが虚しく感じられてしまう今日この頃なのでした。

「きみがいなくても生きていける/でもきみがいないと生きている意味がない」

 さて、Ruccaさんから17才バトンをいただきました。

 17才の頃は、思い起こすに、初めて「自我」のようなものが芽生えた頃でした。
 いろいろ文章も書き出したし、もの思うことが増えてきました。「生きるってなんだろう?」と思いながらも、具体的な進む道が見えなくて、日々、学校には通っていましたが、なんとなくもんもんとした日々。これから自分がどうなっていくのか、どうなってしまうのか、分からなくて・・・でも悩むよりまず「勉強しなきゃ」なんて思ってましたな。

Q1. 17歳の頃、何をしてた?

 高2~高3。勉強してました。ギター部でした。
 
Q2. 17歳の頃、何を考えてた?

「これからどうやって生きていけばいいんだろう」です^^;

Q3. 17歳の頃、やり残したことは?

 うーん、ない。私が私である限り、あんなふうにしか生きられなかったような。

Q4. 17歳に戻るとしたら、何をしたい?

 とりあえず高校に通う。で、同じ大学を受けます。合格するのは分かってるので楽ちんかも。(夢がないなぁ~)
 あ、そうだ。日本棋院に行って囲碁教室に入ろうかな。若い分、今よりはもうちょっと囲碁を理解できるかもな。
 でもヒカ碁ブームの前だし、きっとおじさんばかりだろうなー。
 
Q5. 配っていただく方、3人 

 あ、もう終わりなのね^^;
 17才の頃の自分を語りたい方、持って行ってくださいませ。

 子供の頃や、学生だった頃、というのは、あまりいい思い出がありません。
 常に何かを「やらされてる」感が強くて、「このままでいいんだろうか」という漠然とした疑問が自分の中にいつもありました。

 それを卒業できたのが、ざっと10年ほど前、一人暮らしを始めた頃でした。
 自分で自分の人生を、ちゃんと生きていこうと。
 何かをやるのなら、自分で選択し、その上で覚悟もして、自分がこの先どうなろうと、人のせいにだけはせず、自分で決めた人生を歩んでいこうと思った・・・10年前。

 その後、母が亡くなったり、恋をしたり、まあいろいろと^^
 
 だから、私の一生を語る時は、10年前がスタートなのです。なので・・・17才は、今の私にとっては「産まれる前」の時代に等しい。なので、語れることが少ない。

 不思議ですね。人によってはその頃がピークで、今は下り坂の人もいるだろうに・・・
 昔から私は「大器晩成」型だと言われております。なので、これから尻上がりによくなる・・・はず(笑)。
 
 なので、今はちょっとローテンションですが・・・またいつか、好きな人からはメールがあるでしょう♪
 それを信じて、自分の今を、がんばります。

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2007.07.09

「ふじつうはい」ってなあに?

 私は、基本的に人と人の間に優劣は存在しないと思っています。
 違いがあるだけで、人間としての「価値」に違いはない。万人みな平等。
 以前私の同僚が、いわゆるキャリア官僚という人のことを評して、
「やっぱキャリアってすごいよねー」
 と言った時に、私なんぞは
「へ? どこが?」
 とか言いまして、同僚はあきれた顔をして黙ってしまいました。

 ・・・というわけで(?)傍若無人というか、無神経というか、既存の価値観を無視した態度をとることが往々にしてある私。もっとも、それが顕著なのが「囲碁」だったりします。

 先日、土曜日にいつものように日本棋院の囲碁教室「土曜囲碁サロン」にいきました。
 すると、なんか大きな大会があるらしく。人が大勢集まっていました。
 
 普段はあまり人がいないのを知っているので、
「今日はなんだか混んでるな~」
 と思いながら、遅刻しそうだったので、棋院の一階で囲碁教室の月会費を払うと、いつもの会場へまっしぐら。
 するといつものアシスタントの女性の方もいないし、会場の扉が閉まっていました。

 かまわず、閉まっている扉をこじ開けてみると、そこにはパソコンがずらりと並んでおり、知らない人たちが大勢いました。ん? なんだろう?

 そこへ、入り口近辺にいた人が、慌てたように

「今日は富士通杯なので」

 とおっしゃいました。「富士通杯」? 何それ?

 ・・・結局、囲碁教室は場所を変更して行われていることが判明。変更された場所で、ちゃんと囲碁教室の講義と対局をしてきましたが。

 あとで聞いたところによると、富士通杯というのは、かなり有名な国際棋戦なんですって^^;

 うーん。
 私が日本棋院に通っていること自体が何かの間違いなのかもしれん・・・
 

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「地球へ…」と「竹宮恵子DVD-BOX」

 すみません、今日も「地球へ…」の話です。

 昨夜、夢に出てきちゃいましたよ・・・ジョミー達。
 ネタバレになりますが、
「ナスカが燃える。あと1日で脱出しなくちゃ、みんな死んでしまう!」
 と言ってむちゃくちゃ焦っておりました。・・・って、私は誰の役なんだ!?

 やっぱ好きなんですよねぇ。なんだ、かんだ言いつつも。

 先日は竹宮恵子DVD-BOXをわざわざ予約を入れて買いました。竹宮恵子のコミックを原作としたアニメーション3作品が入っています。
 
 とりあえず見てみたのは「アンドロメダストーリーズ」。これ確か、24時間テレビで放映されたアニメーションだったんですよね。アンドロイドの戦士、イルがかっこよくて、画面に釘付けだったのを思い出します。あの感動、変わってないなぁ~

 劇場版「地球へ…」はまだ怖くて、見ておりません。
 何が怖いかというと、私にとって「地球へ…」の劇場版というのは、小さい頃に初めて映画館に行って、初めて見た劇場用アニメ。心の中で神聖化されてまして^^;
 「アンドロメダストーリーズ」ももちろん古いアニメーションですから、今と比べたら映像はとても古いわけですが、もともと、テレビアニメで一回見ただけだったので、今見ても、それなりに楽しめるんですが、きっと「地球へ…」は心の中の思い出と実物のギャップがかなり激しいのではなかろうかと。

 今、放映中のテレビアニメ版「地球へ…」はとてもきれいに出来ています。それとも、どうしたって比べちゃいますし・・・
 アニメーションの技術自体がやっぱり向上しているんですよね。どこまでがCGでどこまでが手書きなのか、最近はアニメ見ていても区別がつきませんが、たとえば、宇宙に浮かぶ、美しい青い地球の絵だけだって、今の「地球へ…」で見ると、内側から輝くような、本当に美しい幻想的な星に見えます。

 見たいけど見たくない・・・けっこうジレンマです。とりあえず「夏への扉」を先に見てみようかな。
 

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2007.07.08

テレポーテーションが世界を変える

 竹宮恵子の「地球へ…」が大好きで、今、テレビで放映されているアニメも毎週欠かさず、録画&視聴しております。

(「地球へ…」で検索されてきた方、すみません^^; 以下、アニメの感想とはかけ離れた記事です)

 私は自分でも物語を作ったり、小説を書いたりするのが好きなのですが、昔「地球へ…」をアニメ映画で見て以来、この作品に、今風にいうとインスパイアされて、超能力を持つ人間を登場人物にして物語を作ってきました。

 でも今あらためて「地球へ…」を見てみると、私の作っている物語は「地球へ…」の超能力の設定とは、大幅に違うオリジナルの部分があるのに気がつきました。

 私の作品の中では超能力の中でも、「テレパシー」と「テレポーテーション(瞬間移動)」がかなり幅をきかせております。

 テレポーテーション。これが普通に行われている世界では。
 面白いですよ、なんというか・・・今の時代で携帯電話やインターネット、古くはテレビが、世の中を変えたくらいに、世界がまるで違います。

 そもそも宇宙船なんてものが大きいものの輸送にだけ使われていて、単なる人の移動であれば、宇宙船いらなくて、惑星から惑星までいけちゃいます。毎朝、通勤してる人もいます^^;

 子供はすごい田舎に住んでても、首都の学校に普通に通えちゃいますし、もっと、非日常なシーンでも、たとえば、離れたところで、恋人が危険な目に合っていたら、すぐに駆けつけることができます。
 交通事故に合っても、即死でさえなければ、病院に即時に搬送できるし。

 つまり場所と場所の距離が0なので、距離のデメリット、というものが存在しない世界なのですな。

 だから、たとえば、昨日の「地球へ…」で、ジョミーが船と惑星と両方にいられないため、同時刻に起る二つの事件の両方に対応できず、大変なことになってしまうシーンがあったのですが・・・・なんだか不思議な感じでした。

 今はインターネットの世界では、人と人との距離がほぼ0ですよね。
 海外にいる友人とも、その気になれば、いつでもコミュニケーションをとることができる。今や当たり前ですが、やっぱりこれによって、世界はかなり変わった気がする・・・

 こういう「価値観の違い」みたいな部分を面白く伝えられるような小説を書きたいなぁ~。

 「テレパシー」の存在も、人と人とのコミュニケーションのあり方そのものを大きく変えています。「誤解」があり得ない。恋人の心変わりはすぐ分かる。浮気もすぐばれる。というか恋人が浮気してたら、すぐ、テレポーテーションで浮気現場に乗り込める(爆)。
 突き詰めると、ここも面白い話の素材になりそう。

 昔、眉村卓さんのSFでどっぷりと超能力に浸った世代です。
 いつかは、この超能力の世界を、ちゃんと作品にしたい・・・ま、死ぬまでにはぜひ^^

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2007.07.03

物足りない火曜日

 ここ最近珍しく、6月まで、テレビにはまっていました。

 火曜深夜はいつもアニメの「デスノート」を録画していましたし、明けて水曜日になればドラマ「バンビ~ノ!」。木&金は間があきますが、土曜はアニメ「地球へ…」と深夜はドラマ「ライアーゲーム」。

 水曜と土曜に楽しみなテレビ番組があれば、1週間をワクワクしながら過ごせます。間の曜日にはスポーツクラブに行っておけばOK。またはネット囲碁。なんだか充実しきった毎日を送っていた気がします。

 でも「デスノート」「バンビ~ノ!」「ライアーゲーム」と三つの番組が一気に終わってしまい、なんだか気が抜けたというか・・・今日は火曜日ですが、なんとも物足りません。

 7月か・・・2007年も後半となりました。
 囲碁のモチベーションも上がってきておりますし、ダイエットも継続中ですが、それ以外にも何か新しく始めようかな~。
 いい機会だから、ちょっと上半期を振り返ってみようかしら・・・。
 

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2007.07.02

囲碁のすすめ(?)

「goxi」という囲碁版mixiで、囲碁の記事を書いていましたら、こんなアンケートがありました。

『これまで囲碁に誘い込んだ友人の数』

 むむ・・・私はこれ、0であります。

 というか囲碁に限らず、いろいろと趣味はありますが、それを人にお勧めしたことはないし、そもそも「勧めたい」と思ったこともないからです。

 うーん、思うのですが、趣味って友人に勧めるものなのかなぁ?

 趣味というのはやりたい人がやればいいわけであって、人に強制されてやるものではありません。そうして、それをやることが好き、という共通の趣味を通して、友達になることはあるけれど、元々友達だった人に、自分の趣味を押しつけるのってどうなんだろう?

 「囲碁」は昔は今よりももっとやっている人がたくさんいたらしいです。
 そういう時代を知っている人は、今、囲碁は衰退の一途を辿っている、という危機意識が大変強くて、囲碁の普及に大変熱心だったりします。無論、熱心なのはいいことなのですが。

 私は・・・なんというか、自分が好きなものを、人も好きと言ってくれるかどうかに、全く自信がありません。
 ましてや囲碁。やってる私でさえ、負ければ落ち込むし、なかなかうまくならないし、詰碁は勉強しなくちゃならないのは分かっていても面白くないし・・・あんまりその・・・「うわ~楽しいね♪」ってゲームじゃないんですよね。
 だから私は囲碁を、自分の友達に勧めようと思ったことがありません。

 でも「何が楽しいのか」と聞かれるとその思いを説明することはできます。昨日できなかったことが今日できる、成長の喜び。努力が実を結んだ時の達成感。うまくいかないと落ち込む分、うまくいったときの喜びが格別です。この年になって、そうして自分の成長を目の当たりにできるというのはとても幸せなことです。

 私はそもそも「ヒカルの碁」というコミックのテレビアニメを見て、囲碁をやってみようと思いました。
 ヒカルという小学生が、佐為(さい)という平安時代の碁の天才の霊に導かれて囲碁に接し・・・次第に自分も碁にはまっていく。最初は佐為(さい)に言われるままに打ってるだけなんですが、次第に自分でも打ってみたくなって学校の囲碁サークルに入って打つようになります。そしてプロを目指すようになり、ライバル達と切磋琢磨しながら成長していく物語です。
 やっぱ・・・何かに一生懸命になる、というのは素晴らしいことで。多分、何でもいいんです、それって。

 「ガラスの仮面」のマヤなんか、何の取り柄もないのですが、お芝居が大好きで、お芝居に夢中になる。後に彼女はその演技の才能を見いだされるわけですが、まあそれはマンガだからで、別に才能がなきゃだめってことでもなく。

 他に何の取り柄もなく、人に認められるような才能もなくても、何かが大好きで、それに打ち込んで少しずつ成長していく。それって、やっぱり楽しいことですわね。

 私にとってはそれが囲碁でした。そして囲碁のすごいところは、どこまでいっても到達点がないこと。4年やってもまだ初段になれない私ですが、初段になればその上がある。
 「何かに夢中になる」・・・その「何か」に囲碁はとてもそういう意味で向いているような気がします。

 同じやるなら何かの資格を取るとか、株の勉強するとか、そういうことに比べると、実利という面では囲碁は実利はないんですが、それだけに純粋になれる・・・なんて、これは身びいきな発言ですけど。

 プロになるような囲碁の天才を見いだすのは誰かにおまかせして、私個人は、自分のペースで、少しずつ成長するのを楽しみたいと思います。それと合わせて、これから碁に興味を持ってくれる人はぜひ応援したいな。
 
 これを読んでいる友人の方々。
 私からは、囲碁、特段お勧めはしませんが(笑)・・・もし、自分がこれからも成長するかどうか、何かにチャレンジしてみたいと思われることがあったら、ちょっと囲碁、試してみませんか?
 
 まずはこちらで、ルールなんぞ見てみるのもいいかも。

「インタラクティブ囲碁入門」

 興味が湧きましたら、無料で対局できるネット碁会所も、級位者向け囲碁教室も、囲碁専用SNSも、私がご案内致します^^ まず私と9路盤で対局致しましょう。

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2007.07.01

光の正体と量子論~私なりのまとめ~

 そもそも今回の「Newton」との付き合いは「光って何なんだろう?」という疑問から始まっております。

 光は電磁波、つまり波です。電波と磁波という二つの波が直角に交わったものが、空間を伝わっていく。海の波をイメージしていただけば分かりますが「波」というものには実体はありません。水を揺り動かすエネルギーを私たちは「波」と呼んでいますよね。
 海の波は水、音は空気。それぞれ「物」を媒介して伝わっていくのに、電磁波は真空中でも伝わっていきます。電磁波は一体何を媒介として伝わっているのだろう?

 
 ここでちょっと観点を変えます。
 光と同じように実体を持たないけれど、離れたものに力を及ぼし、真空中も伝わっていく「エネルギー」が他にもあります。それってなんだか分かりますか?
 答え:重力。

 月と地球は互いの重力で引き合っているため、月はどっかに飛んでいったりはしません。重力は離れたものにも影響を及ぼしますが、真空中に存在する月と地球の間にも作用しています。

 「量子論」という学問では、「重力子」という重力を伝える粒があると考えるそうです。
 ちょうどアインシュタインが光が「粒」であると考え「光子」という粒を想定して光の動きを説明したように。

 でも、光も重力も、実際に「光子」や「重力子」という粒が実体として存在しているわけはなく、説明に便利なので便宜的に「粒」と言っている・・・・と私には思えます。二つとも実際は「粒」など存在しない。
 重力も光もエネルギー(力)であり実体は「波」なのでしょう。

 月を引っ張る「重力」という力(エネルギー)。
 遠くの星から発せられ、私たちの目に届く「光」というエネルギー。
 両方ともきっと物質ではなく「波」として伝わっていくエネルギーです。
 ではその波は一体なぜ、何もない空間を伝わるのだろうか。

 ここからが量子論の話です。

 実は、光は「電子」を媒介に伝わっていることが分かっています。この「電子」が不思議なものでして。電子は陽子とセットになって物質を構成している物質なのですが、空気さえない真空中に電磁波をあてると電子が飛び出したりするんですって。

 つまり。真空という空間は空気がないだけであって、何もないわけではないようです。
 そこには電子が存在していて、おそらく陽子もあってつりあっているからその空間は安定している。0に見えるわけです。(ここは私の想像です。以下、下線部は私が推測で書いてます。)

 しかしそこに光という波がくると、電子が揺れ動く。揺れ動いたあと、また0に戻っていく。水の波をイメージすると分かりやすいですな。そうして光は電子を媒介として伝わっていくのでしょう。
 え? じゃあ重力は?って?・・・・(-_-;) 重力と光を結びつける理論はまだ偉い学者さんでも発見できておりません。なので、私に分かるわけがありませんので、ちょっとお待ちを^^;;;;; とりあえず光をやっつけてしまいましょう。

 真空中に存在する電子。しかし普段はその実体が分かりません。エネルギーを媒介、つまり光を伝えているときはその動きから、そこに電子が存在することがわかる・・・のかな?
 電子というのはそもそも「ある」ことは分かっているけれど、どこにあるのか、はっきりしないものだと、量子論では説明されています。

 ちょうど・・・一つの長方形のハコにボールが入っていて、それを両手で持ったり、まあ車にハコを載せているとところをイメージしてもらえば分かりやすいのですが、ボールは右へ左へ揺れ動いていて、右側にあるとも左側にあるともいえません。

 ハコの真ん中に仕切り板をすると、ボールは右か左に「ある」ことになる。電子はそんなようなものなのですな。
 どこかにはあるけど、どこにあるかは決まっていない。

 もう一つ、「不確定性関係」という言葉というか考え方がありまして。
 「動いているときは位置が分からず、位置を特定するとどっちに動くか分からない」
 という考え方で、電子もそういうふうな存在だと言われています。

 ボールのたとえでいえば、一つのボールを平面に置いた時、止まっているボールは次にどこに動くか予想がつきません。
 でも野球選手が投げたボールは、どっちに移動していくかは明確です。でも移動しているボールは私たちの目では、早すぎて見えなかったりします。

 そもそも物質が「ある」ということは何なのか?
 量子論を読んでいくと、最終的にはそこまで考えが至ります。
 
 私たちが「物体」を、「そこにある」と認識するのは、ある特定の時間、たとえば10秒以上、そこに同じものがあることを観測できればその物体を「ある」と認識できます。

 でも、もし1秒しかそこにものがなかったら、現れてすぐ消えたことになります。
 つまり、野球選手が剛速球でなげたボールが目の前を通過していくように。

 電子は「ある」んだけど観測できない。光は電子によって伝わっていくんだけど、真空中は一見何もないように見えるのは同じ理屈かなぁ?

 量子論・・・つまり電子を研究する学問は面白い学問ですよ。
 いろんなたとえ話で、電子の動きを解釈しようとすると、いろんな「あなたの知らない世界」が目の前に広がってくる。

 光が重力によって曲がったり、速く移動すると時間が遅くなったりすることは、アインシュタインの相対性理論の話ですが、実際に事実であることが確かめられています。

 時間が絶対的なものでないならば、ますます物の「存在」ってなんなんだ?ということになっていく。

 そもそも「電子」って「粒」だと思っているけど、現れたり消えたり、その現れ方が波の周期みたいに規則的だったりするんです。光の正体のように「電子」もそもそもただの波だったりしたら・・・もー訳分かりませんわ。
 Newtonの量子論特集を読んでいても、どうも、分かったような分からないような気になります。

 結局、電子って何なのか? それと空間や光の正体、そして時間との関係・・・頭がパンクしそう~
 でも面白い。いろいろ読んでみたいな、これからも。

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