« 1日1万歩の効果 | Main | しばしのお別れ »

2007.08.16

「平和」を守るための議論

 昨日は、終戦記念日でした。
 NHKで憲法9条の改正や国防の在り方について、一般人と有識者などが討論をする番組を眺めていたら、チャンネルを変えられなくなってしまいました。
 
 見ていて思うのは、「平和が一番」という考え方が、「腰抜け」であり「卑怯」であり「非現実的」であり「平和ボケ」であり「バカ」だ、という意見を強く持っている人達がいて、そういう人達と「9条は守るべき」という人達が話し合っても、話し合いにさっぱりならないなぁということでした^^;

 お互いの意見をバカにしてるだけなんだもの。
 そんなの話し合いじゃないでしょ。
 
 番組の中でもありましたが「集団的自衛権」の論議がありまして。

 A国と日本がいっしょに戦地で活動をしているときに、A国の軍隊が攻撃された。そのときに日本は直接攻撃を受けていないんだけど、相手に反撃できるかどうか。その反撃できる権利が「集団的自衛権」なわけです。

 これを「友達が目の前で殴られてるのを黙って見てるのかよ」と言い換えると、そりゃ、集団的自衛権を行使しないのは「卑怯」ということになりますが、「たとえ」というのは分かりやすくしているように見えて、実は論点を巧妙にすり替える効果があります。そりゃ友達が殴られてたら黙って見てるのはおかしい。

 でも、実際に日本が「集団的自衛権」の行使を認めれば、アメリカがどこかと戦争をすれば、日本はアメリカといっしょになって、相手国を攻撃することになります。
 今は歯止めとして9条があるわけですけどね。

「自分はアメリカに守ってもらってるくせに、相手が攻撃されても自分は何もしないよ、なんてそれでいいのか」
という人もいましたが、そう言われると、よくない気がしてくる・・・でしょう?
 でも、だからといっていっしょになって攻撃すれば、それはもう止めどがなくなってくる。アメリカの戦争に日本は否応なしに巻き込まれていくことになる。

「じゃあ自分の国が攻撃されても何もしないのか。それでいいのか」
 それはよくない。だから「自衛」隊は必要で。
 二度と戦争を繰り返さないためには、戦争から逃げているだけではだめで、自分の国、自分の国民を守るためにはちゃんと国防も考えなきゃいけない。でも「国防」=「軍拡」ではないはずです。
 特に、それが他国の紛争であるとするなら、たとえそれがアメリカとどこかの国の紛争であっても、日本が武力を行使することは許されないことで。やはり武力ではない何かで紛争解決のために行動せねば。

 「武力」ではない何か。
 
 日本も核武装が必要だとか、北朝鮮等の脅威に対抗するためにはアメリカとの関係をより強化していくべきで、自国単独の防衛など「現実的でない」という人には、これがSFのように聞こえるらしいですが、そんなことはないと私は思います。

 「あの国が核を持ってるから、自分も核を持たなきゃ」
とかいう考えの元に、20年くらい前には核兵器の保有国がどんどん増えていました。でもその後、核拡散防止、核廃絶に各国は動いてきています。人類を何度も滅亡させることができるほどの核兵器を所持することが人類にとってナンセンスであることは、みんな分かってるはずじゃないのかな。もちろん、核兵器以外の軍拡競争も同様です。

 まあ、確かに難しいんですけどね。
 50年に一度しか起こらないかもしれない水害に備えるために、何億もかけて河川整備をしなければならないように、実際、戦争が起こった時に、何の備えもしていなければ、確かに日本はものすごい被害を受けるでしょう。

 でも、番組でも言ってましたが、戦争は台風とは違う。
 戦争を起こす、起こさないを決めるのは人間で。
 だったら、飛んでこないかもしれない核ミサイルに備えて軍拡に努めるよりも、他にできることがあるんじゃないかと。

 私は「話し合い」というのは、AとBの違う意見があって、お互いがそれぞれ意見を述べ合い、よりよいCという意見が出てくるのが、理想だと思っています。なのに、どうも、こういうテレビ番組って、お互いの意見をただぶつけあって、相手を説き伏せようとしているだけに見えます^^;
 
 国を・・・そして平和を、守るためにはどうすればいいのか。

 国防を説き、日本人の平和ボケを非難する人たちは、それが「かっこいい」からではなく本気で国を憂いているならば、ちゃんと考えて欲しい。
 「平和」や「非戦」を説く人間を「現実的でない」と切り捨てるだけでは、話し合いにならない。ましてや「北朝鮮から核ミサイルがとんできたらどうするんだ」とかいう脅しなどは論外です。
 
 「平和」や「非戦」を前提に、何が必要か、何をするべきかをもっと議論して欲しい。
 だから私は憲法第9条はやっぱり変えないで欲しいです。これがこれからも日本の「前提」であることを願っています。

【日本国憲法第9条】
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 

|

« 1日1万歩の効果 | Main | しばしのお別れ »

映画・テレビ」カテゴリの記事

Comments

もはや自国の軍備だけを固めて外からの脅威に備えよという考えは古く時代に逆行しているといえます。国連憲章の規定やEUの集団的安全保障の取り組みを改めてしっかりと見直してもらいたいものです。

Posted by: 通りすがり | 2007.08.16 13:17

ふむ・・・永世中立国のスイスみたいなやり方は古いですか^^;

「集団的安全保障」について、調べてみました。

(引用開始)
世界中のすべての国を一つの国際組織に加盟させ、守るべき共通のルールを定める。そして、もし加盟国の一つがそのルールを破れば、残りの全加盟国が共同で違反国の「制裁」にあたるものとする。そうすれば、すべての加盟国は「制裁」を恐れて、ルールを破ることはしないはず。
(引用終わり)

引用元
http://www.h5.dion.ne.jp/~hpray/shakai/yuujihou/shuudanteki-jieiken/idx-shuudanteki-jieiken.htm

ふむ、昨日の議論にもありましたが、全ての加盟国が対等ならばそうなんですけど、必ずしもそうじゃないからなぁ・・・

日本の国防の在り方については、いろいろとまた資料を読んでみます。

Posted by: BUBI | 2007.08.16 15:18

こう言う話って、堂々と議論出来る様にならないと。と常々思っているんですが、憲法の議論って、何か論点ずらされちゃってるなぁって、思いますね。

いくら今の憲法が、戦争の放棄を謳っていたって、防衛の名の下、人殺しの片棒担いでいるんじゃダメだし、戦争の放棄を謳っていなくたって、片棒担いでいないんなら、それで良いんじゃないかな。と思います。

今までも、この状態で、やって来たのに、どうせ曲解、ごり押しなんだからね^^

Posted by: わかばマーク | 2007.08.16 16:52

わかばさん、いらっしゃいませ~

憲法9条を変えても変えなくても、それは表面的な議論にすぎない、ということですか^^;
それを言われると、元も子も無くなっちゃいますね~
たとえ実質的な部分で疑義があっても、字面だけでも「戦争放棄」を言い続けることは意味があると私などは思います。

「人殺しの片棒」なんてすごい言葉ですが、人は誰でも、どこかで誰かが死んでいくことにまったく罪がない人間はいない、というのが私の実感なので、
「片棒を担いでいたらダメで、片棒担いでいないんならそれで良い」
とは私にはとても言えません^^;

開き直って自分の正当性を主張するか、それとも全く後ろ暗いところがないように何もしないでいるか、という選択は「ALL or Nothinng」なので、そうじゃなくて、

あまりどちらかに極端に振れずに、多少曲解だろうがごり押しだろうが、原則は原則としてわきまえつつ、現実に即した対応をしていくのが一番じゃなかろうかと。

なんだか政治家の答弁みたいになりましたね^^;

Posted by: BUBI | 2007.08.16 18:40

まあ、今の日本人が、
「平和ボケ」している事は嘘ではないでしょう。
でも、平和ボケできるなんて、
平和の象徴じゃない、
って思う私はいけないかしら…。

確かに、日本と言う国を守ろうとした時、
「正当防衛」という意味では、
自衛隊だって必要でしょう。
日本人には日本人たる権利がある訳ですから、
黙って屈服するのもおかしな話です。

そうそう、文中のたとえに、
「友達が殴られてるのを黙ってみてるのか」
とありましたけど、
そりゃ友達が一方的にけんかをしかけられてるなら、
仲裁に入るとか、防衛に力を貸すとか、
最悪は助けを呼ぶとか、
そういうのはありかとは思うんですが、
友達が自分で仕掛けたけんかで殴られてるなら、
加勢も護衛も必要ないって思うんだけどなあ…。
どんな場合だって、
「一緒にけんかをする」
以外でも友情は示せる気がします。

Posted by: あきら | 2007.08.17 08:45

あきらちゃん、どもども♪

この問題、テレビで両方の意見を聞いていると、いろいろな考え方があってとても参考になりました。

改憲派、護憲派、それぞれ一理はある感じなのですが、なんだか、どうしても

「友達が隣で殴られてるのに、それを黙って見過ごすなんてひどいじゃないか」

とかっていう、単純な話への置き換えで「9条は変えたくない」派が一方的に非難される展開になってしまうことが、どうにも見ていて歯がゆいのです。

あきらちゃんの言うとおり、いっしょになって戦うことだけが選択肢ではないのに、それだけが選択肢であるように「思い込まされる」ことが、戦争へ人々が向かわされる第一歩で。

そういう言葉や論理のトリックを、ちゃんと見破って「何が大事なのか」を見失わないようにしなければ、と思います。

コメントありがとね^^
固い記事にも、またぜひお付き合いください。

Posted by: BUBI | 2007.08.26 03:39

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 「平和」を守るための議論:

« 1日1万歩の効果 | Main | しばしのお別れ »