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2007.10.12

囲碁・草枕

 碁を打ちながら考えたことを漱石の「草枕」をアレンジして、綴ってみました。まずは原文を下記のリンクから、ご覧下さい。

「草枕」著:夏目漱石 
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/776_14941.html

(BY「青空文庫」)

 原文をご覧になられたら、こちらをどうぞ♪

「囲碁・草枕」著:BUBI

 ネット碁を打ちながらこう考えた。
 実戦のみでは上達しない。定石を覚えれば定石はずれに泣かされる。自流を貫けば連敗だ。とかくに囲碁は難しい。難しいと悩み過ぎると碁をやめたくなる。負けて泣いても、またやりたくなるのが碁であると悟った時に、すでに碁の魅力に取り憑かれている。
 
 碁を作ったのは、「神の一手」などと言ってもやっぱり神ではない。発祥には諸説あり、中国説が有力だが、いずれにしろ人には変わりない。碁がどんなに難しいといったって、真実、誰も理解ができなかったら、この世から消えていただろう。未だ碁を打つ人がいるのはそれだけ魅力があるからだ。「ヒカルの碁」を読むにしたって、碁を知っていた方が面白かろう。
 
 せっかく碁を覚えたのに、なかなか上達しない、有段になれない、という人間がいるのも碁の真実である。でもそれをうだうだ言わずに、碁を楽しむことを続けていければそれでよい。ここに、碁を趣味とする人間が誕生する。碁は人の世をのどかにし、人の心を豊かにする・・・かどうかは分からないが、おかげで生きるのに退屈はしなくなった。

 悩み多い日常から、一時無心になって、碁盤に向かうのが碁である。碁盤という宇宙に、自分の技量で世界を作っていく。基本的にはどこから打たないといけないという決まりはない。ただ、早く上達したいと思うから、囲碁講座を見たり、囲碁教室に通ったりする。しかし教える人によって言うことは千差万別、攻めれば薄く、守れば遅れて後手をひく。上達の段階によっても、どの教えが功を奏すか誰にも分からないし、碁がうまくなる処方箋があれば、みんながそれを試し、みんながプロになれるだろう。「どう打ったらいいのか」なんて本当は答えなどない。自分が信じるままに打ち、そこに疑問が生じたら、上手に真摯に教えを請えばよい。だが、答えは所詮、自分の中にしかない。自分の中にない答えは、教えられても身に付かず、次に打つ時に同じ失敗を繰り返すだけだ。
 
 碁を打つこと4年にして、甲斐のあるなしはともかくとして未だに碁を続けている。4年打っても、勝つこともあり、負けるときは負ける。勝って天にも昇るほど嬉しいこともあれば、負けてパソコンの前で悔し泣きすることもある。碁をやっていなければそれほどに一喜一憂を繰り返すこともなかっただろう。
 上手に対しても下手に対しても「勝ちたい」という思いを切り離して碁を打つことは不可能である。故に勝ちたいと願い、上達を目指して努力することは確かに意味がある。
 しかしながら、いくらやっても碁に到達点はない。アマチュアが有段になったところで、そこがゴールであるはずもなく、「神の一手」を目指すのはプロに任せておけばいい。ならば、アマチュアの級位者が目指すのは、ジョギングと同じでゴールにたどり着くことではない。ジョギングが走ることそのものを楽しむように、碁打ちは碁を打ち続けること、そのものを楽しむ、これに尽きる。

 「勝ちたい」と試行錯誤し、三歩進んでは二歩戻り、なかなか勝てなくて負けがこんでも、めげずに何度でもチャレンジする。そしてやっと勝てた時は心からの喜びがある。その「喜び」のみならず、そこに至る過程、全てを楽しむことが碁を打つことの『幸福』というものであろう・・・ 

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