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January 2008

2008.01.30

普通に歩ける、幸せ

 「病気は何もしなくてもなる」の記事で書いた、足の付け根の腫れは、先週の火曜か水曜辺りから腫れ始め、ピークが土曜日で、その後、日曜から腫れが引き始め、月曜、火曜、そして今日、どんどん良くなっています。

 毎日、朝、起きて、
『あ・・・痛くない』
 って思うのが、嬉しくてしかたありません。
 
 痛みのピークだった土曜日など、布団に横になっていて、寝返りを打つ度にどうしても患部に触ってしまい、激痛が走りました。トイレに行く時も、お風呂に入るために風呂場へ移動するときも、同じ姿勢で寝ているのが辛くなってきて起きてパソコンをしているときも、痛くてまいりました。
 もちろん死ぬほど痛いわけじゃないし、じっとしていれば痛くないのだし、いつまでも腫れているわけじゃないのも分かっていても・・・つらいですねぇ、ただただ耐えねばならない時間というのは。

 日曜の朝、起きてみたら、痛いけれども、激痛から疼痛に変わってきて。
 月曜の朝、起きてみたら、多少、痛いけど、楽になってきて。
 火曜の朝、起きてみたら、ちょっと痛いけど、歩くのに支障なくなってきて。
 今日の朝は、体を動かしても痛くなくなくりました。
 
 うひゃぁ~嬉しすぎ♪ 治るのっていいですね~♪

 痛くなくなって最初にしたのは食卓に出しっぱなしになっていた食器を洗い場へ持って行くこと。ごみをごみ箱に入れること。乾いた洗濯ものを取り込んでたたんでしまうこと。(洗濯は痛い間もしてました。だって、着るものなくなっちゃう(><))
 やっと人間に戻ってきた感じがします。

 それにしても、今回はつくづくびっくりしてしまいました。ちょっとの傷に細菌が入ったか何かして腫れただけで、生活の全てがひっくり返るこの感覚。
 一人暮らしも長くなったので、風邪が治り切らなくて長引いたこともありますし、それこそ転んで捻挫して歩けなくなったこともあって、何かと危機は体験しているんですが、今回はきっかけにあまり心あたりがないだけに・・・
 結果から言えばたかだか数日間動けなくなっただけ。それでも痛かったり苦しかったりするのはひどいダメージでした。その最中はいつそれが治るのか予想もできないですし。

 この一連の出来事から何を学ぶべきか考えましたが、学ぶというよりは・・・そろそろ覚悟を決める時期なのかな。年をとれば体が壊れることも多くなる。なるべくなら病気をしない方がいいに決まってますが「何もしなくてもなる」んですもの。
 どこかが痛くなったり、上手く動かなくなったりしても、それをうまく耐え抜き、切り抜ける力。そういうものがこれからは必要になってくるのかもしれません。何かよいコツが思いつく方はぜひ教えてくださいね。

 とりあえずしばらくは、普通に歩けることやどこも痛くない幸せに感謝したいと思います。健康であることって、ホントにHAPPYなことだわ~~♪

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2008.01.28

「佐々木夫妻の仁義なき戦い」

 具合が悪くて自宅で寝たきりになっていた間は、他にできるここともなく、テレビばかり見ておりました。そこで・・・「佐々木夫妻の仁義なき戦い」。面白かったですがなかなか考えさせられました。
 
 「離婚」って「危機」なのかしらん?
 まずそう思いました。
 別に危機じゃないんじゃないの? だって人間所詮は一人なんだし。

 でも・・・二人が「もう離婚だ」ってケンカして、いろんな事件があって、またよりを戻すのを見ると、やっぱりなんとなくほっとします。不思議ですね。

 ただ、第二回のラストで、夫が「離婚しよう」って言い出す気持ちもとてもよく分かりました。
 相手にとって共に歩くことがマイナスならば別れるべきなんじゃないかって彼は思ったのでしょう。
 それもごくまっとうな考え方でとても私には理解できます。

 そもそも、それなら人が一人じゃなく、二人で暮らすのってなぜなんでしょう。

 ・・・たまたま、私は週末、具合が悪くて、一人でかなり大変でした。そんなとき誰かがいてくれればとても助かるかもしれません。
 でもなぁ。
 病気で動けなくなったときに、そばに誰かがいてくれるのは確かに安心だけど、そのためだけの「誰か」なんてなんだか変な気がします。誰かがそばにいても助けてもらえないことなんていくらでもあって。何かの役に立つ、立たないなんて「家族」であることには関係ないはず。

 そう、結局は損得なんかじゃなくて。それでもいっしょにいたいかどうかしかないんじゃないか、と私は思います。
損か得かを考え出したら、損に決まってる。一人でいた方がはるかに気楽で得ですもん。

 自分にとっては損だけど、それでも相手のために何かしたい気持ち。それが一人ずつである人と人とを結びつける。相手が喜ぶ顔が自分の喜びになる。それこそが、一人でいるだけでは決して得られない、幸せ、ってやつです。

 自分の子供が生まれて成長する人はとても多いのはそのせいなのでしょう。自分の子供は自分の役に立つわけじゃない。でもそこにいるだけで嬉しい。子供のために何かできるのが嬉しい。その喜びこそが人を真に幸せにする。

 佐々木夫妻もね、きっとそうなんだろうなって思います。
 お互いがお互いにとって得かそうじゃないかを考え出したら、もう損しかあり得なくて。だとしたら「離婚」が全てを解決してくれるように見えるじゃないですか。

 でも最初に、この人の役に立ちたい、この人のために何かをしたい、そう思った時の気持ちが二人を結びつけていたはずで。

 ・・・なのに、ある日、その確信が揺らぐ日がくる。

「俺、この人の役に立ってないんじゃないか」

 いっしょにいることは互いにとってマイナスなんじゃないのか。
 二人、別々に生きた方が幸せなんじゃないのか。彼女にとってもその方がいいんじゃないのか。

 人間って弱い生き物だから、疑いだしたらきりがありません。

 でもなぁ、だからこそ。そう、ドラマなんだから。
 二人には離婚せずにうまくいって欲しいです。

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2008.01.27

病気は何もしなくてもなる

平穏な毎日はほんの少しのことで崩れ去るもの・・・

水曜日くらいから、足の付け根が大きく腫れて、ヒリヒリと痛くて歩くのもつらくなってしまいました。医者にもすぐ行ったんですが、なかなか直らなくて、動くと痛むので、昨日などもほとんど寝たきり。

今はちょっと楽になりました。5日目にしてやっと^^;

原因は何かの傷に細菌が入ったせいだとか。うぅ~む。心あたりはないんですけどねぇ。

大好きなマンガ、「ぼのぼの」では。「病気は何もしなくてもなる」と申します。
これ、具合が悪くなると思いだす、私の好きな言葉です。
どこかが悪くなったときに、自分の何がいけなかったのか、あのとき、こうしたのがまずかったのか、普段ああしていれば・・・なんてグルグル考えてますます気分が落ち込むことがありませんか。
でも、病気は何もしなくてもなる。誰のせいでもなく。そう思うだけでもとても楽になることがあります。

・・・考えてみると、「ぼのぼの」には、痛くなってそれが治るシーンが何回かでてくるんですよね。

『治る、っていいね』

いつもそのエピソードはそう結ばれます。

私の足の腫れもそんなふうにハッピーエンドになればな。今のところまだ治りかけです^^;

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2008.01.21

1人で暮らすこと、2人で暮らすこと

  もう年も年だし、男性を好きになることなんかないだろうなぁ~と思っていたらば、昨年は、なんとまぁ、新たに好きな人ができてしまいました^^ で、どうなったかというと 「ふられた」というと何人かの友人に叱られましたので、ふられたとは言わず、「とりあえずお友達」ということに現状ではしておきますか。
  そのことをこうしてこのブログでのんびり語れるようになったのも、好きという気持ちが軟着陸したせいでしょう。振り返ればとても楽しい体験でありました。

 で、そのことと、最近、比較的、年の近い友人が1月1日にいきなり結婚したのを小耳に挟んだことで、ちょっぴり恋愛モードに気分が傾いております。
 
 ・・・昨日はその、新婚の友人と会って、彼のことや二人の生活のことなどを聞きました。いいなぁ~。なんだかわくわくしちゃうなぁ~。
 
 ただ、しかし。ふと思いました。一人暮らしに慣れきった自分に、今更二人暮らしができるのであろうか、と。

 たとえば・・・そのときも友人に話したのですが、私は基本、毎日自分の食べたいものを作って食べています。今はダイエット中なので、野菜たっぷりやきのこどっさりの煮物やみそ汁などを作り、それで夕飯を済ませ、ごはんを抜いたりしています。

 しかし、夫がいたら、ごはんは当然として、メインのおかずが欲しいだろうなぁ。肉や魚がないと嫌だろうな。

 「食べたきゃ自分で作れ」
 と私などは思うのですが、作りたくてもまったく料理ができない人ってほんとにいるんですよね。私自身、そもそも、なんとかのナントカ風なんて作れないし、魚はさばけませんが、とりあえず自分の食べるものくらいは作ります。何をかくそう私の父も、料理に興味がない男性の一人ですが、それでも、粉末のだしでわかめのみそ汁くらいは作ってたし、ごはんもとげました。義理の母の話では、天ぷらを揚げている間、それを見ていることはできなかったそうですが^^

 しかし、世の中の男性(と言い切っては偏見かもしれませんが、一応、男性にしておこう)にはまったく料理ができない人もほんとにいて・・・そういう人は、別に甘ったれてるわけでもなく、怠けてるわけでもなく、ほんとにできないみたい。

 私だって、マラソンで4キロ走れって言われても走れないし、寒いのでマフラー作れと言われても編めないし、そもそも料理だって「明日までにアップルパイを1ホール焼いてきなさい」なんて言われても焼けない^^;

 まあマラソンやマフラーやアップルパイは、できなくてもとりあえずはいいと思うんですけど、料理をしない、できない男性にとっての「料理」もそんなものかなぁと思ったりします。

 としたら、やっぱ、私が作らなきゃいけないんだろうな~
 しかし、一体何を作ればいいんだろう? 他人の食べたいものなんてエスパーじゃないから分からん。
 やっぱなんとかのナントカ風を作らないといけないのかな。それともその人のお母さんがどんな料理を作って出してたかを教えていただき、それをそのとおり作れるようにならなきゃいけないのかな。

 ・・・げ。めんどい(爆)

 出すものを黙々と食べてうまいもまずいも言われないのもやだし、「まずい」と言われたらもっとやだし、そもそもそんなふうに、家に帰ってまで人に気を使う生活なんか耐えられない。

 人を好きになるのは簡単ですが、二人で生活することをイメージすると、ついこんな思考パターンにはまってしまいます^^

 考えてみれば、夫婦でも他人なのだから互いに気を使い合うのは当然の話で。一人ではごはんは炊かなくても、誰か食べる人がいるなら、炊くのも当たり前なのですよね。
 そういう、そこにいても当たり前の相手・・・つまりそれが「家族になる」ということなのでしょう。

 しかしなぁ、「好き」からそこに至るまでの経験を一度もしたことがない私には、どうやってそこまで至れるんだか、まったく未知の世界です。
 友人にはそこを突っ込んで聞いてみましたが、「いつの間にか気が付いたら部屋にいた」という感じ。

 へぇ~~~~~何だか不思議。
 なんで気が付くといるんだろう?(笑)
 もしかするとこれって、私には生涯、分かる日って来ないのかもしれないな~
 
 ま、とりあえずは、今をそれなりにがんばります^^

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2008.01.20

「結局は自分の感覚を信じるしかない」という話

 とてもいい香りの入浴剤やシャンプーを売っている、あるメーカーの製品のファンでして。
 そこの製品のコンセプトは、手作りや安全を歌い文句にしているので、てっきり自然由来の成分のものでしか、製品は作られていないと思い込んでいました。

 具体的には・・・私は以前、シャンプーやリンスって体にあまりよくないというのを何かで読んだので、それ以来、せっけんで髪を洗うようにしていました。でも、そのメーカーからは、固形のシャンプーが発売されていたので、嬉しくなって、それからはずっとそのこの固形シャンプーを使用していたんですよね。

 ところが・・・今日、調べてみて知ったのですが、そこの固形シャンプーは、あくまでもシャンプーでせっけんではなく。使っている成分も「ラウリル硫酸Na」という発泡剤が主成分だったりします。

 「ラウリル硫酸Na」は、ネットで検索すると、いくつかヒットするんですが、まとめるとこんな感じでした。(出典はあえて記載しません^^; 全ての情報が信用できるかどうかが微妙なので)

○少量でよく泡が立ち、値段も安いので、シャンプーや歯みがき粉などによく使われる。
○発ガン性物質である可能性がある。
○もともとはエンジンの油落とし剤や車庫のフロア洗剤として使われていた
○脂肪を取り除く作用が強いため、皮膚が荒れ、頭のかゆみやフケの原因になる

原料については、石油から作る場合とやし油から作る場合があるようです。
まあ、石油だって、つきつめれば自然にできたものなんだから「石油だから悪い」とは言えませんが・・・

・・・いや、実は正直、ショックでした^^;
せっけんだと思って使っていたものがせっけんではなかったことが^^;

 まあ、世の中に「食べてはいけない」だのなんだのという本がたくさん出ていて、「そんなのいちいち気にしてたら何も食べられないよ」というのはいつも思っておりまして。中にはもっともらしく書かれてはいるものの、誇張表現が多く、科学的にはガセだったりするものもあります。
 化粧品等の成分の危険性はそもそも古くから言われていて、今更なんだという感もある。

 ただ「自然派」を売りにしているメーカーだったがゆえにそれを無防備に信じてしまった自分が浅はかだったなぁと。
 そのメーカーは全成分をラベルに明記することもコンセプトにうたっているため、ちゃんとシャンプーにはそれが使われていることも明記されている。だから、心配なら使わないこともできるのに。

 どうりでせっけんにしては泡立ちが異様にいい気がしていたんだよなー。フケやかゆみも、実はちょっと最近気になっていました^^; 

 自分で体験してみて分かるのですが、結局、シャンプーってしすぎると、余計に頭皮によくなかったりするんですよね。そのメーカーの製品の口コミを読むと、実際に肌荒れやしっしんなどが起る人もたまにはいるようです。「ラウリル硫酸ナトリウム」の危険性は何が正しいのかを判断することは難しいのですが、今、言えることは・・・

 おそらく人体を洗浄することにかけては、強力すぎる物質であることは確かで。
 その安全性も長期間、使い続けた場合にどうなるかは証明されていない。
 つまりは・・・
 【結論】心配なら、使わない方がいいかも。

 ・・・つくづく思うのは、情報ということの取捨選択の大事さです。
 最近「自己責任」ということがよく言われていまして。
 メーカー側は何を使っているのかをはっきり書くことはやっているのですから、あとは使う方が正しい知識を持って、何を使うかを考えていかなきゃいけない。

 ただ、その「正しい知識」というのもネットに書かれていることが全て正しいとは限らない。何を信じ、何を信じないかは、結局自分で決めるしかない。でないと情報に逆に踊らされてしまう。

 そのメーカーの商品は、「固形シャンプーに「ラウリル硫酸ナトリウム」が使われている」というのは事実ですが、それ以外のソープなどには入っていません。
 私の選択としては、これからはそのメーカーの製品でも、シャンプーは買うのをやめて、せっけんで頭を洗う生活に戻ろうかと^^;

 ・・・それにしても・・・いやぁ、すっかり、だまされました^^;
 いや、だまされる方が悪い、の部類の話ですし、私はそのメーカーが今でも好きですので、悪口は書きたくないため、あえて、メーカー名もこの記事には書きません。

 一番大事なのは、やっぱり自分の感覚なのだろう、と思います。
 何がどこに書いてある、ということは情報ですが、私にとって今回のことの一番の決め手はやはり、泡立ちのよすぎることと、フケ、かゆみという具体的症状ですかねー。

 みなさまも気をつけてください。この記事自体も、どこまでを信用できるのか・・・(爆)
 書いてある事実、というよりも一人の消費者の失敗談として参考にしていただければと思います^^

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2008.01.18

poem(66)

私はきみを愛し続けるために自分を変えた

どんなに両思いのカップルでも、
お互いの気持ちが寸分の違いもなく一つになることなんてあり得ない
たくさんすれ違う
そばにいて欲しいときにいなかったり
優しくしたつもりなのに喜んでくれなかったり
相手のためを思ってしているのに思いがけず怒りを買ったり

・・・だからね
誰かを好きでい続けるためには
自分とは違う存在である相手の隣で
自分が変わっていかないと
ずっと変わらず大好きでいることはできないんじゃないかな

私はきみを大好きで
だから出会う前の私とはずいぶん変わった

それはね
相手に自分を合わせるってことじゃなくて
相手を受け入れる自分になること
その違いが分かるかな

私が私であることは何も変わらない
でもきみを好きでいることで良い方へどんどん変わっていく
ひとりぼっちだった世界が変わっていく

人が人と出会い
関わりを持った時点で
一人だった時とは必ず何かが変わる
その変化を受け入れていくことがおそらく
「人を愛する」ってことの本質だと
私は思うんだよ

きみはもしかしたら
きみのせいで私が変わった、なんていうと
またなんだか負担に思うかもしれない

でも違うんだ

きみを好きになり
きみという存在で強くなる

だから私はきみにとても感謝していて
伝えたいと思う・・・それだけなんだよ

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2008.01.14

ちと遅いけど「のだめカンタービレinヨーロッパ」

 年末年始はのだめカンタービレを録画しまして、この連休で、ヨーロッパ編のスペシャルまで見終わりました。

 まず一番に思うのは、やはりクラシックの素晴らしさ。ブラームスもモーツァルトもシューベルトも素晴らしいです。そして、「いい演奏」って何か、ということ。

 のだめちゃんが一貫してぶつかるのは「楽しく弾いちゃいけないんですか?」ということでして。普段、私たちが、平凡に生活している限りは、音楽は楽しくやるものでしかありません。

 けれど「のだめカンタービレ」を見ていると、それを超えた世界を垣間見ることができます。その曲ができた背景を知るための「アナリーゼ」。そして、千秋くんの指揮に取り組む姿勢を見ていても、その曲の本来の意図や良さやメッセージを、忠実に再現するために、曲と真摯に向き合うことの大事さが伝わってきます。

 へぇ~こんな世界があるのね。そしてその中でプロの音楽家をめざす人たちががんばっているのね。
 全く知らない世界に触れ、感動がありました。

 そして、もう一つは・・・やっぱ、この千秋くんとのだめちゃんのすれちがいぶりがめちゃ楽しい♪

 人と人って、ほんと、こんなもんなんだよなぁ。のだめちゃんは千秋先輩が好きだし、千秋くんものだめちゃんが・・・なんだかんだいってとても気になる。のだめちゃんがそばにいることで、自分が助けられていることに気付くシーンが、たくさん「のだめカンタービレ」には出てきます。

 そして、そんなふうに思い合っているのに、気持ちがぴったり重なることはほとんどなくて。
 優しくして欲しいときにそばにいない。勇気を出して告白してるのにカンタンにかわされる。喜ぶだろうと思ったのに殴られる。会えて嬉しいのに相手はいつも不機嫌。

 ・・・ある、ある、ある~~~♪

 でも結局、最後に、千秋くんは、のだめちゃんの「変態の森」に踏み込むことを決意します。
 これからもいっぱいいろんなことがあることを覚悟しながら。

 なんかいいですわ、この二人。きっとこの先もほんとにいろんなことがあるんだろうなぁ~
 これでもかというほどすれちがいながら、それでもこれからもきっと・・・

 人と人はみんな一人ずつ違うからぴったり重なることの方がきっと少ない。それでも、相手を愛しいと思ったり、その才能や個性を尊敬しあったり。そうして関わり、互いに影響を与え合っていく。
 人間関係の本質ってそんなことなのかもな~

 なぁんて言いながら、「のだめカンタービレ」楽しませていただきました。とっても楽しいドラマでした。

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2008.01.11

お金をかける趣味、かけない趣味

新風舎 民事再生法申請へ 

 昨日、囲碁専用SNS、「goxi」で、囲碁に関して「趣味にお金をかける」ことについて語ったばかりなのですが、その翌朝、上記のようなニュースを見ました。

 いやぁ~テレビで新風舎の営業トークを放映していたのですが、これすごいですね。

 たくさんの人の作品に、
「この作品は素晴らしい、ぜひ出版すべきだ」
 みたいなことを言って自費出版させて、もうけた会社だったらしく、契約者とのトラブルで裁判になっていたりもするらしいのですが・・・

 いや、ご多分にもれず、自分で小説や詩を書いている私。一度は新風舎での自費出版、検討しましたとも。 なんでも500万くらい出せば、書店におけるバーコードなどもつけて、出版できるとか♪ その当時、私は学生で、500万なんてお金は夢のまた夢でしたから、いつか大きくなったら(笑)500万、新風舎にかけてみようかなんて夢をみたものでした(ホントの話)。
 しかし・・・

 大学で、私は雑誌を出版するサークルに入っておりました。もちろん、新風舎バージョンではなく、自分で原稿を作ってレイアウトまでして、印刷会社に20万くらいで頼んで100部くらい作ってもらうオフセット誌。
 それを学内で100円で売ってたのですが・・・100円でもなかなか売れませんね。
 ああ、でも100部くらいならなんとかはけたかなぁ^^

 本を発行して、人に買ってもらうということがどういうことなのか。なかなか厳しいことですよ。

 私はそのとき、書くことを商売にすることはやめようと思ったものです。その後、こうしてインターネットも発達し、誰もが簡単に、自分の書いた小説や詩をその気になればいろんな人に見てもらうことができるようになりました。

 新風舎でプロデュースしてもらうことを検討したときに、一番ネックになったのは、その本を500部作ったとして、500人、読んでくれる人が果たしているのだろうか、ということでした。

 1冊100円で、たったの100部でも、雑誌は学内でなかなか売れなかった。 と、したら、自分の詩の本なんか作ったって、せいぜい10部か20部をただで配るくらいのもので。
 10部や20部ならば、コピーして配ればいいだけです。500万かけて本にして本屋に置くほどの価値は自分の作品にはない。
 多分・・・私は、物語を書く人であるのと同時に読む人でもあるので、その辺はしっかりと自分の作品の商品価値を判断し、新風舎に500万突っ込むことはせずに済みました。よかったなぁ。

 そして今でも、私にとって書くことは趣味です。投稿冊子に詩や小説を載せて人に読んでもらったりもしています。けれど、それは決して商売ではなく、本当に・・・「趣味」として。
 「趣味」ならば、無理してお金をかけなくて良い。ブログも見たい人だけが見に来ればいい。その気楽さが好きなんですよね。

 私にとって「趣味」とはすべからく「無料」のものだったりします。金銭的なことが絡まない、純粋に「好き」なだけ。好きだからできること。だから、趣味にお金をかける、ということがどういうことなのか、実はあまりピンと来なかったりします。

 新風舎で自費出版をした人たちにとっては、出版は「趣味」だったのかな。それとも・・・
 本を出して、その本を買ってくれる人がいるならば、もうそれは趣味じゃないだろうな。お金を出してくれるなら、その分、相手を満足させなくてはいけないし、売れない本を出して赤字になるようなら、その責任は自分でとらないといけない。

 私はやっぱり「お金をかけない」趣味が好きだなぁ。
 だからブログも続けています。ココログも「ベーシック」で(笑)。
 
 いつか自分の好きなことのために、いくらお金をかけても惜しくないと思えるようなことに出会えるのかしら。
 みなさんはそんな「趣味」お持ちですか^^

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2008.01.08

ある発見。

 今日、一つ、私はある発見をしました。
 
『何かを「好き」だと思うことと
 それを「欲しい」と思うことって・・・
 なぁんだ、全然別のことだったじゃないの、いっしょにして考えてたわよ、私』

 というお話です。

 好きなものを「欲しい」と思うのは当たり前だと、今の今まで思っていました。
 でも、よく考えたら・・・欲しくてもどうしても手に入らないものだって「好き」って気持ちは変わらないんです。
 手に入らないからって「嫌い」にはならない。

 たとえば、こんなことがありました。

 とっても好きなものが目の前にあって。
 めったに見ることもできないのだから、見られただけでもホントは嬉しい。
 なのに
 (でもこれって私のにはならないのよねぇ・・・)
 なんて思っていると、せっかく目の前に好きなものがあるのに、なんだか悲しい気分になったものです。

 「好き」なことと「手に入るかどうか」は別のことなんだから、それをいっしょくたにして、悲しい気持ちになる必要なんてなかった。
 欲しいものがあるならば、誰も私にそれをくれない、なんて一人で嘆いてないで、自分で取りにいけばいいのです。
 特に私の場合は・・・
 「好きなもの」と「欲しいもの」が同じだと思っていたら、よく考えたらちょっと違っていました。
 
 だったら、好きなものは好きなままで、自分が欲しいと思うものはちゃんと自分で取りにいけばいいんだな。
 
 本屋で豆腐を探してもありません。
 スーパーマーケットでギターを買おうとしてもそりゃ置いてないよなぁ。
 スタバに行っておでんを食べようったってそれは無理というものだ。

 欲しいものはちゃんとそれがある場所に行って探さないとね。
 
 で、コーヒーが飲みたい時は、いつだってスタバにいけばいい。
 そういうことみたいです^^

 ・・・うん、そういうことみたいですよ、ととさん。
 ご心配をおかけしちゃったかもしれませんが、もう大丈夫です、多分♪

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2008.01.05

迎春♪

 新年あけましておめでとうございます♪
 ごあいさつが遅くなってすみません。本年も当ブログをよろしくお願いします。

 すでに4日は仕事初めもあり。
 3日には大宮の氷川神社に、初詣にいって、おみくじで大吉を引き当てたり。
 (さいたまに住んで何年も経つのに氷川神社に行くの初めてでした)
 2日は実家に行って、義理の妹たちの子供たちにお年玉やおもちゃをふるまったりもしました。

 体重も昨年の正月と比べると-4キロからのスタート。今年は、4月までにあと-2キロが目標です。
 
 実家に帰った折、いつもチェックする運勢の本を読むと、私にとって今年はけっこういい年みたいです。
 ちなみに大吉のおみくじにはこうありました。

「何事の大きい願い事と言えども、正しき道をふめば、成就せざるはなし。我、一人の力にて、どのようにして志を成し遂げようかと案ずることも、思いがけず外の助けを得てまとまるべし。何事も思いのほかの助けがありて成就すべし」

 なんだかとってもいい感じですよね~。さすがは「大吉」。何よりも嬉しいのは、外からの助けがあって願いが成就する、というくだりです。自分自身はいつだってがんばってますが、それだけで全てがうまくいくわけではありませんもの。
 今年もいろいろな人と出会い、友達や親や同僚達との縁を大事にしながら、自分の願いをかなえるために、がんばります。

 私の願い・・・ふふ、小さなことから大きなことまでいろいろありますよ~。
 でも一番の願いごとは。

 これを読んでくださる皆様にとって、今年が素敵な年でありますように♪

 今年もBUBIをどうぞよろしくお願いします _(_^_)_ ぺこり

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2008.01.01

poem(65)

きみは今 どこにいるのだろう

一度きりの人生の
ゴールの丘の頂きが
霧の彼方にかすかに見える
たどりつけばまたきみに会えるだろうか

…ああ…なんて遠い祈り

転生も運命も信じない
はるかな永遠から
この瞬間だけ偶然に生まれた命

何のためにか問うのはやめても
明日も答えを探し旅は続く

(きみは今どこにいる・・・?)

のばした指先が
いつかきみに届くように願いながら

新たなる年がまた幕を開ける

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