「弱さ」と向き合うことは難しい
表紙を「デスノート」の小畑健が描いたことで、太宰治の「人間失格」が売れているそうです。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/literature/?1204004893
表紙がキャッチーなのは確かだとして内容も現代人を惹き付ける魅力を備えた小説なのだそうで。
私は、「人間失格」を読んだことがありません。正直・・・怖いんです。
昔から読書が好きで、空想癖もあり、果ては自分で小説を書くほど、フィクションにのめり込みやすい性格なので、ダメダメな人間の小説なんか読むと、思いっきり感情移入して、死にたくなるんじゃないかと。(太宰治は「人間失格」を執筆した翌月に自殺したとか)
もういい年なので、それほど影響を受けることもないと思うので読んでみてもいいのですけど、あまり積極的に読みたいとは思いませぬ。皆様はいかがでしょうか。
人間というのは、自分が弱かったり、ヘタレだったりすることを、痛いほど知ってはいながらも、その部分をなるべく直視せず、
「こんな私でもいいところもあるのよね」
と自分を慰めつつ、ささやかなプライドをそこに求めながら生きている・・・んじゃないかと思います。そのこと自体は別に悪いことではありません。
でも直視してないからすぐ忘れるんですよね。自分もそういう弱さを持っていることを。
で、そういう自分の持っている弱さを、ある時ふと、そうとは知らずに、他人の中に見いだしたりする。
なぜか分からないけれど、見ているだけでむかついたり、嫌だなぁと誰かのことを思ったりすることがあったら・・・それはもしかすると、自分の弱さがその人に投影されていて、普段、見ないようにしている自分の弱さをその人によって突きつけられるからなのかもしれません。
などとということを考えたのも、実は「囲碁」を通してだったりします。
囲碁を打つことは、私にとって「弱い自分」と向き合うことそのものです。
囲碁を始めた頃はもちろん、今でも、誰かと対局すれば、勝つこともあるけれど、負けることもたくさんあって。
負けた時にその自分をどう受け入れるか、というのが、囲碁だけではなく、人生そのものに通じる課題のように思えます。
囲碁で何度も負けて、そのたびにはい上がれたら、打たれ強い人間ができるだろうな~
・・・なんて。
こう書くと、囲碁好きな人間は、自らの弱さから目を背けることのない人間の出来た人が多い気がしますが、ここだけの話、そうでもなかったり(爆)。
自分も弱いけど自分よりももっと弱い相手を見つけてボコって喜んだり、誰かの間違いを発見したら大喜びで指摘して正しさをふりかざしたり・・・世間でよく見られることが碁の世界でも普通にあります(苦笑)。
それを見て「嫌だなぁ」と思う時は、もしかしたらそこに自分の何かが投影されているのかもしれないな。そこに本当は何が見えているのか、考えてみることも大事ですね。
でも「人間失格」はいくら小畑健の表紙でも・・・やっぱり遠慮しておきます^^;
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