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February 2008

2008.02.26

「弱さ」と向き合うことは難しい

表紙を「デスノート」の小畑健が描いたことで、太宰治の「人間失格」が売れているそうです。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/literature/?1204004893

表紙がキャッチーなのは確かだとして内容も現代人を惹き付ける魅力を備えた小説なのだそうで。

私は、「人間失格」を読んだことがありません。正直・・・怖いんです。
昔から読書が好きで、空想癖もあり、果ては自分で小説を書くほど、フィクションにのめり込みやすい性格なので、ダメダメな人間の小説なんか読むと、思いっきり感情移入して、死にたくなるんじゃないかと。(太宰治は「人間失格」を執筆した翌月に自殺したとか)

もういい年なので、それほど影響を受けることもないと思うので読んでみてもいいのですけど、あまり積極的に読みたいとは思いませぬ。皆様はいかがでしょうか。

人間というのは、自分が弱かったり、ヘタレだったりすることを、痛いほど知ってはいながらも、その部分をなるべく直視せず、
「こんな私でもいいところもあるのよね」
と自分を慰めつつ、ささやかなプライドをそこに求めながら生きている・・・んじゃないかと思います。そのこと自体は別に悪いことではありません。

でも直視してないからすぐ忘れるんですよね。自分もそういう弱さを持っていることを。

で、そういう自分の持っている弱さを、ある時ふと、そうとは知らずに、他人の中に見いだしたりする。

なぜか分からないけれど、見ているだけでむかついたり、嫌だなぁと誰かのことを思ったりすることがあったら・・・それはもしかすると、自分の弱さがその人に投影されていて、普段、見ないようにしている自分の弱さをその人によって突きつけられるからなのかもしれません。

などとということを考えたのも、実は「囲碁」を通してだったりします。

囲碁を打つことは、私にとって「弱い自分」と向き合うことそのものです。
囲碁を始めた頃はもちろん、今でも、誰かと対局すれば、勝つこともあるけれど、負けることもたくさんあって。
負けた時にその自分をどう受け入れるか、というのが、囲碁だけではなく、人生そのものに通じる課題のように思えます。
囲碁で何度も負けて、そのたびにはい上がれたら、打たれ強い人間ができるだろうな~

・・・なんて。
こう書くと、囲碁好きな人間は、自らの弱さから目を背けることのない人間の出来た人が多い気がしますが、ここだけの話、そうでもなかったり(爆)。

自分も弱いけど自分よりももっと弱い相手を見つけてボコって喜んだり、誰かの間違いを発見したら大喜びで指摘して正しさをふりかざしたり・・・世間でよく見られることが碁の世界でも普通にあります(苦笑)。

それを見て「嫌だなぁ」と思う時は、もしかしたらそこに自分の何かが投影されているのかもしれないな。そこに本当は何が見えているのか、考えてみることも大事ですね。

でも「人間失格」はいくら小畑健の表紙でも・・・やっぱり遠慮しておきます^^;

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2008.02.22

囲碁、がんばってます

  ・・・というわけで(どういうわけかは前の記事をご参照下さい)また、ちょっと囲碁熱が高まっています。

 きっかけは単純です。先日、ネット碁で、あまり対局したことのない有段者の方と13路を打ち、その碁自体は負けたのですが、相手の方が
「このくらい打てるならもう初段も近いね」
 とおっしゃいました。

 囲碁を始めた頃に「すぐ初段になれる」と言われてそれを信じてたら、1年たっても2年たっても初段になれなくて落ち込んだ経験があるため、『すぐ初段になれる』だの『もう初段近い』だのと言われても信用しないようにしていたのですが・・・
 この相手の方は私を喜ばせても何の得もない利害関係のない方です。
 まだお友達、というわけでもありませんでしたし。
 碁自体は負けてるし。
 持ち上げるような発言を言う必然性がまったくないわけで。

 ・・・多分、率直に、打っていて
「けっこうまともに打てるんだな。ふぅ~ん」
 と思われた感想だったと思うんです。やったね♪

 もっともこの発言には続きがあって。対局の中でコウになったところがあり、
「(もう初段も近いのだから)このコウは意地でも受けてたたないと」
 と言われました。
「勝負に負けてもコウに負けるな」という格言があるそうで。棋歴で言えばもう初心者ではないのだから、いつまでも弱気ではいけませんな。
 ともあれ、そう言われて俄然やる気が出てきました。

 囲碁は、2003年からずっと、ネット碁を打ったり、職場のサークルで大会に出たり、NHKの囲碁講座のテキストを買ったり、NHK杯を見たりして、間が空いたことはないのですが「やる気」という点では、なんとなく習慣的になっていた時期もあります。

 とりあえず今、現在は3級ですが、ここで少してこ入れをして、今年中に2級か1級にはなりたいですね~
 もちろん今年こそ初段、っていうのも思わないではないですが、有段者になるには明らかにまだ基本的な死活も弱いので、そこを今年中になんとか強化し、基本的な失敗がなくなったら、来年こそ初段達成を目標にしたいと思います。

 いやぁ~思えばここまでも長かった。

 今ではかなり「形」も分かるようになってきました。変な形、いい形、などがぱっと見で感じられるようになってきて・・・読んでるわけじゃないので、それで逆に、失敗もいっぱいするんですけどね^^;
 
 あと、最近、一番感じるのは、やっと対局で相手の石を攻めることができるようになってきました。攻め損ねて負けることもありますが、そこは多分、経験です。攻められなくて負けるよりはずっといい。
 
 「攻め」の意味が分かってからは、囲碁サークルの講師の先生と8子局を打っていても負ける気がしなくなりました。置き碁で、なぜ攻めるのが大事か、以前は言われている意味が分かりませんでしたが、今ではよく分かります。
 たとえ相手が上手であろうとも、攻撃は最大の防御なり。こっちが弱気で「生きよう、生きよう」としているとカサにかかって攻められますが、多子局では、どう打ったって薄いのは上手の白ですから、黒が被告になるわけがないのです。
 ・・・そう、最大の敵は、自分の弱気なのでした・・・
 
 これが分かってきたら囲碁は楽しくなりました。一方的に相手にやりたい放題されて負けると、囲碁をやめたくなるほど落ちこみますが、本来、相手だけが得をするなんて碁にはあり得ないはずで。

 相手が打った手で得をしているのなら、自分は同じくらいか、よく考えればそれ以上、得をできる手がどこかにあるはずなのです。それが見えないのは「ない」のではなく、自分に「見えない」だけ。
 
 見えない時は、あとで検討する時に上手の方にどこにその手があったのかを教えてもらえばよい。そうして教えていただいて、見えるようになっていくことが、「上達する」ってことなんだな、というのが今の実感です。
 
 よし、がんばりますよ~。とりあえず1級でも2級でも上がれますように♪

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2008.02.21

5年ごとの転機

 この記事を書き始めた時に、今日は久々に囲碁の記事を書こうと思っていました。
「今年は囲碁を初めて5年目なのですが・・・」
 と書いてみてから、
「あら、これも5年か~」
 と思いました。
 
 先日、2003年発行の冊子を整理していて思ったのですが、5年前に始めて今も続いていることがいろいろとあるのに気が付きました。
 「ぷれなみ」という中島みゆきのコピーバンドで、初めて人前で演奏したのも5年前。
 ドイツ好きの友人の発案で、小説の合作を始めたのも5年前。
 そして・・・生涯2度目の恋をしたのも5年前でありました。

 他の人がどうだかは分からないのですが、不思議と人生には、平凡で何事も起こらず同じことの繰り返しで過ぎる時と・・・そうですね、「転機」とでもいうのでしょうか、自分でも訳の分からない内に、いろんなことが次々起こって、荒波に翻弄されて、気が付くとそれ以前とは生活が一変している時、というのがあるようです。

 私の場合、そのまた5年前(つまり今から10年前)くらいにはやっぱり大きな波が来ていまして、一人暮らしを始めたり、スキーを始めたり、詩や小説を冊子に掲載し始めたり、中島みゆきカラオケの会を企画したり、初めてお見合いをしたり(笑)。

 ・・・ふむ。ということは逆に考えると、今年あたりがまた「転機」なのかも。
 何があるのかな。ちょっと楽しみです。

 でも、囲碁もそうですが、おそらくは今までやってきたことの上に次があるような。「転機」というより、第2ステージに上がる感じとでも申しましょうか。

 しばらく前から思っていたのですが「生きる」ということはそれだけで「可能性」なのだなと思います。
 どんなことでも起こり得るし、自分から動くこともできる。その自由さがやっぱり好きで。
 
 そんなふうに誰のせいにもせず、自分で自分の「生」を企画、演出して・・・自分で自分の「生」を生きている限りは、多分、人はずっと幸せでいられるんじゃないか、と思ったりします。
 無論、病気になったり、へこんだりすることもしょっちゅうですけどね。

 囲碁はまだまだ続けます。書こうと思っていたことはいろいろあるのですが、一番書きたかったのは、また打つのが楽しくなってきた、ということ。たまにひどい負け方をして落ち込むこともあるので、日々、一喜一憂ですけれど、「喜」の方をたくさん体験するために、これからもたくさん打ちたいと思います。

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2008.02.20

「貧乏男子」に思うこと。

 「貧乏男子(ボンビーメン)」というドラマを毎週、見ております。

 バカが付くほどお人好しな大学生が、自分のためじゃなく、人に頼まれてお金を貸したり、カンパしたり、何かを買ってあげたりして作った借金が100万。
 
 それを返すために紆余曲折あるのですが、そのお人好しぶりに興味を持った、お金持ちの金貸しに見込まれてしまい、毎回、これでもか、これでもか、といじめられることに^^;

 でもいじめられても、主人公、「小山一美」くんは気にしません。借りた金はがんばって返せばいい。人を信じることもやめない。そんな一美くんに惹かれて、周りに彼を応援してくれる人も集まってくるんですが・・・

 昨日の放送では、なんと彼は、友人が背負っていた1000万円という借金を肩代わりしてしまいます。

 もともとその友人(「白石くん」というのですが)の借金は、友人の親がしていた借金で。白石くんは夜逃げしてしまった親の借金を返すべく、学校もいけずに働いていました。

 白石くんにとって「借金」というのはとてつもなく重いものだった。
 そのせいで彼はどんなに苦しんだか知れず・・・

 それなのに、一美くんは、いつも明るく「借金したって返せばいいんだよ」と言うんですよね。白石くんは、困ったときには助けてくれて、自分を励ましてくれる一美くんが好きだったのですが、一美くんが「借金なんて気にするなよ」的な発言をしたことをきっかけに彼をちょっぴり憎んでしまいます。自分の1000万の借金を一美くんに押しつけるよう、金貸しの「オムオム」さんにそそのかされ、一瞬、その気になるのですが・・・まあでも、白石くん自身はそれはできなかった。

 なのに、一美くんは自分から白石くんの借金を肩代わりすることにして、オムオムさんから自分が1000万の借金をしてしまうんですよ。

 それには、今まで一美くんを応援していた友人達も呆れてしまって。
「お前はどこまでお人好しなんだよ。付き合いきれない!」

 ・・・主人公の一美くんがサラ金から安易にお金を借りまくって100万の借金を作る第一回から、「借金」というものにほとんど縁のない私にとっては、価値観がひっくりかえるようなドラマでありました。たとえ友人だって、お金の貸し借りはしてはいけない、というのが、個人的な価値観だったりします。もともと借りを作るのが嫌いで、人におごられるのもあんまり好きではないくらいなので・・・一美くんを見ていると、自分とは正反対なんですよねー。
 
 借金しちゃったのは仕方ないとして、お人好しが災いしてなかなか返すのもままならず。
 その上、友人のために今度はまた1000万も借金してしまう。
 
 ドラマの中では、オムオムさんが一美くんにこんなような事を言うシーンもありました。

「世の中には、何もしなくてももうかる人間もいる。僕のようにね。一方できみのように汗水垂らして働いても、それが自分のお金にはならない人間もいる。その二種類の人間で世の中は成り立っているんだよ」

 オムオムさんは金貸しで、一美くんはお金を借りている側。オムオムさんはそれをたてにして、「現実」をお人好しの一美くんに思い知らせようとするわけですが、それでも一美くんは卑屈にはなりません。
  
 私は多分、標準的な世間一般のその他大勢の一人で。誰のためにもお金は使わず、働いて稼いだお金を、自分のためにつましく使って暮らしています。借金もしませんが大金持ちになる気もない。オムオムさんにも一美くんにもなれないわけですが。

 生きていくのに、本当に大事なことって何でしょう。
 
 どんなにバカにされても、誰にだまされても、友人のためになるのなら、自分が1000万の借金を背負おうとも、明るく笑っていられる一美くん。
 
 すごいドラマですよ、これ・・・ 

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2008.02.19

poem(69)

「シゴフミ」

もし今、私が死んだら
「シゴフミ」の宛名はやはりきみだろう

もし私があと半年の命だったら
その半年間だけずっと側にいてほしいのもやはりきみだろう

それなら
そんな限られた時間じゃなくて
今すぐに会いにいけばいいのに

なぜそれができないのか
私にはよく分からない


※「シゴフミ」についてはこちら

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2008.02.18

「虚構新聞」

 面白いサイトを見つけました。

「虚構新聞」

 もっともらしい記事のオンパレードに笑ってしまいました。ぜひのぞいてみてください。
 木曜日に何の発表があるのか・・・どきどきですね。

※「まれに弊社の報道を現実のものと誤解される方がいらっしゃるようですが、冷静な判断力を持って記事をお読みになられますよう、厚くお願い申し上げます。」とのことなので、ご覧になる際はご注意下さい。

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2008.02.14

高校では何を選択しましたか。

 本日の話題は、こんなニュースを見て思ったこと。

高校日本史を必修化=全国初、13年度には全校で-神奈川県

 自分がどうだったかを振り返ると、高校2年、3年が、社会は「日本史」「世界史」「地理」の選択制でした。1年の時に何をやったかはうろ覚えですが「現代社会」だったような気がします。「現代社会」が一番、面白かったな。

 自分の通った高校が、歴史は古かったけれど、先生もその分古く、その高校に10年以上いて独自の教育感を持っているような、よく言えば個性的、悪くいうと「変」な先生が多かったせいで、高校2年の時にやった日本史の授業はほとんど先生の雑談で終わっていました。どんな科目を必修にしようと、その勉強に意味があるのかどうかはどんな教師につくかどうかによるという、いい例なのかもしれません。

 と、いうわけで、私が日本史というものを真剣に学んだのは、高校よりも中学だった気がします。
 世間で常識とされる日本の歴史は、ほぼ中学で学びました。

 自分の経験からいうと、それでいいんじゃないかなって気がします。高校に行ったら、自分がやりたいことを選択すればいい。
 歴史の勉強ってつきつめていくと「趣味」になっていくもので。基本的なことを中学まででやったあとは、小説やマンガで覚えたり、その土地を旅行で訪れたりして学んで本物の教養になっていく。高校に行ってまで「必修」にしなくても・・・と私は思います。

 「世界史」は高校で初めて勉強しましたが、覚えることがたくさんある上に、エジプトの話をやったと思えば、次はヨーロッパ、次は中国、と話がとびとびになるために、日本史のように一貫した流れとして、頭に入って来なくて苦労しました。結果・・・受験科目にもしなかったせいで、今、ほとんど覚えていません^^; 世界史も重要だとは思うのですが、もうちょっと「何を覚えるべきなのか」を絞った方がいいのかも。または、世界史をやるなら、近代史を中心にした方がいいような。「カノッサの屈辱」を言葉だけ覚えても、一体何の役にたつのやら。

 で。どうせ必修にするなら私は「地理」がいいんじゃないか、と思います。
 社会に出たときに、どこにどの国があるのか、日本のどこがどうなのか、あまりにも知らなさすぎてまずい感じでした^^;
 今でも実はあまり知りません。本当は、どこどこの土地はどういう発展をしてきて、何が名産で、どういう産業が中心なのか、とか知ってないといけないのですが。

 人ってどうも自分の住んでる土地がスタンダードだと思いがちです。あの地方はこうで、この地方はこう、それを知るだけでも、視野が広がる気がします。
 「全国市町村便覧」などを眺めてみると面白いですよ。あの市とこの市が人口が同じだったのか、という自分だけの発見も楽しい(笑)。
 
 同じ日本でもいろんな地域があってたくさんの人が生活している。ましてや世界はいろんなところがあって、風土によっていろいろな文化が育まれている。歴史よりも、まず、今、現在の地理を必修にしたらいいのに。

 書いていたら、なんだか地理の勉強したくなってきました。
 確か本屋に、大人向けの地理の教科書があったような。読んでみようかな。

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2008.02.13

『ドメスティック』な問題

妻が夫を殺害し、バラバラにしたという殺人事件の公判が始まっています。
  ニュースで三橋歌織(みはし・かおり)被告の証言が流れたりしますが、殺人の原因となったのが、夫の暴力だったという説もあり、見る度に胸が痛みます。
  
 「家庭」という場所が、いかに閉塞した空間なのか。 
 
 そのことを、いつも考えてしまいます。

 夫が妻に暴力を振るう。妻は夫が憎いのに、そこからどうしても逃げられない。殺すしかないと思ってしまう。

 これって、子供に対する虐待にも共通することで。子供と親という限られた空間で、耐えられない事が起こった時に、自分をセーブできなくて子供に手を上げてしまう。

 もし、自分だったら、同じことをしないと言えるだろうか・・・。

 私は、最近、あまり怒りや憎しみを感じることがありません。日々、穏やかに暮らしていられることの一番の要因は、一人でいるからなんじゃないか、と思ったり致します^^;
 不愉快に感じることを一つずつ自分の生活から遠ざけていけば、そういう生活はすぐに完成します。何も望まず。それがいいかどうかは分かりませんけれども。

 これが、もし一人じゃなくて、自分以外の誰かと関わり・・・それがたとえば夫や子供だったとしても。
 いや、他人ではなくて家族だからなおさら。
 相手に対して何かを「許せない」と感じたり、相手の物言いや行動に深く傷ついたり、そういう感情があったとしてもそれを表に表すことができず抑圧せざるを得なかったりするわけです。
 他人ならば、許せない何かと相対した時は、そこから逃げてしまえばそれで済みます。でも家族だと逃げられない。

 もちろん、日常の中で何か問題が起こった時に、逃げることが正しいわけでないことは言うまでもないことです。問題と正面から向き合って、それを解決するべく努力することは大事。
 でも、何かの問題と正面から向き合うと決意したときって、それは、なんというか・・・人は関係ないんですよね。自分が自分の責任に置いて、その問題と向き合うことを決めるのですから。逆に誰かがそばにいると、その誰かのせいにしたくなってしまって、自分にとってきつい問題と向き合うことができなくなる。それを一般に「甘え」と言います。
 
 「この人でなかったら」
 「この子がこんなじゃなかったら」・・・私はこんな思いをすることもなかった。

 そう思ってしまう。
 そこから「逃げる」という選択肢が、「家族」であるばかりに最初から無いと思ってしまうとなおさら追いつめられてしまう。

 人が人を殺す時ってそういう時なんじゃないかと。

 最近、肉親を殺害する事件がとても目立っています。絶対数として増えているのかどうかは、統計的な資料がないから分かりませんが、人と人との関係が希薄になっている世の中で、最後に残っているのが「家族」で・・・だからこそ、その「家族」内で殺人が起こっているのだとすると、なんだか暗澹たる気分になります。

 人と人とが深く関わると、怒りや憎しみしか生まないのか。・・・うーん、そんなはずない、と思いたいんだけどな。 

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2008.02.12

poem(68)

もしも目の前に
「私を愛してくれる人は誰もいない」
という人がいたら私は
「私があなたを愛する一人目になるよ」
と言うだろう

私がそう言えば
その人はとても疑い深そうに私を見上げる

「本当に?
 私は性格もよくない。
 取り柄なんかなにもない。
 愛してくれても
 あなたにしてあげられることは何一つない」
と彼女は言った

本当に取り柄は何もないだろうか
注意深く私は彼女を見つめる
 
世の中には
その人がいるだけで周りが明るくなる人もいれば
そういう華やかな雰囲気とは縁遠い人も確かにいる

人に愛される条件、なんてものが本当にあるとしたら
それを備えていない人は
一生、誰にも愛されないのだろうか
あるがままの自分でいることは許されないのだろうか

「誰にも愛されなくてもよい」
そう決めてしまえば
人はその条件から自由になれる
そうして私は生きてきた

でも今 私はふりかえる

自由でいること
何にも縛られないこと
それと愛を両立させる方法は本当にないのだろうか

愛されることの代わりに自由をとった私の
その答えの一つは
自分から誰かを愛すること、だった

人を愛することはできても
愛されることなんて学ばなかった
だから私と彼女はとても似ているけれど

生きていれば人間は 
何度でも生まれ変われる
そこでうずくまっているだけでは何も変わらない

歩きだそうか
自分のできることからでいいから
何度失敗を繰り返しても
生きている内に見つからなくても
 
「私があなたを愛する一人目になる」
 
さあ いこう

旅はここから
始まる

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2008.02.09

パパの歌「home」買うぞ~♪

 みなさま、「歌スタ!!」ってテレビ番組をご存知ですか?
 私は知りませんでした。今まで^^;

 土曜日の午後、なんとなくテレビをつけっぱなしにうつらうつらしていましたら、なんだかいい歌が流れてきました。

「ん? 何だろう、この歌」

というわけで、思わずテレビに釘付けに。
 「歌スタ!!」という番組は、古くは懐かしの「スター誕生」のような番組です。
 調べてみたら、2005年頃から放映されているらしく。意外と歴史ある番組だったのですね。全然知らなかったわ。

「home」はこの番組でメジャーデビューすることになった、木山裕策さんのデビュー曲です。

 木山さんは、一度は「歌スタ!!」でオーディションに落ちたんですが、作詞作曲をした多胡邦夫さんという作曲家が、この歌がメジャーデビューできないならどの歌がデビューできるんだ、くらいの勢いで、リベンジを勧めたそうで。見事、リベンジの2度目のオーディションでメジャーデビューが決まりました。CDは2月6日から発売されているそうです。

 木山さんは4人の子供のパパで、「home」は、子供への思いをありったけの願いをこめて歌った最高の歌でして・・・これ、いい。すっごくいい♪♪♪
 子供を持つ、全てのお父さん、お母さんに、子供を持たない私から、プレゼントしたい曲ですよ~
 今からでも子供が欲しくなってしまったわ(笑)
 
 とりあえず、私は、明日、どこかにCDショップがあったら買いに行こうと思います。
 「歌スタ!!」のHPにプロモーションビデオがあって、そこで歌が聴けるので、お時間がある方はぜひ聞いてみてください。ほんとにいい歌ですよ~

 HPはこちら
   ↓
http://www.ntv.co.jp/utasta/

 親というものに、なってみたかったなぁ~~
 ちなみに木山裕策さんは39歳。誰かさんと同じ年だわ(笑)

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2008.02.04

poem(67)

「8番バッターの恋人」

きみには好きな人がたくさんいる

1番目は片思いの誰か
2番目は尊敬する年上の先輩
3番目はお隣の友達
4番目・・・5番目・・・

さて私は何番目かな

そうだな、たとえば8番目くらいだったとしても
それって「好きな順番」ではないでしょう?

お父さんやお母さんを大事にする気持ちと
恋人を大切にする気持ちが違うように

我が子を思う気持ちと
好きな人を想う気持ちが違うように

誰にだって好きな人はたくさんいるけど
誰が1番かなんて決められるわけじゃない
みんな1番

きみにとって私が何の1番かは分からないけど
私は今、私以外の
きみの1番をたくさん知っていることがちょっと嬉しい

これからも誰かを好きになったら
真っ先に私に教えてね
どんなふうにどれだけ好きなのか
できるだけたくさん

私もこれから
たくさん人を好きになったら
その思いを全部持って
またきみに話しにゆくよ
楽しみにしててね

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2008.02.03

「おひとりさまの老後」を読んでおります

 独身の女性の友人に「おひとりさまの老後」という本を借りたので、読んでいます。
 ・・・ふむふむ。結婚して、家族のいる女性も、しばらく待てばいずれは一人。女性の方が寿命が長いので、いずれはシングル・アゲイン。シングルの生活は女性にとっては、始めるのが早いか遅いかの違いしかない。
 おお~。なるほど!!

いずれは誰もが経験することになる女性の一人暮らし。ならば、そのスキルは、早くから板についている私に、アドバンテイジがあるわけで。

『子供のいる貴女も、ご主人のある貴女も、家庭を卒業したら、いっしょにまた遊びましょう。一人に戻ったらいつでも声をかけて下さいね。私はずっとここで待っています♪』

 ・・・という気分になりました(笑)。

 それにしても、この本を読んでると、この世の中、女性ばかりになっても何も困らないんじゃないか、って気になってきます^^ いっしょにいて楽しい人と、気ままに過ごす。男性がいたら、その人を立てたり、フォローしたり、気を使ったり・・・それがいけないわけじゃないですが、まあ、どうしてもそうなっちゃいますよね。女性だけとはどうしても、話題も変わっちゃう。
 その本では、男性と食事をするなら「好きな人と差し向かい」ならありだけど、グループ交際はあり得ないそうです。
 
 一方、昨日、正月に録画しておいた「間宮兄弟」という映画を見ました。
 それは男性の兄弟二人が気ままに暮らしているお話で。美人の女性と合コンぽいこともするんですが、結局、美人達は、それぞれ恋人がいて、間宮兄弟はふられてしまいます。
 
 おお~男性も同じなのか(笑)
 なんだか他人とは思えない間宮兄弟。男性も女性も、それぞれ、お互いに関わらないほうがもしかして平和に暮らせるのかも・・・(爆)

 でも・・・今日も「佐々木夫妻の仁義なき戦い」を見ました。離婚寸前まで行ってましたが、とりあえず、今週はよりを戻すことができてめでたしめでたし。
 結局、ケンカを散々しても、お互い好きなんじゃないの♪ この二人♪ と思わせる展開でしたが、まだまだ波乱はありそうですね。

 ともあれ、この「好き」という気持ち。いずれおひとりさまになるのは同じでも、それまでに恋をするのは悪くない♪と、この記事は締めておきますか^^

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2008.02.02

庶民的回転寿司考

 昨日、友人と晩ご飯を食べて帰ることになりました。
 何が食べたい?と聞いたら、おいしいと噂のある近くの回転寿司に、まだ行ったことないから行ってみようということになりました。
 
 でも友達はそこのお店で一番安いお皿のお寿司を4皿しか食べませんでした。あんまりおいしくなったのだそうな^^; 私はおいしかったんだけどなー。そこでふと考えたこと。
 
 おいしいものを安く食べたい、というのは、誰でも思うことで。
 本当においしいお寿司を食べたいと思うなら、それなりの値段のする回らないお寿司屋さんに行くしかありません。だけど、そんなお寿司屋さんにはめったにいけない。
 そこで回転寿司です。安くてもおいしい回転寿司情報にはとびついちゃいます。

 私は根っからの庶民なので、回転寿司好きなんですよね。
 目の前に、初めて見るようなネタが回っていて。その中から好きなのをとって食べるのって、それだけでぜいたくな気分になります。
 ダイエット中であることもあり、あまりたくさんは食べられません。だから、ちょっと高いお皿でも食べてみたいネタが回っていたらそれを選びます。回転寿司という時点で全体に安いのだから、多少高いお皿にしてもたかが知れていますし。

 みんなは違うかな。回転寿司なんだから安いのは当たり前。とにかく安く済ませるのが回転寿司。だとしたら、安いネタを選ぶ人の方が多いかな。友人はそんな感じだったなー。

 回転寿司では、レーンを回っているネタはいつ握ったのだか分からないから、そこから取らないでオーダーするのが通のやり方だと言います。
 昨日の回転寿司は、どうもオーダーしてもそこで握らないで、回ってるのを取って渡してくれてたみたいで^^;友人はそれが一番気に入らなかったみたい。
 確かに寿司はその場で握ってくれるのがおいしいのでしょう。でもなー。

 回転寿司は、回ってるのを見るのが楽しいし、そこから取るのが楽しい。もちろん食べたいものが回ってこなければオーダーしてもいいんですけど、握りたては・・・回転してないところでいつか誰かと食べればいいかな~

 なんというか、回転寿司には回転寿司の楽しみ方があるような気がして^^
 いつか、握りたてをオーダーして食べるのを夢見ながら、またその内、回転寿司を楽しみにいきますわ。

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