『ドメスティック』な問題
妻が夫を殺害し、バラバラにしたという殺人事件の公判が始まっています。
ニュースで三橋歌織(みはし・かおり)被告の証言が流れたりしますが、殺人の原因となったのが、夫の暴力だったという説もあり、見る度に胸が痛みます。
「家庭」という場所が、いかに閉塞した空間なのか。
そのことを、いつも考えてしまいます。
夫が妻に暴力を振るう。妻は夫が憎いのに、そこからどうしても逃げられない。殺すしかないと思ってしまう。
これって、子供に対する虐待にも共通することで。子供と親という限られた空間で、耐えられない事が起こった時に、自分をセーブできなくて子供に手を上げてしまう。
もし、自分だったら、同じことをしないと言えるだろうか・・・。
私は、最近、あまり怒りや憎しみを感じることがありません。日々、穏やかに暮らしていられることの一番の要因は、一人でいるからなんじゃないか、と思ったり致します^^;
不愉快に感じることを一つずつ自分の生活から遠ざけていけば、そういう生活はすぐに完成します。何も望まず。それがいいかどうかは分かりませんけれども。
これが、もし一人じゃなくて、自分以外の誰かと関わり・・・それがたとえば夫や子供だったとしても。
いや、他人ではなくて家族だからなおさら。
相手に対して何かを「許せない」と感じたり、相手の物言いや行動に深く傷ついたり、そういう感情があったとしてもそれを表に表すことができず抑圧せざるを得なかったりするわけです。
他人ならば、許せない何かと相対した時は、そこから逃げてしまえばそれで済みます。でも家族だと逃げられない。
もちろん、日常の中で何か問題が起こった時に、逃げることが正しいわけでないことは言うまでもないことです。問題と正面から向き合って、それを解決するべく努力することは大事。
でも、何かの問題と正面から向き合うと決意したときって、それは、なんというか・・・人は関係ないんですよね。自分が自分の責任に置いて、その問題と向き合うことを決めるのですから。逆に誰かがそばにいると、その誰かのせいにしたくなってしまって、自分にとってきつい問題と向き合うことができなくなる。それを一般に「甘え」と言います。
「この人でなかったら」
「この子がこんなじゃなかったら」・・・私はこんな思いをすることもなかった。
そう思ってしまう。
そこから「逃げる」という選択肢が、「家族」であるばかりに最初から無いと思ってしまうとなおさら追いつめられてしまう。
人が人を殺す時ってそういう時なんじゃないかと。
最近、肉親を殺害する事件がとても目立っています。絶対数として増えているのかどうかは、統計的な資料がないから分かりませんが、人と人との関係が希薄になっている世の中で、最後に残っているのが「家族」で・・・だからこそ、その「家族」内で殺人が起こっているのだとすると、なんだか暗澹たる気分になります。
人と人とが深く関わると、怒りや憎しみしか生まないのか。・・・うーん、そんなはずない、と思いたいんだけどな。
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Comments
突然失礼します。
色々事件が多いようですが・・
一部の事件を除き、多くの場合は殺された方も殺害してしまったほうにも報道にはでてこないそれなりの原因と理由があると思います。
なので、事件があっても一方的な方向からは見ないようにしています。
Posted by: ヨサク | 2008.02.14 00:05
ヨサクさん、コメントありがとうございます。
くだんの事件については真実は見方によっていろいろあると思います。夫のDVが原因の全てかというとそういうことでもないわけで。
ただ、何が悪いというよりは・・・「殺人」が起こってしまった瞬間に、それはもう取り返しがつかない。
「人が深く関わると怒りや悲しみしか生まないのか」
この記事はそう私が感じたことを書きました。
Posted by: BUBI | 2008.02.14 08:43
そうですか・・
私が最近思っているのは、
色々な社会的背景とそれに伴う人間同士の思いやりのなさに原因がありそうな気がします。
Posted by: ヨサク | 2008.02.14 15:48