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April 2008

2008.04.30

3年1ヶ月

 今の部署になってから3年1ヶ月たち、このたび5月1日で異動することとなりました。

 後任は、またまた女性です。去年結婚したばかりの女性。
 話によると「いつ妊娠&出産するか分からない」そうですわ^^;

 この3年の間に、同じ係の女性二人が立て続けに妊娠、出産、育児休業となりました。その二人が戻ってくるまでは、この係を守る覚悟でずっとやってきました。

 その覚悟どおり、2月から一人が復帰、5月からもう一人が復帰することになっているので心おきなく異動できるのですが、すっかり、私の係はそういうポストになってしまったようです。

 みんなが子供を持ち、育児休業も定時に帰るのも当たり前、限られた時間にできるだけをやる、それが当たり前になるなら、それはそれで、お互い様で助け合えるからいいのだろうな。

 私がこの3年で向き合ってきたのは、何だったのだろうとたまに考えます。

 責任を持って仕事をすること、と、仕事以上の責任がある子育ての間で、私よりも若い世代の彼女達は割り切って仕事をしているようでした。
 「私がフォローしなければ」、「私が庇ってあげなければ」という思いさえ、実は私の驕りだったのかもしれない、という事件もありました^^;

 私は、自分が独身だからと、肩に力が入りすぎていたのかもしれません。
 今は、子供がいる女性が働くのは当たり前。そして、そうした女性の働き方にあわせて仕事の方を変えていく。それでよかったのかもしれないと、今は思います。

 「Aroud40」などを見ていても、いろいろな立場の女性が並存するのを客観的に見ることができて、わが身を振り返ることしきりです。
 家庭を持つ女性、持たない女性、子供のいる女性、いない女性。
 それぞれに悩みをもちながら一生懸命に自分の人生を生きている。

 他人を思いやるには想像力が必要です。
 子供を持たない女性に子供を持つ女性の苦労が分かるかと言われた時に、確かに経験がなきゃ分からないのは当然なのだけど、そこで、そう割り切ってしまったら、溝ができてしまう・・・
 違う立場の人間がいっしょに社会を作って行くならば、私たちはもっともっと、自分のことだけでなくて、いろんな人の立場に思いを馳せなければならないのかもしれません。

 なぜなら、そういう社会になることを私たち自身が望んだのですから。

 あらゆる立場の女性が、それぞれの場所で、みな等しく幸福になれるように。
 生き生きと暮らしていけるように。
 
 今度の部署は上司も部下も、全て男性です。 うわ、久々だ~
 ま、仕事なんて、いつだって、自分のベストを尽くすしかないのです。それでダメなら、ダメなヤツと評価され閑職に追いやられるのが大人の社会。どっちに転んでも、自分ができることをやる。それしかないのですわ。もう、だてに10年以上勤務してません。矢でも鉄砲でももってこい(笑)

 連休明けからも張り切って、かつ適当に肩の力を抜いて、やっていきます。

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2008.04.29

根津神社のつつじと上野公園

今日は根津神社につつじを見に行きました。200804290955000

友人と9時半に待ち合わせ。根津神社は文京区にあり、私の住むさいたまからは都内の中でも比較的近いのです。

湯島天神や上野公園。神田明神に、明治神宮。
その他、考えてみると、東京都内には、由緒ある神社や寺が点在しています。
意外に・・・京都にたくさんの古い歴史的建造物があるように、都内も負けてないのかもしれません。
もちろん、戦争で焼け野原になったので、建造物自体は戦後に作り直されているのかもしれないので、京都には負けますけどねぇ。

いつも囲碁教室で通っている日本棋院のある市ヶ谷辺りを歩いてみても、元大名屋敷だったところに、大きな病院や大学があったりするようで。
江戸の頃の地図と今の地図を一度照らし合わせて、今、○○がある場所が当時、何だったのかとか、見てみたいなぁ。

閑話休題。
根津神社もまたそういうわけで、大変立派な神社でありました。つつじは、昭和46年頃から植えられたそうです。
境内いっぱいに広がるつつじ園、とってもきれいでした。
それがまた、平面ではなくて、神社のある場所がすり鉢状に低くなっており、そこから周りを見ると傾斜につつじが植えられているのです。
つつじ、なんて、小学生だった頃は、校庭にありふれ過ぎるほどありふれた植物でして、当時だったら、それほど感動はなかったと思うのですが、根津神社のつつじは本当に見事でした^^

出足が早かったため、混雑よりも前に見学できたのはよかったんですが、お昼にまだ間があったため、根津から上野方面まで、歩いてみました。
今日は風がさわやかでとても気持ちがよい日。でも、ちょっと日差しが強いから日に焼けたかなぁ。

根津は文京区ですが、上野は台東区。「池之端」というなんだか聞いたことのあるような地名の場所を移動します。
根津は下町で、古い商店がまだまだいっぱい残っている、まさしく「昭和の日」な感じの場所ですが、池之端を歩いていると、新しい高層マンションがちらほらと。高そうだなぁ。

みなさまは上野動物園に裏口があるのをご存知ですか。
根津神社から、上野へ歩いていくと、ちょうど動物園や不忍池の裏手に出るのですが、そこからも動物園に入れるのです。
私らは、動物園には入らず、不忍池べりを散策して上野駅へ。
途中の金網の仕切りからは動物園の中がちょっぴりのぞけて、ペリカンなどが見えました。

根津神社も、そこから動物園や不忍池を抜けて上野駅まで行くルートも、初めて通ったので、思いがけずなかなか楽しい小散歩ができました。
上野駅に着くと11時。早めのランチだとまだお店も混む前でよかったです。
アトレ上野の麻布茶房で「ブロッコリーとえびのサラダ&梅ごはん」をいただきました。おいしかった♪

そこからの帰りも、また自分の家の最寄駅から1駅手前で降りて歩いて帰りました。
午後はさすがに日差しが強いので日傘を買いまして。なかなか健康的な連休初日でありました。

【目標まであとマイナス3.0キロ】

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2008.04.28

またしてもダイエット

最近、友人が20キロの減量に成功しました。
それだけでなく・・・いや、無論、減量の効果なのですが、人間ドックを受けたら、今まで要注意だった各数値が全て改善したそうです。
・・・うわ、すごいな~。ちゃんと健康にやせるのって可能なんだな~。

見るとやはり刺激を受けずにはいられません。

1万歩を歩いたり、(たまに)スポーツクラブへ行ったり、食べ過ぎないようにしたりはいつもしているのですが、昨年「内蔵肥満ドック」を受けて、メタボの危険性を指摘されて以来、半年でマイナス4キロの目標を立てたにも関わらず・・・無論、言い訳ですが、足の付け根が腫れて病院通いをしたり、なんてこともあって、全く減っていません。

6月後半に今度は職場で健康診断があります。ちょうど今から二ヶ月ですが、それに向けて、またまた気合いを入れ直し、ダイエットに取り組むことにしました。

歩いたり、スポーツクラブに行ったりは継続。プラス、やはり食事。

昨年から、野菜中心の生活を心がけていましたが、さらにそこを強化し、夜ご飯はメインを生野菜(基本、パンやごはんは食べない)にすることにしました。

先週、先々週はレタスをベースにワカメやトマトやキュウリ、それと、タンパク質を摂らないと代謝が悪くなるそうなので、その上に豆腐やかにかまぼこやサラダ用の豆や裂けるチーズなどを散らして、ユズポンで食べていました。

それでどうしても物足りない時は、オルビスというところのダイエット食品。牛乳に溶かすとフルーチェみたいになる「プチシェイク」というのがあるんですが、牛乳ベースなだけに、野菜の後に食べると、意外に腹持ちするのに気が付きました。「プチシェイク」だけだとお腹空いちゃうんですけどね。

先々週からそれを始めましたので、今、2週間目。体重はちょっとしか減っていませんが、なんとなく・・・お腹が「パンパン」から「ブヨンブヨン」に。ぎっちり中味が詰まっていたのが、ゆるくなってきた感じがします。

昨日は、レタスとワカメをたくさん食べました。
あまり繊維のものを摂りすぎると、消化が悪く腸に詰まるのかお腹が痛くなることがあり、先週辺りはちょっとすっきりしない感じだったのですが、今日辺りはなぜか腸が絶好調らしく、すでに午前中に、昨日食べた分の繊維質はきっちり排出された様子(排出されすぎた感もあるので腸内菌を補給した方がいいかもしれん)。

2ヶ月後に1キロでも2キロでも減っていてくれるといいのですがね・・・今朝の時点ではまだ400g程度しか減っていませんわ。目標は一応、半年前からの課題である、マイナス4キロにしておきます^^;

 【目標まであと3.6キロ】

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2008.04.25

自分のごはんを自分で作れますか

 今日、昼休みに同僚とランチしていたら、こんな話がありました。

 とある上司は、いつも夕食が、夜11時になるそうで。
 なんでそんなに遅いのか聞いたら、奥さんが共働きで、学校の先生をしていて、帰宅が遅いのだそうです。
 上司の方が奥さんよりも帰るのが早いのですが、奥さんが帰るまで、おなかが空いても食べないで待ってるそうです。

  ・・・へぇ・・・
 この話、どう思いますか。

 別の家庭では。
 夫と奥さんと共働きで、奥さんが仕事でどうしても遅くなるときは、ご主人がご飯を作るそうです。自分の分だけでなく中学生の子供、二人の分も。

 ・・・へぇ・・・
 いや^^; 私は、ね・・・不思議に思うのですよ。

 おなかが空いたのなら、なんで自分で用意しないのだろう。その上司も、後者の家庭の中学生の子供も。
 誰かに作ってもらえるまで空腹で待ってるなんて、あんたら、ペットの犬ですか(暴言失礼)。

 私が変なのかもしれません。

 何回か書いたことがあるので、耳たこの方もいると思いますが、私の母は病弱だったため、家事があまりできませんでした。
 教えてもらいながらですが、ごはんを炊くのと、インスタントのだしですが、わかめのみそ汁作るくらいは、小学生高学年くらいにはできたなぁ。レトルトのカレーを温めたりも。

 自分の食べるものくらい、自分で用意できないで生きていけるんですかねぇ。
 てか、前者の上司の例などを考えると、もし私が妻だったら、亭主が夜の11時まで何も食べないで、私がご飯作るの待ってられるのなんて、すごい嫌です。

・・・という話を友人にしましたら、友人はこういいました。

「BUBIさんが誰かのためにごはんを作るんじゃなく、作ったごはんを食べる人がいるだけだよ」

 意味、分かりますか。
 誰かにためにご飯を作らなくちゃと思うと、大変なプレッシャーですが、私が食べたいものを勝手に作り、いっしょに食べてくれる人がいると思えばいい。

 それを聞いたら、なんだか気持ちが軽くなりました。

 いや、別に誰かにごはんを作る予定があるわけでもないんですがね^^

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2008.04.24

心の病による殺人や傷害事件をどう防止すればよいのだろう

 昨日は、「光市母子殺人事件」の死刑判決のニュース、そして、今日は「岡山駅突き落とし事件」の少年に発達障害というニュースを読みました。

 ううむ・・・個々のケースについての具体的な話はできないのですが、漠然と、事件を起こした少年が心を病んでいたのは事実なんだろうな、という気がします。

 岡山駅突き落とし事件の少年の発達障害が真実だとすると、その障害の発生の原因は、脳の発達の障害という物理的な要因によるもののようなので、そうするとその少年を裁くことに意味があるのか、分からなくなってしまいますね・・・

 でも、それが「病気」のせいだ、と言われても、愛する家族を奪われた無関係の人にとってはこれほどやりきれないことはなく。
 ただ病気のせいで人を殺してしまった本人を裁いても、同じ事件の防止にはならない。
 
 最近は無差別で何の関係もない人を「人を殺してみたい」とかの理由でいきなり殺したり傷害を負わせたりするような事件が目立ちます。

 それが脳の発達障害に起因する「心の病」によるものだとしたら、どうすれば防ぐことができるんでしょう。
 社会はそういう犯罪に対し、どう対応していけばいいんだろう。
 
 被害者の方の気持ちを思うにつけ本当に痛ましく思うとともに、起こってしまったことは取り返しがつかない、と思います。
 そんな事件は起こって欲しくない。
 ならば、発達障害や思春期に少年達が陥りがちな殺人や暴力への衝動に対し、社会はどうそれに対応していけばいいのか・・・。

 暴力や殺人シーンのあるアニメや漫画を規制すればいいわけではなく。
 家庭だけでなんとかできるわけでもなく。
 
 だからって何もしなければ、また同じような事件が起こる。

 SFじゃあるまいし「将来殺人を起こす可能性」を脳を開けて調べて手術して防止なんてできるわけないし^^;;;;;(そんな映画があったなぁ)

 答えが見つからない問題です。みなさんはどう考えますか。

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2008.04.21

「結婚」しないホントの理由

・・・と、いうわけでドラマの「Around40」にちなみ、私も「Around40」について語ってみたいと思います。

 先日の放映では主人公が思い切って結婚紹介所に入会をするくだりをやっていました。

 いや、ここだけの話(ってネットでオープンにして「ここだけ」もないものですが(笑))、私も、今年中、つまり、39歳の内に、結婚紹介所みたいなのに入ってみようかと、思っておりましたのよ。
 
 しかし「Around40」を見ていて、思い出しました。
 自分が人にああいうふうに他人に市場価値を評価されるのがどんなに嫌だったかを。

 「Around30」の頃、何回かお見合いパーティに行ったことがあります^^
 当時はまだテレビで「ねるとん紅鯨団」なんてのがやってた頃です。

 「ねるとん紅鯨団」では、女性に告白する男性はちゃんと映します。そして告白される女性も映す。答えが「ごめんなさい」でもそうでなくても。

 で、ちょっと考えればすぐ分かることなのですが、そのブラウン管(古い表現だなぁ)の向こうには、同じパーティに参加していながら、どの男性にもアプローチされないで、最初しかテレビに映らなかった女性がいるのでした。
 テレビに映らないので、見てる方はそんな女性がいたことも忘れてしまうのですがね^^

 もし、私が男性だったなら。
 そういうパーティに出たら、やっぱりふられたってかまわないから、いちかばちか、その場で一番かわいくて美人な自分の好みの子に告白します♪
 告白する前から、妥協なんて考えない。

 「人は見た目が9割」なんて本もあるんですが、少なくともお見合いパーティの場で判断の基準になるのは、ルックスかもしれません。中味などその時点で分かるわけないし。ぱっと見、かわいい人じゃなきゃうまくいかないのは当然だよなぁ。
 
 ・・・ただ、しかし。

 「お見合いパーティなんてルックスで判断されるのよね。中味で判断して欲しいのよね」
 という自己正当化が、第三者から見ると滑稽であることも、ドラマ「Around40」でやっていました。あはは^^;

 人間が見た目だけじゃないことなんて言うまでもないことで。
 
 「見た目」のせいにして、
 「本当の自分は素晴らしいのにそれを分かってくれないんだよな」
 と自分を正当化したとしても、異性に選ばれない本当の理由は他にちゃんとある。
 
 ドラマ「Around40」を見ているとつくづくそう思います。だって主人公の彼女なんてきれいだし^^
 じゃ、何が本当の「結婚していない理由」かというと。
 
 「女性が結婚しない理由」。
 それは「Around40」にすでに答えがありました。
 
 先週の回で、主人公の彼女は、ルックスもばっちりで非の打ち所のないような男性を友人に紹介されます。素敵な人だったので、彼女としても一瞬、前向きになる。けれど・・・

 相手の男性が「女性の幸せってのは・・・」みたいなことを言う。仕事もいいけれど、女性は結婚しないと本当に幸せにはなれない、なんてね。

 彼女はそれを聞いて、自分の考えとは違う、と思う。
 結婚してなかった自分を彼女は後悔していない。不幸せだったと思ってもいない。だから「女性は結婚が幸せだ」と思っている男性とはお付き合いできない。そう言って、その男性とのお付き合いをお断りしてしまうわけです。

 男性と女性とで考え方は違うし、同じ女性同士、男性同士だって人が違えば、考え方は違います。それは当たり前。

 でも・・・もっと昔は、女性はそんなふうに「自分はこう思う」とか言わなかったんでしょう。言わずに男性に合わせていた。

 女性が「自分の考え」を発言し始めた時に男性と女性の関係というのは、それ以前よりもかなり変わりました。違う意見を持つ人同士がお互いを認め合い、いっしょに暮らしていければ、結婚は成立するんでしょうが、それって言うほど簡単ではない、ということかもしれません。

 男性も女性も、一人の人間として考えを持つ。それはとてもいいことだと私は思います。
 そこで、互いの思いを理解しあったり、歩み寄ったり、できればね。他人同士がいっしょに暮らし、家庭を築くことだって不可能ではないはず、と思うのですが。
 多分、それって、誰にでもできることじゃないんだろうなぁ~~~。

 理想が高いと言われても、自分の考えを押し殺してまで結婚することに何の価値があろうか。

「39歳だからこそ譲れないこともあるのよ」(by 「Around40」)

 私も、そう思います。
 
 だから・・・今までも結婚しなかったし、これからも結婚しない可能性がかなり高いんでしょうなぁ。

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2008.04.18

しゃれにならんぞ、「Aroud40」(笑)

 最近は、各業界で、自分と同世代が中枢を占めるようになっています。
 だから、かな。
 自分の感覚に近いフィクション作品などがテレビに登場することが多いのです。

 で。「Around40」。
 
 ま、このブログの常連さんはすでに大体想像がおつきと思いますが、なんと私と主人公は同じ年でしたー。
 びっくりだなぁ。まさかこの年で、同い年の女性がドラマの主人公となるとはねぇ。

 見ていると身につまされることばかりです^^;

 どうなるのかなぁ。このドラマの主人公は。楽しみにずっと見ていきたいと思います。

 ちなみに私も今度、女友達と温泉に行ってきます♪ 

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2008.04.15

惚れ薬は実在するか~「スキエンティア」~

 本日は今週の「ビックコミックスピリッツ」に出ていた「スキエンティア」という読み切りマンガのお話。

 「惚れ薬」というと普通は、自分に惚れてもらいたい相手に飲ませるのが普通ですが、そのマンガの主人公の青年は、自分で飲むために「惚れ薬」を購入します。

 なぜかというと・・・
 その青年は、女性と付き合っても、1年も立たずに、なんとなくどうでもよくなって続かなくなっちゃうんですね。
 恋する気持ちが冷めて、一人の方がよくなってしまう。

 だから自分で、これと定めた女性の前で惚れ薬を飲むことにします。
 
 効果はてきめん、主人公のである彼はその女性がかわいく見えて、恋する気持ちがヒートアップ。その場で告白して、二人は付き合い始めることになります。
 この惚れ薬は、服用している間は、常に「恋する気持ち」が継続するというもの。薬が切れると気持ちが冷めちゃうので、彼は欠かさず、薬を服用し続けます。
 トントン拍子に同棲までいきますが、その内に彼女の仕事が忙しくなってきて、彼の「恋する気持ち」とすれ違うようになってきます。

 要するに、彼は彼女が好きで好きでしょうがない。いつもいっしょにいたい。仕事なんか二の次。もちろん、それって惚れ薬の効果なのですが、それが、この場合はマイナスに働いてしまうのですな。

 彼女は仕事も一生懸命にやりたいのに、彼が「俺のことをほっといて仕事ばかりしてる」なんて言うものだからカチンときて二人はケンカになってしまいます。

 同棲していた部屋から出て、久しぶりに自分の部屋に戻る彼。
 彼女とケンカしてつらくてたまらなかったのですが、やがて薬が切れる時間がやってきました。

 薬が切れれば、冷静になれる。
 そう悟った彼は、その後は薬を飲むのをやめることにします。

 薬はやめても二人はいっしょの職場だったので、彼は彼女の仕事を、恋人としてではなくただの同僚として助ける日々が続き・・・

 仕事が一段落した後に彼女は、途中から文句も言わず、仕事のサポートに徹してくれた彼に「ありがとう」と言って泣いてしまいます。

 その彼女を見て、その時、彼は惚れ薬を飲んでいないのに、彼女を「かわいい」と思い・・・二人はそれ以降、薬と関係なく、ずっと幸せに暮らしました、というお話でした。

 ・・・ふむ。
 このブログを始めた頃からずっと「恋する気持ち」との付き合いが続いている私。
 惚れ薬を飲んでいる状態の、彼の気持ちがリアルに想像できてしまって、なんだかいっしょに嬉しくなったり、切なくなったりしてしまいました。
 
 恋ってのは一体、何なんでしょうね。
 相手と会って顔を見るだけで嬉しくなったり、何をするでもなくそばにいるだけで幸せになったり。自分のことよりも相手のことばかり考えちゃって、それ以外のことは何も考えられなくなる。

 よく、片思いの相手には「どうして好きなのか」、その理由を聞かれるのですが、うまく答えられた試しがありません。理由ってないんだよなぁ。
 それならば、その人じゃなくてもいいのか、というとそういうわけでもなく。
 
 ただそうは言いつつも、私にはなんとなく、このマンガで描かれているように、「恋」と呼ばれる症状を、薬で引き起こすことって、不可能じゃないようにも思えるのです。

 「吊り橋効果」って言われる有名な話もありますしね。
 男女で、吊り橋のように渡るときにドキドキする場所へいくと、そのドキドキが恋愛の感情に似ているため、それを恋だと錯覚しやすくなる。
 恋が、極端な話、ただの「心拍数の上昇」だったりするならば、薬でそれを引き起こすのは簡単な話。麻薬の症状の説明にでていくる、いわゆる「多幸感」とかも恋の感情に近いのかもしれません。

 もし、そういった身体的作用が先で。
 または、ぶっちゃけ、SEXの快感への動機としての意味しか「恋」というものにないのなら。
 別に誰でもいいはずなんだよなぁ、本来は。
 なのに、その症状がある特定の相手にしか発現しないってのはどういうことなのやら。不思議なことです。
 そのせいで、人はどれだけそれに悩まされてきたことか・・・

 もしもこのマンガに出てくる「惚れ薬」がほんとにあったら、私も自分で飲んでみたいな。
 まあ、今でも、好きな人からちょっとしたメールが来るだけでドキドキしてしまうので、飲まなくたって充分、間に合ってはいるんですけども^^

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2008.04.14

ライラ~♪

先週末に「ライラの冒険 黄金の羅針盤」という映画を見てきました。面白かったですよ~♪

ジブリのアニメに出てくるようなユニークな機械がたくさんでてきて、それを見ているだけでも面白い。「SFか?ファンタジーか?」みたいなこともレビューでは書かれていましたが、そんな、ちょっぴり科学(?)みたいなところが、理科好きの私のツボでありました。

意味不明の言葉がたくさんでてきてあまり説明もなかったり、知らない人が出てきていきなり味方になったりするところなどちょっと引っかかるところもあるのですが、気にしない、気にしない(爆)。

表面的な物語はとても単純です。

ある町で子供が何者かにさらわれる事件が起こっている。
ライラは、仲間とともにさらわれた子供を取り戻しに冒険にでかけます。
さらわれた子供が捕らわれている場所は、ライラの持つ「真理計」=「黄金の羅針盤」が示してくれます。これ、探し物や当て物にとても役立つ代物で。
ライラは敵地に乗り込み、敵と戦って勝ち、敵の基地を破壊して、見事、敵の悪巧みを阻止し、捕らわれていた子供たちは無事に親たちの元にへ帰ることができましたとさ。めでたしめでたし。

悪の親玉が、最初に親切そうにライラに近づいてきた絶世の美女だったりするのもお約束。その美女が、実はライラのお母さんだった(ほんとかな?)、なんてのもお約束。

それと、人の魂(ダイモン)が動物の姿をして、常に人と行動を共にしているという設定が、やっぱりユニークですね。敵の悪巧みというのは、ダイモンと人とを切り離す、ということ。
魂とのつながりを断ち切られると人は生きてはいけない・・・なんて、ちょっと寓話的ですね。

ライラのダイモンは、その時々によってクルクルと形を変えます。あるときは猫、ある時は鳥、あるときはテン・・・
大人になるとダイモンの形は固定してしまうそうで、子供のダイモンだけがそんなふうにいろいろと変わるのですって。見ていて楽しかったなー。

ストーリーの展開が早く、じっくり考えていられないうちにどんどんお話が進んでしまうので、退屈しているヒマはないのですが、登場人物も多いし、お話についていこうとするとこうして表面的なストーリーをさらうだけになってしまいます。見終わった後、後に残るものがあまりなくて、次作(ライラの冒険は、「ロード・オブ・ザ・リング」のような3部作らしいです)まで、この1作目を覚えていられるかどうかがとても心配になりました。
なので、私は、こうしてブログにあらすじを書いている、というわけです。第二作を見るとしたら、この記事を振り返ればどんな話だったかは思い出せるように・・・

「面白い」なんて言いながらぼろくその批評になっている感が若干しないでもありませんが、実際にどうだかは、ぜひ映画館で、ご確認を♪

上に書いたことを覚悟していけば「金、払ってまで見に行くんじゃなかった」と思うほどではありません。実際、ほんと「面白い」ですから♪ ダイモンも、そして、上には書いていませんが「クマ」も一見の価値ありです。

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2008.04.10

必殺仕事人

 さいたまテレビで「必殺仕事人」を再放送しています。
 平日の昼間なので、普通には見られないのですが、たまたま見る機会があったので、のぞいてみたら・・・うわ~、懐かしいなぁ。

 中村主水も飾り職人の秀さんも若い。
 秀さんはともかくとして、今やもう私、当時の主水よりも年上かもしんない(爆)。ムコ殿ですもんね。

 「必殺仕事人」を見ていた頃の私は、多分、小学生くらいでしたが、このシリーズは大好きでした。何が好きだったのかというと・・・うそっぽいハッピーエンドじゃないからですかね。

 人を殺す、というのはそれほどに重いことで。
 仕事人に仕事を依頼するのは時として命がけだったりします。全財産や命まで投げうっても、どうしても恨みを晴らさないでいられない・・・恨みを晴らすために仕事人が動く時は、既に依頼人が亡くなっていることもよくあったような気がします。

 「現代」はどうなのか分かりませんが、当時の江戸なんて階級社会だから、理不尽なことが掃いて捨てるほどあったに違いないと思います。努力したって貧乏人は貧乏人で。格差がはっきりしていて、武士は何をしてもよく、商人は権力者におもねり、武士でも富裕な商人でもない者が、まじめにこつこつ生きようとしても生まれながらの環境は変えようがなく・・・
 そういう意味ではとても重いドラマでした。

 たまたま見た回も、大きな商家の子供がならず者に誘拐されて身代金を奪われた上、殺されてしまうのですが、仕事人に、子供を殺した犯人への恨みを晴らして欲しいと依頼するのは、その商家に勤める女中だったりします。
 女中さんは、その商家の亡くなった奥さんに子供を頼むと言われたのに、その約束が果たせなかったことを悔やみ、自分の身を売ったお金で、仕事人に仕事を依頼するわけですな。

 中村主水たちは、殺す相手もろくに分からないような仕事を最初は渋るんですが、女中の覚悟を知り、引き受けることになる。1時間のドラマですから、犯人は簡単に割れて、仕事人に殺されるのですが、犯人の一味の一人が実は、仕事人の一人である「おとわ」の、子供の頃に生き別れになった、幼なじみでした(もしかしたら姉妹だったかなぁ?その辺は深くは語られませんでした)。

 普通のドラマなら、おとわと幼なじみの間で、何らかの絡みがあるはずですが、「必殺仕事人」の場合は・・・うん、そういうところがこのドラマならではだなぁと思うのですが。

 おとわは、その人が自分の幼なじみであることや、なぜその幼なじみが子供を誘拐して殺してしまうような一味に加わっていたのか、そういうことは全く忖度せず、主水たち、仲間にもそれを話さずに、その幼なじみとの感動の再会も争いも会話も一切ないままに、黙って、自分の手でその幼なじみの命を絶ちました。
 
 なんというか・・・見終わった後になんとも言えないやるせなさが残ります。

 「殺し屋稼業」というものはそういうもの。相手が身内だろうと何だろうと、引き受けた仕事はきっちりやり遂げる。
 どんな理由があろうとも依頼があれば・・・標的には罪を命で贖ってもらう。

 そう言えば、そういうドラマって最近はないなぁ。別に時代劇じゃなくたって「ハングマン」みたいなドラマも、古くはあったのですが、最近はその手のドラマ、ほんとにないですね。あればウケると思うのに。やっぱり人殺しをヒーローみたいに描くドラマだからかなぁ。

 人殺し、と言えば、私は「デスノート」なども好きで、映画も原作もテレビアニメも残らず見ています。

 「仕事人」も「デスノート」も「死」を扱う、確かにタブーすれすれのフィクションなんですが、そういうものと正面から向き合って、人間の背負う「業(ごう)」を描き出すようなドラマを、もっと見てみたいと思います。

 短くて軽くて薄い作品の方が視聴率とるのかなぁ? 
 視聴者側はそうでもないと思うので、多分、これは、制作者側がやっぱり無難な方に流れ、あえてタブーに挑戦するような番組を作るのが面倒だ、ということなのかもしれません。タブーに挑戦して、もしこけたら、責任問題ですし。
 そう考えると「仕事人」をやっていた頃の製作現場ってけっこう偉かったのかも^^

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2008.04.09

「M」

 先日、カラオケに行った時に友人が浜崎あゆみの「M」を歌っていました。

 ・・・今更、私が語るまでもないのですが、浜崎あゆみってすごいな~。
 私も下手くそな恋愛詩をいくつも書いてますが、浜崎あゆみさんの才能に触れると気恥ずかしくなってきます。

 私は「appers」という曲をよくカラオケで歌うのですが、この曲も歌詞で惹かれた一曲でした。

(引用開始)

 恋人たちは とても幸せそうに 手をつないで歩いているからね
 まるですべてのことが うまくいってるかのように見えるよね
 本当のところなんて 誰にも分からない

(引用終わり)

 最初に聞いた時に、「うわっ!」と思いました^^
 ・・・そうなのよねぇ。
 他人は無責任に、幸せそうなカップルは最初からずっとそのままラブラブだと思いがちですが、そんなわけない。この先はいろいろ解釈があるでしょうが、私にとって、この歌は・・・

 『結局、どんなに好きな二人にだって紆余曲折があって、お互いを信じられなくなったりもして、それでもずっと二人でいたいと思ったからこそ、今の幸せがあるんだよ』

 というふうに思えます。勝手な解釈ですけどね。
 よい歌だ・・・

 そして「M」。

(引用開始)

 MARIA 愛すべき人がいて
 時に 深く深い傷を負い
 だけど 愛すべきあの人に
 結局 何もかも癒やされる

 MARIA 誰も皆 泣いている
 だけど 信じていたい
 だから 祈っているよ
 これが最後の恋であるように

(引用終わり) 歌詞全文はこちら

 うわぁぁぁああ~ん! まともに聞いてられませんわ(^^;)
 みなさんは経験したことがありますか。そういう恋。

 この歌は、恋がそういうものだということを一般論的に歌っているんですけど、なぜ、呼びかけが「MARIA」なのかなぁ。もし、自分に子供がいたら、「まりあ」とはつけないようにしよう。そういう苦しい恋は、自分の子供には絶対して欲しくない。
 古来から、困難があるからこそ燃え上がるのが恋だと言われていますけど、それで最後に結ばれるのはフィクションの世界だけのような気がします。人を好きになることがよいことならば、苦しまずにすめばそれに越したことはない。
 でも、それこそ、浜崎さんに言わせれば「苦しまずに済む恋」なんてこの世にはない、ってことなのかも知れませぬ。
 さて、どうでしょうね?

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2008.04.08

「ハクバノ王子サマ」

 とある縁から、ビックコミックスピリッツという週刊マンガ雑誌を数年来、愛読しています。
 掲載されている作品には、面白いのもあり、つまらないのもあり、でもまあ、ゆううつな月曜日をちょっとだけ楽しみにさせてくれるということで、お役立ちの1冊です。

 その掲載作品の中で。ずっと連載されているのですが、
「これ、面白いんだろうか・・・一体どんな人が面白いと思って読んでいるんだろうか・・・」
 とずっと疑問に思っている作品が一つ。それが「ハクバノ王子サマ」という作品です。

 まあその、「ビックコミックスピリッツ」は、基本が「青年漫画誌」なので、女性向けには作られていないのは分かっているのですが、それでも・・・この話、男性が読んで面白いのかなぁ?

(ストーリー)
 とある女子高に、美人なんですけど、恋人がいない「妙齢」の女性の英語の先生、タカコサマがおりまして。先輩の既婚の男性教師と不倫関係にあったりもしたんですが、その人とは結局、別れを決断します。
 そんなところへ、若い男性が副担任として赴任してきました。ちょっといい男。
 でも、その人は、よく聞いたらすでに婚約者が・・・それなのに心が揺れてしまったタカコサマは、自分を反省したり、悩んだりするのですが、まあ副担任なので、仕事上はいろいろといっしょになることも多く。
 
 男性の方は、婚約者がついこの間まで海外に留学していました。
 タカコサマのことは「美人だなぁ」くらいに思っていたし、いっしょに仕事をする中で、ちょっとしたふれあいに、まあ男ですから、どきっとしたりはするわけです。

 下心、というほどのものではないですな。
 でも好意は持っている。

 タカコサマの不倫も何かのきっかけで知ってしまい、不倫にけじめをつけたタカコサマがさみしそうにしているのを見た・・・なんてエピソードもありましたっけ。

 付かず離れずの二人の関係がずっと続いていたんですが、つい最近、ストーリーは大きく動きました。

 男性の婚約者が留学先から日本に戻って来ました。もう結婚準備ということで、式場を探したり、いろいろと始めなくてはいけません。
 そこで男性は・・・『このまま結婚するのやだな』と思ってしまうわけですな。

 その勢いで、なんと彼は、婚約者と結婚式場の下見にいく日にそれをすっぽかし、タカコサマを泊まりがけの旅行に誘いました。

 タカコサマは・・・もうずっと長いこと、彼のことは気になっていたんですが、彼には婚約者がいるんだから・・・と自分をセーブしてたのにその誘いを断れず、彼といっしょに旅行へいくことに。

 そして、今週号で、ついに二人は・・・

(ストーリー終わり)

 いやいやいや。
 「ついに二人は・・・」はいいんですが、どーすんですか、この二人。絶対、男性の方は、婚約を解消してタカコサマと結婚するほどの覚悟はないように見えます。つまり、これ、完全に「単なる浮気」だよなぁ。
 
 タカコサマ、かわいそう・・・。
 いつもいつも、この男性に振り回されてしまう。

 素敵な女性なのに、なんでこんなことになっちゃうんでしょう^^;

 ・・・というかなりリアルなマンガなのですよ。
 二人の関係はなかなか進展しないし、タカコサマはかなりセクシーな大人の女性なので、入浴シーンが盛り沢山、男性にとっての目の保養にはなるでしょうが、なんというか・・・あまりに日常過ぎて、キッタ、ハッタ、ヤッタ、が大好きな男性には面白くないと思うのですけどねぇ。
 
 そして、私はかなりしっかり読んでますが(苦笑)、面白いとは思っていません。
 いつも読み終わるたびに「だからどーした」と心の中で突っ込んでおります^^;

 年下の婚約者のいる男性と、年上の既婚の男性に振り回される妙齢の女性の話。
 仕事もしてるけれど、何か物足りない。
 いい人を見つけて結婚した方がいいとも思うけど、誰でもいいわけではない。

 り・・・リアル過ぎる・・・

 現実の私は、タカコサマよりも年齢も上ですし、あんなに美人でもないですし、不倫の経験も無いので、彼女の立場が自分に重なるわけでもなく、所詮は他人ゴトなのですが、なんというか・・・
 「一人でいること」
 が、やっぱりさみしくて、いろんなことに迷ったり、心を揺らしたりしてしまう彼女のことが、結局のところ、どうしても気になってしまうようです。

 で、いつも最後に思うのです。
 男性はこのマンガを読んで、面白い、と思うんだろうかと。

 ここまで女性が、リアルに描かれていて、悩んだり、傷ついたりしているマンガを男性はいったいどう読んでいるのだろう? やっぱり、裸のシーンがオカズにされているだけなのだろうか。そんなことないと思いたいのですが・・・

 今週の展開もどうにもそういうわけで、身も蓋もない感じ。これからどうなるのか・・・いや別にどうなっても、所詮はマンガ、どうでもいいっちゃいいんですが・・・やっぱり来週も読んでしまうんでしょう^^;

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雨の音がする・・・

 先週末、友人と、住まいの近くにある桜並木へ花見にいったのですが、さいたまではかなりもう桜が散りかけていました。
 もうちょっと北へいけば、まだ満開だったようなので、ちょっとはずしましたわね。でも桜吹雪もそれはそれできれいだったので、なんとか花見まで保ってくれてよかったです。

 今夜は外でかなり強い雨が降っている様子。この雨ですっかり桜も散ってしまうなぁ。

 なんだか今年は、咲き始めから散るまで、なんとなくずっと桜が気になる年でした。
 満開になったときは、本当にきれいで感動しました。

 なんでだろ。知らない間に咲いて、知らない間に散って、「花見」なんて全然できなかったわよ、なんて年もあるのになぁ。
 もしかして○○代最後に見る桜だからかしら(爆)。

 最後といわず、また来年も、満開の桜を楽しみにすることにします。来年はどこに見に行けるかな。

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2008.04.07

「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」

 「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」という映画を、DVDのレンタルで見ました。

 悪趣味と思われるかもしれませんが、私はけっこうホラー映画って好きなんですよね。
 スプラッタが趣味なわけではなく、大学時代にも心理学をかじっていたりして、つまり「サイコホラー」というのが好きなんです。

 世の中に物理的に怖いものはたくさんありますが、私が興味があるのは、怖いものを怖いと感じる、人の心の作用。怖いと思ってしまったら、どんなものでも怖くなりますから・・・

 そういう意味で。
 「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」は大変面白い映画でした。
 そもそも、この映画を作り出したコンセプト自体がとてもユニークなんですよ。

 この映画を作るにあたり、作った人たち・・・監督、でいいのかな。
 彼らは、ありもしない魔女の「伝説」をでっちあげて、ネットに流したそうです。

 そうしたら、噂が噂を呼び、ブレアという村に伝わる魔女の伝説がまことしやかに流れだし、世間に一人歩きし始め・・・その上で、この映画を公開したわけです。

 「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」という映画では、3人の学生が、その伝説を聞いて、ブレアの村に実際訪れて、魔女がいるという森を探検し、その全てをドキュメンタリー映画にしようという計画をたてて、実際にビデオカメラと16ミリを持って、森へいく。そして・・・帰ってこなかった。
 この映画は、失踪したその3人の学生の遺留品である、ビデオカメラと16ミリで構成されている・・・

と、設定されています。

 映画そのものもとてもいい出来でした。とにかく本物っぽいのです。こういうやり方があったのか・・・と感心させられました。

 彼らは魔女がいるといわれる森の中で迷い、どんどん精神的に追い詰められていきます。

 魔女、つまり「ブレア・ウィッチ」は、そのビデオや16ミリには実際には映っていません。
 たとえば「リング」とかで、テレビから出てくる貞子が映像化されているのとはえらい違いです。

 魔女とか悪魔とかは、映像にしないほうがいい。
 見ているこちらが想像する姿の方がずっと恐ろしいのですから・・・

 見せなくても、彼らの恐怖が伝わってくる。彼らが何を見、何を聞いたのか、想像してしまう。
  
 積み上げられた石や奇妙な形に組まれた木の枝や・・・一見、それだけのものでしかない物がとてつもない恐怖を生み出していく。

 結局、魔女はいたのか、いなかったのか。3人はなぜ失踪したのか。どこへいってしまったのか。
 恐怖と謎を残して、映画は終わります。

 私はフジテレビの番組の「放送禁止」というシリーズが好きなのですが、ちょうど同じ感じで。
 (もしかして「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」をヒントにしてあの番組ができたのかな。「放送禁止1」が2003年の公開だから、時系列的には「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の方が先ですね。) 
 とても面白かったです。

 ・・・いや、この映画、「怖い」っていう噂だったので、実は、怖そうだから見るのを今まで控えていました^^;

 なぜ今頃見てみたかというと、今度、「クローバーフィールド/HAKAISHA」という洋画が公開されるそうなのですが、この映画も「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」と同じように、出演者がビデオカメラで撮った映像で作った映画だと、テレビで宣伝していたんです。そういうふうに撮ると、視点が映画の登場人物の一人に固定されることで、画面から読み取れる情報が制限され、見ているこちらの恐怖が増幅されるらしい。

 それを聞いて「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」ってそういう映画なのか・・・と。それを聞かなかったら、ずっと見なかったかも^^;

 ビデオカメラの映像って、揺れるので、映画館で見ると気持ち悪くなるらしいのですが、家でDVDで見る分には問題ない感じです。
 興味のある方はぜひ・・・って言っても、きっとあまり見る人、いないだろうなぁ~

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2008.04.04

ガソリン税と政治の話

政治家って、高い志を持つ頭のいい人がなっていると思っているんですが、どうも、そうではないみたいとテレビを見ていると思えてきます。

 今朝、テレビに出ていた政治家の人。

 「このまま暫定税率をなくしたままでは地方財政に穴が空く。地方財政には死活問題だ。絶対にもういちど税率は上げなければならない」

 という話をしていました。
 それを何度も何度も聞いている内に・・・

『この人、国民を脅しているんだろうか』

 と思えてきました。誠実な訴えではなく脅しに聞こえるのは、結局、その財源が必要だ、必要だ、と言われても、無駄なものに使っているのが、バンバン報道されちゃってるからです。
 いくら「必要なんです、困るんです」って言われてもなぁ・・・

 どこかの県知事は、道路特定財源がなくなると、
「教育や福祉にお金をかけられなくなる」
 と言っていました。

 私はそれも「脅し」に聞こえます。本当に必要なものにお金をかけずになぜ道路を優先するのだろう?

 私は、車に乗らないので、ガソリンが安くなっても別に嬉しいわけでもないけれど。

 なぜ、無駄遣いを反省して税金の使い道を検討し直そうという「姿勢」さえ見せずに、
「いや、このお金は必要だから、税率はまた上げさせて下さいね」
 といけしゃあしゃあと言えるのかしら。
 
 国民をバカにしているとしか思えない。
 脅せば言うことを聞くと思っているとしか思えない。

 本当に必要だというならば、まず無駄遣いをどれだけやめるかを言ってからにしてほしい。無駄遣いをそれだけやめても、まだ必要な道路が作れないというのなら仕方がないけれど・・・暫定税率が定められた昔と今では状況が違うから、はたして何にいくら必要なのか、ちゃんともう一回、委員会でも作って、しっかりと議論してから、また税率を設定して欲しい。
 個人的には、一般財源も含め、無駄遣いを省けば、必要な道路くらい作れるんじゃないかと・・・

 ・・・と、素人でも思うのですよ。

 なのに、なぜ政治家が偉そうに出てきて、「本当は怖い家庭の医学」でもあるまいし、
「このままガソリン税をなくしたままじゃ・・・大変なことになりますよ・・・(ニヤリ)」
 みたいなことを言ってるのかと。

 道路、道路というけれど、政治家が、道路を作るわけじゃない。
 じゃ、あの人達は何をしているのかというと、正しい考えに基づき、国民にとって本当にためになることのために、社会を動かしているんじゃないんですか。
 だったら、本当に道路が必要だっていうんなら、それが国民のためになると真実そう思っているのなら、テレビを見ている一国民くらい説得できなくてどうするのよ!と私は思います。

 ・・・これはもう、選挙しかないな・・・
 衆院が決めたことがそこまで正しくて譲るつもりがないというのなら、一旦解散して、国民に信を問えばいい。
 
 私は福田首相は嫌いじゃないんですが、あの党自体がもうだめかも^^; 小泉改革のときに、身を小さくして嵐が過ぎ去るのを待っていた人たちが、大いばりで出てきちゃって、首相のこともなめて言うことを聞きやしない。
 
 政治家ならば、脅しじゃなくて、ちゃんと国民の前で話をができないのかと。
 せっかくみんなが見ているテレビに登場してるのに、あの程度の話しかできず、誠意の欠片も感じられない政治家は、党のイメージダウンだからなんとかした方がいいのに、そんな人が重要なポストについていて、誰もその人に意見できないこと自体がもう・・・

 私は多分、人よりも政治に対して期待している方なので、なおさら、そういう政治家の姿を見ると気になっちゃうのですが、どうでもいい人はもうどうでもよくなっちゃってるんだろうな。
 どうせ政治家なんてそんなもんだって。でもなぁ~~

 ガソリン税のゴタゴタはこの4月が山場です。

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2008.04.01

Mさんの退職

 職場のとある部長が退職することになり、今日が最後の出勤でした。私はこの部長(仮にMさんとしましょう)とは不思議な縁がありました。
 2度、同じ部署になったことがあるのですが、どちらも、私にとってはその人が上になったことで難局から救われるという・・・いわば私にとっては、救世主のような人だったんですよね。これも何かの巡り合わせでしょうか。

 1度目は、私の所属していた課の課長が、もっと上の方から来る無理難題を断れないでみんな受けてきちゃうような人で。受けるのはいいのですが、今一つリーダーシップには欠ける、管理職に向かないタイプの人だったのです^^; 当時、その課では、課長が引き受けてくる発注を課でなんとかこなさねばならず、不平不満が渦巻いておりました。

 その課長も悪い人ではなかったのですが、管理職って「いい人」なだけじゃだめなんですよね。
 自分の課を効率的に動かすために、支配力を発揮できなくてはいけない。
 そのためには、外から降ってくる無理難題をそのまま下に丸投げして「よろしく」では・・・

 そんな嫌な雰囲気が流れていた課に、くだんのMさんが、当時は課長として、人事異動でやってきました。
 課の窮状を訴えると、M課長はがんばってくれました。上にも言うべきは言い、我々の課だけでこなせないと分かれば他から人をひっぱってくることもやってくれました。とても助かったなー。
「いつもBUBIさん(仮名)はよくやってくれる」
 と言ってもらい、おだてると調子に乗る私は、がんばりましたよ♪(単純)

 2度目は、今の課での話。
 以前にブログに書いたことがありますが、私の係は同じ係の女性が次々と産休に入り、欠員の補充が必要な状態でした。
 それ以外にも、病気で長期休暇に入ってしまう人などが続出し、どこの係も人手不足。嫌になって仕事を放り出した者は異動できて、がんばっている人に仕事がますます偏り、課のモチベーションがものすごく下がりました。
 
 そんなところにまたしても異動してきたのがそのMさん。その時もまだ課長でした。M課長の尽力か、私の係にも人がつきましたし・・・考えてみれば、リーダーシップなんて言っても、それほど難しいことではないのかもしれません。
 
 自分の係がどんなに大変かを訴えると、前の課長は、
「そうだね、大変だね。でも他もそれは同じだから。がんばって」
 と取り合ってもらえませんでした。M課長は、言う前から
「大変なんだってね。何とかするから」
 と。

 人事異動は、それこそ巡り合わせもあるので、人がつく、つかないはタイミングもあったのかも。でも、分かってもらえるだけでも、単純な私はとても嬉しくて。
 M課長がきてからは、病気になる人も減ったし、実際に人も増えました。

 そういう人だったせいか、トントン拍子に課長から次長へ、次長から部長へと昇進し、あっという間にもう退職。もうちょっと同じ職場で働きたかったな~。
 
 私はどちらかというと、一見いい人だけど管理職には不向きでダメな方の人間です。人を生かしたり、元気がない人を元気づけたり、そういうのが出来るようになれたらな。仕事だけではなく、いろんな場でそういうことができるようになれば、もっと・・・

 M部長、ありがとうございました。M部長みたいには私はなれないけれど、きっとM部長のことはずっと忘れないだろうな。
 その人がいるだけで、場の雰囲気がよくなったり、物事がうまくまわるようになったりすることって、ほんとにある。いや、無論「いるだけ」じゃないのでしょう。これからもいろいろな人と出会い、関わっていくことで、そんなふうにできることのコツをこれからも学んでいけたら、なんて思います。

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