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June 2008

2008.06.28

イマドキのコドモ その2

 前の記事の続きです。

 出張帰りの電車の中で読んだ週刊文春の記事でもう一つ気になったのは
「全国15万人・不登校の真実・学校放棄する親たち」
 という記事でありました。
 前の記事では、どんな家庭に子供が育っても、それを人間としての当たり前に引き上げてやるのが学校の役割なのではないか、というふうに私は書きましたが、子供が学校に来なくなってしまったら、学校もその役割を果たせません。
 しかし、現実には不登校は増えている。それがこの記事。

 うーむ・・・これもまた、私にとっては身につまされる記事です。

 私は、不登校になったことはありませんが、学校って嫌いだったのですよね^^;
 私は一人っ子ですが、あまり甘やかされた実感はなく、どちかというと親の放任の元に育った人間で。そのせいで、一人で本を読むのが好きな、人とコミュニケーションをとることがちょっと苦手な子供でした。 

 そんな私にとって、学校って、集団生活ですから、とにかく、苦痛でした。
 他の子供が当たり前にできることが自分にできないこともたくさんあったし。
 それこそ、偏食で、給食に出ても食べられないものも多く、泣きながらトマトとか食べたなぁ。(今はトマト好きです^^)

 でもそれを今振り返ると、苦手でもやらなきゃいけないことはあって。それが教育というものなのかもなぁと思ったりします。

 大事なのは、「他の子供が当たり前に出来るのに、その子にできないこと」があるのをバカにするような教室にしないこと。「それ」ができなくても、この子は「これ」は他よりも優れている。そうやって、個々人を尊重し、かつ、できて当たり前のレベルまでは、全員を、なんとか引き上げてあげること。

 いやぁ、思い出します。私が小学校6年のときに、通っていた小学校は、なわとびで、前とび1000回、後ろとび800回を、全員ができることを目標に掲げておりました。

 目標自体は、そのことに何の意味のない、アホみたいな目標だと、今の私も思うのですが、当時も今も、運動というものが超ののつくほど苦手な私は、当然クラスでオチこぼれ、もともとあった劣等意識をますます深くしながら、またしても泣きながらなわとびをする羽目になりました。。
 でもね・・・最後はちゃんと前とび1000回、後ろとび800回できたんですよ。すごいことだ。よくできたなぁ。

 学校はできれば楽しいほうがいいですが、楽しくないのが当たり前だと私は思います。
 だって、家にいたときのように自由に振舞えないですもの。

 記事によると、今の子供は、まず、新1年になって、学校に行かせることが大変のようです。私の友人も子供が新1年になったのはいいけれど、学校に行きたがらなくて、通学路の途中までおくっていっていると話していて、そのときもそれ聞いてびっくりしたんですが・・・
 「毎朝、今生の別れかのように校門で涙の離別劇が繰り広げられる」と記事にはありまして。そうなっているんだなぁ、今って。

 それにしても、この記事には本当に考えさせられました。一部を引用しましょう。

(引用開始)

 赤沼侃史氏(子どもの心研究所主宰・心理内科医師)は断言する。
「生まれた時から豊富な物資に囲まれて育った子供にとって、あって当然のモノが何か一つでも欠けることで受けるストレスは、なくて当然、で育った大人世代には想像が及ばないほどすさまじいもの。現代人がわずかな時間の停電や断水にも膨大なストレスを受けるのと同じ道理です。」

 「給食にお菓子とジュースが付いて来ない」と登校苦痛を訴える6歳児に対して、「とんでもない!」と驚愕する前に、「あるのが当たり前」で育ってきた生い立ちを顧みる必要がある。

(引用終わり)

 私は実際に自分が学校が嫌いだったので、不登校になる子供が何が嫌で、行きたくないのかは実はとてもよく分かるのですよ^^; 行きたくなければ無理にいかなくてもいいのだったら、私の子供時代はもっと幸せだったかも。「行きたくないなら行かなくてもいいんだよ」、そう言えるものなら言ってあげたい。

 でも、行きたくなくても、行くことでそこで学ばなくてはいけないことが学校にはあって。今は、「ストレス」という都合のいい言葉があって、子供にとってストレスになるなら、学校なんかいかなくても・・・とか、学校がもっと改善すれば・・・と学校のせいにしたくなりますが、そもそも、人間関係や集団と関わることは私たちにとっては「ストレス」なんじゃないかしら。
 そして、そのストレスを乗り越えたところに、別の世界が待っているはず。嫌なものを避けて通るんじゃなくて、子供にはそれを乗り越えて、その世界を知ってほしい。自分のことを棚にあげて、私は心からそう思います。

 この記事のこの部分も私は自分のこととして読んでしまいました。

(引用開始)

  昨今の家庭では、他人との諍いを誠意と時間をかけて乗り越え、より深い理解と関係性を築くより、最初から衝突を避ける傾向にある。「トラブルは事前に回避」の刷り込みの下、幼児期から子供同士で本気のケンカもした経験がない中で、他人との距離感や心情の駆け引きを、皆が皆、容易に図れるものではない。
 
(引用終わり)

 うわぁ・・・「他人との諍いを誠意と時間をかけて乗り越え、より深い理解と関係性を築く」・・・んなこと私、今までの人生でやったことあったろうか?
 最初から衝突を避けてきたんじゃなかったろうか。
 だから、未だに、一人なんじゃないだろうか。

 学校、という教育システムが、人間にとってベストなのかどうか。実は、若干そこに疑問がないではないのですが、各家庭が多様化してしまった現代にあっては、小さなうちから公的な手を離れ、下層に落ちてしまう子供ができてしまうことだけはなんとしても避けなければ・・・と思います。

 そのためにはやっぱり学校は必要で。多種多様化する子供と家庭と親と・・・学校教育に携る先生方の苦労は想像を絶しますが、頑張ってほしいなぁ。

 そして多くの、学校に行きたくない子供たちにも・・・私にいろいろあったように、彼、彼女たちにもいろいろなことがあるのでしょうが、なんとかここまで来てほしい。

 できれば「他人とより深い理解と関係性を築く」経験を積んで、ここまで来てくれれば、大人になっても私のように一人ぼっちにはならずに済みますから・・・

 がんばれ、イマドキのコドモたち。

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イマドキのコドモ その1

 先日、出張の移動時間に「週刊文春」を読んでいましたら、今時の子どもについて考えさせられる記事がたまたま二つ、ありました。
 一つは、前、テレビでもやっていましたが、子供のいる家庭が、家で三食、何を食べているか、写真に撮って並べた記事。

 朝が菓子パン、昼は冷凍食品のお弁当、夜はファミレスで外食。

 それが普通の家庭が多いわけです。
 以前NHKの番組でも、このことを取り上げていましたが、要は、子供が好きなものばかり&手抜き料理がいけないと言う感じ。

 ・・・しかしなぁ。確かに写真でこう見せられると「今どきの子供ってこうなのか」と思うのですが、私自身は実は今も昔もそれほど自慢できる食生活をしてきたわけではありません(だからメタボなのかも^^;)。

 極端な話、個人的には、何を食べようとも健康で生きていければいいと思う。

 私なども小さい頃は適当な食生活をしていましたが、最近はダイエットを意識しているせいで、海草やきのこをたっぷりとったりもしていますから、「何を食べたらいいのか」と「好きなものばかり食べてちゃいかん」ということをきちんと教えることが大切なのではないかと思ったりします。そのために学校があって、給食があるんですわね。

 とか言うと、そんなの家庭のしつけだろ、と言う論調もあるわけですが・・・

 ふざけんな、と私は思います。
 だって、子供を育てられないで赤ちゃんポストに捨てたり、自分の子供を殺したりしちゃう親もいる、この今の世の中で。
 昔とちがって「家庭」は多様化しています。家庭ごとに格差も広がってるし。
 画一的に子供を、教科書みたいに理想的に育める家庭なんて、きっと一握りしかない。
 家庭に子供を任せたら、「自分の子供さえよければ」っていう教育しかできないのです。

 だから、学校がある。
 なぜなら、生まれた時から格差があって、親にたいしたものを食べさせてもらえなくて、菓子パンとジュースで育ってきた子供だって、ちゃんと小学校に行けば、みんなと同じに野菜だって食べるようになるんです。いや、食べるように教育するのが学校だと私は思う。何を隠そう、私がそうだったから、そう思うのです。

 家庭で何を食べようが、もうそれは仕方ないと思う。でも子供に罪はない。

 何も知らずにたまたまその家庭に生まれてきて、格差のせいで、栄養が偏ってしまう子供がいるならば、それを人間としての当たり前に引き上げてやるのが学校なんじゃないかなぁ。

 というのを強く感じたのも、もう一つの記事を読んだからです。長くなったので、次の記事へ。 

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2008.06.23

そして何も変わらない。変わるのは・・・自分~ブレイブ・ストーリー~

宮部みゆきの「ブレイブ・ストーリー」前・中・後編を読み終わりました。

いろいろ思うことはあるのですが、私は、この小説を読んで、とっても大切なものを得たような気がします。
それは、自分がいつか死ぬ時には、こんなふうに逝ければよいな、という一つのモデルを得られたこと。

少し長いですがご紹介しましょう。

「ブレイブ・ストーリー」の主人公、ワタルは、その旅の中である大切な人の死に立会います。詳しく書くと、ネタバレになるので、誰かは秘密にしておきましょう。その死に際して、こう祈ります。

それは・・・「贖罪の祈り」と呼ばれるお祈りです。

(引用開始)

・・・我ら、女神の申し子。地上の塵芥を離れ、今まさに御許に昇らんとす。我らの祖(おや)にして源なる浄(きよ)き光よ。旅立つこの者を導きたまえ。小さき子よ。地上の子よ。神の御意志に背いたことを悔いているか。

・・・(はい)

・・・時に争い、時に諍い、虚偽に躍り、愚蒙に走り、ヒトの子の罪を重ねたことを悔いているか。

・・・(はい)

・・・時に偽り、己の欲に従い、神の与え賜いしヒトの子の栄光に顔を背けたことを悔いているか。

・・・(はい)

・・・ここに深く悔い改め、地上のあなたの罪は赦された。安らぎなさい、ヒトの子よ。召されていくあなたを永遠の光と平穏が包むだろう。

ヴェスナ・エスタ・ホリシア

ヒトの子の生に限りはあれど、命は永遠なり。

(引用終わり)

死にゆく人を目の前に「あなたの罪を悔いているか」という問いはある意味、とても厳しいものに感じられます。
でも、もし自分だったとしたら。最後の最後に、今まで目を背けてきた自分の罪をちゃんと受け止める機会を与えられたことが、嬉しいかもしれない。
そしてその罪を認めた時に、ちゃんと赦してもらえる・・・「召されていくあなたを永遠の光と平穏が包むだろう」・・・なんだかとてもほっとしてしまいました。

 「ヴェスナ・エスタ・ホリシア」

 この言葉は「再び会いまみえる時まで」という意味だそうです。

 「ヒトの子の生に限りはあれど命は永遠なり。」

 そうね。いつかまた会えるなら死ぬのも怖くはないわね。

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2008.06.22

面白かった!「ナルニア国物語/第二章・カスピアン王子の角笛」

「ナルニア国物語」は第一章の「ライオンと魔女」を最初に見たときも、面白くてびっくりしました。見る前は実は、
「たいしたことないんじゃないか」
と思っていたのですよ。
でも見てみたら予想以上にどきどきしてとても面白くて。(当時の感想はこちら

ところが、先日テレビでやっていたのを見てみたら、なぜかテレビで見直した時は、映画館で見たときの感動が全くなかったんですよねー
なぜだろう?

そんな疑問を抱えつつ、なので、第二章もあまり期待を持たずに今日は映画館に向かいました。そしたら・・・

うわーーーーー♪ めっちゃ面白いやん、この映画。

・・・なんでですかね^^; その理由を考えてちょっと「こういうことなんじゃないか」と推測できることが一つ。

私は「ナルニア国物語」がまったくどういう話なのか、事前情報を知らないままに映画館に行きました。だからこのお話がどうなるか、先の展開を知らないです。

だから・・・度重なるピンチに何度も「もうだめなんじゃないか」と手に汗を握りました。敵に追われて矢を射掛けられるシーンでも、剣をとって戦うシーンでも。何度
『アスラン、お願いだから彼らを守って・・・』
と願ったことか。

先日「ライラの冒険~黄金の羅針盤~」という映画も見たのですが、その映画にはこれほど、ドキドキしたり、ハラハラしたり、登場人物が心配で祈ったりなんかはしなかったんですよね・・・

いっしょに見にいった友人と帰りに話していたのですが、ライラは物語の中の運命の子ですけど、ナルニアに出てくる4人の主人公達は、私たちのいるこの世界ではごく普通の男の子、女の子。その普通の子がナルニアでの戦いに巻き込まれていきます。
難しいことは分かりませんが、おそらく「ナルニア」は、その導入がとてもうまく作られているために、見ている私も思わず物語の世界に引きずり込まれて、彼らに感情移入したまま、いっしょに困難に立ち向かい、敵と戦っている気分になってしまうのかもしれません。

テレビで二度目に見たときにさほど感動がなかったのは、もう先を知っているから。どうなるか展開が分かっていればそれをなぞるだけですし、先を知っている自分がいる以上、彼らといっしょに冒険しているわけじゃないからなぁ。
テレビで見てつまらない、ということは、つまり、この映画を面白いと感じるポイントが、まさにそこにある、からなのでしょう。

自分が書く小説もそうなのですが、私は、普通の人の話が好きです。
普通の人間が最強だと思っております。

「ナルニア国物語/第二章・カスピアン王子の角笛」では、4人の子供たちが、現世からナルニア国へ、今回はカスピアン王子の呼びかけに応える形でいきなり引き戻されます。洋服ダンスからじゃなくてね・・・ま、どこから行くかは、見てのお楽しみ。

ナルニア国での日々を思い返しながら、それでも現実の世界で日々の日常を暮らし始めていた主人公達、4人の兄弟姉妹は、ナルニアに戻れたことを喜ぶのですが、今回のストーリーは彼らにとって前回と比較にならないほど、過酷極まりないものでした。

だって、基本、4人とも普通の子供だもの。

第二章は第一章の設定を受け継いでいるため、4人は、氷の女王を倒しナルニアに平和をもたらした伝説の王と女王、ということになっているのですが、別に奇跡を起す魔法の力が備わっているわけでもなく。でも、当然ながら、いやがうえにも人望は高まるわけですよ。それに応えようとして一の王、ピーター王も頑張るのですがね・・・。
第二章のストーリーでは、その相克をうまく描きだしています。

自分の力の無さへの絶望やそして憎しみの強さ故に、カスピアン王子もピーター王も、過去に封印したはずの氷の女王の手さえ借りたくなってしまう一瞬などもありまして。

そういう彼らの悩みや、悩みながらも立ち向かわなくてはならない現実や、そういうものが一つ一つ胸に迫ってくるるようでした。

映画が終わり、最後、エンドクレジットを見ながら、さっきまで見ていた夢を思い返そうとするような感じで、いろんなことを思いました。
4人の今回の旅を。二度と会えないナルニアの人々のことを。
ナルニア国が、かつて現実の世界の4人の子供たちによって救われ、再び危機に陥った時に角笛で呼び戻される・・・その世界の設定事態もなんだか不思議だなぁと思います。なぜそういうことになってるんだろう。ナルニアとは一体なんなんだろう?

いや、実は、ちょうど今、宮部みゆきの「ブレイブ・ストーリー」を後編まで読み終わったせいもありまして・・・そちらの感想もいずれ。

ともあれ「ナルニア国物語」の映画は第二章も素晴らしい出来だったと思います。
面白かったなー。いやぁ、映画ってほんとにいいもんですね♪

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2008.06.20

モノと思い出

 母方の祖母が亡くなった時、香典返しが、いろいろな品から希望のものが選べるアレでした。

 いろいろ迷ったんですが、私はシルバーのファッションリングにしました。アクセサリーって、そんなにこだわりはないのですがつけるのは好きなので。

 それにしてよかったなぁと思います。だって、アクセサリーってずっと身近にあるものだし、指輪なら消耗しないですしね。

 身の周りのモノで、祖母からもらったものが他にもいくつかあります。

 老人会で伊勢にいったときに買ってきてくれた真珠のペンダントがその一つ。なかなか素敵なデザインで真珠の粒も大きくて、気に入って重宝しております。
 あと亡くなった後にもらった、スカーフやストール。けっこう使わせてもらってるなぁ。

 自分なりのこだわりというのがあまり強くないせいか、食器等もいただきものや何かの景品でもらったものが多くて統一感のかけらもないのですが、それがいいかどうかは別にして・・・

 以前に友達が、こんなことを言っておりました。

 「好きな食べもの」というものがあるとして。実はそれが「好き」なのは、それそのものの味が好みというものも当然あるんでしょうが、それにまつわるいい思い出があるから、好きなのかもしれないって。

 私はそれを聞いて
「確かにそうだな」
 と思いました。
 子供の頃、母が作ってくれたもの、父と食べたもの。
 はたまた、大人になってから、大好きになった人といっしょに食べたことのある何か。
 思い出があるからそれが好き、っていうのってほんとにあるなぁと思います。
 
 祖母からもらったシルバーのリングや真珠のペンダントを着けて、なんとなくほっとした気分になるのは、そこにそれをくれた祖母の思い出があるからだろうな。

 モノはモノでしか本来はないのかもしれませんが、やっぱりそれだけではつまらない。
 くれた人とのいろいろな思い出があるからこそ、モノがモノだけではない価値がそこにあって・・・それを価値だと思えれば、目に見える世界よりもずっと豊かな生活ができるのかもな・・・と思ったお話でした。

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2008.06.19

大台切るまであと2キロ

年齢も大台がせまっていますが、ダイエットの方も大台を切ろうとがんばっております。

月曜日は、毎月体重をチェックされるクリニックへ行く日だったのですが、5年くらい通っている中で過去最低を記録しました。
まあ、その前の土曜日にちょっとお腹を出して寝ていて、げりをしたせいもあるので、あまりいばれた成果でもないのですがね~

昨日、水曜日は年に1度の健康診断の日。今年はメタボ導入元年ですが、私は多分メタボなんだよなぁ。昨年、内臓肥満ドックというので腹部のCTスキャンをとってもらい、そのときにメタボと宣告を受けまして、以来、半年、ダイエットに励んではいるのですが、目標であるマイナス4キロは半年ではちょっと無理でした。

でもマイナス2キロは定着したので、あと一息だなー。かなりでっぱっていて見た目にもよくなかったお腹もへこんではいないですが、縮小してきました。きつかったスカートもジャストサイズになってきたし。

ダイエットをして体重が減るといつも思うのですが、やせるといいことばかりがあります。

見た目もすっきりしてきて自分でも嬉しくなり、新しい恋の一つでもしてみようか、なんて・・・
というほど、まだ他人に分かるほどはやせてないんですがね。

とりあえず今日の夕飯も野菜をたくさん買って帰るかなー。

健康診断は終わったのですが、まだ「戦い済んで日が暮れて」とはいきません。だってメタボだと何かペナルティがあるのでしょ?

改善しなくちゃなぁ~

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2008.06.17

寝ないではがんばれません^^;

・・・いえ、私のことではなく。朝倉首相のことであります。

月9のドラマ、「CHANGE」
みなさん、見てないのかなぁ。視聴率はあまりよくないそうですが、私はこのドラマ、大好きですよ。毎回見るたびに、キムタクが演じる朝倉総理の活躍に、わくわくしています。

この月曜日の話もよかったな。
朝倉総理につられて、周りの人たちもだんだん影響を受けて変わって行く様子が、とても見ていて嬉しくて。
なんとなく、最後は辞職して小学校の先生に戻ってしまうような気はするんですが、こういう総理にずっと在職して欲しいなぁと本気で思います。

私も普段仕事をしていて思うのは、なんというか、仕事に情熱がない人が多いのですよね。

新しいことをやろうとすることに否定的で。
何かを変えようとしても「どうせだめだ」みたいな雰囲気が蔓延してる気がします。

政治家も、みんなそうなんだろうな。一人の力では何も変えられないし。だから、長いものに巻かれたり、偉い人に逆らわず、前と同じようにやっていればいいわけで。
で、変えようとする人がいるとバカにして「できるわけがない」とか言ってればいい。

もちろん、世の中には変えてはいけないものもあります。でも、変えなきゃいけないこともある。時代は変わって行くのにやっていることだけ同じだったら、弊害ばかりが生まれるのに・・・

「CHANGE」か・・・それが朝倉総理のドラマのタイトルです。よく言ったものだなぁ。

現実の政治も朝倉総理のような人が出てこないものかしら。本気でそう思うのですよ、私は。テレビの見すぎと言われても。これからもずっと朝倉総理を応援したいと思います。

でも。一言だけ苦言を。
人は寝ないではがんばれません。朝倉総理は確かに人一倍がんばっていますが、それを「寝ないで頑張ってる」というのはよくない。

寝るときは寝て、仕事するときは目いっぱい仕事する。そうじゃないと過労死しますよ~総理!!

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2008.06.10

伊豆のバラ園~河津・バガテル公園~

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 5月31日と6月1日の一泊二日で伊豆に行ってきた話は書きましたが、6月1日に行った河津のバガテル公園の写真をアップします。
 今はバラが満開なのです。
 バガテルというのはフランス語で、小さくて愛らしいもの、という意味だそうで。パリにもバガテル公園があり、伊豆の河津のバガテル公園はそこの姉妹園としてフランス風を模した公園なのですって。

 伊豆の山をバスでしばらく登っていくと、山の中腹が突然開けて、バラの花園が。・・・なんだか、お客さんの年齢層が高いように感じましたが、気にしない、気にしない(笑)。

 今井浜港を臨むバラの庭園は、なかなか見ごたえがありました。バラの最盛期にいくのがやはりベストかと^^
 写真の黄色いバラは多分・・・「伊豆の踊り子」。綺麗にとれてるでしょう^^

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 こちらの写真はランチをしたレストランの玄関先。つるバラが巻きついたレストランの建物が綺麗だったな。食事もおいしかった^^ デザート&飲み物付きのランチビュッフェで、ローズプリンにローズシュークリームなどを堪能いたしました。
 パリの庭園のテーマパーク。山の中腹にあるので、河津の町ともまったく別世界です。一緒にいった友人も、
「伊豆にきたんじゃないみたい・・・またこういう旅行がしたいね」
 と言っていました。
 みなさまも伊豆に行かれた際はぜひお立ち寄りを♪

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2008.06.08

あの日のウィーンは暑かった

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先日の伊豆の旅行でカメラに入っていたフィルムを使い切ったので、現像に出してきましたら、上がってきた写真に、昨年行った、ドイツ&オーストリア旅行の最終日に撮った写真が入っていました。

 うわ、懐かしいなぁ。見てください、この空の青いこと。この日のウィーンは快晴でありました。この写真は、ウィーンの中央に立つ、シュテファン寺院のてっぺんから撮っております。
 
 ドイツとオーストラリアの旅行記は、左側のカテゴリーの「旅行・地域」をクリックしてちょっとさかのぼればすぐに出てきますので、興味のある方はどうぞ。たとえばこちら

 私はこの時にウィーンを訪ねるのは二回目だったのですが、一回目の時は雨で、あまり街中を見て周れなかったのです。なので、このときは地図を片手に、地下鉄やトラムに乗りまくり、かなり街中を移動しました。天気もよかったんですがかなり汗だくに^^

 シュテファン寺院も、前回は、階段を歩いて上まで行ったのに、工事中で外の景色が見られなかったりして^^;
 この時はリベンジで、ちゃんとエレベータであがり、景色も堪能しました(前回はエレベータの位置が分からなかったのさ)
 オペラ座の中を見せてくれるというガイドツアーにもしっかり参加。前回は外から眺めただけだったので嬉しかったな。

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 写真はもう一枚、こちら。モーツァルト像です。ウィーンの中心の王宮の庭にありまして、これも前回はあまりちゃんと見られませんでした。この日は、フリーだったので、自分の好きなところに自由にいけたので、たっぷり見られましたし、いかにも観光客~なこういう写真もいっぱい撮ってまいりました(笑)。

 ただ・・・私はこの日に、買ったばかりの自分の携帯電話機をウィーンで紛失。旅行の最終日だったので、不幸中の幸いではありましたが^^; 日本に帰って即、使用中止にしたので、機器本体の損失だけで済みました。
 地下鉄とか治安の悪そうなところをむき出しで歩いていたからなぁ~。自分がいけないのです。今でもあの日、成田でとりあえず買った、古い型の携帯電話を使っていますよ。トホホ。

 という、ちょっぴり思い出したくない思い出もあったウィーンなのですが、それ以外は、見たいところをいっぱい見られて楽しかった旅行でありました。

 伊豆の写真もきれいに撮れていましたので、その写真のアップもいずれ^^
 
 

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2008.06.03

♪君の姿は僕に似ている

 私が囲碁を打つ理由。それは・・・

 最初はもちろん「ヒカルの碁」をテレビで見たのがきっかけでした。
 アニメはちょうど、ヒカルがプロになって、最初に「幽玄の間」で打つシーンでしたね(もう終わりの方だわ)。それまで全然読んだことも見たこともなかったんですが、ちょうどマンガのストーリーもクライマックス。
 ひきつけられて、つい、見入ってしまいました。

 「囲碁」まったくルールが分からないこのゲーム。

 どういうゲームなのか、どうやったら勝って、どうやったら負けるのか、ちょっと知りたくなりまして。
 ちょうどプレイステーションに「ヒカルの碁」を元にした囲碁のゲームソフトがあって、それを友達に紹介され、やってみることにしました。
 とてもカンタンに作られたソフトだったので、すぐにゲームでは勝てるようになりました。でも調子にのって、職場の囲碁サークルで対人戦をしてみたら全然勝てなひ^^;

 その後パソコンを買って、常時接続にしたのは、ネット碁をやるためでした。ネットでは囲碁のブログを検索し、出会った師匠や友人たち。そして、今はもっぱら碁のmixi、「goxi」で出会った仲間とネット碁をしています。あと、日本棋院の囲碁教室に行って。

 囲碁を始めて5年は経過しており、今年は6年目。あんまり強くないのですが、まだ続けています。

 土日に行った伊豆のアンダリゾートで、ヒカルの碁を久々に読んで、考えました。
 なぜ私は碁を打つんだろう・・・

 友人が、ガンダムSEEDDESTINYのエンディングテーマ曲「君は僕に似ている」にヒカ碁の映像をかぶせたニコニコ動画の作品を紹介してくれたので、それを見ていたら、なんだか胸が痛くなってきてしまいました。

 手の届かないものを追い求め、必死に追いつこうとする気持ち。
 「強くなりたい」と望み、それゆえに努力を重ね、追いかける情熱。
 
 ドラマでもマンガでもないので、現実に碁を打つことはヒカルの碁とすっかり同じじゃないのですが、そこにある、願いや祈りみたいなものが・・・同じなんですよね。

 私にとって碁を打つのは「楽しい」ことではありません。
 どちらかというと、負けると悔しいし、なかなか強くならないし、上手の方と打ってると歯を食いしばって耐えなきゃいけないことばかりで、苦しいことが多いです。

 始めたばかりの頃はすぐに強くなれると思っていたけど、大人になってから囲碁を始めた人の多くは初段まで届かないことも多い、という現実の壁にぶちあたったときは、本気でがっかりして、悲しくなりました。自分が目指していたものが、カンタンには手に入らないことに気付いたし。

 そして今。未だに初段には遠いですが、今でも碁を続けています。
 それは、手に入らないものを必死で追い求め、それが届くことがないと分かっても、少しずつでも成長している自分の姿を・・・もう少し見ていたいからかな。

 ♪君の姿は僕に似ている
 ♪同じ世界を見てる君がいることで
 ♪最後に心なくすこともなく
 ♪僕を好きでいられる
 ♪僕は君に生かされている

 繰り返すようですが、これはガンダムSEED DESTINYの歌で、ヒカ碁との関連は本来はまったくないんですが^^ でもとても「ヒカルの碁」に合っている歌で。ニコニコ動画のこの作品はほんとに素晴らしい出来でした。
 
 きっと私にとっても・・・「心なくすことなく僕を好きでいられる」そんな存在が『囲碁』のようなんです。囲碁を続けている限り、私は私を見失うことがない。そんな気がするんですよね。

 ダメな自分も、できる自分も、全てそれが現実で。
 仕事をしていても、一人で生活していても、時として、想像上の自分の姿や、他人の目に写る自分の姿を想像して、明日に不安を感じたり、どこへ向かっていけばいいのか分からなくなったりするんですが。
 「囲碁」という現実に向き合った時に、そこに写った等身大の自分の姿を、まっすぐに見つめることができる。それが何より、自分を励ましてくれる。

 うーむ、囲碁をやったことのない人にとっては、何言ってんだか分からない話になってしまった。
 でも、そのくらい・・・囲碁を学び、打ち続ける事をやめずにいる、私の「今日」があります。
 そういう「何か」に出会えたっていうのは、これも私の「幸せ」の一つなのかもしれません。
 他にも幸せの理由はたくさんあるんですけど。

 囲碁に・・・そして「ヒカルの碁」に・・・出会えてよかったな。

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2008.06.02

結婚式の翌日

 土日に昨日の記事に書いたとおり、伊豆へのんびり旅行に行ってきました。
 エステをしたり、バラが満開の公園を見に行ったり、おいしいお魚を食べたりしまして・・・楽しかったな。

 で、楽しみにしていた旅行が終わってしまったので、ちょっと気が抜けてしまいました。
 おとぎ話はラストが「めでたし、めでたし」で終わるけれど、私たちの日々の生活には終わりがない。
 だから、楽しい「ハレ」の行事が終わった後は、日常が始まります。
 ・・・私は結婚したことはありませんが、もしかしたら結婚式が終わった後の翌日も、こんな気分かも!?
 
 『物語は終わり、生活が始まる』

 何かドラマティックなことが終わってしまったあとに続くのはいつだって「生活」で、私たちの現実は「生活」の方が大半を占めています。そのことに気が付くとちょっとがっかりしたりもするんですが・・・

 でもね。
 最近はこんなふうに思うのです。

 たとえば、囲碁のマンガ「ヒカルの碁」では。
 平安時代の囲碁の名人、「佐為(さい)」の霊がヒカルという男の子に取り憑lくところから話が始まります。ヒカルは佐為につられて碁を始めるのですが、その内に自分自身でも本格的に碁を目指し10代でプロ棋士になります。
 
 その後、佐為は消えてしまう。自分の役割を終えたと感じて・・・

 それでも物語は続きます。ヒカルは、今までずっといっしょにいて、自分を導いてくれた佐為という大切な存在を失うのですが、その後も、ヒカルはプロ棋士として打ち続ける。マンガはそこで終わります。

 始まった物語はいつかは終わる。
 でも、それは一つの物語の終わりであって、また次の物語が始まる。

 自分の一生もそんな感じなんだろうなって思います。いろいろな出会いがあり、いろいろな場所へいき、失敗も成功も繰り返しながら、小さなドラマがたくさんあって。

 私も、今日からまた、新しい毎日が始まります。

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2008.06.01

アンダリゾートで温泉卓球

 大好きな伊豆の「アンダリゾート伊豆高原」というバリ風のホテルに、友人二人と計3人で行ってきました。楽しかったなぁ~

 昨日はずっと雨だったんですけど、まず、スーパービュー踊り子で伊豆高原駅に着いて、駅のお魚料理のお店で「金目のあぶり焼き丼」を食べました。昨日は伊豆も冬みたいに寒かった。地ノリ入りのおみそ汁であったまりました。
 そのあとは、ホテルの中でパターゴルフとか、ダイエットマシーンの「ジョーバ」とかがただで出来たので、そんなんで時間をつぶしつつ、2時からは3人で予約してあった、ホテルのエステへ。

 伊豆のこのホテルは私のお気にいりで今までも2回ほど行ってるのですが、1日目は天気が悪いのがなぜか恒例となっています。でも、こうやって、ホテルの中で楽しめるのが今回で分かったので、もうこれからは雨でも焦らずに済むな。3人というのもちょうどよかったのかもしれません。
 夜はレストランでディナーにカラオケに露天風呂。
 このホテルは、一泊の料金はちょっと高いんですけど、こういうサービスが全部ただで利用できるし、お風呂上りにお茶やアイスキャンデーも好きなだけもらえたりするので、お得感があります。

 そうそう。 
 今回はそういう楽しみに、もう一つ。
 ごはんの前に、友達と卓球をしました。友達二人は中学時代に卓球部だったそう^^ 3人での卓球、とっても盛り上がりました。3人でやると、二人がやってる間に一人は休めるのでよかったわ(笑)

 2日目の今日は天気もよく、河津のバガテル公園に行ってきました。伊豆急から見る海は綺麗だし、バガテル公園ではバラは満開だし、ランチビュッフェはおいしかったし・・・すっかり休日を満喫しました。
 また行きたいです♪ 「アンダ・リゾート伊豆高原」。

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