イマドキのコドモ その2
前の記事の続きです。
出張帰りの電車の中で読んだ週刊文春の記事でもう一つ気になったのは
「全国15万人・不登校の真実・学校放棄する親たち」
という記事でありました。
前の記事では、どんな家庭に子供が育っても、それを人間としての当たり前に引き上げてやるのが学校の役割なのではないか、というふうに私は書きましたが、子供が学校に来なくなってしまったら、学校もその役割を果たせません。
しかし、現実には不登校は増えている。それがこの記事。
うーむ・・・これもまた、私にとっては身につまされる記事です。
私は、不登校になったことはありませんが、学校って嫌いだったのですよね^^;
私は一人っ子ですが、あまり甘やかされた実感はなく、どちかというと親の放任の元に育った人間で。そのせいで、一人で本を読むのが好きな、人とコミュニケーションをとることがちょっと苦手な子供でした。
そんな私にとって、学校って、集団生活ですから、とにかく、苦痛でした。
他の子供が当たり前にできることが自分にできないこともたくさんあったし。
それこそ、偏食で、給食に出ても食べられないものも多く、泣きながらトマトとか食べたなぁ。(今はトマト好きです^^)
でもそれを今振り返ると、苦手でもやらなきゃいけないことはあって。それが教育というものなのかもなぁと思ったりします。
大事なのは、「他の子供が当たり前に出来るのに、その子にできないこと」があるのをバカにするような教室にしないこと。「それ」ができなくても、この子は「これ」は他よりも優れている。そうやって、個々人を尊重し、かつ、できて当たり前のレベルまでは、全員を、なんとか引き上げてあげること。
いやぁ、思い出します。私が小学校6年のときに、通っていた小学校は、なわとびで、前とび1000回、後ろとび800回を、全員ができることを目標に掲げておりました。
目標自体は、そのことに何の意味のない、アホみたいな目標だと、今の私も思うのですが、当時も今も、運動というものが超ののつくほど苦手な私は、当然クラスでオチこぼれ、もともとあった劣等意識をますます深くしながら、またしても泣きながらなわとびをする羽目になりました。。
でもね・・・最後はちゃんと前とび1000回、後ろとび800回できたんですよ。すごいことだ。よくできたなぁ。
学校はできれば楽しいほうがいいですが、楽しくないのが当たり前だと私は思います。
だって、家にいたときのように自由に振舞えないですもの。
記事によると、今の子供は、まず、新1年になって、学校に行かせることが大変のようです。私の友人も子供が新1年になったのはいいけれど、学校に行きたがらなくて、通学路の途中までおくっていっていると話していて、そのときもそれ聞いてびっくりしたんですが・・・
「毎朝、今生の別れかのように校門で涙の離別劇が繰り広げられる」と記事にはありまして。そうなっているんだなぁ、今って。
それにしても、この記事には本当に考えさせられました。一部を引用しましょう。
(引用開始)
赤沼侃史氏(子どもの心研究所主宰・心理内科医師)は断言する。
「生まれた時から豊富な物資に囲まれて育った子供にとって、あって当然のモノが何か一つでも欠けることで受けるストレスは、なくて当然、で育った大人世代には想像が及ばないほどすさまじいもの。現代人がわずかな時間の停電や断水にも膨大なストレスを受けるのと同じ道理です。」
「給食にお菓子とジュースが付いて来ない」と登校苦痛を訴える6歳児に対して、「とんでもない!」と驚愕する前に、「あるのが当たり前」で育ってきた生い立ちを顧みる必要がある。
(引用終わり)
私は実際に自分が学校が嫌いだったので、不登校になる子供が何が嫌で、行きたくないのかは実はとてもよく分かるのですよ^^; 行きたくなければ無理にいかなくてもいいのだったら、私の子供時代はもっと幸せだったかも。「行きたくないなら行かなくてもいいんだよ」、そう言えるものなら言ってあげたい。
でも、行きたくなくても、行くことでそこで学ばなくてはいけないことが学校にはあって。今は、「ストレス」という都合のいい言葉があって、子供にとってストレスになるなら、学校なんかいかなくても・・・とか、学校がもっと改善すれば・・・と学校のせいにしたくなりますが、そもそも、人間関係や集団と関わることは私たちにとっては「ストレス」なんじゃないかしら。
そして、そのストレスを乗り越えたところに、別の世界が待っているはず。嫌なものを避けて通るんじゃなくて、子供にはそれを乗り越えて、その世界を知ってほしい。自分のことを棚にあげて、私は心からそう思います。
この記事のこの部分も私は自分のこととして読んでしまいました。
(引用開始)
昨今の家庭では、他人との諍いを誠意と時間をかけて乗り越え、より深い理解と関係性を築くより、最初から衝突を避ける傾向にある。「トラブルは事前に回避」の刷り込みの下、幼児期から子供同士で本気のケンカもした経験がない中で、他人との距離感や心情の駆け引きを、皆が皆、容易に図れるものではない。
(引用終わり)
うわぁ・・・「他人との諍いを誠意と時間をかけて乗り越え、より深い理解と関係性を築く」・・・んなこと私、今までの人生でやったことあったろうか?
最初から衝突を避けてきたんじゃなかったろうか。
だから、未だに、一人なんじゃないだろうか。
学校、という教育システムが、人間にとってベストなのかどうか。実は、若干そこに疑問がないではないのですが、各家庭が多様化してしまった現代にあっては、小さなうちから公的な手を離れ、下層に落ちてしまう子供ができてしまうことだけはなんとしても避けなければ・・・と思います。
そのためにはやっぱり学校は必要で。多種多様化する子供と家庭と親と・・・学校教育に携る先生方の苦労は想像を絶しますが、頑張ってほしいなぁ。
そして多くの、学校に行きたくない子供たちにも・・・私にいろいろあったように、彼、彼女たちにもいろいろなことがあるのでしょうが、なんとかここまで来てほしい。
できれば「他人とより深い理解と関係性を築く」経験を積んで、ここまで来てくれれば、大人になっても私のように一人ぼっちにはならずに済みますから・・・
がんばれ、イマドキのコドモたち。
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