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August 2008

2008.08.31

10万アクセス記念小説リンク

10万アクセス記念&ブログ4周年を記念して公開してみました。
お時間と興味がおありの方は覗いてみてくださいませ_(._.)_ペコリ

【10万アクセス記念小説】
『リンゴの匂いと空の蒼 第一話』

その1  その2  その3

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2008.08.28

みんながそうじゃ困るなぁ。

自分と同じように考える人が増えるのは嬉しい。
でもみんながみんな、そうじゃこまるなぁ。

そう思うことってありませんか^^

香山リカの「就職がこわい」の話の続きです。

いや、なんか、読んでいて「うわー^^;;;;;;;」と思ったのは・・・

香山リカはこういいます。

「最近の若者の自己評価の低さには目をおおわんばかりのものがある」

自己評価の低さ。そして「その他大勢感」。自分はエキストラであるという意識。

これねぇ・・・全部、私、個人的に馴染みのあるものばかりでして。

私は昔から、自分のことを、たとえばパニック映画ならば、一番先に落ちてくる瓦礫につぶされて死ぬ人だと思っておりました。

だから結婚でも、仕事でも、自分を選んでくれる人なんかいるわけはないと思っていました。

でも仕事にはつけたのは、前の記事にも書いたように「仕事につくのは当たり前」という意識と、ものすごい景気のいい時期だったこと、いくつかの偶然が重なったからであろうと思えます。ぶっちゃけ、運がよかった。

そんなふうに「自己肯定感が低い」のは自分だけかと思っていましたよ。
ところが今の若者ってみんなそうなんだな。

「どうせ自分なんか」と言いながら、いつしか選ばれるのを待っている。「この仕事はあなたにしかできない」という仕事が向こうからやってくるのを待っている。

自分から探しに行くのは拒否されたときのショックが耐えられないから、したくない。最初からあきらめれば傷つかずに済むと・・・

これは「恋愛」においてよく言われることで。最初からあきらめたら恋人はできません。好きになってくれる人を待ってるだけじゃねぇ。

こうして仕事も見つからないし、恋人もできないから結婚もしない、そういう人が増えていくのって。

傷つくのが怖い心理は、誰の心の中にもあるのだけれど、そうなってしまって一歩も前に進めない若者が、いや、一人や二人ならいいのですよ。

それが何十万人とか二人に一人とかなってきたら・・・まあ、そうなってきたから少子化などはもうデータとしてにっちもさっちもいかないところに来てるんですがね。

結婚しないのも、就職しないのも、個人の選択なんだからほっとけ、言うので、ほんとにいいんだろうか。

何が若者の自己評価をここまで低くさせているのだろう?

香山リカは、それを、子供をいつまでも親のそばにおいておきたい、親のエゴが原因だとしているのですが。
ここは実はちょっとぴんと来なかったりします。

・・・まあ、この本、全般に、「分かるなぁ~」という部分や自分に共通する部分が多いので、自己評価の低さが何に起因するのかは、自分に置き換えてもうちょっと深く考えてみたいと思っています。

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2008.08.25

「就職がこわい」

 以前「ニートとにている『何か』」という記事を書きました。
 「働きたくても働けない、働かない」というのが、「結婚したくてもできない、しない」というの似ているように感じるという記事です。

 昨日、香山リカの「就職がこわい」という本を読んでみましたら。うん、やっぱり「就職しない」ことと「結婚しないこと」の問題の本質は似ている。

 一番似ているのは、就職ができないのも、結婚ができないのも、何か社会の側に原因があるはず、とたくさん対策を立てるわけですが、そういうのがいつもなんとなく的をはずしているな、と感じる部分です。

 要するに、社会の側の対策をいかにとろうと・・・たとえば、雇用対策なら、ジョブカフェなどをたくさん作って若者に就職情報を提供する場を整備する、少子化対策なら、女性が結婚しても働きやすいように制度を変える・・・そんなことをしても、働かない&結婚しない、その原因は「社会が○○だから」そこにあるわけではないようで。

 ものすごく簡単に言ってしまうと、就職や結婚ということに不安がある。
 広く言うと自分の未来に不安がある。
 香山リカの言い方を借りれば、その不安の正体って、何が不安て「自分」が一番不安なのです。

 社会に出て働く自信がない。
 ちゃんと就職している人みたいに自分はやれないのではないか。
 単純な話、月曜から金曜まで週5日、毎日朝起きて仕事にいくなんてできるんだろうか。
 そこに「不況」なんかが絡んでくると自分に向いた「いい就職口」もない。だから就職できなくたって仕方ない。必死で就職口を探すこともせずに早々に就職からリタイヤしてしまう。

 私の場合。
 大学を出たら就職するのが当たり前だと思ってはいましたが、自分が何をしたらいいのか、何ができるかは全く見当もつかず、不安で、就職課へいったのが大学三年の秋。それなら、とりあえず就職試験のある職種の試験勉強を始めたら、と勧められました。
 就職活動のノウハウは分からなくても、試験勉強なら学生ですから馴染みがありますし、どうやったらいいか分かります。過去問を集めて勉強する。で、とりあえず受かることは受かりました。
 でも、試験に受かっても、結局は何社も周り、面接を受け、採用されなければ就職はできないわけで。不採用通知のコレクションできるほど、面接には落ちました。秋になっても冬になっても就職先が決まらずに・・・しかしその年、たぶんほかの学生から内定をキャンセルされたあるところからお呼びがかかり、3月もスレスレに4月入社のタイミングにすべりこむことができました。

 仕事・・・何をしたらいいかなんて今も分かりませんわ。自己実現でも夢を叶えるでもありません。
 とにかく学生を卒業したら働くのが当然。その思いで就職しました。自分のやっている仕事にはずっといろいろな疑問を持っています。昨年までやっていたような社員の給料や旅費の精算。自分じゃなきゃできない仕事ではありませんが、誰かがやらなきゃいけない仕事ではあります。それをやって給料をもらう。
 仕事というものはそういうもので・・・で、毎月いただく給料で、自分なりの人生設計をしたりします。

 「就職がこわい」人たちは、香山リカの本にもありますが、やっぱりまじめに考えすぎちゃってるのかも。
 ただ・・・そう思ったとき、私は、その問いが自分に返ってきちゃうんですよ。
 就職はできたけど結婚はしてない。その理由って、同じじゃないか、と。

 「まじめに考えすぎちゃってる」。

 就職口を探すこともしないうちから、週5日、朝定時に起きて、電車にのって、通勤するなんて自分にできるのかと悩むのがナンセンスなように、具体的な相手もいないうちから、毎日食事の支度なんか自分にできるんだろうか、旦那とけんかして殴られたらどうしよう、果たして結婚して自分は幸せになれるんだろうかetc.・・・やっぱ、考えすぎなのかしらね^^

 大学卒業したら就職するのが当然、それが就職の動機だったとしたならば、同じように、20代のうちに結婚するのが当然だったら・・・そう、生まれるのがもう5年ほど早かったならば、漠然とした自分の希望や夢とは別に、私も結婚してたのかもしれません。
 そんなふうにでも結婚できてた方がよかったかと言われたら、答えはYESではないのですが・・・

 ただ、自分の夢を叶えるためでも、自分に合っているわけでも、やりがいを感じる仕事でもなんでもない仕事だけど、この仕事をベースに、私はいろんな人と出会い、いろんなことに悩み、いろんなことにもまれながら、20代、30代で、自分の人生を自分で生きる覚悟みたいなものができてきた気がします。親から独立し、母の死を看取り、そして恋をして、恋に破れ(苦笑)、それでも私は元気です、みたいな。

 今、振り返れば、結婚も同じなのかなとなんとなく思うのです。
 相手が本当に「運命の人」かどうかなんて誰にも分からないけれど、結婚しちゃったからには相手を尊重し、相手との生活をベースに考えつつ、ある時は悩み、ある時はけんかし、妥協したり、なれ合ったり、不満を感じたり・・・うん、それもありだったかもしれない。

 今は就職も当たり前ではなくなってきたようですが、結婚はだいぶ前から当たり前ではなくなっていて。就職しない若者の増加は確かに問題ですが、非婚者の増大も問題でそれが少子化を招いている。

 結婚しないのも一つの生き方だと認められたように、仕事に就かないのも認められていくのかな。
 そうやって時代は変わっていくのだろうか。
 ただ定職に就かないと、いろいろ生きにくいことは確かで・・・うーん、でもそれも、結婚しなくても生きやすくなってきたのもここ10年くらいの変化だしな。

 またあと10年くらいすると、定職につかないのも当たり前になって、そういう人の社会保障をどうするのか、社会全体が若者のライフスタイルに合わせて変化していくのかもしれません。非婚の人が増えて子供がいなくなって、人口減少の時代がくれば、それにあわせて社会が変化していくように。 
 それが今までの社会通年の崩壊だと言えばそうなのかもしれませんけど、時代は常に変わっていくもので。昔の常識では考えられないことが、どんどん起こっていくのが「時代の流れ」というもの。
 
 ただ私としては、結婚しなかった女性が今もこれからも幸せでいられるのと同じように、就職の手前で立ち止まってしまう若者たちも、それを、自分の選んだ人生として前向きに肯定できるのか、そこがちょっと心配なのですよね。
 ・・・なんとなく怖い。未来の自分が分からない。就職したけど、それが自分に向いてなくて、忙しくて、欲しいだけの給料ももらえなかったらいやだ。それなら最初から就職しないでおこう・・・そうしているうちに1年、2年。間が空けば空くほど、ますますいい働き口も少なくなっていく。それだとなぁ。

 定職についているから、できることがたくさんあるんですよね。確かに自分の時間を売ることにはなるのですが、引き替えに得られるものもある。

 なんていうと、やっぱりそれは結婚も同じか~。
 結婚も誰でもいいわけじゃないのと同じように、就職もどこでもいいからとりあえず、なんてだめか^^;

 非婚と就職しない若者の問題はやっぱり似ています。
 した方がいいんだけど、じゃ、具体的にどうやってどう見つける?という段階へいくと答えがないところが。そして高望みしたら無理なんだけど、だからといって自分にぴったり向いてるところなんてどんなに探しても見つかるわけないところも。そして、したらしたで、きっとなんとかなっちゃうであろうところも。
 皆様は、この、定職に就かない若者が増えている問題、どう思いますか。香山リカの本は、4年くらい前の発行ですが、そのときに大卒の若者が職につかない割合がなんと50%を超えていました。これにはびっくりです。今はどうなっているんだろう。

 さて、就職活動の頃、私は、たくさん面接に落ちても、一つ落ちたら次、とがんばりました。
 でもなかなか決まらなかったのには、思い当たる理由が一つあります。それは掛け持ちをしなかったところ。一つ面接受けて結果がでないと別なところを受けなかった。それが当たり前だと思っていたのです。保留にされて引き延ばされて結局不採用だったところもありました。
 恋愛に関しても掛け持ちはできない。そんなところが、なかなか決まらない理由だったりするのかな^^

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2008.08.21

友達やめますか?それとも…

ちょっと考えたことを一つ。

ハンゲームというゲームのサイトに、自分の部屋を作って公開し、いろいろな人と友達の登録をしてお互いの部屋を行き来したりして楽しんでいた時期がありました。しかし、ちょっと忙しくなってしまったり、囲碁の方でもSNSを始めたり、mixiにも入ったりして手が回らなくなってしまって。ハンゲームからは足が遠のいておりました。

最近、ちょっと夜、時間が空いて、囲碁をするにはそれほど時間がとれないけれど、寝る前にゲームをちょっとだけ、なんてときにハンゲームにいって遊んだりしていたのですが、先日、かつて、交流があった人からメールが届いていました。
「まだ私のことを覚えていてくれたのね」
とちょっとうれしくなって浮き浮きとメールを開けてみましたら、それは友達登録の削除依頼のメールでした(^^;)。

「もうお互い今後関わることもないでしょうから、友達登録を削除してください。さようなら」

もちろん、ずっとご無沙汰していたし、ハンゲームにログインしても友人の部屋をまわるでもなく、ゲームだけしてたわけですから仕方のないことなのですが、そのメールに「今までありがとう」の返事を出し、友達登録を削除したら・・・なんだか無性にさみしくなって、自分が大変な不義理をしたような気分になりました。

たまにmixiなどでは、足跡だけでコメントを残していかない人を批判したり、自分はよく相手のページを見に行ってコメントも残すのに、相手が自分のところにこなかったりすることを批判したり、なんてことがあると聞いたことがあります。
携帯のメールでも、すぐに返事が来ない(即レスじゃない)人は常識はずれということになったりするらしく。そして、そういうふうに非難されることが怖くて、常に携帯をチェックしたり、メールが来たら即レスしないといけないというのが脅迫観念になったりするケースがあるらしいです。
そうなってしまうのは、おそらくナンセンスだと思うのですが・・・

ちょっと考えたのは、現実世界と違う、ネットでのそういう人と人との距離感についてです。

私の場合、ネットの世界とのつきあいを大人になってから始めたので、ネットの中で人と接するのも、やはり現実世界を基準に物事を考えます。
だから、たとえば、一時期親しくしていて、何らかの事情で疎遠になってしまう人がいても、
「忙しいのかな」
と相手の状況に想像を巡らすことで・・・すぐに返事が来なかったりしても、それほど相手を不義理に感じたりすることはありません。

それとも、逆かな。

そもそもネットの世界でのつきあいは、現実とは違うと思っているから、いつも仲良くしていた人が、いきなりいなくなっても「仕方ないか、ネットだし」と思えるのかな。

ネットでのいろいろな人とのつきあいや新しい出会い。
私はけっこうそれが好きな方で。

私にとっては・・・一度仲良くなった人といつの間にか疎遠になっても、それは互いに事情があるから仕方ないことで・・・でもそれで互いの関係が本当に切れてしまうことはないとなんとなく思っています。
だから自分から人間関係を「整理」するという発想はあまりなく。
相手から「友達やめましょう」と言われればそうしますが、自分からは切ろうと思ったことはほとんどありません。

かといって日々連絡を取り、自分にプレッシャーになるほど、ネットにどっぷりということは物理的にできませんし、それはお互いにそうなんだから、仕方ないことだと思っていたり。

ある意味、矛盾してるかな。
でも人間ってそういうものだと思っていたい「願い」みたいなのがありまして。
学生時代の友人のように、卒業してずっと遠くなっても、また会ったら昔のように話せる。そんなふうでいたいな、と。
う~ん、ネットだと無理なのかな。所詮は、顔も知らない同士だし^^;

ただ、最近気がついたのですが、これってお互いの温度差の問題もあるのかもしれませんね。

ずっとそばにいてほしい、とか、いつも相手を近くに感じていたい、と強く思っているのに、相手が何の説明もないままに、いきなりいなくなってしまったら、誰だって戸惑うし、不義理と感じることがあります。ひどい場合、相手は自分ともう友達でいたくないんじゃないか、なんて考えちゃうこともあるわけで。

でも、そういう場合、相手はそういうつもりはないことがほとんどです。
離れても友達なのは変わらないし、忙しさが一段落したらまた連絡をとりたいと思っているし、自分からは連絡をとらないくせに、こちらから連絡があるとうれしく思ったりしている(笑)。

その温度差によるすれ違いが、友達を切る、切らないという事実として現れているような気もします。

ネットでつきあう人たちはたいがい私よりも年下ですし。mixiなどのトラブルのケースを見ても、ネットのコミュニケーションをどっちかというと、私が考えるイメージよりも『濃く』捕らえる傾向があるのかも。

または・・・

世界は目に見えるものだけが全てではない。
現実に生きていると私たちは自ずとそのことを知っています。

でもネットの世界はある意味、目に見えるものだけが全てだからな。
相手からコメントがこなくなったり、足跡がなくなったりすると「友情」も消えてしまったように感じる。
それは・・・あるのかもしれません。

なんて、この記事、半分は私が友達登録を削除されたという話なのですが、半分は親しくしていた友人からまだ連絡がないことが気になっている自分へのエクスキューズだったり(苦笑)。
お盆も過ぎたのにまだ帰ってこないのかな~。
こちらからもう一回メール出してみよう^^;

もし皆様にも。過去、仲良くしていたのに、最近疎遠になっちゃった人がいたりしたら。

本日の標題は「友達やめますか?それとも…」ですが、「それとも…」のあとはこう続きます。

それとも…信じてみますか^^ 「友情」や「愛情」や「思いやり」は目には見えにくいものですけれどもね。

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2008.08.20

パンドル、いいな~

テレビでたまたまやっていたのを見たのですが「パンドル」という名前の女性用のふんどしが売れているそうです。

http://www.lovesupple.jp/pendre.php

最近、暑いせいもありまして、一人暮らしなので、家にいるときにどーもパンツを履きたくない(下品ですみません)。その点、パンドルは、着用感がめちゃいいらしく、一度試してみたいなぁ。好奇心だけは人一倍、新しいものを見るとつい一度は試したくなります。
でも、音楽については、ipodやmp3などは未だに手が出せず、もっぱらCDとMDなのはなぜなんだろう(爆)。
ま、ものがパンドルなら、使用するのに難しいことは考えなくてもよさそうですが。

テレビでこうして取り上げられるようになれば、普通の店に並ぶようになるのもそう遠い未来ではなさそうな気がします。着用したことのある方がいたら、ぜひ感想を聞かせてください。・・・まだいなさそうだけど^^

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2008.08.19

いろんなこと。

いつも、このブログを更新するときはある程度、テーマを決めてから書き始めるのですが、ちょっと、どれにしぼればいいのか、今日は迷っています。なので、項目とさわりのみ、いくつか。

○クリームクリスピードーナツと雨の中の自転車行
大雨だった昨日、川口イオンにクリームクリスピードーナツのお店があって、川口だと全く並ばないで済むという話を聞いて、自転車で行ってきました。自分でもちょっと可笑しくなってしまった、むだ~な1日のお話(笑)。

○父とみちのく二人旅
夏休みが7月~9月までの間に3日間とれるのですが、忙しくてまだ今年はとってません。なので、9月に旅行に行くことにしました。ほんとは海外とか行きたいのですが、準備不足なので、仕方なく今年は国内旅行。9月の平日なんて友人も誘いづらいので、父を無理やり誘いました。三陸海岸へ行く予定です。父との二人旅も久々。母にはたまには一人でのんびりしてもらおう。

○4次元は時間じゃなかった?
相変わらず図書館にはまっており、「Newton」のバックナンバーが図書館で借りられることを発見したので、さっそく2008年1月号「次元とは何か?」を借りてきました。正体不明の力である「重力」の説明には私たちの存在する3次元の空間に4次元目を設定すると説明できるらしいです。
今までのBUBI的常識では4次元目は時間でしたが、時間はちょっと空間の次元とは別物っぽいので、おいておいて、数学的に4次元目を設定すると、いいらしい。
・・・うーむ、これ、かなり理解が難しいです。アインシュタインまではなんとか理解できるんですが。(うそです。数式で説明されたらさっぱり分かりません)
 次元の話は書き始めると長くなっちゃうなぁ。
 
○SOYJOYってやせるかなぁ
SOYJOYにはまっています。ある意味、ダイエット? ほんとか?(笑)

○続・子離れできない親の心境
よくメールをやりとしていた友人、まだ音沙汰がありません。
というか、旅行だと思うんだけどなぁ。事故とか病気とかじゃないよなぁ。大丈夫かなぁ。

○子供と遊んだ話♪
この間、実家に帰った折り、小学1年の姪といっしょに遊びました。ドラえもんの主題歌を電子ピアノでメロディーだけ弾いてあげるだけですごく尊敬されるので楽しい(笑)。
姪には弟がいますが、まだ赤ちゃんなため、ほとんど一人っ子のような感じで。昔の自分の姿がちょっぴり重なります。

他にも毎日いろいろなことがあります。
どの話題をテーマにしようか迷ううちにまた次の出来事があったりして、ネタには困らないけど、ゆっくり書く時間がないなぁ。嬉しい悲鳴ですわ。

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2008.08.14

小野不由美「屍鬼」感想(ネタバレあり)

「屍鬼」全5巻、読み終わりました。

(以下はネタバレです。これから「屍鬼」を読もうと思う方は読んじゃだめです。)

 私は子どもの頃、母が読んでいた、萩尾望都の「ポーの一族」をいっしょになって読んでいたのですよね。私にとっては・・・ほとんど「教科書」といってもいいくらいの作品でありました。今から思えば、意味も分からず読んでいたところもあったんですが。

 「屍鬼」の4巻あたりを読んでいましたら、その「ポーの一族」のいろいろなシーンが重なりました。ヴァンパイアになってしまったのに、自分の有りようを受け入れることができず、存在意義を問い続けるその姿とか。
 5巻には、村が一斉に蜂起して、屍鬼狩りを始めます。「ポーの一族」たちも小さな村に隠れ住みながら、村人の蜂起を一番恐れていたっけ。

 「屍鬼」の後半にはいろんなテーマが内包されています。「人間」と「屍鬼」という、姿は変わらないのに、在り方が異なる存在が対立する。その中で、悩んだり、苦しんだり。「屍鬼」は物語の前半で、人間を脅かす得体の知れない恐怖であったのですが、その正体が明らかになったとたん、それと否応もなく対峙する人間の姿と、「屍鬼」側の心理も描かれていきます。

 読み始めた時は、5巻は長い、と思ったのですが、これ、長くないな。足りないくらい。

 「ポーの一族」の登場人物であるエドガーたちもずっと、一族の故郷である「ポーの村」を探していました。自分たちの安住の地を求めて。そして、たった一人で永遠を生きることはやっぱりできなくて、エドガーは物語の前段では、妹、メリーベルを守り、後段ではアランという友達といっしょに生きることとなります。

 私にとって「屍鬼」はエドガー達の物語の続きのようにも思えました。
 自分たちの故郷を自分たちの手で作りあげようとしたヴァンパイアの話。しかしその望みも、結局、志半ばで崩壊してしまいます。「人間」を守ろうとした一人の医師の手によって。家族を殺された村人達の怒りによって。

 人間が人間であろうとするのは当然で。人を食料とし、殺すことを厭わない存在を駆逐しようとするのも当然。
 だから私は、この物語の中で、屍鬼と最後まで強い態度で対峙した医師をやっぱり偉いと思うのですよ。人間が目の前で喰われていくこと・・・真実を知りながら、放置できないじゃないですか。どんなに誰にもそれを信じてもらえなくても。

 彼は医師であるがゆえに、医学的なデータを元に人間が次々と失血死する事実に気づき、そこから、一番早く何が起こっているかを突き止めます。でもそれを信じてくれる人はほとんどいない。誰だってこの現代に「吸血鬼」が実在して人を襲ってるなんて信じられるわけありません。

 さらに、この物語の中で、医師は一番の理解者だった友人さえ失ってしまいます。
 その友人は「屍鬼」を敵だと考えそれを駆逐するためには手段を選ばない医師を、理解できないと言って去り、最後は屍鬼と行動を共にしてしまう。

 もし私が医師だったら、何もかも失ってまであれほど強い意志で屍鬼という現実と対峙できない・・・そういう意味で医師は、この物語の中ではいわゆる「ヒーロー」のはずです。
 
 でも小野不由美はそういうふうには書かない。あくまで屍鬼を敵としてしか見ない医師が果たして正しいのかどうかは、読者の判断に委ねられます。読んでいるこちらも問われています。「あなたならどうする?」と。

 私なら・・・どうするかなぁ。
 自分を喰らおうとする者に抵抗できるだろうか。自分を襲おうとする屍鬼もまたかつては人間であり、屍鬼に襲われた被害者なのに。屍鬼が人間をエサにしなければ生きていけない存在だからって、胸に杭を打ち、首を落とすことができるか。
 ・・・できないだろうな。
 自分以外の人間が襲われて死んだりして異常に気づいても、自分が襲われる、死の瞬間まで何もしないでいて、いざそうなったらそれはそれで仕方ないやとあきらめる、しょうもない人間の一人だろうな^^; そしてまかりまちがって自分も屍鬼になったら、今度は人間に狩られる。最悪です。

 と、いうわけで。
 小野不由美とこの「屍鬼」という小説は、やっぱりすごいなぁ。
 最初の1冊は、田舎の村の日常がつらつらと続いていて退屈してしまうのですが、それも正体不明の連続死が起こるまでのこと。2巻、3巻はその事件の真相へ迫る推理小説で、そうなると何が起こっているのか知らないではいられなくなってきます。
 4巻、5巻は、明かになった真実に対する解決編。ついに「屍鬼」の存在を信じることとなった人間側の壮絶な復讐劇によって、物語には終止符が打たれます。

 この村に同胞だけの故郷を作ろうと夢を見た「屍鬼」の少女は、言っていました。屍鬼なんか世の中に存在しない、という人間の常識が自分たちの一番の武器だと。
 もし、人間が誰もそれを本当だと信じなくて、人間がしだいに「屍鬼」に入れ替わっていったなら、それはそれでぞっとするような話なのですけど、結局、物語は「屍鬼」側のほとんどが殺されて終わります。

 これは、一つの小説の中のお話。
 そう思っても、物語が終わった後もこんなふうにいろいろ考えさせられてしまうこと自体が、その世界に読者を引きずり込む小説家の手腕なんでしょう。
 小野不由美は、やっぱりすごい、です。

 怖い話やスプラッタな描写が無条件でだめでなければ、ぜひご一読くださいませ。

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2008.08.12

小野不由美「屍鬼」を読んでいます

 夏に、ホラーや怪談を読む人ってほんとに多いのでしょうか・・・?
 ぞっとして涼しくなる、なんてのは俗説ですが、それの真偽はともかく、小野不由美の「屍鬼」を読んでいます。

 小野不由美という作家さんはアニメにもなった「十二国記」というシリーズの小説が有名です。私もとても好き。独特の世界観、見事なストーリー・・・まだ読んだことがない方はおすすめです。

 十二国記のシリーズは、ジャンルとしてはファンタジー小説なのですが、「屍鬼」はそんな小野不由美さんが書いたホラーです。文庫本だと5冊もある長編でして、なかなか手が出なかったのですが、図書館でたまたま見かけたこともあり、読んでみることにしました。

 折りも折り「ひぐらしのなく頃に」という、最初はゲームから始まって、今はアニメやコミックにもなっているホラー作品がありまして。残虐な殺人シーンがあるため、たまに、実際に青少年の殺人があったときなど取り上げられたりもするんですが、私はけっこうこの作品も好きです。

 舞台設定が似てるかも。「ひぐらし・・・」と「屍鬼」。周囲から隔離された村の中で、次々と人が死んでいく。それはなぜなのか? 正体が分からない恐怖の真相が知りたくて、やめられなくなっちゃう。

 そういえば先日、映画館で「ハプニング」という映画を見たのですが、何が起こってるのか知りたくてどんどん引き込まれていくのは、同じだな。・・・ん、ちょっといやな予感。

 ・・・もしも・・・
「屍鬼」が「ハプニング」みたいな終わり方だったら、やだな^^;

 でも期待しないで読むのは嫌なので、いろいろとコトの真相を想像しながら読み進めることにします。
 どんなぶっとんだ真相でもついていける自信はあるのですが、中途半端だけはちょっとつらいなぁ。

 「伝染病」なのか「呪い」なのか「殺人」なのか。それとも・・・なんだろう、死神とかヴァンパイアが実在するのか。今、2巻を読み終わったところで、もしかすると、今が一番、読書の「醍醐味」を味わえる時間なのかもしれませんね。

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2008.08.10

poem(71)

 「打ち上げ花火」

音に惹かれて自転車を走らせ
思いがけない穴場を見つけた

線路を渡る歩道橋の上
花火は正面にしっかりと大きく見えた

赤に緑に紫に
花火は次々と夜空にひらく
まさかこんなところから
こんなふうにちゃんと見られるなんて

『ね? すごいと思わない?』

伝えたくても振り返ってもきみはいない

旅行に行ってきれいな景色を見ても
映画にいって素晴らしい物語に感動しても
カフェでとてもおいしいデザートに舌鼓を打っても

それを一番に伝えたいきみがいない

夜空に咲いては消えていく花火
こんなに・・・こんなにきれいなのに

きみがいないだけで
こんなに

こんなに辛いなんて

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「ガラスの仮面」が音楽劇に♪

なんと、なんと、なんとーーー!!!
あの「ガラスの仮面」そのものが劇になって舞台で上演されております。

音楽劇「ガラスの仮面」/彩の国さいたま劇場
8月8日~8月24日

友達がチケットをとってくれて見に行ったのですが、元より中学時代は演劇部、「ガラスの仮面」のコミックも全部読んでいますし、先日、恩田陸の「チョコレートコスモス」を読んだばかりでもありまして、「ガラスの仮面」の舞台なんて・・・うーん、かなりどきどき。
好きなコミックや小説が映画やアニメなどになると、期待が大きすぎて、はずすこともよくありますからねぇ^^;

と、思いつつ、見に行きましたが、この「音楽劇」、かなり、いい出来ですよ♪

もちろんこの劇は長大な原作のほんのさわりなのですが、ちゃんと一つの音楽劇として完結している。それでいて「ガラスの仮面」のファンが見るならおさえておきたいポイントもおさえてる。脚本もいいいんだなぁ。

そして「蜷川幸雄」(私は知らなかったんですが、ユニークな演出で有名な方だそうです)という方の演出もとても・・・私は好き♪ 引き込まれました。
「ガラスの仮面」の中でもこれは物語の後の方ですが、黒沼さんという監督がマヤが主演の「狼少女ジェーン」を演出したときに、『へー、いろんな演出があるんだなぁ』みたいなところがあるわけで。それを地でいってるノリを感じましたわ~

物語としては、マヤが劇団月影に入り全国大会に出るところまでのお話で。
もうかなり昔に読んだので忘れていたところもあるのですが、ここまでのお話を劇にすると・・・そうか、こういう演出になるのかと。『うまいなぁ』と思いました。いや、その・・・ネタバレになるかなぁ・・・いいや、書いちゃえ。

冒頭、この音楽劇は、劇が始まる前から幕が開いていて、客席から次々と荷物を抱えた青年たちが舞台に上がっていきます。舞台では、バックステージツアーということで、観客が舞台の裏を見学していたりもする。それが客席の座っている客からも見えるわけです。
舞台には次々に人が集まってくる。それぞれに舞台の上で準備運動とかを始めている。携帯で何かしゃべったり、友人同士で声をかけあったりもしている。みんな劇団の青年たちという設定。すっごいリアルです。
どこまでが演出か分からないうちに(いや、全部演出なのでしょうが(笑))舞台で、劇団のレッスンが始まります。

ガラスの仮面はマヤと月影先生の話なのですが、一方で、演劇が好きで、頑張る劇団員たちがいる「現実」が背景になっている。全国大会で出てくる「劇団一角獣」なんかホンモノみたいだった^^ 劇団オンディーヌのレッスン風景もホンモノみたいでしたよ。そういう、「劇団」の様子をリアルに表現することが、そのまんま演出なのですね。

もちろん、本筋となるマヤのお話もすごい。
大和田美帆、熱演です。これがないと、この劇そのものに説得力がないものなぁ。思わず引き込まれました。てか、よく舞台で「北島マヤ」を演じようとする女優がいたな、と思います。これを演れる役者がいなかったら、舞台そのものが成立しない。
この劇を見に来るほとんどの人は「ガラスの仮面」をよく知っていて、北島マヤがどんな天才かをよく知っているはずですから、その人たちが納得するマヤを演じることってかなりの勇気と度胸がないとできませんよ~。

そして、夏木マリの月影先生がまた・・・もうはまってます♪
すごいわね。何か憑いてるとしか思えん(笑)。テレビドラマの野際陽子もはまってましたが、夏木マリはそれ以上です。ビジュアルだけでなく、演技が、マヤに対して演劇というものを語る様子そのものがすごいです。月影先生そのものだ~
これを見るだけでも、ぜひ「ガラスの仮面」を好きなファンには、この音楽劇を見ていただきたい!!

 実は「彩の国さいたま劇場」は、私の住まいからは自転車でいけまして。さいたまに住んでけっこう長くなりますが、初めていきました。なんだか、とてもいい設備のある舞台ですよ。
 舞台の上に雨を降らせる装置があり、この音楽劇でも雨のシーンがいくつかありましたが、別にガラスの仮面では、リアルの雨を降らせる必然性はないのになぁ。せっかくそういう装置があるから使ったのかな(笑)。中島みゆきさんの「夜会」の「問う女」をこの舞台でやったらぴったりなのにな~。

 と最後は趣味に走りましたが・・・「ガラスの仮面」の音楽劇、ぜひ興味のある方はどうぞ。まだちょっと空席もあるようです^^

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2008.08.08

子離れ出来ない親の心境!?

 中国に住む友人とよくメールのやりとりをしているのですが、ここしばらく連絡がありません。
 まあ、普通考えるに、ちょうど夏休みなことだし、海外にもたくさん友達がいてワールドワイドな交流が得意な彼女のこと、またどこかに旅行に行ってるんだろうと思うのですが・・・

 彼女とよくメールのやりとりをするようになってから何年か経つのですが、いつもふっつりと急にメールが来なくなるたびに心配でしょうがありません。

 特に中国に居を移してからというもの、中国で何かあるといつも心配になっちゃいます。
 中国といえばバス爆発のテロもあるし、食べ物の安全の問題もあるし、ちょっと前ですが反日活動なんかもあるし・・・
 ・・・
 ・・・
 なんてね。あほちゃうか>自分。

 日本だって、大雨、雷はあるわ、地震はあるわ、殺人事件にいとまはなく、若い女性の一人暮らしが狙われたりもしているわけで、毎日、何かしら事件はあるわけですよ。けれど、1個人の自分は平和にのほほんとくらしているわけです。
 中国ったって広いんだから、何か事件が起こるたびに心配してたらしょうがない。
 
 思えば彼女が日本にいて長野県の松本に住んでいたときには、長野や松本あたりで何か事件がある度に心配になったものです。

 うーん、自分のことながら、どうも不思議です。他人に対して、常日頃、どちらかといえばドライでクール(ほんとか?)なはずなのに、どうして彼女のことだけはこうも心配になっちゃうのかなぁ。

 みなさまには、そういうふうにいっつも心配でほっとけない友人っていますか?

 ちょっと職場の同僚に聞きましたら「いない」という返事が返ってきました。う~ん・・・

 それで自分で考えてみたら・・・ひょっとすると子離れできない親って、こういう心境なのかもしれないなぁという気がしてきました。
 大きくなった子どもは、第三者から見たら、もう立派な大人だし、別にところで暮らしてたりしたらちゃんと自立して生活してるはずなのに、親はいつまでたっても子どものことが心配で仕方ないわけです。
 ちょっとその心境に近いのかもな。

 親って、そういうとき、本当は子どもが心配なんじゃなくて自分が心配なのかもしれません。
 子どもが遠くへ行っちゃって、見捨てられてしまうんじゃないかって。
 
 そういうとき親はどうすればいいのかというと。
 ちゃんと親は親で、子離れして、子どものためじゃなく自分のための生活をしていけばそれでよいのです。
 ・・・うん、分かってるわよ~。分かってるんだけど・・・それでもやっぱり心配なのも、やっぱりちょっと似ているようです(苦笑)。
 

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2008.08.06

10万アクセス記念小説 その3

※ここから見た人はその1から読んでください。

その1

その2


「リンゴの匂いと空の蒼」 著 BUBI

ある日、ミサキの病室にて。

タク 「こんちゃ」
ミサキ「・・・あ」
タク 「元気だった?・・・じゃないか、ごめん」
ミサキ「・・・」
タク 「この間はごめんな」
ミサキ 「・・・ない」
タク 「え?」
ミサキ「謝ることないよ。君は悪くない。僕こそ怒鳴ったりして・・・びっくりしただろう? もう来てくれないかと思っていた」
タク 「・・・これさ」
ミサキ 「うん?」
タク 「ポケモンのカード。友達からもらった奴なんだけど、あげるよ。ほら、このポケモン、体力回復してくれんだ。持ってると早く元気になるかもって思って」
ミサキ 「ありがとう・・・ねえ、君」
タク 「ん?」
ミサキ「僕たち友達になれないかな」
タク 「いいよ、もちろん! なろー友ダチ!」
ミサキ「タクって呼んでいいかい。僕のことはミサキって呼んでよ」
タク 「オッケ!! よろしくな、ミサキ!」
ミサキ「こちらこそ、タク」

(1話終わり)


以上、1話をお送りしました。
冊子連載時には、ミサキSIDEとタクSIDEは、1頁の右と左に並べて掲載しました。
ミサキ&タクのシリーズは全5話(少し番外編あり)。コンセプトは全て同じで、1話ごとに、ミサキとタク、それぞれから見た一つの物語を綴っています。続きを載せるかは今のところ未定~

それにしても、このお話を連載した頃のドラクエやポケモンが、今も何気に流行っていてよかったなぁ。
読んでいただけましたら、何か感想をコメントしていってくれると嬉しいです^^

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2008.08.05

10万アクセス記念小説 その2

※ここから見た人はその1から読んでください。

その1

「リンゴの匂いと空の蒼」 著 BUBI

【タクSIDE】

君はきっと怒るだろうけど
僕はわくわくしてた
見るもの全て珍しいものばかりでさ
白衣をきたお医者さんはかっこよかった
看護婦さんもやさしかったよ
「お見舞いに来たんだ。えらいのね」
ってほめられて
ちょっと得意になっちゃった
だってさ
母さんには怒鳴られてばかりだし
オヤジには叱られてばっかだし
ほめられたことなんて全然ないんだよ

勉強はやる前に眠くなる
計算も漢字も苦手でさ
クラスの頭のいい女の子には
年中バカにされっぱなし
ひざすりむいても
雨の日に転んでも
服を汚したことを叱られた

今でもたまに言われるんだ
「お前は家の子じゃない」って
「橋の下で拾ってきたんだ」って
ひどいことをするとまた捨てるっていうんだ
まったくやんなっちゃうよ

君はとても大事にされてた
優しそうなお母さんがそばにいてさ
家の母さんでさえ言葉遣いが変わるんだ
学校も行かなくていいんだって言ってたしさ

休みの日に家にいると
うるさいからって外に放り出される
近くの川の土手まで行って
服のまんま土手すべり
ズボンに草の汁がべっとりついて
ついでに犬のウンコまで踏んづけて
最後に水たまりに突っ込んで
ドロドロになって帰れば
「そのまんま家に上がるんじゃない」ってさ
すっぱだかになってお風呂に直行
宿題なんかすっかり忘れて後はグッスリ

もうちょっと家にお金があれば
ゲームボーイだってプレステだって
買ってもらえるのになって思う
そうすればちょっとはおとなしく
家にいることだってできるんだよ?

君にそんな話をしたら
君はあいまいにほほえんだままだった
君がもし外に出られたら
いっしょに土手をすべりにいけるのに
いっしょに基地を作りに行けるのに
いっしょにあの川を海までたどって
冒険したりもできるのになぁ
君は頭がいいから
地図だって読めるし
困ったときには助けてくれるだろう
ドラクエの賢者みたいにさ
魔法だって使えそうだ

いつか君といっしょにいきたいな
海や山やいろんな冒険に
君が歩くのに疲れたら
車イスくらい押してあげる
君は僕たちの冒険のキャプテン
僕が転んで泥だらけになっても
君は僕をバカにしたりはしないよね
仲間じゃないなんて言わないよね


でも僕は君を泣かせてしまった
僕はどうすればよかっただろう
冒険の話なんて
君にはバカみたいに思えただろうか
「夢みたいな話ばかりするな」って
君にとっても怒られた

僕は君が好きなんだけど
やっぱりバカだからだめかなぁ・・・?

その3へ続く)

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2008.08.04

10万アクセス記念小説 その1

(この作品は、以前「ハッピーネットワーク」という冊子に載せたお話です。)

『リンゴの匂いと空の蒼』 著 BUBI

【ミサキSIDE】

懐かしいのはリンゴの匂い
病院で見ていた、名前も忘れた誰かの面影

最初のボクの記憶は
白い薄い布団と一滴ずつ落ちる点滴と
腕の内側に付いた青いアザ

病とともにあるということが
僕にとってはまったく当たり前で
同じくらいに当たり前だったのは
周囲の人々の励ましと称賛だった

幾つもの暗い長い時間をくぐり抜ける度に
「がんばったね」
「よくやったね」
そう励まされたね

そうして僕はいつしか自分のことを
「がんばるえらい子」だと
思い込むようになっていた
痛みに我慢し、周囲に笑いかけることが
そのまま自分の評価を高めることだった

どうだろう?
君はどう思う?
病人を抱えた家族は悲劇であり
悲劇の元凶は病人本人であるにもかかわらず
周囲の人間はそれを決して伝えようとしない

父親がいて母親がいて
風邪一つひかず走り回る
そんな生活を当たり前だと思っていた君に
春夏秋冬ベッドの上で
限られた大人に
ほんの少しの笑顔をほめられる生活が
どうして想像できたろう?
ただそこに有るというだけで
何を為し得ずとも受け入れられる
小さな幸福を

君はあの時、こう言った
「なぜ外に出ないのか」
素朴で残酷な疑問

健康であること
恵まれてあること
それを罪悪だとは思いたくない
でも君といると僕のささやかな幸福は
いとも簡単に打ち砕かれて
僕は自分と
僕を取り巻く全ての不幸を知ってしまった

君が知らなくて僕が知っていること
僕が知らなくて君が知っていること
そんなものは数え上げればきりがなくて
知り得ないことを罪というならば
せめてその罪に気づかずに済むように
出会わなければよかったとさえ思う
僕の臆病さを君は嗤うかい?

懐かしいのはリンゴの匂い
名前も忘れてしまった誰かの後ろ姿

いつか君と話をしたかった
けっして交わらない
別の生き方をしてきたんだけど
どっちが当たり前とか
どっちが不幸とかじゃなくて
あるがままの僕とあるがままの君で
人の心のことや世界の行く末を
話したかったね

でも君はもう来ない
閉じ込められた病室より
外の世界が君には似合う
僕の相手はつまらないだろう
僕は何もできない
この小さな病室だけが僕の世界

僕は君が好きだけど
君はもう来てはくれないね・・・?

その2へ続く)

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2008.08.03

またまたデザートを食べに行ってまいりました。

以前にも六本木のミッドタウンに、国立新美術館にいったついでに寄って、友達の薦めでToshi.Yoroizukaのお店でデザートを食べた話と写真を載せました。(前の記事はこちら

またまた行って参りました~

いやぁ、前回もおいしかったし、カウンターでデザートを食べるという、あのお店のコンセプトも面白いなと思ったんですけど、今回は前回以上に・・・ちょっと感動しました。すごいわね~、ホンモノって。

食べたのはこちら。トマトのデザート。
Photo_6
上がトマトのシャーベットで、下がバジルのアイス。
トマトとバジルというデザートとしてはどんな仕上がりなのか、いろいろと想像しちゃうわけですが、想像以上にとってもおいしかったですー。というか、想像を超えた。
「トマトならこんな味かな、バジルならこうかな」
というイメージよりももっとずっとずっとおいしくて。いい意味で予想をはるかに超えた、未知の、初めての味です。
よくテレビの番組で、一口で感動、みたいなシーンがありますが、そういう時ってこんな感じなんだなーと。
とても幸せな気分になりました。

Photo_4

友人はこちら。ゴルゴンゾーラチーズを使ったアイスがのった、チーズのデザートです。


てっぺんに乗ったゴルゴンゾーラアイスを一口、味見させてもらいました。

「うわーーーー! ゴルゴンゾーラだーーーー!」
いや、ゴルゴンゾーラって、ブルーチーズで。
香りとかが特有で友人はとても好きなんですが・・・私もチーズは好きですけど、ゴルゴンゾーラほどくせがあるブルーチーズ系は、あまり食べられないのです。
でも、その一口の味見は楽しかった。友人のゴルゴンゾーラ好きを知っていたので、そのメニューは私が薦めちゃったのです^^

ゴルゴンゾーラも、トマトも、バジルも。それぞれのデザート、とてもおいしい驚きで。
鎧塚(よろいづか)さんてすごいなぁ。また行きたいです。

国立新美術館の方は「静物画の秘密展」。前、モネや「牛乳を注ぐ女」を見に行った時よりはかなり空いていて、ゆっくり見られました。

それとToshi yoroiduka店情報。前回は10時半の予約で、午後2時半に入れたという感じでしたが、今回は、10時にいって予約を入れたら、11時からの開店に入れましたー♪

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