重松清の短編集、「見張り塔からずっと」という本を読んでおります。
最初の短編「カラス」を読んでいて「うわぁ~」と思いました。
私は基本的に、人間って好きなんですが・・・これ、ありそうだなぁ。ありそうだと思うだけに、
「人間ってこんな残酷な面もある」
ということを見せつけられて、やりきれない思いを感じました。
あらすじを簡単に書くと。
とある郊外のニュータウンに、バブル絶頂期の頃、何千万もの借金をしてマンションを購入した人々がいまして。もちろん彼らは、まだまだ不動産が値上がりするのだと思っていたわけですよ。
ほどなくして、マンションの価格は暴落する。
落胆しているところに、彼らが買ったのよりも1千万近く安く、同じ1室を購入して、引っ越してきた一家がいました。
落胆していた、第一期入居者たちは、そんな一家が面白くない。
自分たちよりも得をしている彼らが許せない。
自分たちが同じ物件を高く買わされて損していることを、彼らにせせら笑われてるように勝手に感じて、勝手に悔しがって・・・
自治会の知らせをその一家にだけ連絡せず、ごみ置き場の注意事項を知らせずに、決まりを知らない一家がほかの家と違う方法でゴミを出せば、そこに「規則違反」の貼り紙をしたり。その他、陰湿ないじめが始まります。
結局、ターゲットにされた一家は、数々の嫌がらせに耐えきれず、せっかく買ったマンションを手放して、引っ越していきます。身も心もぼろぼろになって。
いじめに荷担していた第一期購入者の家の夫と、嫌がらせを受けた家の夫は、毎朝バス停で顔を合わせるのですが、第一期購入者の家の夫は、そういうことが行われているのを全部知っていて、知らんふりをしています。
最後、ついに引っ越していく、嫌がらせを受けた方の夫がこういいます。
「お宅は大丈夫だといいですね・・・」
この話のいやぁなところは、マンション価格の暴落に落ち込んでいた、第一期購入者の人々が、後からその一家をいじめることで、一致団結して、元気になっていくところです。
そして、いじめを受けてその一家がそこを去れば、また次のターゲットが生まれる。
それは、この間まで、みんなといっしょに嫌がらせに荷担していた誰かかもしれない・・・。
・・・
・・・
やだなぁ~~。
いえ、嫌なら読むなって話じゃなくて、人間がそういう面を持っていることが嫌だなぁと。この小説自体はうまくできているのですよ。嫌がらせをする側の心理もされる側の心理もよく伝わってきます。
子供の頃、私はいじめを受けた経験がありまして。
そのせいか、大人になってからも集団心理というものにことさら警戒感があります。
人間て、基本的に、自分が負ってる負い目や愚かさを、自分自身で受け止めることをしないで、誰かのせいにしたい性質を持つ生き物なんだよな。
甘ったれんじゃねぇ、と私などは、自分に対しても他人に対してもそう思うのですが、現実にそういう人は多いし、そのこと自体は『弱さ』ではあっても『罪』ではないのですよ。
そういう弱さも弱さとして受け入れることは大事だし、自分で受け止めきれない重さを、信頼できる誰かと共有することができなければストレスでつぶれちゃうので、自分で全部引き受けろ、と言うつもりはないのですが。
ただ、他人にそれを転嫁してはいけない。
でも結構、日常生活の多くで、こういうことは多く行われています。注意していないと自分も巻き込まれるし、もしくはターゲットにされる危険もある。
もっと怖いのは、個人個人ではこういう危険性を十分に知っていながら、こと、集団に紛れると、誰かにせいにしていた方が楽だし、みんなといっしょになって何かをすることは=「正しいこと」に思えてきて、自分の中で、やっちゃいけないと思っていることも「正当化」されてしまう。
この怖さを、身をもって知っているので、私は集団というのが嫌いです^^; というか、やっぱ怖い。
今は一人暮らしで、地域の集団からは孤立しているので、そういう煩わしさは感じずに暮らせるのですが、もともと、集団に馴染めないはぐれもんだからなぁ~
一人一人はいい人なのに、何人か集まるとどうしてそうなっちゃうんだろう。
自分のことに自分で責任を取らずにいられるということがどんなに楽かは・・・実はよく分かるのですが、分かるだけに、その楽さにだけは負けちゃいけない、といつも自戒するところです。
でも、思えば、私のようなはぐれものもかなり生きやすい時代になってきました。結婚とかしない限りは新たなコミュニティに組み込まれることもないものな。
「自由」であることと「責任」はいつもセットで。その自覚さえあれば集団には寄り添わずに生きて行かれる。人を傷つけることも傷つけられることとも無縁でいられる。
・・・ただ、だから・・・
もしかすると、集団にだけじゃなくて、誰に対しても寄り添えないのかもしれないなぁ~
はぐれることがいいわけではありません。個人の力ではできないことが集団ならできることもある。みんなで力を合わせることが、よい方向に働くこともあるはず・・・なんだけど。
この年になっても、結局このテーマに答えは見えません。
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