今まではっきり意識していなかったのですが、私は、病気でもなく、赤ちゃんでもないのに「自分のことが自分でできない」人を見ると、なぜかとても不愉快になることに、本日、気が付きました(苦笑)。
いや、発端は、本日発売の週刊文春。
買った動機は「麻生太郎のマンガ脳」という記事が読みたかったからです。
未曾有を「みぞうゆう」と読んでしまうなんて、麻生さんって「羞恥心」レベルだったのかと、がっかりしてしまいます。頻繁を「はんざつ」と読んでしまったのは勘違いだったから仕方ないとしても「踏襲」を「ふしゅう」と読むに至っては・・・私でも読めるのに(-_-;)
無論、私にも、周りが当たり前のように使っていても意味の分からない言葉はあります。
「デリバティブ」「サブプライムローン」「イノベーション」「リスケ」「リテラシー」「ポートフォリオ」・・・麻生さんはこっちの方が分かるかもしれん。(最近仕事で、投資や金融の用語に接する機会が多いのですが、さっぱり分からなくて落ち込むのよね・・・)
もとい。
今日のテーマは麻生さんじゃなかった。
今日の週刊文春に、土屋賢二という人のエッセイが出ています。
今日のだけじゃなくてもうずいぶん長いこと週刊文春に面白エッセイを書いている方なのですが、その人の今号のテーマは・・・「妻の不在」。
だいたいどんな内容だか想像はつくと思いますが、その予想どおり、こんな内容です。
妻が、旅行にでかけ、待望の独身生活が訪れたと喜ぶ筆者。しかし、コーヒーを入れようと思っても、コーヒーメーカーのありかもコーヒー豆のありかもコーヒーフィルターのありかも分からずにコーヒーを断念。
冷凍ごはんをレンジで解凍するやり方が分からず、しかたなくごはんはコンビニのおにぎり・・・にしようと思ったけど、目指すサケおにぎりがないので、家にあったバナナで済ます。
翌朝、ロールパンをオーブンで焼いたけれど、焼き加減が分からず、いつものちょうどいい焼き加減には程遠い状態で食べる。
ということで「妻がいないと解放感は味わえるが、生活は確実に不便になる」というエッセイでありました。
これねぇ・・・
いや、以前にもこのブログで、
「共働きの妻が帰宅するのが遅いため、妻が帰るまで夕飯を食べるのを待っているので、夕飯はいつも夜の11時過ぎ」
の上司に対し「信じられない!!!!」と書いたことがあります。
私はそんな上司に対し、
「共働きで奥さんだって疲れて帰ってくるのに、先に帰っている夫が何もしてない上に、夕飯を作ってもらえるのを待っている」
だなんて・・・『自分で自分の食事もなんとかできないなんて、自分じゃえさも食べられない「犬」ですか、あなた』とひどいことを書いたわけですが、いただいたコメントは比較的、
「それっていいご夫婦じゃないの♪」
という上司に共感するコメントが多かったのですよねぇ。
槙原敬之の「もう恋なんかしない」でも
♪きみがいないと何にもできないわけじゃないと
♪やかんを火にかけたけど紅茶のありかが分からない
なんて歌詞がありますが、私、これはただの歌詞で現実にはそんなことないと実は思っていました^^;
私は・・・なんかだめです、そういう関係。
もちろん病気やケガのときや、年をとったときや、赤ちゃんや小さい子供も、周りの人の助けが必要だし、世話になることを遠慮したりしちゃいけないと思うのですが。
いい年した大人の男が、自分の身の周りのことを全て妻に依存していて、いざ一人になったときに何もできないという関係が、ちょっと気味が悪く、理解できないと感じてしまいます^^;
「男」と「女」にはもちろん性差はあるけれど、それほど中身に違いはない、と私はずっと思っています。
料理だって家事だって、やろうと思えば男性にだってできるはず。なのに「できない」なんて、甘ったれるんじゃな~い!!
でも・・・考えてみると、冷凍ご飯が温められないのも、ロールパンの焼き加減が分からないのも、普段、妻が夫に何もやらせず自分がやっちゃうからだよな^^; 自分の食事も自分で用意できない男性を作っているのは女性なのかも。
もし私だったら。
コーヒーはいつもパートナーにいれてもらって、週に一度くらいは食事も作ってもらおっと。・・・なんて、いないけどさ、そんな相手ー(爆)
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