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December 2008

2008.12.31

2008年の終わりに

2008bithday_2
きれいになった部屋は
いつもよりちょっと広く見える

2008年の年末は
とてもいい天気が続いたので
洗濯もたくさんして布団も干した

いつもは仕事でバタバタしている

こんなふうに穏やかでのんびりした日が
ずっと続けばいいのに
(一ヶ月もしたら飽きるのかなぁ?)

新しいスケジュール帳の1頁目は
「1年後 どういう自分になりたいか」
記すページだった

『今のままでいい』

今のまま健康で
今のままひとりで
今のまま広い空を見上げて
料理をしたり
洗濯をしたり

そして・・・
時々きみから便りが届けばいい

永遠からほんの一瞬
与えられたわたしたちの時間に
大好きなアールグレイで乾杯

さあ 新年を迎えようか

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2008.12.29

初めての厄除け

 先月来、腹痛や腰痛や火傷などが続いたので、初めて「厄除け」なるものに行ってきました。
 行き先は明治神宮。30分ごとに受付しているとのことで、とっても便利~。

 厄年はもう過ぎて、関係ないとおもっていたんですが、どうも、明治神宮の定義では、来年、私は厄年のようです。その意味ではタイミングもちょうどよかった。

 これからいく方への参考に書いておくと、料金は5000円から。
 御祓いの後、お札とお菓子とお神酒がもらえます。
 
 さて、帰ってきて、今、パンフレットを見てみたのですが・・・明治神宮って、明治天皇と皇后が祭神なのね。こう言ってはなんですが、比較的最近の方でした。
 明治天皇の存命中を知ってる方なら逆になじみがあったのかもしれないけれど、私にとっては中途半端に古いというか(こらこら)。

 普段はあまり信仰をしてないでこういう時だけ神頼みしてみようなんて気を起こすから、こういう妙なことになります。

 もしも、人が亡くなったあと、神様になれるとしたら・・・
 普段、無信仰の人間が、何かに対して祈るとすると、神社に祀られている一面識もない神様よりも、身近で亡くなった誰かの方がなんとなくご利益がありそう。

 私の場合だったら、亡くなった母であり、祖母であり、祖父だったりするのかもしれません。
 神様、というよりも、仏教の世界観ですわね。

 人はいろんなときにいろんなものに対して祈ります。

 もしかすると・・・何かに困った時、もしも親だったら、自分の子供の顔を思い浮かべればがんばれるように。何も亡くなった人でなくても、誰でも心の中にいる大切な誰かに、心からの願いを捧げれば、その願いは叶えられるのかもしれません。
 もちろん、私にもいます。誰よりも、自分のことよりも、大切で、大事な人。

 信仰というものの本質は・・・そして「祈る」ということの本質は、そういうことなのかもしれない、と思います。

 と言いつつ。
 いただいてきたおふだは、南向きの一番高い場所を拭き清めて置いてあります。 来年は納めにいかないと。

 いやぁ、まったくもって、節操のない日本人ですなぁ~

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2008.12.28

吉田修一「悪人」

吉田修一の「悪人」という本を読みました。

図書館で借りようと予約していたらものすごい数の予約が入っていてやっと借りることができましたが、この年末、バタバタしていてなかなか読めず、実は、昨日が返却期限だったのに、今日に至るまで読めてなかったんですよね・・・

よっぽど、読まずに返そうかと思ったんですが、長く待ってやっと借りた本なので、
「なんとか読んでやる」
と固い決意のもとに・・・しかし。

今朝は9時に起き、掃除、洗濯、炊事、そして、テレビでサンデージャポンの飯島愛さんへの追悼の放送を見た後、年賀状を出しに郵便局へ。

12時からは囲碁講座、そのあとのNHK杯も今日は結城聡さんと河野臨天元の対局、これがまた、オーソドックスな対局で、素人にも大変参考になるものだったので、ついいっしょに並べながら見ちゃったものだから、どんどん本を読む時間がなくなってきます。

囲碁のNHK杯が終わったのが2時。

「悪人」は分厚い本なのですが、図書館の閉館時間の6時まで4時間ありますから、4時間あれば読めるだろうと、ページを開きました。

元々、吉田修一さんという作家さんの本て初めてです。
だいぶ前に「悪人」を図書館で予約したのは、ネットのレビューで絶賛されていたからだったのですが・・・

この本、噂に違いません。
読み始めたら、一気でした。これ、多分、こんな返却時間がせまってなくても、読み始めたら止まらなかったでしょう。

たとえば「容疑者Xの献身」が好きな人なら、この本、ぜひ読んで欲しい。

・・・気が付くと5時半。図書館へは自転車で10分。
図書館へ行くと、今日が、本年の図書館の開館が最後の日だったこともあり、最後の10分でまた三冊ほど本を借りて図書館を後にしました。

余韻を味わう余裕もなく読みかえすこともできませんでしたが、「悪人」は大変読みやすいし、面白いし、よい本だと思います。

また吉田修一さんの本、読んでみようかな。

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2008.12.26

人を孤独に追いやるものは。

 クリスマスイブの日に大変ショックなニュースがありました。
 飯島愛さんが亡くなったというニュース・・・
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081224-00000561-san-ent

 亡くなられてすでに1週間を経過していたそうです。ご冥福をお祈りいたします。

 飯島愛さんといえば、私はロンブーの格付け番組や、日曜日のサンデージャポンなどで、姿を拝見していたんですが、とてもサバサバして素敵な方でした。今回の急な訃報で、ショックを受けた芸能関係者の方も多いと聞きます。

 私も年齢も近いし、シングルの一人暮らしだし、なんだか他人事とは思えません。

 死因が特定されていないのでなんともいえないのですが、まず一報を聞いて、なんというか・・・
 もし、一人で何かに悩んでいたり、苦しんでいたりしたなら、誰かが助けてあげることはできなかったのかなぁとちょっと切ない気持ちになってしまいました。

 いろいろな報道を見てみると、飯島愛さんは業界に友達も多く、もし何かで苦しんでいたなら
「言ってくれれば助けにいったのに」
 という人が大勢いそうなんですよね。

 それでも、彼女は一人で亡くなってしまった・・・

 私の場合なども、病気で苦しい時って、一人でうんうんうなっていることの方が多いです。
 誰かに話せるのは、比較的元気な時だったりして。
 飯島さんは、うつも患っておられたそうですが・・・心でも体でも、痛かったり、辛かったりするときに、どうやってSOSを、どんな相手に出すべきなのか、けっこう難しいもの。家族がいないってのはそういうことなんだよなぁ。

 苦しい時にひとりぽっちに、ならない、させない、ために、何か、できることはないんだろうか。

 そんなふうに考えているうちに、ふと標題のようなことを考えました。

 私は、人を孤独に追いやるものは「不信」だと思っています。

 誰も信じられない。自分も信じられない。そうなると、どんどん、マイナスに落ち込んでいきます。いくら、周りがその人を好きだったり、評価したりしていても、「不信」になってしまうと、客観的に自分を見られなくなって、ひたすら低い自己評価の中で、どんなに苦しくても、どんなに辛くても、誰にもそんな自分を見せたくなくなって、自ら引きこもってしまう。

 そうなると、誰かから助けの手を差し伸べられても、自ら振り払っちゃったりするんだよな。

 これは飯島愛さんのことではなく、一人で生きている30代、40代の全ての人にとってのことで。
 誰だって、元気なときはいいけれど、病気になることはある。そうなった時、ダメになってしまう前に、誰かを信じて勇気を出して助けを求める、なんてことを、できるようにならなければいけないなぁと・・・これは、完全に自省です(^_^;)

 つい先日、腰痛や腹痛に苦しんだ経験もあってそんなふうに思うわけですが、だからこそ、誰かが具合が悪くて困っているときに、信じてもらえる自分にもなりたいなぁ。

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2008.12.22

重松清「舞姫通信」

重松清の「舞姫通信」という小説を読んでいます。

「自殺」はなぜいけないのか。
読んでいて、それを問われる作品です。

まだ途中なんですが、作中のここを読んで、この記事を書いてみる気になりました。

(引用開始)

いまも胸の中に残るクエスチョンマークは、ただひとつ。
僕はなぜ死んでいないのだろう。

(引用終わり)

また作中では、

Q1 あなたは自殺を認めますか?
Q2 あなたは自殺したいと思ったことは(あるいは未遂体験をした)ことがありますか?

という問いが出てきまして。私は、これ、どっちもYesです。

 Q1に対して、簡単に「自殺をしてもいい」というつもりはないのですが、認めるか、認めないかと問われたら、「認めない」と答えることはできません。
 だって、この世の中には、死ぬよりも辛い苦しみってあると思うから。「自殺はいけない」と言えるのは、そんな体験を想像できないから言えるような気がします。
 Q2については、思うだけなのと、実際に死んでしまうのとは、すごく差があると思っているので、実は、これ、どんな人でもYesだと昔は思っていました。
 世の中には、この問いに胸を張ってNOと答えられる人がいる・・・のかな。
 だとしたら、この世界って、私が思っているよりもずっといい世界なのね(苦笑)。

 それで、最初の問いかけに戻ります。

(なぜ僕は死んでいないのだろう)

 自殺を認めないと言い切ることはできない。自分も実際に自殺を考えたことがある。
 なのに、なぜ、今、死んでいないのか。
 
 文庫本を片手に、自分に問いかけて帰ってくる答えは、私の場合はこうでした。

 私には、私の命って、私のものじゃない気がするんですよね。だから勝手に自分で終わりにできない。そんな気がします。
 じゃあ、誰のものかというと、ここから先は精神論というか、自分なりの哲学になるんですが。

 人がこの世界に生まれるのは、自分が生まれようと思ったわけではないことは確かで。この世界に生まれ出た命に、小さな意志が宿る。

 小さな意志はしだいに成長して、自分のことや世界のことやかけがえのない誰かのことを考えたりする。命から生まれたものなのに、まるで命を自分のもののように思ったりする。

 私は、紫堂恭子の「不死鳥のタマゴ」というマンガが大好きなんですが、人の命って、この「不死鳥のタマゴ」に書かれているようなものだと思うんですよ。

 どう書かれているかというと・・・まあ、それは、ここにくどくど書くのは恥ずかしいので、興味のある方はマンガをあたっていただくとしまして・・・

 つまりは、命ってのは、与えられたものなんじゃないかなぁと。
 与えられたんだから、その間は一生懸命生きればいいだけで。
 ほんのひととき、「私」は永遠の「何か」から命を預かっているんじゃないか。いつかは返す時が来るので、それまでは、せっかくもらった時間を、いろんなことに使ってみたい。

 命が自分のものでないならば、それに仮に宿っている小さな意志としては、それを勝手にどうこうするのはいけない気がします。
 「自分」は何かに「生かされている」ということでもあるのかもしれない。何かの役目が私にあるのかどうかは分かりませんが、自分を生かしている「何か」があるなら、死ぬまではその何かに、がんばって報いなくちゃ、なんて気もします。

 それができたら、死に際して、贖罪の祈りの中で、静かに逝けそうな気がする。贖罪の祈りは、もちろん、宮部みゆきの「ブレイブ・ストーリー」の中に出てくる言葉。(記事はこちら。)

(引用開始)

 ヴェスナ・エスタ・ホリシア
 ヒトの子の生に限りはあれど、命は永遠なり。

(引用終わり)

 私は、普段はたいして神も仏も信じていなくて、都合のいいときだけ何かに祈ったりする一般的日本人なんですが、生きるってことの本質が、人間の意志の外にあるのはおそらく真実で、その意志の外にあるものを、なんて呼ぶか・・・それが神様だったりするのかなぁなんて思うわけです。

 私が今、死んでいないのは。

 この命は私のものじゃないから。

 私の答えはこうですが、さて重松清さんの「舞姫通信」の中ではどんな答えになるのでしょうか・・・

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2008.12.21

ストレスのゆくえ

 40の誕生日から1週間経ちました。
 この1週間は、腰の具合もよくなったし概ね気分よく過ごすことができたんですが、金曜日になって、仕事でちょっといや~なことがありまして。

 自分なりに考えて、それがベターだと思って処理した仕事があったんですが、それを頭ごなしに課長に否定されました。
 自分の判断の根拠とか現状を、課長に説明するのをさぼったからなのかな、とそこを反省して、がんばって説明をしたんですが、どうも理解してもらえず。
 理解してもらえない以前に「怠けたい」からそういうふうに処理をした、と思われてしまいました。
 そうじゃない、と話をしたんですけど、どーも「怠けたい」と思われた部分は、どうにも、今からだと、課長の中ではひっくり返しようがなくなってしまったようです。

 ふー。

 なんか、こうやって書くと、少し状況がすっきりします。けっこう、よくあることなのかもしれません。よかれと思ってやったことが、空振りどころか、マイナスの効果を生み、いくら「そういうつもりじゃなかった」と話しても分かってもらえないこと。

 というか、今まで、こういうことがほとんどなくて、分かってもらえていたこと自体が、よい人間関係に恵まれていたということなのかもしれませんな(-_-;) 

 と、いうわけで、自分ではそれほどストレスとも感じていないつもりだったんですが、それなりにストレスなのかな。先週の水曜日あたりから、ちょっとおなかの調子がまたおかしくなってきており、クリスマス&年末と、ハッピーな休みが近づいているのに、ちと、調子が出ないここ数日です。

 でも、昨日は友人たちに誕生日を祝ってもらって楽しい時間を過ごすことができました。
 やっぱりちょっと落ち込んでるときも、誰かといると違うなぁ。一人でいると、自分にばかり関心が向かってしまって、どんどんマイナスに落ち込んじゃいますから。

 こういう時は気分を切り替えるのが一番。やっぱ囲碁かな^^

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2008.12.15

2008年の誕生日

 今年の12月14日は私にとって10年に一度、十の位が変わる記念すべき誕生日でありました。
 いろいろ体調が今一つだったので、先月はゆううつだったんですが、やけども腰もおなかの具合も持ち直してきて、元気にこの日を迎えることができました。
 ついでに、具合が悪いとすぐに出る、口唇ヘルペスの方も、今日、かさぶたがとれてきれいになってきました。ほっ。でもよくなったのに油断せず、腰を据えて40台を・・・いけね、言っちゃった(爆)
 まあ、このブログでは、今までもAround40って書いていますから、オープンでよいな。

 40・・・
 40ですよ~。
 うぬ・・・

 中身もライフスタイルもここ10年まったく変わっていないので、なんだかなぁという気が心底します。

 40才は「不惑」の年と言われておりまして、我が身を振り返ると確かに一つ・・・
「何のために生きるか」ということを自分に問うことをやめた、という意味では「惑わず」になったかな。
 30台の内は、まだ結婚もあるかもと思っていたものな~

 いろんなことをあきらめないと、と、ちょっと滅入りがちだったのですが、14日は、昼は、私同様に12月と1月に誕生日を迎える友人と渋谷のすてきなお店でバースデーランチ。夕方からは職場の以後サークルの集まりが、幹事さんの家でありました。
 もちろん、事前に「その日は誕生日なんです!!」と言っておいたからなんですが、バースデーケーキをご用意いただき、碁仲間のご年配の先輩方にお祝いをしていただきました。
 楽しい誕生日だったなぁ~

 きっと、あと10年たっても、私はこのままなのかも。

 たまには体を壊して困ったことになったり、誰かに恋をして浮き浮きしたり、涙を流したり。 
 仕事で大変な思いをしたり、休みにカラオケに行って歌ったり。
 そして囲碁をたくさん、いろんな人と打ったり。

 そんな人生に意味はあるのか、って、誰かに問われたら困っちゃうのですが、おそらく「意味」って人間が勝手に意味付けしただけであって、長い歴史から見たら、意味があるかないかを問うこと自体が、意味がないような気が、今の私はしています。

 私は、もう、この人生で、欲しいと思うものは全部手にいれてしまったので。
 あとは、この先を、静かに過ごしていくことができれば何もいらないな。

 でもけっこう、この「守り」というのも、頭を働かす必要があるのです。体も壊れていくし、親も年だし、60過ぎたら仕事はきっとなくなっちゃうし。
 だからこれからも波乱は覚悟ですが、失っていくことを恐れるばかりじゃなくて、いくつになっても、新しくいろんなことに出会っていけるような日々を過ごしたいな、思います。

 面白いのは、個人的にこの10年で一番変わったのはネット環境だったり。
 ブログ人気はすでに下降傾向ですが、さて、このブログはどれくらい書き続けられるでしょうか・・・。

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2008.12.12

これは面白い! 映画「ターミナル」

2004年の映画ですが、スティーブン・スピルバーグ監督の「ターミナル」という映画をレンタルDVDで見ました。

いやぁ、面白い映画だったなー。

先日の「メメント」もびっくりして何度も見てしまいましたが、「ターミナル」も何度か繰り返して見ました。最初の方のシーンなどは、字幕も消すと、自分も主人公といっしょに、海外の空港で迷っている気分が味わえます。私も簡単な英語なら分かるつもりでいるけど、空港の係の人の説明、やっぱ聞き取れなかったなぁ。

主人公の彼は、とある目的で、ロシア語圏の国からアメリカのニューヨークへ旅行でやってくるんですが、母国で突然クーデターが起こったため、帰国もできなければ、アメリカへの入国もできなくなり、空港に閉じ込められてしまいます。

それからの彼の悪戦苦闘ぶりがなんとも・・・身につまされます。でも、彼、たくましいよなぁ。

映画にはヒロインがつきもので、この映画にもヒロインがいるのですが、また、このヒロインがけっこうせつない設定でして。
男性を見るときに自分の都合のよい部分しか見られないという悪いくせをもつ彼女。でも私に彼女を笑えないなぁ。人間って自分に都合のいい部分しか見ないものですからねぇ。

私などは、自分の都合のいいように相手を解釈すると、相手がそれ以外の部分を見せた時に裏切られた気分になってがっかりするのが嫌なので、最初から「そんな都合のいい相手がいるわけがない」というところから入ります。なので、彼女のような失敗はないんですが、おかげでいつも、こと人間関係においては必要以上に悲観的に考えるくせが・・・ま、私のことはどーでもよろしい(爆)。

「ターミナル」、傑作です。何よりも見ると元気になれます。
レンタルで見かけましたらぜひ。

なぜか、私は、何となくこの映画を見ていて、伊丹十三さんの「ミンボーの女」や「スーパーの女」を思い出していました。この2本も、見ると元気になれるのよねぇ。

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2008.12.08

献血記

 「まだ一度も献血ってしたことない」
という友人といっしょにとある駅の献血ルームにいってきました。

 以前、学生だった頃、クラスメイトに、大学に来ていた献血車に連れられていって以来、手軽にできるボランティアということで、大学に行ったはいいけれど、講義が急な休講だったりしたときに、時間つぶしによく献血ルームで献血をしていました。

 そんなわけで、以前はちょくちょく献血ルームに通っていましたが、今回は3年ぶり。平成14年の12月にいったのを最後に3年くらい間が空きました。学生の頃は、1生のうちに100回できたらいいなぁと思っていたんですが、今回で36回。ちょっとこのペースでは目標は達成できない感じになってきちゃった。

 いえ、血液が不足しているときに、献血ルームからの依頼を受けて献血に行くとVIP扱いしていただけるので、それを待っていたのですが、忙しさに紛れて依頼を受けても行かれないことが何度か重なり、それですっかり献血ルームから足が遠のいていたのです。また献血に協力するきっかけ作りを友人にしてもらいました。

 久々の献血ルームはいろいろシステムが変わっていました。

 ○献血手帳がなくなって「献血カード」になったこと。
 ○献血前の問診がタッチ式の画面での回答になったこと。

 カードになったのはちょっと残念です。リライト式だと思うので、過去の記録って自分でつけてない限りは、記載されなくなっちゃうんだな。手帳なら、自分が最初に献血したのが何年だったか、過去の手帳を見れば一目瞭然なのですが。
 
 さて、ダイエット中なのでどうかと思いましたが、比重等は問題なく400mlできました。いつもながらなぜか血圧は高く出るんですけど、それは問題ないらしい。
 それといつも血管が奥の方にあって採りにくく担当泣かせなのですが、そこはプロの技、今回はそれほど時間がかからず採血できました。

 自分でチャンネルを変えられるテレビでクラシックなどを聴きながら優雅に採血時間を過ごし、無事終了。
 久々の400mlですが、私はまったく問題はありません。

 ところが・・・
 いっしょにいった初めての友人は200mlだったんですけど、終わった後、めまいがして、しばらく起きられなかったそうです。うむ。そういう人もいるのねぇ。貧血等の問題はなさそうだったのに。いろいろ人によるのね。
 
 ともあれ久々に献血いけてよかった。
 その後、腰痛でつらい1週間だったんですが、健康に感謝という意味では一つ貢献した気分です。

 ただ。
 一昨日、血液の検査結果がきたんですが、コレステロールがかなり高かった・・・260とかありまして^^;
 引き続き健康には留意いたします。

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2008.12.05

腰痛記

 人生で最初に腰痛になったのは、いくつの時だったかなぁ? 

 確か、大学生だった頃でありました。郵便配達のバイトをして、重い荷物を載せた、乗りなれない自転車に乗っていて、悪くしました。近所のカイロプラティックに行ったら、すぐに治りましたっけ。

 それ以降、何回か腰痛になりましたが、直近で一番覚えているのは、腰痛というか、「せきついすべり症」っていうのになったときです。原因は、安物の折りたたみベットに寝ていたら、お尻の部分のクッションがへこんでしまい、それをそのまま使っていたせい^^;

 この時は腰というよりも、右足にしびれが。
 その後、転んで右足を捻挫して、右足をかばって歩いていたらそれがさらに悪化しまして。

 この時はかなり治るまで時間がかかり、まともに歩けるようになるまで、半年以上かかった気がします。腰痛が治るっていうのは、何かで痛んだ部分が自然に元に戻るのを待つしかできず、時間だけが薬です。

 さて、それで、このたび、4年ぶりくらいに腰痛になりました。正確に言うと11月29日の朝から。
 原因が分からないんですがねぇ。あえて言うなら、寝違えかなぁ。

 これがまた、立っても座っても歩いても痛くて、かなりへこみました。特に、職場の椅子がよくないようで、座って仕事していると立った瞬間に痛みが走り、しばらくはまともに歩けない。

 で、また腰をかばうものだから、周りの筋肉がガチガチになって、ここしばらくは自宅でパソコンに向かう気にもなれず、もちろん、囲碁もご無沙汰です。

 でも今週は大事な仕事があり、休めなかったので、腰をかばいながらがんばりました。とりあえず、その仕事は水曜日に終わったので、今日はお休みして、家で休んでいました。
 あとは整体にいって、少し様子を見るつもり。

 というわけで腰痛に悩まされているここ数日ですが、先月からこっち、火傷に腹痛に腰痛と、体のトラブルが続いています。
 
 なんでかなぁ? 何かのたたりかなぁ?(今市子の「百鬼夜行抄」を読んでいるものでつい・・・)
 日ごろの行いを振り返ったりしていますが、あまり心当たりもなく。

 明日は毎月行っている母の墓参りに行ってきます。母に原因が分かるとも思えないけれど、一応しっかりお参りして訊いてこよっと。

 みなさまも体にはお気をつけ下さい。って、やけどの時も書いたな、うん^^;

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