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March 2009

2009.03.29

意外とよかった♪映画「愛の流刑地」

 もうだいぶ前ですが、野島伸司の「世紀末の詩」というドラマを見ていた頃にこんなふうに感じたことがあります。

『もしかしたら「愛」っていうのは「生」よりもむしろ「死」に近いものではないだろうか』

 こう考えたのにはもちろん前提として、「愛」というのは当然、人の命や生の源泉であり、愛があるから人は生きていかれる、という考えがあったからです。

 でも野島伸司のドラマを見ていたら、もしかしたら逆じゃないだろうかと思えたんですよね。映画「愛の流刑地」をレンタルで見まして、それをあらためて思い出しました。

 多分、一般的には「愛」って前向きなものだと捉えられがちだと思うんですが、そう信じていると、けっこう「あれ?」って思うことが多い。(無論、実体験に基づいております^^;) 

 人を愛することが人を幸せにするとは限らない。

 いや「幸せ」ってのも定義がいろいろあるのですけど、少なくとも・・・映画「愛の流刑地」では、その愛の終着は「死」だった。「死」もまた本人がよければ幸せだ、という考え方もあるんですが、だからこそ「愛」は「生」よりも「死」に近いものかもしれないと思うのです。

 映画「愛の流刑地」では・・・
 
 主人公の男女(豊川悦司・寺島しのぶ)は、とても愛し合っていました。とても愛し合っているんですが、女性は男性に「自分を殺して欲しい」と懇願する。男性は女性の望みをかなえてやりたくて、SEXの最中に彼女の首を絞めて死に至らしめる。男性は自分で警察に通報し、捕まって、裁判にかけられる。その一部始終が映画となっています。

 愛し合ってるなら、何も死ななくたっていいじゃないの、と単純な私は思うのですが・・・
 なぜこの女性が男性に「殺して欲しい」と頼んだか、これを読んでいる皆様はこれだけ読んで分かりますか。

 映画の中では、
「SEXの最中に女性が『殺して』だの『死んでもいい』だのと叫んだところでほんとに殺すヤツがどこにいる」
 というふうにお話が始まり、それはほんとにそのとおりで、裁判ではなぜ彼が彼女を殺してしまったのかが焦点となっていきます。

 まあ彼は、ただ彼女が望むとおりにしたかっただけなんでしょう。

 ではなぜ、彼女は、最愛の人に自分を殺して欲しいと願ったのか・・・

 答えはこうです。
「彼と彼女の恋愛は『不倫』だったから」

 ・・・『不倫』ねぇ・・・

 ここ10年か20年くらいの間に『不倫』ってことの考え方自体も大きく変わってきた感じはあります。結婚した女性でも、他に好きな男性ができたり、夫との関係に限界を感じれば別れればよくなった。だから、今の世の中ではあまりこういう『不倫』自体がなくなってきつつある感じはするんですが・・・

 私が思うのは、結局、人と人とが出会い愛し合うことそのものが、世に一般的に言われる「幸せ」・・・つまり、男性でも女性でも、結婚し、子供をつくり、一人の異性と添い遂げることとは、相反するものなのかなぁということです。

 でも、それって・・・^^;

 なぜ、愛が、人としての幸せに結びつかないのか。
 私はずっとそれが疑問なのです。

 誰かを好きになったり、好きな人と結ばれたりすることは「幸せ」であってよいはずで。なぜ、それが「悲劇」の方に結びついてしまうのか。たとえば「愛の流刑地」の彼女の場合であれば、夫や子供のいる家庭と、愛する男性の間に板ばさみになり、追い詰められて、ついに最愛の男性を殺人者にするという究極の選択をしてしまう。

 うう・・・なんでこんなことに・・・

 じゃあ、最初から彼と彼女は出会わなければ良かったのか。
 出会わなければ誰も傷つけずに済んだのは確かで。

 でもなぁ~~~~(悩)

 「人を愛する」気持ちって大事だと思うのです。やっぱりそれがなきゃ、せっかく生まれてきた甲斐がない気がする。一方でそれが悲しみや苦しみを伴うものだとしても・・・うーむ、結局「愛」ってそういうものなのか。

 ・・・という「愛の流刑地」の感想でありました。
 いや、この映画、巷であまりいい評判を聞かないんですよね。なのに、見てみたら意外によかったです。(「あまり面白くないかも」と思いながら見たせいもあるんでしょうが^^;)
 原作は「失楽園」で有名な渡辺淳一。渡辺淳一が書く女性というのは、男性に都合よく書かれすぎという話も聞いたことがあるんですが、私は原作も何冊か読みましたがあまりいやな感じはないです。
 打算もなく、ただ一途にこんなふうに女性を愛せる男性っていいなぁ~と。

 ただ、考えてみたらこの映画で、男性は相手の女性のどこを好きだったんですかねぇ? それ考えたらちょっと不思議。彼は、裁判で初めて彼女の家庭のことや彼女の置かれた状況を知った。それまでは何も知らなかった。ただ彼の目の前にいて、彼を愛する彼女の姿しか知らなかった。

 もしこれが「現実」だったなら彼を「ずるい」と思う女性は多いでしょうな。
 でも、いいんです。
 「映画」だから(苦笑)。

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2009.03.21

山本弘「バイオシップ・ハンター」

子供の頃から、SFが大好きで、マンガなら「銀河鉄道999」、小説なら、小松左京や眉村卓にはまっていました。
SFなら、何を読んでも
「ああ、この話ね~」
とネタが大体分かってしまうので、大人になってからはあまりSFは読まなくなっていました。

でも、世の中、そう捨てたもんじゃありません。いくらでも、面白い小説って出会えるものです。

最近よくいく図書館で、「ハヤカワSFシリーズJコレクション」というシリーズの書籍をよく見かけるようになっていろいろ借りています。今まで知らなかった作家さんもたくさんいるんですが、これがまた面白い。SFもこんな新しい波が来ているんだな~。

最初にはまったのはこれ。

小林泰三の「海を見る人」

小林泰三という作家さんは、ホラー作品も書かれるですが「αΩ(あるふぁ・おめが)」という作品を読んでから、

「すごいな、この人・・・」

と思っていました。いろいろ読むとほんと面白いです。

で、先日借りた本が、山本弘の「まだ見ぬ冬の悲しみも」。6つのお話が入っていて、標題の「バイオシップ・ハンター」はそのうちの一つです。山本弘さんて、今まで全然知らなかったんですけど、6つとも驚きの小説です。その中で、一番感動したのがこの「バイオシップ・ハンター」でした。

SFなんですけど、なんというか・・・

この地球に住む「人間」っていう生き物は、不思議な習性があって。それは神様とか悪魔とか運命とか、要するに、自分の力で、どうにもできない「何か」を信じています。
で、自分の都合が悪くなると、神様や運命に丸投げする。

「バイオシップ・ハンター」で主人公の地球人が出会う異世界の知的生物は・・・というか、この物語における宇宙のスタンダードは、誰も「神様」とか「運命」なんて信じていないのです。全て自分が選択し、自分が判断する。それに誇りを持っている。「神様」なんて持ち出して自分自身で判断しないと思われることは屈辱以外の何物でもない。
これに、私は個人的に大いに共感してしまいました。

私がSFが好きなのは、価値観や考え方がひっくり返されるからです。
「そんな考え方もあるのか」
って思わされるところ。

これからもいっぱいそういう話と出会えるといいな。

山本弘さんか・・・これからも探して読んでみよ。

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2009.03.20

きみへの手紙

先週、ドラマ「ラブシャッフル」を見たときにこんなシーンがありました。

菊田さんという診療内科医の先生がいるんですが、その先生に、愛瑠(あいる)という女性がこんなことを言います。

「そんな菊りんやだよ。私の好きな菊りんじゃないよ。温かくて穏やかに海のように優しいあの菊りん、どこへ消えたのよ。だったら菊りんじゃない・・・」(後略)

その先生は、とても素敵で、優しくて、いい人なのですが、過去に恋人に自殺され、絶望した過去を持っています。
ドラマの中では、今でも、その恋人の死に、
「なぜ?」
という思いを拭いきれずにいる彼の姿が何度かでてきます。彼の恋人の自殺は、本当に原因が不明で。愛し合っていたのになぜか急に自ら死に赴いてしまった。

「ラブシャッフル」というドラマの中では、そんな菊田先生の前に、亡くなった恋人とそっくりの人が出てきます。菊田先生はそのことをずっと誰にも言わずにいるのですが、それが愛瑠という女性にはばれてしまいました。

恋人に似ている、というのは愛瑠ではありません。
菊田先生は男性ですが、恋人だった人も男性で。似ている人も男性。

菊田先生の恋人に似ている(でも本人はそのことを知らない)旺次郎という青年は、つい最近、海里(かいり)という女の子に恋をして、プロポーズをして、うまくいくかに見えたのですが、海里が突然、理由も無く旺次郎の前から姿を消してしまいます。

苦しむ旺次郎。それを見ている菊田先生。

元々、旺次郎が海里と出会ったきっかけを作ったのは、実は菊田先生でした。

愛瑠は、菊田先生が最初から、自分の恋人だった人に似ている旺次郎に対して、過去「突然恋人をなくして苦しんだ自分」と同じ目にあわせ、菊田先生が旺次郎に接近するきっかけにするつもりだったのではないか?と疑っているんですな。

で、冒頭のシーンとなります。

菊田先生に愛瑠は、自分の疑いをストレートにぶつけます。菊田先生は、それを、否定しない。そんな菊田先生を愛瑠が責める。

・・・私は、このテレビのストーリーとは関係なしに、愛瑠の言葉にふと考えこんでしまいました。

第三者から見て、「あたたかくて穏やかで優しい人」。
本当は、その人も、心の内に耐え難いほどの絶望を抱えている。でも決して外にそれを出さない。誰に対しても優しく接している。

人は、そんな、その人の外側を見て好きになったりする。でも、本人からしたら・・・本当の自分の絶望も知らない人間に、「好き」とか言われたって、

「俺のホントの姿も知らないくせに」

と思いますよねぇ・・・

でも・・・でも。
私は思ってしまいました。

別に「ホントの姿」なんて誰にも知らせる必要はないんじゃないかと。
自分の演じている「優しい人」を誰かが必要とし、愛してくれるなら、別に相手が本当の自分を知らなくても、それはそれでいいのかもしれない、と。

いえね・・・

私は今までずっと
「本当の私を知らないのに、私のことを外側だけ見て勝手に判断されても困る」
と思ってきました。
過去、人に「結婚向き」だとか「いい奥さんになる」とか言われたことがあるんですが。

本当の私は、きっとあまり優しくもないし、働きものでもないし、思いやりもないのかもしれない。でも、人に嫌われたくないし、嫌われるよりはよく思われたいから、優しいふりをしたり、相手を思いやったりする。

「嫌われたくない」という強迫観念で優しいふりをしているんだよなぁ。

でも「本当の自分」なんて、他人に分かってもらう必要なんか本当はなくて。
私の「やさしいふり」が誰かの役にたったり、誰かを癒したり、誰かがそれを好きになってくれたなら、それも「私」の一部分ではあるんだし、別に「本当の私はそんなじゃない」なんて、相手の好意を否定する必要なんてないのかもしれないなぁと・・・

ドラマ「ラブシャッフル」の菊田先生は、私にとって、そういう存在です。

自分の絶望を誰にも言わずに、抱えたままで。その思いを分かち合える人間なんてこの世界のどこにもいない。それでも・・・菊田先生は、愛瑠や旺次郎や、そしてドラマの主人公であるうさ(玉木宏さん演じる宇佐美啓(うさみ・けい))と出会い、いい信頼関係や友情を育んでいく。

それを見ていたらね。

菊田先生ほどの絶望を味わった経験もないくせに、一人で勝手に、自分の頭の中の存在でしかない「本当の自分」にこだわって、誰から自分を評価されても、それを素直に受け止めることが出来なかった自分を、

「ばっかだなぁ・・・」

と自戒してしまったのでした。

ということで、さて。

この記事のタイトルは「きみへの手紙」。

私は今、きみにはどう見えていますか?
その姿こそ、もしかしたら、私の頭の中の「本当の私」よりもずっと、実は「真実」に近いかもしれないから。
いつか、機会があれば・・・きみから見た私の「本当の姿」を、私に教えてね。

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2009.03.17

野菜スープ生活

キャベツ・かぼちゃ・たまねぎ・にんじんをみじん切りにして20分煮て、ざるでこして作る「野菜スープ」を飲み始めて3日目。

最初、味がなくて、おいしくないと思ったのですが、慣れてきたせいか・・・
それとも今日はしょうがを入れるのをやめて替わりにローリエを入れたせいか・・・
今日のスープは飲んでみたら、おいしく感じました♪

茶々さんのおかげで、かぼちゃをレンジに二分かけてからみじん切りにするようにしたら、みじん切りの時間もかなり短縮できましたし、だいぶ、作る方も慣れてきました。

何より、ちゃんと帰って自炊できてる自分にちょっとびっくりしています。
やれば、できるじゃん、私(笑)。

スープを作った後の野菜の方も捨ててもいいのですが、もったいないので、ポン酢をかけて食べてました。
でもちょっと、ポン酢だけじゃおいしくないので、今日はタマゴを入れて、オムレツにしてみました。・・・おおっ? いけるなぁ、これ。おいしい♪
この、スープの後の野菜は、他にもいろいろ使えそうなので、工夫して食べてみたいです。
こったものは作れないけど、料理って好き。自分でいろいろ試しておいしいものができると嬉しいんですよ。

万歩計をつけて1日1万歩歩くのも、これで6日目。今日は職場を出る時に見たら、3000歩ちょっとしか歩いてなかったので、いつもよりももう一駅、歩いてみました。ちょっと疲れたけど、大丈夫。
帰って、腹囲を測ってみたら、1センチ、少くなりましたよ~♪ やったね♪

今日は、テレビでも北野たけしの番組がメタボ特集でしたね。
カロリーの低いたこ焼きの作り方をやっていましたが、ダイエットの極意ってやっぱりこれかもしれないと思います。
食べるのをやめるのは難しい。同じものを食べても、カロリーを半分にする。

私も、野菜スープを始めてなかったら、いろいろ他のものを食べたくてつらいんですが、スープとスープをとった後の野菜をどう食べるか、いろいろ考えたりしていると、他のものを食べずに済むのがかなりメリットな気がします。
まだまだがんばります~

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2009.03.15

「何度目だ?」といわないで(汗)

 ほとんどの女性が「ダイエット」って意識していると思うので、けして私だけではないのですが、またしてもダイエットの決意を新たにしています。

 なぜって・・・メタボの保健指導を受けちゃったからです(^_^;)

 いやぁ、ここ2、3年、ずっと「体重を減らしたい」と思わない日はなく、毎朝体重計に乗って推移を見守っているわけで、野菜を意識して食べたり、ご飯に麦を混ぜたり、市販の漢方薬や「ナイシトール」を試してみたり、オルビスのプチシェイクに置き換えてみたりしてるんですが、あんまりやせないのよねぇ。

 保健センターの方がきて、ご指導をしてくださるというので、今まで自分がしてきたことを話して現状の打開策について教えを乞いました。

 その結果、今回のテーマは、これ。

①ごはんの半分をマンナンヒカリに!
②休日にもあと30分、余計に歩く
③主菜を、魚、豆腐、こんにゃくにする

これ以外、今までやってきたことも当然、続ける。

○階段を使うようにしたり、仕事帰りに一駅歩く。
○スポーツクラブにも今まで同様通う(忙しいとあまりいけないのですが^^;)
○野菜中心の食生活
○10時以降に食べない
○間食はしない
○「へんせき」を飲む

 自分で書いてて思います。これが続けば必ずや、今年の6月の健康診断は、いい結果に・・・(ほんとかよ)。

 今日は図書館に行きましたら「医師がすすめる野菜スープダイエット」なんていう本があったので、ちと読んでみました。

「ちぇ、野菜スープなんて、作るの面倒じゃないの?」

と思って中身を見たら、たまねぎ、かぼちゃ、にんじん、キャベツをみじん切りにして20分煮て、ざるでこすだけという超簡単なレシピ。早速、本を借りてきて、やってみました。

・・・できあがったスープは、味がなくて、おいしくない。でも、まぁ、飲めなくはない。
ただ、かぼちゃのみじん切りがかなり大変でした^^;
にんじん、たまねぎ、キャベツは楽なんですけどねぇ。

とりあえず、買ってきた材料が無くなるまではやってみます。
(どなたか、かぼちゃのみじん切りのこつを教えてください)

がんばって長生きしたい理由はそれほどないのですが、一人で生きていくには健康が大前提なのは身に染みています。
メタボだと、体のいろいろなところに負担をかけすぎているのは事実なので、やっぱりもうちょっと体重を減らさないとなぁ。

そういえばチカママさんにも次に会うときまでにはやせると言ってたんだ。
そのあと、まだお会いしてませんが、もう半年ほど待っててくださいね~

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2009.03.14

自分がいなくなった世界~ラブシャッフル第9話~

野島伸司、脚本のドラマ「ラブシャッフル」をずっと見ています。面白くて大好きです。

ただ、今日の第9話では、ちと考えこんでしまいました。

自殺願望(ドラマの中では、死への情熱、「タナトス」なんて言い方をしていますが)に取り憑かれた少女を救うために、一時的に彼女をまるで死んだかのように失踪させ、そんなことは全く知らない彼女の恋人が彼女を失ったことで苦しむ姿を彼女自身に見せて、自殺願望を乗り越えさせる・・・なんてことを仕組むお話が、今日の第9話だったんですが。

うーん。

昔から私はよく分からんのです。

自分が死んだら、誰かが悲しんだり苦しんだりする。それが人の生きる理由なのだろうか???

・・・いや、ドラマではちょっと違う言い方をしていましたな。

自分を覚えてくれている誰か。自分がいなくなったら心にぽっかり穴が空いたように感じてくれる誰か。
そんな誰かがいることが、人の生きる意味、みたいな感じでしたねぇ。

うーん。

いや、私はもう昔っから、私という人間がいなくなっても、別にこの世界に大差はないと思っとるのです。
まあ、たとえば、仮に誰かが私を覚えていてくれたとしても、100年後にはその人もいないわけですし。

だから、中島みゆきの「永久欠番」という歌が好きなのです。

♪どんな~メモリアルも 雨風に削られて崩れ
♪人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう・・・

これがこの世の真実。たかだか誰かが覚えてくれていたとしても、そんなの時の流れから見たら一瞬です。

私は・・・昔から自分のことをその他大勢の一人だと思ってきました。目立たない子供だったしな。でも・・・
誰かにとってもそれほど大切な存在でなくても。それとは関係なく人は生きていかれる。
道端の名も無い花だって、生きていかれるように。
誰も覚えていなくても、私が私であって、生きている間は、ちゃんとここに命の宿る人間として実在しているという現実がある。
誰かが覚えていてくれるか、なんて不確かなものより、これ以上確固とした現実はないように思えます。
その現実がいつも私を支えてくれる。だから、もう迷わない。

そういう考え方のせいか、単に慣れなのか、孤独にもかなり強いです。
よく本当の愛を知ると弱くなるとか、孤独に耐えられなくなるといいますが、とりあえず人を愛した経験もあり、とりあえず親には愛されていたとは思うのですけども。
それともまだ、本当の愛にはまだ出合っていないのかな~?

このブログを始めた頃から好きな人のことは今でも好きで、その人がこの世界から消えてしまったら、私の心にぽっかり穴が空いてしまうだろうなぁと思うのですが、私がいることで、その人が、自分の生に価値を見出してるとはとても思えず。
それも「思ってくれる誰かがいること」にそれほど価値を見出せない一因だったりもします。

誰にも思われなくても。
死んだら忘れられることが分かっていても。
それでも強く生きていくのが「命」ってものなんじゃないのか。

・・・ああ、でも、よく考えてみたら・・・
もしかするとドラマ「ラブシャッフル」の中で言っていることも同じなのかもしれません。

タナトスに取り憑かれた少女は、自分がいなくなったことに苦しむ恋人をずっと見守っている。
恋人は、ひどく苦しみ悲しむんですが、それでも・・・立ち直る。
その「自分がそばにいなくても立ち直った恋人の姿」を見て、ちょっとジェラシーを感じたりして・・・それこそが、彼女をタナトスから真に解放するパワーになる。

悲しむ姿じゃなくて、立ち直る時の姿こそ「命」の源泉なのですな。

その意味では、人を愛してその愛を獲得した時よりも獲得できない時の方が、生きるパワーって湧いてくるものかもしれません。

どおりで・・・毎日生きるパワーに満ち溢れてるわけだ、私~

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2009.03.08

心残りのないように…

ちと思うところありまして、今の内にやれることをみんなしておこうという気持ちになっています。
昨日は下の記事に書いたLIVEでみゆきさんの「永久欠番」を熱唱してきました。

そして、今日は・・・「第5回日本棋院オールアマ囲碁団体戦」に参加♪
教室の級位である2級で出まして、結果としては全然勝てなかったんですけど、僅差で負けてるので、十分、2級で打っていける感じ。自分の思うとおり、自分の碁を打てて楽しかったし・・・幸せでした。

今年の最初に「もし自由に使える1年をもらえたとしたら、何をするか」なんてことを考えました。(記事はこちら

「囲碁」と「LIVEで歌う」のと。
あと旅行は1月にいっぱい出張して、いろんなビジネスホテルに泊まったから、けっこう充実感あるなぁ。

まだまだ、いろいろやりたいことはたくさん。何かと忙しい3月ですが、心残りのないように過ごしたいです。

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2009.03.05

「永久欠番」

 今度の土曜日に、また、仲間内で集まって演奏を披露しあうLIVEに中島みゆきのコピーバンドででます。
 今回のラインナップは、

「眠らないで」
「この空を飛べたら」
「肩に降る雨」
「永久欠番」
の4曲です。

今回は、いつも出るメンバーが忙しくて、ピアノと歌だけで聞かせられる曲という選曲になりました。
私もベースをやることがあるんですけど、今回は歌で参加。「永久欠番」を歌います。

永久欠番…野球の歌ではないですのよ。

今ここに生きている私たちですが、100年前も100年後も、この世界にはおそらく存在しない。覚えている人もみんないない。生きてるって何だろう。死んでしまったら何もなくなってしまうんじゃないか。

けれど。

そう、「けれど」。
この先を知りたい方はこちらの歌詞をどうぞ~

声の大きさだけにしか自信はありませんが、当日は思いをこめて、歌いたいと思います♪

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2009.03.02

♪男と女の間には

「深くて暗い川がある」なんて歌がありましたっけ。(かなり古い歌ですが)

下の記事に凪さんからコメントをいただきました。

>他の結婚関連の記事も読んで思ったのですが。
>あまりに女性に都合の良い言い分が多いように感じられます。
>もちろん、個人の意見としてそれはアリなのですが、もし世の女性達の大部分がこういう考えなら、もう男女間の溝は埋めようがありませんね。

・・・どきっ!
いや、世の女性達の大部分は違う意見かもしれません。大丈夫♪ 

>「男性って勝手なもので、自分のことは何も言わず受け入れてほしいと思うけど、それは自分に対してだけであって欲しいと思うのですよね。」ってのはどうでしょう?
>これは、そのまま女性にも言えるのではないでしょうか
>例えば、自分の夫が、他の女に優しくしているのを見て、心穏やかでいられる妻がどれほどいるのでしょう?

私がここで言いたかったのは「あまり自分の意見を言わず、自分の意志というものを持たず、相手に合わせるような女性」に安らぎを覚える男性でも、「俺のことを好き」という意志だけははっきりして欲しい、というのが矛盾してるんじゃないかと、いうことでして。

誰かを愛することのできる女性は、自分をしっかり持っていて、男性に対しても自分の意志をしっかりと表すことができる女性なんじゃないかと。

つまり、
「ぽやっとした女性が好きならば、その女性が他の男にも愛想がいいのを許すべきだ」
と言っているわけではなく、
「他の男に愛想がいいのを許せないならば、誰にでも優しい女性ばかりを選ぶのはおかしい」
ということです。

ただ、前段の、
「男性って勝手なもので、自分のことは何も言わず受け入れてほしいと思うけど、それは自分に対してだけであって欲しいと思う」
というのは、私の知っている若干名の男性のことなので、一般論にしちゃうのは乱暴だったかな。
「それは女性にもそのまま言える」
というのは正しい指摘で、要するに女性も男性も「自分に都合のいいパートナー」を求めすぎなんでしょう。

私はどうかなぁ。
「自分のことは何も言わずに受け入れて欲しい、でもそれは自分にだけであって欲しい」

・・・うーむ。私はどちらかというと「誰にでも」優しい人が好みかも~(だめぢゃん)

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