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2009.03.14

自分がいなくなった世界~ラブシャッフル第9話~

野島伸司、脚本のドラマ「ラブシャッフル」をずっと見ています。面白くて大好きです。

ただ、今日の第9話では、ちと考えこんでしまいました。

自殺願望(ドラマの中では、死への情熱、「タナトス」なんて言い方をしていますが)に取り憑かれた少女を救うために、一時的に彼女をまるで死んだかのように失踪させ、そんなことは全く知らない彼女の恋人が彼女を失ったことで苦しむ姿を彼女自身に見せて、自殺願望を乗り越えさせる・・・なんてことを仕組むお話が、今日の第9話だったんですが。

うーん。

昔から私はよく分からんのです。

自分が死んだら、誰かが悲しんだり苦しんだりする。それが人の生きる理由なのだろうか???

・・・いや、ドラマではちょっと違う言い方をしていましたな。

自分を覚えてくれている誰か。自分がいなくなったら心にぽっかり穴が空いたように感じてくれる誰か。
そんな誰かがいることが、人の生きる意味、みたいな感じでしたねぇ。

うーん。

いや、私はもう昔っから、私という人間がいなくなっても、別にこの世界に大差はないと思っとるのです。
まあ、たとえば、仮に誰かが私を覚えていてくれたとしても、100年後にはその人もいないわけですし。

だから、中島みゆきの「永久欠番」という歌が好きなのです。

♪どんな~メモリアルも 雨風に削られて崩れ
♪人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう・・・

これがこの世の真実。たかだか誰かが覚えてくれていたとしても、そんなの時の流れから見たら一瞬です。

私は・・・昔から自分のことをその他大勢の一人だと思ってきました。目立たない子供だったしな。でも・・・
誰かにとってもそれほど大切な存在でなくても。それとは関係なく人は生きていかれる。
道端の名も無い花だって、生きていかれるように。
誰も覚えていなくても、私が私であって、生きている間は、ちゃんとここに命の宿る人間として実在しているという現実がある。
誰かが覚えていてくれるか、なんて不確かなものより、これ以上確固とした現実はないように思えます。
その現実がいつも私を支えてくれる。だから、もう迷わない。

そういう考え方のせいか、単に慣れなのか、孤独にもかなり強いです。
よく本当の愛を知ると弱くなるとか、孤独に耐えられなくなるといいますが、とりあえず人を愛した経験もあり、とりあえず親には愛されていたとは思うのですけども。
それともまだ、本当の愛にはまだ出合っていないのかな~?

このブログを始めた頃から好きな人のことは今でも好きで、その人がこの世界から消えてしまったら、私の心にぽっかり穴が空いてしまうだろうなぁと思うのですが、私がいることで、その人が、自分の生に価値を見出してるとはとても思えず。
それも「思ってくれる誰かがいること」にそれほど価値を見出せない一因だったりもします。

誰にも思われなくても。
死んだら忘れられることが分かっていても。
それでも強く生きていくのが「命」ってものなんじゃないのか。

・・・ああ、でも、よく考えてみたら・・・
もしかするとドラマ「ラブシャッフル」の中で言っていることも同じなのかもしれません。

タナトスに取り憑かれた少女は、自分がいなくなったことに苦しむ恋人をずっと見守っている。
恋人は、ひどく苦しみ悲しむんですが、それでも・・・立ち直る。
その「自分がそばにいなくても立ち直った恋人の姿」を見て、ちょっとジェラシーを感じたりして・・・それこそが、彼女をタナトスから真に解放するパワーになる。

悲しむ姿じゃなくて、立ち直る時の姿こそ「命」の源泉なのですな。

その意味では、人を愛してその愛を獲得した時よりも獲得できない時の方が、生きるパワーって湧いてくるものかもしれません。

どおりで・・・毎日生きるパワーに満ち溢れてるわけだ、私~

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