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April 2009

2009.04.27

愛されて育った、という幸せ

 先日、SMAPの草彅くんが、六本木の公園で夜の3時に全裸で騒いでいて逮捕されました。そのニュースについて友達と話していたときに・・・

 やったことは悪いことなんでしょうが、それはそれとして。だからって嫌いにはならない。

 その感覚がもう一つ、とあるドラマを見ていて感じたことと重なりました。
 とあるドラマというのはこちら。「アイシテル~海容~」

 このドラマ、かなり重いテーマです。自分の、5年生になる子供が、近所の子供を殺してしまう。その時、母親は・・・という話なのです。

 母親は、「自分の子供が人を殺した」という事実がまず受け入れられません。
 「自分じゃないってはっきりみんなに言いなさい!!」
 と子供に詰め寄ったりしちゃいます。
 でも子供は殺人を認めて、家庭裁判所に送られます。

 このドラマのお母さんは、もうその後、泣いてばかりいます。
 「どうしたらいいか分からない」
 と何度も、何度も・・・
 
 気持ちは分かる。・・・でもなぁ・・・
 私は見ていて思ってしまいました。

「あなたが泣いていてどうするの!!」

 子供は知らない大人に連れて行かれて、一人で鑑別所に入ってしまっています。

 してしまったことはしてしまったこと。相手の親には償っても償いきれないし、謝っても許されることじゃない。でも謝らなければ。その罪を自分も背負っていかないといけない。

 でも、なんというか・・・自分の子供は自分の子供で。
 
 どんなことをしても、それはそれで償わなければならないし許されないことなんだけど、自分の子供であることは変わらない。ドラマのお父さんもお母さんも殺人を犯してしまった子供に会うのが怖い、と言っていましたが、
「そんな~!!」
と見ている私は思ってしまいました。鑑別所にいる子供がどんなに淋しい思いをしているか。今、子供の話を聞いてあげられるのはお母さんしかいないじゃないの、と。

 なんらかの「罪」を負ってしまったとしても、それでも・・・と思える。
 無条件で、愛することができる。

 それがなんというか・・・「愛」ってものの一番根っこの部分なのかなぁと思いました。
 
 草彅くんの話はいいとして、その後、現実の事件で、もう一件、また母親が子供を殺してしまった事件の報道がありましたね。
 いつも「なぜそんなことになってしまうのか」と考えさせられてしまいます。

 友人はその時、言っていました。
「BUBIさん(仮名)は、愛されて育ったんだねー」
 とね。
 誰かに愛された経験を持っているから、そういう「無条件に人を愛する気持ち」が理解できるし、たとえつらいときや悲しい時や苦しい時があっても、それを弱いものに転嫁したりはしないでいられるのかもしれない。

 「愛」かぁ・・・
 コトバに出すと照れくさいような恥ずかしいような感じもしますが、やっぱり、それだけは、時代がどんなに変わろうと、人の意識が変わっていこうと、受け継いでいけないといけないよな・・・

 小さな子供が親に殺される事件が、もう起きないで欲しいと祈らずにはいられません。
 毎度のことながら、親が同世代だからな~(>_<)

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2009.04.22

何のために結婚ってするんだろう

 同じアラフォーの友人が、ギリギリ30代でめでたくゴールインをしました。
 結婚祝いを贈ったものの、ずっと会ってなかったもので、先日、時間を作って15年ぶりに会うことができました。

 1月に結婚して3ヶ月。新婚生活を聞いてみると、なにやら疲れ切った様子。あらあら・・・

 共働きではありましたが、結婚したてということもあり、どうも家事などを頑張っちゃったらしく。頑張るのはいいんですが、仕事から帰って、夕飯の支度は彼女がして、パートナーはその間、テレビを見て待っている。ご飯ができると、食べて、お酒も飲んでいい気持ちで眠ってしまう。ろくに会話もない。なんだかな~という話でした。

 いやぁ、私は聞いていて心ひそかに初々しい悩みを微笑ましく感じてしまいました。
 旦那がかまってくれないなんて悩みは、私たちの世代じゃもうないかと思っていましたわよ。

 もし私だったら、うるさい旦那がとっとと寝ちゃえば後はのんびりできるってもの。
 ソファで旦那が寝ちゃったら、毛布でもかけといて、あとは適当に自分の時間を楽しめる。
 そばで寝ちゃうなんていうのは安心してる証拠ですから、まあ、寝せとけば問題なし^^

なんて思うのは私でして、彼女としてはそういう生活がおおいに不満のようでした。

 家事を自分だけでやらなきゃいけない、旦那が手伝ってくれないなんてのも、私に言わせれば・・・
 誰かがやってくれるなら、なるべくやりたくないと思うのが人間の性というもの。自分だけがしたくなかったら、やってくれるように、ちゃんと話さなければ、自然に手伝ってくれるわけない。
 
 そこを「やって欲しい」と妻が言わなくても旦那が自主的に手伝ってくれたり、せめて、妻がやってくれることに「ありがとう」の一言が欲しい、というのが彼女の主張です。

 うーん。そうかなぁ。
 言わなきゃやるわけないと思うんだよなぁ。
 というか、それがいけないわけじゃなくて、そういうもんじゃないかなぁ、所詮・・・男なんて(いけね、言っちゃった)。

 今日、mixiでも同じような意識調査の記事を目にしたのですが、たとえ共働きでも家事は奥さんがやるのが当然と考える男性はかなり多いようです。一方で女性は、男性も家事を分担すべきと考えている。その意識の差はけっこう大きいようです。

 男だ女だと語ると、また決めつけすぎを怒られるので、一般論として言ってみますが、基本的にたとえパートナーといえど、別の人間ですし、何をやって欲しいか、は言わなきゃわからないもの。

 愛する人のためにがんばってみたって、それを当たり前だと捉えられてしまい、感謝もされない、なんてよくあること。だから、感謝を求めて何かをすること自体が間違っているんじゃないかと私などは思うのです。

 多分、全て、したいからする。家事も仕事もね。
 したくなかったらしない。それでいいんじゃないかな。そうじゃないと、ほんと、無理して、疲れて、旦那さんに不満がたまっちゃう。

 パートナーがご飯食べて寝ちゃっても、楽でいいじゃない、なんて言ったら、いっしょにいた別の友人が、
「それじゃあ何のために結婚ってするの?」
 と言いました。

 そう言われてハタとBUBIさんは考えました。

 自分が作ったごはんを食べて、安心して寝てしまう人がそばにいる。
 「おいしかった」とも「ごちそうさま」とも「作ってくれてありがとう」とも言われなくても、そこにあなたがいてくれるだけで嬉しい。

 そう思えたら、結婚ってできるんじゃないかな^^

 げ・・・私もどうも友人のことをどーのこーの言えないようです。数倍、いい年して結婚に夢見てるのかもー

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2009.04.21

二つのニュース

う~ん・・・思わずうなってしまったニュースが二つ。

ひとつはこれ。

不当表示:「冷蔵庫にリサイクル材」日立子会社に排除命令

この冷蔵庫は「エコ」に配慮してるんですよー、という宣伝文句が嘘っぱちだった、というニュースなんですが。

なんでも、冷蔵庫を開発したのは栃木県の工場。冷蔵庫の宣伝パンフレットを作ったのは東京の本社。本社で「リサイクル材を使ってます」だのとエコを強調したパンフレットを作った方は、栃木の開発の現場から「リサイクル材を使うことを検討中」という情報を受けて、あとで、リサイクル材を使うことはコストなどの問題から断念されたにも関わらず、「その情報は知らされてなかった」とかで、結果として嘘っぱちのパンフが、現場に出回ってしまった、という話です。

・・・う~。しょうもないなぁ~
いや、なんかありがちな失敗だなぁと思うのですよ^^;

自分たちのしていることがどんなに社会的な影響を及ぼすのか。
もし嘘を書いたら、日立ブランドに傷がつく。
その自覚を持って、たかが宣伝パンフレットだとしたって正確性を期し、情報は何度だってしっかりと確認して作りなさいよ~

こういうニュースは身につまされてしまうのです。
こういう言い方をするとまさに「おばさん」的なんですが、あくまで自分も含めて・・・

自分の仕事に対して、ちゃんと責任を感じてすることもせずに、ただその場だけ、「その場がよければ」、「みんなに受ければ」、「今までもやってるから」、「どうせたいしたことじゃないから」・・・
みたいな仕事の仕方が増えてきてる気がする。

たとえば「若い人に任せる」のが善とされて、まあ、いいんですよ、若い人に任せても。
ただ、若い人に任せれば失敗はつきもの。当たり前です、経験が少ないのだから。

幾多の失敗を重ね、それでも上の人にその仕事をチェックされ、叱責を受けながら、人は成長していく。
なのに、最近て、若い人に丸投げなんですよね・・・それで、失敗したら、誰も上司は責任を取らない。それじゃ、会社もだめになるし、若い人は育たないよー。

いや、日立がそうだって話じゃないのですが・・・

「仕事」の現場が、崩壊している。

そう感じるのです。その責任は誰あろう、今の40代にある。
20代、30代に対して、どう指導するか。どう「責任」を教えるのか。嫌がられたってそれをさぼってたら、上記のような事件がいくらでも起こる気がする。

もう一つのニュース。

<盗用疑惑>TDL本の一部、「小さな親切」入賞作品に酷似

東京ディズニーランドにまつわるエピソードを集め、50万部のベストセラーになっている「最後のパレード ディズニーランドで本当にあった心温まる話」(中村克著)の一部が、ディズニーランドに全然関係ない他の話の盗用なんじゃないかというニュース。

うう・・・これもまったくもってしょうもない話です。

著者はディズニーランドで以前働いていて、今はやめていて、ディズニーランド側もこのニュースには困っているそうです。
盗作とか盗用のニュースは自分も創作をするのでいつも気になるのですが、この話でしょうもないなぁと思うのは、著者は、ネットでまことしやかに流れているTDLに関する「いい話」をまとめて本にしたそうで。

ネットの情報なんてそのまま信用したら危ないに決まってるやん!

盗用されたとされる元の話のネタ元が、「小さな親切」ってことで日本郵政公社総裁賞を受賞していることから、まず意識的に盗用したものではないとは思います。
本当に、著者が無知で、ネットなどに流れている「TDL」についての噂を信用しちゃった、ということなんだろうなぁ。
前にディズニーランドに勤めていて、今はやめている・・・ということから考えても、多分著者は私よりは上なのかな、という気がしますので、ネットの噂を丸呑みしちゃっても、仕方ないかと思うのですが・・・

これも、本当にその情報を信用できるのか、もっと考えようよ、って話で。

出版社も出版社だと思います。いい加減な仕事してるなぁ~。売れそうだからってネタもしっかり確認せずに、そんな本、出したらいかん^^;
TDLなんて敵に回したら大変じゃないの。

「売れそうだから」「著者がそう言ってるから」「ネットでみんな言ってるから」「俺の責任じゃないから」・・・いやいや、だから、気持ちは分かるけど、もっと自分の社会的責任を考えないといけない。

そのちょっとした「まぁいいや」が取り返しのつかない結果を招いてしまう場合もある。

医療ミスみたいに人が死ぬわけじゃないので軽く考える気持ちも分かるんですが、やっぱりもっとちゃんと仕事しないと・・・

現場に余裕がなくなってるのかなぁ。それは私自身に返ってくる話でもあるんですが。

どんな仕事でもそれを仕事にしているならその道の「プロ」でなくてはならない。

なんてねぇ、私もそういう仕事できてるか、非常に・・・
・・・
・・・
みなさん、お互いにがんばりましょう^^;

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2009.04.17

サクラ散る

年度の替わり目の4月は大概仕事に忙殺されることが多いのですが、今年も気がつくと、桜がもう散ってしまいました。

今年、関東地方の桜は、咲き始め(彼岸の頃)から満開(4月7日あたり)までは長かったですが、満開になってからはあっという間に散っちゃいましたね。2週間、保ったのが奇跡ということかな。

前もこのブログには書きましたが、桜の時期は母の命日。毎月墓参りには行っていますが、命日ともなると、ちょっと感慨深いものがあります。

数えたら今年は10年目でした。
それなりに年月は確かに経ってるんですが、やっぱり月日の経つのは早い。

桜の時期と母の命日が結びついてから、それにまた、通勤経路に見事な桜の木があるものですから、近年は、ずっと桜を眺めると、いろいろ物思うようになりました。

というわけで、昨年、当ブログで綴った、桜の詩を再掲します。おひまなら眺めていってください。


(2008.3.10)

子供の頃 学校があまり好きではなかったので
始業式や入学式のある春の桜は
私にとって憂うつな季節の先触れだった

けれど今は少し違う

母が臥せっていたあの病室の外では
3月の長雨がしとしとと降っていた
意識がなくなった母の横で
私が小さな声で歌ったのは何の歌だったろう

そして母が亡くなったのは4月
死に目に立ち会えなかったのが幸か不幸か
それは分からない
けれど迎えた旅立ちのセレモニーの日は
桜咲く暖かい日だった

私が知る限りでも
病で床に伏せることが多かった母
そのことでずいぶん自分を責め
それでも時に冗談を言っては笑い
いっしょの少女マンガを読んで
いっしょにドラゴンクエストをプレイして
銀の鍵の在処を教え合ったりもした

4月の桜は私にとって
今は『旅立ち』の先触れ

新たなる全ての始まり

そこで見ていて
あなたの娘の一度きりの一生を
この春も

(2008.3.28)

 「さくら、咲く」

 桜の花を見ると
 胸がいっぱいになるのはなぜなのか
 今まで気が付かなかった

 ・・・そうか、きみが遠くにいくことを決めて
 新しい一歩を踏み出したのがこの季節だった

 私はちょっと驚いたけれど
 今年と同じように桜の下を歩きながら
 きみの新たな門出が
 きみに幸せをもたらすように祈っていた
 
 様々な時代にどれだけ多くの人が
 この花に願いをこめたろう
 叶えられた願いもあれば そうでないのもあるだろう
 それでも

 叶わなかった願いはそのままに 
 桜は今年も花開く
 きみの幸せをまたこの花に願いながら
 この春も・・・

 サクラ サク

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2009.04.11

腫瘍マーカーで「がん」の疑いがあると言われた友人のために。

近藤誠の「成人病の真実」という本を貸してみようかと思っています。

近藤誠さんという著者は以前「患者よ、がんと闘うな」という本を出して世の中によく知られた方です。

私は、母が長いこと病気で、病院とはいろいろつきあってきましたが、基本的にあまり医者って信用していません。信用できない、ということに怒りを覚えるわけでもなく、なんというか・・・所詮、医者も人間だからなぁ・・・

もちろん、医者は大事な仕事で。がんばってるお医者さんを尊敬しています。

でも、医師も人間だから限界はある。儲けたいと思っても仕方ないし、または「儲けたい」というのとは別の意味で「自分たちの仕事の価値をもっともっと高めたい」と思っても仕方ない。

我々患者は・・・彼らをそういう一人の人間であり、組織だと認めた上で、賢く利用しないといけない。妄信してはならない。なぜなら、医者も人間であり、神ではないから。
やったことのない手術は失敗する確率は高いのだし、マニュアルを見てつい目の前の患者を見なかったりもするし、緊急の処置が必要な患者でもとりあえず「様子見ましょう」と言っちゃったりもするわけです。

それと同じ流れで・・・確かな意味もはっきりしていないのに、高血圧やコレステロール値の異常と正常の基準を下げたり、それで「念のため」、本当は必要のない人に薬出したりもする。健康診断やいろんな検査を勧めたりもりする。

その良し悪しや、信じるか信じないかは、私たち自身が、判断するしかないのですよね・・・

私の友人が先日、腫瘍マーカーでひっかかり、近々再検査をすることになっています。
彼女は以前、別のときに、健診で乳がんの疑いもあるって言われた(結局はがんではなく乳腺炎でした)こともありました。
各健診を受ける受けないは個人の自由。ひっかかって再検査して、それでなんでもないと分かればそれは嬉しいことです。

・・・しかしなぁ・・・

いつも、検査受けてひっかかって、その度に「がんかもしれない」とすごく悩んで、いろんな病院を調べて、仕事のやりくりをつけて、何度も検査にいって、検査結果が出るまでひどく落ち込んで・・・

そんな友人を見ていると、
「ほんとにそんな検査必要なんだろうか?」
と思ってしまうのですよ。もちろん近藤誠さんの本を読んだからなのですが。

私は以前、その友人に、
「なぜあなたは、人間ドックとか全然しないのか。母親を乳がんで亡くしているのに、マンモグラフィとか受けようと思わないのか」
と聞かれて、自分の考えを話したことがあります。

その時につくづく思ったのですが、つきはなした言い方ですけど、結局自分がどう生きるかは自分で責任とるしかできないのですよ。

がんが早期発見されたとして、それで手術して延命するのだとしたらそれはそれでいい。
でも、検査をいっぱいして、そのために時間とお金を使い、心配をたくさんして、結局なんでもなくて、でも一回検査で引っかかったことにその後もびくびくしながら毎年検査をうけてそのたびに一喜一憂する。そんなのまっぴらだと思ってしまうのです。

いざ、がんになったとき、生きるか死ぬかは分からない。もしかしたら死ぬかもしれない。

そのときにもっと早く検査を受けていれば・・・と思うかな、私。

そのときはそのとき。後悔だけはしない、と私は自分に思うのです。

友人が、その時になって後悔するならば、今、どんなに大変でも、後に後悔しないために、今の時間を使うならそれを私に止める権利はない。

でも、なんとなく・・・こういう考え方もある、ということを知っておいて欲しいな、と思うのです。

もちろん、家庭があり、二人の子供のある友人と、自分の命以外、何も失くすもののない私とでは、命の大事さに違いがあるのかもしれないんですが、腫瘍マーカーの結果でここしばらく振り回されている彼女を見ていて、どうしても、私に何かできないかと思ってしまって・・・

余計なお世話かなぁ~~~。もしかして怒らせちゃうかなぁ~~~。

でもそれで終わるならそこまでの友情だな。

彼女を信じ、本を貸してみよう。それでどう判断するかは彼女しだい。

お互い、いい生き方をしたいよね。そして、いつかやってくる人生の終わりを笑って迎えよう。でもそれはもう少し先のこと。

本を貸したことで、もしちょっとむかつかれても、B型の彼女のこと、次に会ったときは忘れているはずです(笑)

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2009.04.07

「楽するために生きてるわけじゃない」

ちょっと前に、高橋しん氏の「花と奥たん」というマンガをビックコミックスピリッツで読みました。

正体不明の「花」で壊滅した都心に仕事で通っていた夫を待つ、郊外の住宅街に住む「奥たん」を主人公にした、ほのぼのながら、とても考えさせられるマンガです。

奥たんは、未曾有の災害の中で、物資も不足して大変なんですけど、庭で野菜を作ったり、米作りにチャレンジしたりしながら、毎日おいしいごはんを作って、旦那さんが帰るのをずっと待っています。

そんな「奥たん」が、ある日、奥たんのいる町に迷い込んできた少年に標題のように言うのですよ。

少年は、

世界が終わるかもしれないのに・・・
旦那さんはもう死んでるかもしれないのに・・・
そんなふうにおいしいご飯をがんばって作ったってしょうがないのに・・・

毎日、忙しく、おいしいご飯を作る奥さんに呆れてしまうんですが。

奥たんは言う。

「楽するため生きてるんでないもの」

・・・ちょっとどきっとしてしまいましたわよ。

以前にも書きましたが、私なんて毎日楽することしか考えてないものな~

いや、なぜそれを思い出したかというと、今、乃南アサの「しゃぼん玉」という小説を読んでいるんですが、そこに出てくるおばあちゃんも、毎日忙しく働いてる。

シチュエーションがちょっと似ていて、そのおばあちゃんのところに、都会から、一人の少年が迷い込む、というのが、こちらの小説。都会といっても、なんとその少年はさいたま市在住なんですよ。(私と同じだ)

で、またこいつが、しょうがない少年でねぇ。ひったくりやかっぱらいや置き引きなどを繰り返して、ひたすら逃げて、山の中のおばあちゃんの家に転がり込むと、毎日、食べて寝るばかりの生活。

一方のおばあちゃんは、畑だ、山だ、と毎日、働いています。

うーむ・・・私は、どちらのケースでも転がり込む少年の方の立場なのですよねぇ・・・
年は奥たんよりも年上、おばあちゃんよりは年下くらいなんですがね。

楽するために働いてるんじゃないとしたら、奥たんや乃南アサの小説に出てくるおばあちゃんは、一体何のために働いているんでしょうか。

・・・まあ、言わずもがな・・・

私もなぁ。いつか、そう言えるようになるといいのに。

「楽するためにいきてるわけじゃない」

そして胸を張って「そのため」ならば、どんな苦労も厭わないような「何か」を見つけられたらなぁ。

今もまだ、そういうのが見つからない人生ってどうなんでしょ、と思うのですが、まぁ、こうやって、本やマンガを読むことを趣味としているおかげで、いろいろな生き方を、第三者として俯瞰することが出来る分・・・やっぱり私は、恵まれていて幸せなのかもしれません。

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2009.04.03

「道程」

某大新聞のコラムに出ていたので、読まれた方もいらっしゃると思いますが、

「僕の前に道はない/僕の後ろに道はできる」

というフレーズは高村光太郎の「道程」という詩のフレーズだそうです。

へー知らなかった。谷村新司「昴(すばる)」の歌詞だとずっと思ってた(爆)。ちょっと似たフレーズはあるんですがね。

というわけで、オリジナル「道程」。全部だとこんな詩なのです。もしかしたら全文転載は、著作権的にやばいのかもしれませんが、私も今朝、読んでみて、世間のみんなが有名なフレーズだけ知っていて、詩の全文を知らないのは、かなり惜しいと思ってしまったので・・・ぜひ、読んでください。

(引用開始)

  道程    高村光太郎

僕の前に
道はない
僕の後ろに
道は出来る

ああ
自然よ
父よ

僕を
一人立ちさせた
広大な父よ

僕から目を離さないで
守る事をせよ

常に
父の気魄を僕に充たせよ

この遠い
道程のため

この遠い 道程のため

(引用終わり)

高村光太郎といえば、私の場合、学校で習ったのは「智恵子抄」の方でした。
「東京には空がない」という、アレですね。「レモン哀歌」とかどんな詩だったっけな。教科書でやったんだけどな。
見つけました。「レモン哀歌」はこちら。

うわ~なつかしい・・・この死の淵にあっての清々しく美しいイメージ。忘れておりました。

皆様もぜひ、体験してください。

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2009.04.02

エイプリル・フールの嘘にひっかかってしまった

深夜に放映していた「黒執事」というアニメを、ずっと録画して見ていました。原作のマンガもずっと買っています。私は、幾多あるフィクションの中でも「悪魔」とか「死神」とか「ヴァンパイア」だとか好きなもので~。

昔々、母親が読んでいた萩尾望都の「ポーの一族」を、いっしょに読んでいたもので、そこで刷り込みされちゃったようで。人間とは違う、永遠の命を持つ存在というのを、夢に見たり、想像したりするのが楽しいのです。

先日は伊坂幸太郎の「死神の精度」という小説も読みました。面白かったな。この小説の主人公も「死神」。あまり面白かったので勢いで、この作品は映画にもなってるので、映画のDVDも借りて見てみたら、また主演の金城武が死神の雰囲気にぴったり。この系列のフィクションがお好きな方にはお勧めです。

閑話休題。「黒執事」の話でしたわね。

「黒執事」は「悪魔で執事」が主人公のお話。イギリスを舞台としたゴシックロマンがあふれる作品ですが、3月でアニメは最終回を迎えました。

原作はまだ終わっていないので、とりあえずアニメとして最終回を迎えたわけですが、その終わり方がなんとも切なく、やりきれない終わり方。もちろん、そういう終わり方もありですし、作品としては完成された感じなので、満足といえば満足だったんですけど、見終わったあと、なんだか切ない感じ、淋しい感じが胸に残っていました。

そんな思いが冷めやらぬうちに、なんと「第二期製作決定!!」の報をSNSサイトmixiで目にしまして。

『うわー♪ ほんと? やったー♪』

と喜び勇んで詳細を確認してみたら・・・やらりた(爆)
昨日はエイプリル・フールでした・・・

いやーネット上では以前に、知り合いの方のブログの「結婚します」にもひっかかったことはあるのですが、この「黒執事、第二期製作決定」にひっかかった自分には思わず、自分で笑っちゃいました。

昨日はおかげで1日とても楽しかったです。
同じ嘘も楽しい嘘はよいよなぁ。

私もいつかこういう嬉しい嘘で、ひっかける側になりたいものです。
「結婚します」はいつでも使えるネタなのですが、きっと今、嘘ついても誰もひっかかってくれなそうだなー

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