愛されて育った、という幸せ
先日、SMAPの草彅くんが、六本木の公園で夜の3時に全裸で騒いでいて逮捕されました。そのニュースについて友達と話していたときに・・・
やったことは悪いことなんでしょうが、それはそれとして。だからって嫌いにはならない。
その感覚がもう一つ、とあるドラマを見ていて感じたことと重なりました。
とあるドラマというのはこちら。「アイシテル~海容~」
このドラマ、かなり重いテーマです。自分の、5年生になる子供が、近所の子供を殺してしまう。その時、母親は・・・という話なのです。
母親は、「自分の子供が人を殺した」という事実がまず受け入れられません。
「自分じゃないってはっきりみんなに言いなさい!!」
と子供に詰め寄ったりしちゃいます。
でも子供は殺人を認めて、家庭裁判所に送られます。
このドラマのお母さんは、もうその後、泣いてばかりいます。
「どうしたらいいか分からない」
と何度も、何度も・・・
気持ちは分かる。・・・でもなぁ・・・
私は見ていて思ってしまいました。
「あなたが泣いていてどうするの!!」
子供は知らない大人に連れて行かれて、一人で鑑別所に入ってしまっています。
してしまったことはしてしまったこと。相手の親には償っても償いきれないし、謝っても許されることじゃない。でも謝らなければ。その罪を自分も背負っていかないといけない。
でも、なんというか・・・自分の子供は自分の子供で。
どんなことをしても、それはそれで償わなければならないし許されないことなんだけど、自分の子供であることは変わらない。ドラマのお父さんもお母さんも殺人を犯してしまった子供に会うのが怖い、と言っていましたが、
「そんな~!!」
と見ている私は思ってしまいました。鑑別所にいる子供がどんなに淋しい思いをしているか。今、子供の話を聞いてあげられるのはお母さんしかいないじゃないの、と。
なんらかの「罪」を負ってしまったとしても、それでも・・・と思える。
無条件で、愛することができる。
それがなんというか・・・「愛」ってものの一番根っこの部分なのかなぁと思いました。
草彅くんの話はいいとして、その後、現実の事件で、もう一件、また母親が子供を殺してしまった事件の報道がありましたね。
いつも「なぜそんなことになってしまうのか」と考えさせられてしまいます。
友人はその時、言っていました。
「BUBIさん(仮名)は、愛されて育ったんだねー」
とね。
誰かに愛された経験を持っているから、そういう「無条件に人を愛する気持ち」が理解できるし、たとえつらいときや悲しい時や苦しい時があっても、それを弱いものに転嫁したりはしないでいられるのかもしれない。
「愛」かぁ・・・
コトバに出すと照れくさいような恥ずかしいような感じもしますが、やっぱり、それだけは、時代がどんなに変わろうと、人の意識が変わっていこうと、受け継いでいけないといけないよな・・・
小さな子供が親に殺される事件が、もう起きないで欲しいと祈らずにはいられません。
毎度のことながら、親が同世代だからな~(>_<)
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