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2009.06.19

「殺人」という重荷を負って

昨日、テレビドラマ「アイシテル~海容~」が最終回を迎えました。
ドラマとなったのは、小学生の男の子が、近所に住んでいたもっと年下の男の子を殺してしまうという事件が起こり、その加害者となった男の子と被害者となった男の子、そしてその家族の物語。

見ていて、被害者と加害者、どちらに感情移入をしたらいいのか、分からなくなってしまうドラマでした。
どっちの気持ちも分かる。
そして失われた命は、誰を責めようと、どう悔いようと、その子のことを忘れなくても、忘れても、今、生きている人間が今更何をしたところで、二度と戻らない。

その取り返しのつかない事実の前で、被害者は一生加害者を許すことはできなし、加害者も許されることがないのを分かっていて。

それでもドラマの中の家族たちは、その事実の重みから逃げずに受け止めて、今後の人生を怒りや憎しみや悲しみを超えて生きていくというお話でした。

いろんなことを考えさせられました。

でもほんと、最後はそうなのだな。
どんな苦しみもどんな悲しみも、その後を生きていく人間は、それに囚われることなく、また新しい時間を生きていかなくてはいけない。
たとえ起きてしまったことがどんなに悲惨な出来事だったとしても、です。

自分の母親のことを被害者の少年に悪く言われてかっとなってしまって、もちろんいろいろな不幸な偶然も重なって、その子を殺してしまった男の子は、家裁の調停が終わり、更正施設で1年間を過ごします。
そして出てきてからも、自分は笑ってもいけないし、お父さんやお母さんのそばにもいちゃいけないんだと思っています。
自分は人を殺したんだから、死刑になるべきだったんだとね。

でもお母さんはその子をたたいて、その後、抱きしめて、いっしょに罪を背負って生きていかなきゃいけないことを男の子に話すのですよ…

難しい。
「殺人」という一生償うことが叶わない罪を背負っても、生きていくことを科せられた彼の一生を思うと、何とも言えない気持ちになってしまいます。

もし私だったら、その後の彼の人生をどう書くだろう。

たとえば彼が大人になって好きな人ができたり、結婚して自分の子供をも持ったりしたときに…

被害者の子供のお母さんは、加害者の子供にあてた手紙の中でこう言っていました。

「そのとき(あなたが愛する人と出会い、子供を持つことになった時に)初めて、あなたは自分のしたことがどんなことだったかを知ることになるでしょう」

だから、生きろ、と。

なんというか…これは救いなのかな。呪いなのだろうか。

以前にも書いたことがあるのですが、私は三原順の「はみだしっ子」というシリーズのマンガを学生の頃に読みまして、今でも忘れられない作品となっています。

そのマンガの中でも一つの殺人事件が起こり、主人公である一人の男の子はずっとそれを背負って、最後には家族の元を離れ、その罪を一人で清算しようとする。

…まあ、彼もまた、生き続けることを選択せざるを得なくなってしまうんですけど…

それが救いなんだろうか、呪いなんだろうか、というのは「はみだしっ子」の登場人物である、その彼の問いかけだったんですけど、その子のことが好きだった私はそれに答えることができなくて、「はみだしっ子」を最終巻まで読み終えて、なんともやるせない気持ちになりました。そして、今でも、こうして折りにふれてそのエピソードを思い出します。

生きていくってことは「変化」に他ならず、生きている限りは、その中で病や死や失恋や裏切りや拒絶や喪失・・・あらゆる絶望と向き合わなければならない。

だから、以前はよく、「生きる」ということと、「愛」とか「信念」とか、要するに「変わってはならないもの」との相克を考えて悩みました。どちらを重視するのが人としてよりよい「在り方」なのだろうと。

おそらく、人によって答えは違うし、その全ての答えに正解がないのだろうと思うので、最近の私は悩むことさえも「たま」になりましたが、みなさんはさて、どっちだと思われるでしょうか。

そしてまた
「他者を殺めた人間が自分が生き続けることの正当性をどう語れるのか」

・・・ね?グレアム。今でも私は彼の問いに答えることができません。

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Comments

職場でも話題になりました。若い子達が「お母さん世代はどっちの立場で見るのか?」というので、「どっちもありえるよ」と。そして、「ちょっとしたきっかけが、被害者にも加害者にもなりえると、ドラマで思ったし、どちらにもならないためにも、普段の親としての言動、行動、すべてに責任を持たないと、子供に影響してしまうんだよね。。。。」といったら、「子育てって責任があって大変だなあ。やだなあ」と言い出したので「もちろん、そんなこと毎日意識して接しているわけじゃないし、見過ごしちゃう事も多いんだけど、『いつもそばにいてちゃんとここにいるから相談しに戻っておいで』というメッセージは、積極的でなくてもいいから、伝えなさいって、最近の育児書には書かれているね。しつけについても、ちゃんと言動や行動は真似されるので責任持ってと書かれているよ」というと、若い子達は「ふーん」と納得していたようでした。
私は「変わってはならないもの」というものではなく、「形は変わる」「変わってはならないのではなく、自然と変わらない(ようにみえる)もの」なんじゃないかとおもうんですけど、どうでしょう?

Posted by: ちゃい | 2009.06.19 at 21:36

ちゃいさん、コメントどもです^^

中島みゆきの歌に

♪世の中はいつも変わっていくから
♪頑固者だけが悲しい思いをする
♪変わらないものを何かにたとえて
♪その度崩れちゃそいつのせいにする

という歌があります。
悲しい思いをしたくないなら「変わっていくこと」を受け入れないといけないのだな~と思うのですが、だとしても、たとえば「愛」は、形を変えながら、ずっと続いていくものであればいいな、と思っています♪

Posted by: BUBI | 2009.06.21 at 20:45

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