「脱官僚」ってなんかおかしくないか
民主党を始めとする多くの政治家は、「脱官僚政治」を旗印に2009年の衆議院総選挙を戦っています。
思うに、官僚っていわば、国という会社の平社員であり、対する政治家は「役員」であり「株主」的な存在であるから逆らえるわけがないですよね。逆らえないのが分かっているからこそ、政治家も平気で、不始末を官僚のせいにできるわけで。
一般企業では、社員が不始末をしでかして社会に迷惑をかけた場合は、組織のトップ(たとえば社長)が責任をとってやめることになります。それは国も同じで大臣が更迭されたりはしますが。
一般企業の場合をさらに考えていくと、株主達は、やめた社長の代わりに新たな経営手腕を持った人間を新しい社長に据えたり、役員に任命したりして、企業の改革を図ります。
新しく会社を任された人は、役に立たない他の役員をやめさせて経営陣を一新することもあるし、組織改編をはかって、より能率をあげる仕組みを作ったりもするかも。
でもそれって脱「社員」じゃない。社員が一人もいなくなったら、企業として成り立たないですし。
脱「官僚」って、それと同じことのような気がします。
国土交通省も経済産業省も厚生労働省も文部科学省も、みんな「もういらない」と政治家は言うんですかねぇ。国が、公の目的のために果たさなければいけない仕事ってないのかな? いやぁ、そんなことはない。あると信じてる人が選挙に出て政治家になろうとしてるんでしょうし。
必要な仕事や役割があるのに、脱社員をして、経営陣だけで会社って成り立つわけないんじゃないかな。
世間では官僚に何か、大きな権力があり特権があるかのように報じられています。
あの人たちに権力や特権なんかたいしてないと私は思う。
政治家が決めた法律に基づいて粛々と仕事をし、世間一般サラリーマンと同じように、上司の顔色を見ながらきゅうきゅうとし、辞令一枚でどこへでもとばされ、政治家の○○先生から何かをねじ込まれれば、自分が信じてしてきた仕事でさえ、ひっくり返される。
だから自分の能力に自信があり、腕一本で世間を渡っていける人間は、官僚になんかなりません。気弱で何かに頼っていなければ生きていかれない小市民が公務員になって、政治家の顔色をうかがいながら、その場しのぎで目の前の仕事をしているだけなのでしょう。その場しのぎだから年金問題も起こるし、自分の頭で考えないから無駄使いを止められない。
政治家が脱官僚を掲げて官僚をスケープゴートにしている内はまだいいような気がします。
どんどん公務員減らしをし、一方で大臣がころころかわり、政治家が官僚に無理をいって、自分の選挙区の利益だけを誘導している間に、国の役所は、内側からすでに崩壊しかけているんじゃないか。何のために何をしようとしているのか、官僚たちはもう見失ってしまっているんじゃないか。
日本にとって本当に必要なものはなんだろう?
個々の企業、個々の国民だけの努力ではできない何かってなんだろう?
それを果たすのが政治家であり官僚。
改革は必要です。
でもそれは「脱官僚」ではなく、もう一度、政治家と官僚が、国の役割、国が果たす責任を見直すこと。
それを語れる政党に、この国の政権を託したい、と思います。
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