(この記事は岩月謙司著「ずっと彼氏がいないあなたへ」の感想の続きです。一つ前の記事から読んでくださいね)
「ずっと彼氏がいないあなたへ」を読んでいて、「人を愛する」ってことがどういうことなのかを思い出した。
どうしてうまくいかないのかも。
ずいぶん長く生きてきて、今更、恥ずかしいことだけれど、この私でさえ未だに親の影響からなかなか抜け切れないらしい。
私の母はそううつがあって、元気な時とそうでないときの差がとてもあった。
それでも一般に子供がみんなそうであるように私は母が大好きだった。
客観的に振り返るに、おそらく母は子供にかまっていられないことがたくさんあっただろう。
自分の精神を自分のコントロールできない苦しみは、私にも容易に想像がつく。
死にたいような気持ちを自分の意志の力ではどうしようもできず、死ぬ事さえできないまま毎日が過ぎ、いつ終わるともしれない暗闇の中を生き続けていく。
母が自分のことで手一杯だったとしても無理はない。
でも私は今まで、自分の母を恨んだことは一度もない。
普通の子供とはちょっと違う生活をしたかもしれないけれど、家庭環境は千差万別だし、私のケースもその一つでしかない。
客観的に振り返ることができる今も「あなたの子供でよかった」と心から思うし、今度また生まれることがやったら、やはりあの母の娘でいたいと思う。
だから、この先は私自身の問題。
たとえば、この本に書かれているように、親の愛情がストレートにではなく、変化球できていたとして、それを受け止めるために、私の中の何かが・・・村上春樹風にいうならば「スポイル」されたとしても。
「スポイル」されたものが何かが分かっていれば、私はもしかするともうちょっと前に進めるのかもしれないと、この本を読んで思う。
☆ ☆ ☆
私はかなり多くのことを「物語」として自分の中に取り込んで生活している。
それは、振り返れば物心ついた頃から繰り返してきて、すっかりなじんだ私の「やり方」だ。
物語として客観的に自分の外側にそれを置くことで・・・今にして思えば「傷つかない」ようにするための私のやり方だったのだろう。
それができたことで、多分、私は大人になってから、ずいぶんいろんな危険を回避することができた。
「ずっと彼氏がいないあなたへ」ではこんなふうな言い方をする。
たとえば、対人関係において私なども
「よい子でいようとすること」
「人に好かれようとする努力」
をするのが一般的だ。嫌われてよいことはないので好かれようとする。
ただそれが、一般的なものならともかくとして、対恋人の場合はどうだろう?
彼氏候補である人と対峙したときは、たとえ本人がいっぱい努力して「好きという気持ちを伝えようとした」ところで、それが「相手」に向かう思いではなくて、自分が愛されたいという思いである限りは、相手にもそれが「下心」として伝わってしまう。
自分ではそんなつもりはないのに、相手に無言の圧力を与えてしまうのだそうだ。
好きな相手に愛されたいと思うのは当たり前だし、悪いことではないのだけれど、誰かのことを好きになったときに、知らずしらずに、そういう、子供の頃から培った対人関係のくせが出てしまうのはよくないことだ。
親にストレートに愛されることができなかった子供は、自分の「好き」という思いをストレートに表現することができない。
なぜなら、子供の頃にそれを親から拒否された記憶があるから。
私などもきっと、親が機嫌のよいときだけかまわれていたんだろう。
父は子を愛していなかったわけではないけれど、やっぱり自分が面倒をみなくてはならないことを理不尽には感じていた。面倒だとも思ってはいた。それは男親なら仕方ないことだけれど・・・子供はそういうのにけっこう敏感だ。
というわけで・・・
誰かを好きだと思ったときも、それをストレートに伝えるよりも、まず相手の反応を伺ってしまうようになる。
拒まれることに極端に臆病になる。
「どうせうまくいかないのだ」と思う。
それならば、何も言わない方がいいと思う。
ずいぶん前に、このブログにしばしば登場する「きみ」が私にこう言ったことがあった。
「なぜBUBI(仮名)は好きな人に好きと言えないの?」
今、思えば、それはなんて本質を突いた指摘だったのか。
私はちゃんと「きみ」には好きと言えた。
そして、それは錯覚ではなく、ホンモノだったと確信をもって言える。
この本では、巻末に、ちょっと気になる人ができたときに、それがホンモノかどうかを確かめることのできる「恋愛の三日後日記」というのがついている。
私は・・・大好きなきみのパートナーにはなれかったけど、今でもきみの幸せを心から願うことができる。
そして、今もきみを大好きでいることで、これほどに幸せで居られる。
うまくいったっていかなくたってそんなことはどうでもいいと思えるほどに。
そう「人を愛する」ってそういうことだ。
それならば、この先も何も怖がることはない。
私はちゃんと人を愛することができたんだから。
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