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September 2009

2009.09.25

poem(82)

旅をしている間は
残りの人生で自分が何をしなくちゃいけないか
何のために生きるのかなんてことを
一人でいるときに幾度も考えた

でも家へ戻ってくると不思議なもので
朝起きて
布団を干して
洗濯したり
掃除したりしていると
「生きる」ってことは
それだけで喜びなんだって思えてくる

どこへもいかない
ただここに在るということ

それだけでいいんじゃないかって

たとえば私はきみを愛していて
それがどこへ行くわけじゃなくても

何かをしなくちゃいけないって
ずっと焦っていても
それで何かができるわけじゃないんだし

もしかしたらこれが
「今を生きる」
ってことなのかもね
今この瞬間を・・・
未来のためではなく
損なわれた過去のためでもなく

私はきみが大好きだ

その思いをもう一度抱きしめて
私は今を生きていく

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2009.09.24

「食べる」ことに対する意識が変わってきた

ダイエットのことをこのブログの記事にするのは久しぶりです。
覚えておいででしょうか? 今年の3月にメタボの健康指導を受けて、1日1万歩歩くようにしたり、毎日の食生活に魚をなるべく食べるようにしたり、ごはんの半分をマンナンライスに変えてみたり。さらに、野菜スープを作って飲むようにしたりしまして、半年間、体重のグラフもつけてやってみたんですが・・・

体重はまったく減りませんでした(爆)

1ヶ月のうち、大きく減る日もあるのですが、すぐ戻っちゃうのよね^^;
減ったり増えたりを繰り返すうちに、困ったことに、逆に増えてきてるような予感も。いかんな~

で、先日、一度、これで半年間コースの指導は終わったのですが、別の健康支援センターの保健士さんからも呼び出され、状況を聞かれました。
「指導どおりやったけど、全然減らない」
と愚痴ったところ、新たな方針が言い渡されました。

目標:1日、1300kcal

う~、これってかなり大変な数字です。まいったなぁ。

とは言いつつ、ここしばらく、YAHOOのダイエットダイアリーなどをつけながら、チェックしてみています。
1300kcalはきつくて、すぐ1400、1600いってしまうのですが、なるべくそれを守ろうとする気持ちのせいで、少し、食べることに対する意識が変わってきたように思います。

今、9月の連休中で、旅先なんですが・・・なんていうんだろう。今までだと旅先にきたら、何を食べようか、というのが、一大関心事でした。
もちろん、食べることは今も好き。旅行中、友人とおいしいものを食べて、幸せを感じたりもしました。
気の置けない友人とリラックスして楽しむ食事って最高です♪

でも、特に一人でいるときなどは、この旅の中では「何を食べようか」よりも「どれくらい歩けるか」の方を優先するようになっていました。素敵なカフェとかおいしそうなケーキ屋さんとかあっても、目移りしなくなったなぁ。おいしいものを食べられたら、それは旅のおまけ、みたいなもの。それが第一目的じゃなくてね。

「今まではそれが第一目的だったのかよ」
という突っ込みがきそうですが、なんとなく、旅先では事前に調べて、今日はここ、明日はここと、食べなくては損のような気がしていたのは確かです。

普段、ものを食べるときも、どれだけ野菜がとれるだろう、どれだけバランスがとれるだろう、という意識に変わってきています。なんせ、ちょっとしか食べられないもので。
同じ食べるなら、身体に悪いよりもいいものを食べなきゃ、という意識も働きます。

そのせいか・・・旅先でいっぱい歩いたせいか。昨夜、温泉で体重を量ったら、旅に出る前よりも体重は減ってたようです。きのせいか、Gパンもゆるくなってる気がするし。

あの体重計壊れてないよな? サービスで少なく出るようになってたとかないよね。

これから、家に戻ります。戻ったら、体重をチェックしてみよう。
YAHOOのダイエットダイアリーは3ヶ月が単位です。終わるのは12月。ちょうど誕生月。
それまでに、あと2、3キロ、減らしたいな。

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2009.09.16

「精霊の守り人」

上橋菜穂子の「精霊の守り人」を読みました。
NHKでアニメにもなったのですねぇ。全然知りませんでした。

いや、書店で山積みになっていて、名作だとの触れ込みなので、どれだけ面白いのか、読んでみようと手にとってみましたら・・・はまりました。

何にはまったかというと、主人公がおばさんなところ(爆)。

いや、おばさんとかいうと怒られそうなんですけど、強くて、かっこよくて、肝が据わってる・・・そうねぇ、一昔前ならば、この年の女性ならば、4人くらい子供のいる肝っ玉母さんでもおかしくないわけですが、彼女は、用心棒を生業としながら、一人で過酷な運命を生きております。

この小説、他の世代の人はどう読むのだろう?と思いました。
こんなふうには読まないのかな・・・

私は、彼女よりはずっと年上ですが、気持ちは彼女といっしょですので、彼女の行動の一つ一つにすっかり感情移入してしまいました。

女が一人で生きるってこういうことなんだよなぁと。

ある秋の渓谷で、皇族の乗った牛車が横転し、谷川に落ちた11歳の皇子を助けてから、皇子を守る旅が始まります。

どんな敵にも動じない。どんな厳しい状況も頭を働かせて潜り抜ける。考えられる限りの手を打って、追っ手を煙に巻く。そして、運命から逃げない。

それが年かさの女性だってことになんともひきつけられてしまってね~

そして、物語は、彼女をただの英雄とは書きません。過去の重荷を背負い、好きな相手には素直になれず、皇子との日々にふと心安らぐ・・・ああ、いいなぁ~
すっかり、彼女、バルサのファンになってしまいました。

この物語、驚いたことに、児童文学なのだそうですが、子供がこれ読んで、バルサの気持ちが分かるんだろうか? と思ってしまいます。まあ、分からなくてもいいのでしょうけど。私たちだって、ウルトラマンがなぜ、自分のふるさとでもない地球を怪獣から守るかなんて分かりません。分からないけど、ウルトラマンに感謝し、ウルトラマンの活躍に胸を躍らせるわけで。ウルトラマンの気持ちは分からなくても、物語は追える。

バルサ、という女性は子供たちにとっては、自分を守ってくれる、かっこいいオネエさんなんですよ。

いいなぁ。こういう女性に私もなりたい。いや、この際、トロガイでもいいのですが(こらこら)。

世界を守ることにまるで気負いがなく、淡々と守るべきものを守ることに命をかけるバルサ。素敵です。こんな女性には、私、初めて会ったかも。

強い女性を見てみたい方にはぜひお勧めです。
たくさんシリーズが出てるのですが、とりあえず、最初の数巻は1巻完結らしいですよ。「ナルニア国物語」や「ハリーポッター」みたいに。最初からそう思って読めばよかったな。大長編小説だと思って読み始めてしまったので、早く終わっちゃって、ちょっと拍子抜けしました。

でも、これからもまだまだ、つまり、バルサのいろんな冒険が見られるということでしょう。(主人公変わったりしないよな)
アニメもぜひ見てみたいと思います。

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2009.09.08

続「ずっと彼氏がいないあなたへ」

(この記事は岩月謙司著「ずっと彼氏がいないあなたへ」の感想の続きです。一つ前の記事から読んでくださいね)

「ずっと彼氏がいないあなたへ」を読んでいて、「人を愛する」ってことがどういうことなのかを思い出した。
どうしてうまくいかないのかも。

ずいぶん長く生きてきて、今更、恥ずかしいことだけれど、この私でさえ未だに親の影響からなかなか抜け切れないらしい。

私の母はそううつがあって、元気な時とそうでないときの差がとてもあった。
それでも一般に子供がみんなそうであるように私は母が大好きだった。

客観的に振り返るに、おそらく母は子供にかまっていられないことがたくさんあっただろう。
自分の精神を自分のコントロールできない苦しみは、私にも容易に想像がつく。
死にたいような気持ちを自分の意志の力ではどうしようもできず、死ぬ事さえできないまま毎日が過ぎ、いつ終わるともしれない暗闇の中を生き続けていく。
母が自分のことで手一杯だったとしても無理はない。

でも私は今まで、自分の母を恨んだことは一度もない。
普通の子供とはちょっと違う生活をしたかもしれないけれど、家庭環境は千差万別だし、私のケースもその一つでしかない。
客観的に振り返ることができる今も「あなたの子供でよかった」と心から思うし、今度また生まれることがやったら、やはりあの母の娘でいたいと思う。

だから、この先は私自身の問題。
たとえば、この本に書かれているように、親の愛情がストレートにではなく、変化球できていたとして、それを受け止めるために、私の中の何かが・・・村上春樹風にいうならば「スポイル」されたとしても。
「スポイル」されたものが何かが分かっていれば、私はもしかするともうちょっと前に進めるのかもしれないと、この本を読んで思う。

        ☆      ☆      ☆

私はかなり多くのことを「物語」として自分の中に取り込んで生活している。
それは、振り返れば物心ついた頃から繰り返してきて、すっかりなじんだ私の「やり方」だ。

物語として客観的に自分の外側にそれを置くことで・・・今にして思えば「傷つかない」ようにするための私のやり方だったのだろう。

それができたことで、多分、私は大人になってから、ずいぶんいろんな危険を回避することができた。

「ずっと彼氏がいないあなたへ」ではこんなふうな言い方をする。

たとえば、対人関係において私なども
「よい子でいようとすること」
「人に好かれようとする努力」
をするのが一般的だ。嫌われてよいことはないので好かれようとする。
ただそれが、一般的なものならともかくとして、対恋人の場合はどうだろう?

彼氏候補である人と対峙したときは、たとえ本人がいっぱい努力して「好きという気持ちを伝えようとした」ところで、それが「相手」に向かう思いではなくて、自分が愛されたいという思いである限りは、相手にもそれが「下心」として伝わってしまう。
自分ではそんなつもりはないのに、相手に無言の圧力を与えてしまうのだそうだ。

好きな相手に愛されたいと思うのは当たり前だし、悪いことではないのだけれど、誰かのことを好きになったときに、知らずしらずに、そういう、子供の頃から培った対人関係のくせが出てしまうのはよくないことだ。

親にストレートに愛されることができなかった子供は、自分の「好き」という思いをストレートに表現することができない。
なぜなら、子供の頃にそれを親から拒否された記憶があるから。

私などもきっと、親が機嫌のよいときだけかまわれていたんだろう。
父は子を愛していなかったわけではないけれど、やっぱり自分が面倒をみなくてはならないことを理不尽には感じていた。面倒だとも思ってはいた。それは男親なら仕方ないことだけれど・・・子供はそういうのにけっこう敏感だ。

 というわけで・・・
 誰かを好きだと思ったときも、それをストレートに伝えるよりも、まず相手の反応を伺ってしまうようになる。
 拒まれることに極端に臆病になる。
「どうせうまくいかないのだ」と思う。
 それならば、何も言わない方がいいと思う。
 
 ずいぶん前に、このブログにしばしば登場する「きみ」が私にこう言ったことがあった。
 「なぜBUBI(仮名)は好きな人に好きと言えないの?」
 今、思えば、それはなんて本質を突いた指摘だったのか。

私はちゃんと「きみ」には好きと言えた。
そして、それは錯覚ではなく、ホンモノだったと確信をもって言える。

この本では、巻末に、ちょっと気になる人ができたときに、それがホンモノかどうかを確かめることのできる「恋愛の三日後日記」というのがついている。

私は・・・大好きなきみのパートナーにはなれかったけど、今でもきみの幸せを心から願うことができる。
そして、今もきみを大好きでいることで、これほどに幸せで居られる。
うまくいったっていかなくたってそんなことはどうでもいいと思えるほどに。

そう「人を愛する」ってそういうことだ。

それならば、この先も何も怖がることはない。
私はちゃんと人を愛することができたんだから。

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2009.09.04

「ずっと彼氏がいないあなたへ」

今日も今日とて、ダイエットその他もろもろのために、1日1万歩目指して、近所の本屋を歩いていたところ、こんなタイトルの本があったので、面白半分で、ぱらぱらとめくってみました。

「ずっと彼氏がいないあなたへ」

著者の岩月謙司さんという方は、筑波大学大学院の生物化学研究科を出られた理学博士ですが、専攻は動物行動生理学や人間行動学、という方です。

けっこう・・・いや、かなり、面白い本でした。心理学が大好きな私のツボにはまりました。思わず買って帰ってきました。

私がまさに「ずっと彼氏がいないあなた」なのですが、この本を読むと、「あ~、なるほどねぇ」という気が大変します(苦笑)。

ものすごく簡単な話なんですが、要するに、ずっと彼氏がいない女性は、無意識にせよ、意識的にせよ、自己卑下ばかりしている。

男性が女性を好きになったときって、
「俺はこの女性が好きだ」
と誇りに思っている。なのに、好きになられた女性が「私なんかだめだわ」と思っていると、相手の「好き」という気持ち自体を傷つけてしまう。

自分を否定することは相手の気持ちを否定すること。
男性は否定されることに弱いので、自分を否定している女性にはしり込みをしてしまう・・・と。
慎重すぎたり疑ったりすることは男性に対して拒否のサインになる。

うーむ。耳が痛いなぁ~~~

てか、過去の自分をかなり反省しました。自分に自信がないのは仕方ないとして、相手のプライドや気持ちまで傷つけてしまっていたとしたら、なんとも申し訳ない気持ちがします。

私は基本、相手のことがとても好きなのですよ。
けれど、自分には今ひとつ自信がない。

だからせっかく誘われたのにひいちゃったり、一大決心で相手も言ってるだろうに、
「え~二人だけじゃなくてみんなとがいいなぁ」
とか言っちゃったり。

あほか~。この本で言うところの、訳が分からない女になってました。すみません^^;

この本のポイントは、そうやって自分で恋愛を遠ざけてるくせに、そのことに自分で気がついていない女性が多いこと。あ~耳が痛い。

でも、この本のいいところは耳が痛い指摘もあるのですが、読み終わると
「ああ、恋愛っていいものだなぁ」
と思えるところです。

そしてさらには「恋愛とは究極の片思い」だと定義づけるところ。
大事なのは「自分がどれだけ相手のことを好きか」、ということ。
そして何より、まずは同性の本当の友達を作ることから始めることを薦めていること。

私は、30代でかなりいい恋愛ができました。「究極の片思い」でもあるかもしれません。それはけっこう自信を持って言えます。
そして、同性の本当の友達がいます。
本当の友達とは・・・私の幸せを本気で願ってくれる人。私も相手の幸せを心から願う人。
信頼関係があるから、つながっているという確信があり、毎日会う必要もないし、四六時中電話しなくても友情を保てる相手。

過去は確かにあまりほめられたものではありませんでしたが、ちゃんと真の恋人が自然と現れる条件はできてます♪ 

(引用開始)

人は願ったものはかなうようにできています。なぜなら、「願う」ということは、それができる能力があるから願うのです。

(引用終わり)

信頼する本物の友人のおかげで、諸々に自信のなかった私も、自分の長所に多少の自信を持つことができるようになりました。

だったら後は・・・な~んてね♪

もしこの記事を見ている方が、「なんでずっと私には彼氏ができないんだろう」と思っていたとしたら、本屋でこの本を見かけたらのぞいてみてくださいね。

しかし・・・いい本だけど、レジに出すのにはかなり勇気が要りましたよ~(笑)

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2009.09.01

「グローバリズム」って何だろう?

ニュースによると、鳩山さんが反グローバリズムだってことでアメリカときなくさい雰囲気になっているそうです。

「反グローバリズム」? 「グローバリズム」って何? それがなぜアメリカともめるネタになるんだろう?

というわけで、今日の記事は、それについての覚え書き。

グローバリズムとは、簡単に言うと「世界は一つなんだよ」という考え方のようです。
どこの国が金持ちだの、どこの国が一番だのと言ってないで、世界は一つなんだから自分の国の利益ばかり考えるな、と。

環境対策なんかまさに全地球規模で考えなくちゃいけない問題ですし、日本は、海外との貿易で利益を上げていて、海外へ進出する企業も多いですから、まさにグローバリズム。
これでいうと、食料自給率の議論はナンセンスということになりますねぇ。全世界規模で、食料の効率的な調達を考える必要があるわけで、自分の国だけで自給自足っていうのはちっちゃな話。
エネルギー問題も、最近の経済問題もグローバリズム。自分の国だけでなく世界で果たす日本の役割、みたいなことが重要です。
ヨーロッパで通貨統合があったのも、グローバリズムです。ユーロができて、海外旅行する場合はかなり便利になりました。

ただ一方で、グローバリズムを考えると、アメリカという、軍事的にも経済的にも突出して発達した国があったので、どうしてもアメリカがリーダーで、
「アメリカの言うとおりにしようぜ、みんな」
が、グローバリズムだということになっていた側面もあるようで。それでグローバリズム=アメリカ、みたいなことになっていたようです。

じゃあ反グローバリズムがどういうことかというと・・・

全世界を一つとして考えると、たとえば、「愛国心」だとか「日本の伝統」だとかにこだわるのってどうよ?という話になってきます。

世界は一つ・・・確かに世界規模で取り組まなくてはいけない課題もあるんですが、それはそれとしてやっぱり「日本人であることの誇り」とか、それこそ食料自給率や雇用の問題もそうなんですけど、海外にばかり頼って、自分の国の力で一人で立てないなんてよくない、と。

防衛問題などがまさにそうですね。仮に、どこかの国から日本が攻撃されたときに、どこが守ってくれるのか。
自分の国くらい自分で守れなくてどうする。アメリカは日本を守ってくれるのか。
アメリカに頼ってばかりで自分で自分を守れない国なんてよくない。         
日本人が日本人であることに誇りを持ち、自国のために・・・おやおや、なんか書いていて「富国強兵」のイメージが強くなってきてしまいました。
 
でも、たとえば中国と台湾、中国と新疆ウイグル、などの問題を見ても・・・いや、もっと小さく市町村合併の話でもいいのですが、いっしょになって大きくなれば、いいことばかりでもなくて。
自分たちが自分たちであること。アイデンティティはやっぱり大事です。

鳩山さんがどう考えているかは分かりませんが、もしかすると一番言いたかったのは、他人まかせではなくて、日本が自立するためにどうすべきか、そういう感じだったんじゃなかろうかと思います。

私は、憲法のこのフレーズがけっこう好きなんですよ。

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」

かっこいいです。
憲法はこう続きます。

「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」

政治道徳を守り、他国を尊重することで、自国の主権を維持し、他国と対等の関係に立つ。
ちょっと矛盾してるような気もしますが、これがやっぱり理想、でしょうね。

他国と協調し、尊重し、互いに助け合い、人類規模の問題について国境関係なく取り組むこと。
それでいて、自らのアイデンティティを失わないこと。
これは両立すると思うし、両立させなきゃいけないよな。

日本にいる私たちが、オバマさんが日本についてどう考えているのか知りたいと思うように、アメリカの人々が、鳩山さんの考え方を知りたいと思うのは自然な話。知らないものに警戒心を抱くのもお互い様のように思います。

日本のマスコミの取り上げ方は、なんかちょっといやらしい感じがします。
まるで上司の機嫌を損ねた部下の失態をなじるよう。
何にしても、鳩山政権はこれから。
こういうバッシングはこれからもいくらでもあるでしょうけど、オロオロせずに、新政権らしさを目指してほしいな。

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