忘却とは忘れ去ることなり 「夜会VOL.16~夜物語~本家・今晩屋」
「忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
今ネットで調べたら、このフレーズは昔々のラジオドラマ「君の名は」に出てきたセリフだそうです。
みゆきさんの「夜会VOL.16~夜物語~本家・今晩屋」を見ていて、ずっと「忘却」の罪と救いのことを考えていました。
舞台を通してずっと「109番目の除夜の鐘」という歌が歌われるのですが、一般に除夜の鐘は百八つの人間の煩悩を消し去ると言われています。
じゃあ109番目の除夜の鐘が鳴ったら?
・・・
・・・
・・・
「忘却の罪と救い」について考えたと書きましたが、要するに煩悩とは人間のいろいろな執着です。恨み、嫉妬、憂いはもちろん、忘れ得ぬ約束、届かなかった思い、金持ちになりたい、成功したい、人よりもいい目をみたい、自分の子供だけはいい学校に行かせたい、愛する人をこの手に抱きたい等のあらゆる欲、etc.
消した方がいいのか、消さない方がいいのか、迷うところです。
ある約束を交わし、片方がそれを忘れてしまって片方が覚えている場合に、それは一般に悲劇になります。
もちろん約束したときはお互いに守るつもりの約束ですが、時間とともに、状況が変われば守れなくなることもあるし、そもそも、その約束が約束を交わした二人にとってベストかどうかも怪しくなるわけです。
なら約束なんかしなきゃいいのに、ということにもなるわけですが・・・
私個人としては、そもそも約束ってそういうものだと思うのです。
その場では確かに守りたいと思っていた。
けれど、守れないこともあるかもしれない。
でも、守れない約束なら最初からしなきゃいいのにね、というよりは、約束は、そうであればいい、という「祈り」に近いものだと思います。
たとえば、
「俺より先には死ぬなよ」
「ええ、約束するわ」
みたいな約束。現実にそうならなかったって「約束を破ったな」ってことにはならない・・・ような気がする。
要は守られることよりもその場で誓うことが重要で。
私はそういう「誓い」ってそのときの二人にとっても、その先の二人にとってもとても大切なもののように思えるのです。
うん。たとえ最終的に果たされなかったとしても。
きっと百八つの鐘は、果たされなかった約束への恨みを消してくれるのでしょう。
忘れてしまうことが正しいのか、たとえば愛した人への思いまで、消してしまっていいのか・・・いや、だからこそ、煩悩としての執着は捨て去り、ただ・・・
そう、「愛だけを残せ」ってことかもしれません。ね、みゆきさん。
お後がよろしいようで。
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