前にも書いたことあるかな。
昔、グレアムがこんなことを話していました。
え? グレアムって誰って?
亡き三原順さんのマンガ、はみだしっ子というシリーズの主人公の一人です。
また二次元の話かよ、と言わず、まあ、ちょっと聞いてください。
AとBという二人の人がいて。
AはBが幸せじゃないと自分は幸せじゃないと思う。
BもAが幸せじゃないと幸せじゃない。
BはAが幸せじゃないのは、自分が幸せじゃないからだと思って落ち込む。
そんな悲しそうなBを見てAも悲しくなる。
悲しそうなAを見てますますBは・・・
という負の連鎖がありまして。
お互いがお互いのことを愛していて、自分のことよりも相手の幸せを心から願っているのに、なぜか二人とも互いの姿を合わせ鏡のように見ながら、ずっとその不幸せな状態から抜け出せなくなってしまう。
この負の連鎖は、AかB、どちらかがその思考回路から抜け出して、自分が幸せになることを考えられれば止めることができます。
Aが幸せになればBも幸せ。
Bが幸せならAはもっと幸せ。
件のグレアムは、そんなふうにいつも先に幸せになって、ともすれば負の連鎖に落ち込みそうになる自分を救ってくれた子がいたことを、知り合いになった少女に打ち明ける、というのがそのマンガでの1シーンでありました。
「はみだしっ子」を読んだのはまだ10代の頃でしたが、その後も折りにつけ、このグレアムの話を思い出します。
人を好きになったときって、一番、望むのは、好きな相手を喜ばせたいということだったりしませんか。
そのためにプレゼントを贈ったりして。相手のために自分ができることを考える。
でも、それって決していい結果をもたらすとは限らない。
だって相手にとっては、好きでもない人から勝手に「きみ、これ欲しかったよね」と本当は欲しくもないものを贈られたところで嬉しくもなんともないわけで。
「てめぇの自己満足で、こんなもの贈ってくんな」
と思いつつ、そんなことを言って相手を傷つけるのも悪いから、にっこり「ありがとう」と言ってみたりね~
冒頭のAとBのたとえは、これと同じことが「好きな相手」でも起こり得ることを示唆しています。両思いでもね。いや、両思いだからこそ、かな。
仮にAがBのためにと思って、ものすごい無理をして、たとえばうん百万するダイヤの指輪をプレゼントしたとします。
でもBはそんなもの欲しくない。苦労して手に入れたプレゼントなんかよりも、Bが一番望むのは、Aが自分のそばで笑って幸せでいてくれること。
「自分のために無理をさせてしまった」なんてのはBにとって負い目でしかないのです。
だからBはせっかくのAのプレゼントに全然喜ばない。
それを見てAは悲しくなる。悲しそうなAを見てBはもっと悲しくなる。「喜ばせよう」と思ってくれたAの期待に応えられなかった自分を責めて落ち込む。時には嘘をついて喜んだふりをするかもしれない。
でもそれも逆効果で。
Aは、本当は嬉しくないのに自分のために無理して喜ぶふりをするBに失望してしまう。というか大好きなBを喜ばせることができないどころか逆に気を遣われている自分に失望してしまう。それを見てまたBは・・・
もうこうなると、プレゼントなんてしなきゃよかった、ということになるわけですよ。あ~あ。
いや、なぜこんな話になるのかというと、やっぱりバレンタインデーだったからですな。
チョコレートもいいけれど、本当はAとB、どちらかが先に幸せになることが、お互いにとっての一番のプレゼントなんじゃないかしら。
自分が先に幸せになることがまるで罪悪かのように考える必要なんかなくて。
本当に好きな人のためを思うなら、何よりも自分が幸せでいることが一番大事です。
必ずしもこれは男女間の話に限りません。親子だって同じで。親は子供のために自分を犠牲にしていろんなことをやってあげたいと思いますが、そのためには親自身が自分を大事にできなければね。
だから私も…そんなふうに自分が先に幸せになって、私を大事に思ってくれる人を悲しませることのないように。
もっと言うなら、その人を幸せにするために、自分自身がいつも、未来への希望を持ち続け、幸せに生きていきたいな、なんて思いながら毎日を過ごしています。
…ん? そういう人、いたのかって? いやぁ~? それはまた別の話(おい)。
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