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March 2010

2010.03.29

乃南アサ「ヴァンサンカンまでに」

 乃南アサの「ヴァンサンカンまでに」という本を読みました。

 1991年が最初の出版だったようなので、もう19年前の作品ですが、19年前といえば、ちょうど私が就職した年なので、その意味では、今よりは古いけど、ものすご~く古くはない(いや古いか^^;)。
 働く女性の意識というのは、ここ10~20年の間に大きく変わってきたし、これからさらにどんどん変わっていくから、この手の本はすぐに古くなってしまいます。20年近く前の話なんて、すでに古典の世界かも。「ヴァンサンカン」っていう言葉がすでに死語だし、24歳を女性の節目に感じる人は今やすごく少ないんじゃないかと。

 今の時代、24過ぎたって20代ならそれだけで売り手市場。だって30代、そしてさらにその上のアラフォー世代だって、仕事や結婚に揺れている時代ですもん。

 という中で・・・うん、今時は職場の新人女性と中年上司の不倫関係って想像できない。今時の22、23の女性が中年オヤジなんか相手にするかなぁ? 中年オヤジの方だって、怖くて手を出しにくいんじゃないかな。
 昔は会社の女の子なんてそういう対象として見られがちで、女性の方もそういう対象にされるのが当然って雰囲気があったのかもしれないけど、今はな・・・まぁ職種にもよるのでしょうが。

 そしてさらに今時、こういう男性は少ないんじゃないかと思われるのは、その新人女性が本命と見定める職場の同期の男性社員。誰もが憧れる将来有望な、でも女性を自分よりも下に見る傾向がありあり。
 小説の中では結局、彼女はこの男性にも嫌気がさして別れちゃうんですけどね。嫌気がさす気持ちはすご~く分かる。

 みゆきさんの歌に「羊の言葉」という歌があるんですが、その歌に出てくるような価値観を持っている男性です。

(引用開始)

♪羊は何にも言わないと思ってる
♪羊の言葉はあり得ないと思っている
♪黙ってただ笑ってるだけでいい
♪それで全てだと思ってる

♪耳を貸さなかったのはあなたよ
♪女が何かをほざいても
♪ほっておけとそれを誰からそそのかされたの

(引用終わり)

 黙ってただ笑ってるだけでいい。
 女は俺の言うとおりにしていればいい。

 そういう男性。基本的には優しくてかっこよくて頼りがいがあっていいやつなんですけどね。身勝手でかなりケチだけど、それは経済観念がしっかりしてる証であって、結婚相手にはぴったり、みたいな。

 そういう若い男と家庭のある中年男性の両方と、ゲーム感覚で付き合いを楽しむ23歳の女性、というのがこの「ヴァンサンカンまでに」という話ですが・・・
「今時あり得ないな~」
と思いつつ、けっこう面白く読んでしまいました。

 結局のところ、この小説の主人公の女性が生きた時代も、時代の変わり目なんですよね・・・彼女もそれに翻弄された一人だった。
 それを言うと時代の変わり目じゃない時代なんてあるのか、とも思いますが、つまりは、この激動の「今」というのは、男にとっても女にとっても「幸せ」って何なのかを自分で見つけなければいけない時代だということは言えると思うのです。

「自分の幸せは自分で見つける」
 そして、それが許される。ある意味、とてもいい時代なんでしょうが、それだけに何が幸せかを見つけられないで苦しむ人も大勢います。

 世間はこう言う。テレビはこう言う。親はこう言う。男はこう言う。女はこう言う。友達はこう言う。先輩はこう言う。後輩はこう言う。兄弟、姉妹、舅、姑、それぞれが言う。そしていろんな本の評論家がしたり顔で「負け犬」だの「勝ち組」だのいろんなことを言う。

 でも、結局そのどれもが正解じゃない。
 何をもって正しいとし、何をもって自分が幸せなのか。
 人に合わせていると、100人が100通りのことを言うばかりで、自分が今、幸せなのかそうじゃないのかさえ分からなくなってしまいます。

 女性だって誰に頼ることなく、自分の人生を自分で選択できる時代。
 だから誰だって間違いなく選択して幸せになりたい。
 でもうまくいかないことだってある。
 うまくいかなかったときに、何かのせいにして我が身の不運を嘆くか、自分の選択の過ちを後悔し続けてその後の一生を台無しにするか。

 でもどんな人生だって自分で選択できるなら、どんな境遇だって、一発逆転のチャンスはあるわけで。それってすばらしいことじゃないですか。

 誰も貴女を幸せにはしてくれない。
 待っていても幸せは訪れない。

 「女の幸せ」が分かりやすかった時代は、自分でああでもない、こうでもないと悩む必要もなかったのですが、お仕着せの幸せよりは、たとえこの先に何があったって、自分で選択できる自由がある方が、全ての女性にとって、いや、男性も含め、全ての人にとって、一番の幸せなんじゃないかと私は思っています。

 これからもっと女性の生き方は変わっていく。
 悩んだ末に、結局結婚しそびれちゃったヴァンサンカンな男女はきっと多いんですが、それよりも後の世代は再び価値観が変わっていっている気がします。

 たとえば、離婚が多くなっても、母子家庭、父子家庭が当たり前になってそういう家庭でも、子供を安心して育めるようなサポート体制とかがもっとできてくればなぁ~。少子化だって多少は解消するんだろうにな。

 男と女の関係も人と人とのせめぎ会いですから、楽で楽しいことばかりではないけれど。
 それでも私たちは人と関わることをやめない。

 失敗しても成功しても、揺れ動く時代の中で、全ての人が自分の選択で、自分だけの幸せを見つけて欲しい。
 現実でも小説でも、接するたびにいつもそう思うのです。

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2010.03.22

梅の咲く里へ~越生(おごせ)~

ダイエットのため、毎日1万歩を歩くことを続けていますが、それとあわせて休みの日にも「どこかへ歩きにいく」というのを月に一度くらいはやっていこうと思っています。ただ歩くのもいいんですが、せっかく足を伸ばすなら、その時期でしか見られないものがあるところへ行きたいな、と。
先月は旧正月にちなみ、横浜で、中華街の辺りから関内、桜木町までをウォーキングしました。

Photo

今月はどこへ行こうかと思っていたんですが、そろそろ花が咲く時期になってきましたし、3月ならば梅♪
東京近郊で梅の名所はどこかいな、とこういうときに便利なネット検索をしましたら「越生(おごせ)」がヒットしました。・・・うん、さいたまからも1時間ぐらいと手ごろ。いいんじゃな~い。

ところが、土日が天気が悪い日とか、都合が悪い日とか、もろもろ続き、結局、行けたのは越生の梅祭りの最終日の今日になってしまいました^^; (「越生梅林 梅まつり」はこちら

でもなんとかすべりこめてよかった・・・

越生(おごせ)というところは東武東上線からさらに坂戸で東武越生線に乗り換えて、終点まで参ります。車窓の外は延々と住宅地が続いているのですが、さすがに越生までいくと里山な雰囲気になってきました。

越生の駅から梅園までは歩きで約1時間。もちろんバスもあるんですが、目的がウォーキングですからねぇ。街中をテクテク歩いていきました。いや~けっこう歩きでがあったなぁ~

ようやく到着した梅園は、やはり見頃が過ぎている感は否めませんでしたが、まだまだ白梅が美しかったです。のんびりと梅園を歩いて、小腹が減ったら屋台でお好み焼きを買って食べました。

日差しは暖かく、風は心地よく、絶好のお花見日和♪ サイコー!!

行きで1万歩は達成できたので、帰りは横着してバスで越生に戻りました。一人旅で、ちと人恋しかったので、同じようにバス待ちしてた中高年カップルの奥様の方とちょっとお話してしまいました。知らない人に話かけるなんて私にしては珍しい。
駅から歩いてきたことや花の見ごろとしてはちょっと逃しちゃいましたね、みたいな、この記事に書いたような話をしましたが、とても感じのいいご婦人で、心癒されました。

Photo_6


半日で帰ってこられるお手軽ショートトリップながら・・・ああ、やっぱり旅はいいわね。
来年はまた、梅の最盛期に越生にいってみようかな。


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気にしない、気にしない♪

またまた読売新聞の「発言小町」のコーナーの記事から。

(引用開始)

最近三十代後半以降の方と仕事をする機会が多々ありまして、共通して

1 初対面で自分がいかに出来るかアピールされる。
2 友人知人に優れた人が多いとアピールされる。
3 人を見下す発言が多い。(自分のほうが優れている的な)

正直未婚の方やバツイチ既婚者でも子供のいない女性ばかりです。

すべての子供のいない方がそうではないのでしょうが、余りにそういう発言が続くとひとくくりにしてみたくなります。

基本的に気にしないようにしているのですが毎日そういう発言を聞くと疲れます。

また彼女たちの発言は周りにも反感をかっているのですが、なぜ気づかないのか不思議です。

そういう経験をされている方はどうやって聞き流しているのか(後略)

(引用終わり)

未婚の女性ってそうなのか・・・って、いや人ごとじゃないなぁ~と、ちょっと語ってみる気になりました。

まず「どうしてそうなのか」というと、もちろん人によりますが、もしかすると・・・と我が身を振り返りつつ想像してみると。

今、30代後半から40代の、つまり私世代の女性は、まだ「結婚=女の幸せ」いう価値観の呪縛から完全には逃れることができないでいるんじゃないかな。
未婚であること、子供がいないことに劣等感があって、
「そんなことない。結婚すること、子供を持つこと、家庭をもつこと、それだけが女性の生き方じゃないんだ」
と自分自身と他人を説得するのに日々ものすごくエネルギーを使わないといけません。

本当は、それを気にしているのは自分だけで、周りの人はそんなに未婚であることや子供がいないことを気にしていないんですが。
というかそうやって評価するほど、他人はあなたに関心をもっていない・・・なんつって。

でも、私がこう思えて肩の力が抜けているのは、他人に自分の市場価値を評価されるような立場に今現在いないからです。

もし、もっともっと厳しい職場環境で、常に人との競争を強いられ、能力を比較され、だめなら切られるようなところにいれば・・・そう、たとえば仮に派遣であったなら、自分がいかに優れた人間であるかをアピールできなければ生き残っていけないんだと思うのですよ。

そして、未婚であるからこそ自分で自分を支えなくてはいけないし、子供に自分の夢を託すわけにもいかない。

男性だって同じですよね。
自分の能力をアピールできなければ生き残れないと思ったらがむしゃらになる。
そうでなくゆったり構えていられて、がむしゃらな人を「なんだか疲れるなぁ」と見ていられるのは、自分がある程度、恵まれた立場にいるからだろうな、と思います。

だから、がむしゃらなのは悪いことではないのですが、引用にあるとおり、そのことが人を疲れさせたり、見下されたように相手に感じさせたりしてしまうと逆効果。
なぜそれに自分で気がつけないかは、がむしゃらすぎて周りが見えていないからなんでしょう。

この質問をした方はそういう女性と接する機会がたまたま重なって疲れてしまって、どうやって聞き流せばいいのか、って話なんですが、もしかしてまだものすごく若い人なのかなぁ~

それこそ、家庭でも職場でも疲れる相手なんて山のようにいる。
普通の人がそれをどうやって消化していくかというと・・・

相手の立場を慮る。相手の身になって考えてみる。
それだけでかなり違います。
それは相手を評価することでも決めつけることでもなく、ただ相手のそのままの在り方を受け入れ、認めることで、自分も相手も楽になれるんじゃないかと。

でもこれって、意外に難しいことかもしれません。
なぜって人は他人に接する時にどうしても、その人を「評価」せずにいられないから。

たとえば・・・私はイカの塩辛が嫌いですが、イカの塩辛が好きな人がいたらその人まで嫌いになったりしたら変ですよね。

私はイカの塩辛が嫌い。
あなたはイカの塩辛が好き。
両方いていいじゃないか。なぜ違ってたらだめなのか。

「イカの塩辛」でたとえるからばかばかしく思えるのですけど、世の中には案外こういうことが「価値観の違い」とか言われて、お互いを認め合わないなんてことになるんですよね・・・

未婚だろうと既婚だろうと。
子供がいようといまいと。
男性だろうと女性だろうと。
そしてあることに関して考え方や姿勢に違いがあったって。
それをことさら気にしてギスギスするよりもお互いを認めあえたなら、世の中はとても生きやすくなるのに。

でもそれをいうなら
「こういう人がいて疲れちゃったよー。なんでああなのか不思議だよなー」
と思うのもありですな。
ただそれでいちいち疲れるのが嫌なら、私は私、あなたはあなた、気にしない、気にしない♪

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2010.03.16

年収っていくらなら『普通』なんだ!?

AERAに
「公務員の給料が高い」
という記事が出ていました。

(引用開始)

公務員のお得三点セット
(1)平均700万円(42歳)の年収
(2)平均2500万─3千万円の退職金
(3)月額25万円以上ある共済年金

(引用終わり)

ふむ・・・これって「公務員天国」と言われるほどものすごく高いのかしらん?
年収700万っておそらく税込みでしょう。

前に1000万以上の年収がないと満足に嫁ももらえないらしい、という話を書きましたが、42歳で700万(しつこいようですが税込み)ってそんなに高いのかなぁ?

ちなみに41歳の自分が手取りで今、実際いくら使えるお金があるのだろうと思いましたら、家賃や保険料などのもろもろをひいて残ったのは28万円でした。

もし私が男性で、結婚してて妻と子供がいたとしたら、家計費として20万は渡さないといけないよなぁ。幼稚園も習い事も人並みに行かせたいし。光熱水料はそこから出してもらいます。

残りが8万。
・・・いや、貯蓄もしないとね。子供が大きくなったときの学費に。
そうねぇ、5万、積立貯蓄しますか。すると残りが3万。

ケータイの料金にパソコン等通信費、それとお昼ご飯が1回1000円として20日で2万円。
うーむ、かつかつですな。飲みにもいかず、たばこも吸わず、車も持たず、休みもどこにも出かけないで。
これって普通以下な気がするんですがどんなもんでしょうか。

実際は妻と子供がいませんから、いればもうちょっと税金が安くなるのかな?

・・・というわけで、一般に年収っていくらなら、世間から「普通」って思われるのでしょう?
無論、年齢にもよりますし、下も上も見たらきりがないわけですが、年収700万が馬鹿高いとは私は思えません。
てか42歳でそれだったらけっこう生活、大変じゃないのかなぁ。

まあ、世の中には公務員なんて国民の下僕だから給料なんてぎりぎりでいい、という説もあります。
安い公務員住宅もあることだし、一般国民のようにマイホームを持ったり、マイカーを持ったりすることはまかりならん、食事も1000円なんて贅沢で、社員食堂の300円カレーorそばを毎日食ってればいいだろが、というのも一理ある。

ただ・・・まぁ、あくまでも「普通」って何?と。

誰だって、人間、自分が一番働いてるし、苦労してるし、貧乏だし、生活きっつきつだし、もっとお金があれば、あれもこれもできるのに、なぜ自分だけがこうなんだ、と思う。
そんなときに公務員が年収700万?ふざけんな、と思うのもありとは思います。思うのは自由。

しかし、実際にそう思う人々に乗っかって世論が作られて、法律が変えられて、得をするのは誰なんだ。
もし公務員が減ったって、消費税は上がるし、国の赤字はふくらむ一方なんじゃないかと。

そんなことないのかなぁ? 本当に公務員の首を切ることでこの国を救えるんだろうか?

・・・救えるんならやってくれ。

でもそれで困るのはきっと家族を必死で養ってるお父さん、お母さんたちなんだろうな・・・

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2010.03.12

旅行を計画するときよくあるトラブル

必ずしも旅行とは限りませんけれど、一般に、旅行の計画等を立てているときなどにこういうことでもめるケースがありませんか。

AさんとBさんが二人でどっかでかけるとして。Aさんはいろいろ調べて、あそこ行きたい、ここ行きたいということをいっぱい考える。
でもBさんは自分から調べようとはしない。旅行へ行くということには合意しているけれどあとは全てAさんに任せきり。
Aさんが、ここはどうか、あそこはどうかという話をして、全部調べて、どっちがいいかBさんに意見を聞いても「どっちでもいい」と言ったり、「うん」と言ったきりなかなか決めてくれなかったりする。しびれをきらしてAさんが結局全部決めることになる。

Aさんはそのうち、なんだか馬鹿馬鹿しくなってきて。
「Bはほんとに旅行に行きたいんだろうか? なんで私が全部決めなくてはいけないのか? 二人で行く旅行なのに、私ばっかりが大変な思いをするなんて・・・Bは私のそういう気持ちも知らずに任せきりで何もしない。こんなのおかしい」
というわけで、最悪ケンカになって、もう今後一切あなたとは関わりたくない、という結果になったりする。あまりにもよくありすぎる話。

これがこと、夫婦だった場合は、旅行のみならず、家庭生活の一切合際でこういうことがあって、Aが奥さん、Bが旦那だったりしようものなら・・・昨今ですと、それで離婚に至ったりいたします。

で、ちょっと考えてみた。
AさんやBさんはではどうしたらよかったのだろう?
私が今まで友達と旅行に行った時のことなどを振り返りつつ考えてみます。

私は基本、任されると張り切るタイプ。自分の好きなように旅行のプランニングをして、行きたいところを決めて、「どうかな?」とBさんに聞いて、Bさんが全面的に任すということであれば、別にBさんが何もしなくても気になりません。
だって、私の行きたいところに行くんだもの。嫌ならBさんは付いてこないでしょ。
そう割り切ってしまいます。

だからもし自分がAさんだったらBさんタイプの相手にいっしょになって調べてもらったりはしないな。
もちろん旅行だけじゃなく、もし夫婦だったなら、子供のこと、今日の夕飯のこと、全部自分が仕切るしかないと覚悟を決めます。Bさんが信頼して任せてくれるならそれでよいのだ。

でもそれで私が失敗したり、傷ついたり、悲しい思いをしたら・・・そのときこそBさんが必要です。普段は任せてくれていても、困ったときにいっしょに悩み、助けてくれ、いい知恵を出してくれる。それがベストパートナー。

ちょうどこれは会社の課長と課員の関係にも似ています。課長は部下の仕事ぶりにもしかしたらすごく不安なのかもしれません。
「俺だったらもっとこうするのにな」
と思う瞬間も多くあるでしょう。でも管理職たるもの、全部の仕事を全部自分がやるわけにもいかない。部下を信頼して任すしかない。そして失敗したら責任は自分がとる。もちろん失敗しないよう、SOSのサインを見逃さないように、要所要所で進捗を確認し、必要な時にフォローをすることも大事です。
部下にとっては、信頼して任されることほど誇りなことはない。それでいて悩んだり、困ったりしたら相談できる上司がいたら理想的です。

もちろん夫婦も友達も、上司と部下とは違うんですが、少なくともお互いを信頼し、その信頼の上で任せるべきところは任せ、任せたら口を出さない、それは人間関係の大原則な気がします。(口は出さないけれど「任せる」ということは「俺は知らない」「俺は関係ない」ということではないですからね、念のため)

冒頭の旅行の例で言うならば、やっぱりAさんがいろいろ決めるのは仕方なく。
BさんはAさんを信頼しているんだから、Aさんは自分のやりたいようにやればいい。いろいろ「自分だけが」調べて大変な思いをするのを嫌だと思うなら、役割分担をきっちり決めてBさんの作業を割り当ててそれについてはそれこそ任せてしまうか、それだとBさんがやらなくてイライラするし、かといって自分が決めるのも嫌なら・・・二人で旅行へいくのはあきらめたほうがいいのかもしれません。

結局のところ、夫婦だろうと友達だろうと恋人だろうと他人は他人。Aさんが思ったようにはBさんは動かない。他人を自分の思い通りに動かそうとするからイライラするので、イライラしたくなかったら、自分がやるか、相手に任せるか、やめるかの三択です。

・・・というのが、時に友人にはドライだといわれる私の考え方なんですが・・・
Aさんのように考える人がいるということは、もしかするとそうじゃない第4の選択肢というのが世の中には存在するのかな。
いっしょになって調べてくれていっしょになって計画を立てて・・・いやぁ、それはそれで意見がぶつかりあってひどいことになりそうだけどなぁ~

ちなみに私は相手がAさんになってくれるならBさんにもなれます。海外旅行などは面倒くさいので、旅行会社にAさんになってもらうパック旅行。決めてくれたら決めてくれた中で十分楽しむことができます。だからどちらかというとAさんとBさんではBさんの気持ちの方がとてもよく分かります。

今までいろんな友達と海外旅行へいきました。どの旅行も私は概ね気持ちよく、楽しく過ごして帰ってきました。(同行した相手はどうだったかしら)
今度また同行するのは初の友人と海外旅行の計画を立てています。さて、今度はどうかな? お互いに楽しく過ごして帰ってくることができるかな?

ちなみにその友人と私はA型同士。自分がそうだからぶっちゃけますが、A型同士ってのは面倒くさいですよ?(苦笑)
相手に変に気を遣い自分の主張をしない。お昼にどこいこうということ一つをとってもなかなか決まらない。なんとかして決めてもあとで「ほんとはあそこじゃないほうがよかった」などと言う。それなら先に言えと(笑)。
でも私はA型の対処方法にはかなり慣れているので平気です。あとで何か言われることなど想定内。A型人間は自分に自信がないので、どうしても「あそこじゃないほうがよかった」わけでもなく、ただ言ってみただけ、ということが多い。
そんなの適当にあしらっとけばいい。でも「適当にあしらっている」ことを悟られると相手は傷つくので、悟られないように上手にあしらいましょう・・・なんて、なんか自分についての処方箋を書いてるようだ~

ともあれ、どんな場合にせよ、

○ 相手は自分とは違う人間である
○ 自分の思いどおりにしたいなら相手には任せない
○ 任せたら相手を信頼する
○ それで困ったことになっても無論相手を責めてはいけない。いっしょに悩む

これを互いに理解していれば、何かトラブルがあったってそれが原因で「もう二度とあなたとは何もしたくない」ということにはならない・・・はず。
自分への注意書きですが、これをご覧の皆様にも参考にしていただければと思い記してみました。
皆様、よいご旅行を♪

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2010.03.06

久々の献血で。

先日、久しぶりに献血へ。
メタボ対策で減量中なので、もしかして濃さが足りなくて献血できないかなぁと思っていましたが、ばっちり400ml採血されて、この間、血液検査の結果が返ってきました。

ダイエットの方は、体重が今年に入ってからあまり減らなくはなってきましたが、ピーク時からの-6キロを保っていて、先月から今月にかけやっともう-1キロになったかな。

毎日、できるだけ1万歩歩くことと、ダイエットダイアリーは9月からずっと続けていて、昼休みは保健師さんと週三回の10分ウォーキング&5分の踏み台昇降なんてのをやっています。

ダイエットはもうむか~しからいろいろとがんばってきたんですが、ここ数年ははなかなか体重を減らすことができませんでした。
でも、今回、メタボ指導を契機に始めたダイエットは3月で半年。どうやっても動かなかった数字が落ち始め、今のところまだ戻ってはいないので、ちゃんと実行できていると言っていいでしょう♪

おなか周りもだいぶゆるくなってきて、きつきつだったスカートは余裕で入るようになり、ジャストサイズだったGパンはゆるゆるでベルトなしでは履けなくなりました。そういうの、自分で実感するとやっぱりうれしい。

でもまだ、2月に久しぶりにあった友人には
「やせたね」
と言ってもらえなかったのですよー。元が元なだけに、まだまだ人に気づいてもらうレベルには達していないみたいです。それが悔しくて(笑)
次に会ったらびっくりさせてやるぅ~

今回の献血も半分は血液検査が目的でした。
健康診断では毎度、コレステロールが要警戒レベルでしたので、これが改善されてればいいなと。

検査結果、私は今回、総コレステロールの値が214mg/dl。
この値、献血の際の通知によると110~250が正常値とされていいます。
前回の献血(2008年11月30日)のとき、私、これが260でした・・・

ネットで調べると総コレステロールの基準値もいろいろと説はありまして、220以下を正常値とするのが昨今の傾向のようです。今回は、その範囲内にも収まってる♪
ダイエットの結果はあきらかに数値の改善にも現れていると見てよいのでしょう。やったねv

ちなみに手元のデータによると、2009年5月の、前回の健康診断の時の総コレステロールは239。その頃も保健指導は受けていましたが、体重は減っていませんでした。最近は総コレステロールで見るのではなくて、LDLコレステロール(悪玉コレステロールらしい)の数値で判断をするらしく、私はこの健康診断のとき、LDLコレステロールの値でいうと、判定がDⅡ「要観察」だったのす。
献血の血液検査ではLDLコレステロールまでは分からなかったわけですが、総コレステロールがこれだけ落ちてるから、LDLコレステロールも改善されてるでしょうな。とりあえずは喜んどけ(笑)

この結果を保健師さんに見せたら、γ-GTPの値もよくなってるから肝臓の問題もない、なんてことを言われてますます嬉しくなりました。
健康診断の超音波検査で「脂肪肝」だって言われてて(こちらの判定はC要生活注意)、特にすぐ病院へいけってレベルではありませんでしたが、それも心配だったのよね。

どうやら内臓の脂肪の方はかなり落ちてきているようです。体脂肪計でもここしばらくは数字が下がってきましたし。

でも体重の方は標準にはまだまだ遠く、おそらくこれからは、やせてくると自分でもよけいに気になる、皮下脂肪との戦いになるのでしょう。
皮下脂肪ですから、おなか周りの肉などは自分で持ってみることができます。持ってみるとずっしりきますよー。これがなくなったらそりゃマイナス10キロは軽くいくよな。トイレとかお風呂とか、肌を露出するシーンで、体を眺めると我ながら「うわー」と思うのよね。

これからも気長にじっくり取り組みたいと思います。

とりあえずは・・・コレステロールの値が改善してよかった♪というご報告でした~

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2010.03.02

poem(86)

「挽歌」

毎年その枝いっぱいに
美しい花を咲かせてくれた桜が
春をもう目の前にして
コロサレテシマッタ

寂しく残る切り株
廃材となった木の枝に
咲けなかった蕾を見るのが怖くて
思わず目を背けた

駅前の再開発は
もう何年も前から決まっていたことだった

・・・他に桜が何万本あろうと
失った人を悼んだ日も
大好きな人を思って空を見上げた日も
そこにあったのはその桜の木だった

世界は変わる
生きている私たちでさえ
その細胞は毎日入れ替わる
昨日と同じ日はなく
だからこそ新しい命も生まれ
育まれる

分かってる
分かってるんだけど

それでもあの桜の木に
悲しみと感謝の挽歌を贈ろう

いつか私が死んで
あの淡い桜色のヒカリに
再び迎えられる日まで

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